天地燃ゆ−完結編−

第十七章『九州上陸』


 翌日、島津軍五万は岩屋城に総攻撃を開始した。守る高橋軍は七百四十名。七十倍の兵力差である。岩屋城は四王寺山の中腹にある防備に長けた山城。中々攻め崩せない。高橋軍は頑強に抵抗した。そして眼下の島津軍を見下ろす前田慶次。
「さすがに五万となると壮観だな」
 慶次は柴田家から出てより、自由奔放に生きていた。西へ西へとのんびり旅をした。風流と酒、女を楽しみながら気ままの一人旅。
 しかし当たり前だが路銀が乏しくなった。どこかで陣を借りて路銀を稼ぐかと思うものの、宇喜多、毛利、長宗我部につけば主君明家に背く事になるので出来ない。よって慶次はいまだ動乱の続く九州へと行ったのである。そして島津に痛めつけられている大友軍の陣場を借りた。
 前田慶次の名は遠く九州にも至っていたので、元柴田明家の側近と思われてはやりにくくて仕方ない。よって慶次は九州に来てから『穀蔵院ひょっとこ斎』と名乗った。しかし朱槍、漆黒の巨馬松風、稀代の豪傑を思わせる体躯。見る者が見ればすぐに分かる。慶次は最初、秋月氏と対していた立花道雪の陣地に赴き陣借りを要望した。道雪は一目で、あの前田慶次と分かった。傍らにいた養子統虎も前田慶次と分かったが、本人がそう名乗らなかったので、知らぬふりして陣を貸した。

 大局を見れば島津に組した秋月氏との戦いは大友に劣勢。士気の衰え著しい大友勢を感奮させたのは慶次のマントであった。赤地に金の文字で『大ふへん者』と書かれてあった。道雪と統虎は彼らしいと笑っていたが、剛勇揃いの道雪配下の武将たちは面白くない。立花双璧と呼ばれる由布雪下と小野鎮幸は
『大武辺者とは何事か、立花家にも人はいる。陣借りしている雇われ武将のくせに立花をなめるな』
 と怒った。これを聞いた慶次は大笑いして返した。
『田舎者はこれだから困る。清濁を間違えてはいけない。オレは濃尾地方の生まれのため土地勘もないし素浪人なので助けてくれる部下も癒してくれる女房もいない。大いに不便をしている。どうして“大不便者”と読まずに“大武辺者”と読むのか』
 この人を喰った返答に立花陣は大爆笑。士気は上がり、道雪の采配もあり今までの大友の劣勢を跳ね返す勢いで攻めるも、さしもの道雪も老齢には勝てず、陣場で没した。立花陣が道雪の死により退却する時、対していた秋月種実は棺の中が道雪と知るや、一切の追撃を許さなかったと云う。後にこの行為が秋月種実を救う事になる。
 つい昨日まで戦い続けた敵将にも敬意を受ける道雪。その道雪の死は大友家には衝撃であった。七十を越した道雪に、いかに頼りきりであったか分かる大友家の事情である。
 その道雪亡き後、大友家を支えるのは高橋紹雲と立花統虎のみである。慶次は立花城で統虎と立花家の面々と別れたあと、岩屋城へと向かった。つねづね道雪が自分の自慢のように語っていた紹雲。男見物をしに向かった。

 岩屋城に着いた慶次。何とも山の地形を利用した堅固な城だと思い、城門を叩いた。
「手前、穀蔵院ひょっとこ斎と申す。城主の高橋紹雲殿に目通り願いたい」
 つい先日まで立花の陣を借りて大暴れしていた穀蔵院ひょっとこ斎の名は岩屋城にも届いていた。
「旅の者だが路銀が不足している。陣を借りまするので、武功あらば働きに見合った手当てを下され。高橋家に仕えるためではないので禄は結構にござる」
 と、紹雲に願い出た。紹雲も道雪同様、一目で前田慶次と分かった。容貌が伝え聞いたままであるのも確かだが、誰が玉砕目前の城に陣を借りに来る。『負け戦こそ面白い』と豪語する、あの男以外ない。紹雲は人払いをしてひょっとこ斎に訊ねた。
「貴殿は前田慶次殿か?」
 道雪も同じ対応をしたものだ。慶次はそう聞かれればウソは言わない。
「いかにも」
「大納言殿の側近中の側近であったと聞き及ぶが……」
「それは賤ヶ岳の合戦までの話、今はただの素浪人にござる」
「なぜ、あんな名君を見限り素浪人になった?」
「ほう、紹雲殿は我が主人に会った事がおありか?」
「いかにも、将の将たる器と見た」
「それは恐縮、さりながら、それがしは主人明家を見限ったわけではござらぬ。ですが主人の元にいるのは安泰に過ぎましてな。いささか退屈になったのでござる。それだけでござる」
「たったそれだけの理由で……天下人に手が届こうと云う大納言殿の元から去ったのか?」
「左様」
「とはいえ、ここはもうすぐ島津の大軍勢が押し寄せる。当方は玉砕覚悟。望むような金子も差し上げられるか分からぬ。それでも岩屋に陣を借りると?」
「いかにも、勝つ方に味方するのは面白くござらぬゆえ」
「かぶくものよ、よかろう。当家でしばらく働いてもらおう」
「承知!」

 しかし、立花家で『大ふへん者』騒ぎがあったように、ここ岩屋城でも問題が発生。慶次の持つ朱槍である。無論、大友家からも立花家、高橋家からも受けたものではなく自前だ。朱槍は大友家では特に武勇を認められた者のみが持つ事を許される名誉の一槍。当然紹雲に部下たちの苦情が届いた。
 それを聞いた紹雲は苦情に来た四人に朱槍を許した。元々その四人は高橋家でも武勇に優れていた。しかし渡した意味は朱槍を持つ事で今まで以上の武辺を求めての事だ。お互いに競争意識で高橋のために働いてくれるであろうとの考えであった。これにより、高橋の朱槍四人衆は慶次にその働きを武勇で示さねばならないから、慶次のそばを離れる事ができなくなった。慶次は屈強の武士四人を部下にしたと同じである。しかし、それが縁で四人と慶次、つまりひょっとこ斎と友誼を結ぶ。

 話は元に戻る。島津の総攻撃の前に岩屋城は懸命に戦う。島津勢は七百四十名の高橋勢に四千もの犠牲を強いられたと云う。それほどの激しい抵抗である。『勇将の下に弱卒無し』と云う言葉は高橋紹雲の軍勢のためにある。
 そして前田慶次は愛馬松風に乗った。昨日に酒を酌み交わした高橋朱槍四人衆も一緒である。友誼を結んだ彼らに偽名は使えない。ひょっとこ斎は本当の名を明かした。前田慶次であると。四人は驚き、そして感動した。明日の合戦では、天下の豪傑前田慶次と共に島津と戦える。
 そして眼下には島津の大軍で埋め尽くされた槍衾。五人は朱槍を握った。慶次が先頭を切って駆け出した。
「我らこれより修羅に参る!」
『大ふへん者』の赤いマントが松風の疾駆で風に流れる。高橋朱槍四人衆も続く。
「磯貝十兵衛、前田殿に同道いたす!」
「同じく赤垣源左衛門参る!」
「神崎与右衛門!」
「堀部安左も参る!」
 まさに『勇将の下に弱卒無し』、五人の騎馬武者が岩屋城の天王寺山から逆落としをかけた! さしもの勇猛な島津軍も死を覚悟している者には圧倒される。どんどん押されていった。
「うおりゃああッッ!」
 慶次の朱槍が島津兵を薙ぎ倒す! 他の四人も負けていない。道雪の陰に隠れてはいたが高橋紹雲軍とて大友最強と、いや九州最強とも言えた軍勢。その中から朱槍を許された四名、豪傑慶次に引けを取らない。精強を誇る島津の兵が、たった五人に圧倒された。漆黒の巨馬松風の足は鬼神の鉄槌の破壊力を見せる。
「見事! たった五人で! さすがは高橋の朱槍を握る者たちよ!」
 高櫓に立つ紹雲は五人の勇者を讃えた。勝利を確信している島津兵たちは命を惜しむ。そんな彼らが死兵と化して突撃してくる五人を阻止できるはずがない。慶次はまた弓の名手、朱槍を馬具に留め置き、剛弓を構える。海戦用の剛弓で本来は数人がかりで引く弓だが慶次は一人で軽々と引く。放たれる弓矢は海をも切り裂く剛槍と化す。しかも一度に三本まとめて放つ。鉄砲で迎撃しようとしてもその弓矢で駆逐される。手取川の撤退戦、賤ヶ岳の戦いで水沢隆広を守りぬいた男と言われるのは伊達ではない。まさに人馬一体の魔獣の慶次と松風である。島津の誇る薩摩隼人の兵たちが鬼を恐れるかのように次々と後退した。
「なんだあの男は!」
 驚く島津忠長。側近の新納忠元が言った。
「まさか……。あの漆黒の巨馬、赤い南蛮マント、それに朱槍、前田慶次では!?」
「ま、前田慶次だと!? 柴田明家に仕えし稀代の豪傑ではないか! なぜ彼奴が高橋の陣にいるのだ!」
 だが島津も負けていない。逆に『これは良き敵』と感奮する。この時はまだ一兵卒に過ぎなかった一人の若者が敢然と慶次に挑んだ。
「チェストォォッッ!!」
 何とその若者は慶次の振り下ろした朱槍を切った。
「ほう……!」
 若者は乗り捨てられていた馬に乗り、大剣を上段に構えて慶次に迫る。
「手前は前田慶次郎利益、名を聞こう」
「東郷藤兵衛と申す!」
「そなたのような者が一兵卒とは島津侮りがたし、さあ参られよ!」
「いざ参る! チェストォッッ!」
 目にも止まらぬ雷のような上段の一閃、慶次はかわさず藤兵衛が刀を握る両腕を片手で掴み、そのままチカラ任せに放り投げた。今まで負けを知らない藤兵衛は戦いの次元が違う慶次の強さに驚く。
「まだまだ修行が足らんな! あっはははは!」
 慶次は太刀を抜いて、再び突撃を開始した。身震いする藤兵衛。
(オレを子ども扱いか、やはり戦国の世は広い! あんな男がいたなんて!)
 東郷藤兵衛、後の東郷重位。あの薩摩示現流の開祖となる男である。

 九州戦国史に残る、この前田慶次の突撃であったが、やはり五人では限界があった。一人討たれ、また一人討たれていく。島津勢を大いに退かせる獅子奮迅の働きを見せたが、彼らが帰る岩屋城はすでに陥落寸前。秋月砦は落とされ、紹雲側近の福田民部も討ち死にした。本丸以外はすでに落ちた。
「もはやここまでか……」
「紹雲様、辞世は」
 家臣の問いに、笑ってこう答えた。
『屍をば 岩屋の苔に 埋めてぞ 雲井の空に 名を留むべき』
「それがしらも、すぐに後を追いまする」
「ワシは道雪殿のような師父にめぐり合え、統虎、統増のような頼もしき息子にも恵まれた。そして最高の妻とも、誇るべき家臣たちとも……。よき人生であった。悔いはない」
 最後の降伏勧告を迫る島津忠長。薩摩武士は敵であろうと立派に戦った者は愛する。だから死なせたくなかった。城門に駆け、島津忠長は紹雲に訴えた。
「島津忠長である! 高橋紹雲殿に申し上げる! これ以上お互い血を流すのは無意味! すみやかに開城を! 貴殿のような真のもののふを死なせたくはない! 紹雲殿―ッ!!」
 城門前の高櫓に上がり、紹雲は割腹の姿勢を執った。
「忠長殿―ッ! この紹雲最後に良き敵と巡り合えし事、まこと果報にござる!」
「紹雲殿……!」
「九州武士の死に様、とくとご覧あれ!」
 高橋紹雲は割腹して果てた。享年三十八歳。島津軍は敵ながら見事と粛々と頭を垂れた。大将である忠長は『たぐい稀なる勇将を殺してしまった。友であったなら、どれほど良かったか』と涙した。生き残っていた将兵五十名も切腹して主君に殉じ、朱槍四人衆も衆寡敵せず討ち死にした。しかし慶次を含めた朱槍衆は、たった五人で島津軍の家老、上井覚兼率いる部隊を退かせた。ほとんど討死か負傷し、覚兼自身も重傷を負った。まさに鬼神の働きをしたのである。
「ふう……」
 慶次は生き残っていた。
「まだ死ぬべき時ではないと云う事か……」
 松風を降りた慶次は、一緒に戦った四人に祈り、亡骸の上に花を置いた。今日の戦の前、紹雲は慶次に今までの働き、そして今日の働きに報いるために慶次に報奨金を渡した。もう戦費は底をついていたので、少ない額である。しかし重みのある金である。慶次は銭袋を両手で持ち、岩屋城に頭を垂れた。
「ありがたくちょうだいいたす。紹雲殿……!」
 慶次は再び旅に出た。東へ松風は歩き出した。

 岩屋城を落とした島津軍は北上を続ける。岩屋城より北に位置する宝満城。ここは高橋紹雲次男、そして立花統虎の弟である高橋統増の城。紹雲の妻である宋雲尼もこの城にいる。
 統増の妻は加弥姫と云い、元は大友家と凌ぎを削った筑紫氏の娘である。『筑紫の押しかけお姫様』と有名である。何故なら、婚儀の寸前まで筑紫と大友は敵対関係であった。大友の衰退を見計らい筑紫氏は手薄の宝満城を奪っていた。このまま一気に大友へと思っていた。
 大友宗麟は畿内の覇者の柴田明家に泣きついたと話があったが、川に落ちて溺れかけている犬も同じの大友に柴田大納言が手を貸すはずがないと思えば、意外にも柴田は大友の後ろ盾についた。
 それを聞くや筑紫氏は顔色が変わった。筑紫と同じく大友と戦ってきた秋月氏も真っ青になった。九州が総連合したとて勝ち目があると思えない相手であるのに、それが大友についた。
 筑紫氏と長年に渡り盟友であった秋月氏が高橋紹雲の次男統増に当家の姫を嫁がせようと云う動きが出た。秋月と高橋が連合したら筑紫の滅亡は明らか。当主の筑紫広門は先手を打った。それは岩屋城にいる統増の父の紹雲にいきなり縁談を持ち掛ける事である。
 紹雲の城である宝満城を落として時も経ておらず、いまだ敵対関係だが情勢は急ぐ。筑紫の重臣と共に死地とも云うべき岩屋城に向かった筑紫の加弥姫。
 驚いたのは紹雲である。敵対関係の筑紫家からいきなり次男統増の女房になると押しかけてきたのである。しかしさすが紹雲。
『お話の内容は承知致しました。貴女の家を思う孝にそれがしも心を動かされました。元々、筑紫家と高橋家は縁戚の間柄です。戦国の世の習いとして敵味方として戦ってまいりましたが、この上は貴家と御縁を結び、両家の平和を計らいましょう』
 かくして統増と加弥姫は夫婦となり、筑紫氏の城となっていた宝満城も両家の城とした。

 しかしそんな幸せも一時の事であった。秋月種実、竜造寺政家も組み入れた島津の北上は留まる事を知らない。すでに統増の舅の筑紫広門は島津に捕らえられ、統虎と統増兄弟の父、高橋紹雲は討ち死にしていた。
 島津勢は四万五千の大軍、宝満城を完全に包囲した。高橋統増は宝満城にわずかな高橋と筑紫の両家の兵、そして女子供、年寄りと共に篭もっていた。父の紹雲討ち死にの後、統増には不運にも、つい最近まで敵対していた高橋と筑紫の両家臣団に溝が生じていた。結束力に欠け戦意は低い。特に筑紫家の家臣たちは主君の筑紫広門が島津に捕らわれていたため動揺も激しく、城主統増を殺して島津へ投降するのではないか、と高橋家の家臣たちは疑心暗鬼に陥っていた。それを見計らったように島津軍の使者がやってきて
『岩屋城すでに落城し、大将の紹雲殿もまた自害なされた。この上は速やかに当城を明け渡して降伏されよ。さすれば和議を行い、城主統増殿、ならびに城兵一同の一命はお助けいたそう。それがいやなら一気に攻め落とすまで』
 と開城を迫ってきた。統増を中心に高橋と筑紫の臣で協議を行った。高橋家重臣の北原進士兵衛は
『主君紹雲を始め、岩屋で討ち死に遂げた者たちに対して、なんで己だけおめおめ生きておれようか、どうかここで戦って死なせてほしい』
 と訴えた。しかし筑紫家重臣の伊藤源右衛門は、
『昔、源頼朝公は流人の身から挙兵して、遂に平家を滅亡させられた。こたび統増様には耐えがたきを耐えていただき、時運を待っていただくのが肝要。なにより統増様の先行きを見届ける事こそ、我ら残された者の勤めではないか』
 と言った。この意見が決め手となった。統増は開城する事を決断した。源右衛門は使者に対して、
『統増様、そのご正室、ご母堂を立花城へお帰ししていただけるのなら、和議をいたし開城いたす。もしそれが受け入れられないのであれば、我ら城を枕に討ち死にするまで』
 と返答した。島津軍大将の島津忠長はこれを了承し、誓紙まで書いて約束した。翌日、統増以下家中の者は宝満城を下城した。
 しかしここで島津は一転して約束を反故にした。統増一行を取り囲み、捕らえてしまった。当然立花城へは送らず、統増夫妻、そして紹雲の妻の宋雲尼まで捕らえられてしまった。
『約束が違う!』と激怒して島津軍に抗議する高橋家臣。島津は平然とこう返した。
『弓矢の前では空誓紙もあり得る』
 島津の卑怯な遣り口と、自らの甘さに高橋家中の者は悔しさに泣いた。特に紹雲の妻の宋雲尼の無念さは計り知れない。死んだ夫に合わす顔がない。捕らえられ島津忠長の本陣に連行された時、忠長を激しく罵った。
「卑怯者! 恥知らず! 我が夫が仇の図書(忠長)、私はけして許さない!」
 醜女で有名であった宋雲尼、島津兵の中に
「美貌の女に言われれば恐れ入るが、そこもとのような醜女に言われても誰も聞く耳を持たんわ」
 と、嘲笑った。だが次の瞬間、
「無礼者!」
 その兵は忠長に斬り捨てられた。
「……部下が愚かな事を申した、許されよ」
「愚かとは図書、貴殿でしょう! あんな卑怯な振る舞いが勇猛果敢と呼ばれた島津のやりようなのですか!」
「我らには時間がない……。ああするしかなかったのだ。許せとは云わぬ。これ!」
「はっ」
「宋雲尼殿と、統増夫妻を幽閉せよ、ただし丁重にな」
「はっ」
 連れられていく宋雲尼、あまりに無念なのだろう。再び忠長をそしる。
「島津は『大友は九州を大納言に売った』と申しているそうであるが、貴殿は九州武士の、いやさ九州男児の誇りを捨てたではないか! 必ずこの報いを受けようぞ!」
「…………」

 宝満城落ちる、その知らせは立花城に篭もる統虎にも届いた。それとほぼ同時に島津忠長から立花城に文が届いた。主家の大友家の居城である臼杵城は島津義弘と家久の兄弟に攻められており、援軍は望めない。孤立無援である。柴田明家の援軍到着前に滅ぼされんとしていた。忠長は『即刻降伏開城せよ』と勧告していた。
 立花城に篭り、島津勢と対峙する立花統虎。島津忠長は立花城に篭る統虎に人質の無事をもって開城せよと通告した。島津は柴田の介入前に九州全土の統一を図り、今まで以上に怒涛の進軍を続けていた。柴田本隊が上陸するのは立花城のある筑前からである。何とか柴田の上陸を阻止したい島津にとって立花城はどうしても欲しい戦略的要所であった。
 統虎の実父紹雲の戦いぶりを見た島津忠長は“あの紹雲殿の子で、鬼道雪の養子ならば……”と統虎の将才を侮らず正面からの城攻めは避けて包囲戦術に出た。そして幾度も降伏を勧告している。統虎はそれを無視。業を煮やした忠長は最終通告を出した。
『明日まで待つ、開城なくば総攻撃を開始する』
 それが記された書を忌々しそうに破り、床に叩き付けた統虎の妻ァ千代。
「立花をなめるな! ならばこっちから討って出てやる!」
 気の強さでは戦国の女屈指のァ千代。甲冑をまとい、夫の統虎と同じく城主の席に座っている。
「落ち着けァ千代、さすれば人質の命がない」
「しかし他に手があるの統虎殿! まさか降伏する気ではないでしょうね!?」
「大納言殿の援軍が来るまで篭城を続ける」
「何を気の弱い事を! だいたい寄せ手の大将は島津図書頭忠長! 統虎殿のご実父紹雲殿の仇でしょ!」
「その通りじゃ!」
 老臣の内田壱岐が言った。
「とても紹雲殿のご子息とは思えんわ。亡き道雪様は婿殿の何が気に入って姫様の夫としたのやらのう!」
「壱岐殿言葉が過ぎようぞ!」
 立花家家老の由布雪下が諌めるが、壱岐は聞かない。
「この戦、負けは必定じゃ。かと言って島津に降るなど冗談ではない。華々しく戦って散る事が道雪様への忠義。婿殿の弱腰には付き合い切れんわ」
「しかし壱岐、大軍に囲まれた我々が執る方法はそれしかないではないか」
「ああ歯がゆい! 婿殿が道雪様の世継ぎと思うと悔しゅうて涙が出るわ!」
 内田壱岐は城主の間を出て行ってしまった。
「不甲斐ない男! それでも立花か!」
 ァ千代も出て行ってしまった。
「…………」

 そして翌日、立花城から内田壱岐がいなくなっていた。
「これほど探してもいない事から……。壱岐殿は島津へ投降されたと思われます」
 家老の十時摂津が統虎に報告した。ァ千代は憤然として壱岐を責めるのではなく夫の統虎を責める。
「父道雪の信頼厚かった壱岐が信じられぬ! みな統虎殿が腑抜けだからよ!」
「面目ない……」
「もういい! これからァが指揮を執る!」
「…………」
「アンタにもう立花は任せられない!」

 一方、内田壱岐。島津忠長に目通りしていた。
「さて、立花家重臣の内田殿が供も連れずに我が陣にやってくるとはな。ただならぬ用件と見たが……」
 と、忠長。
「その前に言いたい事がござる」
「申されよ」
「先の宝満城攻め、統増殿に『開城すれば立花城に届ける』と誓紙まで書いて約定したにも関わらず、統増殿が開城されるや約定を反故! 統増夫妻とそのご母堂を人質に取る」
「…………」
「あまりにも卑怯なやりようと思われぬのか、それが勇猛を馳せた島津軍の遣り口か!」
「……そもそも、貴殿らの主家、大友家が柴田大納言に泣きつきさえしなければ、当方とてかような恥知らずな所業をせずに済んだのだ! いかに劣勢に陥ったからと申せ中央の覇者にすがるなど九州人の恥だ! 宗麟は九州を大納言に売った男ぞ!」
「…………」
「大友は柴田が助けてくれて、はい終わりと引き揚げるとでも思っているのか? 大納言に九州全土を奪い取られるぞ。だから我ら島津は柴田の上陸を阻止しなくてはならぬ。それには時間がなかった。ゆえに心ならずも紹雲殿を死に至らせ、統増殿を謀(はかりごと)にかけるしかなかったのだ! 卑怯な手段を使わざるを得なかった我らの痛みがキサマに分かるか!」
「殿、落ち着かれよ……」
 家臣の諌めに一呼吸して気持ちを落ち着かせた。
「ふん、今さらこれはグチだな」
「…………」
 忠長は一つ溜息をついた。
「先に戦いし高橋紹雲殿、敵とは申せ惜しい御仁であった。その次に戦いし統増殿、そして今対峙している統虎殿も紹雲殿のご実子。正直、中央の脅威が九州に直面しようと云うこの時、同じ九州人で戦うは愚かと思う。さりとて島津が九州を統一せねば、九州の多くの地が柴田に横取りされよう!」
「…………」
「ここに至らば、敵味方の犠牲少なくし九州を統一する! そのためならオレはどんな卑怯な手も使う!」
「相分かり申した。では」
 内田壱岐は忠長に統虎からの書を渡した。読んだ忠長は驚く。
「統虎殿が単独降伏と?」
「左様、統虎殿のご母堂への孝行ぶりや、弟統増殿との仲の良さも知っていましょう。統虎殿とて人の子、肉親が愛しく、そして気になっているのでござろう」
「ふむ…」
「しかしながら、奥方のァ千代姫がご存知の通り猛女でございまして、女城主さながらに君臨しております。かつ家臣団はみな道雪様に忠節を誓いし者たち。婿養子の統虎殿に従えぬと云う者も多い次第でして、みな紹雲殿のように総員玉砕の覚悟。降伏などクチにしようものなら即座に斬られそうな雰囲気にござる」
「確かに城内に放った密偵によれば、徹底抗戦の雰囲気の中で統虎殿は煮えきらぬ態度と聞いておりまする」
 と、部下の新納忠元。
「壱岐殿は統虎殿と同意なのであるか?」
「左様、統虎殿はこう申された。『父の紹雲が岩屋城にて徹底抗戦いたしは、柴田の援軍到着の時間稼ぎ。後に残りし我らのために自らを犠牲にされた。今ここで我らが死ねば父の死が無駄死になる』それがしも同感にて、統虎殿とはかり、こうして愛想を尽かしたと見せかけ、こちらに伺った次第でござる。おりを見て統虎殿を拙者が手引きして、お連れいたすゆえ、何とぞ島津にて庇護をお願いしたく」
「承知いたした。総攻めはしばらく見合わせよう」
「ありがとうございまする! では統虎殿へ合図の狼煙をあげていただきとう!」
 島津陣から狼煙が上がった。立花城のァ千代の目にも入る。
「あれは何の合図の狼煙であろう」
「さあ……」
 気のない返事をする統虎をキッと睨んで高櫓から降りるァ千代。
「由布、十時、島津の総攻撃の狼煙やもしれぬ。防備を固めよ」
「「ははっ」」
 頼りない後ろ姿を見せ、島津陣を眺める夫を見つめるァ千代。
「あんな男に私の純潔をくれてやったのかと思うと涙も出ない!」
 そんなァ千代の歯軋りを他所に統虎。
(ふむ、壱岐め、うまく行ったと見えるな)

 数日後、立花城と島津軍双方まったく動く様子なし。ァ千代は焦れ出した。
「あの狼煙は何の合図であったのか……。まったく動く様子がない」
「姫、ここはヤブを突付くも良いかと!」
 と、家老の由布雪下。
「よし、討って出るか!」
「ならん」
「え?」
「あくまで大納言殿到着まで篭城だ」
 城主は統虎、指揮を執ると言っても、家臣はァ千代の指示では出陣しない。
「……ふん!」
 拗ねて高櫓から降りるァ千代。

 同じく島津陣、立花城に何の動きもない。焦れる島津忠長。
「遅い! あれから五日だぞ!」
「確かに遅うござるな」
 と、家臣の新納忠元。
「もはや謀られたかあのジジイに……」
「申し上げます!」
 使い番が来た。
「なんだ?」
「立花城より狼煙か上がっております!」
「噂をすれば! ようやく来たか統虎め! 壱岐殿、手はずどおり手引きされよ。統虎を陣に入れた後に総攻撃だ!」
「さにあらず」
「なに?」
「あの狼煙は援軍の柴田軍が門司に到着した知らせにござる」
「な……ッ!?」

「も、申し上げます!」
 血相を変えた使い番が来た。
「柴田軍、門司に到着! 毛利軍を先鋒にして柴田本隊上陸、その数およそ二十万!」
「に、二十万だと……!」
「申し上げます!」
「今度は何だ!」
「竜造寺軍、離脱!」
 床几を蹴り飛ばす忠長。その床几は内田壱岐に当たった。
「覚悟は出来ていような」
「無論」
「……なぜ逃げなかった。狼煙を見て城に帰る事もできたであろう」
「かような卑怯未練なマネをすらば、冥府の道雪様に合わす顔がござらぬ」
「……もういい、行け」
「何と?」
「お前ごとき殺しても何も変わらん。刀の汚れとなるだけじゃ! 顔も見たくない、とっとと失せろ!」
「……これが宝満城で行った卑怯な振る舞いのツケにござるよ図書殿……」
「なに?」
「時を焦り、いかなる理由があろうとも卑怯な手段を用いる事を潔しとしない島津の誇りを捨てた報い。因果は巡るもの」
「だから偽降と云う卑怯な手段も立花も用いたわけか。ふっははは! 良かろう、開戦を前に人質は返す。必ず送り届けよう」
「信じましょう」
 内田壱岐は立花城に帰っていった。
「忠元、全軍に退却を下命せよ」
「ははっ!」
「それと忠棟(伊集院忠棟)、人質を返す手配を整えておけ」
「良いのですか! 我らが卑怯ならあちらも卑怯、返す必要はないと思われますが!」
「良い、これ以上オレに恥をかかすな」

 そして立花城、帰ってきた内田壱岐を労う統虎。
「よう無事に帰ってきた!」
「はっ」
「しかし殿、せめて我々にはお話願いたかったですな」
 少し不満の家老たち。
「ははは、まあ許せ。敵を欺くには味方からと申すではないか」
 昨日までの頼りない顔でない統虎の顔に気付くァ千代。
(それで私の罵詈雑言も甘んじて受けていたのね……。壱岐と二人で負けが必至のこの戦をひっくり返してしまわれた)
「申し上げます! 島津軍が退却いたしました!」
「よし、追撃いたすぞ!」
 家老の由布雪下、十時摂津は止めた。
「お待ちを! 島津は退却しているとはいえ大軍、こちらは千五百程度、小勢の追撃では蹴散らされるのみでございますぞ!」
 腰を引かせている家臣たちに統虎は一喝した。
「父紹雲の仇を報ぜず、母と弟の恥もそそがず、どこに生を甘んじる意味があろう。お前たちに無理強いはしない。オレは一人でも島津を追い心ゆくまで戦う。もし斬死したとしても泉下の父へのよき挨拶となろう!」
(統虎殿……!)
 ァ千代、頬を染めた。こういう女傑は自分より強い男には弱い。ァ千代だけではない。今まで婿養子と軽んじていた立花家臣たちは、さすがは道雪様が見込まれた婿殿よと感奮した。
「我が父の仇! せめて一矢のみ!」
「同道いたそう!」
 内田壱岐が応えた。
「ァ千代!」
「は、はい!」
「一緒に来い」
「承知! ァも参る! 立花の誇り、戦場に示さん!」
 島津は小勢しかない立花の追撃をまったく予想していなかった。当たり前である。統虎の弟とその妻、そして実母も島津の人質となっているのだから常識で考えて追撃などするはずがない。
 だが統虎はやった。立花軍が婿の統虎を『我が主君』と認めた最初の合戦。わずか千五百とは云え鬼道雪の将兵たちだったもの。並大抵の強さではない。島津軍は気圧された。
 総大将統虎の横に大剣を使う美丈夫がいたが、それがァ千代である。ァ千代が女と気付いた島津軍将兵はいなかったのではないか。ァ千代は父道雪の愛刀『雷切』を武器に巴御前のごとく暴れまくった。
「父上より譲られし雷切が貴様らを斬る!」
 追撃は大成功。数十倍以上の兵力を有する島津忠長勢を見事に撃退したのである。統虎は父の仇を報じたと言えるだろう。統虎は深追いせず、頃合を見て追撃をやめた。島津勢はほとんど総崩れであった。
「やりましたな殿」
 と、内田壱岐。
「うん、壱岐やみなのおかげだ。ァ千代も見事な働きであったぞ」
「立花なればこれしき当然です」
 愛刀『雷切』を担ぎ、ニコリと微笑むァ千代。
「はっははは、やっと笑顔をオレに向けてくれたな」
「統虎殿……」
「ん?」
「父の目は間違っていなかった。今に統虎が分かる時が来る、そう言っておられた。統虎殿は我が良人として、立花の当主に相応しい」
「そうか」

 一方、島津忠長もさるもの。追撃に怒る部下は“国許に帰ったら統虎の人質を殺してやる”と言ったが忠長は“統虎は父親の仇に一矢報いたに過ぎぬ。いっぱい食わされた腹いせに人質を殺すなど薩摩隼人のする事ではない。人質を殺してはならぬ”と部下を戒めた。

 門司の軍港に下りた柴田明家。
「思えば遠くへ来たものだな……」


第十八章『南進柴田軍』に続く。