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道徳的動物日記

動物や倫理学やアメリカについて勉強したことのある人の日記です。

フランシス・フクヤマによる、民主主義の発達過程についての議論

歴史

 

Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalisation of Democracy

Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalisation of Democracy

 

 

 フランシス・フクヤマの著書『政治の起源と政治の腐敗:産業革命から民主主義のグローバル化』までの第27章「なぜ民主主義は広がったのか?(Why did Democracy Spread?)」の内容を要約してみた。

 

 世界における民主主義国家の数は、1970年にはおよそ35国だったのが2010年には約120国にまで増えた。サミュエル・ハンティントンが「民主化の第三の波」と呼んだ現象だ。2000年代には「第三の波」は後退したとの議論もあったが、2011年にはアラブ諸国民主化を求める運動が多発したのだから(「アラブの春」)、運動の成否は別としても、世界における民主化の波はまだ止まっていないと考える方が妥当であろう。

 

 民主主義の発達や拡大を説明する理論は数々存在するが、代表的なものの一つは、人間の平等や民主主義そのものといった「Idea (理念/概念)」が実体的な政治体制としての民主主義を生み出した、という理論だ。トクヴィルニーチェハイデガーなどの思想家はキリスト教に含まれている「全ての人間は平等な尊厳を持っている」という理念がアメリカやヨーロッパで民主主義を誕生させることにつながったと分析しているし、「第三の波」や「アラブの春」においては民主主義という概念が様々なメディアによって非民主主義国家にもたらされたこと運動が起こる要因の一つであったことも確かである。

 だが、理念や概念が民主主義をもたらすという理論には重大な問題がある。そもそも西洋ではキリスト教は2000年間に渡って存在してきたし、民主主義という概念そのものも古代のアテネから存在していたが、ヨーロッパ諸国が民主化するようになったのは18世紀になってからだ。理念や概念が民主主義をもたらすとしても、なぜある特定の時期に民主化が起こってそれまでは起こらなかったのか、ということが説明されなければならない。

 また、民主主義という概念が世界中に広まった後にも、他の地域に比べて民主化が(ほとんど)行われていない国というものも存在する。ハンティントンや中国政府やイスラム主義者はこの点を強調し、「リベラルな民主主義は普遍的な傾向なのではなく、西洋文明に独自の文化的な概念に過ぎない」と主張している訳である。

 

 民主主義の拡大を説明するもう一つの理論は、「民主主義は経済発展の副産物である」という理論だ。現在の世界における裕福な産業化国家の大半は民主主義国家であるし、権威主義国家の多くは貧困である。この事実は、民主主義と経済発展は必然的に結び付いてるということを示唆するかもしれない。

 だが、世界には例外も多く存在する。インドはいまだに経済があまり発展していないが民主主義国家であるし、シンガポールは経済が発展しているが民主主義ではない。そもそも"なぜ"経済発展すると民主主義になるかも曖昧だ。「経済発展 → 民主主義」という単純な因果関係を主張することは難しい。

 

 フクヤマが主張するのは、「経済発展は社会の流動化( Social Mobilization)をもたらし、社会の流動化は民主主義をもたらす」という理論である。アダム・スミスが論じたように、社会が工業化して経済が発展することは新たしい分業をもたらして分業そのものを拡大する。この新しい分業によって登場した新しい社会集団の政治的立場は旧来の政治的制度でが代表されないが、彼らは自分の政治的利害が反映されることを必然的に求めて政治体制を変える運動を起こす。これこそがリベラルな民主主義をもたらすのである。

 フクヤマカール・マルクスの理論やマルクス主義的分析を行うバリントン・ムーアの『独裁と民主政治の社会的起源』を参考にしながら、産業構造の変化が民主主義をもたらす過程を論じている*1。ムーアの主張は「ブルジョワなくして民主主義なし」というものであり、地主階級と小作農からなる旧来の秩序を解除することにブルジョワが成功した時に民主主義がもたらされる、と論じている。革命は産業化社会で起こるはずだと論じたマルクスの予測とは裏腹に、ロシアや中国などの前近代的な社会で共産主義革命が起こったのは、地主階級と小作農からなる旧来の秩序が解除されないままであったために労働者-小作農階級の不満と政治的力が爆発したからだ。他方で、産業化によってブルジョワ中産階級)が十分な政治的力を身につけた西洋では、自分たちの政治的立場を反映させたいと願う中産階級によって民主主義がもたらされた。つまり、地主階級と小作農(労働者)階級との力の差が極端な社会では権威主義が持続するか革命が起こって共産社会になるかのどちらかなのだが、二つの階級の間の中産階級が力を付ければ民主主義社会になる、ということである。

 ただし、『独裁と民主政治の社会的起源』は1966年に発表されたものなので、発表以後には様々な批判も行われている。一口にブルジョワと言っても商店主や医者や弁護士などの専門職らといったプチ・ブルジョワとロックフェラーのような大富豪とを同じ政治グループに含めて考えることには無理があるし、実際に統一された政治グループとして機能してきた訳ではない。また、労働者階級も必ずしも共産革命を支持したわけではなく、リベラルな民主主義を支持してきた労働者組織も多く存在した。

 そして、リベラルな民主主義には「法の支配による、所有権や自由の保障」と「参政権の拡大による、平等な政治参加」の二つの要素があるのだが、人々は必ずしもこの両方の要素を支持してきた訳ではなく、片方を重視してもう片方を軽視してきた。例えば、フランス革命名誉革命を行った中産階級の人々が求めたのは参政権の拡大ではなく、国家の力を制限して自分たちの所有権と自由権を保障することだった。19世紀でイギリスの自由党を支持していたのは教育を受けた専門職の人々であったが、彼らが求めていたのは自分たちの財産の保護や事業や自由貿易の保障や公的サービスや教育の拡大などであり、万人の参政権を求めていた訳ではなかったのである。一方で、労働者階級たちは自分たちの政治的立場が反映されることを望んで参政権を求めたが、彼らは富の再分配も求めていたのであり、所有権の保護には消極的であった。

 だが、法の支配と参政権という二つの要素はやがて結び付いていった。恣意的な政治権力から財産を保護するためには参政権によって自分たちの政治的意見を反映して政治に影響を与えることが有効であるし、参政権は法の支配によって守られなければならない。こうして、中産階級も労働者階級も、法の支配と参政権を一つのパッケージにまとめた「リベラルな民主主義」を支持するようになったのである。

 

 中産階級の隆興が民主主義をもたらす、というムーアのマルクス主義的な分析は現代でも充分に通用するものだ、とフクヤマは論じる。これからの世界各国で民主化が起こるかどうかは、それらの国々において中産階級が他の社会的集団に比べてどれほどの強さを持っているかを見れば予測することができるのだ。

 労働者階級は場合によっては中産階級に協力してリベラルな民主主義を求めるかもしれないが、彼らは所有権や参政権よりも財の再分配の方を強く求めることが多いので、場合によっては共産主義ファシズムといった非民主的政治体制を支持する。地主階級は常に民主主義の阻害要因となる。小作農階級は縁故主義や利益誘導に釣られて保守政党権威主義体制を支持することもあれば、過激化して革命を起こすこともある。これらの各階級の力のバランスがどのようになっているかが、それぞれの国における政治体制を左右するのである。

 

 しかし、階級(class)を決定的な変数として扱うマルクス主義の理論には欠点もある。まず、マルクス主義の理論は、階級の政治的意志が反映される政治過程というものを軽視している。例えば現代ではメディアやSNSによって刺激された人々が政治的な行動を始めるとしても、その政治的な行動が持続的な影響を持つものとなるためには、組織化されたものとならなければならない。多くの場合には、それは政党を結成することにつながる。要するに、中産階級や労働者階級といったそれぞれの階級の政治的意志が反映されるためには、政党などによってその意志が組織的に代表されなければならないのだ(ただし、小作農階級は政党を結成できない場合も多く、彼らの政治的意志は保守政党などに吸収される場合もある)。

 さらに問題となるのは、政治的意志というものは階級でまとまって機能するとは限らず、宗教やエスニシティ外交政策などの別の要素によってまとまる場合もあるということだ。階級的な利害ではなく、アイデンティティや宗教や外交に関わる要素が政治を左右することは多い。政党は必ずしも支持層の階級的利害を反映する訳ではない。中国やロシアの小作農階級の多くは共産党を支持した過去があり、アメリカの労働者階級の多くは共和党を支持している訳だが、実際には共産党や共和党は小作農階級や労働者階級に多大な害をもたらしてきた。しかし、支持者たちは階級としての利害よりもイデオロギーや文化的な価値観に基づいて共産党や共和党を支持してきたのだ。

 また、政党という存在には自律的で変動的な部分もある。富裕層の支持で成立していた保守政党が、支持を拡大するために政治的アジェンダを変えて中産階級や労働者階級に接近する場合もある。大衆からの支持を得られないと判断した政権政党が非民主主義的な手段で政権を維持する場合もあるし、縁故主義や政治指導者のキャラクターやカリスマといった要素で支持を得る政党も存在する。

 

 上述のような変数があるとはいえ、基本的には、持続的な民主主義とは経済発展によってもたらされる社会的流動化によって登場した新たな社会的集団の政治参加が成功することによって成立するものである。また、社会流動化や資本主義の発展によって機会の平等の必要性が高まってくると、「人間の平等」という理念/概念が力を持ち、それが民主主義の発展に影響を与える場合もあるだろう。富裕層などであっても、人間の平等や民主主義という理念に賛同して、自分の階級的利害よりも中産階級や労働者たちの階級的利害をもたらす場合もある。要するに、基本的には「経済発展 → 社会流動化 → 民主主義」という流れなのだが、間には政党や理念などの別の要素も挟まるのである。

 フクヤマ自身の手による議論の図解は以下の通り。

 

 

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*1:『独裁と民主政治の社会的起源』についての参考サイト

バリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』 - 西東京日記 IN はてな