今日はイギリスから来られた方と一緒でした。
仕事で日本に頻繁に来られるらしく、日本語がとても上手な方でした。
昼時になったので、一緒に食事に行きましょうと誘ったところ、近くの和食店に行きたいとリクエストされました。
どうやら、事前にネットで調べていたようです。
店に着くと座敷に案内されたので、若干不安がよぎったのですが、その方は慣れた動作で正座し、料理を選びはじめました。
日本に来られる機会が多いからでしょうか、正座姿が様になっていて、とても素敵でした。
そんなイギリスの方と一緒だったので、今日は正座について書いてみたいと思います。
- 昔は女性があぐらで座っていても良かった
- 安土桃山時代までは、男性の正式な座り方はあぐらだった
- 徳川幕府が「泰平の世」をつくるために必要だった「正座」
- 江戸時代以前の正座
- 明治時代になってから「正座」と呼ばれ始めた
- 奥が深い「正座」
昔は女性があぐらで座っていても良かった
私は正座が苦手です。
痺れて痛いので、できるだけ早く足を崩したいと思ってしまいます。
昔は、あぐらや片膝立てで座っていても、無作法ではなかったそうです。
もともと、あぐらは男性の座り方でしたが、宮廷に仕えていた女官たちは、あぐらや片膝立てで座っていたそうです。
室町時代の頃になると、女性の衣服が変化します。
それまでは女性の着衣には「裳」がありました。
室町時代頃に、より動きやすく機能的な、「小袖」のスタイルに変化します。
この小袖スタイルで立膝をすると、脚があらわになってしまうので、女性は両足を折りたたんで座るようになったと言われています。
安土桃山時代までは、男性の正式な座り方はあぐらだった
TVの時代劇を観ると、戦国武将は「あぐら」で座っています。
たとえ織田信長や豊臣秀吉の前でも、あぐらのまま両手をついて頭を下げています。
戦国時代や安土桃山時代までは、男性の正式な座り方は「あぐら」だったそうです。
ではいつから、正座が正式な座り方になったのでしょうか。調べてみたら、面白い発見がありました。
徳川幕府が「泰平の世」をつくるために必要だった「正座」
徳川家康が江戸に幕府を開き、将軍職が世襲されるようになると、幕府は人々に「徳川幕府が世を治めれば、泰平の世が続く」と思い込ませようとします。
特に武士階級の人々に対して「これからは泰平の時代だ」という意識を植え付けようとします。
その際採用されたのが、「正座」でした。
参勤交代の制度を導入した際、諸大名が将軍に拝謁する際は「正座」をする事と決められました。
正座をしていると、どんどん足が痺れてきますよね。
痺れても更に正座をし続けると、感覚がなくなってきて足が動かせなくなってしまいます。
幕府の狙いは、これだったそうです。
足が動かせない状態だと、相手に刀で切りかかったり飛びかかったりすることはできなくなりますよね。
動けない状態なので、目の前の相手に生殺与奪権を与えることにもなります。
つまり、正座は「私はあなたに危害を加えるつもりはありません」「あなたに従います」という、幕府へ恭順の意思を示させるための姿勢として導入されたものだったそうです。
江戸時代以前の正座
江戸時代に、徳川幕府が普及を進めた「正座」。
それ以前の時代にも、正座をする機会はありました。
正座は元々、神道で神を礼拝する場合や、仏教で仏像を拝む場合に用いられた姿勢と言われています。
仏教には「長跪合掌(ちょうきがっしょう)」という言葉があります。これは、上半身を直立したままで、両膝を地面に付け、合掌する礼拝の作法のことです。
この「長跪合掌」が、正座のルーツという一説があります。
また、室町時代や安土桃山時代頃から徐々に普及した「茶の湯」と共に、正座も広まったとされています。
狭い茶室であぐらをかくと、隣の人とぶつかってしまいます。それを避けるために、正座が普及するようになったとも言われています。
明治時代になってから「正座」と呼ばれ始めた
江戸時代の頃は、「正座」とは言わず「かしこまる」や「つくぼう」などと呼ばれていたそうです。
明治維新で四民平等が宣言されて以降、国民共通の正式な座り方として「正座」と呼ばれるようになったと言われています。
奥が深い「正座」
膝を折り、その上に上体を乗せた姿勢の「正座」。
日本だけではなく、アジアを中心に世界各地で同じような座り方をする文化があります。
そんな正座のことを詳しく書き尽くそうと思ったら、本が書けてしまう程の量になってしまいます。
単純な座り方に関する作法ですけど、とっても奥が深いものなんですね。
本当は、痺れにくい座り方についても書いてみようかと思ったんですが、長くなりそうなので別な機会にしてみます。
そもそも、痺れることが目的の座り方ですしね。