終章 ものがたり Power_to_the_Dream
一端覧祭が始まった。
大覇星祭と違い、全校生徒を集めての開会式などは行われない。お祝い電報が廊下に貼り出されたりはするが、そのくらいである。
主役はあくまで学生達。
なので始まりの合図は、八時三十分ジャストに鳴らされる始業の鐘だけなのだ。
街中のスピーカーが一斉にベルを鳴らすと、学生達は思い思いの出し物を目指して突撃していく。学校によっては街頭パフォーマンスを行ったり、会場校の外にステージを設けている場合もあるので、大覇星祭に負けず劣らず街中は人で溢れかえることになる。まさにお祭り騒ぎだ。
第七学区三番臨時会場、つまり上条の通う高校では、前日に竜巻による被害が出たものの、学生総出で深夜まで突貫作業を続けたため、なんとか開場に間に合わせることが出来た。
上条は睡眠不足の頭を運動系クラブのマネージャー達が差し入れしてくれた(厳密には上条の分だけクラスメイトの男共の手を何重にも経由してぬるくなってしまった)スポーツドリンクで活性化させ、こちらは睡眠ばっちりのインデックスとサーシャを伴って、まずは自分達の会場を見て回っている。目ぼしい所を大体巡ったら、少し遠出をして第九学区六番会場の特大お化け屋敷あたりに行ってみるつもりだ。何といっても一端覧祭は三日しかなく、しかも最終日は演劇の支度に追われることが確定しているから、遊び倒すなら今しかない。今日ばかりはお財布事情を顧みないことに決定済みだ。
「という訳だから、存分に飲んで食っていいぞインデックス! 今日の俺が豪気なのは決してサーシャからもらった宿泊代が大分残っているからじゃないからな!」
「そうだねとうま! サーシャが任務の報酬で奢ってくれるって言ったことなんて全然関係ないよね! ようっし、私に食われたい奴はいねーかー!!」
「…………まあ、今さら文句はないけれど」
夜道を照らせそうなくらい目をギラギラさせて、欲望丸出しの白シスターは立ち並ぶ屋台やら出店やらに突撃していく。昨日のゲリラライブですっかり有名になってしまったこともあり、インデックスがやってくるとどの店の店員も気軽にひょいひょいと出来立てのたこ焼きなりリンゴ飴なりを放ってくれた。それを白シスターは空中でぱくり。頭の上に乗っけた三毛猫もおこぼれに器用にあずかっている。
ひょいぱくひょいぱくひょいぱくぱく。ひょいぱくひょいぱくひょいぱくぱく。
「……どっかの桜の町の名物町長か」
「意味は分からないが、確かに名物になってもおかしくない光景だと思う」
恐るべし托鉢シスター。てか宗教的にどうなのよそのへん。
上条とサーシャはその後ろをのんびりついて行きながら、たまに飲み物や食べ物を購入する。劇の主役としてインデックス以上に有名人になった赤シスターは、焼きそばが大盛りだったりクリームソーダにアイスが二つ入っていたりとおまけの嵐だ。もうエージェントとして不法侵入してきたこととかどうでもよくなっている気がする。
が、上条に対しては『噂のヒロイン二人を独り占めしている不届き者』という視線が集まりまくり、今にもかみやんマスク捕獲部隊が再結成されかねない状態である。オムライスを買ったとき、ケチャップで『Frag man is Destroy』と非常に偏差値の低い呪いが描かれていたのには流石にビビった。
「うう。お得なはずなのになんか不幸だ」
「「では、貴方のために祈りましょう」」
「ダブルシスターお祈り体勢!? 待て周囲の目線が怖い怖いてか知っててやってるだろお前らうわわさびはわさびはやめてぷぎゃあぁぁぁぁー!!?」
そんな感じで出店巡りは続く。
教頭先生連盟によるパイ投げ企画「先生笑ってゆるして(はぁと)」に参加したり、シルクハットから飛び出すもので尻取りを続ける二人のマジシャンを見たりして、そろそろ他の会場に行こうかなと思い始めた時、ふと上条の目にサーシャが持つ手提げ鞄が入ってきた。
初めて会った日に、拷問道具を詰め込んでいたあの鞄である。だが『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』を昨日あの後現れたロシア成教のエージェントだという人物に渡した時点で、サーシャの任務は終わりになったはずである。仕事道具を持ち歩く意味はないはずだ。
じゃあ中身は何なのかしら? と上条がこっそり覗き見ようとしても、制服シスターはさりげなく手を持ち替えたりして手提げ鞄を上条の死角に持っていく。どうあっても見られたくないという意思が感じられた。
「………………ふっ」
上条は潔く諦めた。やっぱり女の子の鞄を覗くなんてデリカシーのない行為はしちゃいけないよね。今日の彼は豪気な男。細かいことは気にしないのだ。
「おや。あんな所で原作版くまのプーさんのお面が売っている」
「えっ?」
童話好きの悲しい宿命か、あらぬ方向を指差されそちらに気を取られてしまうサーシャ。
その隙に上条はずさーーっと横滑りし、金髪少女の背後に回る。今日の彼は豪気な男。GO MY WAYだ。ごま和えにあらず。
そして視界に入ったのは、
「え――――ってぐおぇぁっ!?」
眼球が捉えた情報をが脳に伝わる直前、強烈な衝撃が上条の脳天から股間まで突き抜けた。
サーシャが手提げ鞄を持っているのとは反対の手に身の丈ほどの巨大なT字ハンマーを掴み、全力で振り下ろしたのである。
ちょっと待てどこから出したそれ!? と上条が驚いて、ふと周囲に目をやると、周りの風景はいつの間にか屋台ゾーンを抜けて様々なゲームが並ぶアミューズメントエリアになっていた。
一番近くにあったのは力自慢ゲーム。ハンマーで基盤を叩いて重りを打ち上げ、上にあるゴングを鳴らせるかどうかを試すあれである。プレイヤーに応じて難易度を調節する機能があるらしく、ハンマーも複数のタイプが備え付けられていた。ちなみにサーシャが片手で振り回している物には『成人男性(格闘技で何かタイトル持ってる人)用』と張り紙がされてある。
最近こんなのばっかだなーと思いながら、上条は意識を手放した。
「はあ……はあ……」
荒い息をつきながら、サーシャはハンマーを返却する。いやーいい振り抜きっぷりだったよ、ちょっとやっていかないかいと聞いてくる店の人に丁重にお断りを入れ、ぶっ倒れた上条当麻を背におぶる。不可抗力とは言えあまりに見事に入ってしまったため、目を覚ます気配がない。保健室に連れて行ったほうがいいだろう。
尻や足には手が届かないので、ズボンのベルトを掴む。両手が塞がってしまうので、手提げ鞄は首にかけていくことにした。
頭二つ以上身長の違う人間を背負うのは難しい。つま先が地面を擦ってしまうのは仕方ないとしても、正中線をずらさずに歩くのは肩幅の差もあって至難の技だ。
(やっぱりトーマも男の人なのか…………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………うあ)
そう意識してしまった瞬間。
背中にかかる体重とか、ほっぺたに当るツンツン髪とか、汗の匂いとか、とかとか、色々なものに動悸が急上昇。
上条当麻と密着していることが、めちゃくちゃ恥ずかしく思えてきた。
(ま、まずい。よく分からないけどこれはまずい。――そうだインデックス! インデックスと二人で引きずっていけば――!)
サーシャはがばっと顔を上げて白シスターの姿を求めるが、目の届く範囲にはいなかった。遠くの方から「ぴこぴこー! ぴこぴこー!」というエキサイティング真っ最中な叫び声が聞こえてくるのみである。全力お楽しみ中ですかそうですか。
裏切り者、と口の中で呟き、サーシャはヘアピンを外して前髪で顔を隠した。そうでもしなければ、大衆の面前で顔を上げていられなかった。
保健室へ向かう途中、何人もの人が手伝いましょうかと尋ねてきたが、今のサーシャには聞こえちゃいない。ずんどこずんどこ、男性一人かついでいるとは思えない速度で突き進む。
やがて中庭にさしかかる。開場してまだそんなに時間が経っていないため、休憩用のベンチには人気がなかった。
周りに人がいないと、それはそれでドキドキする。どうしろというのだ。
その時、彼女が撃ち抜いた図書室の窓が目に入った。昨日のうちに張り替えられ、もう痕跡も残っていないが、
「……………………、」
ふと、首に提げた鞄の中に目線を落とす。
上条には見られたくなかった中身。
鞄の中に入っていたのは、もちろん拷問道具ではなく、昨日劇が終わった後に言祝に無理を言って貸し出してもらった大量の絵本だった。
その中には、両親から最後にプレゼントされた絵本の日本語版もある。
「……………………、」
ふと、おぶった少年の横顔に目をやる。
銃撃にも怯まず、目的を見失わず、彼女をまっすぐに見つめていた瞳は、まぶたの奥にしまわれている。
今なら言えるかもしれない。
結局言いそびれたままになっている言葉。
止めてくれて、ありがとう。
もう一度この本を開く勇気をくれて、ありがとう。
だが口を開きかけて、思いとどまった。
やっぱりそういったことは面と向かって、起きている時に言うべきではないだろうか。気絶してる相手にお礼を言っても、感謝の意は伝わらない気がする。
それに、だ。
今しか言えないこと、というのを、一つ思いついてしまった。
ロシアに帰る前に、どうしても言っておきたいこと。
絵本でしか知らなかった、あの感情。
本当にこの気持ちが“そう”なのか、確かめられるのは今しかない。
「……………………、よし」
少し考えて、上条の体を近くのベンチに寝かせる。まぶたを叩いたり指先をくすぐったりして意識がないのを確認。
心の準備は……できた。
サーシャは紅潮する頬を意識しながら、胸を押さえて、息を吸い込み、
「告白、一」
行動宣言(コマンドワード)。
ほんの少しだけ心を強くしてくれるおまじない。
小さな小さな想いは、それでも確かな言葉となって、風に流れた。
「………………ん、」
と、都合の良すぎるタイミングで上条のまぶたがしばたかれた。サーシャは慌ててそっぽを向く。
「う…………ん……、サー、シャ? 今、何か言ったか?」
「解答一。特に」
サーシャは即座に否定する。
行動宣言の助けがなくては、誤魔化すこともできそうになかった。
上条は頭を振りながら上体を起こす。額を押さえて、
「んー……、まぁ、夢だよなぁ。しかしなんだって俺、あんな」
「トーマ! 起きたのならすぐにインデックスの所に戻らなければ! さあ急いで急いで!」
「え? いやちょっと、殴り倒した張本人がそれ言うの? ていうか上条さんはまだ立つこともおぼつかない状態なのですがっ!?」
聞く耳持たず、赤い少女は少年の手を引いて走り出す。
転びそうになる彼に笑い、不意に笑い返されてまた鼓動を早めたりしながら。
今は、これでいい。
今はまだもう少し、彼のいるこの世界(ものがたり)の登場人物でいたいから。
「めでたしめでたし」は、もう少し先でいい。
なんて、インデックスやシオリ達に聞かれたら怒られるだろうか。
でも、それでも。
透明な絵本の中から動き始めた、物語の行方は。
ハッピーエンドのかけらを集めて、続いていく。
遠い貴方を思い出して。
もらった勇気を忘れないから。
サーシャのもとに、新たな指令書と転入手続き書類が届くのは、一端覧祭終了後すぐのことである。