天地燃ゆ−完結編−
第十六章『九州遠征』
大友家と長年争っていた中国の雄、大内義隆が家臣の陶晴賢の謀反で自害し、この陶晴賢の要請で大友宗麟の弟の晴英が大内氏を継いだため、宗麟は大内の旧領である豊前と筑前の国を取り込み制圧する事に成功した。
同年にはイエズス会のザビエルを府内城(大分県大分市)に招き、布教を許可した。翌年には毛利元就が旧大内領奪取を目論み、豊前に進出。北九州は大友と毛利両軍争奪の地となった。
陶晴賢を厳島で破り、勢いを得た毛利元就であったが、それに立ちはだかった大友軍も高橋紹雲や立花道雪ら名将がおり、博多の地で毛利と決戦におよび、そして退けた。毛利家は九州から撤退。大友宗麟は豊後、豊前、筑後、筑前、肥後、肥前、日向を領する強大な戦国大名となった。この時期が大友氏最盛期と云える。また海外貿易の拠点、博多を支配した事は大きい。朝鮮貿易を行い巨万の富を得ている。
一方、九州の南では島津家と伊東家が合戦を繰り広げていたが、島津義久に敗れた伊東義祐は縁戚である大友宗麟の元に身を寄せた。大友宗麟はこれを大義名分として、島津氏との決戦に挑むが、四万五千の大軍を率いて南下したものの、耳川の合戦にて大友軍の半数の兵力しか擁していなかった島津軍に大敗した。
大友宗麟はこの年、キリシタンに帰依していた。領内にキリシタンの理想郷を建設する計画に没頭し、戦場のはるか後方でイエスに祈りを捧げている有様だった。これではいかに名将である高橋紹雲、立花道雪でもどうしようもなかった。将兵の士気は無きも同じであったからである。
国を追われた敗者への大義の戦を起こしながら、理想や宗教に熱中しすぎ、肝心要の家臣たちへの恩賞を渋る宗麟。思いやりのない乱暴な性格で、家臣の諫言には耳を貸さない男と伝えられており、あげく美貌で知られた家臣の一万田親実の妻に横恋慕し、親実を殺したうえ妻を略奪するなど暴挙も行っている。宗教をめぐり正室を追い出し、酒色に溺れるなど暗愚な君主と云う面もあり、それが家臣や一族の反乱を引き起こした。
徐々に衰運の一途を辿る大友家、宗麟の身から出たサビにより家臣団の結束は弱く、離反者と反乱が続出。この隙に乗じた島津氏が薩摩を出陣。一気に北上を開始した。島津の進攻は、もう止めようがなかった。本国豊後を奪われ、ついに上洛して柴田明家に従属を条件に援軍を求めた。これが柴田明家の九州遠征の大義名分となったのである。
話は柴田明家が父の勝家より家督を譲られたころに戻る。細川幽斎の進言により、遠方の大名には『徳川と北条も柴田家に組した』と云うハッタリめいた文を送った。奥州では秋田家、九州では大友家と竜造寺家がまんまと騙されてしまった。大友家は立花道雪、竜造寺家では鍋島直茂が大急ぎで使者として大坂に向かい、友好の約となった。その後にまんまと騙されたと知るが、日本最大勢力大名である事は変わらないので、そのまま友好大名となった。
それからしばらくして、柴田明家は紀州を攻めて勝利。尾張犬山の戦いで徳川家康・織田信雄を倒し、畿内を完全に柴田統治とし、基盤を固め、そして宇喜多氏と長宗我部氏と従属させた。さあ毛利と云うとき、大友家から使者が来た。大友宗麟自らやってきたのである。島津の北上に、もう手が負えない。友好ではなく完全に従属するから助けて欲しいと云うのである。
だが最初明家は快諾しなかった。大友家と友好の約を果たしていても明家自身は内心宗麟を軽蔑していたからである。宗麟は民に無慈悲な君主であった。民にキリスト教への改宗を無理強いし、かつ神社仏閣まで破壊してしまった。家臣も大事にしない。あげく家臣の妻に横恋慕し、その家臣を殺して略奪する経緯を持つような男と会いたくないと、明家は宗麟と会おうとしなかった。友好大名は無論、日本全国の主なる大名の情報は調べさせていた明家。宗麟の人となりを聞き、明家は不愉快極まる顔を浮かべ
『材木には使える箇所、使えない箇所があり、名工は使える箇所だけ用いて良き仕事をする。しかし大友宗麟と云う材木には使える箇所が一点たりともない』
これは報告の仕方が悪かったのか、それとも明家が感情的になったのかは不明であるが、いずれにしても彼にしては珍しく感情が先立った宗麟評である。
宗麟は再起が困難となる大敗を二度もしているため戦略家としては柴田明家の足元にも及ばないかもしれないが外交手腕では、その明家顔負けの手腕を示している。もはや名ばかりの室町幕府の権威を利用し、膨大な上納金を差し出し、守護職および九州探題職と云う名義を得て大友家が九州を支配する正当性を内外に示している。さらには時の天下人である織田信長と友誼を結び、それを強力な後ろ盾として一時ではあるが島津家と和睦するなど外交手腕は優れていたのだ。
また明家に先立ち、南蛮の医療技術を取り入れた病院も建立していた。けして暴虐の君主と云う顔だけではなかったのである。
しかしながら養父隆家より『女子は国の根本、慈しみ大切にし、守るのが武士の道』と幼いころから教えられていた明家。今でもその理念は強い。もはや彼の信条ともなっている。
色狂いとも云われる宗麟は、女漁りのため京都にまで出向き京美女を見つけ、そして気に入った女がいれば、たとえ人妻でも平気で略奪する事を繰り返していた。加えて家臣を殺したうえ、その妻を略奪した男は軽蔑してあまりあるものだった。しかも一度や二度じゃない。一万田親実の妻を略奪した時はさすがに内乱に至ったが、その前にも何度も家臣から美貌の妻を強奪している。たいていの者は泣き寝入りするしかなかった。今そのツケが宗麟に降りかかる。家臣は去っていき、敵に回る。
宗麟が大坂城に来た時、明家はぶっきらぼうに『会わぬ』と述べて対面を拒否。随伴してきた高橋紹雲と息子の立花統虎(立花宗茂)は案の定だと思っていた。
「ふーむ、困った……」
腕を組んで溜息を出す高橋紹雲。
「養父道雪の申す通りとなりました父上」
出立前の立花城。立花統虎は養父の立花道雪と話していた。
「ご実父と殿に随伴し、大坂に行くと聞いた」
「はい」
「たぶん、大納言殿は殿と会おうとすまい」
「何故ですか?」
「友好の約のおり、ワシは安土に出向き大納言殿と会った」
安土城、城主の間。
「遠きところから痛み入ります。柴田明家です」
「立花道雪と申す」
しばらくの歓談の後、友好の約を交わした両家。道雪の書いた友好の誓書、血判が押されてある。それを見て明家。
「お詫びせねばならぬ事があります」
「何でござろう」
「実はまだ徳川と北条は当家に組しておりません。敵対関係です」
あぜんとした道雪。
「謀りましたのか!」
「はい、遠方の大名はこうして味方につけよと知恵者の家臣から教わりました」
道雪は豪快に笑った。
「あっははは、何とも正直な事だ。誓書を交わした後にそれを言うとはしたたかな事でござる」
「恐縮にございます」
「さりながら、柴田家がこの国の最大の大名である事は事実。この友好は大友家には良縁。きっかけはどうでも良き事にございます」
「それがしもこの良縁、大変嬉しく思います。最初はこんなウソ言って大丈夫かと思いましたが、いやいや、やってみるものです。鬼道雪、雷神とも呼ばれた方とこうしてお会いできるなんて」
道雪はしばらく安土に逗留し、明家と心行くまで語り合った。よって道雪は明家の性格を知っている。
「大納言殿は女子供を大切にする仁君。女にはさながら南蛮の騎士道のごとく尽くす」
「それは……是非統虎殿も見習ってもらいたいものです」
横から統虎の妻のァ千代が突っ込む。
「控えよァ千代」
「はーい父上」
「コホン、ワシ個人とは友誼を持ち、大友家とも友好の約を結ばれて下されたものの……内心では民には暴政をしき、家臣の妻も略奪した殿を軽蔑しきっていよう」
「しかし、個人の好き嫌いで会う会わないを決めるなどと云う度量の狭い事で天下を統一する事など」
「統虎、大納言殿とて人間だ。個人の好き嫌いを優先する事もある」
「はあ」
「まして柴田と大友は友好関係でしかない。同盟間ならば大納言殿は援軍にも応じようが、ただの友好では援軍に出るか出ないかの判断材料は『味方する事によって柴田に利があるか』に尽きる」
「仰せの通りです。しかし大友にはもう柴田に差し上げられるものなど……」
「ある。ワシと紹雲、そしてお前の柴田への義である」
「父上……」
「大納言殿は当時友好間に過ぎなかった上杉の援軍にも出ている。欲しかったものは多大な銭金や兵糧の謝礼ではない。上杉景勝と直江山城の柴田への義が欲しかったのだ。ワシとてまだ将として大納言殿には負けぬ。紹雲も、そしてお前もな。この三名の柴田への義心を差し上げられるものとし、そして従属と云う同盟間に話を進めよ」
「承知しました」
「話を戻すぞ、殿と大納言殿の対面を成させるためであるが、ワシが一筆書いておくので、その文が大納言殿の手に渡るようにせよ」
「どうやって?」
「そのくらい自分の裁量で何とかしたらどうなんですか?」
夫に嫌味を言うァ千代。
「なんだと!」
「よせと言うに! コホン、それも考えてある。ワシも自慢ではないが、武田信玄殿に会ってみたいと思わせた武士。大納言殿の配下には武田遺臣も多い。安土にいる時には真田昌幸殿と会い、語り合ったものじゃ。真田殿にも文を書き、どうにか殿と大納言殿との対面を取り成してもらいたいと頼んでみる。真田殿は今、大坂に出向しているらしいので城下の真田屋敷にいるはず。真田殿にワシの文を渡せ。一肌ぬいでくれよう。しかし問題は対面後じゃ」
「はい」
「殿は今、外見で損をされよう。目の下には睡眠不足によるクマ。顔は酒で脂ぎっている。見ようによっては酒色に溺れていると受け取れる。まず大納言殿は殿の経歴からそう見る」
「確かに……」
「そしてそこから統虎、そなたの出番じゃ」
「なんと申せば……」
「先の通り、個人の好き嫌いで物事を決めるなど武家の棟梁の資格なし、人を外見と過去の過ちで判断するとは何が智慧美濃と叱ってやれ。さしもの大納言殿もグウの音も出まい」
「大丈夫なのですか、そんな事を言って」
「情けない、そう歳も変わらない男にそんなにビビッて」
「いちいちうるさいぞァ千代!」
「よせバカもん!」
呆れる道雪。
「ふう、統虎。大納言殿はかつて織田信長にも毅然と意見を述べた男。こういう強気の諫言の方が逆に上手く行く。特に最初から殿に悪印象を持っているのならな」
「分かりました、やってみます!」
「父上、統虎殿では荷が重いのでは?」
「黙っとれァ千代!」
「すぐ怒鳴るのだから……。大納言殿の騎士道を学んできて下さい」
「大きなお世話だ! お前こそ貞淑女性の鏡と言われるご母堂に学ばれたらどうなんだ!」
「丁重にお断りいたします」
「なんだと!」
「いいかげんにせんか二人とも!」
統虎は養父道雪にペコリと頭を垂れ、妻のァ千代を睨みながら出て行った。
「ァ千代……。統虎の何が不満なのじゃ。幼き頃はあんなに統虎と仲が良かったではないか」
「昔は昔、今は今、統虎殿は私より弱い男なので不満なのです」
「はっきり言うヤツよ。だが今にそれが間違いである事が分かろう」
「だと良いのですけど」
話は戻り大坂城。客間でもう数刻待たされっぱなしである。
「のう紹雲、大納言殿はやはりワシを嫌っておるようじゃ……」
気弱に語る大友宗麟。
「それは来る前にそれがしと道雪殿で何度も申し上げたはず。しかしそれでも我らは大納言殿に援軍を出してもらわねばならないのですぞ」
「『若気の至り』で済まない事をしてきた事は後悔しておる。ワシはもう良い、セガレの義統さえ厚遇してくれれば……」
もはや老いた宗麟、もはや領土欲よりも自分の安らぎと、息子義統が大友家を維持してくれる事だけが願い。
ちょうどこのころ、大坂に出向していた真田昌幸。その手元に立花道雪から文が届いていた。
「ふむ…さすがは道雪殿。大納言殿が宗麟殿を嫌い、会おうとしない事を読んでおったか……」
丁寧に文を折りたたみ、一つ息を吐く昌幸。
「思えば大納言殿は武人として裏切りをした日向殿や小山田殿とて、領内では民を思う仁政をしいた者として認めている。しかし反面、たとえ合戦は強くとも民を省みない者は軽蔑し、忌み嫌い、統治者の資格なしと述べている。紀州攻めの大義名分がそれであったしな…。大納言殿と語り合ったと云う道雪殿、そういう大納言殿の性格も知っておったか」
しかし、せっかくの九州攻めの大義名分が失われる。大友はいずれ島津に降伏し、敵となる。昌幸は大友宗麟の援軍要請を了承すべきだと思った。
同じく柴田と友好間である竜造寺家は島津に組している。しかしながら家老の鍋島直茂は同時に柴田に九州への遠征を促している。すでに秋月氏も島津に組しており、九州の地は島津対大友の様相を示し大友は旗色が悪い。
このまま大友が島津に敗れ降れば、柴田に九州へ攻め入る大義名分がなくなり、島津はさらに強大な存在となる。九州が島津を覇者とする独立国になる。統一政権樹立のためには九州も柴田の勢力下に置かなければならないのである。大友が島津に倒されたら後の祭りである。
しかし現時点なら大友も竜造寺も味方に付き、かつ地理的に不慣れな柴田勢の案内役にもなってくれる。竜造寺も大友も島津には苦杯を飲まされ続けた。畿内の覇者柴田明家の助力を得て、何とか倒したい。この両家の島津に対して闘志を利用しない手は無い。
真田昌幸は明家の説得にかかった。道雪が養子統虎に持たせた文を見せた。主人宗麟とぜひ会ってほしいと願う文であった。
「…………」
「亡き信玄公も会いたいと言った道雪殿、武田家に仕えた者として是非その願いを聞き遂げいただきたいと存ずる。何より大友への加勢は悪い話ではござらぬぞ」
明家とて、それは分かっていた。
「宗麟と云う材木には使える所がない、そう申したと聞きまする」
「申しました」
「あるではござらんか」
「え?」
「鬼道雪と、そして今回訪れています高橋紹雲殿、そして両名の子である立花統虎殿、この三人の名臣にござる」
昌幸のこの言葉に明家は一言も返せず、苦笑して頷いた。
「分かりました。しかし、援軍に出る出ないは今の宗麟殿を見てからにございます」
「御意」
真田昌幸が大友家一行の待たされている部屋へと行った。
「お待たせいたした。手前がお連れいたす」
「かたじけない」
軽く頭を垂れる紹雲。そして昌幸を見ると……。
「失礼、それがし高橋紹雲と申す。貴殿のご尊名を伺いたい」
紹雲は一目で真田昌幸をただものではない男と見た。
「これは申し遅れた。手前は真田昌幸と申す」
「貴殿が『信玄の眼』と呼ばれた安房殿にございますか!」
「ははは、懐かしき通り名です。今は柴田の寄騎大名に過ぎませぬ。さ、こちらへ」
立花統虎は胸がときめいた。いきなりとんでもない大物と会う事が出来た。
「さ、殿、参りましょう!」
統虎が宗麟を促し立たせ、そして城主の間へと歩いた。
「大納言殿。大友宗麟殿、その家老高橋紹雲殿と立花統虎殿をお連れしました」
「入られよ」
「はっ」
城主の間に入った大友家一行。部屋には前田利家、佐々成政、奥村助右衛門、吉村直賢がいて、明家と宗麟の対面に立ち会っていた。
「大友宗麟にございます」
「柴田明家にござる」
宗麟が顔を上げた。明家の顔にすぐ不快の気が浮かんだ。目の下には明らかに過ぎたる荒淫の証と思われるクマがあり、顔は酒で脂ぎっていた。宗麟から顔を背けて失望の溜息を出した明家。
「ご用件は?」
「と、当家に援軍を! このままでは島津に滅ぼされます!」
「なんでそうなったのですか?」
「島津は勇猛、とうてい今の我らの戦力では太刀打ちできませぬ」
「自業自得にござろう」
明家は早くも席を立ってしまった。
「しばらく!」
高橋紹雲が呼び止めた。
「何か」
「何かではない! それが遠方から来た客の遇し方か!」
「何?」
「我が主君の過去ばかり見て、話を聞こうともしない! それがこれから天下を取ろうとする男のなさりようか!」
「過去ですと? では目の下のクマは何ですか。過ぎたる荒淫の証、かつ顔は酒で脂ぎっております。この御仁は今も怠惰を重ねておられる。これを自業自得と言わず何であるぞ!」
「目の下のクマは島津に怯え眠れぬからである! 老いて気弱になった主君宗麟は島津への恐怖と過去の過ちの悔恨を酒でまぎらしている! 麒麟も老いたら駄馬に劣ると笑われるなら笑うがいい! しかし誰もが大納言殿のように強き意志を持てるものではござらぬ! 何より天下にその名を轟かせた智慧美濃とやらは見かけと過去の過ちで、今この場で目の前にいる者を判断するのか!」
「…………」
「そんな狭量で武家の棟梁になれるのか!」
養父道雪に叱ってやれと言われた立花統虎、まったく出番なし。実父紹雲に全部言われてしまった。しかし自分ではこうはいかない。さすが父上と後から背を見ていた。
「一つ伺いたい」
「なんじゃ」
「そんな傾きかけた大友家になぜ尽くす?」
高橋紹雲は胸を張って答えた。
「聞くもおろかな事、傾きかけた主家を支える事こそ武人であろう!」
顔が赤面した明家。部屋から出て行ってしまった。
「くっ……」
紹雲は床を叩いた。
「やはり……畿内の王者のおごりがあるか……!」
「はっははは」
前田利家が笑った。
「何を笑われる!」
「いや失敬、ですが一寸待たれよ。じきもう一度来る」
「え?」
真田昌幸を含め、柴田家臣たちを見渡せば、特に動じている様子がない。そして利家の言葉どおり明家は戻ってきた。顔が上気している。
「いや申し訳ございません、ちょっと外で水をかぶってきました」
「は?」
このクソ寒いのに? と統虎は思った。そして明家は君主の席ではなく、宗麟の前に座り、
「手前は武士にあるまじき振る舞いをしました。許されよ」
と、素直に詫びた。
「紹雲殿、ご貴殿の言葉、身に染みました」
「い、いや……。お分かりいただければ……」
「『主家が傾きかけた時にこそ支えるのが武人』亡き養父、水沢隆家から同じ事を教わりました。手前もそれを心掛けていたはずなのに……」
さっきまで自分が座っていた席を振り返って見つめた。
「あんな偉そうな席に座るようになって忘れてしまった。歩の旗に恥じ入るばかりです」
「で、では大納言殿!」
「宗麟殿、当家は大友家の援軍に参りましょう」
「お、おお! ありがたい! 当家は柴田に従属いたします!」
「決まりにより、人質を一人、出していただきますが」
「手前の息子、義統をお預けいたします!」
宗麟と手を取り合う明家。まさに紹雲の命がけの諌めが功を奏したと云える。ホッと胸を撫で下ろす紹雲だった。寒空の中、冷水を浴びて戻ってきた明家。自分を叱り付けるためであろう。柴田家臣たちが動じていなかったところを見ると、どうやら明家は時に自分へこうしてカツを入れる習性があると知っていたのだろう。君臣、信頼関係も強いと紹雲は見た。
しかし、内心明家も宗麟を『麒麟も老いたら駄馬に劣る』と見ていた。明家が大友家を助けようと思ったのは、まぎれもなく紹雲の武人の心に動かされた事に加え、大友に味方して九州に攻め入る利点を知っていたからである。
「申し上げる」
と、立花統虎。
「何でしょう」
「当家の領地はもう九州の切れ端。援軍に出ていただいても差し上げられるものは何もござらぬが、主君宗麟、若殿義統、養父道雪、実父紹雲、それがし、そして大友家臣団の誠忠を差し上げたいと存じます」
「これは良きいただきもの、大納言ありがたく頂戴つかまつる」
「はっ!」
「宗麟殿」
「はっ」
「毛利家の当家への従属がそろそろ成ります。後始末が済み次第、すぐに門司に向かい、九州に上陸しましょう」
「承知いたした!」
そして紹雲、自分の強諌に腹を立てず、素直に詫びた明家に好感を持った。道雪と同じく、紹雲とも語り合った明家。共にいた統虎とも親しく話す。歳が近いので気もあった。
統虎は明家の私宅にも招待された。越前美人の奥方さえを見て惚けてしまう。美しいだけではなく、夫を立てる貞淑ぶり。大大名の正室、世継ぎの生母などの驕りもない。それに引き換えオレの悪妻ときたら何なのだ。さえから注がれた酒に統虎の一滴の涙が落ちた。
(う、うらやましい……! こんな嫁ならオレも騎士道を貫けるってもんだ! ァ千代じゃ無理だって!)
「はっくしょん!」
立花城の台所でくしゃみをするァ千代。
「ふん、統虎殿め、大坂で私のワルクチを肴に酒でも飲んでいるのかしらね」
ここで高橋紹雲、立花統虎について少し語ろう。
高橋紹雲、元は吉弘鎮種(しげたね)と云う名前であった。大友宗麟の重臣である吉弘鑑理の次男で、宗麟の命令により高橋家の名跡を継ぎ、岩屋城と宝満城と云う二つの城を与えられた。立花道雪と並ぶ大友家の武の両輪で、歴戦の勇将である。
耳川の合戦で島津家に大敗すると、大友家は急激に衰退し始めた。それを狙って龍造寺隆信や秋月種実らが大友氏の領への侵攻を開始。この時に主家の大友宗麟は島津氏と戦っていたために紹雲へ援軍を送れなかった。紹雲の守る筑前は敵地の中に孤立していた。しかし彼は立花道雪と協力し、敵勢を撃退。紹雲はその武勇を敵味方に誇示した。
ある日、紹雲は実の息子がいない立花道雪から嫡子の高橋統虎を養嗣子として立花家にくれるように請われる。
こんな逸話がある。紹雲と道雪が互いの子を連れながら府内城の城下町を歩いていた時、大きな犬が極度に興奮し、よだれを垂らしながら紹雲と道雪のいるところへ走ってきた。道雪の娘のァ千代は怖がって父の後にサッと隠れたが、統虎は動ぜず、襲い掛かる犬の前足を掴み、足裏に刺さっていた小さな木片を抜いてやった。犬はすぐに大人しくなり、その場を去った。道雪はこれを見て『我が娘の婿はこの者おいてない』と決めた。
何度も紹雲に断られてもあきらめなかった。ぜひ養嗣子として当家にほしいと道雪は紹雲に懇願した。紹雲は、嫡子統虎は高橋家の大事な跡継ぎであり、その優れた器量も分かっていた事から最初は拒絶していた。しかし父親のように慕う道雪の度重なる要請をとうとう拒否できなくなり、養嗣子として統虎を立花氏に出した。統虎とァ千代は幼馴染でもあったが、あまり仲は良くないようだ。
統虎が立花家へ養子に行く時、紹雲は統虎に『道雪殿を実の父と思って尊敬し、慕うように』と言い、また一振りの太刀を与え『この乱世、今日の味方が明日は敵となる時代だ。もし道雪殿と父が戦う事におよべば、この太刀で父のオレを討て』と訓戒し送り出したと云われている。
そして話は今に至る。島津軍の北上はすさまじい。柴田と友好関係にある竜造寺も現在は島津に組し、さらに秋月氏も同様。もう島津は九州では大友以外に敵はいない。全戦力を大友に向けられるのである。
何より大友家に痛恨であったのは大黒柱である立花道雪が陣没してしまった事である。享年七十三歳。落雷により下半身が不随であったにも関わらず、九州は無論、中国の毛利も震え上がらせた雷神道雪が逝った。これを好機と見た島津義久はさらに北上を加速させた。
島津軍の進攻は日を増す事に増大し、ついにその矛先が紹雲の居城である筑前岩屋城へと向けられた。周囲は島津軍に包囲され、蟻の這い出る隙間もない。島津軍の総数約五万。これに対して紹雲はなんと七百四十と云う寡兵をもって迎えたのである。
紹雲の家臣たちは援軍を求めるよう進言したが、紹雲はその忠言を突っぱねた。少々の援軍など焼け石に水、大軍の島津の餌食になるだけである。ましてや島津軍は勇猛果敢。この時に紹雲はすでに玉砕を覚悟していたのだ。毛利輝元はすでに柴田に従属した。柴田明家はすでに九州遠征の準備を整えている。中国の毛利、土佐の長宗我部も出陣準備を整え西進の構えを見せていると云う知らせが入っている。何とかして時間を稼ぎ、島津の九州完全制覇を阻止しなくてはならないのである。
開戦前に家臣たちに命の惜しい者は逃げよと述べた紹雲であるが、一人も逃げなかったと云う。それほど紹雲は部下に慕われていたのである。紹雲は単なる一兵卒の名前すら知っている。これほどいくさ人に惚れられた大将はいない。
岩屋城を包囲している島津軍は焦っていた。すでに毛利は柴田に従属。大友の後ろ盾である柴田の大軍が九州にやってくる。時間がないのだ。島津義久本隊の先鋒を務める島津忠長は頭を抱えた。
「何と云う事じゃ……。ここまで順調に北上してきたものを。こんな小城一つ落とせぬとはのォ……。近く義弘殿、家久殿が大友宗麟の臼杵城に駒を進める手はず、なのに我らがここで足止めを食らっては……」
まだ後方には宝満山城、立花城と云う堅城がある。しかもそれらを守るのは紹雲の息子たちである。手間取るのは目に見えている。その間に柴田軍が九州に上陸する。そうなる前に大友を討ち、全九州を制圧しておく。そうすれば柴田軍と有利な条件で和睦できる。
島津忠長は自ら使者に立ち、紹雲を説得する事を決断。忠長と名乗らず、部下の新納忠元の名を用いて使者となった。軍使として岩屋城に入った忠長。城内の士気が高い事に驚く。これが玉砕目前の城内なのか。高橋家の将兵たちは使者に来た忠長に『お役目お疲れ様にござる』と労う。味方の城に来た気持ちにさえなった忠長。城内に入り、高橋紹雲と会った忠長。
「高橋紹雲にござる、して新納殿、御用の向きとは?」
「主君忠長の口上を申し上げる。これ以上の戦は無用。高橋方から一名人質を出していただき、ご開城願いたい。さすれば紹雲殿は無論、城兵のお命および本領も安堵も約束いたす…と」
「かようなお話ならば、もう何度もお断り申し上げたはず。城兵すべて城を枕に討ち死にの覚悟を決めてござる。お引取りを」
紹雲は席を立った。
「紹雲殿! 失礼ながら大友宗麟殿は貴殿ほどの将がお命を賭けるに値する君主ではない! 我が主、島津義久に仕える事こそ貴殿には相応しい!」
「新納殿」
「え?」
「真の武人とは、主家が傾きかけている時こそ真価が問われると思われぬか」
「紹雲殿……」
「姑息に生き延びても人間五十年…。だが名は永遠。潔く死ねば名は未来永劫に残る。それがしは名のみ惜しむ」
「それは違いまするぞ! 貴殿一人の美学のために犠牲となるは我が島津将士と貴殿の部下でありますぞ! それをいかように考えているのか!」
「…………」
「合戦に犠牲はつきもの、しかしながら出さずに済む犠牲なら出さぬ事に尽力するのも将の務めと思われぬのか! たとえ……敵味方にどれだけ恥知らずと罵られようとも……!」
床に一滴の涙が落ちた。
「我が家臣たちの命か……。言われるとおり、それのみがそれがしの痛み……」
「…………」
石のような沈黙の中で見詰め合う高橋紹雲と島津忠長。
「……不本意じゃが紹雲殿、戦場にて再会いたそう」
「城門までお送りいたそう忠長殿」
「……!?」
紹雲はフッと笑った。露見していた事に驚く忠長。今この場で人質に取る事もできるのにそれをしない。同じ九州人でありながら九州男児の気概を紹雲の笑顔から見た忠長。
「違う形でお会いしたかった紹雲殿」
「こちらこそ」
岩屋城の城門で別れた高橋紹雲と島津忠長。
島津忠長を送った後に城内に戻った紹雲。一人の客将が酒膳を整えて待っていた。
「おお、これはありがたい」
「まずは一献」
紹雲と客将の男は酒を酌み交わした。客将はいかにも貴殿と飲む酒は美味いとばかり飲み干す。
「美味い」
「ははは、しかし貴殿も酔狂な方だ。落ちると分かっている城にわざわざやってくるとは」
「なに、愛馬の気の向くままに旅をしてきたら、ここへたどり着いただけでござる」
「翌日から島津の大攻勢が始まろう、思う存分大暴れしていただきたい」
「この前田慶次、久しぶりに血がたぎり申す」
第十七章『九州上陸』に続く。