モノ作り・・・これは農作物つくりも、工業製品つくりも同じですが、モノをつくりを国の中心に据えると、作る人がその国のエリートとなります。
稲作であれば、田んぼで働く人々が最高のたからです。
いうまでもなく、そういう人々がいなければ、モノ作り国は成り立たないからです。
なぜモノをつくるのかといえば、人々の生活を豊かにするためです。
自分が働き、より良いモノをつくることに貢献することで、多くの人々を支えることができるようになる。
つまり社会の価値観の中心が「共同」になります。
ところが流通を国の柱に据えると、利益をあげる者が、国のエリートになります。
そして国家規模で利益をあげる者は、他国から財物を収奪してくる者であったり、庶民から作物や財物を巻き上げる者であったりします。
なぜなら価値観の中心が「利益」にあるからです。
さて、日本では、太古の昔から正統な国の主として、天子様がおいでになりますから、あえて王朝の正統性など記す必要がありません。
その意味で、日本における史書は、支那の、いわゆる「政治的他人のせい史」とは異なります。
むしろ日本では、
「おもてむきの歴史」と
「ほんとうの歴史」
という思考が働きます。
これは、正史と稗史といった支那的な思考とは、まったく異なるものです。
「おもてむきの歴史」は、「◯◯と日記には書いておこう」というものです。
ですから公式記録に、「今日は晴れだった」と書いてあったからといって、その日が本当に晴れだったのかはわかりません。
むしろ、言霊の国ですから、「明日は運動会だから晴れである」のように、未来を過去形で表現して、そうありたい、そうあってほしいと願ったり、あるいは実際には雨で着物がぐちゃぐちゃになってしまったけれど、その日は晴れのお祝いの日であったのだから、「今日は晴れだった」ということにしておこう、というものが、記録になります。
ですから、「ほんとうの歴史」を知ろうとするときには、その翌日の晴れの日に、女衆が総出で洗濯をして、洗い張りをして、晴れ着を乾かした、という記録から、
「ああ、やっぱり当日は雨だったのだな」と、察することが歴史を読む鍵となります。
本能寺の変で攻め手となった明智光秀は、信長から「禿鼠」と罵られたことに腹を立てて、本能寺に攻め込んだというのが、おもてむきの歴史です。
しかし、ちょっと頭をはたらかせて考えてみれば、光秀ほどの人物が、その程度のことで腹を立てるようなツマラナイ男なら、そもそも信長によって重用されることはないとわかります。
そうとわかれば、では、動機は何だったのか、ということになります。
そこから先は、おもてむきの歴史には書かれていません。
だから察することになります。
これを「行間を読む」といいます。
もっと言うなら、「禿鼠」と罵られたくらいで、大軍を動かすことができると思いこむような情けない思考しかできない者には、そう思わせておけば良い、というのが、日本の史書の立場です。
その程度にしか読むことができないような者であれば、要職に就ける必要もないし、国家を大きく動かすような人材にもなりえないからです。
であれば、好きなように思わせておけば良い、というのが日本の古典にある共通の立場です。
だから学問というのです。
学問は、その人の「学を問う」ものです。
ただ記憶力が優れているだけ、ただ、書いてあることを額面通りにしか受け取るだけ、というような者では、実社会で使い物にならないのです。
それが古くからの日本の価値観です。
最近では、これが逆転しています。
ただ記憶力が良いだけ、書いてあることだけが真実と思い込む馬鹿者が多く、その馬鹿者が優秀とみなされて、出世街道にのぼります。
その結果は、明治以降の日本で見事に証明されています。
企業が大きくなると、そのようなエリートを採用しますが、そのようなエリートばかりになった会社は、いずれも倒産しています。
お読みいただき、ありがとうございました。

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