トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

藤村さん長男・亜実さん会見 「息子でいられて幸せでした」

2017年2月2日 紙面から

藤村俊二さんの死去を受け、報道陣の質問に答える長男の亜実さん=東京都港区台場のフジテレビで

写真

 「オヤジでいてくれてありがとう。息子でいられて幸せでした」「オレもだ」−。藤村さんの長男で所属事務所社長の藤村亜実さん(50)が1日夜、東京都内で会見し、昨夏前に交わした最後の会話や、闘病生活の様子などを涙ながらに明かした。

 再婚した妻と離婚後は亜実さんと2人暮らしだったという藤村さん。小脳出血で倒れた際は自宅にいて「僕が夜ごはんを用意していつものように声をかけたが部屋から出てこなかった。寝室を見に行ったらぐったりしていたので救急車を呼んだ。当初はあまり意識がなかったが、その後回復した」と振り返った。

 その後はリハビリや万が一の事態に備え、亡くなるまで入院していたという藤村さん。亜実さんと姉の2人で面倒をみていたといい「歩くことや手足を動かすことはあまり問題なかった。ただ食べるリハビリは長く続けた」と明かした。

 本人の意思で入院のことはあまり周囲に知らせなかったが「30代半ばのステキな女性が見舞いに来た時はものすごくうれしそうだった」と父の笑顔を懐かしんだ。

 藤村さんは仕事復帰するつもりでリハビリも頑張っていたが「昨夏終わりか秋ぐらいからは会話が難しくなった。意識はある時も無い時もあった」という。最期は亜実さん1人が病室でみとり「夕方4時か5時ぐらいから少しずつ血圧が下がり始め、ゆっくりと心臓が止まった」と話した。

 葬儀は密葬で行い、藤村さんの性格を考慮して決めたという。ひつぎには愛用していたグレーのスーツ上下や好きだったピンクのシャツなどを入れた。

藤村さんが書いた「塩どき」という文章が印刷された密葬で参列者に配布した会葬礼状

写真

 藤村さんは手書きのメモを20〜30枚ほど残しており、その中の1枚で“塩どき”というタイトルのメモを参列者の会葬礼状に使用。亜実さんは「このままここにいてはかっこ悪くなると思った時に、そこからいなくなる時」と“遺言”とも取れる内容を読み上げた。

 “おヒョイさん”と呼ばれるきっかけについて亜実さんは、藤村さんから「日劇の新人エキストラをやった時に、1人ぐらいいなくても大丈夫だろうと帰っちゃった。いなくなるので“おヒョイ”」と聞かされたエピソードも披露。子供のころ、藤村さんに「家で勉強するな。学校でするもの。頭の悪い子を生んだようだからやめてくれ」と言われた思い出も語った。 

 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ