天地燃ゆ−完結編−

第八章『細川ガラシャ』


 徳川家康に事実上勝利し、畿内の王者と呼ばれる柴田明家。家臣団も充実し、大坂城の築城が開始された。しかし一つ、明家には悲しい別れがあった。前田慶次が柴田家から去っていった。犬山の合戦後、ほどなくであった。
 犬山での合戦における明家の采配。いくさ人である彼にはどう見えたであろうか。負けいくさや窮地を好むと云う不思議な男である前田慶次。しかし彼の仕える柴田明家は不敗の男。今まではその不敗を支えてきた自負があった。だが犬山での戦いではもう自分の出番を終えたと悟った。
 生まれてくるのが遅すぎたと思う。武田信玄や上杉謙信、毛利元就が全盛の時に生まれたかった。生きがいである合戦が毎日のようにあった時代に生まれたかった。立身出世や栄達などどうでもいい。とにかく合戦が出来れば良かった。
 しかし彼の主君、柴田明家はその戦を世から無くそうとしている。それは正しい事だと慶次も思う。自分の最大の生きがいである合戦、これが一度ある事に民百姓がどれだけ泣いているか。これが無くなるのなら喜ばしい事。自分の楽しみや生きがいなど民の安泰に比べて取るに足らない。朱槍を置くべき時がそろそろ訪れたのだ、そう感じた。
 だけど慶次は毎日が退屈だった。大大名の家老としての自分。安泰に過ぎるこの身が歯がゆい。平穏無事がつまらなくてたまらない。慶次は数日思案して、ある事を決断した。
 その意を胸に、慶次は主君明家に一対一での要談を求めた。明家は快諾し会った。真剣な面持ちの慶次。もう長い付き合い、明家は慶次の意図を感じ出した。無言で向き合うこと一刻(二時間)。明家が沈黙を破り言った。
「……行くのか」
 慶次は小さく頷いた。
「…………」
「……それがしの仕事は賤ヶ岳で殿を勝たせるまでだったようにござる。殿のこれからの合戦は外交と調略、そして資金力と大軍勢にものを言わせての戦になりましょう。不満を覚えたものの……実際に殿はそれであの徳川家康に勝った。間違ってはおらぬのです。それがしが……もう殿に付いていけなくなっただけなのでござる」
「そなたがオレの家臣になる時……夢を聞かせてくれたな、『この世で一番の漢になる事』と」
「はい」
「そして……『もし天下人になったらどうしたいか』とオレに訊ねたな。『とにかく戦のない世の中を作りたい……。そして民百姓が笑って暮らせる政治をしたい。産業も興して海の向こうの国と交易などもできたらと思う』こうオレは答えた。あの時に申した事と今も変わっていない。図らずも、それに手が届きそうなところに来ている。もしなれたのなら逃げずに……時には鬼と呼ばれようが、そういう世の中を作ろうと思う」
「それで良いのです。ただそれがしは……負け戦を好み、窮地を好み……そして安泰と平穏が大嫌いにございます。殿の元ではその安泰と平穏に過ぎまする。『この世で一番の漢になる』にもっとも害ありき事。お暇を頂戴いたしまする」
 再び沈黙の中、見つめ合う明家と慶次。
「これからどうする?」
「さあて……。生きるだけ生きたら死にまする。それだけにございます」
「加奈殿と、息子の利慶はどうする?」
「加奈とは……離別しました」
「そうか……」
「虫の良い話にございますが、加奈をこのまま奥方様の侍女として使ってくれませぬか。息子の利慶、ものになれば使ってくだされ。凡夫に育てば遠慮なく放逐されよ」
「分かった」
「では最後に一献、よろしゅうございますか」
「ああ」
 慶次は持ってきた酒ビンと二つの杯を出した。そして一杯だけのみ慶次は浅く頭を垂れて部屋を去った。
「慶次……。今までありがとう」
 前田慶次は翌朝、愛馬松風のみ伴い安土城から出て行った。これを伝え聞いた前田利家と奥村助右衛門は静かに微笑み『あの男らしい』と言った。これが柴田明家との今生の別れとなるのか、それとも……。

 安土城の一角、石田三成と直江兼続が将棋を指していた。
「前田殿は今ごろ松風のうえで、煙管を吸いながら青空でも見ていましょうな」
 と、兼続。
「まことあの方らしい…。大大名の次席家老の地位より自由を選ばれた…。とうていそれがしには真似ができませぬ」
 答える三成。三成は慶次と長年の付き合いで親しいが、兼続も上杉家が柴田家に従属してから前田慶次と親しくしていた。数少ない酒を酌み交わせる友がいなくなってしまった。
「またいつかお会いし、酒を酌み交わしたいものだ…」
「旅の土産話を肴に、美味い酒となりましょう。はい王手」
「あッ!」
 王手を指された兼続。
「これで手前の二十八勝五敗ですかな」
「こ、この一手は待っていただけませぬか」
「ダメ、戦に待ったはナシにございます」
「むぐぐ、主君(明家)はヘボ将棋なのに、家臣たちはやたら将棋が強い。前田殿には一度も勝てなかった」
「では勝ち逃げされたのですか」
「いかにも、だが三成殿にはそれをさせませんぞ。もう一局!」
「お相手しましょう」

 柴田明家は武州恩方(東京都八王子市)に尼僧として暮らす武田信玄の六女松姫に迎えを出して京に招いた。天目山以来の再会だった。
 婚約者織田信忠の墓に合掌する松。信忠から正式に側室として迎えたいと云う言葉を受け、松は岐阜に向かっていた。その道中に織田信忠は本能寺の変において父の織田信長と共に果てたのである。本能寺の変の後に信松尼と名を変えた松は京の二条御所に来ていた。秀吉が織田信孝を攻めた時に全焼したが、今は再築され信忠と信孝の墓もここに建立された。
「ここで信忠様は自刃されたのでございますか……」
「そうです」
 自刃の地に松は合掌した。
「あとこれをお渡ししたかった」
「それは……」
「信忠様、お肉通し(切腹の時に使った刀)の刀と云われているものです」
「それを松に?」
「はい信忠様は松姫様に持っていただきたいと思うはずですから」
 松姫は両手で大事に受け取った。
「ありがとう……竜之介殿……」
「いかがでございましょう。京に信忠様を祀る寺を建立いたしましたので、その寺に庵を構えませぬか。信忠様も松姫様が近くにいると嬉しいでしょう」
「お言葉に甘えさせていただきまする。恩方の武田遺臣すべて柴田に召抱えて下されて、もう恩方にいる必要が無くなりましたから」
「あはは、珍しく松姫様はそれがしの言った事に一度で応じてくれましたね」
「今までは竜之介殿が無理を言ったからです」
 二人は笑いあった。そして京都御所の庭園を静かに歩き出した。仲良く笑みを浮かべながら歩く姿は恋人同士のよう。
「その寺の名前ですが……それがしの方で考えさせていただきました」
「なんと申すのです?」
「『信松院』あっははは、今の松姫様のお名前のまんまです」
「まあ」
「気に入っていただけたでしょうか」
「はい、ありがとう……竜之介殿」
 二条御所の出口、松を乗せる輿の一行が待っていた。
「竜之介殿、お会わせしたい者たちがいるのですが」
「どなたでしょう」
「これ」
「「はい!」」
 それは松姫の一行に加わっていた若者二人と一人の少女だった。
「竜之介殿、この三名は兄の仁科盛信の息子と姫にございます」
「盛信殿の!?」
「三人とも、ご挨拶なさい」
「「はっ」」
 三人の若者は明家にかしずいた。
「仁科盛信嫡子、信基と申します」
「仁科盛信次男、信貞と申します」
「仁科盛信長女、督にございます」
「顔を上げられよ、よう顔を見せて下され」
「「はい!」」
 明家はかしずく三人の目線に合わせ腰をおろし、それぞれの顔を見た。
「うん、ご嫡男も次男も、お父上のごとき凛々しい顔をしておられる。叔母上の薫陶が良かったのですね」
 明家に褒められ、顔を赤らめる信基と信貞。
「督姫殿は百合殿そっくりだ」
 美男子の明家に頬を染める督姫。(徳川家康の次女と同名だが別人)
「そなたらの父上とそれがしは戦いました。盛信殿の最期、それは見事だったと介錯せしめた斉藤利三殿より伺っています。城を攻める前にそれがしは中将信忠様の使者として盛信殿と会い、降伏を勧めましたが盛信殿は毅然と拒否し、武田の最期の意地を見せました。そしてその戦いぶりは寄せ手の織田勢全軍感服いたしましてございます」
 かつての敵将が亡き父を称えた。信基と信貞は前々から武田家以外の者から父の事を聞きたかった。そしてそれが父への無上の賞賛であり嬉しかった。
「百合殿の最期にそれがしは立ち会いました。それがしは松姫様と同じく落ちる高遠城からお救いしようと思いましたが、『城主の妻が夫死して、城落ちて逃げられませぬ』と毅然と自決なさいました。そなたらの父母はまことの武田武士にござる」
「あ、ありがとうございまする! 泉下の父母もどれだけ喜ぶか!」
 恭しく明家に礼を述べる督姫。
「竜之介殿、この者たちをお預かり願えませぬか」
「え?」
「今、この世で武田の技能をもっとも色濃く継承し用いているのは竜之介殿。兄の勝頼の計らいで快川和尚様から好きなだけ学べたのです。武田の子弟にそれを教えてくださらないのはずるうございます」
「それはまあ……言われてみれば」
「信基と信貞には恩方よりここに来る前に言いつけてございます。私は竜之介殿のおチカラ添えはできませぬが、甥をお預けいたします。きっとお役に立ちましょう」
「それはありがたい、二人ともいい面構えをしています。それがしの良き家臣となってくれましょう」
「また……督には良き婿を」
「承知いたしました、三名とも立たれよ」
「「は!」」
「信基、信貞を家臣として取立てる。主君としてオレは甘くないぞ。心しておくのだぞ!」
「「はっ!」」
「督姫殿はそれがしの客として丁重に遇しましょう。きっと満足いただける婿殿と娶わせまする」
「はい」
 兄の盛信の遺児たちが柴田明家に仕える事ができた。明家がただの権力者でない、心よりもった名将と知る松姫の感動はひとしおだった。
「ありがとうございます竜之介殿、兄盛信の墓前に良い報告ができます」
「子らをしかと預かったとお伝え下され」
「承知しました」
 松は輿に歩んだ。
「三人とも、竜之……いえ美濃守様の言う事をよく聞いて、父上(盛信)や伯父上(勝頼)、祖父様(信玄)の名を辱めてはなりませぬぞ」
「「はい叔母上!」」
 その言葉に満足した松は輿に乗った。
「竜之介殿、大大名になられたにも関らず私の事を気にかけて下された事、とても嬉しゅうございます。季節の変わり目にございますゆえ、お体にお気をつけ下さいませ」
「松姫様、いや信松尼殿も」
 お互いに頭を垂れる二人。
「丁重に信松院までお送りせよ」
「「ハハッ」」
 このように明家は今ではただの尼僧に過ぎない松をさながら主家の姫君のように大切にした。信松院には明家もよく訪ねたと云われ、松姫に仕えていた侍女は
“お二人にはあまり会話もなく、縁側に座り静かに庭や月を見ているだけでした。しかしお二人を見ていると我らは心が和んだものです”
 と後に述懐している。沈黙を共に出来て、その男女は完成されたと言われるが明家と松姫がそうだった。二人が男女の関係であったのかは現在も明らかではないが、なまじの夫婦より仲が良かったのは事実と言えるだろう。今日『松姫は柴田明家の愛人だった』と云う説もあるが、織田信忠に生涯、女の操を立てた松姫であるゆえ、それは後世の創作だろう。しかし彼女もまた、時に疲れ果てた柴田明家を優しく癒した女性であった。

 場所は変わり、ここは比叡山西教寺。明智光秀の四女である英の庵がある寺である。また明智光秀、その妻熙子が眠っている菩提寺である。
 京からほど近い場所にあるため、明家は京に滞在している時は西教寺にはよく訪れていた。今日は供に堀辺半助、佐久間甚九郎ら明智遺臣を連れていた。光秀と熙子の墓に合掌する明家。半助と甚九郎もかつての主君の御霊に合掌する。
「明智様が亡くなり、はや数年。なんかアッと云う間だった」
 と、墓前の明家。
「あの世ではいくさもないだろう。今頃は熙子様と仲良く暮らしているかな」
「それは生前からですよ美濃様」
「ははは、確かにそうでした」
 明家の墓参に立ち会っていた英が微笑み言った。彼女は亡夫と父母を弔うため尼僧となり日璋院と名乗っていた。月姫が側室になった後、柴田家では“次は英殿ではないか? 英殿も殿に惚れているようだし”と云う話が出た。英が明家に好意を持っていたのは確かであろう。今もそうかもしれないが、彼女が尼僧になった決定的な理由は離れ離れになった幼い息子が流行り病により亡くなったと云う報告を聞いた時であったと云えるだろう。葬式にも出席が許されなかった英は泣くに泣き、そして髪をおろした。“殿の側室になる前にオレが…!”と思っていた柴田の若い武将たちの求婚も丁重に断って彼女は尼僧となり、この西教寺に明家から庵を贈られ亡夫と父母、そして亡き息子を弔い続け、今に至る。

 墓参を終えて、いつもの客間に通されると思えば
「美濃様、お合わせしたき人がおります」
 と、日璋院が言ってきた。
「誰でしょう?」
「手前の姉、玉にございます」
 明家の顔色が変わった。
「ここに……来ているのですか?」
「はい、美濃様はよく西教寺に来られると文で述べたら、ぜひ場を取り持ってほしいとの仰せで」
「…………」
「今、姉が境内に野点の席を用意しています。こちらに」
「…………」
「どうされた殿」
 少し緊張した顔を見せる明家の顔に堀辺半助が気付いた。
「いや、何でもない。さ、茶を馳走となろう」

 玉は細川忠興の正室、明智光秀の三女である。幼き日に美濃国の山中で会った事のある明家と玉。何年ぶりか。二人は初恋同士なのだ。しかし相手が自分を初恋としている事をお互い知らない。
 光秀と熙子の墓前から離れて境内に行くと野点の場があり、赤い桟敷の上に座るのはまぎれもなく玉だった。ニコニコとして明家一行を見ている。
(玉子……)
 妹の英からの書で、柴田明家が西教寺に訪れると聞いた玉は夫に父の御霊を慰めたいと述べて細川の臣たちに護衛されてこの比叡山の西教寺へとやってきたのである。
「細川忠興が室、玉にございます」
 桟敷のうえで明家に平伏する玉。
「柴田美濃守……明家にございます」
「さ、どうぞ」
「……そなたらはここで控えよ」
「「ハッ」」
 家臣たちは桟敷の外で控えた。細川家臣も玉の向こうに数名いる。桟敷の上は玉、明家、日璋院が座ったが日璋院は桟敷の脇に控えた。穏やかな微笑を浮かべて、明家へのもてなしの茶を点てる玉。数日前に玉は西教寺にいる妹の日璋院に
“父母に武人の情けを示した美濃守様に茶を点てたい。その場を設けてほしい”
 と文を送ってきた。やっと姉の玉が明家に対して憎悪を払拭したと胸を撫で下ろした日璋院は快く了承し、明家が西教寺に来る日取りを教えていたのである。
(なんと……玉子、そなた美しくなったな……)
 十数年前の玉子の記憶しかないから無理もない。思わず玉の美貌に惚ける明家。やがて点てた茶を差し出す玉。
「どうぞ」
「頂戴いたす」

 そして明家が茶を飲み終わり、茶碗を置こうとした時だった。
「な……!」
 玉は隠し持っていた短刀で柴田明家の左胸を刺していた。玉の顔は笑顔のままだった。飲み終わった明家に一瞬で詰め寄り、茶碗を置くために前かがみになる時を逃さずに刺したのである。
「姉上!」
 突然の凶事に同じ席にいた日璋院はあぜんとした。
「父……明智日向の仇! 三女玉が討ち取った!」
 自分の左胸に短刀が突き刺さる柴田明家。そして明家は
「ペッ!」
 口内に含んでいた茶を吐き出した。
「やはり飲んでいなかったわね。大した用心深さ。そう、それを飲んでいたら竜之介、お前は死んでいたわ」
 明家は前々から玉が自分を憎んでいると藤林の忍者から情報を掴んでいた。本当なら幼馴染の点てた茶を飲まず吐き捨てるなどしたくはない。しかし柴田家当主としては仕方がなかった。
「玉子……。お前……!」
「気安く幼名を呼ばないでほしいわ。お前ごとき忘恩のヤカラなどに!」
「殿!」
 慌てて佐久間甚九郎と堀辺半助が駆け寄る。
「玉姫様! 何と云う事を!」
「半助……その方いつから美濃のイヌになったのじゃ恥を知れ!」
「手前がイヌなら玉姫様は女狐でござる! ご自分が何をしたか分かっておられるのですか!?」
「父の仇を娘が討ったにすぎませぬ」
「そんな簡単な問題じゃない! 細川家がどうなるか考えたのでございますか!」
「父を見捨てた家。どうと云う事はございません」
 舅の幽斎は父のカタキ明家の相談役となり、夫の忠興は本能寺の変以来、関係がギクシャクしだした玉にだんだん嫌気がさし、側室を数名持ったのだ。
 何より今、細川は柴田の配下大名。当主の忠興は賤ヶ岳で敵にまわった以上、柴田の信頼回復に必死だった。妻の父のカタキに対し機嫌を取るのに懸命な夫に彼女も嫌気がさし、もうどうでもなれと思い、明家の刺殺を決意したのではなかろうか。
 玉に随伴してきた細川の家臣たちも真っ青である。もう細川は終わりだ……。全員がそんな顔をしている。
「何たる事を! やっと殿の手で天下が定まろうとしているのに……! 玉姫様の軽挙でまた戦の世に逆戻りにございますぞ!」
 佐久間甚九郎が怒鳴る。
「知らぬ顔だが、そなたも明智の臣か。そなたら明智遺臣が主君の恩義を忘れず美濃を討っていれば私がこんな事をせずに済んだのです」
「姉上……! 英は姉上を軽蔑いたしまする! 美濃様が今まで明智にどれほどの御厚情を!」
「英……。そなた美濃に抱かれたか? 口ばかり達者で、顔が良いだけのこのロクデナシに身も心も溶かされたか」
「かような事!」
「亡き信澄殿も浮かばれませんね」
「ひ、ひどい姉上!」

「首や……腹を狙えば良かったな玉子……」
「え?」
「いや、『顔が良いだけ』とオレを罵るのなら顔面に突き刺せば良かったのだ……」
「何を言っているのです? 訪れる死を静かに待ったらいかがですか竜之介殿」
 明家は短刀を胸から抜いた。短刀は柴田明家の胸を突き刺さっていなかった。
「な……!」
「これがオレを守ってくれた」
 一つの小さな袋を取り出し、中身を見せた明家。
「そ、それは!」
「そう……熙子様の形見だ」
 それは坂本城落城の直前に、明智光秀の妻の熙子が寄せ手の大将である水沢隆広に贈った櫛だった。貧しかった光秀のために髪を売った熙子。その熙子の髪が伸びた時光秀が
“もう二度とそなたが美しい髪を売る事などなきようにワシはがんばるぞ”
 と述べて熙子に贈った櫛。熙子が命の次に大事にしていた櫛である。玉の髪を熙子が梳かすとき、いつも口癖のように“父上が母上に下された大切な櫛よ”と嬉しそうに言っていた。
「どうしてそれをお前が持っているのよ!」
「坂本落城の直前に……熙子様がオレに届けて下された」
「ウソよ! 母はあんなに父を愛していた! その父を殺したお前にどうして母がその櫛を贈るものですか!」
 明家を睨む玉。その目をそらさず玉を見つめる明家。
「……皮肉だな。父母の仇を討とうとしたお前の凶刃からオレを助けたのは……お前の母上から贈られていた櫛だとは……」
 熙子からこの櫛を贈られて以来、櫛を小さな袋に入れて首からぶら下げてお守りとしているのだった。そして今、玉の凶刃から明家の身を守ったのはこの熙子から贈られた櫛だったのである。
(母上……私が誤っていると……!)
「姉上……」
「寄らないで!」
 再び短刀を取り、明家に襲い掛かる玉。だが握る短刀は明家の扇子に叩き落された。手加減なしで打った。激痛に手を押さえる玉。それを静かに見つめる明家。
「ちくしょう!」
 玉は日璋院を退かせて明家に詰め寄りチカラ任せに頬を叩いた。何度も何度も、悔し涙を流して玉は明家を叩き続けた。明家は黙って叩かれていた。止めようとした佐久間甚九郎。明家は叩かれながらそれを制した。
「殿……」
「ハァハァ……」
「どうした、もう終わりか?」
「ちくしょう! アンタなんかに分かってたまるか! 父がどんな思いで信長に叛旗を翻したか! 死んだ後は未来永劫……! 裏切り者、謀反者と蔑まされ続ける! そんな父の無念がお前に分かってたまるか!」
 あまりの玉の迫力に細川家臣も止められなかった。復讐に狂い、煮えたぎる怒りを明家にぶつける玉。何度も何度も明家を叩く。それを黙って受ける明家。
「お前は何だよ! 私の父母を討って手柄にして出世し、そのうえ大大名になった! 父に助けられなければ……! 父に助けられなければ……! お前なんか美濃の山奥で鳥獣のエサになっていたってのに!」
 実家は滅亡、嫁ぎ先では謀反人の娘と白い目で見られ、夫とも不和が続く今、玉には自分の気持ちをぶつける相手がいなかった。ひたすら忍従の日々。その玉が怒りをぶつけられるたった一人の者、それは今、天下人に一番近い男、柴田美濃守明家だった。
 女のチカラとはいえ、もう二十打以上は叩かれている明家。だが玉の心の痛みはこんなものではないと知る明家は黙って受け入れた。
「…今でもその恩義は忘れていない」
「クチでは何とでも言える! ちくしょう!」
 最後、渾身のチカラを込めて明家を叩いた玉。
「ちくしょう、ちくしょう……!」
 玉は膝をついて泣き崩れた。
「玉子……。これだけは言わせてもらう。光秀様は強かった。柴田が勝てたのはたまたま武運があっただけの事。そして……光秀様は堂々と腹を切った。立派な最期だった」
「…………」
「坂本城を攻めた時。敵将水沢隆広は、あの折りの童だと名乗り、熙子様個人を保護したいと書状を送ったが、それは丁重に断られた。降伏勧告もはねつけ、あの方は最期まで夫に殉じて戦い、死んでいった。」
「…………」
「今でもオレは光秀様を尊敬しているし、熙子様を一日の母と思っている。そしてあの時に会った生意気な少女が……オレの……いや申すまい」
「…………」
「細川の臣たちよ」
「「は、はは!」」
「忠興には黙っておいてやれ。オレも幽斎殿に言わぬ。今のはただの幼馴染同士のケンカにすぎぬ」
 明家はそのまま茶席から立ち去った。玉はまだ憎しみを込めて明家の背を見つめていた。

「姉上……」
「帰る」
「…………」
「英、美濃を好いている貴女とはもう姉でもなければ妹でもない……」
「どうして……」
「……私が初めて恋をした人は竜之介だった。今もその想いは変わらない……。だから…許せないの」
 玉も丹後へと帰っていった。しかしこんな大事件を隠しておく方が無理である。玉に随行していた細川の家臣から西教寺の一連の話を伝え聞いた細川幽斎は愕然とした。
 彼は蒲生氏郷と同じく柴田と羽柴の戦いで秀吉の敗北をある程度予想していた。ゆえに早いうちから朝廷工作をして、朝廷を介して柴田への恭順を述べ細川の安泰を図ったのである。以降は明家の相談役ともなり、柴田家への信頼回復に懸命に務めていたのに、すべて台無しとなった。安土城に戻った明家に平伏して許しを請う幽斎。明家は細川の臣たちに述べたように
“幼馴染同士のケンカにすぎない。細川家は関係ない”
 と笑って済ませたが、柴田家の家臣たちが許すはずがない。随員していた佐久間甚九郎と堀辺半助も明家は
“オレの不注意、半助と甚九郎に罪はない”
 と取り成すが一歩間違えれば明家は死んでいたのだ。首席家老の奥村助右衛門は激怒し
“女子にかような真似をさせて何が供か!”
 と明家の取り成しなど聞く耳持たず、半助と甚九郎は厳罰に処せられた。明家の顔を立てて切腹こそ命じなかったが、一年間減俸と云う厳しい罰を下したのだ。譜代衆筆頭の前田利家も激怒し、細川当主の忠興に申し開きをしに参れと安土城に呼び出した。
 細川幽斎も息子の妻とて許すわけには行かない。国許の忠興に厳命した。“玉を斬れ”と。
 丹後宮津城、事の顛末をすべて伝え聞いた細川忠興は玉に怒鳴る。
「何て事をしてくれたのだ!」
「…………」
「お前は……細川を潰す気なのか!」
「……そんなに柴田明家が恐ろしいのですか」
「なに?」
「天下を狙うくらいの気概を持った男の妻になりとうございました」
「天下を狙うだと……。それはお前の父と同じく謀反でもせよと云う事か!」
 その言葉に玉はキッと忠興を睨んだ。
「なんじゃその目は!」
 玉を容赦なく叩く忠興。口元に血を滴らせ、侮蔑の目で夫を見つめる玉。明智光秀の謀反の前には考えられなかった忠興と玉の様相。かつては明家とさえに比肩するほどに仲睦まじい夫婦であった。仲が良かったからこそ、一度こじれたら修復は不可能に近い。妻の侮蔑の眼差しに激怒する忠興は刀を握る。
 しかし、それでも忠興は玉が愛しくてならないのである。斬れない。だから忠興は問答無用で玉を犯した。玉は抵抗もしなかった。
 事が済むと、忠興は部屋の襖が外れるくらいの勢いで締めた。一糸まとわぬ姿で横たわり、乱れた髪のまま焦点の定まらない目をしている玉。復讐に破れ、夫に犯された哀れな玉であった。

 翌日、玉は忠興から城を追い出された。父の命令の“斬れ”は、やはり出来なかった。しかしまだ玉を愛している忠興は昨日妻を強姦した事を悔いたか、行き着く先は侍女に指定し、十分な金も持たせたのである。

 ここからは後日談となるが、丹後味土野の地で玉の幽閉生活が始まった。ここで彼女は二年の生活を送る事となる。孤独、幽閉による鬱憤、そして失せぬ憎悪。見かねた侍女の清原マリアが玉にキリスト教を薦めた。心の平安を求めていた玉はそのまま引き込まれるようにキリスト教に傾倒し、ついに洗礼に至る。洗礼名ガラシャ。ラテン語で『神の慈悲』と云う意味である。
 二年後に柴田家が細川家に『内儀を許す』と述べ、ようやく細川家に戻る事ができたガラシャ。しかし、もう夫との夫婦関係は絶望的だった。お飾りの正室でしかない。だがキリスト教徒となっていたガラシャはそれに挫けず、教徒として生きていく。合戦で親を亡くした子供を引き取り、大名の奥方の彼女が親代わりとなり育てる。彼女の新しい生き甲斐だった。復讐と怨嗟の虜であった頃と比べものにならないくらい、心が満たされていくのが分かる。
 柴田明家と後に和解するのか、それともそのままなのか。柴田明家と玉が会ったと云う史書は西教寺の記録にあるが、柴田明家と細川ガラシャが会ったと云う事はどこの史書にも記録はない。しかし明家はガラシャがそんな行いをしていると聞き、
「やはりオレが最初に恋をした人は素晴しい女だ」
 と、ニコリと笑い言ったと云う。また一つの謎があった。このガラシャの慈善活動には細川から援助金は出ていない。だがガラシャにはある協力者がいて、その惜しみない支援によって活動を行い、彼女は多くの孤児を助ける事ができた。すでに実家は滅び、姉妹とも疎遠になったガラシャに誰が支援したのか今もってそれは分かっていない。しかし当主正室への支援を気付かないほど細川家はバカではない。だがそれを黙認せざるを得ない者が支援者ならばあるいはどうか。
 支援者が明家としたら、ガラシャと明家は和解し、そして明家はガラシャの一番の理解者となったのではなかろうか。お互いが初恋同士と知らない二人だが、もしこれが事実ならこれも戦国の世に花添える恋物語と云えるだろう。しかしそれを証明する歴史的資料は今日に一つもない。


第九章『仁術の祖』に続く。