シリア内戦のルポで昨年、「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」に輝いた桜木武史さん(38)=写真=が今月、取材先のトルコから帰国した。日本でトラック運転手として働き、資金をためては世界の紛争地に赴く生活を続けている。桜木さんになぜ命がけで戦地に向かうのか聞いた。【加藤隆寛、写真も】
桜木さんの口元には、痛々しい傷痕が残る。インド・カシミール紛争を取材中の2005年、イスラム武装勢力の銃弾が右あごを吹き飛ばした。「現代の医療はすごいですよ。肩の骨を移植して血管をつなげ、2カ月後には配送の仕事もできました」。柔和な笑みを絶やさず壮絶な体験を語る。
高校時代に朝日新聞記者だった本多勝一氏のルポ「戦場の村」などを読んで影響を受け、大学卒業後、就職せずジャーナリストの道を選んだ。02年夏に初めてジャム・カシミール州を訪れ、重傷を負った05年は同地へ4回目の渡航だった。親戚に「もう行くな」と諭されたが、15時間の手術を終えて「ああ、また取材に行ける」と思った。
1年後に再びインドに渡り、帰国後ルポをまとめて出版社を10社ほど回ったが相手にされない。一か八かで応募したある出版社のノンフィクション賞を受賞したものの、その出版社が民事再生手続きを開始する不運にも見舞われる。「印税ゼロ」の契約で別の出版社から出版にこぎ着けた時、ジャーナリストになって6年がたっていた。
そこから3年、迷走する。運送会社は退社と入社を繰り返す桜木さんを見守ってくれたが、満足のゆく取材はなかなかできなかった。転機は民主化の嵐が吹き荒れた「アラブの春」。12年春、「これでダメならジャーナリストを辞めよう」とシリアに渡った。日本であまり報じられないから選んだ国だったが、独裁政権打倒を掲げ、礼拝後のモスクでデモを繰り広げる若者の熱気と覚悟に触れた時、「なんとしても伝えなきゃ」と心にスイッチが入った。
3年で5回シリアを訪れ、各勢力が入り乱れて「世界一危険な紛争地」へと変化していく様をつぶさに見た。学生のふりをして反体制派が支配する町に住み、最前線の従軍取材も経験。親しくなった友の死にも直面した。
日本に帰れば、運送の仕事は週6日、夜8時から早朝の3~5時まで。家賃や食費にも事欠く生活だ。それでもなぜジャーナリストであり続けるのか。「純粋に『こんな世界が許されていいわけがない』という正義感ですかね。昔はそういうの、偽善だって軽蔑していたんですけど」。人生をかけた1冊「シリア 戦場からの声」(アルファベータブックス)を昨年1月に発表すると、シリアで取材中の12年8月に銃撃され死亡したジャーナリスト・山本美香さんの遺志を継ぐため設立された賞に輝き、迷いはなくなった。
昨年11月から今月までトルコに滞在し、シリアから逃れて困窮している家族や慈善団体に賞金を寄付した。「もがきながら生きる人々の姿を目に焼き付けたい」「寄り添いたい」との思いが、桜木さんを突き動かしている。