二本松少年隊−秋に菊が咲くころに−

第四話『会津へ』

 話は母成峠の戦いの前に戻る。酒巻龍次郎は母成峠に到着していた。二本松から母成に至るまでの道のりは並大抵ではなかった。
 
 途中、兄遼太郎の同門の男と会った。田沢新四郎と云い遼太郎の弟弟子で龍次郎も手ほどきを受けたことがあり可愛がってもらったものだ。年長の味方を得られたと安堵した。その後二人で会津を目指した。もう二本松は占領されてしまったのだ。会津を経て米沢か仙台に落ち延びるしかない。もっとも龍次郎は会津の戦線に加勢する気でいたが、とにかく共に敗走を続けた。野宿の時、家族が殺されたと話し、龍次郎が感極まって泣き出してしまったときも親身になって励ました新四郎。彼とて似たつらさは味わっているのに。頼りになる兄貴分に会えて嬉しい。龍次郎は新四郎の足手まといになるまいと必死に付いていった。
 しかし国境に差し掛かった峠ふもとの原っぱで二人はとうとう西軍に補足された。十数人の一隊が鉄砲を構える。
「おとなしく投降しろ。さもなくば撃つ」
 身を潜めた草むらで息を殺す二人。
「投降したって、どうせ殺すつもりのくせに」
 西軍の隊を睨む龍次郎。
「龍次郎、お前のような少年は敵方の衆道家に犯されるぞ」
「…?」
「尻の穴を掘られるってことだよ」
 悪寒が走った。
「そんなのイヤです。冗談じゃありません」
「オレだってお前をそんな目に遭わせたら遼太郎さんに合わせる顔がない」
「どうしましょう。敵勢が迫ってきました」
「二手に分かれよう。オレが囮になるから、お前は逃げろ」
「新四郎さん…」
「いいか龍次郎、幸いにまだ鉄砲の射程外。後方に必死に逃げろ。おりを見てオレが立ち上がり敵を惹き付ける」
「新四郎さん…!」
「行け!!」
 言うとおりに身を低くして走り出した。敵は龍次郎を見つけた。新四郎の見込みどおり鉄砲の射程外であったため追い出した。しかし新四郎は動かない。囮にさせられたのは龍次郎だった。新四郎は身を潜め、敵勢が過ぎるのを待ち続け、やがて新四郎の危険地帯を通り過ぎた。
 しかし誤算が生じた。敵の隊長が逃げる龍次郎の前髪がある頭と背丈を見て子供と悟り
「よせ、子供のようだ。逃がしてやれ」
 と、追撃をやめてしまい反転してきた。草むらから立ち上がってしまった新四郎は見つかるはめとなり、狙撃されて命を落とした。先に龍次郎を逃がした隊長は
「子供を囮にするとは見下げ果てたヤツだ」
 と言って吐き捨てた。この評は新四郎には酷であるかもしれない。彼とて学問と剣に優れ、将来を期待された若者。命がかかったギリギリの局面だから我が身かわいさが出てしまったのかもしれない。この戊辰戦争さえなければ新四郎もそんな自分に出会わずに済んだと思えば。
 後方から銃撃の音がした。新四郎さんが撃たれた、そう思ったが引き返したら殺される。せめて龍次郎が兄の弟弟子が自分を裏切ったと知らなかったのは幸いであったかもしれない。身を挺して自分を助けてくれた。そう思えたのだから。

 その後も難所は続いた。龍次郎は何度も挫けそうになったが、そのたびに『小雪の仇を討つんだ』と己を奮い立たせて会津へと向かった。そして龍次郎はついに味方のいる母成峠に到着したのだ。二本松藩の一隊もいたので、その陣に駆け込んだと同時に倒れてしまった。疲労の極地だった。大壇口の戦い以降、やっと安心できる場所に来た龍次郎は泥のように眠った。
 ようやく睡魔を満足させると、温かい食事も振舞われた。味噌と粥だけであるが今の龍次郎にはご馳走である。一心地ついて元気も出た龍次郎は改めて参戦を志願した。しかし母成にいた二本松の大人たちは参戦を許さなかった。もう自分の国の少年たちに死んでほしくない。龍次郎と同じように、この母成峠に辿り着いた少年兵はいたが、ほとんどが負傷していた。龍次郎のように動けたとしても、路銀と食糧を持たせて逃がしている。大半がその指示に従った。龍次郎の親友の水野進は一足早く母成に到着していたが、参戦は許されず路銀を渡され帰らされた。龍次郎が母成に来たころ進はすでに米沢に到着していたと云う。しかし龍次郎は頑として受け入れなかった。師と仲間たち、家族が殺され、なぜ一矢報わずにいられる。そう主張したが二本松軍は龍次郎の参戦を許さなかった。陣からつまみだされるよう追い出された。
「ここは子供の来るところではない。帰れ!」
 藩の重臣に叩き出され、陣の出入り口で転ぶ龍次郎。
「何を今さら! 我らは大壇口で藩のために懸命に戦ったのに!」
 返答できない藩の重臣は龍次郎に路銀の入った銭袋を放って陣に戻ってしまった。なおも食い下がるが番兵に阻まれる。
「得心せよ。そなたら少年たちを用いらざるを得なかったからこそ、この後に及んで戦に巻き込みたくないのだ!」
 説得する番兵。龍次郎は拳を握り、もらった路銀を地に叩きつけようとしたが生きていくには必要。堪えて懐に入れた。
「まだ会津は無事だ。会津を経て米沢か仙台に落ち延びよ」
 諭すように言う番兵に軽く頭を下げた龍次郎。二本松陣を去った。
「何のために難所を抜けて母成に来たんだ!」
 トボトボと二本松陣を後にする。しかしどうしてもあきらめきれない。よくよく母成峠の陣場を見渡せば会津や仙台、幕府軍が防備に当たっている。
「会津や仙台では同じように追い返される。ならば……」
 龍次郎は旧幕府軍を率いている大鳥圭介の伝習隊本陣へと走っていった。そして戦国時代さながらに『陣を貸してくれ』そう言った。伝習隊の兵士たちは大笑いした。まだ子供ではないかと。すると
「何がおかしい! 二本松ではオレと歳が同じの仲間たちが薩長と戦い死んでいったんだ! 子供と侮ると許さないぞ!!」
 なにくそと言い返した。子供のくせに何と云う強気。歴戦の伝習兵士たちはこういう男児は嫌いではない。その大声は陣の奥にいた隊長にも聞こえた。彼は龍次郎のところへ歩んだ。
「おい、隊長だ!」
 兵士たちは頭を垂れた。
「あなたが隊長殿ですか」
「そうだ」
「二本松藩士、木村銃太郎門下の酒巻龍次郎と申します。ぜひ隊に」
「ほう、木村銃太郎か。知っている名前だ。江川塾でも俊才と聞いた。そうか、お前その木村の弟子か」
「はい」
 大鳥圭介と木村銃太郎は江川塾の同門、大鳥は銃太郎の先輩にあたる。しかし入学の時期が違い面識はない。
「私は大鳥圭介と云う。一つ聞くが二本松藩士ならば、どうして二本松の陣に行かないのだ?」
「子供は帰れ、もう戦う必要はないと。でもオレ、家族を薩長に殺されたんです。せめて一矢のみ報いたいんです!」
 真剣、かつ気迫のこもった眼差しを見つめる大鳥。
「分かった入隊を許可しよう。おい、隊の鉄砲を与えろ」
 部下たちは驚く。
「隊長、二本松藩の言うとおりです。こんな子供に」
「かまわん、与えろ」
「はっ」
 龍次郎は銃と弾薬を与えられた。
「こ、これはシャスポー歩兵銃!」
 最新のボルト・アクション・ライフルである。
「そうだ。だが戦死した隊員のお古だ。使えるかどうかな」
「…………」
「木村は砲術を得手としていたと聞いている。その弟子ならば、オレの言わんとするところも分かるであろう。戦いは待ってくれないぞ。心しておけ」
「は、はい!」

 こうして龍次郎は二本松軍から追い出されたが、大鳥圭介の伝習隊に加入することが出来た。何よりシャスポー歩兵銃が得られたことは銃太郎から厳しい砲術訓練を受けた龍次郎にしてみれば大軍を味方につけたに等しい喜びだ。
「これさえあれば薩長の鼻を開かせられるぞ!」
 龍次郎は伝習隊では新米、雑用も文句言わずやり遂げ、そして寸暇を利用してシャスポー歩兵銃の部品一つ一つを磨き、油を差す。銃の整備も砲術家の心得と銃太郎に厳しく仕込まれたものだ。
「思っていたより酷使はされていない。銃身も曲がっていないし照準も正しいままだ。十分戦いに使える」

 そして、いよいよ戦いの時が来た。慶応四年八月二十日、薩摩藩の伊地知正治と土佐の板垣退助の両参謀に率いられた薩・長・土を中心とする西軍およそ三千がいよいよ母成峠に進攻してきたのだ。西軍は二本松から石筵・母成峠を経て猪苗代に入る道を選んだ。かつて伊達政宗が会津を攻めた時と同様の道である。皮肉にも西軍を先導していたのは地元農民や猟師だという。母成峠のふもと石筵村、ここを西軍に取られて食糧と宿舎の調達をされては、と云う危惧から会津は村を焼いてしまったのだ。会津藩国家老西郷頼母は『古来、領民の怨みを被り戦に勝てた国はない』と、この焼き討ちに反対したが、彼は白河城の攻防で敗退していて発言力を失っていた。
 だが、この焼き討ちが頼母の危惧どおり自らの首を絞めることになった。やむをえなかったなんて道理は農民に通らない。村を焼かれて激怒した農民たちは西軍の道案内を務めたどころか、西軍の一翼となっていたのである。まさに自分の足を食う蛸と相成った。

 寄せる西軍に対するのは大鳥圭介の率いる伝習隊四百を中心とした会津・新選組・二本松の残兵など東軍、計八百であった。ここ母成が最後の砦であるのは会津だけではない。二本松藩にとっても同じである。母成を取られたら、もう二本松の奪還は不可能といえたからである。
 しかし運命は二本松と会津に残酷だった。西軍より兵数が少ないうえに武器の性能は格段に劣る。そして戦いの日の朝、母成は深い霧に包まれた。だが、その霧が出るのも分かっていて、母成の地形を知り尽くした地元農民が敵に回っている。
 東軍が気付いた時、すでに西軍は目の前にいた。急ぎ応戦する東軍。龍次郎も戦いに備えていたが、霧が濃くて敵の姿が判明しない。これではせっかくのシャスポー歩兵銃も使えない。なんてついていないのか。霧が晴れるころには東軍の砲台陣場は西軍に占拠されていた。龍次郎も後退していくしかない。しかし、銃だけはしっかと握っていて離さない。
 退却中、龍次郎は見た。『誠』の旗印を手に必死に戦っていた男を。刀を振るい、獅子奮迅に戦っていた。さしもの西軍も鬼神を恐れるがごとく逃げていく。その男の凄まじさを龍次郎は立ち止まり見入った。
「すげえ……」
 だが、その男に一挺の鉄砲が向けられているのを見つけた。
「危ない!」
 龍次郎は咄嗟にその狙撃手を撃った。見事に射殺。やがて危機を脱した男は、さっきの鬼神の形相とはうって変わった温和な笑みを浮かべて龍次郎に歩んだ。
「助かったぞ坊や、ありがとう」
「坊やではありません。酒巻龍次郎と言います」
 男は声をあげて笑い、
「それは済まなかった龍次郎殿、手前は土方歳三と申す」
「あ、貴方が新撰組の土方様!?」
 あの土方歳三になんて生意気なことを言ってしまったと龍次郎は赤面した。
「見事な腕前だった。きっと先生がいいんだな」
「はい!」
「さ、退こう」
 土方は残りの新撰組をまとめ、そして龍次郎も連れて退却していった。この戦い、二本松は必死に戦った。上級武士が五人も戦死しており、いかに必死に戦ったか知れる。龍次郎にそれを知るゆとりはなかったが、二本松藩が組織的に戦えたのは、この母成峠の戦いが最後であった。
 会津藩も無念であっただろう。敵の先鋒を務めていたのは自国の民である。しかし焼いた方が悪いと云うのは会津に酷な評かもしれない。石筵をそのままにしておけば母成峠のすぐ手前で西軍に前線基地を献上する形となったのだ。正解は存在しない選択であったのかもしれない。

 母成峠は奪われた。西軍は深追いをせず、いったん母成に留まる。執拗な追撃はなかったため、後退して一息ついた東軍。会津と二本松の残兵は会津に退却。伝習隊と新撰組は榎本武揚の艦隊に合流しようと判断した。しかし隊士各々の判断にそれは委ねるというものだった。大方の隊士が大鳥と新撰組副長である土方歳三についていくことを決めていた。しかし龍次郎は
「隊長、オレこのまま会津へと行きます」
 大鳥圭介に申し出た。
「会津の陥落は時間の問題だぞ。二本松は会津に退いたが組織的な抵抗はもう無理だ。遠からず仙台と米沢も降伏しようし、二本松もそうなろう」
「はい、子供心にもそれは分かります。でも二本松は奥羽越列藩同盟の義により会津に加担を決めました。最後まで付き合おうと思います。薩長に一矢報いるのも東軍の、二本松の士としてやりたいのです」
「そうか、では止めまい。しかし無駄に命は捨てるなよ。生き抜いてこそだ」
「はい」
 龍次郎が大鳥の元を去ろうとしたときだった。
「待て」
 土方歳三が呼び止めた。
「その軍服では目立つ。これを着ていけ」
 それは野良着だった。土方は農民姿で行け、と言っているのだろう。武士には受け入れられないことである。しかし土方は農民出。かつ龍次郎はまだ子供で頭が柔らかいのでそんなに抵抗はない。
「あ、ありがとうございます」
「何、さっき助けてもらった礼、それとお前の会津に最後まで付き合うと言う姿勢が嬉しかっただけだ」
 新撰組は京都守護職を拝命していた会津藩に作られた隊である。戊辰開戦前、土方は主君松平容保に『新撰組は新撰組の道を行け』と会津から事実上の暇を出されていた。土方はそれに従い、母成の合戦を最後の奉公と決めていた。土方は手ぬぐいも龍次郎にかぶせ、少しの路銀も渡した。
「死ぬなよ」
「はい!」
「一つ、言葉を送ろう。かの戦国武将、山中鹿介の言葉だ。『憂きことの、なおこのうえに積みかれし、限りある身のちからためさん』」
「『限りある身のちからためさん』……」
「噛み砕いて言えば、もうダメだと思うときこそ踏ん張りどころということだ」
「ありがとうございます土方さん!」
「うむ、では行け」
「はいっ!」
 立ち去る龍次郎の背を見つめる土方。
(いい面構えをしている)

 農民姿、そして荷物と武具を粗末なズタ袋に入れて背負い、西軍とは別な道を使い、ほとんど山道だが龍次郎はその道を使い会津を目指した。
 無論、西軍にまったく見つからなかったわけではないが、傍目には農民の子供が戦火を逃れて野山を走っているとしか見えない。龍次郎から何かしない限り、攻撃をされることもなかった。母成から会津まで駆け続ける。二本松から母成、母成から会津への道のり。まさに龍次郎は子供だからこそ難を逃れたのだ。あと三つも歳を重ねていれば殺されていただろう。
 山間のある農家に辿り着いたが空き家だった。家の主は戦火を避けて逃げたのだろう。しかし庭先には打ち捨てられた畑があり、甘藷(さつまいも)が実っていた。焼いて夢中で食べる龍次郎。
「うまい、うまい」
 涙が出てきた龍次郎。
「この恵み、泉下の父上と母上、兄上と義姉上、そして小雪が生きろとオレに伝えているに違いない。きっとそうだ。生き抜いてやるぞ。『限りある身のちからためさん』だ!」
 と、夢中で甘藷を腹に入れ、そして持てるだけの甘藷を荷物袋に入れて農家を後にした。

 時を同じころ…。母成峠が陥落したと聞いた松平容保は『ただちに十六橋を壊せ!』と指示した。十六橋とは母成を越えた会津への入口、戸の口にあり、猪苗代湖に流れる日橋川のうえに架かる堅固な石橋のことである。日橋川は急流で渡河は出来ない。西軍は十六橋を破壊されるわけにはいかず、かつ会津はその橋を占拠されるわけにはいかなかった。
 しかし破壊するにも十六橋は堅固、壊している最中に川村興十郎率いる薩摩隊が押し寄せてきた。破壊していた会津兵は多勢の薩摩隊にどうしようもなく後退。十六橋も西軍に奪われてしまった。

 そして、ついに士中二番隊、白虎隊が出陣となったのだ。元々白虎隊は予備兵力で今まで出陣らしい出陣は藩主世継ぎの松平喜徳に随伴した程度しかない。それがついに西軍との直接対決を余儀なくされたのだ。
 二本松少年隊の出陣の時もそうであったが、白虎隊の家族たちも息子や弟たちを初陣に送り出す。簗瀬武治の父久人は家宝の太刀を息子に与え、
『こたびの戦は敵が衆、我らは寡、ただ潔く身命を国に捧げて、けっして未練の振る舞いがあってはいけない。藩公の誠忠にて、いささかも不正のないことは天地の知るところ。覚悟を決めて参れ』
 と、諭した。池上新太郎も父より
『二本松、母成、すでに陥って敵はますます進軍してくるのであるから、お前は他者に後れをとるな。また軍規に背くな、けっして家声を汚すでないぞ』
 と、懇々と諭された。永瀬雄次は山野で戦うには、なるべく敵に見つからずに敵中に入り、味方のために武功を立てたいので草色の軍服を着て出陣したいと母親に懇願。蓄えがない永瀬の家であったが慈母くらは何とか息子のためにと布地を工面して作り上げた。満面の笑みで軍服を受け取る息子雄次の顔、くらは一生忘れなかった。
 そして酒井峰治、出陣に際して母と祖母、そして兄に別れを告げた。もう戻る気はない。その覚悟だった。
「母上、お婆さま、兄上、峰治は出陣いたします。いつまでもお元気で」
 病弱の兄、何とか体を奮い立たせ、蒲団から起き上がる。
「峰治、この兄の分まで戦ってくれ、などとは言わぬ。お前自身の務めを、ただまっとうせよ」
「はい」
 母もんと祖母しげは感極まり、何も言えなかった。武士の母である以上、息子が戦場に出るのは覚悟のうえ。しかし、まだ息子は大人やら子供やら分からない年ごろ。何もかもかなぐり捨てて息子を家に留まらせたかった。しかし、それは許されない。母と祖母に頭を垂れた峰治。家を出ると愛犬のクマが峰治に寄ってきた。
「クマ」
「くーん」
「行ってくるからな!」

 白虎隊は戸の口原に出陣した。行軍は雨となった。しかも途中、荷物になるからと道中の茶屋に隊長日向内記の命令で弁当に置いてきてしまった。雨の中の行軍で体は冷えて、しばらくすると空腹にもなった。夜になり隊長の日向内記は指定の刻限になっても輜重隊から兵糧が送られてこないのに業を煮やし、教導の篠田儀三郎に隊を任せて後方へ走った。そして日向は二度と戻らなかった。いや、戻れなかった。途中で銃弾を浴びて、死には至らなかったものの自力で歩けないほどの傷を負った。
 隊長の帰りを待つうちに朝になってしまった。睡眠もろくに取っていないうえに空腹に陥った。その時だった。大砲の音が聞こえた。
「銃声だ! 味方が戦っているぞ!」
 と、石田和助が発した。
「行こう、儀三郎」
 野村駒四郎が教導の儀三郎に言った。
「ダメだ。ここを動くなと隊長の命令がある!」
「隊長はもう戻らない! 食糧の調達でこんなに時間がかかるものか!」
「駒四郎……」
「我らの指揮はお前が執れ! 臆病な隊長など必要ない!」
 駒四郎の意見は白虎隊士たちの総意だった。
「よし、みんな行こう!」
 疲れて空腹の身を奮い立たせ、白虎隊は戸の口原の前線へと走った。到着したころにはまだ西軍は押し寄せてはいなかった。さきほどの砲声はもう少し前方で発したようだ。しかし西軍が突破してくるのは時間の問題であった。急ぎ白虎隊は疲れた体で塹壕を掘り、陣を作った。白虎隊の物見が帰ってきた。
「どうだった?」
「西軍がやってきます!」
 と、井深茂太郎。
「数は?」
「後ろの方は見えません」
「霧でか?」
「違う、ずっと軍勢が続いているのです」
 一瞬ひるんだ白虎隊。しかし
「会津武士道を見せるのは今だぞ。そういえば今日は什の教えを復唱するのを忘れていたな」
 什の教えとは藩校日新館に通う藩士の子弟が朝に必ず復唱して戒める教えのことである。
「『卑怯な振る舞いをしてはいけません』」
「「『卑怯な振る舞いをしてはいけません』」」
 儀三郎の言葉に全員が続いた。
「よし、我ら白虎隊の初陣だ。十分に惹き付けてから撃つ、いいな!」
「「おう!」」
「迎撃準備だ。散開!」
 白虎隊は戸の口原の右翼に配置した。正面、左翼とも会津藩兵の味方はいる。しかしそれでも寡兵である。西軍が一斉に寄せてきた。初めて実戦に身を震わせる白虎隊。そして篠田儀三郎、
「撃てーッッ!!」
 号令一喝、白虎隊士の鉄砲が火を吹いた。だが大半が旧式銃。前日の雨も手伝い不発が多発。野村駒四郎は銃を捨てた。
「この鉄砲は役には立たない!」
 刀を抜いて突撃を開始。他の隊士も役立たずの鉄砲を捨てて突撃を開始した。
「一死、国に殉ずるのはこの時あり!」
 篠田儀三郎は叫んだ。その声に鼓舞されて突撃していく白虎隊。簗瀬武治も、池上新太郎も、永瀬雄次も、そして酒井峰治も突貫。弾丸雨飛の中をものともせず、互いに助け合いながら突き進んでいく。
 しかし、多勢に無勢はいかんともしがたい。一人討たれ、二人討たれ、まとめて西軍の鉄砲の餌食になる者も多数。ついに篠田儀三郎は退却を指示。伏せながら何とか虎口を脱出したのだ。退却時も多くの仲間が散っていった。そして隊もいつの間にかバラバラになってしまった。いま儀三郎と共にある仲間は二十人となってしまった。

 手傷、空腹、疲労、負け戦では倍以上の負荷となって体を襲う。飯盛山のふもとに来ていた一行は休息を取った。
「どうする、これから」
 一人が言った。間瀬源七郎が答えた。
「一度、城に戻るしかない。状況がまるで分からない」
「……城か、卑怯者にならないかオレたち。あいつら逃げ帰ったと」
 儀三郎が言った。
「オレたちは戦ったじゃないか。あんな多勢にこんな寡兵で、しかも装備は貧弱で! 誰に言われる筋合いがあるんだ!」
 涙ながらに永瀬雄次が言った。
「そうだ、一度城に帰り、状況を得て、かつ体力の回復と武器弾薬の補給をしよう。儀三郎、万事それからだよ」
 と、野村駒四郎。一堂うなずいた、その時だった。
「儀三郎、敵だ!」
 西軍の一隊が白虎隊を捕捉、もはや抵抗するチカラもない白虎隊は逃げるしかなかった。
「うあっ!」
「雄次!」
 永瀬雄次の足と腕を弾丸が貫いた。親友の林八十治が雄次を担いだ。
「もうオレはダメだ。置いていけ八十治……」
「黙っていろ!」
 城への方向は封鎖されてしまった。白虎隊はそのまま飯盛山を登っていくしかない。

 一方、酒井峰治。仲間とはぐれて一人になってしまった。いずれ敵に見つかり殺される。進退窮まった峰治は切腹の姿勢を執った。
「母上、そしてまだ戦っているであろう父上、お婆さま、兄上、峰治はここまでです。お先に……」
 その切腹の姿勢の峰治を捕捉した西軍の兵。峰治は気付いていなかった。腹に脇差の切っ先をつけた、その時『ドーン』鉄砲の音が響き、山々から鳥たち一斉に飛び立って逃げていった。しかし音は一つだけであったが、放たれた鉄砲は二つであった。
「……!?」
 草の陰に隠れていた西軍の兵がバタリと倒れた。何者かが峰治を救ったのだ。
「だ、誰が」
 峰治を救った者が姿を現した。
「死ぬことはいつでも出来ますよ」
 農民の少年であった。
「……助けてくれてかたじけない。しかし武士には武士の死に方がある。失礼」
 少年は脇差を取り上げた。
「何をするか!」
「私も武士です」
「……?」
 少年はズタ袋から自分の軍服の袖にある肩章を見せた。
「直違紋、二本松の?」
「私は二本松少年隊の生き残り、酒巻龍次郎と申します」


第五話『会津士魂』に続く。