天地燃ゆ−完結編−
第十章『忠臣の死』
大坂城が完成した。安土城を凌ぐ巨大な城である。同時に城下町の整備も行い、現代でも大都市である大阪の礎を作った石田三成。その石田三成は安土城を預けられ、柴田明家本拠地の大坂の地と共に畿内二大都市を運営して行く。柴田明家は大坂に本拠地を移した。まさに天下の政庁と云える居城である。
同じく大都市となっていた安土は石田三成が治めるようになるのだが、三成は領主として入府しようとはしなかった。城代として入った。安土城と城下町は柴田の天領としたのである。『権ある者は禄少なく』と云う事だろう。彼は柴田勝家に仕えていた水沢隆広のように高額な金銭で召抱えられている柴田の重臣。三成はその金銭で十分に石田の家は運営できると明家に安土拝領を拒否した。
「安土は確かに殿の言われるように軍事的には亡き信長公が謙信公の上洛に備えて築城した城なのかもしれませぬ。しかし経緯はどうあれ安土は今や大坂と堺に次ぐ都市であり、殿が秀長様の攻撃から命がけで守った柴田にとって大事な城。それがしごときに与えてはなりませぬ」
その言葉に明家は
「そう言うが適任者がおらん。その大都市になったからこそ、優れた政治能力を持つ者を入れる必要がある。受けよ」
と返す。三成はさらに
「適任者がおらぬのでは当面それがしが城代として入り安土を預かりましょう。ですが後に殿のご子息に拝領する事をそれがしにお約束して下さいませ」
そう答えた。城代と云う事はその地で得られる利益もすべて主家に献上しなければならない。まさに預かっていると云う形式である。三成は明家と同じくまだ二十代の青年。それなのに大大名柴田の重臣。一度羽柴に戻り明家と敵対した事も鑑み、年長者の妬みをこれ以上買いたくはなかった。明家もそれを察するが、すでに大都市となっている安土には信頼できて行政に長けた者を置きたかった。石田三成に白羽の矢が向けられるのも仕方ない。
「竜之介にはそのまま大坂を与える。そなたの論法では安土ほどの地は正室の子を入れなくてはならない。生まれるにしても当分先で、安土を任せるほどに育てるのもさらに時間を要す。その間ずっと城代で良いと云うのか?」
「はい、それでようございます」
「無欲なヤツだな…」
「いえいえ、殿が大殿様(勝家)にお仕えしている時にしておられた事を学んでいるだけでございます」
「え?」
「『権ある者は禄少なく』殿の近くで思う存分に働くには、これが一番なのでございます。戦のない世を作るため、殿の元で手腕を心置きなく振るう事、それがそれがしの『大欲』にございます」
「とはいえ、そなた年俸も柴田家のためと部下への恩賞に使い、ほとんど手元に残るまい。その足袋も擦り切れているではないか」
「なんの、愛しい妻がいつもせっせと修繕してくれるゆえ、暖かくてなりません」
「オレに女房とのノロケを言うか」
「それがしが独り身の当時、殿と御台様にさんざん見せ付けられたお返しにございます」
「こいつ…」
明家と三成は笑いあった。
「それと殿、水沢姓を大事になされませ」
「え?」
「殿の出自は水沢氏、いかに大殿様の実子であり柴田姓を名乗ったとはいえ、殿の母体とも言える大事な姓。一門あるいは譜代家臣の姓として、柴田家臣が授けるに足る名誉な称号としての役割を持たせる事ができます」
「それは……徳川殿が松平と云う旧姓を大事にし、譜代家臣や一族に与える名誉な称号にしていると云う……アレか?」
「御意、せっかく名誉な旧名があるのに使わない手はございませぬ。徳川殿は敵手にございますが、学ぶべきところは学ばねばなりません」
「水沢の名前か……」
「はい」
柴田の者で水沢姓を賜るのは、この後に無上の名誉となる。この時に三成が言った事は、まさに柴田家百年の大計を成す名策であったのだ。
「分かった、そなたの懸案、万の軍勢を撃破したに値する。その功と今までの働きに報いるため、石田治部少輔、安土の城代を命ずる」
「ははっ」
「ただし収益の献上は半額で良い。あとは自由にせよ」
「殿……」
「このくらいは受けよ。全部オレにくれてしまったら恋女房やかわいい娘たちにきれいな着物も買ってやれぬだろう?」
「はあ」
照れ笑いを浮かべる三成。
「そういえば次男の佐介、山崎家に養嗣子として出すらしいな」
「はい、舅の俊永たっての願いでして」
「俊永殿も孫が家を継いでくれて嬉しかろう」
「はい、喜んでおりました」
「……ところでその方、子は何人になる?」
「はあ……今年生まれた娘の美郷を入れて五人目です」
「側室をもらっていないよな確か」
「無論、それがしは伊呂波一人で十分ですから」
「しかし伊呂波殿は見かけ華奢なのに大した安産型よな。十八で初産以来、まあポンポンと」
「それがしと相性が良いのでしょうなあ」
「ははは、ぬけぬけとよくもまあ言うな」
「それに加えて、殿が女たちに安心して子を生める政治をしてくれているからです。それがしもその担い手として誇りに思います」
「そなたの補佐あればこそだ。まだまだこき使うゆえな、覚悟しておいてくれよ」
「は!」
こうして安土の城代になったものの、石田三成は安土の運営は政治に優れた家臣に任せて自分は大坂に留まった。あくまで彼は明家から離れようとしなかったのである。
柴田家が本拠地を安土城から大坂城に移して一年が過ぎた頃、明家とさえ夫婦に仕えていた吉村監物が病に倒れ、そして没した。七十二歳の大往生だった。
監物は艱難辛苦を経ただけあり思慮深い人物だった。朝倉宗滴の合戦や言行などもほとんど記憶しており、それを柴田明家に伝えた男である。柴田明家の強さの秘密は『斉藤道三と武田信玄に学びしゆえ』と言われているが、実は監物を通じて朝倉宗滴の兵法も明家は学んでいた。宗滴の兵法を伝える事の出来る監物、老いておらず身体に障害もなければ明家の老臣として戦場で活躍していただろう。しかし彼はそんな事をグチらず、主君朝倉景鏡の一粒種さえを姫として敬い尽くしてきた。その彼が最期の時を迎える時だった。明家に
「良い事をなされましたな」
と言った。明家はニコリと笑い
「そなたの忠告あればこそだ」
と返した。その言葉の意味はこういう事である。柴田明家が柴田家を継いでしばらく経った頃だった。私室で明家は監物と碁を打っていた。
「ありません」
投了した明家。
「はっははは、殿は相変わらず碁と将棋はヘタにござるな」
「そう言うなよ、これでも努力はしているんだ」
「ははは…」
監物は碁盤から立ち夕暮れ映える庭へと歩み、縁側に立ち木々にとまる小鳥を見た。そして小鳥の鳴く声をチチチ…と真似た。
「……?」
急にワケの分からない行動をしだした監物の後ろ姿を見る明家。
「それがしのような役立たずの年寄りを殿と姫様は過分に遇してくれ、妻と共々幸せに暮らしております」
「……?」
急に何を言い出す。ポカンとして監物の背を見る明家。
「しかし、我ら夫婦に比べ軍律に厳しい当家で違反を犯した者たち、当家の法度に背いた者たち、本人はともかく家族たちは気の毒ですな。糧を得る術がないのでございますから生きて行くのも大変でしょう」
不思議そうに自分を見つめる明家に監物は何も言わず、再び小鳥の鳴き真似を続けた。
「今日もまた日が暮れます。年寄りの貴重な時間が減りました」
翌日に明家は領内の治安奉行を務めている前田利長を城主の間に呼んだ。
「民部(利長)、何ぞ罪を犯した者の家族はどうなっているか」
唐突な明家の言葉に利長は驚いた。
「恐れながらお訊ねの意味が分かりかねますが……」
「つまり罪を犯して罰を受けた者の家族はどうなっているのか、と聞いている」
「そ、それは罪の軽重によって異なります。死刑、入牢、追放などと色々にございます」
「咎人の方ではなくて、それらの家族はどうなっているのかと聞いている!」
「……困っておりましょうな。禄の支給は止められますゆえ」
「うむ……」
前田利長はだんだん危うさを感じてきた。背中を伸ばし、明家に詰め寄った。
「殿、よけいなホトケ心はなりませぬ。罪を犯した者は本人だけでなく、家族も暮らしに困り“あれは罪人の家族よ”と後ろ指を指されてこそ本当の罪の重さを知るのでございます。罪人当人と家族はそれだけの繋がりがございます。罪を犯す事を止められなかった罪にございます」
キッパリ言い切る利長の顔を明家しばらく見つめ
「そうかな……」
とつぶやき、利長は
「そうですとも」
と自信を持って言った。かつて柴田家で兵糧奉行を務めていた柴田明家。そのおりに彼は毅然と不正役人を罰している。しかし役人には労役を課し、後に帰参を許し当人と家族の罪を許した。オレもこうしたのだから、そなたもやれ、と云うのは君主の驕りである。いったん利長に治安奉行を委ねたのだから任せるべきなのである。明家は強権を駆使したいのを堪え、改めて訊ねた。
「では……そういう家族はどうやって生活の糧を得ているのか?」
「内職が主でございましょう。中には娘が身を売る場合もあるかと」
「娘が身を売る!?」
明家は驚いた。その夜、明家はしばらく考え込み、そして翌日再び城主の間に前田利長を呼んだ。もう強権を駆使するのをためらわなかった。
「昨日、話に出た家族のうち娘がいる者は、その娘を当家の奉公人として召抱える。すでに女郎になっている者も調べ上げ身請けせよ。その者も同じく当家で用いる」
「え、ええッ!」
利長は驚いた。
「反対にございます! それでは示しがつきませぬ。罪と云うのはそれほどに重いものにございますぞ!」
ムキになって反対する利長。
「いや」
明家は首を振り、利長を見つめ言った。
「罪は罪、犯した当人は罰するのは無論だ。だが家族には関係ない。古代中国で五族、九族、族滅の刑などがあったが結果どうなった? ますます罪人が増えていったではないか! 罪を罰すること苛酷なら柴田家は古代中国の過ちを何ら教訓としていないと云う事になる。罪は家族に関わりはないのだ。罰してはならない」
「しかし……」
「頼む、オレの言う通りにしてくれ。そなたの職務に強権を用いるのはこれが最初で最後だ。民部頼む!」
咎人の罪は家族も被る連座制が当時の裁きの常識だった。しかし明家はそれを廃止したのである。明家自身気付いていなかったが、これは我が国で最初に行われた事である。
やがて城中に採用された娘たちを見て、柴田家の人間は色々な事を噂したが、その悪しき噂を跳ね飛ばしたのは誰からぬ当の娘たちだった。娘たちは懸命に働いた。
“怠けたら殿様に申し訳がない”
と思い働いた。これが評判になり次第に罵りの声は消えうせた。明家は頃合を見て娘たちに縁談を世話して、話がまとまると仲人を買って出たのである。こうなると現金なもので柴田家の若者たちは次々と娘たちに言い寄った。
やがて罪を許された咎人たちは明家を逆恨みする事は皆無であり、その温情に感涙して以降は柴田家に忠勤を尽くす事を誓った。前田利長はその様子を見て
“まだまだ殿には及ばないな”
と苦笑し、これ以後は裁き事が巧みな名奉行として歴史に名を残す事になる。
余談だが明家が『罪を許す』と云う有名な話は他にもある。城に出入りの車引きが、城下町に立てた高札を誤って倒してしまった。高札は柴田家が城下町に発布する、いわば柴田明家の言葉。車引きは不敬罪ですぐに捕らえられた。これは当時の柴田の法で死罪に値するほどのものだった。車引きは死を覚悟した。死刑一つでも自分の耳に入れよと厳命していた明家の元にその知らせが入った。
「高札を倒すは不届き、厳罰に処しなければならない。しかし、もしその高札の根っこが腐っていたら風で折れるかもしれない」
そのうえで明家は知らせに来た者に告げた。
「いいか、もしかしたら高札の根っこが腐っていたのかもしれない。とくと見てまいれ。いいか、しかと見てくるのだぞ」
二度もよく見て来いと言われた使い番は明家の意図を察し、しばらくしてこう報告した。
「お見込みの通りでした。高札の根は確かに腐っておりました」
「そうか、ならば車引きの男に罪はない。解き放ってやれ」
車引きの男がその許しの言葉を聞いて感涙したのは言うまでもない。
明家は部下を褒めるのも上手だったが、人を許す名人でもあったと云われている。家臣に対してはこんな許し方をした話がある。明家の小姓を務めていた蜂須賀千松丸(後の至鎮)はある日、明家が来客用にと大切にしていた唐土渡りの名皿一組十枚のうち、一枚を誤って割ってしまった。千松丸は青くなった。我が身は無論死罪、蜂須賀家の再興も絶望的と思った。覚悟を決めて明家に正直に報告した。震えて報告をする千松丸をしばらく見つめていた明家は
「残りの九皿を持って来い」
と命じた。千松丸は言われるままに九皿を持ってきた。それを取った明家は皿を持ち庭の石に叩きつけて割りだした。明家の怒りが並大抵のものではないと思った千松丸は死を覚悟した。九皿全部割った明家は千松丸に向きニコリと笑い、
「残りの九皿があれば、お前はいつになっても仲間から不調法をしたと言われよう」
「え……っ!」
「よう正直に報告した。褒めてとらす。さすが蜂須賀正勝殿の孫、蜂須賀家政殿の子だ」
千松丸は大粒の涙を流して平伏した。彼は一生この感動を忘れず、明家の息子の勝明には誠忠を持って仕え、子の忠英に家督を譲った後は僧となり、一生明家の墓守を務めたと云われている。
罪は罪と重く罰した君主ではあったが、カタにハマッた処罰はせず、時にこのような粋な許し方をした。敵には恐れに恐れられた彼ではあるが彼の家臣や民は殿様明家を心より敬愛していた。
そして話は吉村監物の最期の時に戻る。看取る明家とさえに監物はポツリと訊ねた。
「……あの娘はどうしました? 働き者だが売れ残っていた……」
明家は監物の手を握り答えた。
「安堵いたせ。今日縁談がまとまった」
「良かった……」
監物も明家の手を握り返した。そして
「良い事をなさりましたな」
そう言い
「そなたの忠言のおかげだ」
明家もニコリと笑い答えた。
「姫様」
「監物……!」
「お先にまいります。殿とお健やかに」
「はい……!」
「八重、直賢、絹……。そして孫たちよ」
「「ハイッ!」」
「柴田家への忠勤に励め、良いな」
「「ハイッ!!」」
それが最期の言葉だった。吉村監物は静かに息を引き取った。そして悪い事は重なった。監物の妻、八重も病に倒れた。八重は一切の治療と薬の服用を拒絶した。夫に先立たれたのだから、彼女自身自然な死を迎えようとする姿勢は考えられなくもないが、違う理由があった。今日も源門五子が処方してくれた薬をさえは飲ませようとするが八重は拒否した。その理由が皆目分からないさえ。彼女は堺に本陣を置く吉村直賢を大坂城に召した。
「備中殿(吉村直賢)、伯母上は薬を飲んでくれませぬ」
「…………」
「自然な死を望むとの仰せですが、伯母上は六十。薬を飲めば治ると思うのです」
「母は飲みますまい……」
「ど、どういう意味です?」
「あれは……さえ姫様が六歳のころでございました。流行り病により重篤な高熱が数日続いたのです」
「……覚えております。伯母上がずっと看病して下さいました」
さえの実母は彼女が生まれて間もなく死んでおり、父景鏡の姉である八重がさえの母親代わりとなっていた。そして弟の景鏡が出陣中、さえが流行り病に倒れ、高熱を発し続けた。薬を飲ませても吐き出し、食べ物も受け付けない。医者も覚悟されたほうが良いとサジを投げた。だが八重はあきらめなかった。しかしなす術はもうない。人の手で出来る事は全部やったが効果はなかった。万策尽きた八重は水ごりをして神仏にこう願った。
“さえ姫を快癒させて下されたら、私はこの先どんな大病を患っても薬はクチにしません”
やがてその願いが神仏に通じたか、さえは快癒に至った。
「それから後に朝倉が滅び、母と姫は離れ離れになりましたが……その間に病に倒れた時さえも母は薬を飲もうとはしませんでした。さえ姫様の安否も分からなかったと云うのに……」
さえはこれを聞くと泣き崩れた。実母に勝る伯母の愛情に。何としてでも助かってもらいたい。さえはどうか薬を飲んで欲しいと懇願したが八重は飲まなかった。八重の発病前から城を留守にしていた明家が帰城すると妻が憔悴しきっていたのに驚いた。理由を聞き明家は一計を案じた。
『医食同源』とあるように、八重が毎日少しずつ食べている粥の中に薬を入れたのである。一時、それで病状は良くなったが、やはり六十数歳が彼女の寿命だったのだろう。八重は明家とさえ、息子の直賢と嫁の絹の看取る中、静かに息を引き取った。
監物と八重の遺骨は分骨され、大坂の地と二人の故郷である越前一乗谷の地に埋葬され、明家とさえは二人で大坂の地に立てた監物と八重の墓参に訪れた。合掌するさえ。
「父が義景様に叛旗を翻した後…。旧領は安堵されましたが、父は領民に裏切り者と罵られ、家臣たちはどんどん去って行き…やがて父は気が狂い私にも暴力をふるいました…」
「……」
「でも、監物と八重はいつもそれから庇ってくれました。そして『負けてはなりませぬ』と私を元気付けて下さいました」
「そうか…」
「殿、私は殿のおかげで二人に親孝行が出来ました」
「大した事はしていない。オレとて二人にどれだけ助けられたか分からない。この仲睦まじい夫婦に巡り合わせてくれた事を感謝している」
「殿……」
「監物と八重の夫婦のように…ずっとずっと仲良くいような、さえ」
「はい…」
監物と八重が旅立ち、しばらく経った大坂城。明家は城内で石田三成、大野治長と共に政務をしていた。
「殿、この辺で休息いたしましょうか」
と、治長。
「そうだな、茶でも飲むか」
「ではただちに」
治長が部屋を出て行こうとした時だった。使い番が来た。
「殿、工兵隊の鳶吉殿が目通り願っております」
「鳶吉が?」
顔を合わせる明家と三成。
「珍しいですね。堅苦しい城の中はゴメンだと口癖のように言っている鳶吉殿が」
「そうよな、とにかく会おう。通せ」
鳶吉とは明家の初主命、水沢隆広の北ノ庄城壁の改修から仕事を共にしている工兵隊の棟梁の一人である。
「殿……!」
「今、茶を運ばせている。入るが……?」
鳶吉は廊下で明家に平伏したまま泣いている。
「……? いかがしたのだ」
場を察した三成は部屋を出て行き、治長にも部屋に戻るなと告げた。明家はさらに訊ねた。
「……何かあったのか?」
「娘が……」
「しづが?」
しづは、明家が養父長庵と共に北ノ庄城に初めて訪れた時、突如に城下に雪崩れ込んだ門徒たちの攻撃で人込みの下敷きになったのを長庵こと水沢隆家が助けた女童である。そのさいに長庵は凶弾に倒れたが、その恩はしづも忘れず、また父の鳶吉も母のみよも忘れていない。
「しづがどうした? 療養中であろう?」
しづは大坂城完成と同時に城へ奉公に出たが、半年後に突如血を吐いて倒れた。柴田家の名医たち、あの源門の五人もしづの治療を試みたか、さしもの彼らの手にも負えなかった。
主人として責任を感じた明家とさえは良い漢方の薬も南蛮の薬も自ら見舞いに行き届けた。だがどんなに効能ある薬や滋養をつける食べ物を届けてもしづは痩せる一方だった。養父が助けた女童しづ。病ごときで死なせては養父隆家に合わせる顔なしと、明家は寸暇を利用してしづに会いに行っていたが、ある日、母のみよが『もう来ないでほしい』と泣いて頼んだ。元気だった頃のしづの姿だけ覚えていてほしいと願う死を悟った娘を代弁しての事だった。明家の妻さえのような奇跡は、そう何度も起きない。
「もう……しづはダメです」
「そんな……まだ十六になったばかりであろう?」
鳶吉は平伏したまま明家に詰め寄り、
「殿! 鳶吉一生のお願いにございます!」
そう涙を流して明家に懇願する鳶吉。
「お願いです。娘を抱いてやって下さいまし! あの子は幼い頃から殿に恋をしておりました! もはや骨と皮のあの子ですが、せめて愛した男の温もりを与えてあげたいのです!」
「……鳶吉」
「お願いします! あの子を……!」
「分かった……」
その頃、夫が明家に頼む内容を察してか、妻のみよはしづの体を手拭で拭いて清めた。
「どうしたの母さん…。今日に限って……」
「ん……。だってお前は女の子なんだからきれいにしておかないと」
「……ありがとう」
そして明家が鳶吉の家にやってきた。しづも母親の態度に何か察したか、横になっておらず、白い着物を着て蒲団の上に座っていた。障子があき、明家が立っているとしづは静かに微笑み、かしずいた。
「元気そうだな、しづ」
「はい」
「美しくなった」
「おにいちゃんも……益々カッコよくなって素敵よ」
明家は着物を脱ぎ、そのまましづに口づけをして蒲団に寝かせた。着物を脱がせると恥ずかしそうにしづは身を固まらせた。処女だった。もはやしづは骨と皮、明家を抱き寄せるチカラもやっとの思いで振り絞っている。
「うれしゅうございます……」
「きれいだ」
「うれしい……」
残りの全生命を使うように、しづは明家の愛を得た。明家と一つになったとき、しづは満面の笑みを浮かべ、そのまま眠るように息をひきとった。体温が残るうち明家はずっとしづを抱きしめていたのである。しづ享年十六歳だった。
しづの葬式には工兵隊は無論、明家とさえも参列した。明家の手には遺髪がある。無念だった。父の隆家がしづを助けて命を落としたと云うのに、自分は何もしてやれなかった。助けられなかった。せめて良い墓を立ててやる事しかできない自分が悔しかった。
「殿……。殿は神仏ではないのです」
「え?」
「私も悔しい……。当家にあの子が奉公に来てくれたのはたった半年だったけれども……失敗ばかりのおっちょこちょいな子でも何か憎めなくて……私をお姉さんのように慕ってくれて……。それなのに私も何もして上げられなかった。悔しい……」
「…………」
「でも……こうして安らかに眠ってくれる事を祈る事しかできないじゃないですか」
「うん……」
「殿……」
「ん?」
「しづは……女子が生涯で一番大切にしているものを殿に捧げて逝ったのです。その重み、一生お忘れなきよう……」
「さえ……」
さえはすべて知っていた。しかし明家を責めなかった。いや、骨と皮となった女を抱いた夫の優しい心が嬉しくもあったのではないだろうか。
「ああ……忘れるものか」
その日は悲しみに暮れた明家だが、翌日には柴田家当主として曇った顔など見せず働かなくてはならない。大坂の城下町の建設現場に赴いた。三成が築城していた当時も、明家が入城後の大坂の町づくりにおいて活躍したのも、やはり辰五郎率いる柴田明家の工兵隊たちである。柴田明家は城下町に学問所を作り出した。学問所は柴田家の子供たちに文武を指導する大事な施設。かなり大きな建物である。その建築の指揮を執るのはもちろん辰五郎である。
「これは殿」
「辰五郎、オレに気にせず続けてくれ」
「はい」
城と云ってもいいくらいの大きな学問所だった。工兵隊の辰五郎が指揮を執り建設していた。しづの父の鳶吉ももう働きに出ていた。
「……鳶吉、もう良いのか仕事に出て」
「へい、仕事していた方が気ィ紛れるってもんでさ」
「そうか」
「カカアのみよも休んでいられないって城の調理場で勤めております。負けられませんよ」
「…………」
「殿……」
「ん?」
「しづを抱いてやってくれて……ありがとうございます。娘は満面の笑みで逝けました」
「うん……」
「またね、カカァと子作りしようと思いましてね。南蛮の神様が言うには人は死ぬと、もっとも愛した人の子に生まれ変わるって云うんですよ。それをカカァ信じましてね。しづは私たちの子として再び生まれてくれるって云うんですよ。今日から励むつもりですわ」
「なるほど、それならしづは鳶吉とみよの子として再びこの世に生まれるな。楽しみだ」
「あっしもですわ。あっははは!」
鳶吉の仕事を止めては悪いので、明家は建設奉行の中村武利のところへと歩いた。
「武利殿、図書の収集と学僧の要請の方は?」
中村武利は中村文荷斎の息子で、水沢隆広が賤ヶ岳の合戦で敗れた羽柴秀吉を追撃した時に目付けとして共に随行していた男だ。父の中村文荷斎同様に思慮深い人物で、早くから明家の才に気付き、父の文荷斎と共に明家が水沢隆広と名乗っていたころから重く見ていた。十歳以上年下の明家を立て、表に出ず黒子に徹していた。その彼の才と性格を知る明家は柴田家の子を養育する学問所の建設から館長に至るまで一任していたのだった。
「順調に進んでいます。和漢蔵書や他の文具の調達も滞りなく、また名のある学僧数名も無事登用がなりました」
「和漢蔵書も良いですが、年齢別に優しい教科書も作らなければダメにございます。それはいかがいたします?」
「はい、平仮名から教える本を作らせてございます。算術も簡単な足し算と引き算の書を製作中にございます」
「うん順調で何より。ここで明日の柴田の人材を養育いたします」
明家は柴田の子らの養育にも余念はない。
「今は一箇所だけですが、どんどん学校は作ろう思う。子の教育は国の大事。今に女子や民も学べるようにしたい」
「ゴホッ! ゴホッ!」
「どうした辰五郎?」
「あ、すいません別に……」
小声で中村武利が言った。
「殿、ここ数日辰五郎殿は体調が……」
「え?」
「辰五郎殿も、もう還暦の坂を越えますれば……」
「……」
そして翌日、明家はある事を決めて学校の建築現場に来た。辰五郎の横に座り、しばらく工事を見つめ、そして明家が言った。
「辰五郎」
「はい」
「今まで、よう尽くしてくれた……」
「は?」
「北ノ庄城壁工事の時は……柴田の新参で、かつ当時十五のオレの頼みを聞いてくれて……。手取川の戦では渡河するイカダを大急ぎで作ってくれた。まさに縁の下のチカラ持ちでオレを支えてくれた」
「殿……」
「そなたのウデの良さに頼るあまり、あの城この城、次はあっちの城下町と用い、ロクに休息も取らせてやれなかった事を申し訳なく思う」
「それは違います。ワシがそうしたかったのでございます。職人はウデを認められるのが名誉、頼られ仕事を任されるのが誇り。どこに殿の落ち度がありましょう」
「辰五郎……」
「それに……ロクに休息を取らなかったのは殿も同じにございます。臣のワシがどうして休めましょうか」
辰五郎はフッと笑った。
「……隠居せよと仰せか」
「……そ、そうだ」
労いの言葉を続け、そのまま自然に『隠居せよ』と言いたかった明家だが、さすがは明家直臣の最古参とも云うべき辰五郎には見抜かれ、先に言われてしまった。
「それはご命令にございますか?」
「そうではない、ただこれからは奥方と静かな日々を送ってもらいたくてだな」
「ご命令でないのなら、お断りにございます」
「分からぬ事を言うな、そなたには久作と云う立派な息子が跡継ぎになっているではないか! もはや現場の冬の風が骨身に凍みよう。温泉にでも行き長年の疲れを癒せ!」
「大きなお世話にございます」
「な、なんだとォ!」
「ならば言わせてもらいます。ワシは殿がまだ十五の小僧で、柴田の使い走りのころから共に働いてきた自負がございます。それを歳とったからと隠居せよではあんまりじゃ! 朝倉宗滴公は七十五歳まで戦場におった! 越前生まれの年寄りを甘く見られるな!」
「老黄忠よな、しかし現実最近痩せてきているではないか!」
「死ぬなら現場で死にたい。武士が戦場で死ぬ事を本望とするように、職人は最期の瞬間まで、この世に何かを残す物を作っていたいのです」
「分かった、好きにしろガンコジジイが! どうなっても知らんぞ!」
「ええ、好きにさせてもらいます」
頭に湯気を立てて立ち去る明家の背に辰五郎は静かに頭を垂れた。
(お気遣い……嬉しゅうございます殿。しかしこの学問所の建設はおそらくワシの最後の仕事。何とぞ完成までやらせて下され……)
明家にもそんな辰五郎の気持ちは伝わっていたか、立ち去った後に静かな微笑を浮かべていた。
学問所の完成の日、それと同時に明家の耳に届いたのは辰五郎の訃報だった。現場監督の椅子に座り、そのまま眠るように死んでいたと云う。顔は満ち足りた笑顔だった。
明家は現場にかけつけ、そして自分をずっと支えてくれた老臣の最期に涙した。辰五郎七十歳だった。明家は完成した学校に『辰匠館』と名づけ、辰五郎の遺徳に報いたのだった。
第十一章『大納言様の妻たち』に続く。