天地燃ゆ−完結編−
第十一章『大納言様の妻たち』
月姫、彼女は小山田信茂の一人娘である。小山田信茂は最後の最後で主人武田勝頼を裏切ったので今も甲斐(山梨)と信濃(長野)で評判が悪い。小山田信茂は織田信長に処刑されたが、彼の居城である岩殿城に残っていた家臣たちは水沢隆広によって逃がされた。しかも当面の生活費や兵糧も織田軍の物資から割いて与えたのだった。
織田信忠率いる織田勢は岩殿城に寄せる時、奇計を用いて無血に入城する事に成功している。この時の水沢隆広は織田信忠の寄騎を勤めていた。信忠は三万以上の大軍を連れていた。それが隆広の奇計で戦う事なく入城を許してしまった。小山田信茂の主な家臣は当主信茂と共に信長に殺されてしまい、岩殿にいたのは投石部隊と、それを指揮する川口主水だけだった。武田の衰退を見て小山田家でも逃亡相次ぎ、もはや戦闘員は四百を切っており、あとは女子供と年寄りだった。それを織田信忠三万が囲み、かつ隆広の奇計にまんまと一杯食わされて開城してしまった。いかに投石部隊が精強とはいえ、もはや勝ち目はない。
そこへ水沢隆広が丸腰で小山田家臣団と会い、すべての事情を説明した。主君信茂はすでに鬼籍に入るのを免れず、また武田家も滅亡したと。最初は激怒した小山田家臣団だが寸鉄も帯びず、しかも単身で来た隆広に武人の信義を見た小山田遺臣たちはやがて隆広の勧告に従い、城を明け渡し落人となった。雪の中、城から出て行く時、月姫は城門の縁につまずいて転んだ。隆広が駆け寄り、起こすのに手を貸そうとした時、月姫はその手を叩き払った。目は悔し涙で溢れていた。だから視界を見失いつまずいて転んだのだ。悔しさを顔一杯に表して隆広を睨む月姫。悔しかった。父の死も、そして自分の知らない間に城の明け渡しが決まり、家臣たちの決めた事に少女の自分がどう抗戦を主張しても覆せない事が。そんな悔しい思いが顔一杯に出た顔で、かつ悔し涙を溢れさせ隆広を睨む月姫。隆広は
「大変失礼をいたしました」
と述べ、手拭を渡し
「雪で顔がぬれてございます」
そう言って月姫を起こさずにその場から去った。月姫がその男こそが小山田一族を滅亡から救ってくれた人物と知るのは、それより四日後の事だった。小山田遺臣たちはその後に荒地を開拓し帰農した。その間に徳川家康が小山田投石部隊を登用したく使者を出したが小山田家臣団は、“我らが再び人に仕えるのなら、それは水沢隆広殿おいてない”と断った。
その話を隆広は知らない。だが養父隆家から小山田投石部隊の強さを教えられていた隆広は柴田家の家老になると旧小山田家臣団へ登用を申し出た。小山田家臣団たちは歓喜して要請に応じ、水沢家の家臣団に名を連ねたのだ。
やがて水沢隆広は柴田明家と名を変え、柴田勝家の後を継ぎ日本一の大大名となった。『我々は水沢隆広と云う駿馬に賭けましょう』この月姫の一言で薄給承知に水沢家へ参じた小山田家の賭けは大当たり。高禄のうえ、安土に小山田家が新田開発した水田はそのまま与えられた。望外の厚遇に感涙する小山田遺臣たち。“裏切り者”の汚名があり、甲斐の国内でも肩身の狭かった自分たちを心より認めて重用してくれる殿様がいた。
月姫は岩殿城より落ちる時は十四歳だった。信茂の妻、つまり彼女の母は夫を亡くした心痛のあまり、落ちた先の里で病におかされ、あっけなく息を引き取った。もう小山田家に男子はおらず、彼女が総領娘である。
彼女の悲願は小山田家の再興だった。今さら父信茂の武田勝頼への裏切りの汚名は消えない。だから柴田家で新たな小山田家を誕生させ、柴田家の天下統一の大事業に助力し、よりよい国づくりをして小山田家と父の名誉を少しでも回復する事が悲願である。強い男子を生まなくてはならない。月姫が我が良人にと願ったのは、主君の柴田明家である。小山田家にも、武田家にとっても明家には恩義があり、また武田の技を誰よりも会得しているのは明家。婿としてこれ以上の人物はいない。あの安土城攻防戦が終わった時、柴田明家が言った
『小山田投石部隊、見事だ! さすが甲斐国中で随一の勇将小山田信茂の精鋭たちよ!』
涙が出るほどに嬉しかった明家の言葉。“甲斐国中で随一の勇将小山田信茂”とは武田信玄から直接に小山田信茂が賜った言葉である。明家はそれをちゃんと知っていたのである。この方の愛を受けたい……! 隆広に平伏しながら月姫は心からそう思った。
しかし柴田明家には正室は無論、側室もいる。しかも正室さえと側室すずへの熱愛振りは柴田家で知らぬ者はいない。羽柴秀吉を見逃した罪で勝家に打擲され重傷を負ったと聞き、月姫はいてもたってもいられずに明家の看護がしたくその屋敷に行ったが、さえとすずに遠慮してそれもできない。かなわぬ恋と知りながらあきらめられない。年ごろだった月姫には縁談も来たが、もう明家しか見えない月姫は断った。
弱り果てた小山田家の家老の川口主水は柴田家筆頭家老の奥村助右衛門に助力を請い、月姫の明家側室を成就させた。これは月姫個人の大願成就でもあるが、小山田家の居場所を柴田家に確固たるものにするには最大の良策でもあった。人身御供(事を成就させるために犠牲となる事。また、その人)さながらの事だが、戦国時代では珍しい事ではなかった。その姫にとっては生き地獄の他ならないが、この明家への月姫側室輿入れは事情が違っていた。喜んで月姫は柴田明家の側室となった。それから数年の時が流れていた。小山田家は丹波亀山十二万石の大名ともなっていた。
そして今日、明家は大坂の小山田屋敷に来ていた。小山田家の面々がお見せしたき物ありと云うのだ。城に住んでいる月姫を伴い小山田家の大坂屋敷へとやってきた。
「これは殿、わざわざのお越し、家臣一同歓迎いたしまする」
「うん」
「姫様もお元気な用で、主水は嬉しゅうございます」
「ありがとう、藤乙丸は元気ですか?」
藤乙丸とは明家と月姫の間に生まれた男子である。代々小山田家当主の幼名の藤乙丸と名づけられ、川口主水ら小山田家臣たちに養育が委ねられている。
「はい、丸々と太り、乳母たちの乳を毎日美味しそうに飲んでおります」
「今日は私もお乳をあげたいと思います」
「ははは、若君も喜ぶでしょう。ではこちらに」
家臣たちに与えられた屋敷には、各々に主君明家を招くための特別な部屋がある。そこへ通された。
「して主水、オレに見せたいものとは?」
「はい、これお持ちしろ!」
「「ハハッ」」
それは瓶だった。
「瓶……?」
「いやその中身にございます」
椀を渡され、瓶の中身を注がれた。匂いをかく明家。
「これは……もしや酒か?」
「はい」
「し、信じられない! こんな透明な酒があるのか?」
月姫にも見せた明家。目を丸くして椀の中を見る。
「透明な酒、つまり『清酒』は、商家に転身した山中鹿介殿のご嫡男が偶然に開発された、との事ですが、それは米を原料としておらず、甘藷(サツマイモ)を原料にして作りましてございます」
「甘藷を……? あれ酒にする事ができるのか!?」
「はい、ちょっと試みてみました。さあ殿、一献」
「う、うん……」
飲んでみた。結構辛口、だが美味い。
「辛いが美味いな!」
「はい、この芋酒を柴田家の新たな産業としたく思うのですが……」
「よくやってくれた! さすがは甘藷栽培では当家に並ぶもの無しの主水だ! これは売れるぞ! 小山田家は城と大名首をとったほどの大手柄だ!」
「もったいなき仰せにございます!」
これが日本史における芋焼酎誕生の時と言われている。小山田家は投石部隊としての戦闘力の他に、農耕技術の巧みさも明家やその父勝家に認められていた。それゆえ小山田家の本拠地亀山と別に安土にも広大な水田が与えられているのである。
甘藷を琉球から大量に仕入れた明家はその栽培を小山田家に下命した。小山田家はその期待に応え、柴田での甘藷自力栽培を成功させている。そして今、小山田家は甘藷をさらに研究し、酒まで作ってしまったのだ。その第一号の酒の瓶を受け取る明家。
「月、この美酒を城の信茂殿の位牌に供えよ。そして今日のこと、詳しく報告するのだぞ」
「はい殿!」
「主水」
「はっ」
「奉行たちに、そなたらの手柄を伝える。おって加増の沙汰があろう。楽しみにしていてくれ」
「ははっ!」
「新しい産業が生まれた時ほど為政者として幸せな事はない。本当にようやってくれた!」
「嬉しゅうございます殿!」
「さあ藤乙丸の顔でも見てくるか!」
と、明家は立ち上がり小山田家臣に案内され藤乙丸のいる部屋へと向かっていった。月姫も行こうとしたが、その前に
「主水、ありがとう。亡き父上もどれだけ喜ぶ事か」
そう忠臣を労った。芋酒の入った瓶を愛しく抱く月姫。
「信茂様にも飲ませて差し上げたかったですな……」
「そうね……」
「しかし姫、あの時に申された『小山田家は水沢隆広と云う駿馬に賭ける』と云う姫の言葉。大正解でござった。薄給覚悟でお仕えしましたが、今では亀山を与えられ、安土にも土地が与えられ、そのうえお世継ぎまでも授かりました。岩殿を退去する時は、この先どうなるやらと不安で仕方なかったのですがなァ」
「私も不安でした。でも今はすごく幸せです。主水には殿の側室になりたいとワガママを言って困らせましたが、そのワガママを言って良かったと思っています。殿は私も藤乙丸も、そして家臣たちも大事にしてくれているうえ……いまだ甲斐と信濃では裏切り者と罵られている父さえも大切に思って下さっています。このお酒を位牌に供えよと申してくれた時……すごく嬉しかった」
「それがしも同じ思いにございます」
「うふ♪ 今日の閨でたっぷりお礼しなくちゃ」
赤面する主水だった。この芋酒はおおいに広まり、小山田家は芋焼酎の祖としても名前を残す。小山田家本拠地である亀山の名産となり、それは現在も続いている。一番の売れ行き銘柄は『月姫』であるらしい。
小山田家の甘藷栽培と、甘藷の多種な食し方も柴田家と小山田家は秘密としなかったが、東国では危険な食べ物と云う見方は中々払拭されなかった。しかしこの後の世に起こる奥州の飢饉を救ったのは、この甘藷である。裏切り者と言われる小山田信茂の家臣たちが後の世で何千何万の命を飢饉から救う事になるのである。
ここは大坂城下、女の心療館。その一室にある見性院の相談室。亡き山内一豊の正室の千代こと見性院の相談室である。今日も色々な悩みを持つ女たちが来て相談を受けている。そして終わると晴れ晴れした顔で帰っていった。今日風に言えば見性院はプロ級のカウンセラーと言えるだろう。
そして当人にも悩みはある。娘の与禰姫である。今さら山内家を再興して柴田家を討つ、なんて気持ちはさらさらないが、男子のいた蜂須賀家や竹中家、浅野家、加藤家(加藤光泰家)は再興が許されて柴田家に仕えている。山内家は男子がいない。与禰だけである。夫のために家名再興して、柴田家の天下統一事業に協力したいと思う見性院。柴田明家が天下人になれば、その男と堂々の一騎討ちをした一豊の名前も天下に広まる。しかし家名再興の必須条件である男子がいない。
ある者から九州の立花道雪殿は七つの娘に家督を譲ったらしいと聞かされたが、それは城もあれば父の道雪と云う後ろ盾があればこそ。山内家は見性院と与禰姫しかいないのだ。与禰は十四歳になっていた。そろそろ嫁に行くころである。娘しかいないのだから婿をもらうしかない。しかし与禰は母の見性院からその話題を振られるといつも逃げ出しラチがあかない。山内家がこのまま終わるのは柴田明家も本意ではないはず。見性院は明家に相談した。
「逃げ出す?」
「はい、婿を取ろう、嫁に行くの話を振ると逃げるのです」
「その前に……婿の候補は?」
「亡き夫の名前が生き、色々とお話は来ています。中には山内家にはもったいないような家からも縁談は来ているのに与禰はいつも逃げ出してしまい、私は母親として先方にも申し訳なくて……」
賤ヶ岳の合戦で堂々と明家と槍を交えた山内一豊。結果明家に討たれたとしても、その一豊の武名は相当な畏敬の念を持たれていた。柴田幹部の家からや友好大名からも縁談が来ていたのである。いずれも山内家再興に尽力したいと見性院に申し出ている。
だが与禰はいつもその話から逃げた。業を煮やした見性院が『では好きな方がいるの?』と問い詰めても答えず逃げる。弱り果てた見性院は明家に相談しにきたと云うわけである。
「実はそれがしにも『山内の与禰姫殿に当家の息子を婿養子として出したい』と話が来ています」
「まことに?」
「どうでござろう、明日に改めて与禰姫殿と城に上がってみては。それがしも与禰姫殿に姫路で『今日からそれがしが姫の父』と言った手前、良い婿殿と娶わせるのは一豊殿への当然の義理。それがしからも説得してみます」
「ありがとうございます! では明日改めて与禰と城へ上がります!」
かくして見性院は与禰と登城した。最初は渋ったが柴田明家に会うと聞くや大喜びして行くと言った与禰だった。
「なんと……しばらく見ない間にすっかり大きくなって!」
「はい……」
顔を真っ赤にしている与禰姫。横にいる見性院は内心『まさか……』と思いだしていた。
「ところで与禰姫殿、そなたに縁談が来ていましてな」
「え……」
「多くの家が婿として名乗りだしています。見性院殿に申し込んだ家、そしてそれがしに要望してきた家、双方合わせて結構な数となりましてな。それがしの方で少しふるいにかけた。その者を婿として山内家を再興されるがよろしかろう。婿殿がそれなりに働きを示せば一豊殿の旧領である長浜を与えます」
「本当ですか!」
歓喜する見性院。
「本当ですとも。だから兵部殿(可児才蔵)が長浜城主から伊賀国主になったあとは長浜を柴田直轄として城代しか置いていないのです。いずれ山内家に与えるつもりだったのですから!」
「何とお礼を! ほら与禰、あなたからも大納言様にお礼を申し上げなさい!」
「は、はい……」
「えーと、婿として名乗り出た家の中で、一豊殿の名跡に継ぐに相応しいとそれがしが見たのは、奥村弾正が三男の奥村冬馬栄頼、前田利家殿の次男の利政、仁科信基の弟の信貞でございます」
いずれも娘しかいない家では婿養子として欲しいと争奪戦となっている優秀な若者である。無論見性院もそれを知っている。
「なんと、かような優れた若者たちが娘の花婿候補に! 娘はなんと果報な……」
「…………」
「どうしたの与禰、嬉しくないの?」
「与禰……いやだ」
「え?」
明家も驚いた。
「いや……とな?」
「も、申し訳ございません、与禰! 大納言様の申し出に何と云う事を!」
「どうして山内家再興のために好きでもない人の妻にならなければならないの?」
「な、何を言っているの与禰、武家の娘はそういうものなのよ。私だって祝言の日まで父上の事を何も知らなかったのよ」
「いやと言ったらいや!」
「与禰! ワガママを言うのではありません!」
「待たれよ見性院殿! 与禰姫殿、それではもしや姫には想う人がいるのかな?」
顔を真っ赤にして小さく頷く与禰。
「なあんだ、それを先に言ってくれ。で、差し支えなくば誰か教えてくれ。取り計らおう」
与禰はそっと明家を指した。自分とは思わなかった明家は後に控える小姓と思い、
「なんと千松丸(後の蜂須賀至鎮)か……」
驚いたのは千松丸だ。誰が見ても明家を指していたのに。
「殿、違います! 姫は殿を指していました!」
「え?」
明家は自分を指し、与禰を見た。
「オレ?」
与禰は小さく頷く。
「ちょ、ちょっと待たれよ、それがしには正室は無論、側室も三人いる」
「知っています……」
「ならば……あきらめて下され。気持ちは嬉しいが……」
「…………」
与禰は泣き出した。傍らにいる見性院もどうすれば良いやら。そういえば与禰は最初に会った時に明家からもらったカステラの包装紙を折りたたんでお守り袋に入れて持っている事を思い出した。意を決した見性院は言った。
「恐れながら、大納言様ほどの大身ならば側室四人はけして多くないと存じます。そのくらいなら誰も女狂いとは映りません。むしろ少ないのでは?」
「ま、待たれよ見性院殿まで何を! だいたい与禰姫は十四になったばかりであろう。それがしの養女のお福と同年齢でございます」
「承知しています。ですが武将で娘より若い側室を持った方はたくさんおります」
「…………」
「ならば私が御台様(さえ)を口説き落とせたら娘を側室にして下さいますか?」
「母上……」
「いいのよ、私に任せなさい。きっと大納言様の側室にしてあげるから。さあ大納言様どうですか?」
「しかし一豊殿の御霊に何と……」
「夫にも私が言って聞かせます!」
「……分かり申した。見性院殿が御台を説得できたなら、与禰姫殿をそれがしの側室に迎えましょう」
「母上!」
「うん! 後は母に任せなさい!」
その後、見性院はさえに色とりどりの見事な小袖を献上。さえは大喜び。作った見性院が目通り願いたいと云うので、さえは喜んで会った。女たちの相談相手となっていた見性院の話術は巧みで、すぐにさえの気に入りの話し相手となった。そしてまた新たに作った見事な小袖を献上しながら切り出した。
「実は私の娘の与禰を大納言様の側室にしたいのですが」
「ええ、どうぞ」
見事な出来栄えの小袖を贈られ喜色満面だったさえは、そのまま流れでウンと言ってしまった。ハッと気付いたさえはすぐにクチを手で閉じた。しかし後の祭り。さえは夫から
『そなたの言葉は家中全部が聞いていると思いなさい。ゆえに一度言った事は撤回してはならない』
と言い聞かされていた。まんまとしてやられたと思うさえ。しかし後に残さない。
「最初からそれで……」
「はい、娘のためには手段を選んではおられませんので」
ニコリと笑う見性院。同じくニコリと笑うさえ。
「私の負けです。ご息女の側室、認めます」
「ありがとうございます」
「見性院殿が男なら、我が夫より優れた智将となったでしょうね」
「恐れながら私は生まれ変わっても山内一豊の妻となりますので、次に生まれ変わる時も女として生まれます」
「あはは、今度それを主人に言って喜ばせてあげようと思います」
こうして与禰姫は柴田明家の側室となった。後日談となるが、翌年十五歳で見事男子を出産。見性院の喜びようは大変なものであった。この男子が後に山内家を再興する事になる。
柴田家には佐久間家が二つある。佐久間甚九郎を当主とする家、そして虎姫と佐久間盛政の遺臣たちが運営する家である。甚九郎当主の佐久間家は近江日野五千石、盛政遺臣たちは摂津伊丹城を本拠としていたので日野佐久間家と伊丹佐久間家と呼ばれていた。
甚九郎と虎姫の父の佐久間盛政は従兄弟同士なので一時は一家に併合と云う動きもあったが、やはり別家となってより時が経過しており、旧盛政配下は甚九郎に従えず、逆もまた然り。合戦の仕方も異なる。甚九郎の合戦は退きを妙法とするが、盛政の旧家臣団は勇猛果敢な先駆けである。まったく正反対であった。柴田明家は別々に用いる事とした。
その旧盛政家臣団の希望、それは主家の姫の虎姫が生んだ理助であった。理助とは佐久間盛政の幼名である。柴田明家は佐久間盛政の孫であり、自分の子である理助を事のほか愛した。しかし……理助はわずか二歳でこの世を去る。初めての我が子の死。明家は激しく落胆した。そして虎姫の悲しみようは筆舌しがたいもので食事も受け付けなくなり、みるみるうちに痩せていった。大坂城内の虎姫の部屋、そこへ訪れ伏せる虎姫を見舞う明家。
「虎……」
「…………」
「気持ちは分かるが……食わねば死ぬぞ……」
「……死なせて下さい。理助の元に行きたいのです……。う、ううう……」
「そうはいかない。そなたは佐久間様の娘であり、オレの愛しい女だ……」
「…………」
「母上の草紺院(盛政の妻の秋鶴)殿も嘆き悲しんでいる。孫の死だけで堪えているのに、娘のそなたまでが死の誘惑に負けている。お父上も理助もまだこちらに来るなと願っているはずだ……」
「殿……」
「南蛮の神様の言葉らしいが……人は生まれ変わる時、もっとも愛した人の子として生まれ変わると云う。オレもそなたもまだ若い。もう一度、子を作ろう。だから食べろ」
「な、ならば理助はもう一度、私のお腹に宿ってくれるのですね?」
「そうとも、いかに南蛮の神様の話とはいえ、日の本は別と云う事もないだろう。早く元気になり子作りをしよう」
明家は虎姫の頬を撫でる。
「殿……。虎嬉しい……」
そしてようやく虎姫は食事を受け付け、やがて元気になり、せっせと子作りに励む事になる。正室優先、他の側室も公平に愛さなければならない明家の立場は分かる虎。自分の日を指折り数え、心待ちにした。
そして一年と数ヶ月、励んだかいがあって懐妊。見事男子を生んでいる。名前も理助とした。この赤子が後に佐久間家の当主となり、明家の子である勝明の側近ともなる佐久間盛経である。
後日談となるが、柴田明家はとても子沢山であったと言われている。正室側室会わせれば生まれた子はかなりの数となっている。明家は生涯側室を五人娶るが、正室のさえを含めて六人。それで生まれた子は二十五人。一人の女が四人は生んでいる計算となる。
また外に愛人なども何人かいたようで、記録により分かっているだけで五人。戦場妻なども合わせればもっといただろう。ご落胤も相当数いたと思われるが、それは先の二十五人の中に入っていない。一人も柴田家には出仕していないのだ。愛人たちが分をわきまえたからであろう。
しかし明家自身、ちゃんと援助はしていたようでご落胤の中には高僧になった者、学者になった者、医者になった者がいた。技術者、芸術家、料理人で名を残した者もいる。父の明家はすべて認知したうえで、ご落胤たちの養育費や学費も援助していた。愛人との間に出来た娘の結婚もきちんと責任を果たしたと云う。こんな珍事があった。家臣の妻や母親たちが
『殿様が外に愛人を三人も作られるので、我らが夫、そして息子たちもマネようとしています。当主として部下の悪い見本となるような事は慎んで下さい』
と集団で直談判しに来た事がある。すると明家はこう返した。
『三人じゃない、オレが外で作った愛人は五人だ。男女の仲であるのはもう二人だけだが、満足な暮らしが出来るよう、援助は今も続けている』
これを聞くと家臣の妻や母親たちは逆に明家に感心して帰っていったと云う。『英雄、色を好む』と云うが、それは精力余りあると云う事である。元気の無い者に戦国乱世の将にはなれない。
正室さえは夫を心から信頼し愛している。あの大病の時にさらにそれは深まっている。だから夫が外で女を作ろうが何も言わなかった。がまんしていたワケではない。外で女の一人二人作れない男に大業が成せるはずがないと思っていたし、何より明家はさえを一番大事にしていたのであるから。そしてそれをさえは身をもって知っている。
ところで、そのさえであるが母親としてはどうであったのだろうか。明家とさえの長男の竜之介は八歳になっていた。父親と同じく美童で賢かった。竜之介は柴田の学校の辰匠館には行かず、守役の前田利家と中村文荷斎から武士の心得を学び、可児才蔵からは宝蔵院流槍術、山崎俊永からは土木術、そして学問の師匠から厳しく知恵を叩き込まれた。特に学問の師は祖父勝家の薦めで越前永平寺の高僧の宗闇と云う人物で厳しい事で有名だった。越前の童は『宗闇和尚が来るぞ』と聞けば震え上がったと言われるほどに厳しい高僧だった。明家に『若君とて手加減はいたしませぬ』とのっけに言うほどだ。
しかし竜之介は宗闇の厳しい学問の指導をむしろ喜んだ。知識がどんどん頭に入っていくのが実感できて嬉しいのだ。この点は父の明家が快川の指導を喜んだ事に似ている。教えがいがあって嬉しい宗闇。
だが一つ心配事があった。母親のさえが竜之介に甘いのだ。よく褒めるし、抱きしめる。だから竜之介も母のさえに甘える。まだ幼いとはいえ竜之介は柴田家の世継ぎ。次代君主の母として自覚がなさすぎると宗闇は業を煮やし、守役の前田利家と中村文荷斎に協力を請い『御台様がかように若君に甘いと守役殿や師の愚僧がいかに厳しく指導しても意味がございません』と何度か抗議したが、やはり我が子はかわいいようでどうしても直らない。ならば父親の明家にと思うが『まあ妻の思うようにさせてくれ』とラチがあかない。自分がもっと若君を厳しく教えるしかないと思う宗闇だった。
そんな竜之介だが、辰匠館に通わずともそこには同年代の少年たちがたくさんいるので、よく遊びに行った。辰匠館の授業を終えたあと、竜之介は仲間たちを集めて『戦ごっこ』しようと提案。さすがは尚武の柴田の少年たち。すぐに決まった。
竜之介が辰匠館の少年たちと戦ごっこをして遊んだと聞いたさえ。いつもは息子の遊びに口出ししないさえであるが『戦ごっこ』と聞き、知らせに来た侍女に詳しく調べさせたのである。報告を聞いたさえは奥から城に行き、息子の帰宅を待った。しばらくして戦ごっこに勝って意気揚々と帰って来た竜之介がさえに
「母上、今日オレ戦ごっこして勝ったんだ!」
と言った。褒めてもらえると思ったのだろう。満面の笑顔だった。だがさえは竜之介を思い切り平手で叩いた。初めて叩いた。頬を押さえて唖然とする竜之介に
「戦ごっこをするのはいい。だけど自分の軍を柴田として、相手の軍を徳川としたのは何故ですか! そなたは柴田軍の大将として気持ちがいいでしょうが、徳川軍にさせられた仲間たちがどんな思いでいるか分からないのですか!」
この言葉に竜之介は返す言葉もなかった。普段温和で優しい母親が鬼のような形相で怒鳴りつける。
「仲間たちに謝ってきなさい! そなたが柴田の若君と奢るのは十年早い! 許しを請えるまで城には入れません!」
初めて母親に叩かれた竜之介は驚き、そして仲間達の家に行きひたすら謝った。それを伝え聞いた宗闇は
「驚いた、御台様はとんだ叱り上手だ。甘いだけの母親と思ったワシの目は節穴じゃった」
と丸い頭を撫でて苦笑したのだ。明家もこれを聞いて喜んだ。
「的確な叱責であったな、褒めていたら誤った男になったであろう」
「はい」
明家は以前、子の養育について妻のさえに教訓を述べた事がある。
『厳しいのは良い。だが時に目に見えて分かりやすい優しい愛情を注ぐように心がけよ。厳しい小言ばかりで、心の中では誉めているなんて事は子に通じない。北条政子はこれで息子頼家の養育に失敗している。厳しい母親であると同時に認めて、待って、信じて、誉める事を心しておくように。厳しさと優しさは車の両輪である』
さえは夫のこの言葉を紙に書きとめ、事あれば読んで自分を戒めた。そして普段から厳しいよりも息子の竜之介は褒められて良き成長をすると云う事が分かった。
何より守役は前田利家と中村文荷斎、武の師は可児才蔵、土木の師は山崎俊永と竜之介を指導する者たちはそうそうたる柴田家幹部たちで、学問の師は越前生まれのさえが少女期の頃より怖いお坊さんの代名詞のように伝え聞いてきた宗闇である。その教育は年端も行かない竜之介には苦難である。ゆえにさえは優しい母親であろうとした。褒めて、抱きしめて甘えさせたのであろう。だから竜之介は並みの少年なら逃げ出す修行の日々に耐えられたのではないか。それを知る明家も妻の思うようにさせた。それがハタから見て歯がゆいほどに甘い母親に見えたのだろう。
良妻賢母の鏡として今日に伝わるさえ。夫が一流の将帥であるのなら、さえもまた一流の妻であり母であったのだ。
第十二章『江与の結婚』に続く。