天地燃ゆ−完結編−
第十三章『四国上陸』
西国大名では柴田家と隣接する備前を本拠地とする宇喜多家が降伏。宇喜多の家老の花房職秀と羽柴時代から親しかった黒田官兵衛が折衝にあたり成功させた。
「宇喜多八郎にございます」
「柴田明家にござる」
宇喜多八郎、後の秀家と対面した明家。八郎は幼年から羽柴家に人質となり秀吉の養育を受けていた時期があった。秀吉にはずいぶんと大切に育てられ、教育も一流の師をつけていた。実父の直家も八郎への期待は大きく、厳格な守役をつけていたので、胆力もある者に育っている。なるほど聡明な少年だと明家は見た。現在八郎は凛々しい少年となっていた。今日から柴田家に人質となる。かつ柴田家との縁を深めるため、柴田家家老前田利家の娘の豪姫が彼に嫁ぐ事が決まっている。
「柴田と宇喜多の盟約が一刻も早い乱世の終息のための良縁にならん事を祈らずにはおられません。これより共に参りましょう八郎殿」
「はい!」
ウンウンと明家の横でうなずく官兵衛。柴田と宇喜多の架け橋となり大役を果たせてホッとしていた。
「大納言殿」
と、先代直家の弟の宇喜多忠家。
「何でござるか」
「瀬戸内海はいつ渡りまするか」
つまり長宗我部攻めはいつかと云う事である。
「当分予定はございませぬ。今のところは情報収集中です」
そんな悠長な、と宇喜多家家老の戸川秀安が意見を言おうとしたところ、花房職秀が秀安の膝を押さえた。武人肌の宇喜多忠家もそれ以上言わず、
「左様でございますか、ぜひそのおりは当家に先陣を承りたい」
「頼りにしています」
そう明家も返した。大坂城城主の間を後にした宇喜多の重臣戸川秀安は
「長宗我部は四国を統一したばかりで、まさに日の出の勢い。その勢いで畿内に攻めてくるのも時間の問題であろうに……ホントに智慧美濃と呼ばれた御仁か?」
と不満そうにもらした。その言葉に宇喜多忠家は苦笑し秀安に言った。
「いやあれでいいのよ。我らが長宗我部と繋がっていない保証がどこにある? むべなるかな、あの用心深さよ」
花房職秀も添えた。
「確かに。虫も殺さぬ雅な風体と聞いてはいましたが、なるほど見かけはその通り。しかしダテに秀吉を木っ端微塵にはしとらんわ。あっははは!」
宇喜多の重臣たちは去ったが、人質の八郎はまだ明家の前にいる。宇喜多家から人質になる幼い主君に家臣が一人ついていた。
「さきの三人は戦場の猛将と取れますが、貴殿は智で身を立ててきたように思えますな。宜しければご尊名を」
その男に明家が名を訊ねた。
「はい、明石掃部(明石全登【てるずみ】)と申します」
「ほう……貴殿がそうか。一度会いたいと思っていた」
明家より五つ六つ若いが、二十歳ほどの彼が若君に付けられたのである。先代直家が晩年近くになって召し抱え、そして目をかけていた智将である。直家が羽柴に八郎を預ける時に『掃部(全登)を側につけるように』と重臣に命じている。だからこうして柴田に人質に行く時もまた随伴してきたと云うわけだ。
「手前ごときをご存知とは恐悦にございます」
「八郎殿の初陣は近い。よろしいな」
「承知しました」
すでに四国攻めを決めていた柴田明家だった。
柴田明家は、父の勝家から家督を譲られてより柴田の方針を『天下統一』としている。統一政権の樹立である。また『大納言』拝命の時に帝の詔勅には『一刻も早く天下を統一し、この乱れた日の本に秩序と安寧を取り戻されよ』とあった。つまり天下を取る事はもはや明家一人の大望ではなくなっている。柴田家、そして天皇が望む事である。明家はこれを大義名分として長宗我部に和を求めた。『長宗我部家も当家が作らんとする統一政権に協力されたし』と要望。これは事実上の降伏勧告と云える。
しかし長宗我部元親は『誰があんな若僧に膝を屈するものか』と黙殺。それも無理はない。彼は十河存保を中富川の戦いで撃破して讃岐と阿波を平定。ついには伊予の河野氏を滅ぼし、四国全土を統一に至る。まさに日の出の勢い。土佐の出来人と呼ばれるのは伊達ではなく、二十二歳の初陣から武功を立て続けた。
しかし家臣の中にも帝を味方につけている柴田家と戦うのは得策ではない。大納言は並大抵の武将ではない、と開戦を危惧する声はあった。しかし元親はこう答えた。
「なるほど大納言は軍事内政にも優れ、個人的武勇も剣聖上泉信綱直伝で、甲斐武田の槍術を会得した才人、しかしこれは多芸を欲張りすぎだ。人は一芸を熟達すればいいのだ。多芸は必ず巧みにはならぬわ」
元親は相手が多勢であるがゆえに勝機はあると思っていた。かつ敵の総大将は今まで負けを知らない。若く名将と呼ばれる男。元親も天賦の才があると認めざるをえないが、明家が天才であるがゆえにモロいと思った。
「戦は数ではない。大納言は兵力の多さと自分の才覚に絶対の自信を持っている。これぞ我ら長宗我部の桶狭間、『土佐のいごっそう』がチカラ、絶世の美男子とやらに見せてくれようぞ!」
彼は柴田と明智が戦った瀬田の合戦と時を同じ頃、織田信長の死に乗じて畿内進出を考え、その前線拠点として淡路洲本城を淡路水軍の頭領である菅平衛門に洲本城を占領させている。
だが新たに畿内の王者となった柴田明家はそれ以上の侵攻は許さなかった。紀州攻めと同時に部下の高崎次郎と星野鉄介に命じて淡路洲本城を奪回させ、高崎次郎を城主にして城の修築と水軍の強化を命じ洲本の守備固めをさせている。淡路島は柴田の領地となっているのだ。
これを見ても柴田明家に四国攻めの意図があったのは明白である。そのうえで明家は長宗我部に柴田に属する事を勧告した。長宗我部元親は拒否。しかし降伏を拒否するにしても明確に否と言わず、四国全土の基盤固めをする時間を稼ぐため元親は返事を延ばすなり、和議なら受けると云うような外交戦術に出るべきであった。すぐに拒否の姿勢を示した事が柴田に四国へ攻め入る口実を与えてしまったのだ。
一方の柴田明家、敵将の長宗我部元親が姫若子と家臣に揶揄されていたが初陣の時いらい鬼若子とも言われるほどの武将となり現在に至っている事は知っている。油断はできないと思った。よって明家は毛利に対する備えを残し、上杉と真田も含めた大軍勢で四国に上陸する事を決定した。
兵站を担うのは石田治部少輔三成と大谷刑部少輔吉継、それに助力する九鬼水軍、その資金を用立てる吉村直賢。連携は円滑に進み出陣に備える。大坂の柴田家軍港に駐屯して軍務をしている石田治部と大谷刑部。
「平馬(吉継)、丹波から送られる兵糧はいかがなっている?」
と、石田三成。
「明日にもこちらの軍港に付く手はずだ。堅田衆が河川での輸送に大活躍してくれた。殿の定めた納期には間に合うさ」
九鬼水軍と柴田の軍船が軍港にズラリと並んでいる。大船団である。
「殿は四国の戦でも裏町を作る気だろうか」
裏町とは、陣場の後ろに町を作り、将兵の慰問を図る仕組みで柴田家の陣法の一つである。
「いや佐吉、犬山の戦いと違い、海を渡って敵地の只中に入るのだからそうもいくまいよ。殿は大軍勢でもって短期間で攻め落とす気でいよう」
「なるほど。平馬、ちょっと一服するか」
「そうだな」
一つの軍船に上がり、甲板の椅子に座った二人。冷たい水を吉継に渡す三成。
「しかし十二万の軍勢か。お互い親父様(秀吉)に兵站の腕前を見込まれたが、まさかこんな大軍の兵站をやる時が来るとは思わなかった」
「できる事なら羽柴の軍でやりたかったが…」
「おい平馬!」
「い、いやスマン、別に殿や柴田家に不満があるわけじゃないんだ。だけどオレはお前の推挙を経て親父様に見出されたからな」
「そうよな」
「でもな佐吉、オレはあの時の悔しさは忘れていないぞ」
「悔しさ?」
「山陽道で水沢隆広殿にお情けで見逃してもらった悔しさだ」
「そういえば、悔し涙を流していたっけな」
「オレはもうその水沢隆広、今の柴田明家の家臣となったから戦場で勝つ事でその悔しさは晴らせない。だからオレは柴田明家に必要な男となり、天下を取らせる事で、その悔しさを晴らそうと思う。そう腹を括ったよ」
「『怨みに報いるに徳を以てす、怨みに報いるに直を以てす』と云うわけか…」
「なんだ? そんな洒落た格言あるのか?」
「知らないのか、孔子の言葉だぞ」
「ほう、佐吉は相変わらず物知り……」
突然、大谷吉継はめまいを起こして倒れた。
「平馬!」
「だ、大丈夫だ…」
「おい、すごい冷汗じゃないか!」
「最近ちょっと多いんだ。だが少し横になれば治る」
「最近多い……!? バカ野郎! なら何で十二万の兵站なんて激務の命令を受けた! 急ぎ城に帰り源蔵館で診てもらえ!」
「四国攻めが終わった後にそうする。今はダメだ」
「平馬…」
「オレの女房は病身でな…。今、源蔵館で治療を受けている。よく効く薬を銃太郎殿に調合してもらっているが唐土より手に入れる高額な漢方薬を必要とするので、定期服用には金がいる。いかに柴田家から治療代が八割出ようが部下への禄を差っぴくとオレの禄では足らないのだ。
銃太郎殿は柴田家参謀である刑部(吉継)殿の内儀なのだから、大納言様に全額工面してもらう事もできると言ったが、それは断った。ちゃんと決められた額を支払っている領民に申し訳ないしな。だから、この四国攻めの兵站の手柄で恩賞を得て、妻にもっと本格的な治療を受けさせたい」
「なぜオレに一言……」
「ふっ、お前とてビンボー城代のクセに」
「そうだが、少しくらい工面は出来るぞ」
「お前や殿と同じだよ」
「ん?」
「女房のためなら何でもしてやりたい」
明智光秀、毛利家の吉川元春、大友家の高橋紹雲、そして大谷吉継。いずれも名将であるが彼らには共通点がある。それは醜女を妻とした事だ。吉川元春は妻の父である熊谷信直を味方につけるためでもあったが、その妻を愛し続け生涯側室は迎えなかった。
明智光秀、高橋紹雲、大谷吉継の妻たちには、さらに共通事項がある。元来は醜女でなかった事だ。婚約後に病にかかり、顔にアバタやコブが出来てしまったのだ。光秀、紹雲、そして吉継はそれでも約束を違えずに妻とした。
吉継の正室は恵と云い、浅井氏ゆかりの娘である。実家は浅井家滅亡後に落ちぶれた。恵は秀吉居城の長浜城に下女として働いたが、その時に吉継に見初められた。羽柴家の有望な若手将校となっていた吉継に見初められ、恵の実家は大喜び。話はトントン拍子に決まり、吉継が合戦から帰ってきたら祝言と云う運びになった。しかし恵は天然痘にかかり、吉継が見初めた美貌が崩れてしまった。帰ってきた吉継は恵の家に訪れ事情を聞いた。そして父母は
『とても娘を大谷殿に嫁がせられない。他の娘を見つけて下さい』
と、婚約解消を訴えた。しかし吉継は
『確かにオレは恵殿の美しさに惹かれた。しかし妻とする女子を容貌だけで選ぶほどオレは浮付いた男ではない。恵殿を妻にしたい気持ちは変わらない』
と返した。ある日突然に醜女になり、心がズタズタに傷ついていた恵は吉継の言葉を聞き号泣。生涯の夫と決めて嫁いだ。
以来、仲睦まじく、この戦国乱世を二人で生きてきた。子供にも恵まれ、柴田家でも重用され、さあこれからと云う時に恵は病に倒れた。
「治らぬとでも思ったのか……。『今度は丈夫な、若くて美しい妻を娶って下さい』と言ってきた。冗談じゃない。治ってもらい、また子作りするんだ」
「…………」
「今日倒れたの見たの、幸いお前だけだったな。いいか女房には言うなよ。殿にもだ」
「わ、分かったよ。でも約束しろ。この四国攻めが終わったら、お前も源蔵館で治療を受けるのだぞ!」
「ああ……。ありがとう佐吉」
大谷吉継と石田三成は十二万の軍勢を運ぶ軍船と、その将兵の胃の腑を満足させるだけの兵糧を確保し、前線の淡路洲本城を預かる高崎家と連携をとり、大坂→淡路島→讃岐の輸送経路を確固たるものとした。瀬戸内海の通行料を収入としていた村上水軍だが、柴田の武威の前では沈黙している他なかった。主筋の毛利家にも柴田家を刺激しないように通達されている。
しかし慎重を期す大谷吉継は商人司の吉村直賢と話し合い、事前に村上水軍に多大な通行料を渡し、頭領の村上武吉から通行手形を手渡されていたと云う。柴田家は村上水軍を無視する事も出来たが、吉継は彼らの面目を保つべく計らったのである。
しかし単なる情けではない。通行料をちゃんと支払ったのであれば、村上水軍は面子にかけて柴田の渡海を守らなければならないのである。金で強力な水軍の護衛がつけば安いものである。
合戦の三要素は戦略、戦術、兵站(後方支援)である。三成と同様にその兵站の技量を羽柴秀吉に高く評価されていた大谷吉継は朋友三成と共に見事柴田十二万の後方支援の責務を果たすのである。
四国に出陣する前夜の大坂城。明家の出陣前夜、明家は愛妻さえの横にいた。膝枕をしてもらい、お腹に耳をつけている。さえは三人目の子を身ごもっていたのである。ついでにさえのお尻も撫でていた明家。
「病が治って最初の子だな」
「はい、また殿の子が生めるなんて思いませんでした。正直あのおり、死を悟っておりましたゆえ」
「女医たちは何と言っている?」
「経過は良好との事です」
「それは何より」
「うふ♪」
「なんだよ?」
「でも診断してくれるのが女医さんで嬉しい。殿以外に肌は見せたくないですから」
「オレも見せさせたくはない。だから女医を育成させたんじゃないか」
「まあ私のために女医育成政策を?」
「そうだ。でもさえだけの、てワケにもいかないだろ」
「嬉しい殿、大好き♪」
明家の額を愛しそうに撫でるさえ。
「なあ、さえ」
「はい」
「もし、今度生まれてくる子が男の子なら、朝倉家を継がせようと思うんだ」
「えっ……!」
「男子が二人生まれたら長男は水沢、次男は朝倉と決めていた。だから子が長じるまで、別家を立ち上げさせる事ができるほどの大身になっていようと励んできた」
「殿……」
「ん?」
「あ、朝倉家を再興してくれるのですか?」
「あれ? 言った事なかったか?」
「初耳ですよ! 他の女子に言ったのと勘違いしていません?」
「おいおい朝倉再興をさえ以外に言って何の意味があるんだよ」
そりゃそうだ、と思うさえ。それと同時に嬉しさがこみ上げて来た。
「嬉しい……! 朝倉を再興して下さるのですね?」
「朝倉宗家ではなく、そなたの家だな。しかしまあ義父上は朝倉親族衆筆頭だ。その娘の子ならば新たな朝倉家を立ち上げるに遜色なかろう」
「殿……ありがとう!」
「しかし、監物と八重が存命中にできなかったのは残念だな……」
「はい……」
「でも二人には生前に言ってある。そして吉村家の者を柴田と朝倉両家で重用する事もな」
「本当に!?」
「うん、喜んでいた。特に八重にとっちゃ実家だからな」
「殿……。ぐすっ、さえは嬉しくてたまりません。でも……」
「ん?」
「殿、お気持ちは嬉しいですが、もし生まれ来る子が男子なら水沢家をお継がせ下さい」
長男は水沢、と明家は言ったが今の彼は柴田家の当主。となれば次男は朝倉ではなく水沢が適切とさえは考えたのだ。
「……さえ、そなたが三人も四人も男子を生めるとは限らないのだぞ」
「ですが、義父上様の名跡をここで途絶えさせるわけには……」
「途絶えさせやしないさ。佐吉にも言われたからな、『水沢姓を大事にされよ』とな。徳川殿は自分の旧名である『松平』と云う姓を譜代の家臣の姓として、うまく称号として用いているらしい。これは使えると思ってな。養父隆家の姓を、柴田家で名誉な称号とするんだ。父の名跡は途絶えず、かつ家臣の名誉ともなる。一石二鳥だろ?」
「すごい名案!」
「だろ?だろ? 敵も同然の徳川家といえども、学ぶべきところは学ばねばならない」
(ホントは佐吉の提案なんだけどな)
「と、云うわけで水沢家は別家として立ち上げる必要はない。よって生まれる子が男子なら朝倉家の新たな当主とする」
「ありがとう……殿」
「生まれ来る子が女の子なら、今ごろさえのお腹の中で怒っているかもな」
「うふ、そうかもしれません」
明家はさえのお腹を愛しく撫でた。
「男だ女だ、かような事はどうでもいい。愛するさえとオレの子、元気に生まれてくれれば十分だ」
そんな美辞を言いながらも、しっかりと手は愛妻のお尻を撫で続けている明家だった。
「んもう、そんなに撫でたら磨り減ってしまいます」
明家の手の甲をギュッとつねるさえ。
「イタタ」
「うふ♪」
翌朝、出陣式。広大な大坂城の錬兵場。十万以上の軍勢ゆえ主なる部隊長でも三千はいる。その三千の部隊長たちが並ぶ前にある台座、軍師の黒田官兵衛が行軍中の諸注意について話している。明家も昨夜に愛妻に見せていた顔ではなく、凛々しい顔である。いよいよ天下統一のための合戦に乗り出す時。
(良い天気で何よりだ)
主なる武将の妻たちも出席し、桟敷に座り出陣式を見守る。身重のさえも出席している。
(良い天気、これなら瀬戸内海も荒れていないでしょうね……)
凛々しい顔の夫を見つめ、そしてウットリするさえ。
(ああ、やっぱりその顔が一番好き)
やがて黒田官兵衛の諸注意が終わった。変わって明家が台座に進む。官兵衛が台座の脇に控え
「殿、鼓舞を!」
「よし!」
台座に立つ明家。
「では海を渡る! 四国全土に『歩の一文字』の軍旗を掲げようぞ! 出陣だあーッ!」
「「オオオオッッ!!」」
柴田軍十二万が四国へと向かった。柴田の軍船の指揮を執るのは松浪庄三。そして九鬼水軍が共にある。長宗我部の水軍も迎撃に出て、まず瀬戸内海の讃岐沖で遭遇した。旗船の明家に使い番が報告。
「殿! 長宗我部水軍の迎撃です」
「すでに戦端は開いている。海戦は庄三殿に一任してある。すべて任すと伝えよ」
「ははっ!」
長宗我部水軍の旗船には阿波一ノ宮城主である谷忠澄が大将として乗っていた。水平線を埋める柴田の水軍。長宗我部水軍が見た事もない巨大な安宅船ばかり。黒い津波のように迫り来る柴田の水軍。まして柴田軍には木津川沖海戦で村上水軍を蹴散らした九鬼水軍も加わっており、その村上水軍も柴田が正規の通行料を支払った以上、柴田の渡海は面子にかけて守らなければならない。松浪、九鬼、村上の軍船が柴田本隊を守りながら大海原を突き進む。対する谷忠澄は
「退け! 戦闘状態に入ってはならん!」
自らの水軍に下命した。忠澄は一目で勝機なしと悟った。
「一戦も交えずに逃げるのでございますか!」
反対する忠澄の部下たち。
「それではお屋形様(長宗我部元親)に何と申し開きを!」
「ワシが全責任を取る! とにかく退け!」
「「………」」
「聞こえないのか!」
「「は、はは!」」
ようやく撤退に入った長宗我部水軍。忠澄はホッと溜息を出し、そして柴田の大水軍を見た。見ると聞くとでは大違い。信じられないような大兵力だった。谷忠澄は痛感せざるを得なかった。
「駄目じゃ…。もうどうにもならん!」
「十二万だと!?」
居城である土佐の岡豊城でそれを聞いた長宗我部元親は想像を越えた大軍に驚き、かつ柴田軍の襲来を方角から讃岐と予測していたが、柴田軍は二手に分かれて阿波にも向かった。讃岐には柴田明家総大将で、阿波から前田利家率いる軍勢が上陸を目指す。双方六万。明家の軍勢には宇喜多軍も加わり、黒田官兵衛が参謀を務めた。
前田軍には真田と上杉が加わり、佐々、可児の軍勢もあった。一方だけで六万、元親の軍勢は残らずかき集めて四万だった。しかも柴田軍と違い半農半士の一領具足。それに四国を統一したばかりで、元親に敗れた四国の大小の勢力は長宗我部をまだ怨んでもいる。ただでさえ柴田の半数以下なのに統率が取れていない。
だが明家は油断しなかった。半農半士とはいえ、土佐独特の仕組みである一領具足。一領具足とは平時には田畑を耕し農民として生活をしているが、領主からの動員がかかると一揃いの具足を装備して召集に応じる事を課せられていた。突然の召集に素早く応じられるように農作業をしている時も常に槍と鎧を田畑のかたわらに置いていたので、一領具足と呼ばれていた。農作業にあたっているため、身体的に剛健な者も多く、生半可な武士より強い。
柴田明家は黒田官兵衛、前田利家、佐々成政と話し合い、あえて長宗我部元親が四国を統一するまで待った。元親の勢いから時間の問題と見ていたからである。なぜあえて元親の勢力拡大を黙って見ていたか。それは戦場での調略が容易となるからである。つい最近まで長宗我部と敵対していた讃岐、阿波、伊予の豪族や土豪が長宗我部のために命を賭けて戦うはずがない。讃岐と阿波の国主だった十河氏と伊予の河野氏の生き残りたちも然りである。
四国の統一が成っておらず、讃岐と阿波がまだ十河氏のものなら、伊予が河野氏のものなら、逆に彼らは長宗我部と連合して四国に侵略に来た柴田勢に立ち向かう事もある。だからあえて長宗我部に十河と河野の両大名を討たせ、その生き残りや讃岐、阿波、伊予の豪族や土豪たちが長宗我部氏に憎しみを抱くのを待った。その間に柴田は領内の地盤固めをすると云う算段。事は何事も一石二鳥にせよ、柴田明家の真骨頂である。
中富川の戦いで十河一保は討ち死にしており、アッと云う間に讃岐と阿波は長宗我部に併呑された。伊予湯築城の河野通直は長宗我部に善戦したが、武運つたなく敗れ降伏。土佐に通直は移され、元親に与えられた屋敷内で病死して果てたと言われている。
しかしながら河野通直は仁将と呼ばれる大名で、父の代から合わせて二度も叛旗を翻した大野直之を許して大事な砦を任せている。直之は若き主君の仁に感激し、湯築城の支城ことごとく落ちても、彼だけは最後まで抗戦し討ち死にした。
土佐に移り、通直が病死したのは元親の毒殺説が噂された。元親は否定したが河野の遺臣たちは聞く耳持たない。遺臣たちは野に下っていても『いつか通直様のご無念を晴らすのだ』と復讐の牙を土佐に向けている。裏切りが当然のようにあった戦国の世で、ここまで家臣に慕われた君主も珍しい。
すでに四国には柴田の調略が及んでいた。かつて織田信長が大軍勢で攻め寄せようと云う時、長宗我部氏の領内の豪族や土豪は続々と織田方についたと云う経緯がある。しかし織田勢の瀬戸内海の渡海は本能寺の変で頓挫した。
長宗我部元親は織田についた豪族と土豪、そして織田方に寝返ろうとした家臣たちを処刑した。これは結果を見てみると愚策だったとしか言えない。上杉謙信、武田信玄、徳川家康などは一度叛いた者でも許して厚遇し、それを戦力とした。裏切り者は許さないと云う姿勢も分かるが、元親の行動は自分の足を食う蛸のような仕儀で余計な怨嗟を被る事となる。
そしてそれを柴田につけこまれる。柴田明家と黒田官兵衛は伊予、讃岐、阿波の豪族と土豪、十河と河野の遺臣たちに加えて、元親に処刑された者たちの縁者たちにも目をつけたのである。柴田勢が攻め入ると同時に旗を揚げよ。そして暴君元親を討つ事に助力せよ、そう言ったのである。
信長の四国攻めの部隊は二万であったと言われているが、今回はその六倍の十二万である。しかも帝から『天下を統一せよ』と勅命を受けた柴田明家が総大将である。柴田側の調略がなくとも長宗我部側には裏切り者や離反者が続出すると見込めたが、明家は念を入れて攻め入る前から長宗我部の足元を崩したのである。
その調略の任を担当したのが、明家子飼いの将、高崎吉兼と星野重鉄である。二人は明家養父の水沢隆家に仕えた将の子であり、智勇の将であった。以前は高崎次郎、星野鉄介と云う名であったが、この頃は両名とも立派な名と正六位の官位も受けている。彼らは父親たちが藤林家と共に先代隆家に仕えた縁から親しい。よって調略などの任を得意とする。元親に家族郎党を殺された者を味方につけ、各地の豪族や土豪、十河や河野の遺臣たちも口説き落としていた。
高崎と星野両名は事前に四国入りしていて、調略と合わせて軍港を占拠し、上陸する柴田軍を迎える事も任務である。そして讃岐や阿波の地理なども事前に把握して、味方につけた土地の者たちと共に柴田勢の案内役を勤める。またとない大役だった。すでに高崎吉兼は手勢と味方につけた豪族たちに命じ、讃岐の軍港を占拠する事に成功していた。柴田の大船団が到着。旗船からゆっくり降りてくる柴田明家。いよいよ四国の地に立った。
「殿、お待ちしていました」
「うん主計頭(吉兼)、長きの四国赴任、ご苦労であった」
「はっ」
吉兼の後ろには彼が味方につけた豪族や土豪が整然と膝を屈し並んでいた。
「最大の良策は戦わぬ事、味方につける事、であるが見事だな主計頭」
「恐悦にございます」
「匠之頭(重鉄)は前田勢の出迎えか」
「はい、匠之頭も阿波の軍港を占拠して前田様の出迎えに」
「まず上陸は無事に成した。では行くか、鬼若子の待つ土佐へ」
「ははっ!」
柴田勢は四国に上陸し進軍を開始した。
第十四章『土佐のいごっそう』に続く。