天地燃ゆ−完結編−

第二十章『神楽ヶ原の戦い』


 数日が経った。島津陣の士気は低い。ずっと少食を強いられていたが、そう長続きするものではない。家久が総大将の義弘に報告した。
「兄さぁ……兵糧の底が尽きました」
「……そうか」
 義弘は兄の義久からの書を読んでいた。
『領内から米をかき集めても三万の島津兵の胃の腑を満足させる兵糧は確保できない。領民も飢えだしている。大納言は島津の領国丸ごと兵糧攻めにしてきた。海上の輸送も柴田の水軍に封じられ、先日我が坊津水軍もあえなく敗退した。ここに至っては和議の他なし。ここでの判断の遅れは二倍三倍の犠牲を出すばかり。陣払いして帰城いたせ』
 義弘の耳にも柴田に制海権を奪われた事は伝わっている。そして今、兄義久の『柴田とは和議をするから帰って来い』の書。それを怒りに震えて破り捨てる義弘。
「情けなし! ワシに尻尾を巻いて逃げよと言うか!」
「義弘殿、薩摩に帰っても兵糧はない。飢え死にするだけでございます! もう迷っている場合ではございませぬ! 柴田に討って出ましょう!」
 島津忠長が訴える。家久は反対。
「バカな! 我らの領国を兵糧攻めにしているのは大納言だぞ! 我らが痺れを切らして神楽ヶ原に来るのを今か今かと待っているわ!」
「しかし家久殿、我らが陸に上げられた魚も同様と知れば、明日にでも一気にこの地に柴田は攻めかかってきましょうぞ! さすれば迎撃はできず、そのまま柴田は内城まで一直線! 忠長殿の申すように討って出るしかござらぬ!」
 と、赤星統家。
「『大納言は島津を恐れている』の流言、たとえ我らがそれに踊らされずとも、空腹にイラだった兵たちが踊る! なぜ大将は島津に怯える大納言を攻めないと云う声は日増しに高まっている! 大納言は我々が出てくるしかない策を打ってきた! ならば出てやりましょう。飢え死にする前に一兵でも柴田のヤツバラを討ちましょう!」
「義弘殿、統家殿の申す通りにござる! 二十二万も擁しながら、三万相手に正面から戦わない! かように姑息な手段を用いる大納言など恐れるに足りませぬ! 戦いましょう!」
「ダメだ忠長! 今まで柴田に出した密偵が一人も帰ってこない! 神楽ヶ原に行けば島津は皆殺しぞ!」
 家久は頑強に反対する。家久に傾倒している赤星統家もここは譲らない。
「家久殿! ここに留まっていても飢え死に! いずれこちらの飢えと士気の激減を察しられ、柴田は津波となって押し寄せよう! ならばこちらから討って出るしかない!」
「薩摩に退き体勢を整えてからでなければ無理だ!」
「それこそ愚かではないか! 我が薩摩には砦の様式の屋敷はあっても、防備に長けた城はない! いったん薩摩に柴田を入れたら終わりぞ!」
「家久、忠長やめいッ!」
 軍机を叩き、黙らせた義弘。
「城どころか…島津領国丸ごと兵糧攻めを仕掛けてきよった大納言…。気に入らぬ、あまりあるチカラを見せ付けるような戦ぶり!」
 義弘は立ち上がった。
「我ら島津を……窮鼠たらしめた事を骨の髄まで後悔させてくれるわ。出陣じゃ!」
「「ハハッ!」」
 島津忠長と赤星統家、そして他の重臣たちは同意、しかし
「兄さぁ!」
「止めるな又七郎!」
 弟の家久は出陣を止めた。
「分かっているのでございますか! これは我らが進んで選んだ背水の陣ではない! 大納言が仕掛けた作戦にしてやられ、やむを得ずをもっての出陣! 天の時に逆らってはなりませぬ! 相手は我らの七倍の兵力で、かつ神楽ヶ原の北は丘陵地帯で南は平野! 益富城を一日で築城した大納言! 柴田がその丘陵の利を見逃すはずもなく堅固な砦に作り変えている事も考えられまする! 我らが窮鼠となり攻めかかってくる事も想定内にございましょう! 天の時、地の利に逆らい戦に勝てましょうや!」
「勝ち戦の三要素『天の時』『地の利』そして『人の和』我らには最後の『人の和』があるわ。孟子いわく『天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず』の言を知らぬか。我ら七分の一の兵力差があろうと今まで島津の戦いを経てきた『人の和』がある!」
「兄さぁ……」
「敵に後ろを見せるは島津の名折れじゃ!」
 義弘は全軍に下命した!
「よそに目もくれるな、目指すは柴田大納言が首一つじゃあ!」
「「オオオオッッ!!」」
「……」
「家久殿、総大将の決断にござる。我らは従うのみでござるぞ。お気持ちを切替えられよ」
「統家殿…」
「副将が出陣を渋っていては士気に関わりまする」
「その通りだ家久殿」
「忠長…」
「逃げて手元に残るものはあれど、得る物はない。しかしながら戦えば、あるいは得る物があるかもしれない。身を捨ててこそ浮かぶ背もある」
「もうよい、オレも腹を括った。このうえは大納言に薩摩隼人の手並みを見せるのみ!」

 島津義久居城の内城、ここに島津三万全軍出陣と云う報告が入った。すでに義久の元には大谷吉継が降伏の使者として訪れている。すでに熱は下がり、平静を保てる状態のようだ。
「我が弟たちがワシの制止を聞かずに神楽ヶ原に出陣したようにござる刑部殿」
「左様にございますか」
「いくさの結果によっては、貴殿を生かして帰すわけには参らぬが承知か?」
「その覚悟がなくて使者など出来ようはずがございませぬ」
 義久は笑った。若いが中々の胆力。
「柴田明家殿は強いですな。なぜでしょうか」
「守りたいものがある強さかと存じます」
「それは我が島津とて同じ。柴田と島津とどう違う?」
「人は捨て身になった方が強いとも言いまするが、我が主はその逆。家族と家臣、そして領民たちの命を守りたいと云う事は島津と変わりますまい。しかし主人はこの日本と云う国を守りたいとお考えです」
「日本を?」
「応仁の乱より戦乱続き百三十年、図らずも自分がそれを終息させられるかもしれない立場についた。ならば逃げずに自分の仕事をはたし、日本から合戦をなくし、この国を守ると云う事。日本を人間の体で云うのであれば体中に病が発していると同様。我が主はそれを治したいと思っているのです。人を治すは小医、国を治すは大医と申します」
「なるほど、島津と志のケタが違うと云うのか」
「はい」
「ワシとて、戦乱が続くのは日本のためには良くない事と思う。この薩摩には色々と諸外国の話も届くでな。このままあと二十年三十年と戦の世が続けば、欧州列強や明国が攻めてくる事もありうる。しかしの刑部殿……」
「はい」
「頭では分かっていても、人はそう簡単に割り切れるものではない。特に島津はな……」
「我が主人以上の大医となれるのであれば、柴田大納言を倒すが宜しかろう」
「さて、それはこれからの合戦次第である……」

「申し上げます」
 柴田陣に報告が入った。
「島津勢三万、神楽ヶ原に北上!」
「来たか」
 柴田本陣にいた諸将が一斉に立ち上がった。柴田明家は本陣の諸将に下命した。
「陣太鼓を叩け! 法螺貝を吹け! 全軍、合戦の準備だ!」
「「オオオオッ!」」
 神楽ヶ原に陣太鼓と法螺貝の音が轟く。明家は本陣から南を見つめる。使い番が来た。
「敵影捕捉! 丸に十字の旗印、島津勢にございます!」
「よし」
 明家は特大ジョウゴを持ち叫んだ。
「よいか! 相手は空腹であろうが、それゆえ死に物狂いでやってくる! 絶対に油断するな! 歩となれ、よいか歩となるのだ! こちらの方が兵は少ないくらいの気持ちで戦え! その覚悟を持ち、手はずどおりに戦えば必ず勝機はこちらに訪れる! 名将島津義弘を討ち功名を立てよ!」
「「「オオオオオオッッ!!」」」

 神楽ヶ原の南、地平線が島津勢で埋まる。そしてそれはさながら津波のように怒涛の如く寄せる。地響き、そして甲冑が鳴る音、それが南方より黒い津波となって押し寄せる。
「「チェストォォーッッ!!」」
 馬防柵には柴田勢の鉄砲隊が並んだ。それを指揮するのは雑賀孫市(奥村助右衛門次男)。
「撃てーッ!!」
 千挺以上の鉄砲が一斉に火を吹いた。そして間断なく撃つ。鉄砲車輪である。安土城攻防戦の時と比べ、長い鉄砲攻撃となるため、四人一組ではなく五人一組となっていた。一人が銃身冷却の任に当たったのだ。さしもの島津勢も突撃がひるみ
「退け、一旦退くのだ!」
 すると柴田勢は討って出た。柴田本隊の先駆け可児勢と伊丹佐久間勢を先頭に陣から出陣。立花隊、鍋島隊が両翼を務める。後退した島津勢に追撃をかける柴田勢、立花と鍋島、今まで島津にさんざん煮え湯を飲まされたので士気も高い。立花統虎の妻のァ千代、騎乗からはるか左方に見える鍋島の旗を見て苦笑した。
「まさか立花をあんなに苦しめた直茂と共に戦う事になるなんて」
「ァ千代! 何をよそ見している! 柴田と鍋島に後れを取らば立花の名折れぞ!」
 統虎に怒鳴られたァ千代、浅く頷き夫に答え、愛刀『雷切』をしっかと握った。
「戦場に華は要らぬ、勝利のみでよい! 立花が参る!」

「殿、立花勢が突出していきます」
「見えておる」
 立花勢の戦ぶりを見る鍋島直茂。
「あれが道雪殿のご息女ァ千代か……。戦場についてくるだけはある。大した強さだ」
「感心している場合ではございませぬ。我らも!」
「ふむ、全軍、島津を生きて帰すな!」
「「オオオッ!!」」

 追撃に出た柴田勢、丘の上に床几場を構えていた明家は島津の体勢立て直しを見て
「よし、後退の陣太鼓を」
 後退を下命した。
「は!」
 陣太鼓を聞き、追撃隊の大将である可児才蔵が
「甚九郎!」
「はっ」
 自軍に組み入れていた佐久間甚九郎を呼んだ。
「どうやら島津が体制を整え終えたらしい。退くぞ、殿軍をせよ」
「承知仕った」
 佐久間甚九郎は部下を連れて急ぎ先方の立花勢の切っ先まで駆け、
「全軍疾く退かれよ!」
 と、退却を指示。大優勢であったが、これも当初の作戦通り。未練を残さずに統虎とァ千代も馬を返した。島津が勢いを盛り返す。
「次の第二波で気付くであろう。それで島津は退くか寄せるか……」
 甚九郎は立花勢と鍋島勢も上手くまとめて本陣へと退却させた。さすがは『退き佐久間』である。そして再び押し寄せてきた島津勢に鉄砲車輪が火を吹く。それを見た島津義弘。
「攻め込むと退き鉄砲を浴びせ、こちらが退けば追い討ちをかけてくる……」
「義弘殿……! これは野戦ではございませぬ。我らが城攻めをさせられておりますぞ!」
 と、島津忠長。島津家久は拳を握る。
「やはり、神楽ヶ原の丘陵を砦としたか……! 我らが竜造寺隆信の首を上げた沖田畷の戦い……。我らがいつの間にか竜造寺と同じ轍を踏んでいる! 形こそ違え、柴田の戦法はまさに釣り野伏せではないか!」
「おのれ大納言……! こちらより多勢であるのに陣城とは卑怯なり!」
「兄さぁ……! このままでは我ら島津はことごとく討たれます!」
 悔しさに拳を握る義弘。

 一方、柴田本陣。
「釣り野伏せは島津だけの戦法にあらず。作戦名はないが亡き信長公もこういう戦法を駆使したもの。さあどうする義弘殿、退くか、それとも寄せるか」
「殿、別働隊を作り島津の退路を断たれてはいかがですか」
 と、黒田官兵衛。
「いや出羽守、このうえ島津を窮鼠たらしめるは得策ではない。島津には『捨てがまり』と云う退却方法がある。決死隊が立ちはだかり、鉄砲で迎え撃つと云うすさまじき戦法。手痛い逆襲を受けるのは必定。深追いは禁物。勝利はこの一度だけでいい。これ以上は憎悪を生む。退却するなら黙って見送るようお伝えあれ」
「承知しました」

「銃声が止んだ……」
「兄さぁ……。大納言は退けと言っているのでしょう……。これ以上は九州を支配した後に怨みを生むと……」
「賢しらな! 敵が撃ち方を止めたのなら、今のうちに本陣へ!」
「ダメだ兄さぁ! まだ火縄に火が着いているままにござる!」
「何たる屈辱……!! 島津三万が柴田に一矢も報いられぬと云うのか! しかも敵に情けをかけられるとは……! 大納言は武人の心を知らぬ!」
「義弘殿、こうなれば追撃に来た柴田に一矢報いるまで!」
 拳を握り、歯軋りをする義弘。しかしもう勝ち目はない。
「退却せよ……! 追撃に来たヤツバラを皆殺しにしてくれる!」
 やがて島津勢は総撤退した。追撃に備えたが柴田勢からただ一人も追撃には来襲しなかった。
「家久殿、柴田から追撃の動きは一切ござらぬ」
「忠長……。おそらく島津の『捨てがまり』を知っているのであろう。だから追撃してこぬのだ……。なんちゅう用心深さよ」
「武田信玄いわく、おおよそ勝ちは六をもって良しとする……か」
「兄さぁ」
「十の勝ちを掴む事も出来たであろうに……これが勝つための戦ではなく負けないための戦か……。ワシの負けじゃ……」

 そして柴田陣。使い番が報告に来た。
「殿、島津は退却いたしました」
「そうか、それでいい」
「あとは刑部の交渉がうまく行くのを願うだけでございますな」
 と、黒田官兵衛。
「そうですな、義久殿の英断を願う」
 蜂の巣になった島津兵を見つめる明家。
「これで……オレを怨む未亡人や孤児がまた増えたな……」
「こうせなんだら、島津と我らの立場は逆でござった。負けぬ作戦を立てて実行しただけの事。恥じ入る事は何もございませぬ」
「早くこんな時代を終わらせ、この英霊たちに報いよう……」
 明家は全軍に下命した。
「島津の戦死者を丁重に弔う。荼毘にふし、遺骨と遺品を薩摩に送り届けよ! 断じて鳥のエサにしてはならん! また負傷して抵抗できない者は敵にあらず。手当てをせよ」
「「ハハッ」」

 柴田勢は島津の死者を弔った後に陣をたたんで再び南下を始めた。島津義久の居城の内城には戦死した将兵の遺骨と遺品が届けられた。甲冑の血糊は洗われており、遺骨と遺品が一つ一つの木箱に入れられ、その木箱の蓋には各々の将兵の名が記入されていた。この行いに島津方は驚いた。九州では敵勢の亡骸は野ざらしが常、地元農民の略奪なども黙認している有様であった。しかし柴田は弔い、送り届けたのである。しかも負傷兵の手当てまでしていると云う。
「これは柴田のやりようか?」
 と、使者の大谷吉継に問う島津義弘。
「主君明家が当主になってから、柴田での陣法になったと聞き及んでいます。かの武田家の高坂昌信殿が川中島の合戦の犠牲者を弔った時、彼は上杉方の亡骸も丁重に弔い、それを聞いた謙信公は高坂殿に大変感謝し、そして後に塩留めに遭った武田家に対して塩を送りました。主人はこの話を愛されています。よって自分が当主になった時、こういう陣法を作られたのでしょう」
「ふむ……」
「お見込みの通り、これには多くの軍費を要します。反対する者も多かったようです。しかし『かような事に金を惜しむ事は金の使い方を知らぬ愚者だ』と申しています。こんな乱世とは申せ、武士が慈愛や優しさを忘れたら修羅の世。余人は柴田明家の最大の欠点は性格の優しさ、甘さと申します。しかしそれがしはそう思わない。武将として十分すぎるほどの将器を持ち、そして性格に優しさがあるからこそ、主人は将の将たる器があると見ています。冷酷非情になる方が、よほど簡単なのでござるのだから」
「負傷兵の手当ても柴田の陣法でござるか?」
「さきの羽柴勢との安土城攻防戦のあと、当時は水沢隆広と云う名であった主君は『抵抗できない者は敵にあらず』と手当てを施しました。その計らいに感激し柴田軍に参じた兵も多いと聞き及びます。
 楠木正成公のご嫡子、正行公が足利勢と戦ったおりに足利勢は正行勢の攻勢に退却を余儀なくされましたが、大軍であり道は山の斜面、転落して川に落ちた足利兵が多かった。甲冑の重さで溺れる足利兵を見て正行公は即座に部下たちへ『救え』と命じました。部下たちは『どうして足利勢を?』と反論しましたが正行公は『抵抗できない者が何故敵なのか』と一喝し、すぐに救出に向かわせました。救出された足利兵は感激し、楠木が情勢不利と知っていても、その後は楠木勢として戦いました。主人はこの故事にならったのでございましょう。織田信長は敵を殲滅する事をもっぱらとしましたが、主人は敵を味方につけようとしているのです」
「…………」
「義久殿、義弘殿」
「「…………」」
「どうか、戦のない世を作ろうとする我が主を助けて下され」
「承知し……」
 と義久が言い出した時、義弘が
「刑部殿、そうしたいのは山々なれど、薩摩と大隅だけでは島津は暮らしていけぬ! せめて日向はいただきたい!」
 と反論。
「それを柴田が了承すれば島津は柴田に従属願えますか?」
 義久と義弘は目で語り、そして頷いた。
「そういたす。薩摩隼人に二言はない」
「では、日向の領有も認めまする」
 吉継は懐からもう一通の書を出した。そこには明家の『薩摩、大隅、日向の領有を認める』と記されてあった。
「では最初から!?」
 してやられたと思う義久。
「いかにも、当初主人は口頭で『薩摩と大隅』と言っていました。しかし使者のそれがしにも開封が許されていたこの書には『薩摩、大隅、日向の領有を認める』とありました。主人は最初に二国だけで交渉し、激しく求めたら、もしくは薩摩と大隅だけで島津家が降った時に日向の領有を認めるつもりだったのでしょう」
「大した外交ですな」
 と、島津義久。
「恐悦に存ずる」
「皮肉を言っているのでござる。あっははは!」

 大谷吉継が柴田陣に帰って来た。
「殿、島津義久殿、降伏いたしましてございます」
「よし、でかしたぞ刑部!」
「はっ」
 島津兄弟と島津忠長が柴田陣に訪れた。降伏の意図を記した書を持ち、柴田陣に座る島津義久、義弘、家久の兄弟と忠長。そこへ大谷吉継がやってきた。
「島津殿、柴田大納言明家様のお越しにござる」
「はっ」
 明家が陣幕を払い入ってきた。島津兄弟は平伏した。
「顔を上げられよ」
「「はっ」」
 顔をあげた島津義弘は驚いた。
(こ、こんな優男に島津は敗れたのか……!?)
 その義弘の顔を見る明家。
「あっははは、卑怯な作戦を用いよって、そう顔に書いてありますぞ義弘殿」
「い、いや……。戦に卑怯も正々堂々もございませぬゆえに」
「お許しあれ、万全の状態の島津三万と戦いたくはなかったのでございます」
「は……」
「買い占めた兵糧はお返しいたす。島津の罪なき民まで巻き添えにしたことを申し訳なく思います。おわびのため買い占めた分より上乗せしてお贈りさせていただきまする」
「その儀は無用、いかに敗者になったとは申せ、勝者からのほどこしは屈辱にございます」
 と、ほどこしを突っぱねる島津義弘。
「義弘、たわけた事を申すな!」
「兄上……」
「まず、民の食べる米が第一じゃ! 島津の面子が何ほどのものか!」
「こ、これは思慮が足りませなんだ。申し訳ござらん」
「大納言殿、ありがたくちょうだい仕る」
“民の食べる米が第一、島津の面子が何ほどのもの”その義久の言葉に好感を持つ明家。
「さて義久殿、条件は薩摩、大隅、日向の領有でございますがそれでよろしいな」
「はっ」
「また……柴田の検地を受けてもらいます」
「承知しました」
「大坂には島津の屋敷も用意いたしますゆえに、ご兄弟のいずれか大坂に常駐していただきます」
「心得ました。義弘が参りますゆえに」
「これはありがたい」
「大納言殿」
「はい」
 その島津義弘が明家に言った。
「使者の大谷殿が申しましたが、大納言殿は合戦の世を終わらせたい。弱き女子供が泣く世を終わらせて平和な世としたい。この戦国乱世に終止符を打ちたいと願っておいでとの事」
「いかにも」
「この乱世に終止符を打ち、天下万民のために平和な世を作ろうとするお気持ちに我ら島津は助力する事を決めたもう。それを大納言殿が忘れた時は再び島津は柴田の敵になりまする。それでもよろしいか」
「結構、もしそれがしがただの暴君になったのなら、遠慮はいらぬゆえいつでも討たれよ」
「その言葉、お忘れあるな。それともう一つ」
「はい」
「弟の歳久を源蔵館で診療していただきたい」
「ほう、歳久殿はご病気でございますか」
「いかにも」
「承知いたしました。この戦陣に源蔵館の医師数十名が随伴しているので、本日にでもさっそく診断させましょう。まずは大坂までの船旅に耐えていただくほどに回復してもらわねばなりませんから」
「ご配慮かたじけのうござる!」
「大納言殿にお訊ねしたい」
「何ですかな? えーと……」
「ああ失敬、手前は島津家久と申します。で、お聞きしたいと云うのは大納言殿が作ろうとされる『平和な世』とは具体的にどういうものなのでございましょうや」
「それがしにも分かりませぬ。『平和な世』を見た事がないのですから」
「え?」
「応仁の乱から百三十年、我らはお互い生まれた時から戦の毎日を見てまいりました。それが我らにはもはや自然であり、大地や水のようなもの。鎌倉幕府や室町幕府の権勢時さえ、どこかで合戦は起きていました。武士がせずとも百姓同士の争いもこれまたある。では合戦の無い世はどういうものなのだろうか。それはそれがしにも分からないのです。ただ言える事は年寄りが木陰でのんびりと昼寝をして、若い娘が心無い男どもの陵辱におびえず外を歩けるような、そんな世ではなかろうかと存ずる」
『年寄りが木陰でのんびりと昼寝をできるような世』信長の受け売り、それを明家に教えた官兵衛は苦笑した。
「そんな世を作るにはどうすれば良いのか、日々思案中にございます。それにはまず、統一政権を作らせなければならないと云う事です。天皇の権威と幕府の政治の元で民が戦に巻き込まれて死ぬ事のない世を作らなければなりませぬ。このままズルズルと内乱が続けば、明や欧州列強がこの国を奪いに参りましょう。そうなったらもう後の祭りです。我ら武士はこの国の民たちにどう許しを請えば良いのやら。ゆえに麻のごとく乱れた日本を一つの国とする事が『年寄りが木陰でのんびりと昼寝をできるような世』の第一歩であるとそれがしは確信しております」
 当時、国といえば薩摩、大隅と云ったもので、日本全土の事を指すものではなかった。その国境を越えれば、もはや外国である。しかし柴田明家は統一政権を樹立して、日本を一つにと述べた。
「義久殿」
「はっ」
「貴殿の奥方は種子島時尭殿のご息女でしたね」
「いかにも」
「種子島時尭殿がこの日本に鉄砲を伝えましたが……どうして彼は鉄砲を日の本一に早く知った身であるのに、そして家中の技術者の八板金兵衛殿がその複製を見事成し遂げたと云うのに……なぜ鉄砲を独り占めして島津を討ち、九州、はては天下を望まなかったのでござろうか」
「それは……舅の時尭自身から聞いております。義父は応仁の乱から続く乱世に、この鉄砲をうまく活用できた者が天下を統一してこの国に平和をもたらす、と云う事を伝来と同時に見抜いたのでございます。そしてその望みから惜しげもなく他国者にも技術を広めました」
「それを成したのは織田信長にございました。そして図らずも……それがしがその織田の勢力を継ぐ事になりました」
「…………」
「義久殿、それがしは九州で『化け猫』と呼ばれているそうですね」
「はい」
「けっこう気に入っています、その異名。しかしそれがしはれっきとした人間。妖怪ではないので助けてもらわねば大業は成せません。今は亡き種子島時尭殿が望んだ鉄砲を用いて戦のやりようを変えて天下を取った織田信長のあとを継いだそれがし。こうして一度鉾を交えた者同士、同じく天下統一のためにチカラを貸して下さらぬか?」
「及ばずながら」
「ありがたい!」
 床几を離れ、島津義久の手を握る柴田明家。ここに島津家が柴田に恭順。ついに九州の統一を成したのである。西日本の統一がここに成った。


 九州遠征は終わった。しかし一つの事件が発生した。大坂に帰る明家は豊後の府内から船に乗るため、豊後の軍港にやってきた。そこには欧州の軍艦が数隻停泊していた。伴天連の宣教師たちが九州に訪れるために乗ってきた船である。軍港でそれをしみじみ眺める明家。
「これが南蛮船か庄三殿」
「欲しいですか殿?」
「そんな事を言ったら当家の船大工たちがヘソ曲げる。そうだな、工兵隊たちに様式を学ばせて南蛮船の良いところは真似ようか」
「当家の船大工たちにも学ばせたいですな」
「うんうん、九州を発つ前に何とか伴天連の技術者に協力を得よう。取り計らってくれませんか宗麟殿」
「承知しました。何とかいたしましょう」
 その時だった。大友と柴田の武士たちがたくさんいるその場に現地の農民娘が泣きながら駆けて来た。
「し、柴田のお殿様にお願いが!」
 宗麟はその娘が自分に都合の悪い事を明家に言うと悟り、部下に取り押さえろと命じた。しかしそれをそのまま見逃す明家ではない。
「待たれよ! その娘さんを離されよ」
 宗麟の家臣は娘を離さない。庄三が一喝した。
「聞こえないのか!!」
 娘は解放された。明家は娘に歩み寄った。
「手前が柴田明家でござる。さ、娘さん、遠慮せずに申してみなさい」
「姉と妹が伴天連に連れて行かれました!」
「なに?」
「農民でキリシタンになった者は伴天連に連れて行かれてしまうのです!」
「連れて行かれる? どこへ?」
「異国に奴隷として売られてしまうのです!!」
「なんだと……!?」
 宗麟をキッと睨む明家。
「事実なのですか!?」
「…………」
 答えられない宗麟。
「……庄三殿、この娘の保護を」
「はっ」
「柴田水軍で伴天連の船を囲んで下さい。オレ自ら全船を調べる」
「承知しました」
 庄三は水軍衆に命じて伴天連船を囲んだ。激しく抗議する宣教師たち。明家は相手にせず、部下を伴い船の査察を始めた。そして二隻目の船蔵で発見した。鎖で繋がれている哀れな農民娘たちを。
 最悪なものを見られたと、その伴天連船の船長は頭を抱えた。明家は刀を抜きかけたが庄三が押さえた。
「殿、ここで斬らば欧州列強に日本に攻め入る口実を与えまするぞ!」
 何とか自制して刀から手を離した明家。だが即座に
「すぐに娘たちを解放し、キサマたちは日本から出て行け!!」
 と一喝した。
「武士の娘ではなく、農民の娘ですから……」
「ここはダイナゴン殿の領地ではないですし……」
 と、船長と宣教師は理由にもならない言い訳を言う。
「ふざけるな! 九州であろうが大坂であろうが、日本の大切な民だ! 農民の娘も武家の娘も国の宝である! それを奪うなら容赦せぬぞ!」
 農民娘たちはすぐに解放され、九州からの退去に一日だけ猶予をもらった。退去を決めた伴天連たち。モタついていたら本当に柴田に殲滅させられそうな雰囲気だった。明家は宗麟を呼び、訊ねた。
「いつから行っているのですか」
 異国に日本の娘を売る事を、と云う事である。
「それを聞いていかがされる? 奴隷商人など許せないと?」
「許せるはずがない! 民を異国に売り渡し利益を得るなど君主たる者のする事か!」
「農民の娘たち、略奪してきたのは大友でも伴天連ではない。親や親類に連れてこられたのでございます」
「なんだと?」
「いかなる名君がどれだけ行き届いた仁政をしいたとしても、腐った者はいる。この娘たちを預かっていた者は豪農であるのに若い娘を三人も売れば金になると云うので、自分の兄夫婦の娘三人を何のためらいもなく売り飛ばした。今ごろその腐った叔父は美酒を飲み、若い娘でも妾にしているでしょうな」
「何が言いたいのですか」
「大納言殿は娘たちを救い、さぞや英雄気分で気持ち良かろう。そしてワシは後の天下人に心底から軽蔑された愚将として名を残そう。しかし愚将だからこそ見えるものもある。大納言殿のなさりようは清潔に過ぎる。『水清ければ魚棲まず』大魚は隠れ場所がなく棲めない。政治も軍事もかように厳しく重箱の隅を突付く様ではとうてい成功はいたしますまい。この世は天才の世ではない、愚者の世にござる」
 かつて前田慶次が明家を諌めた言葉である。
「それが奴隷商人をしていた事への正当性の主張ですか? バカバカしい! この戦国の世、悪党と呼ばれた松永久秀、斉藤道三、宇喜多直家、そして旧主信長にしても奴隷商人の真似事だけはしていない。奴隷商人は最低最悪、人間のクズのやる事だ!」
「ではその娘たちはこの先にどうなりますかな。親にも親類にも捨てられ、異国で奴隷となり住むところがあるだけマシかもしれませんぞ。この国にいたら飢え死にするだけでござる。よもやすべて助けて大坂に連れ帰るなどと申しますまいな。そんな事をしたら大納言殿はこの乱世で身寄りを亡くした女子供全部助けなければなりますまい。よしんば大坂に連れ帰ったとしても下女として雇うところでしょうが、それとて結局は奴隷なのでは?」
「なんだと!」
「清濁合わせて受け入れる事が出来なくて、何が天下人にございまするか! あれもこれも窮状を見かねて助け出していては、いくら金と領地があっても足りぬ。ご自分がいい格好するためだけに家臣に労苦を強いる。それこそクズではないのですか! それで国が、天下の政道が成されるとお思いか!」
 明家は反論できなかった。
「……ふう、まあ言いたい事は言いました。今までのそれがしの言、引かれ者の小唄と取るか、それとも一つの意見として聞くのも大納言殿次第にございます。それがしは本日より隠居いたしまする」
「…………」
「最初の質問だけ答えますが、人の売買は九州ではよく行われていた事。たまたまそれがしがキリシタンになったので、伴天連がそれに介入してきただけの事。それだけの事にございまする」
「……キリシタンは禁じる事にいたす」
「ほう、まだ清濁合わせて受け入れませぬか」
「キリシタンにも良い者と悪しき者はいる。伴天連もまた同じ。しかし、その境界を敷く事は不可能だ……。だから全部禁じるしかござらん」
「…………」
「隠居の事、聞き遂げ申した。以後は義統殿を当主とされよ」
「承知いたした」
「なお、立花家は独立させまする」
「お好きにされよ。大友は命脈を繋げた。それだけで満足にございます。大友が大納言殿に差し上げられるものは立花の家だけでござればな」

 柴田軍は九州を発つ準備を続けていた。港で腕を組んで考えている明家。
「そうでござるか、宗麟殿がかような事を……」
 と、松浪庄三。
「正直、打ちのめされた。清濁合わせて受け入れる事が出来ず、何が天下人か、と云う言葉は正しい……」
「確かに…」
「庄三殿、オレは潔癖すぎるのでしょうか……」
「……孔子の言葉に『水、至って清ければ則ち魚なし。人、至って察ならば則ち徒(友・仲間)なし』とありまする。度を過ぎた潔癖、厳粛、清廉はダメと云う事ですな。正しい事をしようとして清廉に過ぎ、却って事がうまくいかないどころか、和が崩壊する事もある。殿も人間、相手も人間、弱いところ悪いところも受け入れる事が、そして殿もそれを見せる事が、柴田家にも殿にとっても良き事と存ずる」
「はい」
「無論、かつてのそれがしのように清濁の『濁』ばかりでもダメでござる。清濁のサジ加減を巧みに出来て、名君ではないのですかな?」
「そうですね、しかと肝に銘じます」
 二人の会話が落ち着いた頃、早馬が来た。
「も、申し上げます!」
「うん」
「徳川家康、挙兵!」
「なに?」
「北条、佐竹、結城、里見、そして奥州勢も徳川に加担! 総勢八万の大軍にございまする! 信州松本城にて集結し西進を始め、美濃岩村城の稲葉貞通様は敗走! 岐阜城の織田信明(三法師、史実では秀信)様に迫り、上杉と真田、そして尾張の滝川様と森様が援軍に向かい迎撃に備えている由!」
「いよいよ来たか……」
「殿、ついに徳川が立ちましたな」
「そのようです。庄三殿、ただちに東に参る!」
「はっ!」
 徳川家康挙兵は全軍に伝えられた。大急ぎで東進の準備が進む。柴田明家は東の方角を見つめる。
(清濁のサジ加減を巧みに出来る名君を目指す前に、徳川殿と全力で戦わなくてはならない! 宗麟殿に叱りつけられて悩んでいた気持ちなど、徳川殿が吹っ飛ばしてくれたわ!)


第二十一章『東の古狸、立つ』に続く。