数学者が達成した「イノヴェイションの数理モデル化」と「ポリアの壺」
イタリアの物理学者たちのチームが、イノヴェイションのダイナミクスを数学的に研究した。この研究によって、「新しいアイデアがなぜ、どのようにして生まれるか」が解明されるかもしれない。
TEXT BY MARTA MUSSO
TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI
WIRED(IT)
イノヴェイションは、この世界を牽引する力だ。新しいアイデアが絶え間なく創出され、それが製品やテクノロジーとして出現することは、わたしたちの社会にとって強力な要素となる。
しかし、そのプロセスは謎のままだ。何年も前から、世界中のさまざまな研究者たち──そのなかには経済学者や人類学者、生物学者、進化工学者たちが含まれる──が、イノヴェイションがどのように起こるか、あるいはイノヴェイションを決定づける要因が何なのかを解明しようと試みてきた。しかしながら、それらモデルのいずれも、イノヴェイションを支配するプロセスを説明できてはいなかった。
もっとも、それも今日までは、だ。物理学者でローマ・ラ・サピエンツァ大学准教授のヴィットーリオ・ロレート率いる研究者チームが、イノヴェイションと創造性のダイナミクスを記述する最初の数理モデルをつくり出すことに成功した。1月13日(現地時間)には、この研究がArXivのサーヴァーに公開された。
そもそもイノヴェイションが現実と可能性の相互作用から生まれるというアイデアは、ステュアート・カウフマンによって最初に理論化された。2002年、カウフマンは「隣接可能性」という概念を導入した。これは、いわば“実際に存在するものに非常に近いけれど、まだ探求されていないアイデアや言葉、歌、分子、ゲノム、テクノロジーなどの総体”を指す。これは、モデル化が困難な抽象的概念だ(探求されていない可能性の空間には、簡単に想像できる概念も、完全に予測不能で想像が困難な要素も含まれるからだ)。さらに、どのイノヴェイションも未来の可能性の枠組みを変化させるため、その瞬間ごとに、探求されていない可能性の空間、そして隣接する可能性は、絶えず変化する。
ロレートは、次のように説明する。「よく知られているように、進化は一足飛びに進むのではありません。自然は(そしてテクノロジーも)、すでに手中にある材料を用い、その組み替えを通してイノヴェイションを起こそうとします。それゆえ、イノヴェイションは、“空間の探求”として表現することができます。この空間は生物学的であったり物理的であったり、あるいは概念的なものでもありえるのですが、この空間は、探求されるごとに広がっていき、新しい要素とともに変化していきます」
今回、イタリアの研究者たちがつくり出したのは、このダイナミクスの数学的特徴を提示するモデルだ。
彼らはまず、「ポリアの壺」といわれる、さまざまな色のボールの入った箱を用いた。ボールがランダムに取り出されたら、同じ色のほかのボール複数個とともに箱に戻される。こうすると、今後、この色が選ばれる確率は上がる。
これは、数学者たちが冪乗則(べきじょうそく:確率分布でよく出てくる)を研究するために用いるモデルだ。「このモデルでは、強化のメカニズム(たとえば、“金持ちがより金持ちになる”)、つまり、ある特定の色のボールが出る確率の増加を観察することができます。ただし、ここにイノヴェイションの要素は何もありません」
ロレートたちチームは、このポリアの壺に手を加えた。新しい色の発見が、まったく予期しない結果を引き起こす可能性を考慮に入れたのだ。「イノヴェイションの促進を伴うポリアの壺」と呼ばれるこのモデルでは、色のついたボールの入った壺が想定され、ボールはランダムに取り出され、再び壺に戻される(ここまでは、通常の「ポリアの壺」と同じだ)。ただし今回は、「取り出されたボールの色を基準に新しい色の(つまり、壺に入っていない色の)ボールを複数個、追加します。これが意味するのが『隣接可能性』です」
こうして彼らは、壺の中の新しい色の数、その頻度の分布、時間の経過に伴う変化を計算した。「Wikipediaのページが更新される動きから、オンラインミュージックのデータベースまで、わたしたちは利用できるあらゆるシステムを分析しました。新しいものが現れる頻度を測定する「ヒープスの法則」などの、統計的特性も観察しました」(ロレート)
ロレートは続ける。「『イノヴェイションの促進を伴うポリアの壺』のおかげで、わたしたちは初めて、経験的なデータに基づく法則を質的、量的に説明することに成功しました。この結果は、隣接可能性にはじまり、生物学的、言語学的、文化的、技術的発展の研究において重要となりうる出来事を引き起こす異質な性質を、より深く理解する出発点となるでしょう」
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