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指揮者の岸本祐有乃さん 「今できることをやれば未来は必ず変えられます」

指揮者の岸本祐有乃さん=西田佐保子撮影

 「小さい頃から音楽家か小説家になりたかった」。そう話すのは、2015年にスペイン・コルドバ国際指揮者コンクールで3位に入賞し、さまざまなオーケストラで活躍する指揮者の岸本祐有乃さん(42)。実は、20代前半には科学の研究者を目指していたそうです。東京大、東京芸大、ウィーン国立音楽大を受験・合格した岸本さんの「受験人生」とは、どのようなものだったのでしょうか。【聞き手・西田佐保子】

父を見返すために東大受験を決意

 「長女にはお金をかけない」という父の教育方針により、小学校から高校まで、一貫して公立の学校でした。塾にも中3の5月になるまで通わせてもらえず、近所に住む親切な方が見かねて「学校の勉強だけじゃ高校受験は受からないのよ。せめて模試だけでも受けさせてあげて」と母を説得してくれました。結果は東京都内で10位。そのおかげで模試を主催した進学塾に「授業料全額無料の特待生として入塾しませんか」と声を掛けてもらいました。父は「授業料は免除でも、通学にかかる交通費は払ってくれないんだろう」と言う始末でしたが。おかげでなんとか無事に都立の高校に合格できました。高校時代、塾に通いはじめたのは、受験勉強を本格的に始めた2年生の時です。

 ピアノを4歳から習っていて、大学で音楽を学びたい気持ちはありましたが、両親に一蹴されました。「高圧的な父を見返すには、父よりもいい大学に入学するしかない」との思いで目指したのが東大です。志望校を決めたのはかなりギリギリでした。昔から理科が好きだったので選んだのは理科1類。父に「お前は絶対に受からないからやめろ」と言われましたが、受験しました。現役時代に受けたのは東大だけです。結局不合格で、1年間、予備校に通いました。

 現役、浪人時代ともに、起きている間中、勉強していましたが、睡眠時間はきっちり7時間確保し、時々昼寝もしていました。思えば、現役時代は準備も情報も不十分でしたね。「1日1科目につき何時間勉強する」「夜も寝ずに睡眠時間を削って勉強するのが受験生だ」など、形式的なことにもこだわりすぎていました。浪人時代は「今日は物理の気分」「今日は英語の気分」というように、気持ちが盛り上がる科目に集中して時間を割いて効率を上げていました。

 得意な科目は英語と理科。数学は苦手で、一時期スランプに陥りました。ある日、先生に「問題を解いている最中に鉛筆を止めるな」と言われたんです。鉛筆が止まると思考が止まる。それまであった「格好良く解こう」という思いを捨て、「とにかく書き続けてどんな方法を使っても解けさえすればいい」と方針を変えたら、一気に点数が伸びました。

 当時、都立高校は「4年制」と言われていて、浪人するのが当たり前の時代。国立や私立の進学校に通う高校生との受験情報格差も著しかった。志望校によってやるべき問題集が異なることも、浪人時代に知りました。どの程度勉強したら合格できるかも、現役時代の経験で周囲の合格不合格を見てほぼ把握できたので、2回目の受験は「落ちるはずないでしょ」という気分でしたね。そういう気持ちになるまで、努力しました。理系、文系にはそこまでこだわりがなく、東大の理科1類の他に、得意科目で受験できる私立大学の文系をいくつか受け、無事、全ての大学に合格しました。

音楽の道を目指して

 大学では教養学部時代に理系文系問わずさまざまなゼミを受け、3年生の進学振り分けの際に進学したのは農学部農芸化学科です。就職活動では第1希望の外資系のコンサルティング会社に内定をもらいましたが、両親が大反対したため、結局大学院を受験することにしました。農学生命科学研究科の農学国際専攻に進学し、「将来研究者になる」と、目標を設定しました。「修士課程時に同業の研究者と結婚・出産し、博士課程修了時に子育てしながら、学業と研究を続けてキャリアアップしていく」という女性研究者のモデルがあったので、私も修士課程1年目に結婚、博士課程1年目に出産しました。

和光市民オーケストラを指揮をする岸本祐有乃さん=埼玉県の和光市中央公民館で西田佐保子撮影

 でも、全て計画通りにはいきません。出産後、大病を患って入院。退院後も研究を続ける気持ちはありましたが、義理の母が「今まで十分頑張ってきたから、好きなことをやったらどう」と言ってくれて、肩の荷が下りました。そして「やっぱり音楽に挑戦してみよう」と。27歳の夏、偶然見つけた東京芸大の市民公開講座を受講し、28歳の冬に指導してくれた佐藤功太郎先生に入門しました。先生から何か目標を持つようにアドバイスされ、芸大を受けてみようと決意しました。とはいえ、最初は家族も含め自分も、病気のリハビリに、という感じでした。

 芸大受験の際、センター試験で必要な科目は国語と英語のみでしたが、東大を受けてから何年もたっていたので、対策はやり直しました。大変だったのは実技です。ピアノは長く弾き続けていましたが、ソルフェージュ(音楽の基礎理論)、和声などは、一から勉強しました。29歳で芸大に合格したときは「人生に一度は1億円の宝くじが当たることがあるもんだ」と思いました。日本は国立大学の二重在籍が認められないため、やむなく東大を博士課程で中退し、芸大の指揮科に入学。さらに、夫のウィーン留学を機に、31歳でウィーン国立音楽大学指揮科を受験しました。世界中から80人ほどの受験生が集まっていました。試験は第3次まであり、内容は芸大とほぼ一緒ですが、ドイツ語での試験、面接もありました。なんとかくぐりぬけて6人の合格者のうちの1人となりました。

 日本では、一つのことを究める人生が推奨され、「早く将来何になりたいか決めなさい」と言われますよね。ウィーンには、バイオリンと指揮を勉強したり、建築と音楽を勉強したり、二つのことを並行して勉強する学生がいました。複数の道を同時に進む多様性を許容する社会であってほしいですね。

 受験は、できれば二度と経験したくないですが、受験のおかげで勉強の要領、物事の本質をつかむコツはつかめました。東大受験も、単に知識を問う問題ではなく、さまざまな状況で応用できる論理的思考を問う問題が多く、ここで培った論理的思考力や記述力は現在も役に立っていると思います。これまでの人生経験で、何一つ無駄なことはなかったと思います。瞬間、瞬間、できることについて精いっぱい取り組んだ結果が、今の自分です。今できることを全力でやれば、未来は必ず変えられます。自分の歩んだ道は後ろにあるけれど、前にはまだ、ないのだから。

きしもと・ゆりの

 1974年、福岡県生まれ。東京大博士課程在学中の病を機に音楽の道を志すことを決意。2003年、東京芸大音楽学部指揮科に入学。05年にウィーンへ渡り、ウィーン国立音楽大学指揮科に入学。在学中から、サンクトペテルブルク音楽院、マリンスキー歌劇場など、ヨーロッパ各地で研さんを積み、故サー・チャールズ・マッケラス氏、ミヒャエル・ユーロフスキー氏らの薫陶を受ける。09年、ウィーン国立音楽大学指揮科卒業。10年、ブルガリア・ブルガス国立歌劇場でトスカ、ボエム、蝶々(ちょうちょう)夫人を指揮。同年夏、バルトーク音楽祭に参加。ハンガリー・サバァリアオーケストラを指揮し、好評を博した。11年から日本に拠点を移し、国際的な活動を継続している。スペイン・コルドバ国際指揮者コンクール3位入賞。洗足学園音楽大学講師。

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