天地燃ゆ−完結編−

第六章『ネコとタヌキ』


 服部半蔵は部下数名を連れて、柴田陣から出た早馬を追った。一人で三十人の兵に匹敵すると云われる藤林の忍者。追跡にも緊張が走る。だが、いざ追いついてみると馬に乗っていた男は半蔵たちに驚いて、攻撃をする前に勝手に落馬してしまった。
「いて! お前ら何すんだ!」
 半蔵は拍子抜けしたが、そのまま組み敷いて男のフトコロから書を抜き取った。
「ああ! 何すんだソレ返せ!」
「敵の密書を掴んでハイそうですかと返せるか」
「そんなモン読んだって徳川に何の得もねえぞ!」
「密書を運ぶ者はみんなそう言うのだ」
 早馬の男は泣き出した。
「ああ……オラはクビになっちまう……」
「お前……忍者でもなければ武士でもないな?」
「んだヨ、オラはお殿様が大殿様に仕えていた頃からこのお役目を与えられている越前の百姓で二毛作と云うモンだ。オラの特技は馬っこを早く走らせる事だけだ。だからいくさ場から書を預かり、お城までの早馬のお役目をお殿様にもらっているだ。今まで書を取られた事なかったのに……クビになったら、このお役目のお手当てがもらえねえ。ウチの田畑だけじゃおっ母とカカアとガキ六人を食わせられねえ、だから返せ」
「とぼけた事を申すな。密使とは申せ百姓なら命は取らない。それだけでもありがたいと思え!」
「じゃあせめて読み終わったら返してくれよ! お願いだ!」
「そんな事はオレの一存では決められぬ」
「クビになって飢え死にしたらオメエを呪い殺すだ」
「……オイそのうるさいの捕らえて連れて来い」
「「ははっ」」
 半蔵は明家の書を持ち、
(しかしずいぶんと厚い書だな……)
 と思いながら、徳川陣に戻り封を開けないまま家康に差し出した。
「殿、柴田美濃の密書が手に入りました!」
「でかした半蔵! 見せよ!」
 手に取る家康。
「何じゃずいぶんと分厚いのう」
「はあ……」
「どれどれ、どんな悪巧みをしておる美濃め」
 家臣たちが見守る中、家康は明家の書を読んだ。家臣たちは家康の顔を見つめる。家康の顔がどんどん赤くなってきた。よほど腹の立つ事が書かれているのかと思う。
「なんとまあ……」
「どうされた殿」
 と、本多正信。
「半蔵……」
「はい」
「これは美濃が女房たちに宛てた恋文じゃ」
「はあ?」
 恋文は四通あった。さえ宛て、すず宛て、月姫宛て、虎姫宛てである。やはり正室さえへの文章量が一番多い。側室たちの三倍近い。会いたい、抱きたい、お前の乳が恋しい、太ももが恋しい、クチを吸いたいとか恥ずかしげもなく書いている。他の徳川諸将も読んでいて恥ずかしくなり、とうてい最後まで読めなかった。
「何を考えているのだ美濃は」
 と、言いつつ笑いを堪えている本多正信。
「確か美濃は二十四、そりゃあ“したい”盛りだからなァ。正室も側室も美女揃いと聞く。抱きたくてたまらんのだな、あっははは!」
「わ、笑い事ではございませぬ平八(忠勝)殿、これが国許への何かの暗号文ならいかに」
 そう言いながら、目から涙流して笑っている石川数正。
「いや数正、それはあるまい。暗号文にしては読むのに耐えぬほどの恥ずかしさじゃ」
 家康は苦笑しながら元通りに書を折り畳んだ。
「しかしまれに見る達筆じゃな。筆不精のワシとはえらい違いじゃ、半蔵」
「はっ」
「恋文に用はない。その早馬の男に書を返し、そして詫びとして路銀を渡して解き放ってやれ」
「はっ……」
(人騒がせな美濃め! 大手柄と思えばとんだ赤っ恥だ)
 半蔵は二毛作に文を元通りにして返した。二毛作は文を無事に安土へと送り届け、妻たちは明家の文を胸ときめかせながら読み、そして返事を書いて二毛作に渡す。妻たちからの返事を持って柴田陣に戻り、二毛作は首を長くして待っている明家に返事を渡す。妻たちからの文を至福の表情で読む明家。さえからの文に至っては頬擦りまでしている。一緒にいる小姓たちは笑いを堪えるのに必死だ。
 しばらくして二毛作が徳川に一度捕まった事を正直に報告した。
「申し訳ねえだす」
「参ったな……。徳川殿にオレが妻たちに発した恋文読まれちゃったか……」
「へえ、元通りにして返してくれましたが……」
「なるほど、恋文には用はないよな、あっははは」
「お殿様、クビだけは勘弁して下せえ!」
「隠していたのなら罰したかもしれないが、正直に報告したのだからいい。また妻たちに文を書くので呼ぶまで下がっていよ」
「へい!」
 二毛作が去った後、徳川陣をチラと見た明家。
(普通の将なら、陣中から妻たちに恋文を出しているオレに油断して何らかの手を講じるはず。しかし何もしてこない。三方ヶ原の合戦以後は慎重居士と言われるほどに石橋を叩いて渡る用心深さと聞いたが、なるほどその通りらしい。今ごろ『こういう戦は先に動いたら負け、動かざること山の如しだ』とでも申しているのかもしれませんな。しかし、それがそれがしの付け目にございますよ徳川殿、柴田はこの戦、勝つ必要はないのでござるゆえ。ただ負けなければ良いのです)

「今日も睨み合い、睨み合いの毎日じゃ」
 織田信雄が陣に作った砦で柴田陣を見つめグチる。
「信雄殿、戦に勝つには忍耐にござる」
 家康が諭す。
「美濃は今まで負け戦を知らぬ武将、油断してはなりませんぞ」
「そんなもの運が良かっただけよ! ワシはあやつが気に入らん」
「向こうもそう思っておりましょう」
「家康殿、今何か?」
「いや別に……」
(美濃が不敗を運が良いで済ませるか……。やはりこやつは阿呆よ。美濃がこやつくらい阿呆なら苦労はせんのにのォ。うまくいかんわ)

 越後春日山城、当主景勝の元に直江兼続からの書が届いていた。
「以前睨み合いか……。これは先に動いたら負けるな……」
 書を畳む景勝。そこへ使い番が来た。
「申し上げます」
「うむ」
「新発田重家、春日山が支城の笹岡城に迫るとの事」
「城主の山浦国清に伝えよ」
「はっ」
「挑発に乗らず、守備を固めよ、とな」
「ははっ」
「重家めが……美濃殿勝利の後に一挙に滅ぼしてくれるわ!」

 信濃上田城、真田昌幸は北条勢の侵攻に備えて動けなかった。
「ワシらを足止めするためとは申せ……北条も手抜かりはないの。上田を動けん」
 城主の間で息子の信幸と碁を打つ昌幸。
「幸村にはワシらの分まで犬山で手柄を立ててもらいたいものじゃのォ」
「あいつには真田の精鋭がついておりますし、佐助とお江も共におります。新婚早々手柄なしでは屋敷に帰られませぬゆえ、きっと踏ん張り我らの分まで功名を立てましょう」
「信幸、犬山の戦が柴田勝利で終わり、北条が引き返したら追撃するぞ」
「父上」
「ワシらを足止めしてくれた礼は返さぬといかんからな。少しばかり北条の領地かすめとってくれようぞ」
「はっ」

 柴田本陣、ここで柴田明家は直江兼続と将棋を指していた。
「徳川殿、動きませんな」
 と、直江兼続。
「動くはずがないさ。しかし信雄様がもういいかげん痺れを切らしているらしい」
「あっははは、おそらくは徳川殿を『待ってばかりのつまらぬ男め』とか考えているかもしれないですな」
「だがそれもそろそろ終わる」
「ではいよいよ……?」
「うん……。幽斎殿から成功の報が昨日届いたゆえな。後方の備えは?」
「手はずどおり整えておきました。それにしても……ふふ……」
「何だよ?」
「悪くなったものだな竜之介」
「お互い様だろ」
「あはは、はい王手」
「あっ!」
「これで手前の四十六勝無敗三引き分けですな」
「くう〜ッ! く、悔しい!」

 一方、真田幸村。裏町に作られた遊郭で女を抱いた後に風呂で汗を流し、その後に自陣に戻っていた。
「ああ……。茶々に会いたいなあ……」
 遊郭で女を抱いた後なのによく言えるものだと、幸村についているお江と佐助は思った。
「奥方様に密告しようかな」
「冗談じゃないぞ佐助! だいたいお前だって昨日に裏町で女を抱いたくせに!」
「オイラは独り者だからいいの」
「……とにかく密告したら承知しないからな!」
「ところで若殿」
「なんだお江」
「さっきから何を書いているのです?」
「ん? 茶々への手紙」
 陣中から妻への恋文に書く幸村。
「ああもう、上手く書けないな」
 失敗作を丸めて捨てる。
「あーあー、こんな散らかして紙もタダじゃないのですよ若殿」
「うるさいなお江……あ!」
 失敗作の恋文を広げて笑っているお江。
「こら人の恋文を読むなよ!」
「『安土の方角に毎日口づけをしている』だって! あーははははッ!」
「うるさいあっち行け!」
 顔を真っ赤にしている幸村。
「ああもう早くいくさにならんかな!」

 そして数日、まだ睨み合いを続ける徳川軍と柴田軍。そこへ……。
「も、も、申し上げます!」
 徳川家康の元に血相を変えた使い番が来た。
「どうした?」
「み、み、み…!」
「『み』じゃ分からん」
「帝の! て、天皇陛下のご使者! 勅使にございます!」
「な……!」
 それを聞いて家康は柴田陣を見た。
「やられた! 美濃はこれを待っていたのか!」
 時を同じくして柴田陣にも勅使が訪れた。
「勅命である」
「「ハハーッ」」
 柴田全軍の将兵が勅使に平伏した。
「この国の民はいくさに飽いている。双方、矛を収めて国許へ帰還せよ」
「「ハハーッ」」
 平伏しながら微笑を浮かべる柴田明家。反して家康は……
「よろしいな、これは勅命である」
「ハ、ハハーッ!」
 歯軋りをして拳を握った。
(こういう事か美濃が……! 余裕が分かったわ、キサマは時間稼ぎだけしていれば良かったのだからな!)
 天皇自ら書いた和議の勅書を家康に向けて見せる勅使。これが柴田明家の首を取れる寸前での事なら家康は無視していただろう。しかし長期にわたる睨み合いが続いている状態では無視のしようもない。しかも見方によっては徳川家が二度と柴田家に合戦を仕掛けてはいけないと云う事とも取れる。
 そして分かった。柴田明家は自分より十八歳年上の我が身の死を待っているのだと。明家は今二十四歳、家康は四十二歳。人間五十年と言われた時代。謙信は四十八歳、信玄は五十一歳で没しているように、いかに健康に気をつけていても明日の運命は分からない。それは柴田明家も同じだが十八歳の年齢差は絶望的である。自分が死んだ後に徳川は柴田に食われる。その最悪の予想図が脳裏に浮かぶ。
 家康は明家を警戒しているが明家はそれ以上の尺度で家康を恐れていた。何より三河武士団の強さを恐れていた。三方ヶ原の合戦のあと、武田信玄が三河武士団をこう評している。
『徳川軍の屍を見たか。武田軍に向かった者は皆うつぶせに、浜松城に向いて倒れている者は家康を逃がすために盾となり皆仰向けで倒れている。いずれも討ち死に……。さすが三河武士は剛の者揃いじゃ』
 この武田信玄の三河武士評を明家は少年時代に甲斐にいた時、快川和尚から伝え聞いている。いかに多勢でも家康率いる三河武士団とは戦いたくなかったのである。戦ったら両虎相打つのように勝っても無事では済まないと知っていた。だから戦いを避けて朝廷工作を石田三成、細川幽斎、吉村直賢に下命したのだ。家康相手では大軍でも勝利は難しい。ならば戦わなければ良い。徳川と戦うとしても家康死後ならば勝てる。今は恐ろしい三河武士団も家康あればこそ求心力もあり強い。しかし死後はそれを失いチカラは半減する。
 姉川の合戦では織田軍勝利の立役者となり、武田信玄にも逃げずに立ち向かい、倒されても立ち上がった家康。そしてそれを支える三河武士団。家康にとってはこの栄光が逆にアダとなったとしか言えない。明家は徹底的に戦闘状態に入る事を避けた。今まで情けない経歴しかなければ、迷う事無く明家は小牧山を攻めただろう。
 本多正信は無念に目を閉じた。いかに敵の総大将が智慧美濃と呼ばれる男で、その参謀に黒田官兵衛がついていても、徳川に負けない戦をさせる謀り事はできると自負していた。しかし本多正信がどんな緻密な将棋を指して明家と云う王将を追い詰めても、柴田明家はその将棋盤ごとひっくり返してしまった。さしもの正信も策の巡りようがない。
(殿……)
 勅使に平伏しながら悔しさを顔いっぱいに見せる家康。家康には柴田明家の高笑いが聞こえてきそうだった。
(おのれ美濃があッ!)
 歯軋りしてもあとの祭り、天皇には逆らえないのである。この後、勅使二名立会いのもとに柴田明家と徳川家康が対面。武田攻めの帰途以来であった。明家は終始ニコニコしていた。家康も腹に一物あれども仕方ない。笑顔を見せて互いの領地に侵攻しないと云う約定を交わした。これは和睦である。陣に戻り家康は全軍に陣払いを下知。だが織田信雄は反対した。
「このまま手打ちで良いのでござるか! あの勅使は柴田の朝廷工作によるもの明白ですぞ!」
「たとえそうでも……一天万乗の帝のお言葉には逆らえぬ……。撤退にございます」
「徳川殿……!」
 悔しさのあまり地団駄を踏む信雄。柴田との友好の盟約を一方的に破棄したのは信雄。徳川にそそのかされたなんて言い訳が通じるほど柴田明家はおめでたい男ではない。このまま領地に引き返しては、いつ柴田に攻めこまれるか。
 しかしどうする事もできない。徳川軍は浜松に引き揚げだした。信雄もあきらめて帰途の準備を始めた。その時だった。信雄の陣に驚くべき報告が入ってきた。
「柴田美濃守、軍勢の最後尾で撤退!」
 この知らせに手を打って喜んだ信雄。
「バカが! 手打ちと見て油断したか! 柴田美濃守を追撃じゃあ!」
 帝の仲裁を無視する信雄に当然反対する家臣はいたが信雄は聞く耳持たない。
「これが千載一遇の好機! 天下人になるか謀反人になるかじゃ! ここで柴田美濃守を討てば、みな大名にしてやるぞ!」
 これでも反対した者を信雄は斬った。
「ワシの天下取りを邪魔するヤツはこうじゃ! 今美濃守は軍勢の最後尾にいる! 誰でも討てる! 柴田に盗まれた織田の天下を取り戻すのだ!」
 その言葉を聞き、ニヤリと笑う者。明家の最後尾撤退を知らせた信雄の使い番に化けた六郎だった。

「申し上げます! 織田信雄様、我が軍勢を追撃!」
 知らせを聞くと柴田明家はクルリと軍勢を返した。すでに柴田軍は美濃国に入っていた。不可侵の盟約を信雄は反故にしたのである。
「返せ!」
 その指示が出ると柴田勢はすぐにとって返した。平野部、柴田勢は六万、信雄の軍勢は二万、信雄は柴田軍がすでに陣形を整えているのを見て愕然とした。
「謀ったか……! 美濃め!」
「信雄様、投了にございます」
 直江兼続が事前に戦場を想定し、各々の配置も戦場に標しを置いていたのだ。よってすぐに六万の柴田軍が布陣された。柴田明家が軍配を掲げ、降ろした。
「かかれェーッ!!」
 柴田軍は一斉に織田信雄軍に襲い掛かった。その知らせは家康の耳に届いた。
「バカな……! いかに阿呆とはいえ……そんな見え見えの罠にはまるとは!」
 そしてハッと気付く。
「しまった……! 美濃が狙いは最初から信雄じゃ! 畿内の伊賀と北伊勢を完全に柴田に併呑するために……! 主筋の信雄を公然と討ち取れる大義名分を得るために……! あの小僧ワシが仕掛けたいくさを逆用しよった!」
 賤ヶ岳で一瞬に柴田勢に蹴散らされた信雄の軍勢はやはりこの合戦でもモロかった。明家は信雄追撃を聞き、すぐに軍勢を返し魚鱗の陣を構えた。信雄追撃は計算通りだった。直江と真田が先行して突撃し、柴田軍の軍勢が第二陣として突撃。奇襲のつもりが待ち構えられていた信雄勢はひとたまりもない。アッと云う間に粉砕され、そして織田信雄は捕らえられた。
「捕らえたか……」
 本陣で報告を聞いた柴田明家。
「うまくいったようですな官兵衛殿」
「御意」
 この明家最後尾作戦の立案者は黒田官兵衛である。
「しかし正直、この案を入れて下された時は驚きました。主筋を謀略にはめて討つ事にございますれば、拒絶されるとばかり」
「以前に比べて甘さがないと?」
「はっ」
「以前は……柴田家家臣の水沢隆広だったからでござる」
「え?」
「今のオレは柴田家当主の柴田明家です」
「なるほど、覚悟が違うという事ですな」
「だが……」
「だが?」
「亡き大殿(信長)のように……無抵抗の女子供を殺すような事はそれがしには出来ない」
「大殿は大殿、殿は殿のやりようで戦をなされよ。そして無抵抗な女子供が殺されるような悲劇を繰り返さなくするために殿は働かなくてはなりませぬ。戦をない世を作るために」
「ありがとう、それに励むつもりです。ところで官兵衛殿、この戦いがそこもとの嫡男長政の初陣でありましたが……」
「長政が何か?」
「先頭を駆けて兜首を四つも上げ、かつ兵も薙ぎ倒したと云う報告が入りました」
「…………」
「黒田家臣は大喜びで若殿長政を讃えたと聞き及んでいます」
「は……」
「今回の働きを当主の執るべき事と思われては困ります。誤った事を是として褒められては後々に命取りとなる。長政は亡き義兄竹中半兵衛が大殿の命令を無視してまで助けた者。義弟のそれがしは長政が誤った道に進むのを黙って見ているわけにはいきませぬ。それがしも手取川と安土、賤ヶ岳で同じ事をしているゆえ言える立場ではないですが忠告はできる。改めさせて下さい」
「承知しました」
「お、信雄様が来たようです」
 兵に捕らわれ、腕は縛られ、そして柴田明家の前に座らされた。
「おのれ美濃……!」
「…………」
「謀反人めが!」
「謀反人は信雄様にございましょう。帝の勅命に背きましてございます」
「あの勅使はまぎれもなく勅使であろうが裏で絵図を描いたのはキサマであろうが! 帝を利用したキサマこそ大謀反人!!」
「たとえそうでも帝の勅命を無視した信雄様は朝敵、かつて織田家に仕えたそれがしのせめてもの手向け」
 明家は信雄に歩み白扇を差し出した。『腹を切れ』と云う意味だ。
「ふん……。父の信長に手篭めにされかけたのをよほど怨んでいるようだな美濃。織田家がそんなに憎いか」
「慮外者!」
 大野治長が刀を抜いた。明家はそれを静かに制した。
「……信雄様、今のあなたが敗者としての立場に至ったのは、その分別の無さゆえです」
 明家は信雄の前に脇差を置き床几に戻った。
「綱を解け」
「はっ」
 兵が綱を切った。
「さあ、織田信長の息子ならば潔く腹を召しませ!」
 脇差を握る信雄。悔し涙を浮かべて明家を睨む。
「キサマには分かるまい……。父の信長には勘当とさえ言われ、家臣たちには無能者、阿呆と呼ばれ……智慧美濃などと言われているキサマになぞオレが今まで味わった屈辱など分かるまい……!」
「…………」
「この戦こそ……無能よ阿呆と呼ばれ続けたオレが運に助けられて成りあがったキサマを討つ好機だった……! 無念……! 無念だ!」
 織田信雄は腹を切った。
「あの世から見ているぞ……! キサマがどんな世を作るのか……! どんな国を作るのか! この目で見てやるぞ……!」
 信雄の首は介錯されて地に落ちた。
「……信雄様、貴方の悲劇は貴方が無能でも阿呆だったからじゃない。織田信長の息子として生まれた事が……悲劇であったのでございます。官兵衛殿」
「はっ」
「首はさらさずとも良い。遺体と共に家族に届けてやるがいい。丁重にお頼み申す」
「承知いたしました」
「安土に引き揚げるぞ!」
「「ハハッ!」」
 朝廷を介しての和睦の知らせを聞いた奥村、前田、蒲生の軍勢も軍を退いた。やはり毛利、宇喜多、長宗我部は何の軍事行動も示さなかった。敵影を見る事もなく終わった戦だった。
 織田信雄との戦いが初陣だった黒田長政は兜首四つも取る大活躍であったが、その後に父の黒田官兵衛に激しく叱責された。
「タワケが! 大将たる者のする事ではない! 大将がやられたら兵はどうする! はては一人息子のお前が死ねば黒田家はどうなるのだ。お前の所業は匹夫の勇と云うものだ。二度とするな!」
 と、こってりアブラを絞られた。長政も聡明な人物、父の愛情を知り二度と分別なきふるまいはしないと父に約束した。

 浜松までの道中、織田信雄敗れ斬首されるの報は家康の耳に届いた。
「さもあろうの……」
 家康が信雄の敗北と死について発したのはこれだけだった。あとは無言で馬を進めた。
「殿……。我らは美濃に対する事ができなくなり申した……。戦う事さえ許されぬとは!」
 悔しさを顔一杯に表す本多正信。
「陣中から女房に恋文を送るような軟弱者に屈する事などできませぬ!」
「そうがなるな、戦う事も許されないと言うのは早計ぞ弥八郎(正信)」
「は?」
「まあワシとて一時、柴田と戦う事さえ許されないのかと狼狽したが、少し頭を冷やすと必ずしもそうではない。朝廷と云うものは次から次へと立場を変える。源平の後白河法皇が良い例よ。平氏、木曽義仲、義経、頼朝とコロコロ立場を変えていよう。今の正親町天皇も似たようなもんであろう。
 まあ今の朝廷は織田殿のおかげで権威を回復できたと云う経緯があり、それを継承して朝廷を尊重し、威信の回復に尽力してくれる美濃の要望を了承したのであろうが先の勅使による和議、あれはこの戦に限ったものよ。美濃とて今回の勅命で徳川が完全に柴田と対する事をあきらめたと思うほどめでたくはあるまいが、隙あらばワシは再び美濃に挑むつもりじゃ。
 北条を今以上に手なづけ、他の関東諸将、奥州勢さえも味方に組み入れ、信濃を経て美濃の国に入る。この日本、東西に分かれての天下分け目の戦を仕掛ける。京に至るのは無理でも柴田のネコを再び野戦に引きずり込む事は可能じゃ。美濃はいずれ中国、四国、九州も支配に至るであろう。それに伴い動員兵数が二十万三十万になろうが、すぐに整えられる軍勢は五万か六万であろう。十分に戦いようはあるわ。ワシの寿命を待つ腹であろうが、そうはいかん。必ず同じ土俵に引きずり出してやるわ!」
「殿……」
「じゃがまだその西進をするには徳川はチカラ不足じゃ。弥八郎、北条の手なづけや関東諸将と奥州勢を味方につける方策はそちに任せる。ワシは領地の経営に専念し国力を高め、水面下で兵馬を整える。美濃との再戦のためにな」
「御意」
 家康は気持ちを切り替えた。目には闘志が宿る。勝ち戦しか知らず、しかも若い。必ず焦れて先に動くかと思えば、見事に六万の軍勢を統率し最後まで動かなかった。徳川家康は柴田明家こそ生涯最大の敵とこの瞬間に認めたのである。西の化け猫と東の古狸、両雄並び立たず。勝つのはどちらか。

 一方、柴田明家は織田信雄の家臣たちに無体な仕打ちはせず、このまま柴田家に尽くすなら今までどおりの役職を与えると伝えた。しかし帝の勅命に背いたのはやはり厳罰とし、織田信雄の家は断絶としたのだ。信雄の家臣たちは離散のうえ異動され、各々の柴田武将の配下へと配属されたのだった。元々信雄は家臣たちの信頼も薄かったので、幸か不幸か、内乱は発生しなかった。お家断絶とはしたが、信雄の幼い子らは柴田家が引き取り、男子は長じて仏門へと入れられ、女子は柴田家臣へと嫁ぐ事となる。
 信州の上田から北条勢は後退、すかさず真田勢は追撃を開始。昌幸の軍略と精強の真田兵に北条は追い払われたあげく、勢いに乗じた真田に千石単位の領地をむざむざ献上するはめとなってしまった。
 越後で内乱を起こしていた新発田重家も徳川の後ろ盾がなくなり、やがて上杉軍に攻め込まれた。兼続不在とはいえ、さすがは上杉景勝。士気の衰えた新発田勢をまたたく間に駆逐し、新発田重家を自刃に追いやったのだ。
 信雄の旧領である伊賀と北伊勢も功臣に分け与え統治を命じた。可児才蔵が長浜城主から伊賀国主となり、当主不在の佐久間家と丹羽長重を北伊勢に異動。この時点で近江、摂津、和泉、河内、そして紀州が柴田明家の天領となっている。明家が大坂に城を作ると下命したのはこの時期と言われている。

「いよいよ畿内を支配下に置いたか」
「はい」
 ここは琵琶湖の浮き城の庄養館、柴田勝家とお市の隠居館である。ここに明家は訪れ茶室で父勝家の点てた茶を飲んでいた。
「信雄様は……哀れであったの」
「…………」
 勝家はそれ以上は言わなかった。柴田との友誼を自ら断ち切り挑んできたのは信雄自身。勝家が明家の立場なら、やはり討つしかなかったであろう。
「大坂に城を作ると聞いたが何故じゃ」
「交通の要所にして、海の交易がしやすくなりまする。亡き大殿(信長)も石山本願寺の跡地に壮大な城を作ろうとしていたとの事。安土は元々天下の政庁と云う意味もございましたが、軍事的には地理を見ますに上杉謙信公の上洛に備えてのものと考えられます。今はその上杉も当家に従属しておりますれば、軍事的には用を成してはいません。毛利、長宗我部、島津との戦いも視野に置きますと、やはり大坂の地に城が欲しいと考えた次第です」
「なるほどのう、まず西か」
「はい、それゆえ徳川との戦いで将兵を損ないたくなかった次第です」
「宇喜多はどうか?」
「宇喜多には調略を向けております。重臣の花房職秀がすでにこちらに味方についております」
「当主の八郎(後の宇喜多秀家)は確かまだ十二歳であったな」
「はい、若君を厚遇してくれるなら、と云う事で宇喜多は味方に付きつつあります」
「それが終えたら長宗我部か」
「いえ大坂の築城もございますし、何かと金がかさみます。領地も人口も増えて目が行き届かない事も多いので、しばらくは内政に励もうと思います」
「そうか、己が領内にクサビを打ち、初めて外征は出来るもの。しっかり務めよ」
「はい!」


第七章『忍びの持ちたる国』に続く。