天地燃ゆ−完結編−
第二十二章『関ヶ原の戦い』(前編)
柴田勝家、筒井順慶、京極高次、石田三成が大垣城に到着した。途中に安土を経て、そして筒井順慶と合流。十分な兵糧と軍勢と共に勝家はやってきた。驚いた事がある。勝家は大垣入城のため東軍と戦う気でいた。しかし東軍は大垣を包囲していなかったのだ。大垣より離れた岡山なる丘陵に陣を構えているだけである。
「ふうむ、包囲もせぬとは何を考えているのか」
岡山を見つめながら、勝家は馬を降りた。出迎えた滝川一益。
「ご隠居殿、援軍恐悦にございまする」
「なんの伊予(滝川一益)、まだまだ若い者には負けぬでな。ところで東軍はずっとああなのか?」
「いかにも、防柵、空堀も周囲に作り備えましたが、東軍には動く気配がございませぬ」
「そうか、とにかく今は腹いっぱいメシを将兵に食べさせてやるがいい。山と持ってきたゆえな」
「ありがたくちょうだいいたしまする」
勝家と一緒に来た石田三成。大垣城をしみじみと眺める。
(賤ヶ岳のいくさで親父様とここに来たのが昨日のようだな……)
「治部少殿(三成)」
「おお山城殿(直江兼続)」
「大納言殿は大坂を発たれたのか?」
「今日、大坂より出陣したと思われます」
「そうか、ならもう数日ですな」
「遠征で疲れていように、続けてかような大いくさ、臣としてはもう少し休ませて差し上げたかったのですがな」
「ははは、御台様の癒しがあれば大丈夫ではないのですかな」
さて、数刻後。勝家が総大将となり軍議が開かれた。滝川一益が発する。
「兵糧が届いて飢えの心配はなくなり申したが、いかんとも士気が低うございます。東美濃の城はすべて奪われ、岐阜城も陥落し、その後に起きた小競り合いもすべて敗退いたしました…。我らの将兵は徳川家康と聞くだけで震え上がっておりまする。何とかこれを打破せねばなるまいと存じます」
「ふむ」
「来るべき天下分け目のいくさ、我らがそれに参ずるのは当然でございますが、東軍にこっぴどくやられ士気が落ちた滝川、上杉、稲葉、真田、そして我が森家の兵にどれだけの働きが出来ましょうか。ヘタすれば敵前逃亡を繰り返し敵味方に笑われよう」
と、森長可。うなずく一益。
「その通りじゃ。我らの将兵から東軍への怖気を払拭せねばならん」
「大垣に来て、東軍が城を包囲していない事に驚いたが家康はもうわずかな兵も消耗したくないのであろう。かつ敵城が前方にあらば味方の士気の下降も防げる。皮肉な事にこの城の存在が東軍に役立っている。反して、ここにいる西軍の先鋒は今までのいくさで東軍に怖気づいている。この先鋒の崩れが西軍崩壊にも繋がりかねない」
「されば」
勝家の意見に兼続が答える。
「直江山城か、申せ」
「はい、御味方の怖気を払い士気と戦意を高めるには、一戦するにしかず」
どよめきが起こる評定の間。森長可が
「それは道理であるが……確実に勝たねば逆効果になるぞ」
と述べる。
「何も家康の首を取るとまでは申してはおりませぬ。敵の一角を切り崩して後退すれば良いだけの事」
「しかし、それは危険ではないか? 戦端が開き、東軍が一挙大垣城に攻めかかってくる事もありえる」
反対する京極高次。
「いや、むしろそうしてくれた方が良いぞ。大垣に寄せる東軍に大納言殿率いる西軍が一気に攻めかかれる! いや、家康はそんなアホウではないな…」
と、真田信幸。
「だろうな、多少小競り合いが起きても戦局が拡大しないうちに退かせよう。しかし敵の総大将がその気ならば、一局面の勝ちは拾えそうだ。山城殿の言うように、一戦に及んだ方が良い。たとえ一局面でもこちらの士気を上げて、怖気を取るために勝ちは欲しい」
稲葉貞通が言うと意見が落ち着いた。
「よし山城、討って出よ」
勝家が下命した。
「手前が二千の兵を率い、敵の一角切り崩して参りましょう」
かくして直江兼続、大軍勢の東軍にわずか二千で合戦を仕掛けんとする。
「いくさだ! 東軍の鼻っ先にゲンコツを入れに参る!」
「おう!」
『愛』という文字を前立にした兜をいただき、闘志あふれる目。出陣前に姉さん女房のお船がくれたお守りをギュッと握る。
さて、兼続の出陣に応えし精鋭たち。上泉泰綱、宇佐美弥五左衛門、藤田森右衛門、韮塚理右衛門、水野藤兵衛、山上道及、車丹波守、いずれも剛勇揃いである。
特に上泉泰綱は直江兼続と柴田明家の剣術の師である上泉信綱の孫であり兼続や明家と同門の幼馴染でもある。兼続、明家と同年であるが剣はさすが上泉信綱の孫だけあり兼続、明家も遠く及ばない遣い手である。剣の腕だけではなく、明家の養父長庵に学び、とても思慮深い少年であった。
やがて直江兼続と柴田明家、当時は樋口与六と水沢隆広であったが二人に家臣にと望まれた。上泉泰綱はどちらかと云えば隆広の方が好きで親しかった。しかしそれゆえ甘えになると思い上泉泰綱は与六を主君と選び、そして現在に至る。
「殿、いつでも出陣準備整っております」
「ふむ泰綱、オレに後れを取るな」
「承知!」
城門近くに兵を進めると、一人の武将が手勢を連れてやってきた。
「山城殿」
「おお、左近殿」
筒井家の家老である島左近だった。
「主君順慶より、直江勢の後詰をせよと下命され申した」
「これは頼もしい。しかしこれは直江がいくさ、いかに左近殿なれど、それがしの采配に従ってもらいますぞ」
「承知仕った」
「結構、では方々、いざ参ろうか」
「「オオオ!」」
大垣城の城門が開かれた。
「なぜオレも一緒に行くのですか左近殿」
「ははは、そういうな六郎。安土城攻防戦以来からワシはそなたに惚れているのだ。どうだ、大納言殿の忍びなどやめてワシに仕えぬか」
ずっと東国を内偵し明家に報告していた六郎、彼は岐阜城の戦いでも直江兼続と共に織田信明を守り続けて戦っていた。そして今は大垣勢の総大将となっている勝家の元にいる。勝家が筒井順慶に一隊を直江の後詰につけよと下命し、順慶が左近に下命した。ここぞとばかり左近は順慶を通して勝家に頼み、六郎を借りたと云うワケである。
大垣に入城してからも何かとつけて六郎を部下にしようと誘ってくる。まるで恋焦がれた娘を口説いているかのようだ。左近ではむげにもできず六郎も困り果てていた。
「それは何度もお断りしたはずですよ」
「ふははは、ワシはあきらめんぞ」
大垣城の北東にある東軍陣地の赤坂。ここは佐竹義重の陣地である。義重の元に報告が入った。
「殿、我が陣の眼前で西軍兵が刈田をしております」
「兵数は?」
「二百ほどかと」
「二百か、ほっておけ。別に目の前の稲穂は我らのものではない。好きに刈らせろ」
「父上、眼前で刈田されて見過ごしていては佐竹の名折れでございますぞ!」
息子の佐竹義宜。家督はすでに譲ってあるが実権はまだ父の義重が握っていた。
「いいからやらせておけ、誰の差配か知らぬが二百はオトリだ。追い払い、追撃したところに伏兵があるってトコロだろう。何もせんでいいから大納言到着までおとなしくしとれ」
「は、はあ……」
佐竹陣の様子を遠目で見ている直江兼続。
「ふむう……さすがは謙信公にも認められた坂東太郎(佐竹義重)、こんな挑発乗らぬか」
「そのようですな、しかしこれ以上東軍の陣に近づけば危険ですぞ山城殿」
と、島左近。東軍の先鋒にある部隊を挑発したい兼続であるが、さすがは佐竹義重、相手にしなかった。兼続は刈田している兵を引かせた。
「よし秋田の陣にやってみようぞ」
「そんな行き当たりばったりでどうする。しかも秋田は東軍と申せ柴田の友好大名、それでも挑発を仕掛けると?」
「いや左近殿、山城殿のお考えは上手い。秋田は柴田と友好の約を交わしているゆえ東軍でも寝返りを懸念されていましょう。信を得ようと乗ってきます。友好の約定を結んだのは先代愛季(ちかすえ)でありますし、何より現当主の実季は若年で血気盛ん。十五であるが安東通季の反乱を鎮圧し武将として自信も持っていましょう!」
と、六郎。
「ほう……」
いっそう六郎に惚れた左近だった。
「いや、そう聞くと納得できる。山城殿さすがだ」
「いやいや何の、あっははは!」
(実はたまたま秋田の陣が目に付いたからだったのだが……)
西軍の旗を持つ二百の兵士が荷駄を持ち秋田実季の陣の前を通る。鉄砲の射程距離ギリギリの位置であった。
「殿、西軍の輸送兵が当陣の前を通っています」
「輸送兵? いかほどだ?」
「二百にございます」
「大方場所と道を間違えたのだろ。大垣は向こうだと教えてやれ」
と、返したが
「殿!」
「な、なんだよ」
老臣が怒鳴った。
「そんなノンビリした事でどうなさるのです。東軍の陣を探りに来た者ならどうなさいます。秋田はムザムザ西軍の密偵を逃したと徳川殿に思われましょうぞ!」
「ふむ、一理あるな」
「当秋田家はご先代が柴田と友好の約を結んでいるゆえ、徳川殿も内心疑っていましょう! ここで不手際はできませんぞ」
「よし鉄砲で追い払え!」
秋田勢が陣を出て、西軍兵に銃撃を開始した。輸送兵は後退。それを見た直江兼続。
「撃ち返せ!」
「あの軍旗は直江か、チッ、二百ばかりの小勢で何ができる。左衛門尉!(浅利左衛門尉義正)」
「はっ」
「手勢を率い、討ってでよ!」
「西軍の弱腰二百、全兵討ち取って参りましょう!」
浅利義正率いる秋田勢が陣地を出た。
(史実ではこれより以前に浅利義正は実季に反乱、その後に謀殺されていますが、本作では存命で実季の武将として書く)
「殿! 東軍押し寄せてまいりました!」
「よし、弓を放て。後退する」
兼続は采配を秋田勢に向けた。
“放てーッ!”
直江勢は秋田勢に一斉に弓を射る。そして
「全軍、後退だ!」
「左衛門尉様、西軍が退却!」
「よし、追撃に出るぞ! 追えい!」
「「オオオッ!!」」
退却する直江兼続に伝令が報告した。
「追ってまいります! 敵将は浅利左衛門尉義正!」
「かかったか。浅利は勇猛果敢と聞いている。容易く兵は返すまい。このまま杭瀬川を渡るぞ」
直江勢は杭瀬川を渡った。同じころ岡山の徳川家康本陣に伝令が来た。
「申し上げます」
「ふむ」
「西軍の輸送兵が秋田陣の前を通過いたしたところ、秋田勢が一蹴したとの事です」
「ご苦労、下がれ」
「はっ」
「ふむ……。遠眼鏡を」
「はっ」
井伊直政が家康に遠眼鏡を渡した。直江と秋田の小競り合いを見つめる家康。
「深追いしすぎじゃ……。まあ良い、秋田の手並みを拝見しよう」
直江兼続に伝令が走る。
「申し上げます! 秋田勢が杭瀬川を渡りましてございます!」
「よし、この辺りで良かろう。泰綱、合図を放て」
「ははっ」
上泉泰綱が上空に鏑矢を放った。それと同時に二百の直江勢が反転。
「槍衾を構えよ!」
それを見る浅利義正。
「何を今さら、二百の小勢で何が出来る。押し潰せ!」
直江勢の槍衾が突撃を開始すると、浅利勢の後方から銃声が鳴り響いた。
ダダーンッッ! ダダダーンッ!
「後方より鉄砲隊! 西軍の伏兵にございます!」
忌々しそうに後方を見つめる浅利義正。
「ちっ、味なマネを!」
浅利勢の進軍を止めると兼続は鉄砲隊を下がらせた。そして采配を振り下ろした。
「かかれェェッ!!」
「「オオオオッ!!」」
直江勢は突撃を開始、一糸乱れぬ槍衾が秋田勢に迫る。兼続はめったに大声を出さない男であるが、ひとたび吼えれば人の肺腑に徹するほどの一喝となる。あの前田慶次に『大した胆力よ』と言わしめた男である。
その兼続の号令一喝、将兵の肺腑に響き、そして怖気が失せていく。兵たちは槍をチカラ強く握り、槍衾は一直線に秋田勢に突き進む。直江の先駆け宇佐美弥五左衛門と山上道及が先駆ける!
「我こそは直江山城が先駆け宇佐美弥五左衛門! 腕に覚えあらば出られませい!」
「起きやがれ弥五左衛門! この山上道及こそが先駆けよ!」
「ならば道及、功名勝手次第と殿のお許しが出たこのいくさ! 手柄首を競うてみるか!」
「望むところ、ワシに勝てたら美酒一斗くれてやるわ!」
「そっくりその言葉をお返しするわ! ならば参るぞ!」
「おおっ!」
直江兼続の誇る豪傑二人が先駆け、秋田勢に突入した!
「両名に遅れを取るな! かかれ!」
「落ち着かんか! 伏兵をいれてもまだ我らが多勢じゃ! 押し返せ!」
浅利義正の叱咤も効果が薄い。多勢と油断したところに鉄砲隊による伏兵、士気が落ちたところに直江勢の全軍突撃である。浅利勢は押され出した。さらに上泉泰綱の手勢が浅利勢の一角を切り崩す。一族や家臣が新陰流の遣い手である。次々と薙ぎ倒されていく。戦局を見ている島左近。
「出番がないな……」
苦笑する左近。
「申し上げます! 佐竹勢が東軍の陣より押し出てまいりました!」
「それはありがたい、みな聞け、我らは佐竹勢に当たるぞ! 直江勢の働きに負けてはならんぞ!」
先頭に立って駆ける佐竹義重。
「まったく世話のやける田舎坊主だ。敵の誘いも見抜けんか!」
当初は出陣を渋った義重。功をあせり敵の術中に陥ったものなど助ける必要は無い。そう言って動かない事を命令したが、嫡子義宣が
「道理ですが、この小競り合いを完勝させては西軍の士気が上がります。せめて秋田勢を退かせる事はしておくべきでは」
と進言。家臣たちもそれを支持した。義重は重い腰を上げて出陣した。戦うからには自ら出るのが彼である。
「良いか、秋田に兵を退かせて、我らも速やかに後退するぞ。大事の前に兵を損なうは……」
「かかれえッッ!!」
「ん?」
ずいぶん轟く声だと思い、声の発された方向を見た。その男の号令一喝で自分たちに攻め寄せて来ているではないか。
「なんだあのヒゲヅラの鬼瓦みたいな男は」
「父上、あの旗は筒井。あのヒゲの武将は島左近かと」
と、佐竹義宜。
「ほう、あれが鬼左近か。面白い、ワシも鬼義重と言われた男、手並みを見てくれる! 秋田を退かせるだけでは済まなくなったわ。佐竹も参るぞ!」
「「ははっ!」」
島左近と佐竹義重の軍勢も激突。参戦を懇願してきた島方の柳生厳勝、目覚しい活躍である。左近もまた人の肺腑に徹する大音声の持ち主。兵の士気も高くなる。
しかし佐竹義重も坂東太郎と呼ばれた名将、一歩も譲らない。柳生厳勝率いる部隊に集中攻撃をかけ、厳勝は退却を余儀なくされ、左近の大音声に対して
「あのヒゲの鬼瓦は『かかれ』と云う言葉しか知らんのか」
と笑い飛ばした。佐竹勢も強い。しかし左近に迫る敵兵は六郎が倒した。六郎は手柄を望まず、終始左近の側について左近を守った。何だかんだと言いながら左近の事は好きのようだ。
勝負は互角であったが、これ以上は消耗戦になると考え、義重は柳生勢の空いた穴に猛勢を仕掛けると見せ、左近がそれに備えた瞬間に撤退を下命。攻めると見せかけて退却したのだ。乱戦の様相となっていたが、義重の下命一つで速やかに退いていく佐竹勢の様子は左近も舌を巻く。そして左近もさるもの、深追いさせず兵を退かせ、退却している義重に
「『退け』と云う言葉も知っているぞ!」
大笑いして返した。声だけでなく地獄耳か、義重は苦笑した。
遠眼鏡で一部始終を見ていた家康。
「ええい! 大事の前に貴重な兵を損なうな! 万千代(井伊直政)、秋田と佐竹に退けと命じよ!」
「はっ」
やがて徳川の旗本衆が出陣し、撤退を下命。秋田勢と佐竹勢は撤退していく。小競り合い程度の合戦であるが、見事直江兼続と島左近は勝利をおさめた。
「殿、秋田と佐竹が後退して行きます。追撃いたしますか」
「無用だ泰綱、深追いは無用、我らも退くぞ」
「はっ」
直江勢と島勢が帰還すると大垣城は湧いた。一度植えられた東軍の恐怖を払拭に至った。城から愛染明王の前立ての兜をかぶる兼続の勇姿を見る石田三成。
「見事にござる山城殿、岐阜城で敗走余儀なくされたご自身の無念も晴らし、西軍から怖気も払拭された。殿もお喜びになりましょう」
摂津と京の国境に差し掛かっていた明家の元に大垣勢勝利の報告が届いた。
「そうか、さすが与六(兼続)に左近殿だ」
「ただの小競り合いでしょうが、大いくさ前に勝利を得られたのは上々ですな」
「うん弾正(助右衛門)、油断する気はないが、この勝ちは大きいぞ」
「まさに」
二日後、柴田明家から大垣城に早馬が来た。
「ご注進ずらよ―ッ!!」
いつも陣中から居城に明家と妻たちの恋文を届ける二毛作が使者だった。
「なんじゃ二毛作、我らはセガレの女房たちではないぞ」
勝家の言葉にドッと笑う西軍諸将。
「いや、たまたまオラが近くにいたから命じられただよ、大殿様、殿様の書状ですだ」
明家の文を勝家に渡す二毛作。
「ご苦労、下がって休め」
「んにゃ、すぐに大殿様の返事を聞いて帰らなきゃならんでよ」
「分かった分かった、しばらく待て」
文を広げて読む勝家。
「ふむ…」
「ご隠居、大納言殿は何と?」
と、筒井順慶。
「二日後の朝、大垣には留守部隊を残して関ヶ原に来るように書かれてある」
「「関ヶ原?」」
「布陣図も同封してある。見よ」
諸将の中央に布陣図を広げた一益。しばらく見つめた直江兼続が言った。
「これは鶴翼の陣だ……」
「そのようじゃな。セガレは笹尾山、筒井勢は天満山の北側、上杉勢は南側、滝川、森、真田、稲葉は松尾山か……」
「松尾山は確か陣城では?」
京極高次が言うと勝家が答えた。
「そうじゃ、織田家に叛旗を翻した浅井長政殿が織田軍の進攻に備えて築城した。今も土塁や空掘は残っているはずじゃ。よし、治部少、但馬(京極高次)、そして信幸」
「「はっ」」
「主戦場が明らかになったのなら、我らもジッとはしておれぬ。三千の兵をつけるゆえ布陣図に沿って陣場を構築せよ」
「「承知いたしました」」
「順慶、山城守、貞通、そして武蔵(森長可)、ヌシらは二日後の未明に留守部隊を残して大垣を出よ。関ヶ原に向かうと云う事を東軍の陣に流布させよ」
「「ははっ」」
「伊予、その方が松尾山陣の総大将となれ。ワシはセガレと合流し笹尾山に行く」
「はっ」
「二毛作、明家の命の通り我らは動く。先んじて関ヶ原に陣場を作り、東軍に関ヶ原に西軍布陣と流布させた、と伝えよ」
「へい!」
二毛作は大垣城を出た。勝家は東軍の陣である岡山を見つめる。
「いよいよ天下分け目の大いくさ、ワシの人生最後のいくさじゃ!」
「ご隠居は姫路で『ワシはもう顔もクチも出さん』と大納言殿に仰せではなかったですかな?」
「ふははは伊予、その通りじゃ。しかしこんな天下分け目の大いくさ、ジッとしてなどいられぬわ。それに」
「それに?」
「もう一度セガレのいくさが見たいのでな」
「親バカですな」
「何とでも言え、わっははは!」
勝家だけでなく一益も人生最後の合戦になると思った。
(人生最後のいくさが、天下を決める大合戦、しかも大納言殿のような英邁な総大将の下で出来ようとはな。ワシは果報者よ)
今でこそ、そう考える一益であるが最初は水沢隆広、つまり今日の柴田明家を好まなかった。あれは武田攻めの時である。主君信長の下命により若殿信忠の寄騎武将を務める事となった。若殿の寄騎は良い。しかし自分と共に信忠の両翼を担うのが、まだ十九歳の若者で、かつ陪臣の身である水沢隆広と云う事が気に入らなかった。
美濃岩村城を陥落させた後、信濃の大小の砦や城を落としつつ進軍していたが、隆広は何やら信忠の軍師のよう。気に入らない。ある小城を攻める時であった。信忠は城攻めの陣構えを隆広に任せた。とうとうヘソを曲げた一益は『あんな小僧の差配に従えるか』と好きなように陣を構えた。
そこにいそいそと一益の気に入らない水沢隆広がやってきた。上将の一益に慇懃に、しかもニコニコしながら歩み
『さすがは伊予様、備えの場所、旗の立て方、兵の配置など、それがし大変勉強になります。中将(信忠)様も感服しておりました』
と、大絶賛した。意固地になっていた一益も気をよくして
『ははは、明日の織田を担う若い二人の手本となれれば幸いじゃ。うわははははは』
そう上機嫌で返した。そして水沢隆広はさりげなく、
『あの一隊をもう少し右方、そして、あちらの三隊をもう少し後方に下がらせれば、なお一層見事な陣立てになるのではないか、と中将様は述べていましたが…』
と呟いた。一益にはそれが隆広の考えと分かったが、先に褒められていた手前もあって文句もつけられず、承知してその通りに陣替えの指示を出した。隆広が去った後に一益は家老に
『あの小僧、中々やるものだ。あれでは反対もできぬわ』
と言って苦笑した。褒めながら従ってもらうと云うこの方法は彼の師である竹中半兵衛が妙手で巧みであった。水沢隆広はその人使いの芸を半兵衛から学んでいて発揮したのだ。
「あれから、ずいぶん経つが……まさかその若僧を神輿に担ぐとは思わなかったのォ…」
あの日、水沢隆広、今日の柴田明家にしてやられた時と同じ苦笑を浮かべ、一益は出陣に備えた。
一方、徳川陣。伝令が来た。
「申し上げます!」
「ふむ」
「柴田大納言の軍勢、近江に入りましてございます!」
「来たか! 待たせおって!」
拳を左手に叩き付けた本多忠勝。
「もう朝廷の仲介など聞く耳持たんぞ化け猫め!」
いよいよ決着をつける時が来た。徳川家康の気持ちが高まる。
「この戦いに勝った方が間違いなく天下を取る。正念場じゃ」
続いて伝令が来た。
「申し上げます! 石田治部少、京極但馬、および真田勢が大垣を出ましてございます。密偵の報告によると、三将は関ヶ原に向かったとの事!」
「分かった下がれ」
「はっ」
「弥八郎(本多正信)、そなたの見込んだとおり化け猫は関ヶ原を主戦場にする気のようじゃ」
「御意、治部少らは大納言の命を受けて陣場構築に向かったと思われますな」
「ふむ…。近江に化け猫の軍勢が入ったならば、大垣勢は二日の未明には関ヶ原に移動しよう。そろそろ我ら東軍の陣場に西軍の草どもが『関ヶ原に向かう』と流布しような」
「我らは東山道(中山道)を西へ向かい関ヶ原に布陣いたしましょう」
「ふむ、諸将を集めよ、軍議じゃ!」
「はっ」
家康の使い番たちが一斉に各諸将の陣地へと駆けていった。本多正信は岡山の陣に立ち、大垣城のはるか向こうにある関ヶ原を見つめた。
「出てきおったか大納言……。我が殿と違う時代に生まれておれば天下人となれた男であっただろう事は認めてやる。しかし同じ時代に徳川家康がいたのは不運であったな。不敗の男であるのもあと数日限りじゃ。最初で最後の負け戦でキサマは死ぬのだ! 今のうちにせいぜい生ある身を楽しむが良い!」
嵐の前の静けさ、盆地平野の関ヶ原に緩やかな風が吹き、草が風に揺られる。そしてその平野に西と東から馬のいななきと甲冑の音が徐々に響き出す。
関ヶ原の東西の丘陵、ここに西軍と東軍が各々に陣を築き布陣を開始。明家本隊は笹尾山に本陣を置き、西軍は鶴翼に陣をひいた。筒井順慶と上杉景勝名代の直江兼続は天満山、滝川一益、森長可、真田信幸、稲葉貞通の軍勢は松尾山に布陣した。西軍は事前に陣場を構築していたが、東軍も同様である。本多正信の指示で東の丘陵、小高い峰が連なる地形を利用し、陣を作り上げていたのだ。そして東軍も布陣を完了。徳川家康は桃配山に本陣を置き、魚鱗の構えで陣を築いた。
ついに柴田明家と徳川家康が関ヶ原で対峙したのである。双方大軍勢、日本の内戦史上最大の動員数と言われている。西の化け猫と東の古狸、いよいよ対決の時が来た。
第二十三章『関ヶ原の戦い』(中編)に続く。