天地燃ゆ−史実編−

第二十五章『丹後若狭の戦い』


 小浜城は柴田明家が若狭中に点在した城と砦を破却し、その廃材も多く利用して建てられた。築城の名手と呼ばれた明家が築いただけはあり平城とは云え堅固だった。甲州流の丸馬出しと云う出丸を築き、堀も深く、石垣と城壁も高い。巧妙に作られ山城級の防御力を有する。
 しかし、篭城戦の敗因の多くは内側から崩れていくことである。だから領民が駆けつけたと云うのは必ずしも利点だけにならない。それだけ兵糧の消耗が激しくなるからである。兵糧が乏しくなれば不満が生じ、疑心暗鬼が出て、やがて敵との内通を疑われたものが殺され、どんどん士気が低下する。味方が信用できなくなったら篭城戦の守備側の敗北は確定する。
 だが、小浜城に篭る城兵はその『前者の覆轍』を教訓とする必要はあっても、そう悲観することもないのだ。敵は完全に小浜を包囲できないのである。北側の外周が海であるのだ。しかも城下町はすべてそっちにある。かねてより交易を重視していた柴田家は水軍顔負けの船の保有量を誇る。なまじの水軍では太刀打ちできないし、何より今の西軍には水軍はない。だから兵糧の補給は可能なのである。舞鶴もまったく同じ方法で築城されており、海から小浜と舞鶴の連絡は常に保たれる。小浜と舞鶴には支城はなく、城下町には城を落として初めて殺到できる。従来ある支城や城下町を焼いてのおびき寄せは使えない。寄せ手にとってはケタ違いの自給能力を有する巨大な砦となるのである。

 支城がない、城下町に焼き討ちは不可能、では城内からいぶりだすには点在する村々を襲うしかない。しかし石田三成は絶対にそれはやるなと丹後若狭方面軍に厳重に通達していた。あくまで柴田の軍兵とのみ対せよ、そう三成は毛利輝元の名前で通達していたのだ。丹後若狭方面軍大将の小野木重勝はその通達を聞き笑った。『甘いことを言っている』と。
 これは三成がまだ最終的に明家を味方につけて共に豊臣政権の中で戦のない世を作ることをあきらめていなかったゆえ、と云う説があるが一方で丹後若狭の民を攻撃したら逆に小野木勢が壊滅すると三成が危惧していたと云う説もある。三成は旧主明家の民心掌握の技量が飛び抜けていることを誰よりも知っている。丹後若狭の民は仁政の国主である柴田明家を敬愛していた。お殿様の敵は許さない。三成はそれを知っていたのだ。


 越前の行政官であるころの柴田明家、当時の水沢隆広は一国の行政官として考えられないことをしている。戦い方を領民に伝授しているのだ。領民の一揆を恐れる大名では絶対に出来ないこと。水沢隆広は夜盗のたぐいから身を守らせるため、すすんで教えている。もちろん越前一国全体ではなかったが、夜盗が狙いそうな裕福な村や町の民には教えていたのだ。隆広の指導が終わっても民は訓練を積んでいた。

 指導をしてしばらく経った村に隆広は三成を連れて向かった。水田の農道を歩く隆広と三成、畑で稲刈りに汗を流す若者たちと、その女房たちがいた。隆広は三成に
「佐吉、あの男に石をぶつけてみろ」
 と、おかしな指示をした。
「そんな無体なことを…」
「いいからやってみよ」
「……」
 三成は当たってもかゆい程度で済むよう、ゆるく投げた。その次の瞬間だった。若者は鎌で石を叩き落し、他の若者たちとその女房たちがアッと云う間に三成に詰め寄り、武器を突きつけていた。全員眼光の鋭さ並々ならなかった。
「…………!!」
「なんだい、水沢様かい。こりゃ悪かった」
 三成の横に隆広がいたので武器をしまい、穏やかに笑う民たち。
「みんな、訓練は続けているようだな」
「「はい」」
「ははは、夜盗が来ても返り討ちだな」

「あんなにしごかれりゃあねぇ」
 と、クスクス笑う女房たち。
「そうか? オレは適度な運動と思ったが」
 ドッと笑う若者と女房たち。
「ありゃ地獄だったぜ。まあ腹いっぱい飯を食わせてくれるって甘い言葉に乗ったオレたちが単純だったんだがな」
「あはは、自分たちの身と愛する家族は自分たちで守るしかない乱世だ。今後も訓練は続けろよ」

「そういう水沢様も鍛錬に励んでおくのよ。隙あらば、いつでも水沢様押し倒して子種せしめますからね」
「おいおい、亭主の前で言うなよ〜」

 三成は呆然とした。領民にこんな戦闘力を与えたら柴田家にとって脅威にしかならないではないか。水田を後にすると三成は激しく詰め寄った。

「戦を民に仕込むとは何を考えておられるのですか! 何のための兵農分離です!」
「それは、その矛先が柴田家に向けられると云う危惧からか?」

「その通りです」
「民が一揆をするような政治をしなければ良いだけのことだ」
 現に越前の民は隆広が内政を行っている間、ただの一度も一揆をしていない。しかも村を襲う夜盗ことごとく蹴散らしている。とどのつまり、どんなに領民が戦うチカラを有していても政治が仁政ならば一揆などないのである。
 もし、これを丹後若狭の領民にも行っていたら、三成はそう考えたのである。丹後若狭は柴田明家が国主となってから一度も一揆が発生していない。柴田明家の最大の武器は智慧や新陰流や甲州流で得た武技でもない。人徳、現代で云うカリスマである。だから丹後若狭の領民に手を出すなと三成は言ったのだ。

 そしてそれは正解である。領民の一部は義勇兵として合戦に参加はしているが各々の村や町では西軍が攻めてきたら総力あげて迎え撃つ準備はすでに整えていた。西軍が迫ってくれば事前に分かるように街道筋に簡略的だが狼煙台も建て、女子供を避難させる地さえ確保済みだったと云う。織田家の丹羽氏と細川氏が入府前は半農半士だった丹後若狭である。農民でも武芸に秀でる者は多く、学識豊かな者もたくさんいる。けして後の時代劇のように武士にされるがままではなかったのである。戦国の農民は強く逞しかった。真田昌幸の上田城攻防戦を見れば、それは自明の理である。小国と云え自国の農民を完全に味方につけた真田軍は徳川軍を二度も撃退している。農民を完全に味方につければ大軍にも勝てて、逆ならば滅ぶのだ。

 明家は秀吉の命令で刀狩をしたが他の大名と比べて取締りが格段に緩かった。農民に
『すまんなあ、うえからの命令でやらなきゃならん。とりあげた武器は農具に鋳直して返すから勘弁してくれ』
 と言って謝ったといわれている。まだ隠し持っている武器が多いのは誰でも分かったが、明家はカラカラと笑い言った。
『出せと言えば出さないものだ。どんな名君が刀狩をやろうとも民からすべての武器を没収することなどできやしない。一揆や謀反が恐いから刀狩をやる。大きい声では言えないが、そういうのを本末転倒と云う。オレはそんな統治はせんよ。もし一揆や謀反があれば悪いのはみんなオレだ』
 と言い、完全に取り上げようとはしなかった。おかしな殿様だ…。丹後若狭の農民はそう思っていただろう。ちなみに明家は一揆と部下の裏切りを生涯一度も経験していない。この合戦のとき農民たちは西軍と戦うため隠し持っていた武器を装備し、国と自分たちの村を守るため戦う備えはしていた。もし農民に手出ししていたら思わぬ反撃を食らうのは西軍の方とも言えただろう。

 さて小浜城においては領民が感奮する騒ぎが起きていた。美味しい秘密は黙っていられない居酒屋『へいすけ』の女将加代が『城代の奥村兵馬様は私たち姉妹の仇討ちに加勢してくれた兵介さんだったんだよぉ!』と自慢げに来る客来る客に話した。二度三度妹の菜乃が注意しても生来のものか御しえず言ってしまう。
 居酒屋の姉妹の仇討ちに加勢した若者兵介の名前は高浜から小浜に場所が移っても同じ若狭の国であるから知名度は同じである。実は菜乃と一線を越えていたが菜乃はそれを晩年近くになって初めてクチにしている。『あの方から求めたんじゃあない。私の方から迫ったわ、ああいう男に純潔を捧げたいと思ってね。でも一夜だけだったよ』とウットリして言っている。
 まったく見返りを求めず、義侠心によって姉妹に加勢した男の中の男と見られている兵馬。この牢人時代の兵馬と加代と菜乃の姉妹を主人公にしたテレビ時代劇も多く制作されているのを見ても、この当時いかにもてはやされていたか分かる。

 すでに戦闘は始まっていた。城代奥村兵馬と小野木家の家老で小浜方面総大将小野木将監は睨みあう。堀は大きく深い、石垣は侵入を防ぐため弧を描かれて、城壁には『ねずみ返し』まで備えられている。城への入り口は一箇所、出丸の鉄砲眼の照準も入り口に合わされている。侵入は唯一の入り口を使うしかない。よくまあこんな攻めにくい城を作ったと敵も頭を抱えた。
 夜陰に乗じて、別の場所で橋をつくり、架橋して城門突破しかない。すぐにその準備は始められた。しかし橋を作っての城門突破は無論兵馬も承知している。西軍は木を伐採し、即席の橋をいくつか作った。たとえ堀に沈んでもそこが足場になる。
 夜陰に乗じて城攻めが開始された。奥村勢は迎撃準備、城下町の軍鐘が鳴った。よだれをたらして寝ていた加代を起こす菜乃、
「姉さん! 西軍が攻めてきたわよ!」
「……う〜ん、兵介さぁん。だめよぉ、そんなとこ触っちゃ……」
「どういう夢見ているのよ、姉さんてば!」
「……え?」
「西軍が攻めてきた! 鉄砲の音がすごいよ!」
「ホントだ……」
 飛び起きた加代、
「近所の女たちを呼びな! 酒と料理、大急ぎで作るよ!」
「はい!」
「兵介さん、今行くからね!」

「撃てーッ!!」
「撃てーッ!!」
「撃てーッ!!」
 城門のうえの櫓から兵馬、西の出丸は次男静馬、東の出丸は冬馬が指揮。小野木勢は即席の架橋に成功、火をつけようなら城に風に煽られ城に火が着く。鉄砲の弾が竹束に当たる音がする。
「慌てるな! 櫓からも出丸からも我らは見えぬ! 当てずっぽうで撃っているだけだ! 竹束で防御し、大木で城門を破れ!!」
 と、敵将の小野木将監。城門にはすでに敵勢が突く大木の音が聞こえた。
「城代! かんぬきは時間の問題!」
「全軍、大手門に集結! 迎え撃つぞ!!」
「「「オオオッ!!」」」
 城門が破られた! 雪崩れ込む敵兵に奥村鉄砲隊が三方から三段射撃、水沢隆広が手取川の撤退戦において石田三成と白に使わせた戦法である。
「撃てーッ!!」
 倒れていく敵兵、だが小野木勢はひるまない。
「小勢だ! 切り込め!」
 やがて数を圧倒する敵勢に雪崩れ込まれた。しかし奥村勢とて負けていない。そして義勇軍たちも。雪崩れ込んできた敵兵を狭隘な通路に誘い込み、かつ道には竹の梯子を固定させてあり、次々とつまずいて転ぶ。それを高所から弓矢で狙い撃ちした。行く先行く先に兵を伏せておいた。農民が竹の槍で襲い掛かる。
「何をしているか百姓相手に! 蹴散らせ!」
 小野木勢の部隊長の言葉を笑う農兵たち。
「民百姓を軽視する大将は滅ぶ、我らが殿さま越前守様の言葉だ! 覚えておけ!」
 頑強な抵抗、そして士気は高い奥村勢。城門は破られても東西の出丸にいた静馬と冬馬の隊は動かず後続隊を攻撃し続けていた。小野木勢は夜陰に乗じてチカラ攻めを敢行したが、領民を味方につけていた城方を噛み破るに至らず徐々に押し返されていく。そして兵馬が櫓のうえから巨大ジョウゴをクチに当てて叫んだ。
「いま退けば、そのまま城から出してやる。寄せるのなら首を取る!」
 その言葉に小野木勢はひるんだ。
「そもそも、備えがあれば十倍の兵数にも対抗しえるのが篭城戦。それなのにわずか三倍に毛が生えた程度で寄せるとは兵法を知らぬうえ我らを侮るにもほどがあるわ! そんなバカ大将のために死ぬのはつまらんぞ! 生きて帰って女房子供に会いたければとっとと退け!!」
 一人が後退すると歯止めが利かない。まだ残って戦おうとする者に
「早く退かないとその方らは敵城の中で孤立するぞ! 留まるのならば容赦せんぞ!」
 そう一喝すると小野木勢はさらにひるんだ。元々小野木勢には柴田や奥村へ遺恨あっての合戦ではないので敵愾心は低いから余計である。
「退けば見逃す、寄せれば斬る! どうするか!」
 大将が逃げてきた兵に戦えと言っても一度戦意を無くした者には効果はない。次々と逃げてくる兵を見て小野木将監は撤退を下命。櫓にいて小野木勢を見下ろす兵馬を忌々しそうに睨む小野木将監。
「若僧! 弓矢を避けて声で勝負するとはそれでも武士か!!」
「柴田家では声も立派な武器にござる。また参られよ! いつでもお相手いたすぞ!」
 夜が明けてきた。小野木勢は後方に退いた。櫓を降りた兵馬、
「冬馬、急ぎ城門を修復せよ」
「はっ」
「静馬、取り残された敵兵はもはや斬るに及ばん、捕らえよ。また当方の戦死者の数を調べ報告いたせ」
「はい」
「また敵軍戦死者は荷台に乗せて城外に出せ。捕虜と負傷者がそれを引いて出て行くようにと伝えよ」
 それは柴田明家が定めた柴田の陣法である。死ねばホトケ、敵味方なし。抵抗できないものは敵ではない、と云う明家の理念から作られた法である。明家は朝鮮の役でもこれを実施し朝鮮と明軍にも賞賛されている。
「仰せのとおりに」
「ん、頼んだぞ」
 本丸に歩んでいく兵馬。
「兄上」
「ん?」
「結構な采配でした」
「殿の真似をしただけだ」
 声で一向宗門徒を退かせた明家の初陣のことを言っている兵馬。
「敵さんには時間が無い。だから強引に攻めてきた。そこが我らにとっても付け目となったが今後はそうもいくまい。備えを怠るな」
「はっ」
 将兵を不安がらせないため気丈に振舞う兵馬だが、その内心は夜襲を退けた安堵と新たな敵襲に対する不安で錯綜していた。本丸入り口の前にある広場、ここに兵馬の妻の糸が出迎えに来ていた。
「おお糸」
「ご覧下さい、城下の方たちが我らに!」
 それは奥村勢千五百の胃の腑を十分に満足させる料理の山であった。居酒屋『へいすけ』の女将の加代とその妹の菜乃が音頭をとって料理を作った。
「お疲れ様でした兵馬様、これは我ら城下の者からのほんの心づくしにございます」
「加代殿……」
(お疲れ様、兵介さん)
「う、ううう……。ありがとう……。オレは幸せものだ」
 泣き出してしまった兵馬。命がけで守った民が応えてくれた。嬉しい。
「あらあら兵馬様、せっかくの戦勝に涙は」
 と、菜乃。
「まったくだ! 我らの兵介がそんなんじゃ困るぜ!」
「……え?」
「男の中の男兵介! よく城を守ったな!」
 と、城下の民から喝采を受けた。
「な、何だよ」
「殿、聞きました、加代殿と菜乃殿の仇討ちに加勢されたことがあるそうですね」
「女将! お前、そのクチ縫ってくれようか!!」
「ひゃあ、恐い恐い!!」
 ドッと笑いが起きた。
「まったく、とにかくありがたくご馳走になる! みなも遠慮なく馳走になれ!」
「やったあ!」
「腹ペコだったんだあ〜ッ!!」
 奥村将兵はいなごのように料理にむさぼりついた。静馬、冬馬の弟たちの元にも料理は運ばれていった。みんな夢中で飯を腹に入れた。
「殿、一献」
「いや、まだ戦局は予断を許さない。守将のオレは酒を飲むワケにはいかない」
「心得ています。中身はお水ですよ。雰囲気だけお楽しみに」
「そりゃありがたい」
 少し塩と砂糖も入っている水。現在のスポーツドリンクのようなものだ。
「うん、美味い」
「……なんで今まで教えてくれなかったのですか?」
「何を?」
「仇討ちの加勢」
「別にわざわざ自慢することじゃないだろう。義を見てせざるは何とやら。それだけだ」
「…………」
「何だよ」
「……さっき菜乃さんに『兵馬様に奥方様の見事な女体と私の貧相な体を比べられたことがあり、私は激しく傷つきました』と言われました」
 吹き出して咽る兵馬。
(あのバカ……! こんなとこで仕返ししやがって!)
「どういう意味です?」
「……あとでゆっくり話す」
「……楽しみにしています」
 翌朝、小野木勢の戦死者が荷台に乗せられ、捕虜と負傷兵が引いて城から出てきた。戦死者には死に化粧が施され、負傷者は手当てされていた。寄せ手の大将である小野木将監、
「味なマネをしよる」
 と、苦笑した。将監の部下が言った。
「柴田の陣法と伺っています。城代の奥村兵馬の判断ではありますまい」
「タワケ、たとえそうでも遂行するには上に立つ者に器量が必要な仕儀じゃ」
「は、はい」
「できれば越前殿とは敵とならず、我ら西軍を率いてもらいたかったのう……」
 この兵馬の仕儀には武士として感謝する。しかしこれはこれ。今は敵味方である。
「警戒を怠るな。そして舞鶴を攻める殿を経て、大坂にいる毛利殿に増援を請え。この城、五千程度ではとうてい落ちぬ」
「はっ!」

 一方、舞鶴城。ついに奥村助右衛門と松山矩久は西軍を退却させた。しかし、それは兵の再編を図るための仮の退却。無論、奥村助右衛門と松山矩久もそれを知っていた。数日後、他の西軍諸将も連れて、さらに大軍で舞鶴に寄せてきた。京極高次の篭る大津城が落城の見込み強く、攻め手に余裕ができたため大津を攻めていた鍋島勝茂と立花宗茂も舞鶴へと寄せてきたのだから、いかに助右衛門とて劣勢となる。
 かつ京極高次の妻は明家の妹の初。助右衛門は大津を攻めていた軍勢がこちらに転戦してきたのを見て初姫の安否が気にかかった。そこを立花宗茂に付けいれられる。『越前殿が二の妹の初殿は西軍に人質となっている。このまま抵抗を続ければ初殿の命は保証しかねる』と通達があった。この時点ではまだ大津城は落ちていなかった。しかし舞鶴にその情報はもたらされていない。
 助右衛門は初を見捨てることを決断。宗茂に『浅井長政と柴田勝家を父に持つ初姫様がどうして敵に屈するか』とはね付けて徹底抗戦を継続。柴田軍は何倍もの兵力相手を向こうに頑強に抵抗。
 だがとうとう大手門を破られて西軍の侵入を許した。しかし奥村軍は焦らずに優位な地形に誘導し殲滅。しかし西軍は多勢、どんどん侵入を許す。
「二の門が……破られました!」
 使い番はそう言って息絶えた。古来、篭城戦は援軍を頼みとしての戦法である。援軍はない。士気はやがて下がっていく。明家の側室しづは女たちに指示して炊き出しをして自ら握り飯を作る。しづは明家の側室になる前に舞鶴城の調理場で母親と一緒に働いていた。台所仕事は手馴れている。かつて丸岡城の篭城戦でもしづは少女ながら懸命に給仕と看護に励んだものだ。
「先に水を運びなさい! 水を飲めばチカラが湧きます!」
「「はい!!」」
 そして木箱に握り飯を詰め込み、自ら前線に運ぼうとする。
「しづ様、危のうございます! 私たちが運びますから!」
「当主の側室だからと安全な場所にいて、どうして皆さんに戦ってくれと言えますか!」
 母のみよも娘と握り飯を作っていた。
「母も一緒に行きます。さあ参りましょう!」
「はい!」
 矢弾飛び交う前線に行き、戦う兵たちに握り飯と水を与えるしづ。
「柴田の存亡は皆さんの働きにかかっています! お頼みします!」
「お任せを!」
「さあ、ここは危ない。早うお下がりを!」
 しづから手渡された握り飯と水を口に入れて応える柴田将兵。次は負傷兵の収容と手当てである。出血している兵に圧迫止血を実施するため、上着を脱いでその患部に当てた。動けず自力で小便に行けない者には尿瓶を当てて放尿もさせた。前線で戦い士気を上げる甲斐姫、城内で将兵の世話をして同じく士気を上げるしづ。丸岡城の戦いでも女が活躍したが、この舞鶴でもまた同じであった。当主側室が自ら兵の下の世話までするなんて前代未聞である。勝秀正室の姫蝶、最初は城の奥で合戦の勝利を願っていただけだが、しづを見て世継ぎの正室だからこそ誰よりも兵に尽くさなければならないと痛感し、ハチマキを締めてしづと同じ仕事に励んだ。兵たちは感涙し、そして女たちもしづ様と姫蝶様に続けと懸命に給仕と看護に励んだのだ。柴田家の気風は尚武と騎士道と云うが、これを見ても柴田家の女たちが日ごろ男たちからいかに大事にされているか察せられる。

 甲斐姫は奥に行き、しづに会った。
「しづ様、いよいよ正念場です」
「……はい」
「敵の総攻撃を防げるのも、せいぜいあと二回でしょう」
「敵の虜囚になるのはイヤにございます」
「私もです。城を落として我ら二人を捕らえたら……西軍は殿に味方につけと勧告するでしょう」
「殿がそれを飲むとは思えません。はっきりと私に言って下されました。私の命と柴田家どちらを取らなければならないのなら柴田家を取ると」
「はたしてそうでしょうか」
「……え?」
「殿はできないかもしれません。しづ様と私を見捨てることを」
「なぜ……?」
「それは殿がかつて私たちを深く傷つけたからです」
「……!」
「しづ様は殿に手篭めにされ、私は殿に秀吉へ売り飛ばされました。そんな経緯がありながらも今の自分を愛してくれている二人の女……。殿の性格では私たちを見捨てることはできないかもしれません。それが私たちに対する最大の侮辱と知りながらも」
「では……死ぬしかありませんね」
「はい、いよいよの時は」
 死の覚悟を決めたしづと甲斐姫、そして甲斐姫は敵に突撃した。覚悟を決めてもそう簡単にはやられない。甲斐姫のこの時の戦いぶりは敵方の鍋島と立花勢さえ賞賛を惜しまなかった。その甲斐姫の戦いぶりに士気が上がる柴田勢は寄せ手を圧倒。鍋島と立花は退却を開始した。無用の追撃は避けた甲斐姫だが、一つの鉄砲が彼女に狙いを定めた。そして撃たれた。甲斐姫の顔に鮮血が飛んだ。
「…………!?」
「ぬううッ!!」
「奥村殿……!?」
 助右衛門は脇差を抜いて狙撃手に投げたが狙撃手はすでに退却し、敵勢の姿は消えていた。
「奥村殿!」
「大丈夫……。急所は外れております」
 正木丹波も駆けつけた。
「すまぬ城代、我らがせねばならんことであるのに!」
「いや……。それがしがしなければならなかった」
「…………?」
「姫」
「は、はい」
「忍城を攻めていた治部に『成田氏長殿の娘の甲斐姫に関白殿下は興味を持たれていた。殺してはならぬ』と文を送ったのは……それがしなのでござる」
「な……!?」
「殿の言伝は『水攻めにあてるはずだった資金を味方にまわし、長対陣に士気が落ちないよう務めよ』で終わっていたのでござる。それがしは文書にして送るよう命じられた祐筆に『甲斐姫を捕らえて関白殿下に献上せよ』と暗に治部に伝える恥知らずな文を加筆するよう命じました。貴女を生き地獄へと突き落としたのは殿ではない。それがしなのでござる!」
「なぜ……」
「あのころの柴田の立場は豊臣で危ういものでございました……。秀吉は殿を恐れだした。恐れられるは武門の誉れなれど相手が絶頂時の天下人秀吉では滅ぼされる。そんなおり秀吉が姫に興味をもたれているとそれがし聞き及び、少しでも殿のお立場をよくしたいと思い……。何と浅はかな、何とお詫びを申したら良いのか……!」
「そんな……。それでは殿はそれを知りながらずっと大坂で私に罵られ続けていたと?」
「部下のしたことは自分のしたことと……。それがし激しく殿に叱責され、己が振る舞いを恥じ入りましたが時すでに遅く……。姫をお助けするすべもございませんでした……」
「奥村殿……」
「まだ少しでも殿を怨んでいるのならば……それを全部それがしに向けてくだされ。お頼み……」
 助右衛門は気を失った。
「奥村殿! みな奥村殿を城内に!」
 しかし忍衆でその命令を聞く者はいない。
「姫を生き地獄に突き落とした者を運べませぬ!」
「今ここで殺してくれよう!」
「愚か者!」
 正木丹波が怒鳴った。
「過去にどんな経緯があれども、今の城代は我らが姫を命がけで助けたのであるぞ! それでもお前ら坂東武者か!」
「しかし……」
「坂東武者は昨日の天気はクチにせぬものぞ」
 と、甲斐姫。
(それに……あの文がなかったとて秀吉は私を玩具に取り上げたわ……。そういう男……)
「そなたらが運ばぬなら私が運ぶ」
 抱きかかえようとしたら一人二人と忍衆が助右衛門の体を持った。
「それがしたちが運びましょう。姫の命の恩人を」

 この事件は最大の痛事だった。致命的には至らないものの夥しい出血。これで士気はさらに激減していく。
 夜、士気が落ちた城内を歩く助右衛門の妻の津禰。居眠りしている見張りを見つけた。津禰の侍女が起こそうとしたが、今は良いと止めた。そして一回りして起こした。少しの仮眠でもだいぶ違う。津禰は『大変でしょうが、お役目お願いします』と労った。そして助右衛門は自室で矩久より治療を受けていた。
「矩久、遠慮はいらんからもっとサラシをきつく巻いてくれ。その方が身は引き締まる」
「なりません、いざと云う時に窮屈で戦えなくなることもありえ、かつ血流に悪うございます」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
 その後は大人しく矩久の治療を受ける助右衛門。静かな時が流れた。
「矩久……」
「何でしょう」
「やはり援軍なき篭城戦は勝てんかな」
 矩久だからこそ助右衛門が垣間見せた弱気だろう。矩久はフッと笑い答えた。
「今まではそうでしたが、ご家老がその道理を破れば宜しかろうと」
「ふっははは、お前らしい答えだな」
 助右衛門は善戦した。この東西の激突において発生した篭城戦において東では真田昌幸の上田城攻防戦、そして西では奥村助右衛門とその息子たちの舞鶴・小浜攻防戦が賞賛され語り続けられている。
 助右衛門は小野木勢を一度は敗走させているが、上田城攻めと違った点は舞鶴と小浜が敵中に孤立していると云うことである。すぐに編成を立て直し、かつ兵も補充して第二、第三とやってくる。しかも寄せてきたのは立花宗茂と鍋島勝茂である。さしもの精鋭揃いの柴田軍でも押されつつあった。士気も乏しくなってきた。
 立花宗茂は再三に渡り助右衛門に降伏勧告をしてきた。宗茂は九州と朝鮮で柴田明家と戦陣を同じくしているので明家の恐ろしさを分かっていた。東軍にいては厄介極まりない。だから宗茂は容赦ない攻勢に出て明家の居城を押さえ、西軍に引き入れることを目的としていた。もっとも彼の妻のァ千代は徳川に味方すべきと主張したのだが大名に取り立ててもらった秀吉への恩義を思うとそうもいかなかった。
「越前殿さえこちらに引き込めれば勝てる。秀頼様の出陣が成りさえすれば西軍の勝ちだ」
「そううまく行きますかどうか。東軍が勝てば結局は城を取り返されましょう」
 と、立花ァ千代。
「なんだと?」
「それに……兄の命令だからと申して、ハイそうですか、と幼い息子を戦場に出すほど淀の方は腰が抜けていません。母親の情と云うのを甘く見ているのではないですか?」
「…………」
「宗茂殿、今からでも間に合う。東軍となり、柴田勢に加勢なされよ」
「阿呆かお前は」
「何ですって?」
「この後に及んでそんな二股膏薬をすれば諸大名の信頼を失う。お前が言っているのは目先の利だけだ」
「目先の利ね……」
 ァ千代は鼻で笑った。
「分からなければ分からないでいい。とにかく立花は西軍を通す。お前も我が軍の武将として来ているのだ。オレの命令には従ってもらう」
「偉そうに……。かような出処進退を誤る殿御など立花の名に値せず」
「何だと!」
「命令には従いまする。しかしもしこのァ千代が正しかった時は覚悟されよ。斬る」

 助右衛門も城を落とすことが目的ではなく、主君明家を西軍に引き込むためと分かっていただろう。だからこそ、ここで城を取られ主君の決断を揺るがせてはいけない。そう思い戦い続けてきたが、やはり多勢に無勢であった。再三に降伏を勧告してくる西軍。助右衛門は決断を迫られる。矩久にサラシを巻いてもらいながら考える助右衛門。
「ご家老」
「ん?」
「我らはご家老に従います」
「…………」
「とうに我らはこの命をご家老にお預けしております」
「分かった。治療ご苦労、下がって休め」
「御意」
 そして翌日、奥村助右衛門は徹底抗戦を決意した。愚直と云える。しかし異議を唱える者は皆無だったと云われている。全軍を集めて言った。
「聞け皆! 生に涯あれど名に涯なし! この戦、我らいくさ人のひのき舞台だ!」
「「オオオッ!!」」
「我らは死兵にあらず、天下分け目の大いくさに挑む柴田軍が先陣である! 一歩たりとも退くでない! いくさ人の意地、貫き通せ!」
「「オオオオオオオオオッッ!!」」
 甲斐姫率いる忍衆も槍を掲げた。助右衛門に右目を軽くパチと閉じて開いた甲斐姫。その仕草が答えだった。
『我らは坂東武者の意地を貫き通します』
「姫……。ありがとう!」
 そして前を見つめた。助右衛門は輿に乗り、精強な力自慢の兵たちに担がれた。槍は使うことは出来ないが助右衛門は弓の名手でもある。輿から射続けるつもりだ。
「城門を開けよ!」
「はっ!」
「我に続けえッ!!」
「「「オオオオオオオオオオオオオッッ!!」」」
 城門が開かれ、奥村勢は突撃を敢行、鍋島勝茂が後年に鬼神の軍団と述べた突撃であった。助右衛門を担ぐ兵たちは『エイトウ、エイトウ』と鼓舞。奇縁にもその輿の担ぎ手の鼓舞は奥村勢と戦っている立花宗茂の養父であり、その妻のァ千代の父、立花道雪のものと同じである。苦笑する宗茂。
「味なマネを……。まさか敵勢が養父の鼓舞をやり、そしてそれに圧倒されようとはな」
「宗茂殿がやっても単なる物真似。敵将の奥村殿はまさに父の道雪を思わせる」
「へらず口を叩いておらんでお前も戦え!」
「……言われなくても戦う。父さながらの武人である奥村殿、立花が良き敵だ!」
 鍋島軍が切り崩され後退。そして奥村勢は立花軍に転戦、甲斐姫は獅子奮迅に戦う敵将を見た。
「立花ァ千代と見た!」
 異様な大業物『雷切』を使う立花ァ千代に対し、成田家伝来の大業物『波切』を手に甲斐姫が吼えた。
「ふん、女か」
「貴様だって女だ!」
「女にあらず、立花だ!」
「この甲斐こそが成田だ!」
 その言葉と同時に二人の女傑は相手に向かって刀を構えて走った。
「うなれ雷切!」
「吼えろ波切!」
 後に西のァ千代、東の甲斐と呼ばれた戦国の世でも稀な女同士の一騎打ちが展開された。双方一歩も譲らない撃ち合い。そして鍔迫り合いとなった。ァ千代の怪力に押される甲斐姫。
「秀吉に腰を使った女風情が立花に挑むとは片腹痛いわ!」
「それを申したな……! その言葉あの世で後悔させてくれる!」
 一太刀で刀身が叩き折られそうなァ千代の雷切の威力だが、甲斐の波切も負けていない。鍔迫り合いから離れ、距離を保つ二人。
「なかなかやる、しかし私とお前では実戦経験が違う。次はその首を落とす」
 鋭い目つきで甲斐を睨むァ千代。
(強い……! さすがはかつて殿もその武勇を賞賛しただけはある……)
 良人明家の顔がフッと脳裏に出たとき、甲斐は思い出した。それは明家の朝の稽古に付き合っていた時のこと。
『師の上泉信綱様からの教えなんだが、オレは膂力がない。大きい武人にはチカラではかなわない』
『はい』
『だから強敵に対したときは刀を振り下ろしても弾かれてしまう』
『では殿はいつもどうされているのです?』
『敵に対したら迷わず突く!』
 甲斐の剣の構えが変わった。ァ千代も気付いた。次の瞬間、静かに前のめりになったと思うと
「…………!!」
 刀の切っ先はすでに眼前、ァ千代の兜が吹っ飛んだ。辛うじて直撃は避けたが頬から出血。
「おのれ……!」
 その時、立花と奥村双方から退き太鼓が鳴った。当主正室のァ千代がこの太鼓を無視は出来ない。
「ちっ……。何から何まで気の利かぬ亭主じゃ」
 ァ千代は雷切を収めた。
「悪いが撤退せねばならん。そなたの軍も同じようじゃ。退かれよ」
「命拾いなさいましたね」
「さあ、それはどっちだか、何にせよ」
 甲斐にニコリと笑ったァ千代。
「よき戦であった。立花の敵に相応しい」
「応」
「武人らしからぬ暴言を吐いたことを詫びる。許されよ」
「坂東武者は昨日の天気はクチにしませぬ」
 フッと笑ってァ千代は陣に返した。甲斐姫も撤退。奥村勢は西軍を押し捲った。大勝利である。兵を戻し舞鶴城の門を閉じた。
「蹴散らしましたなご家老」
「ふむ、矩久帰って来たのは?」
「心配無用、大半は生還しました」
「姫は?」
「あのァ千代姫と一騎打ちし、兜を吹っ飛ばしたそうな」
「士気があがるまたとない朗報だ。翌日も突撃するゆえ、飯を腹いっぱい食わせ、たっぷり睡眠を取らせろ」
「はっ!!」

 その夜、助右衛門は伏せていた。妻の津禰が寄り添う。
「津禰、明日の突撃がワシの最後の戦となろう」
「そんなことを申さないで下さい」
「討ち死にをすると言っているのではない。勝とうが負けようがオレはもう隠居して兵馬に家督をゆずる。殿もご了承済みだ」
 安堵する津禰。そういう意味だったのかと。
「兵馬に隠居館を建ててもらい、そこで二人で暮らそう。孫たちの面倒でもみながらな」
「はい」
「津禰」
「はい?」
「どんな結果になろうとも、殿をけして怨むでないぞ」
「え……」
「オレは本当に嬉しい。この舞鶴での戦、男の花道よ」
 そう言って助右衛門は眠った。津禰は寝息を立てて戦の疲れを癒す良人をずっと眺めていた。翌朝、再び突撃すべく準備をしている時であった。妻の津禰の給仕で食事をしていた助右衛門の元に矩久が駆けてきた。
「ご家老―ッ!」
「ふむ、出撃準備は整えたか」
「それが……」
「どうした?」
「寄せ手の西軍から和議の使者が!」
「…それはこちらの様子を探りに来たのだ。追い返せ」
「い、いやただの和議の使者ではなく…」
「ん?」
「朝廷の仲立ちによる和議の使者にございます」
「な、なんだと?」
 城門に赴き、使者を迎えた助右衛門は驚いた。錦の御旗を立てた朝廷の一団。その中にとんでもない大物がいた。
「おお、奥村殿。久しぶりだな」
「菊亭晴季殿!」
 菊亭晴季、彼は豊臣秀吉と親密な間柄であった。秀吉は織田信長の後の天下人となるべく征夷大将軍の任官を受けようと考えた。それで源氏の足利義昭の猶子になろうとしたのだが義昭の拒否にあい将軍就任をあきらめざるをえない状況になった。その時に晴季が関白任官を提案し、秀吉を関白太政大臣にすることを成功させた。以後は朝廷と豊臣家の間で重きをなすが、彼の娘が羽柴秀次の正室として嫁ぐと影が差し出した。
 秀次謀反の連座によって失脚。晴季は我が身がどうなっても愛娘だけは助けたく、秀吉に娘の命乞いをしたが秀吉は聞き遂げず、そのまま彼の娘『一の台』は処刑場の露となるところだった。娘を溺愛していた晴季の嘆き悲しみは並大抵ではなかった。
 しかし処刑寸前に刑場に殴りこみ、秀次の愛妾や子供たちをアッと云う間に連れ去ってしまった一団がいた。柴田勢である。晴季の喜びようは大変なものだった。その後しばらくして晴季は許され、再び右大臣となった時、秀吉には内密に晴季を経て後陽成天皇から感謝状が届けられたという。明家から一の台は父の元に帰された。元気な娘を見て改めて彼は明家に感謝した。
 そして今回の日本の大名が東西に分かれて天下分け目の戦いの様相。朝廷は傍観を決め込んでいたが明家の領国の丹後若狭が危ういと知るや、菊亭晴季は今こそ越前殿に報いる時と、朝廷工作に奔走し、元々側近の菊亭晴季の娘を救出した柴田明家に好意的であった後陽成天皇は丹後若狭に寄せる西軍に勅命を下す。
『全軍、丹後若狭より撤退せよ。この勅命に背く者は朝敵と見なす』
 奥村助右衛門と松山矩久も驚いたが、寄せ手の西軍の驚きはさらにであっただろう。前代未聞の天皇の仲裁である。立花宗茂にとって敵の首に手が差し掛かっている時に突如降ってきた勅命。無視したかったが一天万乗の天皇に逆らえば朝敵である。しかも勅使は菊亭晴季自身。
 しかし城攻めをやめるわけにはいかない。それを聞いた西軍総大将の毛利輝元が使者を出して『勅使に従うように』と通告してきた。毛利家は元就の時代に『朝臣(あそん)』の称号を受けているため朝廷と深い繋がりがある。宗茂の独走を許すわけにはいかなかった。歯軋りするも宗茂は受け入れるしかなかった。無念の良人宗茂の横顔を見るァ千代。
(言わんことじゃない、東軍につけば良かったのだ……。いやそれは思うまい。こんな停戦など誰も想像もつかん)
 西軍は勅命通り全軍が撤退した。ァ千代は舞鶴城に振り向いた。
(もう私が雷切を振るうこともあるまいな。今度は友として会いたいものじゃ甲斐殿)

 舞鶴の櫓から西軍の撤退を見つめる甲斐姫。
(私がもう戦場に立つことはない。しかし最後の戦で貴女のような女傑と戦えて本当に良かった)
「終わりましたな姫」
 と、正木丹波。
「うん」
「戦の後始末が終わり次第、我らは武州に帰り、土と暮らします」
「ここにいてはくれないのですか?」
「はい、故郷で土と暮らします」
「そうですか……」
「姫」
「ん?」
「我ら、今回の参戦の褒美をちょうだいしとうござるが」
「うん、何とか殿に頼んでみます」
「姫にしか与えることはできませぬ」
「え?」
「お父上、氏長様を許してあげて下さらぬか」
「……できません。ほかの褒美にして下さい」
「ほかはいりませぬ。それしか望みませぬ」
「ずるいですよ丹波」
「口止めされていましたが申します。我ら全員に忍から舞鶴までの路銀を下されたのは氏長様です。烏山から忍にまで来て、娘を助けてほしいと頭を下げてそれがしに望まれました」
「……そんなことは分かっていました」
「え?」
「丹波、そなたが持参してきてくれたこの甲冑と波切は成田家の家宝。父上の許しなしに持ち出せるわけがございません……」
「……ま、まあ確かに」
「知らぬふりを通そうとしていたのに……」
「そうは参りませぬ。聞いていただきます」
「…………」
「姫とて、お父上に褒められたいから、よくやったと言ってほしいから屈辱の日々にも耐えられたのでございましょう。たまたま誤解があっただけではござらぬか。お父上とてもう還暦間近、このまま憎んだままで、もし父上が身罷れば一生後悔するのは姫自身ですぞ」
「坂東武者のくせにいつの間にそんなに弁舌巧みになって! もういい分かりました!」
「姫……」
「父上を許します。この東西の戦が終わったら一度烏山に参ると申して下さい」
「良かった……! よき土産が出来ました!」
「礼を申すのは私の方です。ありがとう……」
「お父上も喜びましょう」
「再会する時は孫を見せたいものです」
「それは……! もうお腹にややが!?」
「気の早い。懐妊などしておりません。これから殿にもっと励んで仕込んでもらわないと」
 櫓の上で甲斐姫は明家のいる東方に叫んだ。
「殿―ッ! 早く帰って来て私と子作りに励むのですよーッ!!」

「大きい声でまあ、ご家老、坂東の娘は惚れた男には積極的なようですな」
「そのようだな」
 城門にいた助右衛門と矩久は苦笑した。
「しかしご家老、殿の刑場荒らし。聞いた時はどうなることかと皆でヤキモキしていましたが、殿のあのおりの決断があったればこそ、朝廷を動かしたのですな」
 あの柴田明家の刑場荒らしを伝え聞いたとき、国許の家臣たちはビックリ仰天したらしい。
「そうだな、まったく殿は大した方よ。戦場におらずとも我らに勝利をもたらす」
「申し上げます」
 助右衛門の使い番が来た。
「うむ」
「小浜城に寄せていた敵勢も退却しました。若殿たちが防ぎきりました」
「そうか、何よりの朗報。丹後若狭は何とか国難を乗り切ったな矩久」
「はい、さて殿の戦いはいかが相成っているか」
「慶次、鹿介がついているので心配いらん。我らは西軍に荒らされた領内を立て直し、そして元通りにして殿を出迎えようではないか」
「はっ!」
 しづは西軍の退却を知るや、兵の救護室で倒れた。今まで不眠不休で負傷兵を手当てしていたのだ。床に伏せるや、すぐに眠ってしまった。いやしづだけではない。しづの母のみよも、勝秀正室の姫蝶、助右衛門正室の津禰も喜ぶ声をあげる間もなく倒れて眠った。みな安堵に微笑む良い寝顔であった。しづは寝言で
(殿、早く帰って来てしづを抱いてください……)
 と、言っていたらしい。

 小浜城、西軍の度重なる攻撃にさらされるが、兵馬は寡兵を指揮して何とか防ぎきった。兵馬は陣頭の猛将と云う性質で篭城戦の指揮には不向きだったかもしれないが、とにかく小浜城は士気が高かった。城下町の領民が後方支援を務め、そして武器をもって戦った。この戦いは戦国民の強さも示した戦いとも言えた。
 やがて舞鶴と同じように西軍は退却していった。大勝利であった。彼は弟たちとチカラを合わせて見事に父の居城を守りぬいたのだ。西軍が退却した日の夜、兵馬は自室で妻とくつろいでいた。
「殿、やりましたね」
「ああ糸、そなたがオレを支えてくれたからだよ」
「ところで殿」
「ん?」
「菜乃さんの言葉の意味を教えて下さい」
「舞鶴の父上は元気かな」
 さりげなく話をそらそうと図る兵馬。
「菜乃さんの言葉の意味を教えて下さい」
「おお、聞いたか。殿の側室の甲斐御前は巴御前さながらの活躍だったらしいぞ。しづ御前もまあ将兵の手当てなどで大活躍されたそうで」
「菜乃さんの言葉の意味を教えて下さい」
 観念した兵馬は言った。
「……仇討ちの帰途中、菜乃と一夜だけだが寝た。その前についポロリとお前の肢体と比べて貧相だと言った。それだけだ」
「……私が一日千秋の思いで殿の帰りをお待ちしていた時に……よその女と」
「だから言いたくなかったんだよ!」
「……歯をくいしばって下さい」
「え?」
 翌日に兵馬の顔がたらふく腫れていたのに誰もが気付いたが、詳しくは聞かなかった。聞けなかったとも云うが。


第二十六章『家康着陣』に続く。