天地燃ゆ−完結編−

第七章『忍びの持ちたる国』


 ここは若狭の国、現在の福井県の西部である。若狭の民たちは自国が柴田明家の領地となった事を喜んだ。理由はこうである。
 織田信長の権勢当時、若狭の地は織田信長から丹羽長秀に与えられたが、その統治のおりに大変な凶作に陥った事があった。越前と若狭はほぼ同じ気候風土、だが越前では凶作どころか豊作だった。若狭丹羽氏と越前柴田氏の農業指導者の違いと言えるだろう。
 しかし当主の長秀は安土城における務めが多く、近江の佐和山城にいる事の方が多かった。嫡男の鍋丸(後の丹羽長重)はまだ齢十を数えたばかりだったので家臣たちが何とか窮地を脱しようと画策するが、事は思うように運ばなかった。ついに長秀の家臣たちは小さな村五つほどを見捨てたのである。
 それを聞きつけた水沢隆広は主君勝家に救済を申し出て、北ノ庄城にある備蓄米の一部を割いて若狭に向かった。それを聞いた留守を預かる長束正家は越前と若狭の国境まで出向いて
『それでは丹羽家の面目丸つぶれ、帰られよ』
 と水沢隆広に抗議したが、
『お家の面目と民の命どちらが大事か!』
 と逆に怒鳴られて、渋々ながらも柴田家の救済を受ける事となった。その後に隆広は凶作になった田畑を検分して、地元の民に“武士に頼らず、自分たちで美田を切り開け”と、正しい治水方法と開墾の仕方を教えたのである。その後、その村々が飢饉になる事はなかった。
 時代は織田から柴田と変わり、若狭の地は柴田の直轄地となっている。柴田家から改めて検地を受けた若狭の国。総石高は八万五千石と算出された。丹羽氏はそれ以上の石高を織田家に報告していたが、柴田はそう計上した。領民に無理な年貢を強いる事がないようにである。

 柴田明家は安土からこの若狭の国に久しぶりにやってきた。前から見てみたかった若狭三方五湖を訪れたかったのだ。山に登り、それが一望できる場所に立った。現在のレインボーライン山頂公園の場所と思われる。若狭湾と山々と三方五湖とがいっぺんに目に飛び込んできて明家はしばし時間を忘れた。
「きれい……」
 明家に背負われているすずはウットリとした。
「すずほどじゃないぞ」
「殿ったら……!(ポッ)」
 今日の供は藤林の忍軍たちだった。忍びたちは体がかゆくなった。
「ここの美しさはすでに万葉集に歌われているんだ。『若狭なる三方の海の浜清みい往き還らひ見れど飽かぬかも』とな」
「詠みたくなる気持ち、すずにも分かります」
「すずの美しさを見たら古の万葉人とて詠みたくなると思うぞ」
「もう、やめて下さい恥ずかしい……!」
「ははは、殿はどんな時でもすかさず妻(おんな)を褒めますな」
 と柴舟。
「本当の事を言っているつもりだぞ。さて今日はここで銅蔵殿とお清と会うはずだが場所分かるかな」
「心配無用にございます。迎えが出ていますから」
 その柴舟の肩には明家とすずの息子の鈴之介が肩車されている。舞、白、六郎もここにいる。
「して……殿、任務もないのにどうして我ら忍軍をこの地に?」
 柴舟が訊ねた。
「ん? ここに城を作る。若狭領主の城だ」
「若狭領主のお城?」
「そうだ。若狭に今まであった城はみんな山城で、越前や丹後、丹波の敵の侵入に対して備えていたもの。しかしもう若狭を攻める国はない。統治には平城が良い。それでどの地が良いかと家臣たちに調べさせたところ、三方五湖周辺が良いと云う報告だ。他の山城は存在しても人員が割かれるだけなので、破却してここに平城を作る。北に若狭湾、南に三方五湖を望む平城。敦賀と舞鶴にも近いゆえ、いい貿易港も作れるだろう。その城と若狭の国を藤林家に任せる」
「左様でございますか……………………は?」
 すずは明家の背で素っ頓狂な声を上げた。
「殿、今なんと……?」
「おい、柴舟あぶない! 鈴之介が落ちる!」
 肩に乗せている鈴之介が落ちかけていた。
「あ! こ、これは申し訳ございませぬ若君」
「若狭の国を藤林家に任せるつもりでいる、そう言ったんだ。あ、すずはオレと一緒に安土にいなきゃダメだぞ」
「と、殿……。本気で申されているのですか?」
「当たり前だろ、すずはオレのそばにいて……」
「そっちじゃなくて! まこと当家に若狭の国を?」
「ああ、銅蔵殿にはもう伝えてある。ずっとオレのために尽くしてくれた藤林。ロクに恩賞も与えられなくて感状ばかりで申し訳ないと思っていた。もしいつか大名になれたら城を与えたかったんだ」

 ここは美濃の国の藤林山、藤林忍軍の里。頭領の銅蔵は最初、亡き先代隆家様から拝領した山から去れません、と拒否した。しかし明家は苦しい実情を正直に話した。
 柴田家は織田家から独立はしたが、三法師を礼遇するのは建て前と云っては何だが絶対条件。配下大名ではなく友好大名と云う形で厚遇するのが明家の方針でもあるし、父の勝家もそれを厳命して隠居した。
 その三法師が当主の織田領の中に藤林山がある。三法師家老の前田玄以は柴田明家に申し訳ないと思いつつも、家中から『柴田明家の最強忍者軍団の里が領内にあるのは恐怖だ』と云う話が出ていると報告した。信忠の正室で、三法師生母の徳寿院が『美濃守殿は当家を監視させているのではないですか』と勘ぐり、玄以もそうではないと云う根拠もないので困り果て明家に相談するしかなかった。同じく困り果てた明家。『当家を監視させているのではないですか』は邪推と言いきれるものではない。
 織田信雄を容赦なく討った明家。三法師の母である徳寿院が“当家を討つ機会や大義名分を得ようと画策し忍びに見張らせているのでは”と考えてしまうのは無理ないだろう。三法師を健やかに育て、織田家は厚遇しなければならない。勝家は信長に、明家は信忠に義理がある。少なからず柴田を脅威と思う織田に誤解を受けるような事は避けなければならない。
 答えは一つ、藤林一族が藤林山から退去するしかない。理由を聞いた銅蔵もこれまた困る。しかし彼にも責任はある。藤林山が忍びの里と云う事を領主に隠しきれなかった責任である。これは忍びの頭領としてはうかつと指摘されても文句は言えない。
 まだ君主が幼い織田家。いかに友好大名とはいえ斉藤家でも柴田家でも最強と言われた藤林忍者の里が領内にあるなんて受け入れられるものではない。ずっと正体を隠していたが、その働きの目覚しさゆえ、とうとう三法師の家臣団にバレてしまったのである。
「それでは仕方ありません、殿の落ち度ではございません。我らは申される通り、若狭の国に行きましょう」
「そうね……。存在を隠しきれなかった我々が悪いわ。参りましょう」
 肩を落とす銅蔵の妻のお清。
「して、殿。その若狭の国の国主殿は? 国内に里を立てさせてもらうゆえ、今のうちに挨拶をしておかんと」
「殿様、無論その国主殿は忍びに理解ある方なのですよね?」
 念を押して訊ねるお清。
「は? 何を言っているのです。国主は銅蔵殿ですよ」
「………………は?」
「だから銅蔵殿が若狭国主ですよ」
 目が点になっている銅蔵とお清。
「殿、何と申された?」
「だから! 藤林銅蔵殿が若狭の国主だと言っているのです!」
 ポカンとしている銅蔵とお清、だがしばらくしてやっと明家の言う事を把握して
「と、と、殿! 手前を国主にして下さるのですか!」
 鉄面皮の銅蔵が嬉しさのあまり泣き出した。お清も感涙して
「母と娘揃って殿様にお乳をあげて良かった……!」
 と、ワケの分からない言葉を発していた。
「はい、今まで多くそれがしを助けてくれた藤林家、左馬介(明智秀満嫡男)の養育も申し分ないですし、感状ばかりで実のある褒賞で報いる事ができず申し訳なく思っていました。もし幸運にも大名になれたら高禄で報いたいと思っていたのです」
「殿! 我々藤林は先代だけでなく当代にも厚恩を受けました! この感激忘れませんぞ!」
「ははは、大げさですよ」
「大げさなもんですか、藤林の悲願だったのですよ! 国を持つのは!」
 大泣きしているお清。
「良かったのォお清!」
「はい、お前さん!」

 再び三方五湖の明家とすず。
「……と、まあすごい喜びようだった。オレは今までの藤林の功績に当然の形で報いただけなんだけどな」
「殿……」
「それに……若狭一国と云っても八万五千石の小国だ。だけど若狭は要所で、秘めた肥沃もある。オレならばこの地域を十三万石ほどの地に変えられるし、かつ若狭湾に面し、この三方五湖の恵み、実質の実入りは十五万石を見込めるな。受け取ってくれるか? すず」
「嬉しい……!」
 柴舟は視線で部下の忍びたちに明家とすずに背を向けろと命じた。すずは明家の背を降りて胸に飛び込む。この当時の女にとって嫁ぎ先は無論、それ以上に実家は大事であった。藤林家はかつて仕えた信濃平賀家を武田家に滅ぼされ、一時は夜盗まで身を落とした。明家の養父の隆家に拾われるまで、忍びの誇りさえ失われていく日々だった。隆家、そしてその養子の明家に仕え、やっと大願が成就した。実家藤林家が国持ち大名である。すずの喜びようは大変なものだった。
「殿、今宵はすずの部屋にお渡りして下さいませ。この喜び、この身を捧げてお伝えしとうございます」
 デレと笑う明家。
「寝かせないぞ♪」
「寝かせませぬ♪」
“もっと小さい声で言ってくれ”忍びたちは思った。
「もういいよ柴舟」
 また元通りにすずをおんぶしていた明家。顔に口づけされた跡が残っていた。
「ところで柴舟」
「は!」
「そなた、鈴之介の守役となれ。銅蔵殿も了解している」
「わ、私が若君の!?」
「白を見ればそなたの養育がいかなものか分かる。頼まれてもらいたい」
「上忍様、すずからも願います」
「しょ、承知しました!」
「でも……」
「なんだすず?」
「あと二年、すずの元に置きたいのですが……」
「だそうだが……」
「いえ、残念ながらそれは……」
「上忍様……」
「お方様、鈴之介様は次の藤林当主、お父上様と私でそれに遜色ない人物にお育てしなければなりませぬ。もう鈴之介様は三歳、五歳からでは遅うございます」
「ぐすっ……」
「あーあ、泣かせちゃった!」
 と、舞。
「わ、私一人ワルモノなら安いものにございます。しかしお方様、女子が生まれた時に我らは取り上げる気はございませぬ。ご安心を」
「柴舟、銅蔵殿に築城の経験は?」
「ございます。先代隆家様の築城には頭領や我らも協力してまいりましたし、無論、殿の元でも我らは土木をしてまいった経験がございます」
「銅蔵殿は養父隆家仕込みの築城術持っていたのかあ、たのもしいな、どんなのが出来るか楽しみだ。なあすず」
「はい!」
「殿―ッ!」
「お、殿、頭領と奥様にござる」
「ふう、遅れて申し訳ござらぬ。しかし大した美観ですなここは」
「気に入ってもらえましたか」
「無論にございます」
「建設予定地は、おおむねあそこです」
 明家が山頂から差した場所、そこは先に明家が言ったように北に若狭湾、南に三方五湖を望む平野で、平城を作るにはもってこいの場所である。
「おお、これは絶好の……!」
「必要なだけの資金を与えます。自由に作って下さい」
「承知いたしました」
 そして明家はすずをいったん下ろして、柴舟に肩車されていた鈴之介を抱き上げた。
「鈴之介! ここがお前の国だ!」
「はい父上!」
「よーしよし! あははは!」

 かくして藤林一族総出の築城工事が始まった。明家とすずは安土に帰ったが、全員夢にまで見た城持ち大名である。どんなに激しい労働も苦にならなかった。白と葉桜、六郎と舞の夫婦も毎日クタクタになるまで城作りと城下町作りに励んだ。こんな楽しい労働はない。
 銅蔵は早いうちから城の名前も決めていた。『美浜城』と命名。今日の北陸屈指の都市である福井県美浜市の祖となるのである。
 そして一年後、城は完成した。明家とすずは無論、他の柴田家の幹部も城の落成の儀に招待され美浜城の美観を楽しんだ。若狭美浜城藤林家の誕生である。忍びの持ちたる国と後世に名を残す事になる。
 美浜城は一般的な平城であるが、明家をして『これは難攻不落だ』と言わしめた。外観は法にかなった様式美を誇り、白梅城とも呼ばれるほどであるが、さすがは水沢隆家仕込みの築城術を持っている藤林家。
「攻め口が見つからない、これはスゴい!」
「お褒め恐縮にございます」
 と、銅蔵。城下町も整備して、港も作り、今日の美浜市繁栄の礎を築いた。若き日は冷酷無比な忍者だった銅蔵が名君に化けたのだった。商才にも長けた忍軍たちを用いて善政をしき、領民は『さすがは美濃様の見出したお殿様』と褒め称え、そして同時に次代当主の孫の鈴之介を柴舟と共に厳しくも暖かく育てていくのである。
 銅蔵の前半生は明家の養父の水沢隆家にささげ、後半生は養子の明家にささげた人生だった。負傷して歩行不自由となったくノ一の娘を側室として愛してくれ、かつ愛しい孫も、そして国も任せてくれた明家への恩を終生忘れず、家訓にも『柴田家への忠勤に励むべし』と言い残している。
 美浜城の城下は当時としては極めて奇異であった。忍びと一般人が共存しているのである。一般人の移民も多かった。美浜の美観に加え、忍者が統治している国なら、こんな安全な国はない。忍びも普段は町人姿の風体なので、何も知らない無頼漢が来て無法でもしようものなら生きては帰れない。治安の良さも抜群であったのだ。他国の忍びたちは
『主取りしたうえに国持ち大名か、藤林の忍びはきっと腑抜けだぞ』
 と揶揄したが、それは単なる妬みである。不敗の柴田明家を支えたのはまぎれもなく彼らである。

 後日談であるが、柴田明家と藤林忍軍にはこんな話が伝わっている。明家は常時百名の忍びを安土城に常駐させておく事を藤林家に課していた。
 その命に従い、銅蔵から選ばれた忍び百名は美浜城ではなく安土城の城下の屋敷に住む事となっていた。明家は『家族も連れてくるように』と命じていたが、その百名は独身生活を楽しみたいと思い、妻子は連れてこなかった。今で云う単身赴任と云うところだろう。だがやがてその百名の忍びの妻たちから明家宛に苦情が届いた。
『子作りができません』『父親がいなくて息子たちが母親の私たちの言う事を聞きません』『きっと亭主は浮気をしています』と云う内容だった。国許の柴舟がその忍びたちに『殿の下命に従い、妻子を呼び寄せよ』と勧告したが、安土城の城下町は栄えていて遊びに事欠かない。その若い忍びたちは中々言う事を聞かなかった。任務のない日は遊んでいたのである。
 それを知った明家は白と数名の部下を伴い、忍びたちに与えている屋敷の一帯に向かった。時刻はもう夜。だが誰も遊びに出かけて屋敷にいない。白たちに各々の屋敷にある金や忍び道具を運び出させた明家はなんと忍びたちの屋敷を片っ端から壊してしまった。
 忍びたちは遊びから帰って来て呆然とした。自分たちの家が崩れて無くなってしまっている。家財道具や忍び道具、金は一箇所に集めて置いてあったが、自分の家が一瞬で消えてしまった現実にただ唖然とした。で、調べてみると殿様の柴田明家がぶっ壊したと分かった。忍びたちは激怒した。
『部下の屋敷をぶち壊す君主がどこにあるか!』
 と安土城の明家へ怒鳴り込んだ。だが
「やかましい!」
 明家は逆に怒鳴った。
「お前らの家をぶち壊したのは確かにオレだ! だが誰かがいれば、オレのこんな行為は止められたはずだろうが! オレがお前たちに安土常駐を下命してどれだけ経っている! いいか! オレは何度もクチすっぱくして妻子を呼べと言ったはずだ! オレがどうして父の勝家に仕えていた時代から大掛かりで長期になる内政主命で現場に赴くとき、部下たちに家族も連れて来させたと思う! 家族を離れ離れにしないためだ! 妻と子に寂しい思いをさせないためだ! お前らまったくその事が分かっていない! お前たちは独身気分を楽しみたいため妻子を呼ばず放っておいている! 言語道断だ! いいか! お前たちが家族を呼ばない限りオレは何度でも家をぶち壊すぞ!」
 忍びたちは怒鳴りこんできて、逆に怒鳴られてしまった。一人で三十人の兵に匹敵すると言われている藤林の忍びたちも明家の剣幕に圧倒され首を縮め、やがて妻子を呼び寄せた。忍びたちは自分たち部下の家族も大切に思ってくれる主君の優しさに感動したのだった。

 藤林家は大名となったが、柴田家の忍びと云う姿勢は変えなかった。諜報の世界で暗躍し、戦場では常に明家の側にあった。
“大名になり、忍びとしての技量が縮小する事もありえた。かなり危険な登用である”と後の歴史家は言っているが、それで縮小する忍びの技ならば、しょせん本物ではなかったと云う事である。藤林忍びの力量が何ら衰えなかったのは、この後の柴田明家の活躍で分かる事なのだ。
 藤林の忍びは水沢隆家の時代から敵地の内情を探る事や破壊工作をするに長け、明家が主君となっても諜報活動に秀でて明家を助けた。近年に発見された資料では、藤林の忍びが身体能力に優れた諜報集団と戦闘集団という面の他に、優れた動植物知識や化学知識を持つ技術者集団としての一面も持つ事が判明している。今日的な言い方をすれば、まさに明家を支えたプロ集団と言えるだろう。
 明家が藤林家を大名にしたのは、その活躍の褒美と同時に、ある程度のチカラを持ってもらう必要があったからかもしれない。忍びのチカラを恐れる君主には出来ない人事だが、それほどに若き日から自分を支えて助けてくれた藤林忍びを信頼し重く見ていたのだろう。そして初代とも云える銅蔵はそれに応え、大名となっても陰日向に明家を支え続けたのである。銅蔵を見出した明家の養父隆家も冥府から藤林と明家の絆を見て微笑んでいるだろう。

 若狭水軍は佐久間家が退去後の加賀西部に入り、海沿いに大掛かりな水塞を作る事が許された。軍港も整備し、造船所も建設。かつて日本海最弱の若狭水軍が最強の水軍となった。本拠地が加賀に移ったため、若狭水軍と云う名を捨てて、正式に頭領の名字を取り松浪水軍と名前も変えた。城は小松城をいったん居城としたが、小松城は当主明家が勝家の指示で泣く泣く敵兵を皆殺しにした地で、明家があまり好まない城である。
 頭領の庄三は、そのおりの犠牲者に対して明家に代わり葬儀を行い、慰霊碑を作り、そのうえで小松城を破却した。明家への配慮もあるが海に遠いのだ。新たに建てた城の名は安宅城。あの源義経と武蔵坊弁慶の勧進帳の舞台、安宅の関所の跡地である。日本海に面し、水塞と軍港にも連結した、まさに海の城である。
 君主明家が視察のために安宅の地に訪れたのはそんな時だった。敦賀から船でやってきた。庄三は明家一行を出迎えた。そして松波家の造船所に案内された。その道中の軍港と水塞には松波家の家臣たちが膝を屈し、明家に控えて整然と並ぶ。統率の取れた証である。明家はそういうところも見逃さない。さすがは龍興様と思いながら松浪家臣団の前を歩いた。そして造船所に到着した。
「見事だ庄三殿」
「恐悦に存ずる」
「鉄甲船も作れそうですね」
「はい、殿より注文がござればお造りいたそう」
「軍港と水塞の作りもとくと見させていただきました。よき仕事にございます」
「ありがたき幸せに存ずる」
「ここはそのまま柴田の日本海の要所となりまする。頼りにしております。これからは海の世ですから!」
「その通りにございます。我ら身なりは柴田家臣として立派になりましたが、気持ちは変わっておりませぬ。我らは海の男にございます。高禄を食んだから脆弱になったと思われてはかないませぬゆえ、日々海の技の研鑽に余念ござらぬ。殿の作られる新時代は海の時代でもございます。日本海は安心してお任せを」
「うん」
 しばらくして港を二人で歩く明家と庄三。
「太平洋の方は九鬼殿が上手く務めているようでございますな」
「はい、日本海は松浪、琵琶湖は堅田、太平洋は九鬼、柴田の交易船は安心して海を渡れ、商人司の者たちは仕事に集中できています」
「いえ、それに伴い利を得られるのはこちらも同じにございます」
「ははは、ところで庄三殿、ご息女の那美殿が稲葉家から婿を迎えたそうにございますね」
「いかにも、一人娘ゆえ婿養子を取るしかなかったので」
「…それを聞いた時、養父もあの世で喜んでいるだろうと思いました。斉藤と稲葉が再び一緒になったのでございますから」
「それがしも殿のご養父君に報告いたしました」
「婿はどのような若者なのですか?」
「稲葉貞通殿の三男の和通殿でございます」
「失礼だが聞かぬ名です」
「貞通殿が下女にお手つきして生まれた子にございまして、かなり野放図に育ったようにございます。賤ヶ岳では初陣にも関わらず武勲を立て、それにより貞通殿の嫡子の典通殿と和通殿が上手くいっていないと云う事を聞きましてな。ならば当家の婿にくれと要望した次第です」
「なるほど」
「まだ若いゆえ、海の大将としての知識の吸収も早い。それがしが安心して陸(おか)に上がれる事も(隠居する)遠くはないでしょう」
「まだ隠居してもらっては困りますよ庄三殿」
「ははは、そういえば吉村直賢殿のご嫡男の幾弥殿、父上と違い商将の道を歩まないとか」
「はい、元々そういう約束でした。直賢は幼年のおりから肉体的にそうだったのか体を鍛えても武人としての体が作れなかったそうで、分をふまえて算術を磨き、今日に至る才覚を得ています。それゆえに戦場の武将に憧憬が強く、九頭竜川の資金調達の褒美と望んだのが嫡子幾弥の武将取立てだったのです」
「なるほど」
「父の勝家が約束し、それがしが幾弥に厳しい師をつけて養育させました。それでまあ一角の武将に長じまして、先日に元服しそれがしの旧名から一字を与え直隆と名乗らせ、直賢の要望で初代吉村家を立ち上げさせ召し抱えました」
「初代?」
「はい、直賢は商人司を世襲と考えておらず、次代は部下を選び、それがしに薦めるつもりのようです」
「なるほど、老後は息子に従い、奥方と悠々自適に……でござるか。直賢殿らしい処世にござるな」
「そういう事を述べてくると云う事は直賢がもうそろそろ隠居するつもりでいる事。まだ五十前なので本来なら止めるのでしょうが、直賢は身障者の身。クチに出さずとも今まで体にキツい事が多々あったのでございましょう。ゆえに止める事はできません。彼は今まで本当によくやってくれたと思います。隠居後も手厚く遇するつもりです」
「殿」
「はい」
「老臣と功臣が一線を退いてからの厚遇は、何よりの君臣融和に繋がると存じます。天下を取ったはいいが、漢の劉邦や明の朱元璋のように天下統一後に人格が変わり、功臣と老臣を大虐殺するような君主に部下はむろん、民もついてはまいりません。もし斉藤龍興として意見を述べて良いのでござれば、御身が滅する時まで、直賢殿に思われた事を忘れてはならぬと云う事を申し上げさせてもらいます」
 ニコリと明家は笑った。
「変わりませんよ龍興様、変わったら最愛の妻に嫌われますので」
「あっははは! それもよろしかろうと」
 加賀の軍港の空をカモメが気持ち良さそうに飛んでいく。二人は微笑を浮かべそれを見つめるのであった。


第八章『細川ガラシャ』に続く。