2017-01-29

終わりを自分で決めるということ

通っていたBarが閉店した。

30年近く同じ場所、同じ時間営業していた。

「1年で360日は営業してるよ!」と自慢げに笑みを浮かべながらいつもマスターは誇らしげだった。

「もうトシだしこのへんで!」とだけいうマスターの潔い幕の降ろしかただったのだけれど

「実は単月赤字が出る月が結構あるんだよね...」と客のいない夜の深い時間にぽろっとこぼした。

それでも続けていくこともできなくもないし、時々来てくれる人(酔っ払い)の期待も裏切りたいわけではない。

でも続けていく意味と言うのかな?このBarじゃないといけない理由を探しても見つからなかった。

「次にやりたいこともあるしね」と笑いながらいうマスターの表情は清々しさもありつつもさみしげに見えた。

マスターほどではないかもしれないけど、この感覚知っているような気がした。

学校部活大会とか、ラスボスを倒してエンディングを迎えるRPGとは違う感覚

長年勤めた会社をやめるとき

留学先に残るか帰国するかを迷ったとき

何年も心血を注いでやってたネトゲをやめるとき

昔は好きだった作品長編化して自分に合わなくなって続きを追うのをやめるとき

今の自分には必要がないと本当にやりたいことを置き去りにするとき

この先なにもいいことないだろうなと自分を終わらせようとするとき

この決断自分でしないといけないことの残酷さというのかな。

やる前から終わりを決めておくという大事さも分かるのだけれど万事がそうもいかないと思う。

特に人間の生き死になんてまさにそうなんじゃないかな。

仕事なら割り切りもあるんだろうけど身近な家族とかそうじゃないよね。

なんにせよ次に向かおうとするのに今のことをやめると決断したマスターには新天地での活躍を祈るばかり。

自分にはそれしかできないのと、終わりを決めきれずいつもズルズルしがち自分はいい起爆剤だったのかもしれない。

弊店の最後の夜常連がたくさんあつまりワイワイやって

楽しいな~俺はこういう場が作りたくて店やったんや!」と笑っていた姿は忘れません。

ありがとうございました。

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