天地燃ゆ−史実編−

第三章『小牧・長久手の戦い』


「苦労はないか? 羽柴家の方たちにヒドい目に遭わされていないか?」
 ここは山崎城、秀吉の現在の仮居城である。ここに明家は来ていた。そして茶々と江与に会い、近況を聞いた。
「大丈夫です兄上、ここでの生活も慣れてきましたし」
 と、茶々。
「まだ……夜閨は強要されておらんな?」
「はい……」
「すまんな……。オレがもっとしっかりしていれば……」
「もう、兄上は私たちに会いに来ると謝ってばかりです」
 江与が頬を膨らませて怒る。
「あ、すまん。……あ!」
「ほらまた!」
「あははは……」
「兄上、江与の婚儀が決まりました」
「誰か?」
「尾張大野城主、佐治一成殿にございます」
「そうか……。初にも京極高次殿に嫁げと下命があった……」
「妹二人を先に、と秀吉様に要望しました。私が夜閨を命じられるのは、もうじきにございましょう」
「どうしてもイヤなら佐吉、いや三成殿に訴えよ。若狭に逃れる算段をしてくれよう」
 秀吉が茶々を側室にすると言った時、三成は強く反対していた。結果、茶々は受け入れると言ったが、まだ無念に思う明家に
『夜閨間近になり、姫がどうしてもイヤと言うなら、それがしが何とか若狭に逃れるよういたします』
 と三成は言っていた。この言葉に明家はどんなに救われたか。しかし茶々とてそんな中途半端な決心で『受け入れる』と述べたのではない。
「兄上、私も子供ではございません。これも女の戦にござれば……」
(秀吉に実子はいない…。私が世継ぎを生めば、私と兄上で秀吉の天下を乗っ取れる。最後に笑うのは柴田にしてみせる)

「柴田様」
 明家たちのいた部屋に使いが来た。
「貫一郎、あ、いや今は大野治長であったな」
 大野貫一郎、後年の治長、北ノ庄落城の時は柴田明家の命令で江与を抱いて脱出した。お市に『大野、頼みますよ』と云う最後の願いも聞いていた。茶々姫の乳母の子であり、茶々とは乳兄妹となる。柴田明家は父の勝家の小姓をしていた大野貫一郎をかなり前から買っていた。分別があり思慮深い少年だった。だから北ノ庄落城前、とっさに一緒に来いと命じたのである。
 丸岡は没収され、柴田明家は若狭に異動となった。若狭国主というわけであるが、秀吉に茶々と江与の妹を人質に取られた。そのさい明家は茶々と乳兄妹である貫一郎をそのまま茶々と江与に随行させたのだ。それは明家ではなく秀吉に仕えると云う事になるが、貫一郎は妹を心配する明家の気持ちを察し、それを受け入れた。現在は茶々姫、江与姫付きの羽柴家臣として秀吉の居城にいる。
「は、殿が目通りを許されました。どうぞお越しに」
「承知した」
 そして城主の間に着いた。
「殿、柴田様がお越しです」
「ふむ、通せ」
「はっ」
 秀吉の前に歩む明家。秀吉の傍らには石田三成が座っていた。
「殿におかれてはご機嫌うるわしゅう」
「ま、ボチボチだな。大坂の城にもそろそろ入れそうで楽しみでならぬ。で、願いの儀とはなんじゃ?」
「はい、若狭に新しき城を作りたいと存じます」
「ほう、城とな。どこへ作る」
「小浜に平城を作ろうと思います。今ある城はすべて山城でございまして、国主として政事に支障がございます。すべて破却して廃材も利用して新たな城を作り、そこから若狭の統治をしたいと思います」
「相分かった、築城を許そう」
「ありがたき幸せに存じます」
「ところで越前守」
「越前守……?」
「官位よ、従五位上越前守くれてやる。越前守、おまえに似合う官位名じゃな」
「も、もったいなき! その官位を誇りとします!」
「越前、そなたの家臣に吉村直賢と云う男がおるな?」
「はい」
「ワシにくれ、と言いたいところであるが無理に引き抜いたとて、その男はお前の元であるから活躍が出来よう。だからそれは望まん。しかしその男、柴田の打ち出の小槌の異名を持っていた稀代の商将と聞く。堺と京にも本陣を与えるゆえ、思う存分に交易をさせよ。若狭での交易も自由にやるが良い。交易船に羽柴の旗を掲げる事も許す。しかし……」
「しかし?」
「それによって稼いだ金銀の五割、つまり半分を羽柴への上納を課す」
「承知しました」
「ほう……。渋ると思ったが半分も上納して大丈夫なのか?」
「堺と京、そして若狭本国で自由に行わせていただけるのなら、当家の運営は五割で事足ります」
「なるほどな、では遠慮せず半分いただくとしよう」
「はい」
「もう一つ」
「はっ」
「山中鹿介が生きており、そなたが召し抱えたと聞く」
「その通りです」
「ワシの事を何か言っておったか」
 秀吉は織田家の軍団長であったころ山中鹿介を支援していたが、後に信長の命令で見捨てざるをえず、結果鹿介の主君である尼子勝久は自害に追いやられている。
「包み隠さず申します。無論、最初は怨んだそうです。援軍の確約を破棄して、我らを捨て殺しにしたと」
「ふむ……」
「しかし、結果生き延びた鹿介は殿が信長公の命令で別所長治攻略を優先せざるを得なかったと知り、この乱世では逆恨みとも思え、主君勝久の無念は余りあるものであるが水に流そうと思ったそうです。大望は尼子再興。男子一生の本懐が復讐では悲しすぎると」
「なるほど、いや鹿介も今は羽柴の陪臣、怨みに思われていては困るからのう」
「はい」
「勝久の遺児は何といったか?」
「当年四歳の姫にござり、名は美酒姫」
「ふむ、よき名じゃ。その娘が婿養子を取る時には尼子の再興を許すぞ。厚遇してやると良い」
「はっ!」
「さらに越前」
「はい」
 コホン、一つ秀吉は咳をして言った。
「そなたに正室を世話しようと思う」
「……は?」
「いまの女房とは離縁せよ」
 あぜんとして秀吉を見る明家。
「そなたの女房は朝倉景鏡の娘であろう」
「…………!!」
 驚いた明家、さえの出生は秘事とされていた。さえがそう望んでいたからだ。誰が何と言おうともさえは父の景鏡を誇りとしている。だがやはり世間から見れば主殺しの裏切り者なのだ。夫の出世の妨げになってはと、さえは秘事を望んだのだ。だから奥村助右衛門や前田慶次までもさえの本当の出自は知らないのである。
 これは石田三成も驚いた。旧主明家の正室さえは三成もよく知っており妻同士が親友でもある。しかし朝倉景鏡の娘と三成もここで初めて知ったのだ。朝倉氏ゆかりとしか聞いていなかった。まさか宿老級の武将の娘とは思わなかった。
「さえ殿が朝倉景鏡の娘…!?」
「恐れながら、どうしてそれを…」
「景鏡を調略する時に彼奴の重臣は無論、家族も調べた。見た事はないが、さえと云う娘がいる事は知っていた。そしてそなたの降伏後に丸岡に入城したワシは見た。大事に置かれている兜だけがない一揃いの甲冑、あれは景鏡のものだ。どういう経緯で手に入れたかは知らんが紛れもなく景鏡が甲冑だ。だからそなたの妻は景鏡の娘と分かったのじゃ」
「あ…」
(うかつだった……! 殿と義父殿に面識があるのは当たり前の事であるのに義父殿の甲冑をそのまま城内に留め置くとは……!)
「越前、景鏡の娘なら当然ワシを怨んでおろう。鹿介の性格は知っている。水に流すと言うのなら本当にそうする男だ。しかし女子は執念深い。ましてお前はその女房を溺愛している。ワシを討てと頼まれて、情にほだされて判断を狂わす事もある。だから離縁せよ。景鏡を調略したワシが言うのも何だが、裏切りをしたのは彼奴の本性である。地金そのものが卑しいのよ。そなたの妻はその血を引いている。これからそなたは羽柴の武将として天下取りの戦場を駆ける者。そんな裏切り者の娘など捨てよ。ワシがもっと器量よしの羽柴ゆかりの娘を世話してつかわす」
「…恐れながらお断りいたします」
「ワシの命令が聞けぬか?」
「確かにそれがしの女房は朝倉景鏡殿が一人娘。しかしただの一度も殿を父の仇とそれがしに申した事はございません。人間ゆえ、心の中ではそう思っているのかもしれませぬが、だからと申して夫のそれがしに前後みさかいなく謀反を起こせなどクチが裂けても申す女ではございません。かような分別なき女に惚れるはずがありましょうや!」
「女房かわいさにそう申しておるだけだ」
「その通りです。しかし添い遂げて八年、共に十五の時より苦楽を共にしている糟糠の妻をどうして離縁できましょうか。それがしの子も生んでくれた最愛の女房にございます。この乱世、一人放逐されれば妻は飢え死にします。それだけは、離縁だけは絶対に出来ませぬ。さえをお疑いならば、それがしが働きによって潔白を証明するまでにございます! どうかその儀だけはご容赦下さいませ!」
「……ふっ、聞いた通りの愛妻家よの。一豊の女房思いも病気と思った事があるが、そなたもさるものじゃ」
「殿……」
「分かった、では働きによって示してもらおう」
「はっ!」
「ん、大義であった」
「はっ」
 明家は去っていった。
「のう佐吉」
「はい」
「ワシの意図が分かったか」
「ああ申しておけば越前殿はより懸命に働きましょう」
「その通りよ。ハナッから彼奴が女房と別れるなどせん事は承知のうえ、彼奴が懸命に働く事はワシにとって大いに助かるからな」
「はい」
「それに越前も今はワシの信頼を勝ち得るに懸命なようじゃ。幼き日のワシとの邂逅にあぐらをかかず感心な事じゃ」
「『切れ者であるが根はクソマジメな男、厚遇すればとことんワシのために働く』と見た親父様の目が正解であったのでございましょう」
「ふむ、先が楽しみじゃ。佐吉も負けるでないぞ」
「ははっ!」

 明家は国許に帰り、築城を開始した。若狭の国には今まで国吉城、熊川城、新保山城、後瀬山城、高浜城、砕導山城と城があったが、丹羽長秀の入府の時にかなり破却されており、現在居城としている高浜城に加えて、国吉城、後瀬山城の三つしかなかった。
 しかもすべて山城である。高浜城は平山城であるが、当時すでに城の傾向は平城になりつつなっていた。城下町を作るうえで適しているのである。小浜城の縄張りを終えると、明家は国吉城、後瀬山城を破却して廃材と石材を運ばせ、また丹羽氏が破却した城一連の遺構から石垣に使えそうな石は運ばせた。再利用できるものはとことん使ったのである。新田開発や治水も同時に行い、石高を上げる事にも余念はない。
 吉村直賢は新天地の若狭でも手腕を振るい、順調な交易を行っていた。また明家が大名になったので、藤林一族も若狭へと転居してきた。三方富士と呼ばれる『梅丈岳』を与えられ、そこで新たな里を作った。

 小浜城が完成した。再利用した木材や石材も多いので、さぞやみすぼらしい城かと思えばそれは見事な平城として完成した。城下町も作り、若狭の人々はこぞって移民してきた。羽柴家臣としての柴田明家。やっと自分の基盤を築き上げたのだ。
 無論、父母の仇に仕える明家に中傷がなかったと云えばウソになるだろう。だが明家は旧柴田の者をけして見捨てなかった。
 若狭の地を与えられ、明家は望んでいた部下たちの暮らしの安全を確保でき、散り散りになっていた柴田家に縁の者たちに、『羽柴秀吉様に仕える事になった柴田の若殿で良ければ戻ってきてくれ』と呼びかけた。するとほとんどの柴田に縁の者が戻ってきた。他家に仕官が決まっていた者さえ戻ってきたと云う。明家は下っ端武将から柴田勝家の幕僚を務め、柴田の若殿としての名分ではなく自分の才覚で部将まで出世しており、その軍才と行政手腕の卓越振りは誰もが知っていた。柴田家の者は明家の力量を十分認めていたのだった。毛受家、中村家、拝郷家、徳山家、原家もこの時点で帰参した。それらの家で勝家に直接仕えた者はいない。全員賤ヶ岳で討ち死にするか、北ノ庄落城のおり勝家と運命を共にしていた。明家が召し抱えたのはそれらの子弟である。柴田家は一気に若返った様相を示す。
 賤ヶ岳の撤退で柴田明家軍が粉砕した柴田勝豊軍。勝豊の家は長浜を召し上げられ、事実上滅亡した。秀吉に寝返った事を死の床で最期まで悔やみ涙を流していた話を伝え聞いていた明家は、勝豊の長男の権介を召し抱えた。これに後に再興された山崎俊永の家を加え『柴田七家』と呼ばれる事になる。

 しかしこの間、明家はずっと小浜城の築城と国づくりをするために若狭の国にいたわけではない。それら内政は家臣に任せ、秀吉の命令で出陣している。織田信雄が徳川家康に援軍を要請し、家康がそれに応えた。羽柴秀吉と徳川家康の対決である小牧長久手の戦いである。明家は三千の兵を連れて秀吉の陣にいた。この戦いが明家にとって羽柴の将として始めての出陣であった。評定衆に組み入れられ秀吉の陣屋にあった。先の前哨戦で家康に煮え湯を飲まされた池田勝入斎(恒興)と森長可が出陣を訴える。
「小牧山を攻めても容易には落ちない。かといって長く対陣していても、このような大軍では兵糧の維持が難しくなる。小牧山の方も日毎に人数が増えてきており、きっと岡崎は手薄になっているに違いない。このさい密かに岡崎を攻めれば家康は狼狽して岡崎へ帰るであろう。自分を将とする別働隊を組織し、是非やらせてくれ」
 婿の長可も賛同。
「舅の申す通りです! 岡崎を落とせば家康は陸の上のカッパと相成りますぞ!
「中入ですか」
 と、明家。
「そうじゃ! このまま時をムダに過ごせば士気が落ちるのみ! 羽柴殿!」
「中入はダメじゃ」
 首を振る秀吉。
「それがしも殿と同意見にございます。賤ヶ岳でどうして柴田が敗れたか。佐久間玄蕃殿の中入が発端にございます」
「柴田家当主の越前殿には申し訳ない言いようであるが、この勝入斎と婿の武蔵(長可)を玄蕃ごとき猪武者と一緒にしてもらっては甚だ迷惑。筑前殿、何とぞ手前と婿に出陣をお許し下され! この膠着状態の突破口を開いて見せましょう!」
 その日の軍議は結局何も決まらないままに閉会となった。秀吉は陣屋で考え込む。
「勝入斎殿は功を焦っておられますな……。先の敗北の汚名を返上するために躍起なのでございましょう」
 と、秀吉の弟の秀長。
「八万の大軍を擁しながらワシらは寄せ集めの軍だから一つにようまとまらん」
 床に拳骨を叩き付けて忌々しそうに怒鳴る秀吉。
「ワシが総大将なのに、勝手な事を言いおって! 越前が言うように中入はまずい!」
 陣屋の戸を開けて家康本陣を睨む秀吉。
「動かんのォ〜ッ! タヌキめ!」
 しかし秀吉は姉川の戦いで徳川軍の強さを思い知っているのでうかつに手を出せなかった。業を煮やした秀吉は翌日、加藤清正と福島正則を伴い、陣を出た。家康の陣から鉄砲の射程距離ギリギリのところに止まった。
「家康殿―ッ!」
 陣の奥で食事中だった家康の元に織田信雄から使いが行った。
「どうした?」
「羽柴秀吉が我が陣の目の前に!」
「なにぃ?」
 家康と家臣たちは砦の見張り台に駆けて行った。秀吉は見張り台に家康が来るのを見届けると
「おお! そこにおられるのは三河殿にござらんか! 長篠のいくさ以来でござるなあ!」
「秀吉……」
「そんなトコに閉じ篭って何をしておられる? 早う攻めてこられよ! さあさあ!」
「おのれ筑前めが! 撃て撃て!」
 織田信雄が指示を出したが
「待たれよ、たった三騎で来た者を撃ったところで武名に恥、非公式のご使者程度に見ておきなされ。それに鉄砲は届きませんぞ」
 家康が止めた。
「しかし三河殿!」
「あんな手段に出て来る事そのものが秀吉の焦りの証拠、相手になさいますな」
「どうした家康! こーれでも喰らえ!」
 秀吉は徳川陣に尻を丸出しにしてペンペンと叩いた。豪快な放屁もおまけつきだ。そして帰っていった。
「はっはははは!」
 笑う家康。
「はっははは、今のはいささか下品でしたな」
 と、石川数正。
「ははは、しかしこれで分かった。秀吉はそろそろ痺れを切らす。羽柴陣への草(密偵)を増やせ!」
「「ははっ」」

 翌日、功をあせる池田勝入斎と森長可は翌日再度強硬に申し入れ、秀吉も渋々許可した。織田信長なら一喝し退けただろうが、今の羽柴秀吉の立場ではそれができなかった。秀吉と諸将はこの間までの同僚であり誰も秀吉の家来であるとは思っておらず、単なる諸将同盟の盟主にしかすぎない。
 ましてや池田勝入斎は織田家の先輩であるし機嫌を損ねたくないという配慮が大きく働いた。これ以上申し出を固辞すれば信雄の方へ寝返ってしまう恐れもあった。明家は強硬に反対したが聞き入れられず、中入は決定してしまった。
 軍団は羽柴秀次(当時は三好秀次)八千を総大将として、池田勝入斎親子六千、森長可三千、堀秀政三千が中入の部隊として向かった。この軍勢の数を聞いて明家は驚き、
『かような大部隊が移動して徳川に気付かれないはずがございません! 奇襲には大軍が逆に枷となります! 精鋭を集め、せいぜい三千ほどで行くべきにございます!』
 と、少数精鋭で向かう事を献策したが、功を焦る池田勝入斎と森長可は聞き入れなかった。また羽柴秀次もまたとない大役に胸躍らせ聞く耳をもたなかった。無念に軍勢が向かうのを見送るしかなかった明家。
 明家は長可配下にいる石投げ合戦をした仲間たちに、長可殿に中入りをさせてはならない、必ず徳川に気取られる、諌めて止めてほしいと頼んでいた。仲間たちは同意していたが、どうやら長可を止められるには至らなかったようだった。家康は翌日の夕刻には羽柴勢の動きをつかんでいた。最初は近隣の領民が報告してきたが家康は、
「まさか秀吉がこの状況下で危険な中入をするはずが無い。それは囮で我らを砦の外に誘きだそうと云う謀略だ」
 と考えて容易には信じなかったが、羽柴陣に放っておいた伊賀忍者たちから同様の事を告げてきた。家康は囮ではなく岡崎への中入と判断して出陣の準備を命じ、徳川軍は羽柴軍の後尾を密かに進撃しはじめた。徳川軍は羽柴軍の動きをすべて掴んでいたのに対し羽柴軍は家康の行動を何一つ知らず、岡崎を目指して行軍していた。奇襲する方とされる方の立場はまったく逆であった。

 先鋒の池田勝入斎の軍勢、途中で千二百ほどの守備兵がいる岩崎城を通りかかる。勝入斎は城攻めをしている場合ではないと無視をしようと思ったが、城からの銃撃を受け、それが勝入斎の乗っていた馬に命中して勝入斎は落馬してしまう。
 短気な性格の勝入斎は恥をかかされたと激怒し、作戦が『奇襲』と云う事を完全に忘れ岩崎城攻略に取り掛かった。この間、後続部隊は進軍ができず駐屯せざるを得なかった。その知らせは総大将の羽柴秀次に届いた。
「城攻めだと……?」
「はっ」
「ええい! 寡兵の篭る城などにかまっている場合ではなかろうに!」
 岩崎城の城兵らはよく戦ったが、呆気なく落城し玉砕した。この間、森長可、堀秀政、羽柴秀次の各部隊は休息し進軍を待っていた。しかし、その時すでに徳川勢は背後に迫っていた。それに気付かない羽柴秀次軍。そして羽柴秀次の部隊に大須賀康高の部隊が奇襲攻撃をかけた!
「撃て」
 大須賀隊の鉄砲隊が休息中の秀次隊に襲い掛かった。榊原康政の部隊も嵩にかかって攻撃を開始。
「秀次様ァ! 敵襲に……! グアッ!」
「退け、退けーッ!」
 油断していてアッと云う間に蹴散らされる秀次隊。秀次は馬も失った。もう走れないと秀次が思った時、秀次に仕えていた可児才蔵が馬に乗って通りかかった。
「おお可児! 馬を譲ってくれ!」
「雨の中で蓑笠が欠かせぬと同様に、戦場で馬は欠かせぬ。ご容赦を!」
 才蔵は去っていった。
「彼奴! ただでは済まさんぞ!」
 秀次と共に陣にいた山内一豊も敗走を余儀なくされた。
「太田黒、太田黒は!」
「殿、馬の心配をしている場合では!」
 一豊に撤退を述べる家臣の祖父江新一郎。
「あ、あれは千代が買ってくれた名馬なんじゃ!」
「それは新一郎も存じておりますが、今はお逃げを!」
「千代、すまん!」
 敗走する秀次。しかしとうとう追いつかれ囲まれた。
「大将首だ、もらったぁ!」
 その時、空気の幕を切り裂く投石!

「ぐああっ!!」
「な、なんだぁ!」
 秀次に斬りかかろうとしていた者たちは投石により蹴散らされた。
「礫、放てーッ!!」
 柴田軍だった。明家の誇る小山田投石部隊が屈強の三河武士団を蹴散らす。三方ヶ原の戦いでも徳川軍団を震え上がらせた小山田投石部隊の攻撃。鉄砲では味方を巻き添えにする。正確無比な投石を誇る部隊だから可能であった先制攻撃である。
「羽柴隊、伏せよォ!」
 羽柴秀次、そして秀次の目付けとして随行していた杉原定利(秀吉の正室ねねの父)やその弟である木下利匡、柴田明家の指示で伏せた。
「鉄砲一番隊、前へーッ!!」
 投石部隊と同じく前面に出た鉄砲隊。
「撃てーッ!!」
 歩の一文字の軍旗、柴田勢が加勢に来て鉄砲を炸裂させた。投石隊と鉄砲隊が横隊に並び一斉に大須賀隊に向けて攻撃を仕掛けた。
「鉄砲二番隊、前へ!」
 すぐに後列の者が前衛に出て射撃。徳川勢は次々と撃たれた。
「ち、退け退け!」
 大須賀康高、そして榊原康政は退いた。
「追いますか?」
 と、山中鹿介。首を振る明家。
「無用だ、それより味方の回収を急がせよ」
「はっ」
 すでに徳川軍団は明家の前から消えていた。
「さすが三河武士、後退もまた一流だ」
 馬から降りて、秀次に向かう明家。
「秀次様、お怪我は?」
「だ、大丈夫だ……」
「良かった、しかし負傷はしておられる様子、陣に帰って手当てをせねば」
 秀次は震える。
「秀次様?」
「え、越前、オレは怖い。この敗戦で叔父上に殺されるのではないかと」
「勝敗は兵家の常、百戦百勝とはまいりませぬ。この敗戦を教訓として次にがんばると平身低頭お詫びすればお許しあるかもしれません。それに……岡崎を落とすと云う大前提を忘れ城攻めに至り前進を止めた勝入斎殿にも落ち度がござれば。さあ戻りましょう。替え馬を用意いたしましたゆえ」
「すまない……」
「申し上げます」
 六郎が来た。
「うん」
「大須賀隊と榊原隊は前方の堀秀政隊に攻撃に転じたそうにございます」
「そうか、我らの務めは秀次様救出のみ、堀殿ならすでにこの騒ぎを聞いて備えていよう。欲張らずここは後退して本陣に引き揚げる」
「ははっ」
「杉原様、木下様、残存兵をまとめて下さい。引き揚げましょう」
「承知した」
 と杉原定利。
「越前……。助かったわ。殿の下命か?」
 礼を述べる木下利匡
「ええ」
「そうか……」
 本当は明家が秀次隊の壊滅を予想して、秀吉に出陣を願ったのであるが恩を着せるのでそれは言わなかった。そして柴田隊と秀次の隊は何とか本陣に引き揚げた。そのころ同時に池田勝入斎と元助親子、森長可討ち死にの報が届いた。堀秀政は明家の読んだとおり、奇襲に来た大須賀隊と榊原隊を撃退し、引き揚げてきていた。
 だが池田勝入斎親子、森長可の部隊は徳川と織田信雄の本隊に捕捉され、集中攻撃を受けて壊滅。池田勝入斎親子、森長可は討ち死にした。
 羽柴秀次は明家の言ったとおり、平身低頭に秀吉に謝った。刀を抜いた秀吉は秀次を斬ろうとしたが、結局冷淡に『失せろ』と言われただけで命は助かった。ホッと胸を撫で下ろす明家。

 そして山内陣。一豊はしょげていた。妻の千代がずっと暖めていた黄金十枚で購入した愛馬太田黒とはぐれてしまい、失ってしまった。愛妻に合わせる顔がない。一人にさせてくれと陣中で嘆く一豊。太田黒恋しさにベソすらかいた。そんな時だった。側近の祖父江新一郎が来た。
「殿! 越前殿が陣にお越しです!」
「…帰っていただけ」
「そんな事をすれば一生後悔しますぞ!」
「なに?」
 なんと明家は太田黒を連れて山内陣に来たのである。急ぎ明家の元へ走る一豊。
「お、おお! んおおおッッッ!」
 一豊は太田黒に抱きついた。
「困りますよ一豊殿、それがしの愛馬にずーと付きまとっていたのですよ太田黒殿は!」
「へ?」
「それがしの愛馬ト金に言い寄っていたみたいです。ト金は受け入れたようで……せっかく松風の種を得て次代のト金を生んでもらおうと企んでいたのに……」
 恩を着せる事を明家は好まない。だからこんな文句も言いながら一豊に太田黒を返した。彼の愛馬ト金に太田黒が言い寄っていたのは事実のようだが。
「ま、待たれよお忘れか? 天覧馬揃いのおり、亡き大殿(信長)に馬を褒められたのはそれがしと越前殿だけではござらんか! 太田黒の種とて松風殿には負けませんぞ! ご安心あれ」
「じゃあ……ト金との間に生まれた駿馬すべて柴田家が独占しても山内家は異存なしでございますか?」
 意地の悪い笑みを浮かべ、冗談交じりに言った。
「え?」
「あの安土の馬市の時、それがしも太田黒に惚れていたのです。子種全部独り占めできるのなら黄金十枚を支払わずにそれがしの丸儲けにございますな!」
「い、いやそれはちょっとあんまりかと……俊足のト金姫と太田黒の間に出来た馬ならば当家も欲しいし」
 笑いあう一豊と明家、賤ヶ岳では槍も交えたが、同じ羽柴家の幕僚になってからは親しくしていた。
「しかしそうか、太田黒めがト金姫に。おお、ではもしや」
「え?」
「それがしが賤ヶ岳で越前殿に遅れを取ったのはワシの太田黒がト金姫に見とれていたからに違いない」
「いや、『しつこい男は嫌い』と言われて太田黒がしょげていたからかもしれませんよ」
「ははは! でもさすがはワシの愛馬、めでたく恋しい娘を落としよったか。ワシのトコにも戻ってくれたし。終わりよければすべて良しでござるよ。あはははは!」

 そしてその夜、明家は秀吉の陣屋に呼ばれた。秀吉と秀長が待っていた。
「越前、礼を言う。甥のタワケはともかく、ねねの実父たる杉原定利とその弟の木下利匡を救出してくれたのは本当に助かった」
「恐悦至極にございます」
 池田勝入斎が岩崎城攻めをしたと情報が入ってきた時、秀吉は座っていた床几を思わず蹴り飛ばした。そこで明家はすぐに言った。
『秀次様が危ない、それがしに出陣を許して下さい!』
 秀吉は首を振った。
『ならん、無用に戦が拡大する』
『徳川殿や信雄様の首を取りに行くのではありません。秀次様を連れ帰るだけにございます。一刻を争いまする! 何とぞお許しを!』
『……よし分かった。秀次を何とか無事に連れ戻せ! 余計な戦闘はするでないぞ!』
 かくして明家は無事に秀次、そして杉原定利と木下利匡と云う秀吉縁者を救出する事に成功し帰還したのである。
「ところで……」
「はい」
「家康は強い、何とかならんかの……」
「それは……」
「越前、ここは我ら兄弟だけじゃ。遠慮はいらん申せ」
「秀長様……」
「越前、頼む助けてくれ……」
「では僭越ながら申し上げます。殿、信雄様を調略なされませ。こたびの戦は信雄様が羽柴の台頭を恐れて挙兵し、徳川殿に来援を請うたものでございます。信雄様と殿が講和してしまえば戦う名分がなくなります。矛を収めて三河へと帰りましょう」
 秀吉は膝を叩いて、秀長を見た。秀長も頷いた。
「名案じゃ! 秀長、急ぎ信雄めに要談の場を持ちたいと申せ!」
「承知しました!」
 秀長は陣屋から出て行った。
「さすがは半兵衛譲りの智慧じゃ! 助かったわ」
「お聞き入れ、恐悦に存じます」
「まさに半兵衛がワシの元に戻ってきたかのようじゃ! 礼を申すぞ越前!」
「いえ、殿の御威光あらばこそ成し遂げられる事にございます」
「うんうん!」
 秀吉を持ち上げる明家、こんな言葉がスラスラとクチから出てきた事に明家は自分で驚いた。しかし実父勝家に仕えていた時と同じような仕え方では我が身は滅ぶと云う事も分かっていた。秀吉は天下人に一番近しい男。人は覇者になると功臣が自分の存在を脅かさないかと云う疑心暗鬼になる。羽柴を勝たせる献策も最初は喜ばれるが、回数が重ねれば恐れられる。
 明家の義兄、竹中半兵衛もいつ秀吉に走狗として煮られる事を懸念しており、いつでも逃げられるように高野山に終の棲家を用意していたと云う。明家もこの時すでに九州の商業都市博多と平戸に土地と屋敷を用意してあり、下野の際に家臣に渡す分配金すら確保していたと云う。
 我が身や子孫の災いになるからと、義兄の半兵衛と同じように秀吉からの感状や重用を保証する書もすべて焼いて処分していた。なまじの敵より主君秀吉の方がはるかに恐ろしい存在と承知していたのである。成り上がって行く者は昔の邂逅や恩義などいつまでも記憶していない事を明家は半兵衛の生き様から学んでいた。秀吉に対して明家は異常なほどに用心深かった。明家は大功を立てた時に、その後こそ大事だと知っていた。同僚や朋輩の妬みを受けるだけではない。主君の自負を損なわずに、その大功の中に包み込まなければならない。
 他ならぬ目の前にいる秀吉が信長に対してやっていた事であった。信長の版図を受け継ぎ天下人に近い身となり得意になっている秀吉。目の前の若者が自分の処世術を手本にして自分に仕えているとは思わなかったかもしれない。
 君主とはまったく身勝手なもので、優秀な部下は欲しいが、優秀すぎると疑ってかかるものだ。これに対処するには遠大な計画をもって反逆するか、さもなければ補佐役に徹する事だ。明家が選んだのは後者であった。
 数日後、織田信雄と羽柴秀吉の和議が成立。徳川家康は戦う大義名分を失い、この和睦を受けるしか道はない。局地戦には負けたが、外交で勝利した羽柴秀吉であった。

 羽柴陣から徳川陣に講和の使者が出た。指名されたのは明家である。徳川家康は小牧山から清洲城に後退していた。そこへ明家が訪れた。二人が会うのは武田攻めの帰陣中以来である。熱を込めて語り合ったが、今の家康は敵、そして明家は秀吉の使者としてである。敵意ある目で使者の明家を睨む徳川家臣団。しばらく明家は評定の間で待ちぼうけを食わされた。
「ところで越前殿」
 と、酒井忠次。
「何か」
「筑前殿は越前殿を得て『半兵衛が帰って来てくれた』と大喜びして申したそうですな」
「過分にもそう申して下されました」
「しかし、その新しい竹中半兵衛殿も案外だらしがないですな。あんな隙だらけの奇襲をさせるとは。佐久間玄蕃の中入で柴田は崩壊したというに前例を学んでいないのには我らもガッカリしましたぞ」
 大笑いする徳川家臣団。
「勘違いあそばすな、それがし今だ義兄半兵衛の足元にも及ばず」
「負け惜しみを、池田恒興と森長可と云う大名首を失い、ようもそんな事を申せますな」
「勝敗は兵家の常、我らとて百戦百勝とはいきませぬ。むしろ今まで筑前守様は勝ち続けていた。この辺で一度痛い思いをした方が良うございましょう。現に徳川様は三方ヶ原の戦いの手痛い敗戦を血肉としておられます。こたび徳川殿に負けたのは我らにとってもムダにはなりますまい」
「ほう何か教訓でも得たと?」
「はい、ごく当たり前の事を」
「何か?」
「『どんなに軍勢が多かろうと信長公のように号令一下、全軍が一つになって動かなければ戦には勝てない』と云う事です」
「「…………」」
「徳川様は姉川の陣において筑前守様と仙石秀久殿にこう申したそうです。『戦の勝ちも負けも両方愛さねばならぬ』と負け戦こそ教訓があると言う事と存じます。手前も心に踏まえている金言にございます」
 家康を讃えながら反論されては徳川家臣団も言い返しようがない。歯軋りする酒井忠次。
(この若僧、何としたたかな……! これでは何も言い返せぬ!)
 ただの舌戦と侮るなかれ、すでにこういう席でも火花を散らす合戦は行われている。明家、徳川家臣団に一本取ったところであろうか。歯軋りしている酒井忠次を見て本多忠勝は顔を横に向けて笑っていた。
(言われてやんの)
 そのうち家康が入ってきた。
「久しぶりじゃのう隆広殿」
 明家の旧名を呼びながら腰掛けた家康。
「おう、今は越前守であったな。元気そうで何よりだ」
「はい、徳川様もお元気そうで何よりです」
「して、用向きは?」
「徳川様には終戦の確約していただきとうございます。それで羽柴はただちに撤退を始めます」
「…………」
 しばらく見詰め合う家康と明家。そして家康、
「確約いたそう。徳川は三河へ引き揚げる。ところで信雄殿を調略する事を筑前殿に献策したのは誰なのでござるかな?」
「さあ、筑前守様が思いつかれたか、もしくは秀長様の進言かと」
「隠さずとも良い、その方であろう」
「いえ、違います」
 再び沈黙の中で見詰め合う家康と明家。
(ふん、肝っ玉の据わったツラしよって)
 家康は静かに笑い、言った。
「……ま、よかろう、我らは明日にでも陣払いいたそう。大義であった」
「はっ」
 家康に平伏し、席を立つ明家。
「越前」
「は?」
「お前とは戦いたくないものだ」
「恐れ入ります」
 城から出て行く明家。清洲城の上からその後ろ姿を見送る家康。明家の背中に亡き嫡男信康の姿を重ねる。
(相変わらず似ておる……)
 ふう、一つ溜息をついた家康。
「秀吉ではなく、ワシに仕えてくれたらの……。惜しい男よ」


第四章『さえ、倒れる』に続く。