天地燃ゆ−史実編−
第四章『さえ、倒れる』
清洲会議において、柴田勝家と羽柴秀吉との織田家の後継者争いが不可避の状態と相成ると佐々成政は柴田方についた。しかし賤ヶ岳の戦いには上杉軍への備えのため国許の越中から動くに動けず、成政は賤ヶ岳の戦いに参陣がかなわなかった。その後の秀吉の丸岡城攻めにも同様に上杉への備えのため援軍に行く事は出来なかった。成政は秀吉に対して徹底抗戦の構えを見せていた。しかし勝家の嫡男の明家が秀吉に降った。成政はそれを聞くや
『やはり隆広は腑抜けよ!』
と唾棄し、柴田家の寄騎大名であった彼は柴田家と袂を分かつ事を明家にハッキリと明言。前田利家が取り成してもムダであった。その後に成政は秀吉から越中一国を安堵され、秀吉と敵対しない事としたのである。
しかし小牧・長久手の戦いが始まるや、徳川家康と織田信雄方について成政は挙兵。秀吉についていた前田利家と敵対し、利家の領地分断を狙い、能登末森城を奪おうと攻めてきた。城主の村井長頼(史実では奥村助右衛門)はすぐに金沢城の前田利家に援軍を要請。佐々勢は八千以上の大軍で末森城に総攻撃をかけてきたので、末森城兵は次々と討ち死にしていった。援軍に向かう前田利家の兵力は佐々勢に比べてたった二千七百。家臣たちは大軍勢の敵勢を見て末森城の救援をあきらめ、秀吉の援軍を待った方が良いと進言したが前田利家は兜の緒を切り、死を覚悟して末森城に寄せて佐々勢と戦う事を決断した。
密偵を放ち情報収集をする前田利家、密偵の一人が地理に明るい桜井三郎左衛門なる男を連れてきた。波打ち際沿いに土地の者しか知らない伏せ道がある事を知って、背後を衝けると利家は考え、そして出陣した。夜半から降ってきた雨が月明かりを隠してくれたのを幸いとし、前田勢は密かに海岸を進軍、敵の背後を突く事に成功し、佐々勢は総崩れとなったのである。旧主織田信長がやってのけた桶狭間の戦いさながらの奇襲である。
「見たかまつ、これでお前も少しは亭主を見直すだろうよ、あっははは!」
当初、兵が足らない事から援軍に赴く事を躊躇していた利家だが、そこに正室まつが一喝した。
「普段から兵を大勢召抱えろと申し上げていますのに、算盤ばかりはじいて金銭ばかり貯めているから、こういう時に兵が足りないという事になるのです!」
そして銭袋を利家に投げつけたのだ。それに感奮した利家は出陣したのだ。
さて、前田利家は妻のまつに面目を施したが成政は苦しい。実は成政は越後の上杉景勝とも敵対していたので、事実上二方面作戦を強いられており苦戦が続いていた。そんな中、衝撃的な事実が富山城にいる成政にもたらされた。徳川家康と羽柴秀吉との間で和議が成立したと云うのである。
詳しく調べれば、秀吉が織田信雄に和議を申し出て信雄が受諾。家康は戦う大義面分を失ってしまったと云う事である。そして秀吉に信雄と和議すれば家康は矛を収めるしかないと進言したのは柴田明家と云う事。
「おのれ隆広、信雄様も信雄様じゃ!」
いきり立ち席を立つ成政。
「こうしてはおれぬ。徳川殿に再挙を促さねば!」
しかし西の加賀には前田利家、東の越後には上杉景勝、上杉も秀吉に従属を表明しており、浜松への道は塞がれている。残された道は真冬の立山連峰を踏破して浜松に至るしかない。
後世視点からすれば暴挙のほかにない。しかし佐々成政にはこの道しかなかった。家康に矛を収めてもらうわけにはいかないのだ。世に有名な『さらさら越え』である。成政は心配する正室はると母のふくに見送られ極寒の立山連峰に向かった。
苦難の連続であった。現在装備でも遭難する道を進んでいたのである。凍死する家臣、崖から落ちる家臣、すべて主君成政に願いを託して死んでいった。ようやく浜松に到着した成政。家康は快く会ったが憔悴しきっていた成政を見て、先に食事と睡眠、そして湯を与え改めて会った。
「何と無謀な、よもや真冬の立山連峰を越えてくるとは……」
「それほどの決意だったのでござる……」
「……で、用向きは?」
「徳川殿、共に秀吉を討ちましょう。彼奴は信長様の天下を盗む極悪の猿でございます」
「……よもや秀吉のチカラはかつての右府(信長)殿を越えておりまする。どう戦うと申される」
「されば……」
成政は練りに練った秀吉打倒の方策を家康に言った。しかし
「すべて机上の空論にござる」
家康は一蹴したのである。
「徳川殿!」
「今からでも遅くはない。ワシより前田利家か柴田明家に取り入り、かつての柴田幕僚のよしみで秀吉に取り成してもらうがよろしかろう」
「又佐(利家)や隆広に取り入るなどガマンならぬ!」
「…………」
「又佐は賤ヶ岳で敵前逃亡、隆広は勝家様の嫡男でありながら秀吉に降伏、揃って見下げ果てた連中だ!」
「ならばお好きになされよ。帰りの分の物資は当家で工面して差し上げる。気をつけて帰られよ」
「徳川殿!」
部屋から立ち去る家康に叫ぶ成政。
「時の勢いでござる。ワシにもどうにもならん」
家康は去っていった。無念の涙を落とす成政。家康への説得は失敗、『さらさら越え』は虚しく実を結ばずに終わった。しかし、これを骨折り損のくたびれ儲けと誰が笑えようか。富山城に帰還した成政の前に見えたのは首尾よく行ったと云う成政の言葉を待つ家臣たちと家族たち。それを見た時に成政の胸に去来したものは何であったのだろうか。
さて、小牧長久手の戦いの論功行賞が築城されたばかりの大坂城で行われた。秀吉は明家の武功に対して七千貫の金銭と兵糧五万石を褒美として与えた。
明家は大喜びした。大げさな感謝の意を示す。秀吉にしてみれば当然の形で報いただけであるのに。明家には『越前は存外気が小さい、当然の恩賞に過ぎぬものにあんなに喜んでいる』と秀吉に思わせたい意図があった。
かつて織田信長は武田攻めのあと、年来の同盟軍である徳川家康に対して駿河一国しか与えなかった。ところが家康は不満を言うどころか大喜びして礼の使者を信長に出している。家康には信長が自分を甘く見てくれるようにと期待する意図があった。その家康に学んでいたのが柴田明家である。毎回では軽蔑という産物がおまけにつくが、やりどころを見極めれば効果は十分に期待できる。
やがて徳川家康は秀吉の妹の旭姫を正室とし、秀吉の生母大政所が秀吉の元に人質として赴く。ついに家康も無視できなくなり上洛し秀吉に臣下の礼を取った。
秀吉の勢いは留まるところを知らない。次は四国を狙う秀吉。四国の覇者である長宗我部元親は小牧の役では徳川方についていた。信長の版図を受け継ぐ秀吉に危機感を持ち、家康の要請に応じて後背を脅かす約定を結んでいたが、この時の元親は四国統一の総仕上げ段階にあり、家康の要望に答えたくてもすぐに対応できない状態だった。
やっと二万の兵を整え、さあ行くぞと思った矢先に羽柴秀吉は織田信雄と和睦してしまい、家康は合戦の大義名分を無くしてしまい撤退。元親と信親の親子は『せめてあと十日あれば』と悔しがったと云う。長宗我部に残ったのは羽柴秀吉と敵対したと云う事実だけであった。元親は秀吉の進攻に備えて防備を固めた。
話と場所は変わり、ここは美濃金山城。森忠政の居城。兄の森長可は小牧・長久手の戦いで討ち死にをしたため、末弟の忠政が森の家督を継いだ。その家督相続の儀と長可の葬儀のため明家は尾張からの帰途中に金山城を訪れていた。石投げ合戦以来の金山であった。一通りの答礼を終えると、明家は長可の墓所へと訪れた。そこで若い娘が長可の墓に合掌していた。
「ふみちゃん?」
その声に気付いた娘は明家に振り向いた。
「竜之介さん……?」
ふみとは、明家が少年期に金山城下で過ごした時に出会った少女である。明家は彼女の命を助けた事があり、ふみは少女心に明家に恋心を抱いていた。明家の記憶ではいつも鼻水を垂らしていた女童のふみ。それが美しく成長していて驚いた。
「大きくなったなぁ……」
「竜之介さんは一層美男子になったね」
「そ、そうか?」
コホンと一つ咳き込む明家。
「長可殿の側室になっていたとは聞いていた。このたびは残念であった……」
「はい……。殿は遺言されて出陣されましたが、よもやこんな事に……」
「遺言?」
「『家宝は秀吉に献上、家督は仙(忠政)が継ぎ、娘たちは武士ではなく医師など武士ではない地道な職の者に嫁がせよ』と……」
「なるほどな……。武蔵殿(長可)らしい……」
合掌を終えた明家はふみに訊ねた。
「鮎助の具合はどうか?」
鮎助とはふみの兄で明家が少年のおり、森蘭丸と石投げ合戦で対決をした時に竜之介陣営にいた少年で、石投げ合戦後に長可の父の森可成に足軽として召抱えられていた。現在は野村可和と名乗っている。可成亡き後は長可と仕えていた。可成と長可にある『可』の字が与えられていた可和。武辺のほどが知れる。だが彼は小牧・長久手の戦いの前哨戦とも云える羽黒の戦いで重傷を負っていた。
「傷は癒え出したのですが……殿の死が堪えた様です」
「そうか……」
「兄に会っていっていただけませんか。喜びます」
「そうしよう」
明家は可和の屋敷を訪ねて旧友と会った。彼は妻子や妹にも会おうとしないほど打ちひしがれていたが、やはり旧友が来たら嬉しい。可和の床の横に座る明家。起き上がり床に座る可和。
「元気そうだな鮎助」
「ああ、何とかしぶとく生きている。なあ竜之介……」
公の場では可和も明家に礼節を示し、言葉も丁寧だが、二人だけだと気さくに話す。そういう約束となっていた。
「ん?」
「聞いた……。お前は中入に反対したらしいな」
「ああ」
「殿にはすまないが……やはりオレも中入はまずかったと思う」
「残念至極ではあるが……もう過ぎた事だ鮎助」
「そうだな……」
「忠政殿はお若い。可成様、長可殿と仕えてきたお前たちが支えてやらないと」
「竜之介……」
「とにかく今は体を厭え。万事、体を治してからだぞ」
野村可和の屋敷を出た明家、別室にいたふみが送り出した。
「ありがとうございます、兄はずっと塞ぎこんでいたのです」
「ははは、ところでふみちゃんはこれからどうするのだい?」
「実は……羽柴秀次様に側室にと請われています」
「え?」
「秀次様が忠政様の森家相続の儀にこちらに立ち寄られた時、物好きにも私に目を留めたそうです。秀吉様の甥御の要望では忠政様は断れないでしょう」
「それで…秀次様のところへ行くのか?」
「私が断れば兄の立場が悪くなります。私も森家には恩義がありますし」
「……」
「…………の側室なら喜んで行くのに」
「え?」
「い、いえ何でも」
ふみは小声で『竜之介さん』と言ったが明家には聞こえなかったようだ。ふみと歩く明家の元に使いが来た。
「殿様―ッ!」
「ん?」
「ゼエハア、金山中を探しただよ」
「どうした二毛作?」
二毛作は数いる明家の使い番の中で、完全に明家の『私』で用いられているただ一人の使い番である。戦場と居城の間で明家と妻たちの手紙を送り届けする事を生業としている。
「大変だ殿様! 御台様が倒れただよ!」
「な、なんだと!?」
さあ四国を討つ時と思い秀吉は総大将に秀長を下命し、その参謀に明家を任命した。羽柴の軍師である黒田官兵衛も四国攻めに加わるが他の方面を担当するため、総大将の秀長には明家がつけられたわけであるが、何と明家は出兵を拒否。驚いた秀吉は理由を調べさせた。秀吉に帰ってきた報告は『妻が病気で倒れた』と云う事だった。
『そんな事が理由になるか!』と秀吉は激怒。今まで秀吉の信頼を得るために必死であった明家。だが彼は妻さえの事となるとまったく目が見えなくなる。激怒する秀吉をなだめた秀長。
「まあまあ、四国を平らげるための準備はもうしばらくかかりまする。まだ時間はあるゆえ、それがしが越前を説いて参りましょう」
「そなたは甘い! 女房大事に軍役を拒否する男など!」
「たとえそうでも越前の才幹は当家に必要。女房の事だと目が見えなくなる欠点が何ほどでございますか」
「うむむ……。分かった、行ってまいれ」
ここは大坂の柴田屋敷。柴田明家の正室さえが床に伏せていた。呼吸も荒い。明家が小牧長久手の合戦の後、美濃金山城に立ち寄ったおり、使い番である二毛作が『さえ倒れる』を知らせてきた。大急ぎで明家は大坂に戻った。
さえは大病を発したのだった。高熱が続き、異常な発汗に悪寒、激しい下痢と嘔吐だった。明家は人任せにせず自分で看病にあたった。毎日さえにつきっきりで、あれほど律儀な性格の明家が政務も軍務も省みなかった。
高名な医師、曲直瀬道三も屋敷に連れて診断させたが、彼さえも手に負えず『覚悟をなさっておくように』と明家に告げた。だが明家はあきらめなかった。ずっと看病につきっきりだった。一国の国主が妻の下の世話までして看病した。だがさえは下の世話を受けるのが恥ずかしく、良人にそんな真似をさせるのがつらくてたまらなかった。
「やめて下さい……。殿にこんな姿見られたくない……」
「何言っているんだ。夫婦じゃないか」
「殿……う、ううう……」
「あまり恥ずかしいなら侍女にさせるが……。オレじゃイヤか?」
さえは首を振った。だが、数日してあまりの苦痛に耐えかね、ついにさえは
「もう殺して下さい……。私は助かりません」
と蚊のなくような涙声で明家に訴えたが、明家は聞こえないふりをした。明家はあきらめなかったのである。水ごりもした。寒がるさえを裸で抱きしめた。手足の冷感を訴えた時はずっと温めるように一日中その手足を愛撫した。自力で嘔吐物を吐けない時はクチで吸って排出した。いつもさえを励ます優しい言葉を耳元で
『今日もきれいだ』
『そなたの寝顔を見ているのが好きだ』
『治ったら子作りしような。早くそなたを抱きたいよ』
と、いつも語り続けた。そして侍女に女の化粧の仕方を教わり、毎朝さえの顔に化粧もして、髪もとかした。発汗著しいため、一日に何度も体を拭いて寝巻きと蒲団を変える。これも人任せにせず自分でやった。食事も水も明家が食べさせた。
「お、ネギ入りの粥だ。これは美味しそうだ。ほらさえ、アーン」
食べてもすぐに嘔吐してしまう状態。でも何も食べなければ死んでしまう。明家は根気よく食べさせた。苦悶はするが意識は失わない。自分をずっと看病してくれる良人明家の姿にさえはどんなに嬉しかっただろうか。この人の妻になって本当に良かったと心から思った。
そしてこのさえの看病中、秀吉から明家へ出陣命令があった。四国攻めの総大将羽柴秀長の参謀に任命されたのである。四国を一挙に攻める大合戦である。その総大将の参謀を命じられるのは秀吉の信任が厚いからに他ならない。
だが明家は断った。しかも自分で直接秀吉にそれを言いに行かなかった。その時間さえも妻と離れたくなかったからである。今わずかの時間でも自分がこの場から消えたら、さえが寂しがって体力が落ちて死んでしまうと本気で考えていたからだった。実際さえは明家が用便を足しに行った時も童が母を欲するかのように『殿は? 殿はどこ? さえを一人にしないで……』とわずかの時間でも明家が離れると寂しがった。
出陣命令を断った明家に対して、秀吉が激怒する事は家臣たちも察していた。主君明家の元気の源が妻さえである事を痛感する。諌めて無理に出陣をさせても心ここにあらずでは使い物にならない。
大坂にいた山中鹿介は国許にいる奥村助右衛門に、せめて軍勢は出陣しなければと進言していた。助右衛門はそれを入れて、国許で軍勢を整え、前田慶次を留守居として柴田勢を率い大坂に向かった。
しかし鹿介はギリギリまで待つつもりであった。助右衛門には申し訳ないが柴田勢の強さは明家が指揮をしてこそのもの。軍勢を到着させておくのも軍役を放棄するつもりはないと秀吉に示すためである。
秀長の全軍出撃の号令が出て、なお明家が妻の元を離れられない状況ならば、やはり奥村助右衛門が名代で四国に行くしかない。参謀の任命を拒絶した事となるので、四国で相当な手柄を立てなければ主君の免罪にはならない。
主君明家が秀吉の出陣命令を拒絶した事で当然他の家臣たちは危惧を覚える。しかし助右衛門、慶次、鹿介は『殿の他の才覚や器量において我ら柴田家臣は不足を感じているどころか満足に至っている。殿が奥方の事で目が見えなくなる事ぐらい何ほどの事がある。ここを補佐し助けられず家臣足りえない』と諭した。
しかし柴田重臣たちは何としてでも秀長の号令まで御台さえが快癒してくれるのを願わずにはおれない。もし身罷ったら主君明家は合戦どころではない。奇跡を信じて待つしかなかった。
そんなある日、羽柴家から使者が来た。出迎えた鹿介は驚いた。秀長当人がやってきたからだった。
「おお、山中殿ではないか」
「秀長殿……」
「そのせつはすまなかったな」
尼子勝久軍の援軍への約束を果たせなかった事を改めて詫びる秀長。
「いえ、過ぎた事にござるゆえ」
「かたじけない。越前殿はおられるか?」
「はっ、奥に」
「では入らせていただきまする」
だが明家は秀長と会おうとしなかった。いや会えなかった。苦悶している妻の横を離れられなかった。客間で待っていた秀長であるが、しばらくしてさえが横になっている部屋へと行った。
明家は秀長を見ようともせず、さえの手を握り、顔を見ている。いかに明家個人と親しく、かつ根気ある秀長も腹に据えかね、
「そこもとは若狭国主としての自覚がおありか」
「…………」
「君命を何と心得る! それともそれがしの参謀では不服と申すのか!」
「…………」
「百歩譲って、それは我が不才と思おう。しかし殿のご命令に背く事は許さぬ。まして『妻の看護をするため』と断るなどもってのほか! 殿の怒りは収まりますまいぞ!」
「さえ、今日はどうだ? もうちょっと食べてみるか?」
「……と、殿……私など放っておいて……ご下命にお従いを……ゴホッゴホッ」
「そなたがかような事を気にする必要はないぞ、さ、今日はもうちょっと食べてみよう」
明家は妻に食べさせる粥をレンゲですくい、冷ますためフウフウ息をかけていた。さすがに忍耐強い秀長も激怒。
「何を考えておられるか! 貴殿の自分勝手で柴田家の家臣とその家族を路頭に迷わせるつもりか!」
「…さえ、ちょっとごめんな、秀長様と話してくる。すぐ戻る」
「はい…」
別室に行った明家と秀長。
「しばらく湯にも浸かれず無精ひげが見苦しいでしょうがご容赦を」
「そう言えば少し臭うな」
「申し訳ございませぬ」
「繰言は言うまい。越前そなたは女房が快癒しない限り出陣は出来ないと言うのだな」
「はい」
「自分がどんな愚かな事を言っているか分かっているのか?」
「……亡き織田信忠様はそれがしにこう申して下された。恋焦がれた松姫様と結ばれない運命のご自分を鑑み『妻を大事にせよ、己の命よりも、水沢家よりも』と。今になってそのお言葉の重みと意味が分かりまする。妻のさえおらずして何の柴田明家にございましょう」
「……越前、武将は女に惚れ込んではならん。唐土の項羽の虞美人、源義経の静御前、明智日向殿の熙子殿、お父上勝家様のお市様……。妻に一途な英雄たちはどんな法則が作用しているかは知らんが結局最後滅んでしまう。そんな実直さが彼らの魅力と言えようが、いま越前は同じ道を辿ろうとしているのだぞ」
「病に伏した妻を見捨てるくらいの気持ちがなければ武将にあらずと……?」
「現にそなたは女房のために家をつぶす事も辞さない事を言っているではないか! そなたは私心で部下たちが路頭に迷ってもかまわないと受け取れる事を言っておるのだぞ!」
「…………」
「なるほど中将殿(信忠)の申す事も心情では理解できる。しかしそれが出来ないのが、許されないのが戦国大名であろうが。そなたは柴田家と妻一人の命、どちらが大事なのか!!」
「妻の命にございます」
何の迷いも無く明家は言った。こうまで言い切られるとさしもの秀長も一言も無い。
「最愛の妻を見捨てて何が武将にございましょう。仮に……秀長様の言うように、妻を愛する事がそれがしの滅亡の起因になったとて結構。いやそれがしがそのコトワリを断ち切ってみせます。妻を愛する者が結果滅ぶなんて道理…。それでは人の世があまりに悲しすぎるじゃないですか! それがしはさえを愛し、そしてさえに支えられて、この乱世を生き延びてみせる! さえはそれがしの宝にて命……! 柴田明家のすべてなのです」
「…………」
明家を見つめる秀長。隣室で二人の会話に聞く耳を立てていたさえの侍女たちは主君明家の妻への愛情に感涙していた。
「御台様は何と幸せな」
「私もあんな事を殿のような方に言われてみたい…」
すぐに一人の侍女が気をもんでいるさえに知らせた。柴田家と妻一人の命、どちらが大事か、妻の命と何のためらいなく言った良人。枕はさえの涙でビッショリになってしまった。
さえは蒲団の中で泣いて思った。もし良人が滅ぶ時は私も滅ぶ。共に生き、共に死のうと。そして明家の気概を見た秀長。しばらく明家を見据え、ニコリと笑った。
「……ワシの負けだ越前、あとはこの秀長に任せよ」
妻を思う心が秀長の心を動かした。
「さしあたり、不足しているものはないか」
「……されば、侍女たちがさえの寝具やおむつの洗濯で手が荒れているので、良い塗り薬などあれば助かりますが……」
「分かった。よい塗り薬を届けさせよう。そろそろ帰るが奥方に会って良いか」
「はい」
秀長はさえの枕元へと行った。さえは何とか起き上がろうとしたが秀長が制して止めた。
「申し訳ございませぬ、こんな姿で」
「いやいや急に来たワシが悪い。ところで奥方」
「はい」
「そなたの快癒が成らなければご亭主はここを動かぬつもりらしい。それでは我らも困るゆえ、早く治して下され」
「励みます」
「ははは、それと奥方」
「はい」
「貴女は日の本一幸せな女房です」
この秀長の言葉をさえはニコリと笑いうなずいた。さえが羽柴を父の仇と見なくなったのはこの日からである。秀長は去っていった。『あとはこの秀長に任せよ』と秀長自身が言ったように、彼は秀吉の怒りをうまくなだめて、結局明家へお咎めなしを取り付けている。秀長さすがと言うしかない。
約束どおり秀長は漢方の薬剤で作られた効能ある塗り薬を柴田屋敷に届けさせた。
「これは効きそうだな。このキツい匂いが治癒をうながそう」
さえの寝汗を拭いている侍女の千枝がちょうど目の前にいた。手が荒れている。
「千枝、手を出せ」
「え?」
千枝の手を握り、甲に薬を塗る明家。
「お、お殿様、そんなもったいのう!」
「このくらいさせてくれ、いつも助かっている。さえの快癒まで頼むぞ」
「お殿様…」
手が熱くなる千枝、薬により温かくなっただけではないだろう。うらやましそうに千枝をジーと見つめるさえの侍女たち。
「あ、あの、お殿様」
「なんだ?」
「私たちにも……」
「いいとも、塗らせてくれ」
「「やったあ!」」
「おいおい静かにしないとさえが眠れないだろ」
蒲団の中でクスッと笑うさえだった。天下の名医、曲直瀬道三もサジを投げたさえの病、だが明家の愛情が奇跡を生んだか、さえの病状は徐々に良くなり、やがて治癒に至った。曲直瀬道三は『愛情に勝る薬はござらん』と看病疲れで倒れた明家を診断したとき、そう言っている。
やがて二人とも元気になった。さえの明家への愛情はさらに深まった。ただでさえ周囲が目のやり場に困るほどイチャイチャしていたのに、さらに拍車がかかる事になる。
今まで恥ずかしがってイチャイチャするのを先に仕掛けなかったのに、病の快癒後はさえから明家に抱きつく事も多くなった。それほどにつきっきりで看病してくれた事が嬉しかった。
良人が『柴田家より妻の命だ』と言い切ったと聞いた時の感激を忘れなかった。本来なら夫を叱り付けて出陣させるのが大名の正室として正しいのであろう。その愛情に甘える事が正室として失格と言われようと嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。明家は照れくさいのか秀長との会話の内容は妻に言わなかったが、逆に侍女を通して伝え聞いたからこそ効果的だったのかもしれない。事実さえの病が快癒の傾向になったのは秀長の訪問後である。
また特筆すべきは、この時代の女は大病を患い、治癒したとしても体の衰えが著しかった。しかしさえはこの後の人生で明家の子を四人も生んでいるのである。まさに愛情で全回復したと言えるだろう。
辛らつな歴史家は『大名として自覚がない』『女房一人と若狭一国を天秤にかけて、もし家がつぶれたら家臣たちが路頭に迷うと一切考えていなかった。短慮だ』とも述べているが、最後には『しかし良人としては最高の男であろう』と締めている。明家は妹三人のために若狭はいらないと言い切った事もある。明家は何よりも家族を大切にした男なのである。彼の言葉にこんなものがある。
『女房に思いやりなくあたる者があるが、大いに間違っている。夫を信頼して、どんな境遇になっても連れ添うほどの間柄なのだ。いとおしみ仲良くすべきである』
また少しの副産物もある。さえをつきっきりで看病している姿を見て、すずはより明家を愛するようになり、秀吉に逆らってまで病気の妻の元を離れようとしなかった明家の姿勢を伝え聞き、大坂の女たちは感動して『さえ殿は日の本一に幸せな女房。越前殿は女子の思う理想の良人』と喝采をあげたのだった。
秀吉の怒りをなだめたのは秀長ではあるが、明家の妻を思う心に感動した秀吉の妻ねねが『越前殿を罰したら一生お前さまとはクチを利きませぬ』とも言ったからとも伝えられている。母のなかには『越前殿を見習わんかい』と怒鳴られたとも。
改めて羽柴秀長総大将で四国攻めは行われた。秀長の計らいに感激していた明家は、その参謀としての才幹を思う存分に発揮して羽柴軍に勝利をもたらし、長宗我部元親は降伏し四国は統一されたのであった。
戦勝して帰った明家を出迎えるさえ、それを抱きしめる明家。たとえ艱難辛苦な戦国の世でも二人一緒ならつらくはない。
このころ秀吉は朝廷から関白の称号を得ていた。天下統一のため秀吉はまだまだ戦い続ける。
四国より帰国した明家には再び出陣の下命が来た。佐々成政攻めである。ついに柴田の若殿である明家が府中三人衆の一人として父の勝家を支えてくれた佐々成政を攻める時が来た。
幸運な事は明家が金森長近と共に別働隊となり、成政の同盟者である飛騨の姉小路頼綱を攻めると云う陣立てとなった事だ。前田利家の差配である。あえて別働隊の飛騨攻めの方に部署されるよう根回しをしていたのだ。何より長近と組ませる事が何とも利家の配慮である。賤ヶ岳の合戦で明家の父である勝家を裏切り気に病んでいた長近と陣場を同じくすればたとえ腹に含むところがあっても共闘するしかない。長近と共に飛騨高堂城に向かう明家。何か気まずい雰囲気の柴田軍と金森軍。評定しても社交辞令程度の言葉しか出てこない。
(まったく又佐め、よりによって隆広とワシを組ませる事はなかろうに……)
長近も何か明家と昔の誼を通じる機会を得たいが中々機会がない。このままでは気まずいまま敵城に到着してしまう。
(許せない、とは思ってはいたけれど今は味方、何より金森様は伊丹攻めの時に利家殿と同じくオレを盛り立ててくれたじゃないか。父上は利家殿を許した。オレも長近殿を許すべきなんだ。鬼権六の嫡男が昔の怨みをズルズル引きずっていては笑われるぞ)
と、自分に言い聞かせていたが、中々良いキッカケがない。翌日には高堂城に到着の見込み、最後の軍議に入る柴田と金森の将兵たち。しかし空気が固い。長近がついに焦れて言った。やはり年長の自分から言うべきだと腹を括った。
「このままでは勝てる戦も勝てない! 越前、いや隆広!」
「は、はい」
「すまなかった。そなたの父上を裏切り、賤ヶ岳で敗北に至らしめた一因は金森にある。あの場合は仕方がなかったとは云え、すまなく思う」
「金森様……」
金森長近は元々柴田勝家の直臣ではなく、府中三人衆と同じく信長から勝家の傘下に入れと下命された寄騎である。よって賤ヶ岳での長近の戦場離脱は劣勢の勝家を見限り、金森の命脈を保つため秀吉に降ったとも云えるのだ。長近はその際に頭を丸めている。その頭を撫でて長近、
「もう剃る頭の毛がないゆえ、頭を丸めて詫びようもないが、こうして謝る。水に流せとは言わん。だがこの戦では一つの敵城を協力して落とさなければならぬのだ。この禿げ頭に免じて頼む。この戦場では怨みを一度他所へ置いてくれ」
「頭をあげて下さい金森様」
「隆広……」
「亡き父の勝家は利家殿に『秀吉に尽くせ』と言い許したと言います。それがしも勝家が嫡男なら、金森様にそうすべきなのでしょう。しかしそれがしはまだ若輩、父勝家の領域には遠く及びません。それゆえ一つ、お願いがございます」
「なんだ?」
「一発、思い切り殴らせてもらえませんか」
金森家臣たちは憤然と立ち上がり明家に抗議。
「何を申される! 我が主は修理亮殿(勝家)の直臣ではなく、亡き大殿(信長)に寄騎として柴田に配置されたもの! 劣勢に陥れば見限りお家の安泰を図るのは当然……」
「黙らんか!」
長近は一喝して家臣を下がらせた。
「隆広かまわんぞ。思い切り殴るが良い」
「はい、では歯を食いしばって下さい」
明家は渾身のチカラを込めて長近を殴った。長近はよろめき
「ふう、華奢な体のくせして大した一発だ。良き馳走であった」
と、笑って言った。これはある意味、手放しで許すより理に叶っている。この一発で長近も心の負い目が払拭されたからである。
「一緒に戦いましょう。父は金森様もご存知の通り、昨日の天気はクチにしない竹を割ったようなお人柄でした。息子のそれがしもそうあろうと思います。今日をもって柴田家は金森家に何の遺恨もございません」
「うん! 調子の良いようだが、それでこそ勝家様のせがれだ」
つい先刻まで気まずい雰囲気だったゆえ、両軍将兵は大将同士の交わした握手が嬉しい。士気が上がった。柴田・金森連合軍はアッと云う間に飛騨の国を攻め落とし、高堂城の姉小路頼綱を降伏させた。
完全に佐々成政は孤立。富山城を囲むのはかつての織田家の同僚たち、同盟者を滅ぼしたのは柴田家での同僚、世の虚しさを感じたか成政は頭を丸めて秀吉に降伏したのであった。一命は助けられたものの全ての領土を没収され、妻子と共に大坂に移住させられ、以後は秀吉の御伽衆(話し相手)として秀吉に仕えた。
それからしばらくして、大坂城の廊下で明家と成政が会った。明家は頭を丸めた成政をその時に初めて見た。二人は立ち止まりしばらく見つめあい、そして言葉を交わさずすれ違ったと云う。
第五章『戸次川の戦い』に続く。