片山杜秀と白井聡の愚論


――その里見岸雄論を点検する
里見日本文化学研究所主任研究員 金子宗徳
本紙掲載分〔PDF版〕

「犠牲を強いるシステム」としての「国体」
 昨今、少しづゝではあるが里見岸雄の言説に関心が集まり始めた。それじたいは結構なことだが、中には粗雑極まりないものもある。
 音楽評論家の傍ら三井甲之を始めとする近代右翼思想に研究者としても知られる片山杜秀は『国の死に方』(新潮社・平成二十四年)の第十四章「そんなに国を死なせたいのか――半身不随の『国体』」において、次のやうに述べてゐる。

里見は、水戸学や『国体の本義』が声高らかに決して謳わず、吉田茂も決して触れようとしなかった国体の核心とでも言うべきものを赤裸々に抽出してみせた。端的に言えば犠牲を強いるシステムとしての国体である。

里見は言う。国家は理念的には二つの社会によって構成されねばならない。ひとつは利益社会である。社会の構成員たる各人はおのれの利得を求める。……利益社会が実際に利益を生んでくれれば国家も発展する。

だが国家は利益社会だけでは成り立たない。……利益社会を守り維持し伸長させるには、誰かが進んで犠牲になる必要も出てくるだろう。……
かくして利益を第一義とする社会とは別な、もうひとつの社会が不可欠になってくる。里見はそれを犠牲社会と呼ぶ。……

里見は日本の国体ほど犠牲社会を容易にかたちづくれるものはないと考えた。……皇祖皇宗に頭を垂れる天皇を見て、国民はみな感激し、自分を含む人々の互いに感激し合う姿にまた感激して、世界が感激に満たされてゆく。世界に感激できれば、その感激的世界への愛着が生まれ防衛心が目覚める。感激的世界を守りたいという思いが自分の生存欲を乗り越える。自らを犠牲にしても世界を守るようになる。

自分の利益の追求よりも感激的世界の保持が第一義となる。世界が感激的であればあるほど自らを犠牲にしたくなる。日本の国体は世界に冠たる犠牲社会を紡ぎだす。

第二次世界大戦の経過は里見の理論をある程度、証明したかのようでもある。日本人は愛する国を守ろうと、実に積極的に大勢死んだ。だが、いくさは敗北で終わった。「ポツダム宣言」は日本からの軍国主義の完全除去と平和主義の徹底を命令した。君民相和す国体は平和主義と共存可能ゆえに残り、吉田茂に国体不変と言わしめたが、犠牲社会の方の国体はきれいさっぱり拭われた。その意味では国体は護持されなかった。ひとつの国が確実に死んだ。「国体より重い命のない国」から「人の命は地球より重い国」へと捻転した。

……犠牲社会は少なくとも表向きには片鱗さえ存在を認められない。利益社会だけしかない。それはそれで素晴らしい。が、その国にはやはり死せる国体のあとのとてつもない空白がある。(210頁~212頁・傍点金子)

 片山によれば、里見が「犠牲を強いるシステム」としての「国体」を発見したといふのだ。
 この議論を受け、レーニンの研究者としても知られる白井聡は、『永続敗戦論』(太田出版・平成二十五年)において次のやうに主張する。

里見の国体論は、戦時中多数輩出した神懸り的かつ無内容なイデオローグのそれとは異なる。里見は、そのタイトル(『国体に対する疑惑』、『天皇とプロレタリア』など)からして異彩を放っている著書において、戦前喧伝された「天皇陛下の赤子」や「一君万民」、「一視同仁」といった概念を真に実現する方法(つまりは抜本的社会改革)を追究しようと試み、これらの概念を弄ぶことにのみ熱心なイデオローグたちを容赦なくこき下ろした。ゆえに、この「犠牲を強いるシステムとしての国体」という理論も、空疎なものではない。
片山の整理に従えば、里見の理論は国家を二つの社会によって構成されるものとしてとらえており、それはモダンな論理構成を持っている。……
そして、敗戦によって途方もない打撃を受けたのは、この「感激」にほかならなかった。その中心には、言うまでもなく、昭和天皇の言動がある。それは、「感激」の世界の中心に位置するのが生身の天皇の存在にほかならなかった以上、当然のことであった。……
確かに、「犠牲のシステム」としての国体は死んだ。ただしそれは、平和憲法のためでもなければ、自衛隊が国防軍を名乗らないからでもない。それは、この国では、永続敗戦レジームが前提されている限り、誰も犠牲を要求する道理が成り立たないからである。膨大な犠牲者を出したうえに敗け戦に終わったことの責任をとらないばかりか、直近の敵国に取り入り、この敵国の軍隊が駐留することを進んで促してまで自己保身を図った人物と、それの取り巻きとなることで権力を維持してきた連中とその末裔が要求する犠牲は、犬死であるほかないとあらかじめ運命づけられている。……そしていま、永続敗戦レジームの主導者たちは、このレジームを維持したまま、もっと言えば、「新しい国体」により深く依存しながら、再び「犠牲のシステム」を構築しようと企てている。(170頁~175頁・傍点金子)

 引用と行論における詐術
 両者が説くやうに、国体は「犠牲を強いるシステム」であつたのか。さらに云へば、そんな禍々しいことを里見は考へてゐたのか。
 結論から云へば、両方とも否である。片山が巻末に参考文献として挙げてゐる『国体学入門』(錦正社・昭和十七年)を見ても、「犠牲社会」といふ語は一度しか出て来ない。

国家は社会を契機とし、社会を基礎として肇建せられた、社会に比してはより理性的な結合、方法的な結合であります。この国家が基礎としている社会、換言すれば国家の土台としてゐる社会といふのは、一体どんなものであらうか、これが国家研究にとつての基礎的問題であります。今、国体学上、必要と思はれる範囲で申しますと、国家が土台としてゐる社会に二つある、即ち一は利益社会、もう一つは犠牲社会である。前者は経済的結合であり、後者は生命的結合であります。我国で国体といふはこの後の生命的結合としての社会、即ち基本社会なのであります。即ち権力関係をも含めて凡そ一切の関係が一定の地域内に於て(国家の地域よりも広い場合も、狭い場合もありますが)兎に角一定の地域内に於て一つの生命的基本関係に立つものと見て、この基本関係によつて結ばれるものを総括して謂ふ意味の社会が「国体」の「体」に当る社会なのであります。民族生命体系としての社会が即ち「国体」の「体」になる。(58~59頁)

 この他、「国体」が「犠牲」との関係で論じられてゐるのは次の部分のみである。

丁度五本の指が色々職能があるけれども、本当に一つの拳骨になつて一つの中心に集つて強大の力を発揮し得るやうに、身分や階級を乗り越えて、天皇の御民として一つになる、外敵の現れた時ばかりではない、国家の内部生活に諸々の矛盾を見出した時にも、国体明徴によつて体系化運動を促進するのです。……純粋の理論の上から考へると、西洋その他に於ても曾ていづれの時代にか、かういふ共同体が小さいながらにもあつたのでありませう、ドイツで言ふゲマインシヤフトといふものがあつたでせう。然し、之を唱導したテンニースに依れば斯ういふ共同社会、利害に基かない、本当の犠牲的結合たるゲマインシヤフトはヨーロッパ民族に於ては一度あつたらうといふことは推定するけれども何時の間にか消滅して了ひ、消滅して了つてからは再び現実に帰つて来ない。所が我が国の国体に於てはゲマインシヤフトとでも言ふべきものが、全く古今何れの国家にも見ることが出来ない君臣の立体的構造を以て今日尚ほ連綿として、赫々として存在してをる。斯ういふ独特のものが日本に存在してをる。而も単に観念的にさういふものが解釈され、存在してをるだけでなく、現実に存在してをるのであります。(118頁~119頁)

 テンニースはドイツの社会学者で、利益を背景とするゲゼルシャフトに地縁や血縁などを背景とするゲマインシャフトを対置したことで知られる。一連の記述を総合して考へるに、「犠牲社会」および「利益社会」はゲマインシャフトとゲゼルシャフトに対応するものと解するのが自然であらう。里見がゲマインシャフトを「犠牲社会」と訳した理由は不明であるものゝ、これを「犠牲を強いるシステム」と結び付ける根拠はない。
 果たして片山や白井は『国体学入門』を通読したのであらうか。「片山の整理に従えば」と述べる白井は、間違ひなく読んでゐない。片山にしても、「犠牲」といふ言葉に飛びついだけではないか。
 さうでないと云ふのであれば、是非とも論拠を提示して頂きたい。

※上記は傍点など省略。詳細はPDF版で御確認下さい。

「国体文化」平成26年8月号所収)