天地燃ゆ−完結編−
第十二章『江与の結婚』
大坂城の一角に築かれた優美な屋敷、ここに柴田勝家とその愛妻お市の隠居館がある。名を『庄養館』。安土の同名の隠居館と同じく辰五郎一党の建築技術が結集した豪奢な屋敷。平城さながらの大邸宅に一流の庭師が仕立てた風光明媚な庭。お市はその庭にいた。日本最大勢力の大名の母。孝行息子に、無上に自分を大切に愛してくれる夫。かわいい娘たち。誰が見ても幸せの絶頂と言えるだろう。
しかしこんな平穏無事の優雅な暮らしをしていても、かつて愛する息子を兄の信長に殺されたと云う心の傷が癒えるわけではない。お市が時々隠れて泣いている事は勝家と明家も知っていた。
遺体さえ兄の信長に返してもらえなかったお市。この庄養館の庭の片隅に供養塔を建てて念仏を唱えている事ぐらいしか愛する息子に出来ない。そして今日も息子の御霊に祈りを捧げていた。
「万福丸…。貴方が死んで十数年。生きていれば明家殿の良き側近として成長していたでしょうね。賢くて勇敢な子だったもの…」
万福丸は言葉を覚えるのが非常に遅く、幼少のころは喘息で丈夫な体質ではなかった。跡継ぎとして将器の才も家臣たちは心配していたと云う。しかし後には喘息も治り、丈夫な少年に育っていった。父の長政は、よく枕元で『論語』『孟子』などを読み聞かせた。万福丸はそれが大好きで目を輝かせて聴いていた。
ある時、父の長政が風邪をひき寝込んでいると万福丸が手に『論語』を持ってやってきて“子、いわく……”と音読し始めた。長政が“風邪が移るから向こうに行っていろ”と叱っても離れようとせず、長政はハッと気づき“そなた、父に呼んで聞かせ病魔を退散させようとしたのか?”と問いかけると、万福丸は照れくさそうに頷いた。長政は、“バカ者が……”と言いながら、あとは涙で言葉が出なかった。
これを長政よろこび、妻のお市に息子自慢をする始末。何度も同じ事を言って息子自慢。そんな夫に苦笑しながら、夫と息子の仲の良さを嬉しがるお市。それゆえ、後に兄の信長に殺されたと知ったお市の悲しみと怒りは並大抵のものではなかった。直接手を下した秀吉への怒りはさらにすさまじく、清洲会議での態度がそれを物語っている。
一方、大坂城の明家にある日、義兄の竹中半兵衛の妻である月瑛院が訊ねてきた。
「吉助(後の重門)はそれがしの小姓の中でも有望です。先行きが楽しみです」
「はい、これも大納言様の薫陶にございます」
「元服も近い。その花冠の儀には義姉上殿も立ち会っていただきたい」
「もちろんです。一人息子の晴れ姿ですもの」
「ははは、それで今日の用向きは?」
「はい、この手紙を大納言様に渡すよう命じられていました」
封を切っていない書状だった。
「羽柴様の!?」
なぜ今頃になって、と云う顔で月瑛院を見る明家。
「亡き筑前守様は『吉助の元服のころに渡せ』と」
「は?」
「私にもその意図は分かりません。とにかく拝読を」
「承知しました。ではさっそく」
明家は秀吉の書状に一礼して読み出した。内容はさしもの明家が唖然とする事だった。
「こ、これは事実にございますか!?」
「大納言様、内容を知らぬ私がそれにお答えできるわけが……」
「そ、それもそうですね…。しかし事実なら大変な事だ…」
書状をふところにしまった明家。
「急ぎ、この書状の内容を確認しなければなりません。せっかくお訪ねしていただいたのに、失礼します!」
「はい、私にはおかまいなく」
書状には一人の僧侶の名前が書かれてあった。そして明家はその名前を知っていた。柴田家の学問所辰匠館。そこへ勤める教授の中にその名を持つ者がいるのである。教え方は厳しいが身につく学問を教えて、家臣たちにも評判がいいので明家は会った事はないものの、その名は伝え聞いていたのである。
「誰かある」
「はっ」
使い番が来た。
「うん、今すぐ辰匠館に行き…」
「辰匠館に行き…?」
「いやすまん、オレ自身が辰匠館に行こう。そなたは下がるが良い」
「は、はい」
(犬猫を呼ぶわけではないのだ。オレ自ら行かなくては)
明家はすぐに辰匠館へと向かった。そして館長を勤める中村武利に
「素読所の教授、沢栄殿を呼んでくれ」
すぐに武利が呼びに行ったが沢栄は素っ気無く
「授業中にございます」
と殿様の呼び出しを歯牙にもかけなかった。それを聞いた明家は
「それはもっともだ。待たせてもらおう」
素直に辰匠館の客間で待った。辰匠館の創設にあたり中村武利が教授を勤める高僧と在野の学者を集めた。沢栄は近江の志重寺にて名僧の誉れ高く、最初は柴田家の要請に応じず寺を離れようとしなかったが、数度にわたる武利の懇願に根負けして教授になる事を了承した人物である。沢栄が勤める素読所とは論語を始めとする和漢蔵書を学ぶところであり、特に沢栄の教え方は厳しいと有名だった。
「殿、そろそろ授業が終わりますが、沢栄殿に何か?」
明家は月瑛院から渡された秀吉の書を武利に見せた。
「こ、これは!」
「ああ、オレも驚いた。……と、来たようだ」
「沢栄にございます」
授業を終えて沢栄が辰匠館の客間へとやってきた。そして明家の前に座り平伏する。明家も頭を垂れた。
「と、殿?」
一僧侶に平伏する明家の姿に驚く中村武利。沢栄も驚いた。
「突然呼び出して申し訳ござらぬ。それがしが柴田明家にございます。沢栄殿は当家が辰匠館にお招きした教授であり、それがしの家臣ではないのですから、どうぞもっと楽になさって下さい」
「これは勿体無きお言葉にございます」
明家は武利を見た。“二人だけにせよ”と言う意図である。武利は客間を出た。
「早速ですが単刀直入にお伺いいたします」
「はい」
「御坊は近江志重寺の僧、沢栄殿に相違ございませんね?」
「左様にございます」
「では……出家される前の名前をお伺いしたい」
「……お答えできませぬ」
「もはや、御坊を害する者はおりませぬ」
「…………」
「御坊は、浅井長政殿とお市様の子、万福丸殿にございますな」
「………」
「沢栄殿」
「…その通りにございます」
「やはり!」
「……しかしながら、その名前はもう捨て申した。私は沢栄、ただの僧侶にございます。それ以上でもそれ以下でもございませぬ」
しばらく沈黙の中で見つめあう明家と沢栄。明家が切り出した。
「沢栄殿、一度だけ、頼まれては下されまいか」
「何をでございましょう」
「母のお市に会ってもらえぬでしょうか」
沢栄は首を振った。
「母はもう浅井の人ではなく柴田の人、今さら私が姿を現しても戸惑うだけでしょう」
「かような事があるはずない! 母は今でもそなたの死を悼み……泣いているのです」
「…………」
「卑怯な言い方でしょうが……兄の頼みを聞いてくれないでしょうか」
柴田明家と浅井万福丸は共にお市が腹を痛めた実子である。となると、二人は同腹の兄弟と云う事になる。
「生きていたと知れば、しかもかような名僧として長じていたと知ればどんなに喜ぶ事か」
「……私の生存をどうしてお知りになりましたのでしょうか」
「羽柴秀吉殿の書状にすべて書かれてあり申した」
「そうですか…」
「どうでございましょう、母と会っては下さらぬか沢栄殿!」
「…私自身が母の愛にほだされてしまいそうで、今まで名乗りはあげませんでした。しかし母がいまだに私の死に泣いているのであれば、名乗らぬは不孝と相成りましょう。お会いさせていただきます」
「ありがたい!」
明家は沢栄の手を握り感謝した。明家も嬉しい。弟がいたのだ。
「大御台様」
庄養館の庭で愛息万福丸の供養塔に祈りを捧げていたお市の所に侍女が来た。お市は浮かんでいた涙をぬぐいながら振り向いた。
「何か」
「お殿様がお見えにございます。大御台様にお会いしたいと」
「明家殿が?」
「はい」
「分かりました。すぐに参ります」
(万福丸、明日にまた…)
お市は庄養館の客間へと向かった。
「母です、入りますよ」
「はい」
沢栄は胸を高鳴らせた。十数年ぶりに聞く母の声。お市は静かに明家と沢栄の前に座った。
「明家殿よくお越しに……。その方は?」
「はい、当家の学び舎、辰匠館の教授を勤めていただいています沢栄殿にございます。沢栄殿、顔を上げられよ」
だが沢栄は平伏したまま、顔を上げられなかった。畳に涙がポトポトと落ちる。
「どうされたのですか……? 明家殿のお客なら母の私にも客人。遠慮はせずに……」
沢栄は涙あふれる顔でやっと顔を上げた。
「………………!」
「…………」
お市は沢栄の顔を見た瞬間、絶句した。立ち上がりかけたが、うまく立てずにつんのめった。
「ま、万福丸?」
幼き日の顔しか知らないのに、お市は一目で息子と分かった。
「はい……!」
「万福丸なの!?」
「はい母上!」
「あああ……!」
お市は沢栄を抱きしめた。
「生きて……生きていたのね……!」
「はい……!」
息子を抱いて号泣するお市。傍らにいた明家ももらい泣きをしてしまう。しばらくしてやっと抱擁に満足した市。明家が手拭を渡した。それで涙を拭うお市。
「しかし……どうやって生きて……」
秀吉の書状をお市に見せる明家。そこには万福丸をひそかに助けて寺に匿った事が記されていた。秀吉は配下の山内一豊に命じ、領内で病死した子の遺体を高額で買い取らせ磔の刑を実施し、その遺体に万福丸の服を着せて信長に届けた。秀吉は信長と万福丸に面識がない事をあらかじめ知っていたのである。一説では信長はニセモノと知りつつも秀吉の行為に目をつぶったと言われているが、その真偽は今では調べようもない。
「……秀吉があなたを」
お市は“サル”と呼ばなかった。
「秀吉殿は私を志重寺へ連れて行き、銭を寺に渡して成人するまで面倒を見て欲しいと和尚に頼み込みました。私は武士を捨てて僧として修行に邁進し、長じて世間から名僧と評されるまでに至れました。そして柴田家の辰匠館に招かれたのです」
「そうだったのですか……。そうと知っていれば私も清洲会議で秀吉をああまで罵る事もなかったのに……。なんとお詫びすれば……」
「母上、羽柴様の墓は再築した姫路城の城下町に作りましてございます。いつか沢栄殿と赴かれては…」
と、明家。
「許してくれるとは思えませぬが……せめて一度礼を申さねばなりませんね。万福丸、今度一緒に姫路に参りましょう」
「はい、お供させていただきます」
「明家殿……」
お市が明家に万福丸を柴田家に召抱えてほしいと眼で訴える。それを察した沢栄は言った。
「母上、私は柴田家の学び舎の辰匠館にて教授を勤めております。明日の柴田の人材を育てているのですから、直接兄上に仕えなくても柴田のお役に立っていると自負しています。何より……武士になるのはイヤにございます」
「沢栄殿はとても厳しい教授ですが、子らに慕われ、それがしの家臣たちも褒めちぎっているほどの優れた師。それがしも将として召抱えるより、時に外から柴田家を見て、兄であるそれがしの相談役になってくれたらと考えています」
「そうね…。万福…いえ沢栄殿、明家殿の良き友となって下さいね」
「はい母上」
「あああ……。今日は最高に嬉しい日。万福丸が生きていたなんて……母は嬉しゅうてなりませぬ。もう一度抱きしめていいですか?」
「はい…母上…!」
再び母と息子が熱く抱擁する。まさにお市にとってこれ以上はない嬉しい日であったろう。それを見ている明家は拳をポンと叩いた。
「こうしてはおれん、茶々、初、江与も連れてこよう! 兄上が生きていたと大喜びするぞ!」
知らせを聞くと、茶々、初、江与はすっ飛んでやってきた。そして生きていた兄を見るや感涙して抱き合った。江与にはさすがに兄の顔は記憶の彼方であったが、茶々と初はお市同様に一目で兄と分かり、兄と妹たちは泣いて抱き合った。
「バカバカ! 生きているのなら、ましてや大坂にいるのだったらどうして名乗り出てくれなかったのよ兄上!」
「すまん茶々……」
「良かった……兄上様が生きていて……」
「ありがとう初」
そして江与を見て
「江与……大きくなったなあ……」
感慨深く言った。
「兄上様……」
沢栄がお市の子であり、明家の弟、茶々たち三姉妹の兄である事は秘事とされた。殿様の弟が辰匠館にいると知られれば沢栄もやりずらい。
しかし沢栄の知識と見解は、時に明家や黒田官兵衛も舌を巻くほどであり、良き相談役として兄の柴田明家を支えていく事となる。
そしてこの日は、明家とさえ、そして勝家も加わり万福丸が生きていた事を心より祝う宴を開いた。勝家は秀吉を改めて見直し秀吉の眠る姫路の方向に手を合わせた。そしてお市はこの日より隠れて泣く事はなくなった。夫の勝家と供に温泉や名勝見物に行き、琴や踊り、連歌などの楽しい趣味を謳歌する女となる。今まで少し影があり覇気がなかったのは、やはり息子万福丸の死による心の傷だった。しかし万福丸は生きており、すでに自分から離れて指導者の道に進んでいる。もう心の傷はない。時に城下に訪れる芸人の話術に大笑いするほどに明るい女となっていったのだ。
羽柴秀吉がどうして竹中吉助の元服の頃合まで万福丸生存を秘そうとした理由は今も分かってはいない。当の秀吉には深い意図はなく、吉助が元服するあたりまで時を経れば、万福丸の生存が明らかになっても柴田に混乱は生じまいと考えたからではないか、と云うのが歴史家たちの結論に落ち着いている。『竹中吉助の元服の頃合』と言っても吉助には何の関与もなく、あくまで時間的な目安としていたに過ぎないだろう。
明家が家督相続した直後あたりでは、なまじ自ら育てた次男万福丸に愛情が向き、お市とて誤った判断をしかねない。秀吉はそれを未然に防いだと云う事になる。秀吉と犬猿の仲であった柴田勝家もそれを悟ったか後に高名な僧を召しだし、卑賤の農民の身から織田家の軍団長にまで成り上がった秀吉の伝記を書くように命じたと云われている。天下分け目の合戦の敗者となった秀吉だが、織田家における痛快な立身出世ぶりは今日の日本人に愛される。歴史は勝者のみがつむぐ金の糸。しかし勝家は敗者の秀吉をありのままに書くように命じた。秀吉にとってイヤなヤツでもあった自分も脚色する事なくイヤなヤツとして書くように命じたと云う。秀吉が今日も日本人に愛されるゆえんは、犬猿の仲であった柴田勝家が正確に後世に秀吉を伝えたからである。
さて、柴田明家の一の妹である茶々は真田幸村に嫁ぎ、二の妹の初は京極高次に嫁いだわけであるが、三の妹江与の婚姻はまだだった。もう嫁に行っていい年ごろである。母のお市、姉二人に劣らぬ美貌で柴田家の若武者憧れの的だった。
「困ったものだ……」
大坂城にある柴田勝家の隠居館『庄養園』、ここの居間で勝家は頭を悩ませていた。
「また江与は婚儀を拒否したのですか?」
勝家の前にあるのは“江与姫様を当家の嫁に”と勝家に申し出た書がヤマとなっていた。勝家はその中から見所のある婿を選び大坂城内の江与の元へ行き婚儀を薦めたが江与は嫌がった。
「それでなお市、“ではそなたには想う人がおるのか?”と訊ねても返答せんのじゃ」
「茶々と初も、殿の持ち込んだ婚儀は全部拒否しましたが兄の明家が持ってきた婚儀にはすぐに同意しています。その儀も明家に任せては?」
「うーむ、末娘くらいは父のワシで、と思ったのじゃがそれも仕方ないか」
しかし、明家の元にも“江与姫様を当家の嫁に”と申し込む書がたくさん届いていた。中には勝家と明家両方に出してきたツワモノの家もある。
「困った……」
「江与姫様はまた拒否されましたか……」
「そうなんださえ」
姉二人と違い、江与は明家の持ってきた婚儀も断ってきた。夫婦の部屋で悩む明家。
「『では好いた男がいるのか?』と訊ねても知らん顔だ。末妹なのにどうしてああ気が強いのか……」
「好いている殿方がいるのですよ、きっと!」
「なら何でオレに言わない。いかようにも取り成すのに」
「年ごろの娘は好きな殿方の名前をそう簡単に身内へ言えるものではないですよ」
さえの見込みどおりだった。実は江与には好いた男がいた。大坂城内のその男の私室に江与は来ていた。
「カンイチ、今日も兄上と父上から婚儀の話が来た」
「はあ」
「はあ、ではない。カンイチは私がよその男と結婚していいの?」
「あの……そろそろ『カンイチ』はやめて……」
「いいの、カンイチは私にとってずっとカンイチなの」
「はい……」
カンイチ、と江与に呼ばれている若者。それは大野治長であった。(史実による一説では彼は北ノ庄落城の時に幼い江与を抱いて城を脱出したと言われている)
大野治長の母は茶々、初、江与の浅井時代からの乳母小袖(史実の大蔵卿)で、三姉妹とは兄妹同然に育った。浅井時代は茶々と『茶々』『カンイチ』と呼び合う仲でもあった。姉の茶々が治長の幼名貫一郎を愛称しカンイチと呼んでいたので、自然に初と江与も治長をカンイチと呼んでいた。
現在、大野治長は十九歳になっていた。元服前から柴田明家に仕え、今日では石田三成と共に明家政権の中枢を担う若き行政官となっており、明家の奏者番(秘書)筆頭を務めている。
槍働きはてんでダメで安土城攻防戦では目をつぶって突撃していたのをしっかり主君明家に見られており“お前に武勇は期待しない。それ以外でオレの役に立て”と言い渡されていた。悔しいが事実なので貫一郎は必死に明家の行政手腕から知識とその応用と運用を盗み、また戦場でも明家から采配の執り方を学び、織田信雄との戦いでは一翼の大将として武勲も立てていた。母親の小袖も“若殿に息子を預けて良かった。『治長』なんて立派な名前ももらって”と満足していたが、いつになっても治長は妻を娶らない。これだけは不満だ。日本最大勢力大名の柴田明家の側近で十九歳独身。ひっきりなしに縁談は来たが、治長は固辞した。好きな娘がいたからだ。
「もう断りきれないよカンイチ、カンイチから兄上に私を嫁に、と言って」
断りきれないつつあるのは治長も同じ。母の小袖から『孫の顔が見たい』『長男のお前が妻を娶らぬから弟二人も妻を娶れぬではないか』と小言を言われている。
しかし十九歳で主君の側近で重用されている。何かと風当たりの強さを感じるこのごろ。このうえで主君の妹を妻にしたら……と、これが今まで好きな娘の江与に求婚できず、そして江与の気持ちを受けられなかった理由だ。しかし、江与が他の男と一緒になるのもイヤだ。治長は決めた。風当たりの強さなどに負けず、江与姫様の笑顔を独り占めする幸せを取ろう。
「姫様、カンイチは江与姫様を愛しく思っております。妻となってくれますか」
「カンイチ!」
「妻となったら『カンイチ』は禁止です」
「いいよ!」
その足で治長は明家の部屋へと行った。明家は黒田官兵衛と西進について話をしていた。
「なるほど、宇喜多の家老たちは完全に柴田寄りと相成りましたか」
「はい、宇喜多とは戦わずして……」
「殿!」
「なんだ修理(治長)」
「お話がございます!」
「後にせよ、今は出羽守と要談中で……」
「嫁をもらいたく存ずる!」
明家と官兵衛は顔を見合った。
「かような事をいちいち主人に許可……」
その治長の後に江与が座った。
「まさか……江与と?」
「は、はい! ぜひ江与姫様をそれがしに下さい!」
「ちょ、ちょっと待て、大殿様(勝家)と大御台様(お市)はこの件を承知しているのか?」
「いえ、殿に真っ先にと!」
「兄上お願い! 江与をカンイチ、いや治長様の妻にして!」
真剣な二人の面持ち。官兵衛が
「殿、妻を娶れば修理もさらに腰が据わるかと」
と、取り成した。
「ふむ……」
明家はヒザをポンと叩いた。
「分かった、妹を頼むぞ修理、父母にはオレから述べておく」
「は、はい!」
「治長様!」
明家と官兵衛の前で抱き合う二人。
「殿、西進の前に吉兆ですな」
「うん、仲の良い夫婦となりそうだ」
数日後、沢栄も出席して大野治長と江与の祝言は盛大に行われた。お市も浅井時代から我が子のように可愛がった大野治長が娘の夫になって嬉しい。こののち大野治長は政治軍事でも柴田明家の側近として、さらに活躍していく事となる。
また主君明家に“お前に武勇は期待しない”と言われたのが、よほど悔しかったか治長は後に武芸にも励み、それは堂々とした美丈夫となったと云う。しかし戦場で陣頭に立ち武器を振り回すような大将として軽挙な行為は一度もしなかったと言われている。
明家が何を訊ねてもすぐに答えられた彼は、『大野修理は当意即妙の才あり者』と主君明家から賞賛されている。無論、妻の江与とも仲睦まじく、子にも恵まれ大野家は柴田家と共に繁栄していくのだった。
第十三章『四国上陸』に続く。