*星空文庫

カリアの綱

深絋 作

目が覚めると、そこは百五十年後の世界だった。

目が覚めると、そこは百五十年後の世界だった。

 薄ぼんやりと、灰色の壁が見える。
 無機質な、冷たそうな色。
 それが天井だとわかるまで、数十秒を要した。
 どうやら、私は今、目が覚めたところらしい。
 夢を見た覚えはない。頭が鈍って働こうとしない。
 どうして、私は、眠っていた……?
 とにかく、頭が働くまでじっとしていようと考える。
 遠くから、靴音が聞こえた。
 私は動けなかった。
 動こうという気も起こらない。今の重い体では、きっと指先一本も動かない。
 私の視界に、誰かの顔が映った。さっきの靴音の主だろう。
 少年のようだ。
 幼さの残る顔……。十六歳くらいだろうか。
 私はその顔を観察した。
 グレーの髪。髪よりも色素の薄い瞳。唇は淡く赤い。表情は、無表情。
 彼は何を考えて、私を見ているのだろう……。
 何だか、……眠い。
 瞼が重い。
 機械音がした。何かが、開いている。
「おはよう」
 少年が喋った。
「ごきげんいかが? カリア」
 カリア……、
 『雁亜』?
「また眠るのは勝手だけど、少し寝すぎじゃないかな? 君が眠ってから、百五十年経つんだよ」
 ひゃくごじゅうねん……? それって、どのくらいだっけ……。
 いつの間にか閉じていた目を開ける。少年は微笑んでいた。
「起きられる?」
「……たぶん」
 答えたのは私だ。これが自分の声かと、少し驚いた。低い声だった。
 私は、ゆっくりと体を動かした。両手で上半身を持ち上げる。一度は失敗して倒れそうになったが、少年が受け止めてくれた。二度目には成功して、私は何とか起き上がれた。
 部屋の全景が目に映った。
 天井と壁は全てグレーのコンクリート。かなり広い場所で、左右を見渡すと先が見えないほどだ。横に広いようだ。右斜め前には階段がある。それから、少し離れた正面の壁にはデジタルで時計が表示されている。百五十年五日三分五秒、と。どんどん時は刻まれ、秒数が増えていく。
「僕のことを覚えている?」
 私は首を振った。初対面だと思っている。
「そう……。眠っている間に、記憶が弱ったのかな。たぶん、じきに思い出すよ。僕も昨日はそうだったから」
 少年は、「立てる?」と訊いた。
「君が支えてくれるなら、立つことは出来そうだ」
 そう答えると、少年は私に手を差し出した。私はそれを取り、よろけながらも二本足で立ち上がった。
 私は、カプセルの中に入っていたようだ。本当に薬のカプセルみたいな形だ。同時に、さっきの機械音を思い出す。あれはカプセルの上部に付いているガラスの蓋を開ける音だった。私は、ガラス越しに天井を見ていたのだ。
(蓋を開ける、音……)
 ふっと、既知感を覚えた。
 この場所には、数十ものカプセルがある。私は端から三つ目のカプセルに入っていた。あとは、コンピューターや機械が立ち並んでいる。その機械が何をするためのものか、私にはよくわかった。今すぐにでも操作できる。
(何故、そんなことがわかるんだろう……)
 少年は私の手を引き、階段の前まで連れて行った。
「すぐ外に出る? みんな、お待ちかねだよ。雁亜が目覚めるのが一番遅かった。僕も、さっき起きたばかりなんだけどね」
「外…には、何がある?」
「本当に覚えてないんだね」少年は少し困り顔になる。「自分の名前もわからない?」
「雁亜。さっき君がそう呼んでいた」
「そう、雁亜。君は学者だ。専門は生物やら細菌やら、幅広い」
「わからない……。そうだったような気もする」
 まだ、頭がぼんやりする。何もわからない。
「君は私の知り合い?」
「そうだよ」少年は答えた。「名前を、ユカといいます」
「私は君を何と呼んでいた?」
「ユカ」
「じゃあ、ユカと呼ぼう。私の記憶が戻るまで、いくつか質問すると思うけど、構わない?」
「もちろん。僕は君の助手だから」
 ユカは柔らかく微笑んだ。
 ここに居てもどうしようもないので、外に出ることにした。階段は長く、急だった。しかも光がないので、ユカが持ってきた懐中電灯で先を照らして歩いている。
 階段がなくなると、その先には何もなかった。ユカは頭の上を示す。見ると、マンホールのような入り口がくっついていた。どうやら、ここから外に出るらしい。私はもう疲れきっていた。彼が言うには百五十年眠っていて、体もなまっていたようだ。
「待っててね、今開けるから」
「ここは地下?」
「そう。地中深くに造られた場所だよ。君はよく知ってるはずだけど」
 ユカはマンホールに付いているハンドルのようなものを回す。それが八回を数えたとき、「開いたよ」と私に言った。
 これで、外に出られるようだ。私は何故だか緊張してきた。さっきの薄暗い場所が地下なら、外はどんなところなんだろう……。私はそれも知っているんだろうか。
 ユカはマンホールの蓋を押し上げる。
 何本かの光が差し込んだ。それは本数を増し、あっという間に私の視界を真っ白に変えた。眩しすぎて目が開けられない。
「雁亜。大丈夫?」
「……目が慣れるまで、もう少し待ってくれないか」
「わかってるよ」
 すぐ傍のユカの声。私は、ゆっくりと目を開けた。視界はぼんやり白いけれど、だんだんと形を成してきた。マンホールの下に梯子がある。そこを上り、マンホールから外に出るようだ。光は私の居る暗闇を照らし、今まで上ってきた階段もやはり灰色だったと知る。
 ユカが先に梯子を上り、私を見る。まだ少し眩しい視界を引きずり、私は梯子を上った。
 マンホールの外は、壮観だった。
 まず最初に風が吹いて、それが私の目を塞いだ。通り過ぎて目を開けると、だだっ広い荒野だった。地面には砂が溜まり、遠くに傾いたビルが見える。他には、何もない。空が高くて手が届かない。雲が空を覆い、太陽を隠している。この風景も、何だか灰色な感じがした。
 マンホールから外に出ると、ユカはすぐ蓋を閉めた。
「砂が入っちゃうんだ。地下には精密な機械があるから困りもんだよ」
 私はユカの肩を借り、立ち上がる。ユカと私はそんなに身長は変わらないが、少しだけユカの方が高かった。
 風が吹いて、少しだけ肌寒い。私は裸足だったので、足の裏で直に砂を感じた。右を向いても左を向いても、同じ景色。遠くにビルがあって、ここには何もない。褐色の砂があるばかり。それが風に舞って、視界を塞いでいる。
「集落に行こうか」と、ユカが言った。「みんな雁亜を待ってるよ」
「みんな、私のことを知っているの?」
「もちろん。君はすごく有名なんだよ」
 ユカは当然と言わんばかりに笑った。
「私の記憶がなくても大丈夫?」
「調子を合わせておけば問題ない。きっとすぐ思い出すよ。案外、みんなに会ったら思い出すかもね」
 ユカは私の手を引いて歩き出した。方向はわからない。砂で視界が遮られていると思えないほど、ユカの足取りはしっかりしていた。

 ――好きなものを一つだけ、持っていくことを許可しよう。

 私の足取りが止まり、ユカが振り向いた。
「どうしたの?」
 何か聞こえた。
 外からではなく、私の内から。
「何でもない」
 私は首を振った。ユカはまた歩き出す。
 さっき聞こえた声を、思い出す。
 あれは、紛れもない。
 私の声だった……。

          *

「好きなものを一つだけ、持っていくことを許可しよう」
 そう言うと、皆、それぞれ違ったものを持ってきた。私が許可したのは、それくらいの自由はあってもいいと思ったからだった。
 五十三人の人々は、五十三通りの荷物をカプセルに詰める。カプセルに入らないような大きなものを持ってきた者は、居なかった。
 私は、何も持っていかなかった。未来にまで託したいと思うものは、一つもなかった。自分が残るだけで十分だ。
 目覚めたいとも、思わない。このまま死んだって文句はない。
 カプセルが棺桶になったって、別に構わなかった。

          *

 どれだけ歩いたという距離感はない。周りの景色が一定なので、概算することもできない。感覚的に測るしかないが、私は寝起きで、その感覚も怪しかった。
 時間を持て余すのも嫌なので、私はユカに質問をした。
「ここは何処?」
「僕らがかつて住んでいた国だよ。百五十年前は、こんなじゃなかった。ここは都会だったんだよ。高層ビルが立ち並んで、空気が澱んでいて……。今では想像できないけど」
「何故、こんなに寂れてしまった?」
「人が居なくなったからだよ。流行り病とでも言うかな、人類は絶滅したんだ」
「でも私たちは人類だ」
「そうだね。絶滅というには語弊がある。僕たち以外の人類は居なくなったんだよ」
 私は考え込んだ。何がなんだか、さっぱりわからないのだ。
「あっち」
 と、ユカは左側を指差した。
「あそこには、雁亜の研究所があったんだよ」
 小さく、建物が見える。だがそれが自分の研究所だとはとても思えなかった。
 風が強く、砂が舞う。私の髪も、風に踊っている。それで気付いた。私の髪は、少しだけ長い。肩よりも二センチくらい下で、少し邪魔だった。
 私はユカを見た。彼は、ショートより少し長めの髪で、それでもずいぶんすっきりしていた。色はグレー。また灰色だ、と私は思った。
 ユカについてしばらく歩く。彼は唐突に足を止めた。
「ほら、着いたよ。あれが集落」
 そこは、少しなだらかな下り坂になった、窪んだ土地だった。その窪みにテントが張られている。いくつくらいあるだろうか……、三十は確実にある。それも全てが黄色いテント。そこだけが異空間みたいになっている。
 集落には、人もたくさん居た。テントの周りをうろついていたり、土を掘り返していたり――
「坂になってるから気をつけてね」
 ユカは坂を下りていった。私もユカに付いて行く。
 集落が近付くにつれ、色んな音が耳に入ってきた。話し声、土を掘る音、足音。それから、匂い。ちょうど食事時なのかもしれない、食べ物の匂いがする。
 数人の人が、私とユカに気付いた。彼らは私を見て一様に驚き、ぽかんと口を開けている。歩いていた者も、話していた者たちも動作を止めて。一体私は、彼らの中でどういう存在なんだろう?
「雁亜博士」
 と、誰かが言った。
「お目覚めになられた!」
「雁亜博士が目覚めた!」
 一瞬にして、凄い騒ぎになった。
 止まっていた人たちは走り出し、テント中に私の覚醒を伝えに向かう。人々は私とユカの周りに集まり、感激して泣く。
 私は何もできず、立ち竦んだ。そうしているうちに、人だかりは増していく。最終的には、ここにいる全ての人が私を囲んだようだった。彼らは泣いているか、感激して何も言えないでいるかどちらかだった。
「ご無事で……何よりです」
「いやあ、心配しました。もしかして博士は目覚めないんじゃないかって」
「ユカ博士と雁亜博士が居なかったら、やっていけませんからね」
 という言葉がちらほら聞こえた。
「みんな、雁亜が帰ってきて嬉しいんだよ」
 ユカが私に囁いた。
 私は人だかりを見回してみた。見知った顔は一つもない。
「世界はこんなになってしまいましたけど」
「私たちはこれから、生き延びねばなりません」
「最後の人類ですからね」
 ユカも言っていた。人類は、私たち以外絶滅したと。
 何故、絶滅した?
 何故私たちは残った?
 ここは何処なんだ?
「あの、雁亜を休ませてもらえませんか? まだ目覚めたばかりなんです」
 ユカが言うと、人々はハッとした。
「気付きませんでした。申し訳ありません」
「雁亜博士、こちらへどうぞ。テントしかございませんが……。今、建物を探索して、使えるものを調べておりますので」
 案内してくれる人について、私は歩いた。後ろの人々の視線を感じながら。ユカも私に付いてきた。
 一番端のテントに案内された。「ごゆっくりどうぞ」と、案内人は頭を下げ、行ってしまった。
「まだ、思い出せない?」
「全く」
 私は肩を竦めた。それでも、記憶がないということは、私をそれほど困らせなかった。いずれ思い出すかもしれない。それにこの状況では、あってもなくても同じことのような気がする。
「しばらくはここで暮らすんだ。今、引越し先を探してるから、見付かるまで。といっても、雁亜の記憶が戻ったら、こんな説明必要なくなるけど」
 テントの中には、毛布や衣類、乾燥させた食料、小さな机、その他諸々日常品が装備されている。生活に困ることはないだろう。
「お腹すいてる?」
 私は自分の腹部を確認する。
「特には。食べようと思えば食べられるくらい」
「それだったら、食べた方が良い。百五十年ぶりのご飯になるよ」
 百五十年。そんなにも、私は眠っていたのだろうか。
 食事を持ってくる、と言って、ユカはテントから出て行った。
 私はテントを見渡す。色は黄色で、非常用といった感じだ。少し狭い。五歩歩いて端に着くくらい。
 机の上に鏡が乗っていた。それに近付いて、自分の顔を映してみる。大してがっかりもしなかったし、驚くこともなかった。私の髪は薄い茶色で、目は焦げ茶。髪の長さは想像していた通りで、顔はほっそりしている。年齢は十代後半、十五~十八といったところ。そして、無表情。見方によってはとても眠そうな顔だ。
 自分の頬に手を当てる。鏡に手が映った。自分の顔だという感じは特にないが、そうでないとも言い切れない。
「お待たせ」
 両手にトレイを持って、ユカが現れた。
「シチューだから食べやすいと思うけど」
 ユカはトレイを下に置く。トレイには、スプーンと、茶色のシチューがあった。湯気をたてている。少し食欲が湧いた。
「鏡を見てたの?」
「そう」私はスプーンを手に取る。「私は、女性だったんだ」
「うん。わからなかった?」
 ユカもスプーンを手に取り、食べ始める。
 シチューの香りは嗅覚を刺激する。私はスプーンでシチューをすくい、口に運んだ。かなり熱くて吐き出しそうになる。二口目は冷ましてから食べた。ほんのり甘くて濃厚な味。どろっとした重みが舌に乗る。
「美味しい?」
「あまり」私は正直に答える。「味はいいのに、この食感が気に食わない」
 ユカは私を見て、にこりと笑った。
「やっぱり雁亜だね。眠る前も同じこと言ってたよ」
 そうして、嬉しそうにシチューをすくう。
 目の前の少年は、私の知らない私を知っている。一体どれだけ、私のことを知っているのだろう。
「雁亜。僕のことは?」
 手を止めて、低い声でユカが訊いた。
「僕のことは、どう思う?」
「別に、何とも……」
 まだ会ったばかりじゃないかと喉まで出かかったが、押しとどめた。ユカと私は初対面ではないらしいからだ。
 代わりに、
「私は君を思い出せない。君を見ていても何の感情も浮かばない」
 と言っておいた。
 ユカは、そうだろうね、と吐き出す息と一緒に言った。
「たぶん、それが本音だよ。僕は嫌われても好かれてもいなかったんだね……」
 その表情が少し寂しそうで、何だか悪いことをした気がした。
 それからは、何も話さなかった。シチューは食べれないほど口に合わないわけじゃなく、食べていると、だんだんと頭が冴えてきた。補給した栄養で、頭が働き出したようだ。周りの景色がはっきり映る。ユカの輪郭も、髪の一本一本までよく見えた。
 食べ終わったのは、二人ともほぼ同時だった。ユカは満足げな顔で、二人分の皿を手に持った。
「これ、置いてくる」
「私が持っていこうか?」
「雁亜が出て行ったら大騒ぎになるよ」
 あとでこの辺りを案内する、と言って、ユカはまたテントから出て行った。
 ユカ、それに集落の人々……
 ここには何人の人間がいるのだろう。
 ここ以外では、人間は絶滅したと、ユカは言った。一体、どうして? 人間とは、地球上に溢れていたんじゃなかったか?
 そういう一般的な知識や言語はわかるのに、自分のこととなるとさっぱりだった。『カリア』は『雁亜』と書くだろう、ということは、ぼんやりとわかるけど。
 ふと目線をやると、テントの入り口に子供がいた。
 年齢は五歳くらい。髪は、私より明るい、金に近い色。目は深緑だ。期待と緊張が入り混じった瞳で私をじっと見ている。少年か少女かは、よくわからなかった。少年にしては女性的な可愛らしい顔をしているし、少女というには少し髪が短すぎ、ボーイッシュな服装だ。
「集落の子供?」
 尋ねると、子供はびくっと身体を硬直させ、小動物みたいに縮こまった。だが、私を見る視線は外さない。
「中に入らないのか?」
 違うことを尋ねてみる。
「入っても……良いの?」
 高くて細い声だった。おずおずと、子供は訊き返す。
「私は構わない。君が入りたければ入ればいい」
 ようやく、子供は少し笑った。それから、テントに一歩を踏み入れた。
「そこに座るといい」
 さっきユカが座っていた場所だ。子供は申し訳なさそうに、でも嬉しそうに腰を下ろした。
 私と子供は向き合う形になった。
 子供は何も話さなかった。ただ、テントを眺める。それから、私に目をやる。
「名前は?」
「スグリ。さんずいに州って書く州に、食べ物の栗。で、洲栗」
 指を巧みに動かして、私に説明する。年齢の割にしっかりした子供だ、と私は思う。
「この集落の子供?」
「はい、そうです」洲栗は歯切れ良く答える。先生を前にした生徒のようだ。「雁亜博士が目覚めたって、今、大変なんです。あの、僕も、嬉しいです」
「敬語は使わなくて良い。必要ない」
「あ、はい。えっと、使いません。あ、これも敬語かな……」
「もっと楽にすれば良いよ。緊張してるの?」
「はい、じゃなくて……。うん、とても」
 洲栗は顔を真っ赤にしている。肩は顔を挟もうとしているように上がって、声も少し上ずっている。
 洲栗は深呼吸をした。
「僕、雁亜博士が憧れなんだ……。眠る前、一度だけ会話したの、博士は覚えてないよね?」
「雁亜でいい。自分が学者だと、まだ実感がないから」
 洲栗を緊張させないよう、できるだけ柔らかく話す。
「君と私は、どんなことを話した?」
「怖くないかって、博士…雁亜が僕に訊いたんだ」洲栗はぐっと握った手に目線を落とす。「僕は、嘘をついた。怖くないって言ったけど、本当はすごく怖かった」
 洲栗は意を決して、私に目線を移す。
「雁亜は、僕の年齢を知ってる?」
「五歳くらいに見える」
「九歳だよ」
 反射的に訊き返しそうになった。この子供が九歳? どう見ても五歳、よく見て七歳にしか見えない。
 洲栗は続ける。
「そんな歳なのに、怖がっていたら情けないと思う?」
「いや、どんな年齢でも、怖がることはある。むしろ怖がらない方が怖い。怖いという感情は、とても大切なものだ」
 まだ驚きを引きずりながら、それを隠して洲栗に話す。
 洲栗は、ほっとした様子で微笑んだ。私と会って初めて見せた素の顔だ。
「雁亜が目覚めて良かった。雁亜に大丈夫だって言われると、本当にそんな気がする」
 洲栗につられて、私も少し微笑んだ。微笑み方を憶えていた気はしないのに、自然と頬の筋肉が緩んだ。
 ユカは遅いな、と思う。何をしているんだろう。
 洲栗は立ち上がった。
「また、来てもいい?」
「好きにするといい。今度はお茶でも淹れよう」
 照れたように微笑んで、洲栗はテントの入り口に向かった。出て行く直前、ばいばい、と手を振った。
 この集落には、あんな子供までいる。一体どういう集まりなんだろう。唯一わかっているのは、『雁亜』はその集団の中で重要な存在であること。おそらく、リーダー的なものだろう。
 それから……、
 キーワードの『百五十年』。
 地下にあったあのデジタル時計を思い出す。あれはたぶん、眠っていた時間だろう。
 ユカに訊けば詳しく教えてくれるだろうか。一体何がどうなって、私はこんな場所にいるのかと。
 ユカが戻ってきたとき、すぐに訊こうと思ったが、彼の方が先に口を開いた。
「遅くなってごめん。あのね、みんながパーティーを開こうって。無事にみんな目覚められたってことで、雁亜に感謝する意味で」
「私に感謝?」
「雁亜が一番の功労者なんだよ」ユカはにっこり笑う。「僕は二番目」
 さっぱり実感が湧かない。
「パーティーは今日の夜だって。唐突だよね。雁亜はそれでいい?」
「反対する理由がない」
 私は少し笑った。
「そうだね」つられてユカも微笑む。「出来れば、それまでに記憶を取り戻した方が良い。パーティーで、雁亜はきっと演説を迫られるよ」
「何とか誤魔化せないか?」
「当たり障りのないことを言っておけば、大丈夫。もし、どうしても駄目だったら、目覚めたばかりで疲れたって言って引っ込めばいい」
 もし、雁亜の記憶がないと人々に知られたらどうだろう。彼らは私を雁亜と認めるだろうか? 頼りにしていた雁亜の記憶がなくて、絶望するだろうか。何にせよ、隠した方がよさそうだ。
「本当は正装したいとこだけど、この世界にそんなものないからね」
 ユカは笑った。
「この格好でいいの?」
 私は自分の服装を見た。ゆったりした、通気性のよさそうな布地。上はシャツで、下はズボン。シャツには青いラインが入っていた。
「他に着替えは少ししかないよ。白衣は着たほうがいいかもね。博士だから」
「博士ね……」
 博士という実感はないのだけど、今夜は振りをしなければいけない。それも、今夜だけではなく、これからずっと。
 早く記憶を取り戻したいのに、何故か思い出したくなかった。何か嫌な思い出でもあるのかもしれない。

          *

 私が開発したこの薬品は、今、試験管の中で身をよじっている。いく筋もの光が混ざり合い、適度な光を放つ。
「もう、明日だね」
 声が聞こえて振り向くと、助手である彼が立っていた。
「それを使うのがだよ」
 彼は付け足した。さらに、「緊張してる?」と訊いた。
「別に。このまま生きても死ぬし、これを使ってもいずれは死ぬ。同じことだろう」
 そう言うと思ったよ、と彼は笑った。
「君の仕事を手伝ううちにね……、君の考えてることがわかってきたんだ。しかも、それがそのまま僕に入ってくる。僕も、今、緊張してないんだよ」
「昨日はすごく緊張していると言わなかったか?」
「そう、昨日はね。でも、今は別。土壇場だと結構覚悟が決まってくるもんだね」
 私には彼の言っていることがわからなかった。私の考えと彼の考えは、全く違うものだ。私の考えが彼に理解できるなんてこと、あるはずがない。私にだってよくわからない部分があるのだから。
「雁亜に会えてよかったよ」彼は言った。「人生が変わった気がする」
「良い方に? それとも、悪い方?」
 彼は少し微笑んだ。「もちろん、決まってるよ」

          *

 一人の方が落ち着くだろうから、と言って、ユカは私を一人にしてくれた。確かに、一人の方が気が楽だ。ユカや洲栗は私を知っていても、私は彼らを知らない。見知らぬ人なのだ。危険か安全かもわからない。
 私は大きく伸びをして、また鏡を見た。私の顔。博士? この顔にも既知感はない。
 毛布があったので、それを伸ばして横になった。テントはごつごつして痛かったが、なんとか我慢する。
 ここは何処なんだろう……。
『人類は滅亡した』
 じゃあ私たちはなぜ生きている?
 そもそも、ここは地球なのか?
 そうでない可能性も有り得る。環境の悪化などの原因で地球に住めなくなり、宇宙へロケットを飛ばした。それに乗っていたのが私たち。別の星に着くまで百五十年、ロケットの中で眠っていた……。
 くだらない仮説に笑ってしまう。私が起きたのは地下でロケット内ではなかったし、太陽はちゃんと見えていた。仮に太陽の見える他の星であるとしても、地球から百五十年もかかるはずがない。
 結論からいって、ここは間違いなく地球だ。それも、砂に覆われた。一体どうしてこんなことになったのだろう。
 考えているうちに眠ってしまったようだ。目を覚ますと、室内がぼんやり暗くなっていた。夕方のようだ。お腹がすいた……。頭はさっきよりスッキリしている。
 白衣が置いてあった。きっとユカだろう。それを羽織って、外に出てみる。誰もいなかった。遠くで物音がする。
 風が吹いて、砂が目に入って痛かった。
 窪んだ土地なので、地平線は見えない。少し乾燥している。雨が降ってほしいと思った。
 遠くから誰かが来た。近付くにつれ、ユカだとわかった。話ができる距離になると、彼は微笑んで私に言った。
「起きたんだね。よかった。今ちょうどパーティーの準備が終わったところだよ」
「タイミングが良かったみたいだな。白衣は着ていった方がいい?」
「その方が博士らしく見えるね」ユカは私を見る。「雁亜、頭がすっきりしたでしょう。歯切れがよくなってる」
「そうみたい。眠ったら、ずいぶん頭が冴えた」
「百五十年眠ってたからね」
 何気なくユカが言ったとき、右側頭部がずきりと痛んだ。立ちくらみを併発した痛みだ。ユカの言った「百五十年」のせいだと思った。それと同時に、私は記憶を取り戻しかけている、と感じた。
 ふと、気配を感じて、東の空を仰いだ。
「どうしたの? 雁亜」
「あれ……」私は空を指差す。「雨でも降るのかもしれない」
 ずっとずっと遠い、見えるか見えないかのところに、黒い点が浮いていた。なんだか嫌な感じがした。
「雨ならちょうどいいよ。少し乾いてるから」
 ユカは軽く言ったが、私は釈然としなかった。
「それより、こっち来て。雁亜が来ないと始まらないんだよ」
 ユカは私を引っ張っていった。東の空には、まだ『あれ』が漂っていた。

『カリアの綱』

『カリアの綱』 深絋 作

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-01-29
Copyrighted

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