天地燃ゆ−史実編−
第十一章『宇治川の治水』
柴田越前守明家の嫡男、柴田丹後守勝秀、彼は唐入りに行かなかった。当初は初陣だと張り切っていたが、明家自身が気の進まない戦であり、かつ日本と気候風土が違う朝鮮では病も怖い。親子揃って敵地で陣没でもしたら柴田は終わりである。だから息子は残したのだ。
だが、勝秀には仕事が課せられた。秀吉が伏見の地に城を建てて自分の隠居城と定めた。築城は他の大名が担当するが、それに伴い宇治川の治水が柴田家に下命されたのである。宇治川は時に氾濫し人々を脅かしていた。この暴れ川があるかぎり伏見の地は要衝にならない。明家は息子の勝秀に宇治川の治水を命じたのだ。母親のさえは反対した。元服したての勝秀には荷が重いと。しかし勝秀はそんな母親の心配など他所に大喜び。朝鮮に連れて行ってもらえず落胆していたところに大役を与えられた。喜び勇んで家臣を引きつれ宇治川へと向かった。
やがて明家は朝鮮から戻り、領国の丹後若狭に帰った。柴田将兵は先に帰っていたが明家は豊臣家への雑事とさえに会うためにわずかな手勢を連れて大坂へ行っていた。君主の無事な姿を見せて民を安心させるため、明家は舞鶴より先に小浜城に行き民の拍手喝采に迎えられた。城主の奥村助右衛門が出迎えた。
「殿、お帰りなさいませ」
「そなたも息災で何よりだ」
馬から降りた明家は助右衛門の後ろにいる三人に気付いた。気心の知れた男たちであった。
「兵馬、静馬、冬馬」
「「ははっ」」
奥村兵馬栄明、奥村静馬易英、奥村冬馬栄頼の三兄弟。彼らは奥村助右衛門の息子たちである。
「朝鮮では父の助右衛門とオレを助ける見事な活躍であった」
「「ははっ!」」
「おって恩賞をとらせるゆえ、楽しみにしていよ」
明家は末っ子の冬馬の前に立ち止まった。
「冬馬」
「はい!」
「家臣とケンカしたそうだな」
「は、はい」
「しかもその家臣はそなたの妻の兄と聞く。妻が悲しむことをしてはいかんな。オレがあまり言えた義理ではないが」
「は、はい! 落ち度はそれがしにありますので、すぐに詫びます」
「そーだ、柴田家の気風は尚武と騎士道だ。女子を大切にするのが誇りだぞ」
七つ年下の弟分の右肩を力強く握り、そして城内に入って助右衛門と話す明家。
「……助右衛門、あくまでカンだが、もう一度唐入りはある」
「…………」
「和平交渉は決裂となるだろう」
「左様にござるか……」
「オレはまた大坂に行かなければならない。そなたに留守を押し付けるばかりか……再び唐入りの軍備を頼む事に相成りそうだ」
「ご安堵なされませ。滞りなく済ませておきまする」
「頼りにしている」
「さあ、早く舞鶴の民もご安心させて下さいませ。ずいぶんと舞鶴の民は国主の顔を見ておりませんぞ」
「そうだな、では小浜の城、今後も頼むぞ」
「はっ!」
明家は舞鶴に帰った。国主を見ようと城下町の大通りは人で溢れた。一人の少女が花を持って馬上の明家に捧げた。
「お帰りなさいませ、お殿様」
花を受け取る明家。
「これは嬉しい、城にて活けさせてもらおう」
「ありがとうございます」
無事に帰ってきた良人に姿に喜ぶすず。杖をもって城の入り口に立って待っていた。
「すず……」
「殿……」
歩行不自由なすずを両手で抱き上げた明家。
「足と傷跡の具合はどうか」
「はい、今は温暖ですし痛みません」
「良かった。今宵は語り合おう」
「はい」
とはいえ、そう領国に長居も出来ない明家。溜まっていた国主の決裁や唐入りの戦死者の葬儀を済ませると、とんぼ帰りして大坂に向かい柴田屋敷に到着。
そして翌日、さえと共に息子勝秀の行っている治水現場へ行った。明家とさえが来る事は勝秀には知らされていなかった。この宇治川治水、本来ならば明家が指揮を執らなければならなかったのであるが彼は唐入りの合戦のため朝鮮に行かなければならなかった。だから明家は息子に任せたのである。秀吉は
「十五の子供では荷が重い。ワシが朝鮮にそなたが行くと知っても柴田に命じたのは、治水名人のそなたの事ゆえ重臣たちに治水巧者がいるであろうと見たがゆえ。息子に命じるとは何を考えているのか」
と言った。明家は返す。
「豊臣の大事な治水工事であるのは重々承知していますが、同時に息子に厳しい試練を課したいと存じます。もし息子がどうしても出来なければ帰国後にそれがしが指揮を執ります」
「『ことは何ごとも一石二鳥にせよ』隆家殿の言葉だったな」
「はい」
「なるほど、治水工事は良い試練となるからのう」
「その通りです」
「まあ、結果そなたが手を加えるのであれば良い出来栄えとなろう。好きにせよ」
「はっ!」
その秀吉とのやりとり、明家は屋敷でさえに言っていた。
「ではもし……。勝秀の治水が落第ならば殿がおやりに……」
「そうなるな……。丹後若狭の治水なら出来るまでやらせる。しかしこれは豊臣の治水だ。出来ませんでしたでは済まない」
何より、朝鮮に渡る前に見た秀吉と拾(後の秀頼)と云う世継ぎが出来た今の秀吉は大きく違っていた事に明家は気付いてもいた。唐入りをどんなに諌めても聞く耳持たなかった秀吉ではあるが、他の政治や軍務の意見は聞き入れる姿勢はあった。
しかし今の秀吉にはそれがない。今は針の先ほどの失敗は出来ない。息子の試練としてやらせてみた治水工事であるが、報告では勝秀は割普請も上手く活用できず、河川に沿った治水術で対応できなかったと云う。明家は自分がやるしかないと思い、舞鶴を出てきた。
「でもそれでは勝秀は自信を無くしてしまいます。せっかくの試練が裏目に出てしまいます」
「どうせよと言うのだ……。オレが朝鮮に行っている間、まったく出来なかったようだぞ」
「殿が勝秀の器量以上の仕事をお与えになるからではないですか!」
「何だと!」
「……確かに勝秀には治水の知識はありましょう。幼い頃から殿や治部少殿に仕込まれていたのですから。しかし机上と現場は違います。殿は同じ十五で大規模な城の改修も治水も開墾もやり遂げました。しかしそれを息子に望むのは父親の身勝手です!」
「…………」
「最後まであきらめなかったこと、そして失敗だらけでも上手く出来たところだけは褒めて、そしてどうにか勝秀がまっとうできるよう、影ながら指示をお与えになって下さいませんか」
「そんな甘い母親でどうするのだ」
「お願いです……! 勝秀はクチにはしませんが祖父と父の大きさに萎縮しています。それが最初の主命で大失敗して父親に叱責された挙句に任を解かれ、尻拭いしてもらってはどんなに傷つくか……」
「その大失敗を糧としてだな……」
「お願いです……!」
「……分かったよ」
大坂屋敷からここに来るまでの道中でも、さえは念を押してきた。
「殿、けして叱らないで下さいよ。勝秀にも家臣たちがいるのですから」
「分かっている」
治水現場に到着した明家とさえ。現場にいた柴田家臣は血相を変えて工事の本陣にいる勝秀の元に駆けた。
「わ、若殿―ッ!」
「なんだ?」
「大殿様と御台様がお越しにございます!」
「え!」
馬を降りて、さえと共に現場を歩く明家。さえは良人の顔を見る。渋い顔つきであった。さえの経験上、この顔は怒りを堪えている顔だ。
「さえ、どう思う」
明家が訊ねた。
「わ、私は治水は素人でとんと……」
「いいから申してみろ」
「……現場に活気がありません」
「それに加えて統率が取れていない。この工事はかつて治部がやった九頭竜川の治水に比べれば規模は八分の一ほどでしかない。だからこの治水は柴田一家だけが命じられた。たった兵五百が統率できないのかあいつは!」
その兵五百にも当主明家が来たと伝わり、慌てて工事を始め出した。それまでは怠けていたのである。
ちなみに言うと柴田の工兵隊は明家と共に朝鮮に行き、一人もこの現場には来ていない。朝鮮に行った柴田工兵隊の頭領はしづの父親の鳶吉であったので辰五郎は残っていたが、高齢のため舞鶴ですでに隠居して工兵隊の頭領を辞している。辰五郎は若殿のために働きたいと申し出たが、辰五郎がいたら勝秀は彼に頼りきりとなり試練の意味がない。辰五郎が仕切れば三ヶ月で終わってしまうほどの治水工事なのである。明家は辰五郎の申し出を丁重に断り、あえて息子に振り出しの状態から始めさせた。かつて自分が辰五郎を登用したときのように、頼りになる職人は自力で見つけて欲しかったのだ。
豊臣秀吉の伏見城移転に伴い必要となった治水工事。その工事の大筋の行程は、槇島の地に堤を築き、京都盆地に流れ込む宇治川の流れを直接巨椋池に流れ込む形から伏見への流れに変える事であり、伏見と淀の間の宇治川右岸に堤を築き川の流れを安定させる事が目的である。秀吉は
『伏見に城を築こうと思うが、時に氾濫を起こす宇治川が問題だ。あれを何とかすれば伏見は交通の要衝となる。大河ではあるが九頭竜川に比べれば大した事はあるまい。柴田で治水せよ』
と、具体的な指示は明家にしていない。何とかせよ、だけである。明家は工兵隊長の鳶吉と現場を歩いてみたが、さほど困難な治水とはならないと判断。
そしてその後に勝秀も連れて現場を見て歩き、治水計画書を提出させた。おおむね明家と鳶吉の思案した事と一致していた。勝秀はさえの言うとおり、治水に関する知識は父の明家と石田三成に仕込まれていた。秀吉の勧めで少年期に豊臣家へ修行に来て、石田三成が師につけられ政治の運用や治水術を仕込まれていた。治水術は何ごとにも通じる知識となる。三成は旧主明家の息子に九頭竜川治水などで得ていた治水知識を惜しみなく教えたのである。だから知識だけはある。明家や鳶吉のような熟練した治水巧者と同じ計画も齢十五歳で立てられる事が出来た。しかし結果は落第である。明家は現場の河川敷で落胆の溜息をついた。
「あいつは柴田の趙括か!」
趙括とは中国の戦国時代の趙国にいた名将趙奢の息子で、理論だけなら父を論破するに至る兵法家であったが父の趙奢はけして息子を認めず、
『あいつが趙国の軍を率いたら国を滅ぼす。理論だけが先に立つ。ワシの死後にけしてワシの後を継がせて将軍にしてはならない』
と、妻、つまり趙括の母に言っていたが結局趙の国王は趙括を将軍に据えてしまい、趙括は無謀な合戦を秦に対して挑み大敗、趙国の滅亡の起因となった。明家は息子の勝秀をその趙括に例えたのである。『チョーカツ』とは何ぞや? とさえは良人に訊ねた。それを聞くや良人に怒鳴った。
「それは言いすぎです! たった一度の失敗ですべてを判断なさるのは大間違いです! かつて殿は北ノ庄城壁工事で一番働きが悪かった鳶吉殿をどう評しましたか?『不器用者は一流になる原石』と申しました。いま鳶吉殿はどうしています? 殿の工兵隊の頭領ではないですか! 殿は亡き勝家様さえ認めた人材再生の達者ではなかったのではないですか? 北ノ庄の不良少年三百名が今どうなっていますか? 今では柴田の柱石たちです! 殿はやさぐれていた吉村直賢殿さえ蘇らせました。あの頃の殿の『化けさせがいがある』の言葉は国主となったら消えてしまったのございますか? 殿は『歩』を旗印にしておきながら歩の心を忘れています! むしろこの大失敗は勝秀を一級の大将にさせる好機! 化けさせなさい水沢隆広!」
呆然として妻の言葉を聞いた明家。目からウロコとはこのこと。一つ深呼吸し、明家は両頬を自分で叩き、そしてさえに頭を垂れた。
「よう申してくれた。そうか、オレが化けさせればいいんだよ! 簡単じゃないか! あっはははは!」
「父上! 母上!」
「おう来た来た!」
勝秀は父母の前で平伏した。勝秀の家臣たちも同じく平伏する。勝秀の背は震えていた。どんなに父に叱られるか。父が朝鮮の地で命がけの合戦をしていたと云うのに自分の成果は無だった。勝秀は人の使い方などは明家から教えられていない。三成も教えなかった。どうしてかと三成に訊ねると
『教えられて会得できるものではない。父上の背中から懸命に学べ。父上ほど人使いの師はいないぞ』
と三成は答えた。以来、父の明家を師とも思い、父のやりようを学んできた。どうすれば人心を掴めるのか、部下を統率できるのかと。しかしその教訓は活かせられなかったようだ。勝秀は父がくれた大役を喜んだ。父の柴田明家は治水、開墾、築城をやらせれば当代五指に入る人物である。その父から任せられた。絶対に上手くやり遂げて認めてもらいたい。父母に褒めてもらいたい、その一心が先立ち焦ってしまったのだ。
明家が例えに出した趙括よろしく理論が先立ち、ただ指示を出して、やれと言うばかり。何を学んできたのかと言いたくなるような人の使い方である。指示は遂行されず苛立つばかり。無駄な時間と費用だけがかかってしまった。叱るなと言われていたが、ここで何の責めをしなくては示しがつかない。
「この馬鹿者が!」
「は、はい……!」
「今まで何を学んできたのだお前は!」
「と、殿……。お約束が……」
「黙っていよ!」
「は、はい……」
「伏見の城は完成間近であるぞ。なのに宇治川の大暴れを治めずして太閤殿下を迎えられるか!」
「も、申し訳ありません……!」
「大殿! これも若殿に仕えし我らの不甲斐なさゆえ! なにとぞ責任は我らに! 若殿には寛大なご処置を……!」
勝秀に仕える家臣たちは柴田勝家の直臣たちの子弟である。賤ヶ岳や北ノ庄で討ち死にした中村文荷斎・武利親子、徳山則秀、拝郷家嘉、毛受勝照・茂左衛門兄弟、原彦次郎、柴田勝政の子らである。さらには柴田勝豊の二人の息子や佐久間盛政の甥なども仕えていた。主君勝秀と共に幼い頃から柴田家で厳しく養育されていたが、今回の治水では主君同様に失態を繰り返し、五百の兵さえも統率できず醜態をさらした。しかし内心明家は、この若者たちもこの機会にしつけてやろう、と考えた。
「たわけが! 罰する時間などあるか! 過失は成果によって挽回しなくてはならない! すぐに始めるぞ!」
「「は……?」」
「もう一度、オレ自らお前らを鍛え直してやる! 何ボケッとしている! 来い!」
「「は、はい!」」
明家はすぐに本陣に行き、今までの工事行程を詳しく聞いた。穴だらけだった。
「うん、おおむねは分かった」
「父上……。すみません」
「何度も言わせるな。過失は成果によって挽回しなくてはならない。詫びるに及ばない」
「はい……」
「丹後(勝秀)、勘違いするなよ。オレは現場監督の椅子を横取りしにきたのではない。まあ少しの手助けをしにきただけだ」
「はい」
「ここではオレはお前の補佐に入る。分からない事があったら訊ねよ」
「では……さっそく」
「なんだ?」
「どうすれば…兵をまとめられますか」
「……石田殿にそれを聞いたことは?」
「あります。しかし、教えられて会得できるものではない、父上の背中から学べと仰せでした」
「そうか。ではそうしろと言いたいところであるが、今後のため教えてやろう」
「は、はい!」
「礼記にこうある『下の上に事うるや、その令する所に従わずして、その行う所に従う』とな。丹後、部下と云うものは上の命令に従うよりは、上の者のやっていることを見習うものだ。まず上に立つ者が範を示さねばならない」
「上に立つ者が範を……」
「苦労は率先して担い、手柄は部下に与えるのが将の務めだぞ」
「は、はい! オレ間違っていました! 正しい指示だけ与えていれば良いのだと!」
「その正しい指示だがな」
「はい」
「お前は理論立てて治水行程の指示をしたであろう」
「……その通りです」
「それがダメだ。太閤殿下は『難しいものを難しくしか言えない者は阿呆』と言っているが、オレも同感だ。部下たちに分かりやすいもので言わなければダメだぞ。治水の命令は『埋めろ』『運べ』『作れ』くらいでいい」
本陣の入り口で息子を教えている良人を見つめるさえ。ホッとした。父と子の邪魔をしていけないと、さえは大坂屋敷へ帰っていった。
勝秀は変わった。彼は最初に五百の兵に詫びた。心得ない指揮で申し訳なかったと。これからは自分も一緒になって作業に励むから協力して欲しいと。勝秀は大きい絵図を描いて、改めて工事の流れを噛み砕いて説明。絵図を指して、ここに土を入れて、堤を築いて、流れを緩やかにする、と。明家はその席に立ち会っていない。
明家はそのまま現場に泊り込んで、勝秀を助けて治水に励んだ。何か懐かしい気持ちになった。かつて父の勝家に仕えていたころ、泥だらけ、汗だくになって治水工事に励んだものだった。今の勝秀はその姿をしていた。
近隣の土木職人にも声をかけて積極的に雇った。水沢隆広と辰五郎の出会いのように、職人たちは若い勝秀を軽視していたが、勝秀は短気を起こさなかった。むしろ若僧であることを利用した。職人たちの前で見ていられないほどの不器用さで仕事をした。怠けていた職人たちはいいかげんイライラして『もう見ちゃおれない! オレたちに任せてガキは引っ込んでいろ!!』と自発的に仕事をさせることに成功している。
そうきたか、と明家は素直に感心した。『オレたちがやってやらなきゃ何も出来ない』と思わせるのは最大の叡智とも云えた。
勝秀の家臣たちも懸命に若き主君を補佐した。今まで兵たちを怒鳴るしかできなかった彼らだが明家の一言。
『オレはお前らの親父が家臣を理不尽に怒鳴ったところを一度も見たことがない』
これが効いた。金槌で殴られたほどに堪えた。自分たちが情けなくて涙が出た。エリを正し、彼らもまた五百の兵に詫びた。現場の空気は変わった。勝秀は秀吉と明家の得意技である割普請を上手に活用し始め、話し合って治水方法を論じた。出番がなくなった事が明家は嬉しかった。黙って明家は大坂屋敷へと帰っていった。それからしばらくして
「申し上げます」
「うん」
「宇治川治水工事、完了いたしました」
さえの給仕で食事をしていた明家、さえと笑顔で顔を見合った。
「相分かった、昼食後見分に参ると丹後に伝えよ」
「ははっ!」
「殿、やりましたね」
「ああ、これもさえのおかげだ」
「え?」
「あの時、そなたがオレの父親の身勝手を叱ってくれなければ……勝秀の任を解いてオレが工事をやってしまっただろう。勝秀は傷つき、勝秀の家臣たちも使いものにならなくなったかもしれない。今回一番良い結果を得られたのはさえのおかげだ。ありがとう……」
「殿……」
「勝秀の家臣たちの父は、オレを育ててくれた柴田の怖い重臣たちだ……。これで少し恩返しも出来た。親父様たちに……」
涙ぐんでいる明家、息子と勝家重臣の子らの任務達成が心底嬉しかったのだろう。
「さえに何か礼をしたいな」
「いりません。勝秀が見事にお仕事を成し遂げたこの満足感、母親としてこんな贈り物はないです」
「父親としてもだよ、あっははは!」
明家とさえは宇治川に向かった。工兵隊の鳶吉も一緒に来ていた。そして到着して
「見事だ……!」
そう発した明家。
「父上、母上! ようこそお越しに!」
勝秀が出迎えた。
「よくやったぞ丹後!」
「はい!」
「よくぞやり遂げましたね、母は嬉しいですよ!」
「はい!」
明家は鳶吉を伴い、宇治川を見分。川の流れは緩やかになっている。堤も堅固そうである。
「……見事にございますな。まるで殿か辰五郎親方の仕事を見るようにございます」
「うん、しかし終わりは始まりでもある。この仕事の成就で浮かれぬようにしなければな」
「仰せの通りにございます」
「今度は領内で開墾でもやらせてみるか……。水を引けそうな不毛地帯を見つけてな」
「良いかと思います。美田を与えられれば民は大喜びします。若殿に対する民心も上がりましょう」
「そんな時間があればの話だが……」
「は?」
「いや、何でもない」
勝秀は久しぶりに大坂屋敷に帰ってきた。すると
「殿―ッ!」
「姫蝶? 舞鶴から来ていたのか!」
「はい!」
そう言うや、勝秀に抱きついた姫蝶。どこかの夫婦と同じような熱さである。
「会いたかった姫蝶〜! さっそく子作りしよう!」
「夜まで待って下さい」
「久しぶりだから、もうガマンできないよ!」
それを遠めに見ていた明家とさえ。
「くすっ、父親にそっくり」
「オレは帰宅と同時に求めたことなど……何度もあるな」
「はい、いまだに、うふっ」
苦笑して明家は若い夫婦の邪魔にならないよう、妻の肩を抱いて屋敷の中に入っていった。柴田家のほんのひと時の幸せであった。
やがて伏見城も完成、秀吉も勝秀の治水工事に満足し、秀吉自ら勝秀を褒めた。
「祖父と父の名に恥じぬ仕事振りじゃ。褒めてやろうぞ」
「はい」
「よい武将となるであろう。秀頼にしっかり仕えよ」
「承知しました!」
「うんうん、城は出来て治水も完了! 豊臣政権はいっそう磐石じゃ! わっははは!」
秀吉に頭を垂れながら明家は不安にも思っていた。この時期、明と朝鮮との条件の相違から、秀吉と明・朝鮮の和議が決裂していたのである。ある程度予想はしていたが、悪い予想はよく当たるものだ。的中してしまった。秀吉は再度の唐入りを布告した。『慶長の役』の発端である。
それを聞くや、明家は伏見城に登城し懸命に秀吉を諌めた。『国力を落とすだけで、百害あって一利なし』と必死に止めた。しかしもう秀吉は聞く耳持たない。
石田三成も明家と意見を同じくして懸命に諌める。だがもう秀吉は二人の意見に耳を貸そうともしなかった。再度の唐入りを止められなかった無念の明家。肩を落として屋敷に戻り、家族とも会わずに部屋に篭ってしまった。
しばらくして山中鹿介がやってきた。会おうとしなかった明家だが、火急の、かつ重大な知らせと鹿介が言うので会った。彼からもたらされた知らせは明家をさらに落胆させることであった。
「関白殿下(豊臣秀次)が謀反だと!?」
明家は驚いた。
「誰がそんな讒言を申し立てた!」
「分かりませぬ、しかし太閤殿下はそれを鵜呑みにし、関白殿下に申し開きをしにまいれと!」
と、山中鹿介。
「治部少が必死に冤罪であるのを訴えたそうにございますが……もはや聞く耳持たずとのこと」
「関白殿下はそんな大それた事をする方ではない! 太閤殿下をお諌めしなければ!」
すぐに城に向かおうとして走り出した明家の着物を掴んだ鹿介。
「何をするか!」
「ムダにございます! 冤罪である事を一番分かっているのは太閤殿下当人! しかし実子の拾様を跡継ぎにしたい太閤は冤罪と知ったうえで関白殿下を殺すつもりなのでございます!」
「…………」
「麒麟も老いては駄馬にも劣る……! 今の太閤はまさにそれにございます! 利休殿もその駄馬の狂った判断で殺されたも同じ! 今、関白殿下を庇えば『もったいない越前』とまで言われ嘲笑された殿の苦労は水泡に帰しますぞ!」
朝鮮出兵を反対していた利休は明家が朝鮮で戦っている間に秀吉に処刑されていた。それを知り激しく落胆していたが、今度は秀次。肩を落として座る明家。
「……豊臣はもう終わりだ。また乱世に戻る……! 何が大老だ! オレは何のために父母の仇に仕えてきたのだ……!」
秀吉から柴田家に朝鮮に出陣せよと命令が来たのは、この翌日であった。
豊臣秀次、後世では殺生関白などと言われているが、それは秀吉の行為を正当化させるために捏造されたものにすぎない。秀次は合戦の才能はなかったが、為政者としては民政にチカラを注ぎ、かつて彼の領国であった近江八幡では彼の作った用水路が今も残る。関白となってからも政治のありようを学び、秀吉の立派な後継者になろうと懸命であった。
確かに側室は多く、色狂いと云う一面はあったに違いない。可児才蔵に仕官溝(他家に仕官するのを差し止める)をやる度量の狭い事もした事もある。だが別にそれが秀次の為政者として失格の烙印となるものではない。明家の妹の江与を側室として欲したのも色欲からではなく、知恵者であり自分を認めてくれている明家と義兄弟になりたかったからなのである。
そして秀次が秀吉に謁見した。もう死を覚悟している秀次。秀次の傍らには彼に仕える山内一豊がいる。
「秀次、何か申し開きがあるのなら申せ」
「何もございません。叔父上は元々それがしを殺すつもりでございましょう」
「……ふん」
「もはやジタバタいたしません。されど関白として最後の仕事をいたします」
「何じゃ」
甥の真剣な眼差しでさえ見ようともしない秀吉。
「太閤殿下、唐入りはおやめなさい」
「なにィ?」
「越前守が申したとおり、百害あって一利なし、豊臣家は、この国は無謀無策の外征によってガタガタになりますぞ!」
「だまれ!」
「この侵略により朝鮮や明は日本への怒りをけして忘れますまい。百年先二百年先、我ら日本の民は海を隔てた隣国にずっと怨まれるのですぞ。豊臣秀吉は後世の人々にどう弁解するのでございますか! どう許しを請うのですか! 豊臣秀吉は日本の恥だ!」
「…………」
山内一豊は止めなかった。いや止められなかったと言うべきか。すべての者が秀吉に逆らえない今の世、甥であり、一時は世継ぎと目された秀次が死を賭して訴えていること。止められるはずがない。
「さあ殺せ、老醜さらすクソザルが!」
「どうせ死ぬのなら言いたい事を言ってやる……か。ワシが日本の恥、よう言うた、よう言うた」
「もう顔も見たくないし、声も聞きたくない。自分で勝手に死ぬ」
「秀次様!」
「対馬(一豊)、今までよう仕えてくれたな」
「……秀次様!」
「このバカ叔父が天下人にさえならなければ、オレは貧しいながらも幸せに尾張中村で百姓をしていられたのに……。こんな外道のおかげで……オレの人生はメチャクチャだ。神も仏もないわ!」
そう言って秀次は隠し持っていた自決用の小刀で心臓を一突きし、果てた。
「秀次様―ッ!!」
「愚か者が! ワシはイタチの最後っ屁も許さぬ! その悪口雑言けして許さぬ! 許さんぞ!」
「殿下!」
「なんじゃ伊右衛門(一豊)、千代と与禰の首を刎ねられたいか?」
「た、太閤殿下……!」
(もう……豊臣は終わりだ……!)
秀吉は自決した秀次の首を切り落とし、賀茂の三条河原にさらした。それだけではなかった。彼の愛妾や子供たちまで三条河原で処刑せよとまで命じた。まさに彼は秀次の最後の言葉に激怒し、その家族たちも許さなかったのである。そして処刑前日の夜。伏見の柴田屋敷。その日は雷雨だった。
激しい雨音の中、明家は自室に篭って座り、腕を組み目を閉じて考えていた。稲光が明家の横顔を照らした。戸口から入ってきた風が蝋燭の灯を消す。そして一際激しい稲妻が轟いた。明家は静かに目を開いて稲光を見つめた。目には一つの決意。ついに柴田明家は決断した。
第十二章『柴田越前守、謀反』に続く。