踊り字「ゝ」についての考察(私的忘備録)
★「馬鹿でもチョンでも」は
差別語ではない
新佃島・映画ジャーナル 2015年4月3日
https://eigajournal.wordpress.com/2015/04/03/%e3%80%8c%e9%a6%ac%e9%b9%bf%e3%81%a7%e3%82%82%e3%83%81%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%81%a7%e3%82%82%e3%80%8d%e3%81%af%e5%b7%ae%e5%88%a5%e8%aa%9e%e3%81%ab%e3%81%82%e3%82%89%e3%81%9a/
上記サイトでは、「ちょん」という
江戸時代には使用されていた言葉が
差別用語になっていく過程がよく解る。
ルーツを知ることの大切さを感じる。
上記サイトで指摘されている
『西洋道中膝栗毛』文中には、
「仮染(かりそめ)にも亭主にむかって…
ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」
と、書かれているらしい。
http://www.kotono8.com/wiki/%E9%A6%AC%E9%B9%BF%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%82%82
ちょん髷は、「ゝ」という踊り字に似ているから
「ちょん」と呼ばれてきた。
★踊り字
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%97
昔は、こころ(心)の表記方法として
「こゝろ」と書いた。
「佐々木」さんが「佐佐木」ではなく、
「正々堂々」も「正正堂堂」ではなく、
漢字の連続部の表記「々」は、畳符という。
繰り返して述べる事を、「畳みかける」と言うよね。
「ゝ」も「々」も、それ自体を呼ぶ音がない。
このような表記方法の歴史はかなり古い。
★踊り字の沿革について
-「々」を中心に-
広島大学 鎌倉時代語研究
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/26682/20141016154855465052/kamakura_18_19.pdf
「チョンぎる」の語源は、「チョンを柝る」
歌舞伎用語が由来。
★ことばで知る歌舞伎の世界
柝
http://www.kabuki-bito.jp/special/kabuki_column/todaysword/post_148.html
さて、
「馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの」という表記があった
滑稽本『西洋道中膝栗毛』とは、

★西洋道中膝栗毛
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%81%93%E4%B8%AD%E8%86%9D%E6%A0%97%E6%AF%9B
国文学資料館の2006年
【仮名垣魯文百覧会】の資料によると
作者の仮名垣魯文は、文政12年(1829)生まれ。
幼名は「兼吉」
父親の野崎佐吉は、
江戸京橋鑓屋町で棒手振りの魚売りをしていた。
仕入れた魚を棒に掛けて、その場で捌いてくれる
行商の魚屋さんのこと。

http://blog.livedoor.jp/bijinfolder/archives/42770689.html
9歳で、
新橋竹川町(銀座7丁目付近)の酒商
鳥羽屋多吉方に年季奉公に出される。
この時「庫七」と改名。奉公先では
十返舎一九の膝栗毛ものを初めとした戯作を
読み耽っていたという。
彼の俗文芸の嗜好は、放蕩のため勘当されて
継母の里方である鳥羽屋に身を寄せていた
細木藤次郎(後の香以)の手ほどきだった。
森鷗外の史伝『細木香以』によると
鳥羽屋は、
三十間堀住の十人衆三村清左衛門の分家。
弘化4年(1847年)、魯文は18歳、
和堂珍海の戯号で3年前から執筆していた
処女作『清談青砥刃味』を刊行。
その後、鳥羽屋主人に放蕩ぶりを咎められ
店を飛び出す・・・
『西洋道中膝栗毛』は、本屋(万笈閣)の主人から
「西洋流行へ付け込んで」「目先の変わった趣向」が
欲しいとの要望に対し、
「弥次北八が飛脚船で航海の旅歩きを
西洋道 中膝栗毛とでもやらかして書いたら
少しは売れるだろう」という狙いで執筆開始。
歌川芳虎:金黄花猫目鬘(こがねのはなねこのめかずら)
作:仮名垣 魯文 初編口絵より

小遣い稼ぎに、船橋屋の引札(広告チラシの類)も
制作していたり
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/149/
その後、ジャーナリストに転身した魯文は
『起廃病院医事雑誌』の発行を契機に
ハンセン病治療の啓蒙普及と患者の救済支援活動を
新聞雑誌上で展開する。
『西洋道中膝栗毛』の文体は
初編上より
弥次郎「野毛よりつヾく神奈川へ
はや程ヶ谷のほどもなく
暮れや戸塚にやどるらん」
北八「るらんなんじゃと はしこへる」
現代語訳のサイト
★『西洋道中膝栗毛』初編上
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110613/1307961332
★西洋道中膝栗毛』初編下
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110613/1307966198
★『西洋道中膝栗毛』二編上
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110614/1308001353?_ga=1.198232815.1321888916.1485922754
上海のビールで酒盛り
(中略)
旦那「中国語は、
国性翁の浄瑠璃の2段目よりも、厄介だ。
むきやらチョンのう、トラヤあ、トラヤあだ」
北八「トラヤあと言えば、
千里の薮は、どこだ。虎に会いたくない」
弥次「バカ。あれは近松のフィクションで、
じつは虎はいない」
北八「いや、支那は広いから、
千里ぐらいの薮はあるだろいう」
通訳「北八さん。流行おくれだ。そんな薮(野暮)はない」
北八「野暮という、おしゃれだ」
(引用ここまで)
>国性翁の浄瑠璃の2段目
近松門左衛門作の人形浄瑠璃「国性爺合戦」のこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%80%A7%E7%88%BA%E5%90%88%E6%88%A6
二段目[編集]
(略)
鄭芝龍は二十数年前に勅旨により日本に渡って、
この地で漁師として老一官を名乗り、
日本人の妻をめとっていた。老一官夫婦と子の和藤内は、
和藤内の妻小むつに栴檀皇女を預け、
明朝の復活のため、中国に渡る。
一方、鄭芝龍が大陸に残した先妻・渚との娘、錦祥女は、
韃靼の将軍、甘輝の妻となっていた。
3人は、甘輝に協力を求めるため、甘輝の館である
獅子ヶ城へ向かう。3人は二手に分かれたが、
和藤内と母は千里ヶ竹に迷い込む。
ここで虎を退治した和藤内は、韃靼兵を手下にしてしまう。
(引用ここまで)
http://www.clarte-net.co.jp/clarte/04adult/kokusenya/htmls/yoshida.html
http://blog.goo.ne.jp/harunakamura/e/a1288c8ad1d16215c6a4f80da8697406
★『西洋道中膝栗毛』二編下
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110615/1308090086
2001年の”教えてgoo!”に、こんな記載がある。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/154633.html
「NHKハングル講座の講師をされている,
早稲田大学のキム・ユーホン先生が書かれた,
「韓国語 はじめの一歩まえ」というエッセイがあります
(ディーエイチシー発行,1996年)。
この中で,(いま手元に無いのでうろおぼえですが)
飲み屋かどこかで「バカチョンカメラ」という言葉が
会話に出てきて,てっきり差別語かと思ってけんかになった,
しかし自分の誤りを知ってわびた,
というエピソードが出てきます。 」
韓国・朝鮮の人が差別語だと認識していた言葉が
勘違いだったと解って謝ったというエピソードは
実に興味深い。
「ゝ」などの踊り字が、
漢字と違い、「一人前でない」字から転じて
半端とか「少し足りない」とかいう俗語として
使われていたのだろう。
昔は、”男は所帯を持って一人前”と言われていたから
札幌に転勤する単身サラリーマンを「サッチョン族」と言った。
独身者を表す「チョンガー」の語源が、
韓国語由来となっているのだが
★チョンガー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
1.日本におけるモダン語の一つで、
未成年者や独身男を意味する[1]。
朝鮮語からの借用語[1]。
大韓帝国においては、
未婚者はチョンガーと呼ばれ、非常に軽蔑されていた[2]。
2.総角の朝鮮語読み。
「チョンガッ」「チョンガク」(총각、chong-gak)とも
表記される。
昔の 朝鮮で未婚の男性が結っていた髪型で、
1.の語源だとする説がある。
(引用ここまで)
う~~~ん・・・
「社会ユーモア・モダン語辞典」に掲載されている
と引用されているが
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109797
探したけれど・・・載っていない。
②の説、総角という髪型はコレです。

(朝鮮語)》独身の男。また、その人をからかっていう称。
本来は、朝鮮で丁年に達しても未婚でいる男子のこと。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/145393/meaning/m3u/%E4%B8%81%E5%B9%B4/
「丁」年の男子とは、一人前の男。
律令制では、21歳以上60歳までの男子を指す。
一方、
江戸時代のちょんまげの「丁髷」「ゝ髷」とは

http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/94afdf22db3a13ef6ab03c1f1fa6295c
「髪の少ない老人が結う小ぶりな髷を
その形から「ゝ髷」(ちょんまげ)と言った。」
http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/94afdf22db3a13ef6ab03c1f1fa6295c
髪の毛が少し足りないのに
無理やり結うから「ゝ髷」。
韓国では、併合時代の文化がそのまま残り
「オデン」が日本食と解って大騒ぎしたり
ハングルで運動会の玉入れの玉を指す言葉が、
西日本の方言由来だったりする。
日本の元々あった「ちょん=半端」という俗語と、
半島から出稼ぎに来ていた多くの独身者を
誰かがどこかでMixさせてしまって、差別語として使用?
まてよ・・・
釿(ちょうな)という大工道具がある。


http://www.takenaka.co.jp/corp/archive/daiku/tools/chona/
「釿」は、昔「てうな」と関東では呼び、
関西では「チョンノ」あるいは「チョンナ」と呼んでいた
古い昔「ておの」と呼んでいたのが
次第に「ちょうな」という言葉に変化していった
のだろうという白鷹説が正しいと・・・
http://www.hand-made-home.com/daiku/daikus/cyouna6/cyouna6.html
■ちょんの
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kodawaridaiku/tyonno/cyonno.html
鎌倉時代から伝わるとされる宮大工の
釿始めの儀式、【釿始式】は
和歌山県新宮市の熊野速玉大社では
「釿(ちょんな)始式」
奈良県吉野郡吉野町の勝手神社では
「釿(ちょんの)始式」というらしい。
★城南宮の釿始式 2017年
http://kyoto-tabiya.com/blog_rakunan/%e5%9f%8e%e5%8d%97%e5%ae%ae%e3%81%ae%e9%87%bf%e5%a7%8b%e5%bc%8f%e3%80%802017%e5%b9%b4/
1月5日に、城南宮で
釿始式(ちょうなはじめしき)が行われました。
地名では
http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/59455268.html
宮城県加美郡加美町上多田川の「釿沢(ちようなざわ)」
と
大分県別府市の「釿の掛(ちょんのかけ)」
で・・・
最初の方の広島大学の鎌倉時代語研究に戻る。

→「ゝ」→「ちょん」→「丁髷」「ゝ髷」?
仮名垣魯文が「馬鹿でも~」の下りを
「半人前」という意味で使っていたとしたら・・・
彼らだけを指す俗語では無いなぁ。
差別語の定義は、時代が創るということか。
「ちょんまげ頭を叩いてみれば、
因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする。
総髪頭をたたいてみれば、
王政復古の音がする。
散切り頭を叩いてみれば
文明開化の音がする」
仮名垣魯文の辞世の句は、
「こゝちよく 寝たらそのまゝ置炬燵
いけし炭団(たどん)の 灰となるまで」

政治 ブログランキングへ
差別語ではない
新佃島・映画ジャーナル 2015年4月3日
https://eigajournal.wordpress.com/2015/04/03/%e3%80%8c%e9%a6%ac%e9%b9%bf%e3%81%a7%e3%82%82%e3%83%81%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%81%a7%e3%82%82%e3%80%8d%e3%81%af%e5%b7%ae%e5%88%a5%e8%aa%9e%e3%81%ab%e3%81%82%e3%82%89%e3%81%9a/
上記サイトでは、「ちょん」という
江戸時代には使用されていた言葉が
差別用語になっていく過程がよく解る。
ルーツを知ることの大切さを感じる。
上記サイトで指摘されている
『西洋道中膝栗毛』文中には、
「仮染(かりそめ)にも亭主にむかって…
ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」
と、書かれているらしい。
http://www.kotono8.com/wiki/%E9%A6%AC%E9%B9%BF%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%82%82
ちょん髷は、「ゝ」という踊り字に似ているから
「ちょん」と呼ばれてきた。
★踊り字
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%97
昔は、こころ(心)の表記方法として
「こゝろ」と書いた。
「佐々木」さんが「佐佐木」ではなく、
「正々堂々」も「正正堂堂」ではなく、
漢字の連続部の表記「々」は、畳符という。
繰り返して述べる事を、「畳みかける」と言うよね。
「ゝ」も「々」も、それ自体を呼ぶ音がない。
このような表記方法の歴史はかなり古い。
★踊り字の沿革について
-「々」を中心に-
広島大学 鎌倉時代語研究
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/26682/20141016154855465052/kamakura_18_19.pdf
「チョンぎる」の語源は、「チョンを柝る」
歌舞伎用語が由来。
★ことばで知る歌舞伎の世界
柝
http://www.kabuki-bito.jp/special/kabuki_column/todaysword/post_148.html
さて、
「馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの」という表記があった
滑稽本『西洋道中膝栗毛』とは、
★西洋道中膝栗毛
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%81%93%E4%B8%AD%E8%86%9D%E6%A0%97%E6%AF%9B
国文学資料館の2006年
【仮名垣魯文百覧会】の資料によると
作者の仮名垣魯文は、文政12年(1829)生まれ。
幼名は「兼吉」
父親の野崎佐吉は、
江戸京橋鑓屋町で棒手振りの魚売りをしていた。
仕入れた魚を棒に掛けて、その場で捌いてくれる
行商の魚屋さんのこと。
http://blog.livedoor.jp/bijinfolder/archives/42770689.html
9歳で、
新橋竹川町(銀座7丁目付近)の酒商
鳥羽屋多吉方に年季奉公に出される。
この時「庫七」と改名。奉公先では
十返舎一九の膝栗毛ものを初めとした戯作を
読み耽っていたという。
彼の俗文芸の嗜好は、放蕩のため勘当されて
継母の里方である鳥羽屋に身を寄せていた
細木藤次郎(後の香以)の手ほどきだった。
森鷗外の史伝『細木香以』によると
鳥羽屋は、
三十間堀住の十人衆三村清左衛門の分家。
弘化4年(1847年)、魯文は18歳、
和堂珍海の戯号で3年前から執筆していた
処女作『清談青砥刃味』を刊行。
その後、鳥羽屋主人に放蕩ぶりを咎められ
店を飛び出す・・・
『西洋道中膝栗毛』は、本屋(万笈閣)の主人から
「西洋流行へ付け込んで」「目先の変わった趣向」が
欲しいとの要望に対し、
「弥次北八が飛脚船で航海の旅歩きを
西洋道 中膝栗毛とでもやらかして書いたら
少しは売れるだろう」という狙いで執筆開始。
歌川芳虎:金黄花猫目鬘(こがねのはなねこのめかずら)
作:仮名垣 魯文 初編口絵より
小遣い稼ぎに、船橋屋の引札(広告チラシの類)も
制作していたり
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/149/
その後、ジャーナリストに転身した魯文は
『起廃病院医事雑誌』の発行を契機に
ハンセン病治療の啓蒙普及と患者の救済支援活動を
新聞雑誌上で展開する。
『西洋道中膝栗毛』の文体は
初編上より
弥次郎「野毛よりつヾく神奈川へ
はや程ヶ谷のほどもなく
暮れや戸塚にやどるらん」
北八「るらんなんじゃと はしこへる」
現代語訳のサイト
★『西洋道中膝栗毛』初編上
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110613/1307961332
★西洋道中膝栗毛』初編下
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110613/1307966198
★『西洋道中膝栗毛』二編上
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110614/1308001353?_ga=1.198232815.1321888916.1485922754
上海のビールで酒盛り
(中略)
旦那「中国語は、
国性翁の浄瑠璃の2段目よりも、厄介だ。
むきやらチョンのう、トラヤあ、トラヤあだ」
北八「トラヤあと言えば、
千里の薮は、どこだ。虎に会いたくない」
弥次「バカ。あれは近松のフィクションで、
じつは虎はいない」
北八「いや、支那は広いから、
千里ぐらいの薮はあるだろいう」
通訳「北八さん。流行おくれだ。そんな薮(野暮)はない」
北八「野暮という、おしゃれだ」
(引用ここまで)
>国性翁の浄瑠璃の2段目
近松門左衛門作の人形浄瑠璃「国性爺合戦」のこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%80%A7%E7%88%BA%E5%90%88%E6%88%A6
二段目[編集]
(略)
鄭芝龍は二十数年前に勅旨により日本に渡って、
この地で漁師として老一官を名乗り、
日本人の妻をめとっていた。老一官夫婦と子の和藤内は、
和藤内の妻小むつに栴檀皇女を預け、
明朝の復活のため、中国に渡る。
一方、鄭芝龍が大陸に残した先妻・渚との娘、錦祥女は、
韃靼の将軍、甘輝の妻となっていた。
3人は、甘輝に協力を求めるため、甘輝の館である
獅子ヶ城へ向かう。3人は二手に分かれたが、
和藤内と母は千里ヶ竹に迷い込む。
ここで虎を退治した和藤内は、韃靼兵を手下にしてしまう。
(引用ここまで)
http://www.clarte-net.co.jp/clarte/04adult/kokusenya/htmls/yoshida.html
http://blog.goo.ne.jp/harunakamura/e/a1288c8ad1d16215c6a4f80da8697406
★『西洋道中膝栗毛』二編下
http://d.hatena.ne.jp/ik3guo/20110615/1308090086
2001年の”教えてgoo!”に、こんな記載がある。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/154633.html
「NHKハングル講座の講師をされている,
早稲田大学のキム・ユーホン先生が書かれた,
「韓国語 はじめの一歩まえ」というエッセイがあります
(ディーエイチシー発行,1996年)。
この中で,(いま手元に無いのでうろおぼえですが)
飲み屋かどこかで「バカチョンカメラ」という言葉が
会話に出てきて,てっきり差別語かと思ってけんかになった,
しかし自分の誤りを知ってわびた,
というエピソードが出てきます。 」
韓国・朝鮮の人が差別語だと認識していた言葉が
勘違いだったと解って謝ったというエピソードは
実に興味深い。
「ゝ」などの踊り字が、
漢字と違い、「一人前でない」字から転じて
半端とか「少し足りない」とかいう俗語として
使われていたのだろう。
昔は、”男は所帯を持って一人前”と言われていたから
札幌に転勤する単身サラリーマンを「サッチョン族」と言った。
独身者を表す「チョンガー」の語源が、
韓国語由来となっているのだが
★チョンガー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
1.日本におけるモダン語の一つで、
未成年者や独身男を意味する[1]。
朝鮮語からの借用語[1]。
大韓帝国においては、
未婚者はチョンガーと呼ばれ、非常に軽蔑されていた[2]。
2.総角の朝鮮語読み。
「チョンガッ」「チョンガク」(총각、chong-gak)とも
表記される。
昔の 朝鮮で未婚の男性が結っていた髪型で、
1.の語源だとする説がある。
(引用ここまで)
う~~~ん・・・
「社会ユーモア・モダン語辞典」に掲載されている
と引用されているが
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109797
探したけれど・・・載っていない。
②の説、総角という髪型はコレです。
(朝鮮語)》独身の男。また、その人をからかっていう称。
本来は、朝鮮で丁年に達しても未婚でいる男子のこと。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/145393/meaning/m3u/%E4%B8%81%E5%B9%B4/
「丁」年の男子とは、一人前の男。
律令制では、21歳以上60歳までの男子を指す。
一方、
江戸時代のちょんまげの「丁髷」「ゝ髷」とは
http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/94afdf22db3a13ef6ab03c1f1fa6295c
「髪の少ない老人が結う小ぶりな髷を
その形から「ゝ髷」(ちょんまげ)と言った。」
http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/94afdf22db3a13ef6ab03c1f1fa6295c
髪の毛が少し足りないのに
無理やり結うから「ゝ髷」。
韓国では、併合時代の文化がそのまま残り
「オデン」が日本食と解って大騒ぎしたり
ハングルで運動会の玉入れの玉を指す言葉が、
西日本の方言由来だったりする。
日本の元々あった「ちょん=半端」という俗語と、
半島から出稼ぎに来ていた多くの独身者を
誰かがどこかでMixさせてしまって、差別語として使用?
まてよ・・・
釿(ちょうな)という大工道具がある。
http://www.takenaka.co.jp/corp/archive/daiku/tools/chona/
「釿」は、昔「てうな」と関東では呼び、
関西では「チョンノ」あるいは「チョンナ」と呼んでいた
古い昔「ておの」と呼んでいたのが
次第に「ちょうな」という言葉に変化していった
のだろうという白鷹説が正しいと・・・
http://www.hand-made-home.com/daiku/daikus/cyouna6/cyouna6.html
■ちょんの
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kodawaridaiku/tyonno/cyonno.html
鎌倉時代から伝わるとされる宮大工の
釿始めの儀式、【釿始式】は
和歌山県新宮市の熊野速玉大社では
「釿(ちょんな)始式」
奈良県吉野郡吉野町の勝手神社では
「釿(ちょんの)始式」というらしい。
★城南宮の釿始式 2017年
http://kyoto-tabiya.com/blog_rakunan/%e5%9f%8e%e5%8d%97%e5%ae%ae%e3%81%ae%e9%87%bf%e5%a7%8b%e5%bc%8f%e3%80%802017%e5%b9%b4/
1月5日に、城南宮で
釿始式(ちょうなはじめしき)が行われました。
地名では
http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/59455268.html
宮城県加美郡加美町上多田川の「釿沢(ちようなざわ)」
と
大分県別府市の「釿の掛(ちょんのかけ)」
で・・・
最初の方の広島大学の鎌倉時代語研究に戻る。
→「ゝ」→「ちょん」→「丁髷」「ゝ髷」?
仮名垣魯文が「馬鹿でも~」の下りを
「半人前」という意味で使っていたとしたら・・・
彼らだけを指す俗語では無いなぁ。
差別語の定義は、時代が創るということか。
「ちょんまげ頭を叩いてみれば、
因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする。
総髪頭をたたいてみれば、
王政復古の音がする。
散切り頭を叩いてみれば
文明開化の音がする」
仮名垣魯文の辞世の句は、
「こゝちよく 寝たらそのまゝ置炬燵
いけし炭団(たどん)の 灰となるまで」
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