小林旭・恋の山手線小林旭・ソノシート・恋の山手線








 「渡り鳥」滝伸次は全国各地を廻りましたが、今度は小林旭が東京をぐるりとまわる歌。「恋の山手線」。こちらで聴きながらお読みください。takeoka380さんに感謝しつつ無断リンクします。

小林旭「恋の山手線」
  昭和39年3月発売
  作詞:小島貞二 作曲:浜口庫之助 編曲:小杉仁三
 一 上野オフィスのかわいい娘(こ)  上野=上の
   声は鶯谷わたり      枝々を飛び渡る時の鶯の鳴き声のような佳い声
   日暮里笑ったあのえくぼ      日暮里=にっこり
   田端ないなァ好きだなァ      田端ない=たまらない
   駒込したことァぬきにして     駒込=細々
   グッと巣鴨がイカすなァ      巣鴨=素顔
 二 始め大塚びっくりに        大塚びっくり=おっかなびっくり
   デートさそいに池袋         池袋=行け(ぶくろ)
   ところが男が目白押し       目白押し=目白押しに列をなして     
   そこを何とか連れ出して
   高田のバーで酔ったとき     (高田の)バー=高田馬場
   胸の新宿うちあけた        新宿=真実
   あゝ恋の山手線
 三 代々木泣くのはおよしなさい  代々木=よよと
   原宿ならば食べなさい      原宿=腹がすく
   渋谷顔などいやですわ      渋谷顔=渋い顔
   顔は恵比寿にかぎります     恵比寿=えびす顔
   目黒のさしみか天ぷらで     目黒=まぐろ
   あたし五反田いただくわ     五反田=ご飯を
 四 きょうはあなたの月給日
   まず大崎は買いものよ      大崎=お先
   どの品川がいいかしら      品川が=品(がわ)
   田町が宙に浮くようね      田町=たましい
   無理な新橋かけないわ     新橋=心配
   うんと有楽町だいな       有楽町だいな=(有楽)ちょうだいな
   あゝ恋の山手線
 五 素ッ東京なことばかり      素ッ東京=すっとんきょう
   何だ神田のむだづかい     何だ神田の=なんだかんだの
   ボクはいささか秋葉原      秋葉原=飽き(はばら)
   御徒(おかち)な恋だといわれても   御徒な=おかしな=御徒町
   山手花咲く日も近い        山手=やがて=山手線
   青くホームに灯がゆれる
   あゝ恋の山手線

 もう3年半前、美樹克彦「行こうぜ東京」(s41-6)から新川二郎「東京の灯よいつまでも」(s39-7)&坂本九「サヨナラ東京」(s39-7)まで、10回にわたって「東京讃歌」シリーズを書きました。
 小林旭のこの曲もオリンピック前の東京讃歌のひとつに数えてよいでしょう。
 ごらんのとおり、山手線の駅名を語呂合わせ(地口、シャレ)で織り込んだ楽しいコミック・ソング。
 江戸の地名を地口で織り込んだのは舟木一夫「一心太助江戸っ子祭り」(s42-1 関沢新一作詞)。
 日露戦争後の明治の東京を「チンチン電車のランデブー」で廻ったのは守屋浩「明治大恋歌」(s39-9 星野哲郎作詞)。
 小林旭は昭和39年の東京を山手線(やまてせん →後述)で一周します。順序は上野を起点にして内回り。
 歌詞表記中の駅名は太字にして、右に蛇足めいた注釈を添えてみました。小文字の(  )部分は意味には関係ないと思われますが、「高田のバー」の「高田」には料金の「高い」バー、「有楽町だいな」の「有楽」には「楽させてちょうだい」というニュアンスがありそうです。
 上の階のオフィスの娘に恋をして、群がるライバル掻き分けて付き合い始めたはよかったが、なかなかお金のかかる娘で翻弄されっぱなし、といったストーリー。
 四番だけを女声コーラスが歌っていますが、アキラが歌う三番も女の方が語っている設定です。
 つまり「よよと泣く」のはふつうは女の泣き方の表現ですが、三番で泣いているのは男です。二番で酒の勢いをかりて恋の告白をした男は(女のそっけない返事を聞いて)そのまま泣き出してしまったわけで、どうにもなさけない「女々しい」男。女はそんな男を泣くのはおよしなさいと慰めながら、あっけらかんとご飯をパクつくのです。四番は月給日に女の買物につき合わされ、もちろん支払うのは男、女は無理はさせないから心配いらないと云いながら、その舌の根も乾かぬうちに「うんと(楽させて)ちょうだいな」とおねだりします。さんざん振り回されながら、それでも「(恋の)花咲く日は近い」と望みをつなぐあたりが恋してしまった男のあわれさ。プラットホームの青い灯がちょっともの悲しさを誘います。
 このダメ男の恋を颯爽たる「マイトガイ」アキラが陽気に「素ッ東京=すっとんきょう」に歌っているのがなんとも楽しい。小林旭のコミック・ソング中の白眉でした。

柳亭痴楽CD ご承知のとおり、「恋の山手線」の元になったのは、当時の人気落語家、四代目柳亭痴楽(1921~1993 右画像)のお得意「痴楽綴り方狂室」の一つ。「綴り方教室」ならぬ「綴り方狂室」はなんでもかんでも七五調で綴ってしまう、美文のつもりで俗な本性まる出しのちょっとクレイジー(狂)な綴り方。
 「破壊された顔の所有者」を自認しながら「柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、あれよりグンといい男……」というマクラで始まるこの元祖・爆笑王の七五調で綴る綴り方、大好きでした。
 (「綴り方狂室」のスタイルの原型は三代目三遊亭歌笑の「歌笑純情詩集」を引き継いでアレンジしたものだといいますが、歌笑は私「遊星王子」が地球にやって来る前の1950年に不幸にも事故死してしまっているので、私の記憶にはありません。)
 こちらのページに、痴楽綴り方狂室の「恋の山手線」が文字に起こされています。小林旭の歌の歌詞と比べてみてください。駅名ダジャレのかなりの部分を痴楽師匠の綴り方狂室から流用しているのがわかります。
 その流用が許されたのは、作詞したのが演芸評論家で痴楽と親しかったという小島貞二だったからでしょう。もちろん小島貞二はかなり流用しながらも独自のシャレを加え、さらに歌謡曲の歌詞にふさわしく刈り込んで、綴り方狂室とは別な恋の物語に仕立てています。
 (なお、「綴り方狂室」の作者は痴楽自身ではなく、浪曲師の(後の)三代目神田ろ山だったそうです。ろ山は戦後長く浪曲師を廃業していた時期があったというので、その頃落語作家の仕事もしていたのでしょう。)
 痴楽師匠の「山手線」を聴いたことのない方はこちらのyoutubeチャンネルでどうぞ。「竹庵薮井」さんに感謝しつつ無断リンクしておきます。後半部分が「山手線」です。
 上記チャンネルで聴いてみると、まず冒頭で「やまてせん」でなく「やまのてせん」と言い、さらに、「日暮里笑ったあのえくぼ」のあとに「西日暮里と(=しっぽりと)濡れてみたいが人の常」と西日暮里が入っているのに気づくでしょう。
 東京都心部をぐるりまわる山手線は開業当初から「やまのてせん」だったのが(環状運転が始まったのは1925年)、敗戦後に占領軍の指導で鉄道標識等のローマ字併記がすすめられた際に国鉄部内での通称だった「YAMATE」表記にしてしまい、以後「やまてせん」で定着した、それが1970年からの「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンで駅名・路線名をわかりやすくしようという流れの中で、1971年3月7日、「山手線」を「やまてせん」から「やまのてせん」に改めた(戦前に戻した)のだそうです。また、西日暮里駅が開業したのは1971年4月20日でした。
 つまり、上記「竹庵薮井」さんの動画は早くとも1971年5月以後の高座。しかも痴楽師匠は73年10月に脳卒中で倒れ、以後高座復帰はならなかったので、芸人としては早すぎる「晩年」の高座だといってもよいでしょう。
 したがって、昭和39年=1964年の小林旭の歌は「こいのやまてせん」なのです。また、西日暮里駅はまだ存在していないのです。
 (ちなみに、この翌年のヒット曲、佐々木新一「あの娘たずねて」(s40-12)も、「♪花の東京のどまン中/ぐるり廻るは山手線(やまてせん」と歌い出していました。)
 しかし、よくよく見るとこの歌詞、全26駅。現在の山手線は全29駅。西日暮里のほかに新大久保と浜松町が歌詞にありません。西日暮里と違って、新大久保駅も浜松町駅も環状運転開始時からちゃんと存在していたので(しかも浜松町はこの時期、モノレール開業予定で話題の駅でもあったはず)、この二駅が織り込まれていないのは「玉に瑕(きず)」と言わざるを得ません。(痴楽の「恋の山手線」にはちゃんと織り込まれています。歌の歌詞に入れるのは行数の制約もあって難しかったのでしょう。)
 しかし、瑕はあっても玉は玉。「恋の山手線」が盛りだくさんの地口(語呂合わせ、シャレ)を使ったコミック・ソングの傑作であることに変わりはありません。
 「恋の山手線」のヒットに気をよくした小林旭は、この後クラウン・レコードに移籍して、ちょうどオリンピック開催中に、自動車名の語呂合わせをふんだんに織り込んだ「自動車ショー歌」(s39-10-15 星野哲郎作詞)を出すことになります。
 さらに「自動車ショー歌」のヒットを受けて、酒の種類を織り込んだ「名酒節」(s40-10 黒田純作詞)、野球用語を織り込んだ「野球小唄」(s41-3 星野哲郎作詞)、世界の国名地名を織り込んだ「恋の世界旅行」(s43-3 杉たくみ作詞)、ゴルフ用語を織り込んだ「ゴルフショー歌」(s50=1975-6 星野哲郎作詞)と、アキラのダジャレ・ソングは続きます。小林旭こそは日本一のダジャレ・ソング王なのでした。