2017年01月26日 (木)
「危機に立つ日本の魚食文化」 (視点・論点)
北海学園大学 教授 濱田 武士
きょうは日本の魚を食べる文化、魚食の現状についてお話したいと思います。
標準的な日本の食事は、米を主食とし、豆、肉、魚、総菜などを副食とする食生活であり、明治中期以後に拡大したと言われています。
しかし、第二次大戦が終わり、高度経済成長に入ると、食の西洋化が進むと共に、食が多様化しました。その結果今、和食文化が危ぶまれ、同時に魚食文化も危機に直面しています。
このグラフは家計における食費に対する食材別の出費割合の推移を示したものです。赤い線の魚介類は、1980年代ごろまで伸びて、しかも、80年代中ごろまでは穀類、野菜、肉類そして外食費をも上回っていました。しかし、80年代中ごろには外食費を、90年代中ごろには野菜・海藻類を、2000年代後半には肉類を、そして最近では穀類をも下回るような状況になっています。この30数年間で、家庭内での魚介類の位置づけは大きく落ち込んだといえます。
つまり、家庭では30数年前から「魚離れ」が進んでいたということになります。
とはいえ、外食や、図には示されていない調理済み食材にも、魚介類は使われています。
そこで、国民1人あたりの食料別年間供給量の推移をみたグラフを見てください。米を主とする穀類は60年代から減少し続けていますが、赤い線の魚介類は2000年頃まで増加しました。少なくともこのころまでは、家庭内消費が落ち込んでいても、外食や中食で魚の取り扱いは増えていたということになります。しかし、その後、急速に減少し続けています。現在では肉類より摂取量が少なくなりました。
その要因として次のことがあげられています。団塊の世代までは、年齢を重ねれば肉より魚を好んで食べるという日本人の加齢効果があったのですが、その下の世代からこうした効果がみられないこと。それに加えて、魚を食べていた高齢者も、さらに高齢になればやがて食べなくなるというものです。
日本は少子高齢人口減少社会に傾斜していることを踏まえると、魚の消費が急激に落ち込むのも、想像に難くありません。
この背景には、食の西洋化・多様化もありますが、食をめぐる生活そのものが変わったということがあります。
それは食の外部化です。食の外部化とは、食の機会において家庭内で料理されなくなったという意味です。すなわち、飲食店での外食や、店で販売されている弁当、調理済み食品で食事を済ますというものです。
食の外部化は、家庭内の仕事が楽になるよう、取り扱いが面倒な食材を排除する形で進みました。その食材の代表格が魚でした。腐りやすいし、料理するときには鱗、鰭などの残菜生ごみが出るし、焼けば煙が出るからです。
そのことに加え、世帯の核家族化が進み、単身世帯が増え、さらに世帯内でも、皆で食事をしない個食が増えました。
都市生活の時間的規律が弱まるなかで、ごみが出ずに、楽に準備できる、調理済み簡便性食材が増えるのも、もっともです。
しかも、1997年以後、デフレ不況のもと、世帯内の可処分所得は減り続けました。
小売業界も、所得が落ち込む都市生活者の事情に対応してきました。この間、大型量販店、24時間営業する食品スーパー、コンビニエンスストアが急増しました。
とくに量販店は、他店との競争に勝つために商品を極力低価格にし、チラシ広告などで集客し、コストを落とすために対面販売のない売り場をつくってきました。
対面販売がない状況で、知られていない魚をそのまま売り場に陳列すると、売れ残りが出て、損失を被ります。そのため、売り場の商品構成は、マグロ、サケ、サバなど、必ず売れる定番の魚種が多くなり、さく、フィーレ、切り身、刺身などの付加価値商材が中心になりました。冷凍解凍商品も少なくありません。また、供給が安定している輸入水産物の依存度も高まり、安くて食べやすい商品がいつでもあるという状況になりました。この状況は鮮魚売り場を効率化する一つの答えだったのです。しかしその結果、魚の姿をほとんど見ることができない、代わり映えのしない鮮魚売り場が多くなりました。
魚食には、素材としての魚があって、刺身など生で食べるほか、焼く、煮る、漬ける、乾かすなどいろいろな利用方法があります。魚種、鮮度、季節の違いによって料理の仕方も変わってきます。魚を美味しく食べるには、鮮度を維持し、食べる直前に料理するのが良いと言われています。昭和の時代では都市家庭でもそうした魚料理が盛んでした。
その食文化を支えたのが主に魚屋でした。魚屋はその日の値ごろな魚を仕入れるので品揃えはバラエティーがあって日替わりです。買い物客も、肉、野菜と違い、売り場に行ってから魚を見て、食べ方を勧められて、買うものを決めます。魚屋が、都市部の魚食普及の場だったのです。
しかし、いわゆる魚屋と呼ばれた鮮魚小売店の数は、商店街の衰退に伴って急減しました。鮮魚小売店の数は、1970年代中頃にピークを迎え、その後、減り続けます。先ほど見た、世帯の食費支出に占める魚介類の消費割合の減少傾向とほぼ並行しています。
時代と共に、都市生活では、食べ方が固定された商品を並べる量販店、スーパー、コンビニエンストアでの買い物が一般化し、商店街に向かう客足が遠のきました。そして魚屋が街から消えていったことにより、残念ながら生活者は、魚を見る、楽しむ、知る、学ぶ、料理するといった機会を失ってしまったのです。
問題は、このことで、食べやすい商材も含めて、水産物消費が落ち込んだことです。
小売業界は、対面販売なしでは丸魚は売れないので、競って食べやすい魚の商材を売り出しました。ただ、一方で、それは同時に「魚を買う」という本来の良さを生活者に忘れさせ、魚捌きが苦手な生活者を増やし、丸魚を売り場に並べても売れない状況をつくってしまいました。だから食べやすくし、魚の良さを忘れさせてしまうという、魚食低迷の構造が形成され、消費が落ち込んだのです。
こうした状況の背後で、日本の漁業だけでなく、各地から魚を取り寄せる卸売市場も厳しい状況が続いています。産地に行けば直売所に魚を買い求める人で賑わっていますが、これらの取扱量は全体から見れば僅かです。
海外では和食ブームだというのに、国内では著しく魚食が冷え込んでいるのです。
日本では、漁師がいて、各流通段階に魚を見て価値を決める「目利き」がいて、そして対面販売する魚屋がいて、あるいは料理屋に板前がいて、魚食文化が育まれてきました。外国には、まねできない鮮魚流通の体制が築かれてきたのです。しかし今、この鮮魚流通が消費の側面から崩れようとしています。
近年、その状況を受けて、魚食普及活動が各地で盛んに行われています。これは大事な活動です。ただ、イベントだけでは物足りません。
今の危機を乗り越えるためには、スーパーなども含めて、現存する鮮魚売り場で、生活者の魚食を育てることが大切です。一方、卸売市場には、魚の取り扱いに長けた職人が沢山います。小売店舗は、卸売市場との連携を強めて、売り場の人材を養成する必要がありましょう。
魚食の復権には、鮮魚流通の再生が必要で、卸売業界と小売業界がまとまって対策を創出し、食べる人と売る人を育てていくことが必須です。これは卸売市場を開設している自治体の課題でもあると言えます。諸関係者が一丸になって早急に対策を打つべきだと思います。