軍政の暗い時代から抜け出したミャンマーは、近年で最も心強い体制移行の一つと目された。政治犯だった民主化運動の旗手、アウン・サン・スー・チー氏がネルソン・マンデラ氏(南アフリカの黒人指導者で元大統領、故人)になぞらえられたのも、もっともだった。2013年、スー・チー氏が自分を苦しめた軍幹部と並んで座り、彼らを同じ家族の一員と呼んだのは、マンデラ氏に比肩する和解の印だった。その後には政治犯の釈放、報道統制の解除、経済成長が続いた。
ここに来てミャンマーの体制移行に伴う暗く困難な側面が目立つようになっているのも、驚くにはあたらないはずだ。全体主義の支配から解放された全ての国がそうであるように、南アフリカも暗い側面を経験した。
ミャンマーのイスラム教徒を代表する存在の一人でスー・チー氏の法律顧問、コー・ニー氏がヤンゴンで殺されたのは不吉だ。11年の民政移管後、この種の事件が起きたのは初めてで、犯行の動機はまだわかっていない。国際空港の外で公然と犯行に及んだ事件の背景には、宗教が絡んだ地域的な緊張がある。
ラカイン州で警察の拠点が襲撃された事件を受けて、国軍がイスラム教徒少数民族ロヒンギャの村落住民に残忍な対応を取ったことで緊張が高まっていた。
強い反イスラム感情、仏教ナショナリズムの再燃、ソーシャルメディアを通じたヘイトスピーチ(憎悪表現)の拡散という文脈の中で、コー・ニー氏の殺害事件は発火点になる恐れがある。この事件にはメッセージ性がうかがえる──イスラム教徒に対して、あるいは事実上の最高指導者であるスー・チー氏、または同氏の率いる国民民主連盟(NLD)に対して。
■完了とは程遠い体制移行
ミャンマーの前進のもろさを示す事件として受け止められるべきだ。スー・チー氏は要職に就いているが、1年余り前の総選挙でNLDが圧勝して以来、同氏は権力を握りきれていない。なおも軍が憲法に基づく責任の枠外で行動している。ラカイン州の一部を封鎖したのもそうだ。他にも多くの紛争を国内に抱えている。多様な民族を一つに束ね合わせることは、もとより容易ではなかった。新政府は、実際には国がなかったところに国を築かなければならない状態だ。
民主化運動の旗手から政治指導者へと変わり、軍から権力を引き離そうとするなかで、スー・チー氏の聖人のようなイメージに綻びが出るのは避けられなかった。実際、スー・チー氏は軍を押さえ込めないことで批判の高まりに直面している。かつての友人や同じノーベル賞受賞者らからも批判が上がっている。
スー・チー氏の側近の一人が殺されたことは、持続可能な和平の促進に取り組む世界の全関係者への警鐘となるべきだ。体制移行は完了には程遠い。この危険な段階のかじ取りを支えるとともに、警戒監視が求められる。
(2017年1月31日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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