天地燃ゆ−完結編−

第二十六章『勝敗』


「殿、なぜ東軍に攻め込みませぬ!」
 ここは細川忠興の陣。忠興は開戦しても動かなかった。家臣の松井康之は何度も出陣を訴えるが忠興は軍を出さなかった。
「西軍の勝利は確実の様相ですが、細川は何もしなかったと大納言様に咎めを……」
「だまれ」
「殿!」
 忠興は明家に邪推していた。自分の妻の玉(細川ガラシャ)と明家が男女の仲ではないかと云う事を。あの西教寺での玉の明家刺殺未遂騒動。本来なら細川は取り潰しされても不思議ではない。しかし明家は『幼馴染同士のケンカにすぎない』と一笑に付して細川を咎めなかった。無論、明家の家臣たちは許さず、忠興は前田利家や奥村助右衛門に激しく叱責されたがそれで済むのなら安いものだった。
 父の幽斎は玉を許さず『斬れ』とも言ったが、忠興は斬る事は出来ず丹後の味土野に庵を建てて、そこへ幽閉した。その孤独な日々で玉はキリスト教に救いを求めてキリスト教徒になったわけであるが、それからしばらくして柴田家から『内儀を許せ』と通告があった。明家の直接命令だった。
 元々忠興は妻に対して異常なほどの独占欲があった。玉と談笑した庭師さえ問答無用で斬っている。いかに君主とした男でも妻に干渉するのなら許さない。その結果、忠興は居城に戻ってきた玉を人目につかせぬために幽閉していた。
 玉がキリスト教徒となり、侍女と共に孤児の面倒を見ている事は知っている。気晴らしになるのならと、その慈善活動は好きなようにさせていた忠興。しかしその活動に対して細川家は資金的な援助はしていない。民の血税を内儀の気まぐれに使えない。そういう理由である。だが玉は資金的に困っていない。どういう事かと思えば玉には一人の支援者がいたのだ。柴田家の御用商人の駿河屋籐兵衛と云う大坂豪商であった。大坂屋敷にいる時に忠興はその豪商を召した。どうして玉に資金援助をするかと。籐兵衛は
『私もキリシタンにございます。ですが個人的に信仰しているだけで細川様のご内儀のように救済の活動は多忙の身でできませぬ。ご内儀とはお会いした事もございませぬが、大名のご正室でありながら孤児を育てようと云うお気持ちに籐兵衛深く感じ入りましてございます。だからご内儀の援助をさせていただいている次第です』
 と答えた。忠興は重ねて訊ねた。
『玉は甘んじてそれを受けているのか』
『最初はご辞退を受けましてございます。しかしながら孤児を育てるには金子は必須。手前が文で“同じキリシタンとして当然の事をしているだけ、お受け取りを”と要望し、やっと受けて下されたのです』
『そうか……』
 忠興は本音を言うと籐兵衛の資金援助をやめさせたかったが、柴田家の御用商人を怒らせる事は得策ではなく、また籐兵衛は『細川様もご融資の希望がございましたら応じます』と言った。忠興はそのまま籐兵衛の玉への援助を見逃す事にした。
 しかし忠興は妻の事となると疑り深い。人は親切でチカラを貸さない。資金援助ならなおの事だ。たとえキリシタンであろうが無宗教であろうがそれは同じ。籐兵衛の資金援助はどう考えてもおかしいと思った。玉へ送った金は社稷には貢献しているかもしれないが籐兵衛にとってまったく無駄な投資である。つまり利益を考えず、玉個人に救いの手を差し伸べている。誰がそんな事をするか。忠興は籐兵衛の後ろには柴田明家がいると思った。
 なるほど籐兵衛は豪商で玉と同じキリスト教徒、だが玉への援助と云う柴田明家の密命を受けているのではないか。明家から定期的に援助金を受け取り、籐兵衛が自分の名前で玉へ送金している。それに伴い柴田家から報酬と明家の信頼を得ていると云うわけだ。しかし証拠は何もない。忠興の疑惑に過ぎない。疑惑は膨らむ。どうして自分を刺殺しようとした女にあれほど寛大なのか。幼馴染と云うが、もしかして将来を誓い合うほどの間ではなかったのか。
 今の玉は城の一角での慈善活動くらいしか出来ないので明家に会う事は不可能である。刺殺未遂騒動のあとに幽閉した味土野の地にいる時にそういう仲になったのではないか。孤独の玉を明家がお忍びで訪れて抱いたのではないか。そして玉が支援を頼み、明家が了承したのではないか。完全に疑心暗鬼に陥った忠興は玉に直接問いただそうと思った。しかし誤解であるのなら、ただでさえ傷心の妻をどれだけ傷つけるか。聞けなかった。その結果、密通の相手かもしれない明家に憎悪が向けられたのだった。
(ちっ……。東軍が優勢なら良かったのに)
 東軍が優勢となったら柴田本陣に突撃するつもりであった。しかし西軍の優勢は動かない。
(くそ……。今後も化け猫を『大納言殿』と呼んでペコペコしなけりゃならないのか)
 忠興の疑惑どおり、明家と玉はそういう仲に至っていたのか。事実ならそういう噂が立ってもおかしくはないのに、それは流れていない。また、明家も妻を寝取れば自分がどれだけ怨まれるか分からない男ではない。明家は家臣の妻や娘を大切にする君主だった。忠興の疑惑は誤解であろう。しかし一旦そう思いこんでしまうと中々それは払拭できないものである。
「殿! ご出陣を!」
「ああ、分かった」
 忠興は重い腰を上げた。
(冷静になれ忠興、ただの誤解かもしれん。もし化け猫と玉が本当に密通していたのなら両名を斬れば良い。だが今は西軍として戦うしかない)
「酒井忠次隊に突撃している長宗我部軍が押されている。加勢するぞ」
「「オオオッッ!!」」

「ひるむな! 化け猫に尻尾を振った長宗我部ごときに後れを取るのは三河武士の恥ぞ!」
「「オオオッッ!!」」
 酒井忠次の軍勢は長宗我部の猛攻をしのいだ。そして押し始めている。
「尻尾を振ったとは言ってくれるな、あのジジイ!!」
 長宗我部信親が吼えた。
「その『ごとき』が手並み、見せてやれ!」
「「オオオッッ!!」」
 信親も猛将であるが、忠次は老練。押さば引き、引けば押す。しかしその均衡が崩れた。細川忠興が加勢したのである。防ぎきれず酒井軍は後退していった。
「かたじけない細川殿」
 礼を述べる信親。だが細川忠興は無視して他の東軍の備えに向かっていった。
「なんだアイツ! 無視をするなんて無礼じゃないか!」
「およしなされ若殿、細川殿もいくさで気が高ぶっているのでございましょう」
 諌める谷忠澄。
「分かったよ!」

 家康の耳には最上と南部勢も撤退した報告が入っていた。西軍諸将に思う存分に奥州武士の気概を見せた最上と南部。南部勢を率いる九戸政実の武名はこの関ヶ原で鳴り響いた。九州最強とも言われている島津勢に一歩も退かず、島津義弘の心胆寒からしめるに至る。島津忠長や島津家久の備えを蹴散らし、義弘をして『アテルイがごとき武将じゃ』と言わしめた。
 しかし島津に秋月勢が加わると劣勢に陥り、南部勢は撤退。九戸政実は義弘の首を狙えるに至れるところまであと一歩であったが未練を残さずに撤退。その退きようもまた見事、義弘が部下に『手本にいたせ』とまで言ったほどである。
 最上勢もまた奥州武士の気概を見せた。統率の取れた槍衾に騎馬隊、しかし直江兼続率いる上杉勢も負けていない。最上の猛攻をしのぎ続け、そして転じて攻勢に移る兼続の見事な用兵であった。この上杉勢に丹羽長重の軍勢が加勢、潮時と見た義光は退却を下命し、最上は追撃も振り切り戦場を離脱した。南部と最上の奮戦振りは明家も見た。特に九戸政実、彼は後に明家にとって忘れる事のできない敵将となる。東軍で残るのは徳川と伊達勢だけとなった。

「殿、もはや勝敗は決まり申した」
 伊達政宗家臣、片倉小十郎が言った。
「そのようだな」
 伊達勢はまだ本日一度も戦っていない。徳川から矢のような催促が来ても無視した。政宗は一つしかない目で戦局を見極めていた。東軍を勝たせるためではなく、伊達勢ここにありと西軍に見せ付けるためである。
「じゃあ帰るか小十郎」
「では退却に」
「だが敵に背を向けての敗走は伊達の名折れだ」
「しかし……」
「天下に伊達の武名を示すのはこの時、そしてこの道しかない」
「殿、何をなさる気か」
「ふむ、成実」
「はっ」
「敵はいずれが猛勢だ?」
「はっ 西かと」
 政宗は床几から立ち上がり、軍配を西に差した。
「その猛勢の中に相かけよ!」
 前代未聞の退却戦が始まった。世界の合戦史でも例がない、敵の真正面に向かって突破すると云う伊達政宗の突撃。世に云う『伊達の退き口』である。伊達政宗が吼える!
「敵に後を見せるなあああッッ!!」
「「「オオオオオオオオオオッッッ!!」」」
 伊達勢が一斉に突撃を敢行。しかも敵中突破と云う背水の陣さながらの戦法。勝利が目前で命を惜しみ出した西軍には止めようがなかった。まるで暴れ馬の疾駆である。
 柴田陣のほぼ正面まで来た。しかし柴田本陣の前には雑賀孫市率いる鉄砲隊がズラリと並んでいる。まともに攻めかかれば蜂の巣である。
「あれが鉄砲車輪か、中央の覇者と云うのは案外ノンビリしたものだ。いつまでもそれが必勝の鉄砲術と思っているのか。何が智慧美濃だ。バカ美濃よ!」
 伊達勢の先頭を駆ける騎馬隊、全員が鉄砲を構えた。
「鉄砲車輪の五人一組の射手を狙え! 伊達の騎射突撃を柴田に馳走したれ!!」
 伊達の騎馬隊は横陣に広がり、鉄砲を撃ちながら突き進んできた!
「なんだと!?」
 明家も驚いた。彼もこの攻撃方法を考案しながらも実現不可能であった。鉄砲の轟音に馬は驚き、何より不安定な馬上で手綱を放して鉄砲を撃つ。実現は不可能とも云える。明家自身試してみた事があるが、発射の衝撃で落馬し、愛馬は驚き止まってしまっていた。だが伊達勢は実際にそれをしてのけた。しかも退却戦の最中に伊達政宗はやってきた。
「ふっははは! 東西両軍が放棄していった鉄砲、ありがたくいただいたわ。敗戦しても伊達は戦場に落ちた鉄砲をたらふく頂戴する目論見であったから、徳川が勝とうが負けようが伊達はただでは転ばんわ!」
 そう、政宗が関ヶ原の合戦に参戦する理由は二つあった。家康を当面勝たせて、家康死後に天下を狙う事、それともう一つ、鉄砲の接収である。奥州の地では鉄砲は少ない。だから政宗は最後まで残り、東西勢力が戦場に捨てていった鉄砲をせっせと拾い集めさせていたのだ。自国で火薬の製造を成功させていた政宗。あとは鉄砲本体が必要だった。
 伊達勢の騎射突撃は凄まじかった。騎射突撃の前に雑賀鉄砲衆も沈黙、鉄砲車輪は政宗によって破られた。
「殿! このまま柴田本陣に!」
「欲をかいたらやられるぞ成実、勝ちはこの一つで十分だ。帰るぞ!」
 伊達勢はそのまま柴田陣の眼前を通過して退却していった。柴田本陣を見つめ政宗、目じりを押さえてペロと舌を出した。
「アッカンベーだ、あっはははは!」
 馬を駆り、柴田陣の前から姿を消した。鉄砲車輪が破られ、そして迎撃に向かった柴田軍だが、そのころには伊達勢は姿を消していた。
「明家、あれが政宗か」
 と、本陣にいる柴田勝家。
「はい」
「ふっははは、昔のお前を見るようじゃな」
「父上、それがしはアッカンベなどいたしませんでしたよ」
「ははは、しかし馬上から鉄砲攻撃をしてくるとはな」
「はい、驚きましたが訓練次第で可能と云う事が分かりました。柴田でも取り入れたいです」
「変わらんな、良いものは迷わず真似る。それで良い」
「はい」

 伊達勢には数隊が追撃に向かった。しばらくしてその一隊である松山勢の大将の松山矩孝が報告に来た。
「殿!」
「おお、矩孝」
「伊達に振り切られました」
「そうか……。さすがみちのく武者、馬の扱いは見事なものだ」
「松山勢は殿軍に立ちました片倉小十郎に子ども扱いされ申した! 追撃は有利と云うのに手玉に取られ無念にございます! 次に伊達と戦う時はそれがしをぜひ先陣に!」
「片倉小十郎とそなたではまさに大人と子供だ。仕方があるまい」
「ですが悔しくて!」
「矩孝」
「は、はい……」
「我らは勝ちすぎていた」
「は?」
「十の勝ちは次の大敗に繋がる。武田信玄公のお言葉だ。四国、九州、そして関ヶ原、勝ち続け、慢心したところを伊達に衝かれた。オレもそなたも、これを次の教訓にしなければならない」
「殿……」
「初陣で痛い思いをした事は、次に繋がる。今日の負けを明日に生かせば良いのだ。敗因のない敗北はない。今回の事をよくよく研究して次に生かせ。亡き父上はそそっかしかったが、同じ誤りはしなかった。良いな」
「は、はい!」
 晴れ晴れとした顔で松山矩孝は本陣から去っていった。
「あれが矩久のせがれか」
 と、勝家。
「はい」
「片倉小十郎と云えば伊達の知恵袋と聞く。初陣の身でその男と戦い、負けて悔しがるか。矩久も良い息子を持ったものよ」
「それがしもそう思います」
「そなたにも竜之介にも良き家臣となろうな、先が楽しみじゃ」

 伊達軍は戦場から離脱した。残るのは徳川勢のみ。集中攻撃を受けだしている。明家は使い番に指示。
「前線に伝えよ、退路を残して適度に逃がせとな」
「ははっ!」
「殿、ここで徳川家康を討ち取る事もできましょう」
 と、奥村助右衛門。
「無理だ」
「無理?」
「相手は三河武士たちだ。窮鼠たらしめるのは危険、退路を示して適度に逃がせば手ひどい逆襲は食わない」
「しかし敵軍の総帥を目の前にして、西軍諸将がその下命を受けるとは思えませぬ。『将が前線にて兵を率いる時は君命でも受けられぬ』と孫子にありまする」
「今のうちはそうかもしれないが、じき分かる。頃合を見てもう一度退路を残して逃がせと前線に伝えよ」
「はっ!」
 徳川本隊は敵に囲まれ攻撃を受けている。保科正直の軍は必死に防戦にあたる。
「父上!」
「正光か……!」
 父と子が戦場で敵味方として会った。
「なぜ武田を裏切った!」
 保科正光は小山田家と和解していたが、正直の裏切りは父だからこそ許せなかった。
「裏切ったのではない、袂を分けただけよ。そなたがワシと袂を分けたようにな」
「屁理屈を!」
「もう何も言う事はない。槍の腕前がどんなに上がったか見てくれる。かかってこい!」
「手加減はしない!」
「誰に向かって……」
 鬼の一閃とも云える剛槍!
「言っておるか若僧!!」
 正光の槍が吹っ飛んだ。槍の穂先を息子に突きつける正直。
「我が首を欲しくば、もう一度基礎からやり直せ。槍の基本は『受け』『突き』『払う』と教えたな。まるでなっておらんわバカ者が!」
「父上……」
「袂を分けたのなら何故ワシを父と呼ぶか。そんな事だから槍一つ扱えぬのだ。ワシは父の屍も乗り越えられぬ惰弱な息子を育てた覚えはないわ! 出直してまいれ!」
 正直は馬を返し、戦場へと消えた。馬から降りて槍を拾った正光。鉄杖が仕込んである柄がグニャリと曲がっている。父の一閃のすごさを知る正光。
「父上……! 完敗にございます……!」

 明家の予言が当たりだした。三河武士団のすさまじいまでの抵抗。毛利、大友、細川、丹羽の軍は逆に蹴散らされ、宇喜多、島津、立花、鍋島は押されだしている。
「この精強さ、立花も及ばぬ!」
 さしものァ千代も気圧される。そしてついに包囲を突破! 三河武士のすごさを知り、前線はやっと明家の命令の意図が分かり退路を残した。しかし徳川、敵の用意した退路などに用はないと言わんばかりに自力で突破したのである。徳川家康、最後の勝負に出た!
「化け猫が陣に進めええッッ!!」
「「「オオオオオオオッッ!!」」」
 柴田明家、床几を立ち柴田全軍に号令。
「迎え撃つぞ!」
「「「オオオオオッッ!!」」」
 柴田軍が出陣! もはや死兵の徳川軍。死兵相手では正面衝突は得策ではない。
「陣形を車懸りに改めよ!」
 徹底した訓練がされている柴田軍、アッと云う間に車懸りの陣が構築された。先陣の可児勢突撃! 包囲を突破された西軍諸将も追撃し徳川の背後を衝いた。前方は柴田の車懸り、背後からは西軍全軍。
「殿、もはやこれまで! 殿だけでもご退却を!」
 と、本多忠勝。
「今さらどうやって逃げると言うか! こうなれば化け猫と刺し違えるまでじゃ!」
「なりませぬ、浜松に戻り再起を! 佐渡(本多正信)や彦右衛門(鳥居元忠)の死を無駄にしてはなりませんぞ!」
「平八(忠勝)……!」
「生まれ変わっても次郎三郎(家康)の兄貴にお仕えいたします! これにてお別れにござる!」
「また会おうぞ平八……!」
 ついに徳川家康は戦場を離脱した。残るは本多忠勝率いる三河勢、しかしこの時の三河武士団は超人的な強さであった。西軍の将兵はこの三河武士団のすさまじさが脳裏に焼きつき、戦後に何十年経っても夢に出てきて飛び起きたと云う。
「車懸りに正面から付き合うな! オレに続けえ!」
「「オオオオッッ!!」」
 本多忠勝の率いる三河武士団が車懸りの回転のわずかな隙をついて円の中に突入! 明家本隊に一直線で突撃!
「「しまった!」」
 その隙は前田利家と毛受勝照の備えの間。徳川最強と呼ばれる本多忠勝の軍勢の突破を許してしまった。羽柴秀吉を倒した水沢車懸りより回転も速く攻撃力はあった関ヶ原での柴田車懸り。だが本多忠勝には通用しなかった。回転は止まった。そして忠勝の前に佐々成政の軍勢が立ちはだかる。
「行かせるか!」
「どけどけどけ! 我が蜻蛉切が剛槍! 化け猫に馳走するまで止まらんぞおおッッ!!」
 本多忠勝、鬼の咆哮! 佐々成政の軍勢は必死に食い止める。誰もが思った。この本多忠勝を通せば主君明家は討たれると。それほどの本多忠勝の突撃である。死兵となっている本多忠勝と三河武士団。佐々勢はチカラ及ばず。
「佐々成政! 討ち取ったああーッ!!」
「なんじゃと!?」
 驚く柴田勝家。本多忠勝は佐々勢を突破、忠勝は前方に見える明家の備えを見た。
「備えは槍衾か、今の勢いならば蹴散らせる! もらったぞ化け猫!」
 突進してくる本多忠勝と三河武士団、しかし明家も成政が命がけで作った時間を無駄にしていなかった。佐々成政のほんのわずかな時間稼ぎが功を奏す。明家が軍配を空にかざすと、槍衾の後方から一斉に鉄砲隊が出た。明家の備えだけではない。忠勝から見て前方の明家の備え、そして右斜め前と左斜め前の備えが同様に鉄砲を構えた。先に蹴散らされた佐々勢を巻き添えにせず、かつ鉄砲の威力を発揮する地点に至るまで鉄砲隊は姿を見せさせず、槍衾で迎撃すると見せかけて忠勝を引き付ける。忠勝がその地点に至ると明家は軍配を空に向け、そして一直線に突き進んでくる忠勝と三河武士団に容赦なく軍配を下ろした。
「撃てええーッッ!!」
 明家養父、水沢隆家考案の三方射撃! 三河武士団は皮肉な事に統率が取れていた事がアダになった。一箇所に集まっているところを三方向から集中射撃されたのだ。本多忠勝の体に銃弾がいくつも撃たれた。
「兄貴……。殿……!」
 大木が倒れるように本多忠勝は馬から崩れ落ちた。
「稲……」
 最後に頭に浮かんだのは愛娘の稲の笑顔だった。本多忠勝は息を引き取った。家康は敗走、東軍一の猛将である本多忠勝討ち死に。東軍の敗北がここに決定した。可児才蔵はゆっくりと忠勝の亡骸に歩いていった。そして一輪の花を忠勝の胸に置いた。
「敵ながら見事であった。貴殿になら討たれても本望だった……」
 後方から忠勝の突撃を見ていたァ千代。
「……亡き父の姿を思い出した。立花が手本にすべきお方である」

「殿―ッ!」
 明家のもとに佐々成政が戸板に乗せられて運ばれてきた。血ダルマである。まだかろうじて息があった。
「成政殿!」
「成政!」
「せ、西軍の勝ちで……ござるか」
「そうです成政殿、貴方が最後に好機を作ってくれたからですぞ!」
 明家が成政に叫ぶ。
「そうか……」
「成政よ! 見事じゃったぞ……!」
「ありがたき仰せ……」
「成政殿……!」
「と、殿……」
「は、はい!」
 フッと笑い明家を見る成政。手をあげ明家の頬に触れた。
「フ……。ワシに殿のようなセガレがおったら……」
「え……」
 隆広嫌いであった成政、しかし、あの伊丹城攻めの時に隆広の大器を見て、子が娘しかいない彼は内心『あんな若者がオレの息子であったら……』と以来思っていた。とうとう彼は息子を授からなかった。彼自身、絶対に言うまいと思っていた事を言った。すると勝家、
「何を言うか成政、ワシもお前も又佐も才蔵も、みんな明家の親父じゃ! ワシらが柴田明家を育てたんじゃぞ!」
「ご、ご隠居……! かたじけのう……!」
「その通りにございます! それがしは柴田勝家とその怖い重臣たちに育てられたのです! 成政殿も我が親父様にございます……!」
「そうか……。玄蕃や勝豊に……自慢できる……」
「親父様!」
 自分を父と呼んでくれた若き主君に成政は微笑み答えた。
「隆広、見事じゃ……」
「あ、ありがとうございまする……!」
 佐々成政は微笑を浮かべ息を引き取った。最後の最後、成政は明家を殿と呼ばず、隆広と呼び、見事と讃えた。隆広嫌いの三人、佐久間盛政、柴田勝豊、そして佐々成政。三人の中で最後まで生き残った彼の死に様はその水沢隆広を命がけで守っての討ち死にであった。その水沢隆広である柴田明家は自分の頬に触れる成政の手を握り、落涙するのであった。


第二十七章『家康の最期』に続く。