潘基文氏、支持率・政治資金・検証攻勢の三重苦に…

潘基文氏、支持率・政治資金・検証攻勢の三重苦に…

2017年02月02日08時49分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
comment
0
share
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixi
  潘基文(パン・ギムン)前国連事務総長が1日午後3時26分、国会の記者会見場で原稿を取り出して読むまで、ほとんどの記者は「ビッグニュース」を予想していなかった。しかし約3分後、潘基文氏の口から「私が主導して政治交代を実現し、国家統合を成し遂げようとしていた純粋な考えを終えることを決めた」という発言が出ると、雰囲気が変わった。随行秘書も驚いた表情を浮かべて言葉を失った。あちこちで「出馬しないということか」という声が出てきた。約2分後、頭を下げて会見場を離れる潘氏を取材陣が取り囲んだ。

  不出馬宣言はまさに電撃的だった。選挙陣営の総合状況室長に挙がっていた権寧世(クォン・ヨンセ)元議員は「今日12時に電話をしたが(不出馬の決心は)全く知らなかった」と語った。潘氏の50年の付き合いの鄭泰翼(チョン・テイク)韓国外交協会名誉会長も「本当に驚いた。全く知らなかった」と話した。

  潘氏は会見の後、ソウル麻浦(マポ)の事務室で約20人の人たちに「有難く、申し訳ない。一人で決めたが、皆さんと相談していれば引き止められていたはず」と話したという。また「あまりにも純粋だった。政治家は一人も心を無にして率直に話す人がいなかった。政治は本当にこういうものかと思った」とも語った。潘氏は「票を受けるには私は保守側だとはっきりと言うべきだという要請を何度も聞いた。保守の消耗品になれという話だが、私は保守でも良心上受け入れることができなかった」と政界を恨むような話もしたと、関係者らは伝えた。この日、家の前で記者と会った潘氏は「壁が高い。能力の限界を感じた」と述べた。

  潘氏はこの日未明、不出馬を決心したという。潘氏は「妻(柳淳沢氏)と深く話し合い、他の人に機会を与えるのがよいと考えて決心することになった」とし「素朴に始めて素朴に終わった」と語った。柳淳沢(ユ・スンテク)夫人はその間、潘氏の大統領選挙出馬に強く反対してきた。

  ◆支持率上がらず政治資金も負担に

  不出馬表明の背景は、期待に達しない世論調査の結果が影響を及ぼした可能性が高い。

  潘氏は前日、正しい政党の金武星(キム・ムソン)議員と会った際、「大統領選挙に出ないかもしれない。そうなればどうなるのか」という趣旨の話をしたが、外部にそのような気配を見せることはなかった。選挙陣営の事務室を翌日に国会前のビルに新たに置く予定であったし、取材陣に日程などを知らせる団体チャットルームをこの日新しく開設した。8日には独自の政治勢力化を意味する「国民フォーラム」を発足する予定だった。

  一部では知られていない「スモーキングガン」(決定的端緒)があるのではという見方もある。本格的な野党のネガティブ攻勢が始まる前に出馬をあきらめた可能性があるということだ。潘氏は強く否認したが、野党は「朴淵次(パク・ヨンチャ)元泰光実業会長23万ドル」授受疑惑を執拗に提起してきたし、家族など周囲を探っているという噂が広まっていた。政界では「柳淳沢氏の出馬反対をその間は高い支持率で説得してきたが、支持率が落ちたうえ家族に対する攻勢が強まり、結局はあきらめるしかなかった」という話が出ている。潘氏は最近、「周囲の人たちが傷つかないか心配」という話もしていたという。

  資金問題が負担になったという話もある。国会前のビルの事務室は普通1年単位の契約だが、大規模な陣営を運営するには家賃と保証金を合わせて1億ウォン(約1000万円)ほどの資金が必要だ。潘氏は先月16日、記者らに「サラリーマン(外交官)として生活し、自動車2台、運転手2人、秘書も私が別に雇用し、麻浦の事務室も私のお金で準備した。一人でしようとすれば金銭的な面から厳しい」とし、政治資金の負担を吐露した。
【今日の感想】この記事を読んで・・・
興味深い
悲しい
すっきり
腹立つ
役に立つ

今日のイチオシ記事