通っていたBarが閉店した。
「1年で360日は営業してるよ!」と自慢げに笑みを浮かべながらいつもマスターは誇らしげだった。
「もうトシだしこのへんで!」とだけいうマスターの潔い幕の降ろしかただったのだけれど
「実は単月赤字が出る月が結構あるんだよね...」と客のいない夜の深い時間にぽろっとこぼした。
それでも続けていくこともできなくもないし、時々来てくれる人(酔っ払い)の期待も裏切りたいわけではない。
でも続けていく意味と言うのかな?このBarじゃないといけない理由を探しても見つからなかった。
「次にやりたいこともあるしね」と笑いながらいうマスターの表情は清々しさもありつつもさみしげに見えた。
マスターほどではないかもしれないけど、この感覚知っているような気がした。
学校の部活の大会とか、ラスボスを倒してエンディングを迎えるRPGとは違う感覚。
昔は好きだった作品が長編化して自分に合わなくなって続きを追うのをやめるとき
今の自分には必要がないと本当にやりたいことを置き去りにするとき
この先なにもいいことないだろうなと自分を終わらせようとするとき
やる前から終わりを決めておくという大事さも分かるのだけれど万事がそうもいかないと思う。
仕事なら割り切りもあるんだろうけど身近な家族とかそうじゃないよね。
なんにせよ次に向かおうとするのに今のことをやめると決断したマスターには新天地での活躍を祈るばかり。
自分にはそれしかできないのと、終わりを決めきれずいつもズルズルしがち自分にはいい起爆剤だったのかもしれない。
「楽しいな~俺はこういう場が作りたくて店やったんや!」と笑っていた姿は忘れません。
ありがとうございました。
これ、誰しもが「自分の子供を作るか否か」という選択肢で、岐路に立たされるんだな、と最近気がついた。 子供を産んでしまったら、もう取り返しがつかない 自分の人生じゃなくなる...
障害で子供作れない人は?
それは、自分と愛し合う人への岐路の提示となるんだよ それを理由に、愛し合っているとしても結婚を取りやめる事を言い出さなくてはならなくなる お互いに病気で子供は無理っていう...
じゃあ誰でもじゃないよね 勝手に決めつけないでください
ニホンゴヨメルー?
読めますよ? 後付けで色々条件付け足してる時点で「誰でも」ではないですよね