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みかん缶詰は、数ある缶詰の中で初めて日本人によって開発され、企業化された大型の商品です。
キユーピーマヨネーズの創業者である中島董一郎氏が、昭和の初めに英国に紹介し、輸出したのが商品としての始まりでした。以来着実に増進、1970年代までは日本の独占商品として世界各国に盛んに輸出されていました。アヲハタ株式会社は、広島のみかんを缶詰加工する目的で、株式会社中島董商店の全額出資により株式会社旗道園として昭和7年(1932年)に創業されました。本来、缶詰事業は原料立地産業でしたので「青旗」の下に園芸に立脚した企業をイメージしての社名であったと伝えられています。創業の商品はみかん缶詰ともう一つ、オレンジママレードでありました。
創業者中島董一郎氏は、青年時代に缶詰技術と販売を修得する目的で、農商務省の実業練習生として欧米に学び、マヨネーズと共にその美味しさを是非伝えたいと思い描いたのが、オレンジママレードでした。
その大切な夢を実現するべく、当時すでに日本でも柑橘類の最優良産地であった瀬戸内に位置する当地を選びました。 |
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自らの目でよい原料を選び、自らの技術で欧米に優る最高の品位を創出することが経営のロマンであったと思います。
果実缶詰は、原料の品種を選び、熟度と形を整えないと高品位のものを得ることはできません。
当時は機械化もできず、大変難しい加工技術でした。それぞれのシーズンごとに製品の出来映えをみて、最高の品位と思われるもののみにアヲハタ・ブランドのラベルを貼って販売しました。
アヲハタ・ブランドは、大正時代初期、中島董一郎氏がイギリス滞在中に、世界的に有名であったケンブリッジ大学とオックスフォード大学のボートレースをよく見に行っており、その際、両校の校旗がブルー一色で大変印象的であったので、「Blue
Flag」”アヲハタ”をブランド名にしたのが始まりです。
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志半ばにして戦争たけなわとなり、国の企業整備法の施行により旗道園は解散となり、工場は広島県合同缶詰株式会社に整理統合されました。
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