天地燃ゆ外伝−さえ−

第一話『悲劇の姫』

 戦国時代を終焉に導き、天下に安寧秩序をもたらした天下人柴田明家。その正室であるさえが朝倉景鏡の娘と云うのはよく知られている。主君である朝倉義景を裏切り死に追いやった景鏡。いかに裏切りと騙し合いが公然と横行した時代であっても景鏡の行為は当時大変蔑まされた。やがて彼は哀れな末路を辿る。
 その景鏡の一人娘がさえである。汚名は子孫にまで伝えられるもの。本来ならば彼女は父の名前をクチに出すことも出来ず、日陰でひっそりと暮らす生涯を送ったかもしれない。しかしさえは現在で言うところのファーストレディーに至る。誰を妻にするかで男の人生は大きく変わる。さえは良人柴田明家に天下を取らせた女であったのだ。

 さえは永禄三年(一五六〇年)に越前の国、朝倉氏の居城である一乗谷城にて生を受けた。良人の柴田明家と同年である。父は前述の通り朝倉景鏡。朝倉一族であり宿老を務める重臣の中の重臣だ。母の出自と名前は伝わっていない。一説では朝倉家の名将の朝倉宗滴の孫娘と言われているが、それは後世の創作であろう。確かなことはさえを生んですぐに死んでしまったと云うことである。景鏡は妻の死を悲しみ、そして娘の誕生を喜んだ。
(亡き妻のためにも、大切に育てねばなるまい)
 景鏡の姉の八重がさえの養育に当たった。彼女の良人は景鏡側近の吉村監物である。息子の直賢はすでに独り立ちして朝倉本家の勘定方を務めている。八重は長男の直賢を生んだ後に女の子が欲しかったようだが、それは叶わず、それゆえ姪のさえを慈しみ、弟の景鏡と共に厳しくも優しく育てた。さえにとっては八重が母と同じである。

 さえが五歳になった時、景鏡は越前大野城の城主になった。さえもお城のお姫様と云うわけである。この当時の越前は戦国乱世とは無縁のように豊かで平和であったと言われている。後に織田軍の先鋒として越前に寄せた羽柴秀吉などは『まるで別天地だ』と発したと云う。
 さて当時、朝倉景鏡は九頭竜川の治水工事を担当していた。再三再四景鏡は九頭竜川治水の重要性を義景に訴えたが、いかに一乗谷に一大文化を作り上げた朝倉氏と云えど、その工事費用の捻出は困難であり義景は意見を入れなかった。後年に汚名を被る景鏡だが、彼は領民を慈しむ心を備えており、武将としては評価されずとも為政者としては評価されても良い人物である。朝倉本家がやらないのならば当家でと彼は自分で出来る範囲で九頭竜川の治水を行っていた。

 ところで越前大野城では
「伯母上、父上は今日も九頭竜川に?」
「そうよ、大切なお仕事に行っているの」
「さえは義景様も九頭竜川も大嫌い」
「こらこら、大殿様と越前の恵みの川にそんなことを言ってはいけませんよ」
「だって父上をさえから取り上げるんだもの」
 さえはこの年、主君朝倉義景と初めてお目見えしていた。無論景鏡も一緒であったが義景はさえを見て
『これはかわいい。大きくなったらさぞや美女となるだろう』
 と、言った。他の者ならばただの褒め言葉で終わるが言った者が義景だとそれでは済まない。義景は家臣の娘で美少女がいると決まって側女にあげている。お目見えのあと景鏡は義景に対する不満を家老の吉村監物に忌々しそうに吐いた。義景は監物に
『さえが十四になったら余の側女とするよう差配せよ』
 そう伝えている。呆れたことに宿老級の景鏡に対しても例外ではなかったようだ。大事な姫を冗談ではない。監物は腹に据えかねたが、それは景鏡には言えない。朝倉の内乱に繋がりかねない。お家騒動とは時に周囲が呆れるような理由で起こることがある。老将の監物はそれを分かっていた。だが、どういう経緯をもってか景鏡の耳に入ってしまった。どうしてそれを黙っていたかと監物を叱る景鏡。
「誰があんな三流以下の男に大切な娘をくれてやるか!」
 憎々しげに畳を踏み、チカラ任せに戸板を開ける景鏡。
「監物、さえはな、ワシなど足元にも及ばぬ立派な若者に嫁がせる! そう決めている!」
「殿……」
「義景めが!」

 さて景鏡が行っている九頭竜川治水。主君義景には腹が立つが、それは別問題。治水は越前の民のためである。しかし朝倉本家が費用を渋るだけあって治水工事は深刻な資金不足だった。工事本陣で頭を抱える景鏡の元へ使い番が来た。
「殿、吉村直賢殿が面会を求めていますが」
「直賢が? 監物ではなくワシにか?」
「はい」
「通せ」
 そこには監物の弟、つまり直賢には叔父に当たる吉村直信も共にいた。
「しかし父親を飛ばして、その主君に会おうとは。順番を違えるなど直賢らしくないですな…」
「まったくだ。監物が間にいると面倒な用向きであるやもしれぬ」
 監物の息子、吉村直賢がやってきた。
「式部大輔様(景鏡)、早速の引見痛み入ります。叔父御も一緒にござるか」
「どうした直賢」
 本陣に入った直賢は銭箱を置いた。
「二千貫ございます。これを治水資金に」
 さらに九頭竜川に浮かべてある小舟を指す。直賢が乗ってきた舟だ。
「あの舟にまだ六千貫積んであります」
「では合わせて八千貫……!」
 あまりの大金に驚く直信。
「慎んでお渡しいたします」
「ならん直賢、その方、本家の勘定方と云う立場を利用してかような大金を用立てたのであろう! 露見すれば処刑は」
 喉から手が出るほど欲しい資金だが拒絶する景鏡。
「いえ、それがし個人が用立てました。どうか越前の民を救うため役立てていただきたいのです」
 直賢は交易品の転売を繰り返し、大金を稼いで景鏡の本陣に持ってきたのだ。用立てた手段も景鏡に丁寧に説明する直賢。彼は九頭竜川治水を懸案する景鏡と共に義景に治水の必要性を訴えてもいた。
「直賢…」
「このこと、父の監物には内密に」
 顔を見合う景鏡と直信。そして叔父である直信は
「なぜだ? そなたの前で言うのも何だが、この働きで兄者もお前を認めよう」
 監物は武勇が苦手で算術に長けた息子を評価していなかった。
「小賢しいと思うだけです。今さら父の手前への評価を覆す気もありません。面倒なだけですから」
「……まあ、そなたがそれでいいと云うのなら」
 と、景鏡。
「その金は朝倉本家よりとでも繕っておけば良いでしょう。それではこれで」
 直賢の持ってきた金を見る景鏡。
「打ち出の小槌のごとき男だ。監物は無骨ゆえ息子の才知を分かっておらぬ。銭を無から生みだすチカラは豪傑の一閃に勝るものぞ。直賢は義景などではなく天下を取れる昇竜のごとき男に仕えるべきなのやもしれぬな……」
「天下を取る昇竜、それは義景様ではないのですか?」
「たわけたことを申すな。あの男では天下どころか越前すら守れるか疑問だ」
「では何故、殿は義景様に仕えます?」
「同じ朝倉一族であるからに過ぎん」
「…………」
「亡き宗滴公は名将だが……あの義景に常に勝ち戦を献上したことは過ちであったな…。義景自身、戦場で泥水すするような経験を積めば、今少しマシな主君であったろうに」
 宗滴とは朝倉家の名将の朝倉教景のことである。現当主義景には叔父にあたる。
「では昇竜のごとき男は?」
「さてな、直賢もそういう男に仕えられたら良かったのにのう」
 無から大金を生み出す吉村直賢、この景鏡への献金を後年に知りえたある男が自ら出向いて直賢に我が家臣へと願うことになる。その男こそが天下を取れる昇竜、柴田明家であった。

 さて、直賢から豊富な資金を得た景鏡は九頭竜川治水に励む。景鏡は自ら川の流域を歩いて地形図を描いていく。そんなころ、さえが八重と共に工事本陣に訪れた。
「父上、会いたかった」
「さえ、父も会いたかった。よく来てくれたな」
「はい」
「文字の手習い、家の手伝い、ちゃんとやっているか?」
「はい」
「ようし、いい子だぞ」
 夜のとばりの中、九頭竜川沿岸をさえと歩く景鏡。さえが父に聞いた。
「ねえ父上、九頭竜川はこんなにおとなしいのにどうして工事をするの?」
「ははは、さえ、九頭竜川にはな、色んな顔があるんだぞ」
「色んな顔?」
「そうだ、今のようなおとなしい顔、そして名前の通り、怒れる竜神様のような恐ろしい顔じゃ」
「恐ろしい顔」
「そう、台風が来れば暴れだし、人々の汗水の結晶である田畑を一瞬で沈め、そして人々を飲み込んでいくのじゃ」
「こわい……」
「でも、九頭竜川は越前の人々に恵みもくれる川じゃ。さえ、父は九頭竜川を退治しているのではないぞ。仲良くしてもらうため、ちょっと手を加えさせてもらっているのじゃ」
「九頭竜川と仲良く」
「治水とはな、川を押さえこむ技ではない。その恵みを賜る技なのだ」
「……?……?」
「ははは、少し難しかったか」
「はい」
「いつか、お前の婿殿と、この仕事を一緒にしたいものだ……」
「さえは父上のお嫁さんになります」
「ははは、ありがとう。さえ」
 このまま何ごともなければ九頭竜川全域は無理でも、主なる水害は防げるに至ったかもしれない。しかし、そうはいかなかった。織田信長の越前侵攻である。一度は近江の浅井長政の助勢も得て退けた。しかし二度目の侵攻は苛烈だった。景鏡は断腸の思いで治水を中断し、織田家に備えた。しかし織田軍の猛攻たるやすさまじかった。

 越前に侵攻を開始した織田軍。国境付近でしきりに挑発行為を行い、そして豪雨の夜に大嶽砦を奇襲した。この砦は織田軍に対する前線基地であったが、天候は豪雨、城方は織田勢が攻めてくるとは思わず警戒を解いていた。そこを大挙して攻めたのだ。大嶽砦は落ちて守将は討死に。織田信長は休息もとらずに侵攻。朝倉軍は刀根坂に布陣して迎撃態勢を取るが粉砕された。織田軍は徹底して追撃をし、当主義景は命からがら一乗谷城まで撤退した。景鏡は『もはや朝倉の命運これまで』と思った。すうすうと眠る愛娘の顔を見る景鏡。
「う……ん、父上……」
「殿、大殿より出陣せよとしきりに」
 と、吉村監物。
「監物……」
「はっ」
「ワシは義景を討つ」
「な……っ!?」
「考えたすえのことだ」
「しかし……!」
「羽柴秀吉の調略が平泉寺の僧兵たちに及んだと聞く」
「なんと……!?」
 平泉寺の僧兵は三千を数え、それは屈強と言われていたが、僧兵たちは朝倉を見限り織田についていた。神がかりのチカラでもないかぎり逆転は不可能な状態である。
「ワシはあんな暗君と共倒れなどごめんだ」
「しばらく! たとえ暗君とはいえこの局面で裏切れば殿は末代まで汚名を残しまするぞ!」
「ワシの名前などどうでもよい。さえが……」
「殿……」
「さえが生きてくれればそれでいい!」
「なりませぬ! 姫様に裏切り者の娘として生きよと言われるのか!」
「…………」
「大人となった姫が! 胸を張って父を語れなくなってもよいのでございますか!」
「もう遅いのだ」
「は?」
「義景に大野に来るように勧めた。ワシの手勢と平泉寺の僧兵たちのチカラを合わせ再起図るべしと」
「では……」
「ふん、ノコノコやってきた義景を賢松寺に入れて囲み殺すわ」
「殿……! いかなる理由があれどもそれは返り忠! かような真似をして恥ずかしゅうはないのでござるか!」
「誰かある」
「はっ」
 兵数名が来た。
「監物を更迭せよ」
「「は?」」
「聞こえないのか!!」
「と、殿! 何とぞこの老臣めの諫言をお聞き下され!」
「連れていけ」
「「はっ」」
 監物は兵数名に連れて行かれ、城内にて軟禁された。
「お前さま」
「八重、なぜ!?」
 軟禁された部屋には監物の妻の八重もいた。
「景鏡が、いや、お屋形様が大殿を裏切ると聞き、必死に止めたんだけれど……」
「同じじゃ。ワシもそれを諫めてここに」
「あああ……裏切りで大事を成したものなどいないのに!」
「なんということじゃ……!」
 景鏡はその後、賢松寺に朝倉義景を案内し、そして取り囲んだ。羽柴秀吉もそこにいた。
「式部大輔殿、信長様は御身の領地と命を保証された。安心されよ」
「はっ、すぐに義景を討ち取りまする」
「任せまする」
(ふん、しょせん使い捨てよ。タワケが)
 やがて朝倉義景は自刃して果てた。栄華を極めた越前朝倉家が十日も持たずに織田に攻め滅ぼされたのだ。景鏡は義景の首と捕縛した義景の母である高徳院、そして妻子を信長に差し出して降伏を許された。景鏡は信長に謁見。信長の態度は冷たいものだった。
「領地は安堵してやる。しかし、そこから出たらすぐに叛意あるべしと見て討ち取る」
「…………」
「ついでじゃ、姓を与えてやる。『土橋』」
「土橋……?」
「由緒はない。ただの思い付きだ。また裏切りの『景鏡』の名では肩身が狭かろう。ワシの『信』の字を与えるゆえ、今後は『土橋信鏡』と名乗れ」
「はっ」
「分かったら消えよ、吐き気がするわ」
「……は」

 土橋信鏡と名を改めた朝倉景鏡(混乱するのでこのまま『景鏡』と記す)。しかし裏切りを行った者はやはり哀れだった。越前の人々には売国奴、裏切り者と罵られ、耐えきれなくなった家臣たちは次々と去っていく。良心の呵責と信長の冷遇への怒り、やがて景鏡は酒浸りとなった。
「父上、お酒ばかり飲んじゃ」
「うるさい!」
「あっ!」
 景鏡はさえを叩いた。ここ数日、さえは父の景鏡から理不尽な仕打ちを受けていた。物を投げられたり、大声で怒鳴られたり。今日は暴力にまで至った。
「父上……」
「何ださえ、お前までワシを裏切り者と呼ぶのか!」
「そんな父上……いやだ……」
 さらにさえを叩く景鏡。景鏡の怒声とさえの泣き声を聞いた監物と八重が大急ぎで駆けつけて止めに入った。
「殿! 姫様になんてことを!」
「やかましい! みな出ていけ!」
 さえを連れて別室に行く監物と八重。
「う、うう……」
 泣いているさえを抱きしめる八重。
「負けてはなりませんよ姫様、お父上はいま病気なのです」
「かわいそうに、こんな腫れて……」
 つめたく絞った手拭いをさえの頬に当てる監物。
「伯母上、父上はどうしたの……。あんなにさえに優しかったのに……」
 その手拭いで溢れて止まらない涙を拭く。
「姫様も十二……。もう知っていて良いでしょう……」
「お前さま……」
「良いのだ……」
 監物はすべて話した。
「父上が義景様を殺した……!?」
「はい、やむにやまれぬことだったのでしょう……」
「父上……」
 まだ幼いさえに父の支えになってやれなんて無理な注文だ。さえ自身、父の仕打ちに耐えかねている。さらに景鏡はついに発狂した。悪夢にうなされ続け、幻覚を見始め、刀を城の中で振り回す。もはや常人ですらない景鏡をどんどん見限り去っていく家臣たち。評定の間は閑散とし、城の中を掃除する侍女もいない。最後まで残ったのは監物とその弟の直信、八重、そしてさえだけであった。ただ一つの朗報は監物と八重の息子の直賢が重傷を負ったとはいえ生きていたことであるが景鏡の今の状況は悲惨そのものだった。
 やがて一向宗門徒と一部領民に大野城を攻めこまれた。景鏡は監物に連れられて平泉寺に避難した。城も奪われた。平泉寺もすでに囲まれ、もはやこれまで。死を悟ったゆえか、ここで景鏡は正気を取り戻した。
「さえ、ひどいことをした。すまない……」
「父上……」
「直信」
「はい」
「兄の監物への義理とはいえ、よくここまで一緒に来てくれた」
「景鏡様……」
「頼みがある。さえを連れて逃げよ。ワシが囮になる」
「殿、監物も参りますぞ」
「すまんな監物……。やはりあの時、そなたの言う通りにしておけば良かった。返り忠を打った者の末路かくのごときよな」
「もう言いますまい。このうえは朝倉武士の矜持を見せつけて死にましょう」
「父上……! さえも一緒に死にます!」
「ならん、生きよ。よいか、生きるのだ!」
「父上ぇ……」
「お前に裏切り者の娘と云う一生消えない汚点を残してすまない。本当にすまない」
 景鏡は最後、さえを抱きしめた。
「姫、お健やかに……」
 監物の顔が涙でゆがむ。幼いころから色々とお話をしてくれた老臣監物、さえは大好きだった。父と、その大好きな監物ともう二度と会えないと思うとさえの涙は止まらない。
「さらばだ、早く行け!」
「父上ーッ!!」
 景鏡と監物は敵勢に突撃、さえは直信に連れられ平泉寺を脱出。しかしさえを逃がすために直信は
「直信殿!」
「かまわず走りなされ! 追手が来ますぞ!」
 追手の弓矢に体を射ぬかれて倒れた。
「ああああーッ!!」
 さえは泣きながら走った。やがて小さな漁村に出た。漁師の会話が聞こえた。
「おい聞いたか、裏切り者の景鏡、殺されたらしいぜ」
「ああ、いい気味だ。あっはははは!」
 拳を握り、そして悔し涙がポロポロと出てきた。あてもなく歩くさえ。極度の疲労と空腹が襲う。逃げる最中、持たされた路銀は落してしまった。一文もなく、寝床もない。立ち止まれば追いつかれて殺されるかもしれないとさえは歩いた。そして……
「ここ…」
 さえは知らぬ間に日本海の断崖絶壁『東尋坊』にやってきていた。今日でも身投げの場所と呼ばれている。さえは死の誘惑に負けてしまった。
「……ごめんなさい父上、さえも死にます」

 夕暮れ時の東尋坊、さえ以外にも訪れている者がいた。妻を連れて夕陽沈む水平線を見つめる。
「きれい…」
「そなたほどじゃないぞ」
「まあ、殿ったら」
「ははは……ん?」
 前方に汗と泥に顔と着物を汚した一人の少女が立っていた。絶壁寸前にボロボロの草鞋を揃えて置き、手を合わせている。
「殿……!」
 妻の言葉より早く、男はさえに大急ぎで駆けた。間一髪のところで男はさえの体を押さえて絶壁から離れさせた。
「バカな真似はやめろ!」
「は、放して! 死なせてえッ!!」
「バカ者!」
 さえを叩いた。
「何と愚かな、かような花の命を無駄に散らせようとは!」
「う、ううう……」
「何があったのですか……」
 女が歩んできた。顔中が汗と泥だらけ、鼻水と涙も垂れている。女は顔を拭いてやった。
「ほら、きれいになった」
 それでもさえは泣きやまなかった。
「何があったの、言ってみなさい。私はお市、北ノ庄城主、柴田勝家の室です」
「え……!!」
「ワシは柴田勝家じゃ」
 さえは怯えた。自分たちの国を滅ぼした織田家の猛将が目の前にいるのだ。
「怖がらずともよい。どうしたのだ」
「う、うう……。みんな死んじゃいました……。残ったのは私だけ……」
「そうか」
 勝家はさえを抱きあげた。
「あ、あの……」
「何かの縁だ。お市、この娘使ってやれ」
「はい」
「わ、私は……」
「今は言わずともよい。疲れたであろう。眠るがいい」
「は、はい……」
 さえは勝家の腕の中で眠った。チカラ強い腕の中が心地よく、疲労困憊であったさえはすぐに眠ってしまった。
「かわいい寝顔だこと」
 微笑をうかべるお市だった。


外伝−さえ− 第二話『運命の出会い』に続く。