これから、ますます目が離せなくなる信繁の人生!
大坂編を撮影中の堺雅人さんに見どころを伺いました。
上杉の人質生活を経て、大坂へ向かうことになる信繁ですが、僕は田舎で青春期を過ごした若者が都会に出て就職したようなものかなと思っています。豊臣という大企業に入社したサラリーマン。新入社員ですが、信繁は秀吉のお世話係になり、大事な会議にも出席したりします。裃(かみしも)も、現代で言えばスーツのような感覚だったのではないでしょうか。ただ信繁は真田からの出向の身で、地元にも利益を誘導したいと思っている、少々やっかいな新入社員なのですけれども(笑)。
セリフでも「私はどうすればいいのでしょう」「私はどこに向かうんでしょう」など、これまでは「私」が多かったのですが、大坂に来てからは大きな組織の歯車となったせいか「私」がなくなります。ぴょんぴょん飛び跳ねていた信繁が、ようやく信濃の大地に足を下ろしたと思ったら、梅の死を経て、世の趨勢(すうせい)に流される身になってしまう。大坂では、雰囲気に飲まれ、秀吉に振り回され、地に足がつかない感じといいますか、なかなか自分のペースがつかめません。
多くの皆さんが思い浮かべる秀吉像は、立身出世の人。キラキラと輝く生き生きした人物でしょう。しかし、それは秀吉の一部分のような気がします。秀吉の後半の人生はあまりにもギャップがあるので、そこを描かない作家もいるほどです。そんな別人のような秀吉を、『真田丸』では真正面から描いていくつもりなのかもしれません。権力者がそれまでの合理性や生命力を失い、一転、歯車が狂っておかしくなっていく。順調だった分、その狂い出し方が尋常ではありません。
信繁が秀吉と出会うのが、ちょうど歯車が狂い出したあたりからですから、巻き込まれがいがあるというか……。最初、圧倒的な存在感にあたふたしていた信繁ですが、多分、秀吉が亡くなるときは「大変な人だった」と、どっと疲れると思います。
気まぐれな子どもが権力を握ってしまったような秀吉を、小日向文世さんは「読めない芝居」で演じられています。現場でも、皆がそんな秀吉のペースに合わせて進んでいるという感じでしょうか。
気まぐれな子どもが権力を握ってしまったような秀吉を、小日向文世さんは「読めない芝居」で演じられています。現場でも、皆がそんな秀吉のペースに合わせて進んでいるという感じでしょうか。
直属の上司ではありませんが、何かとお世話をしてくれる、石田三成役の山本耕史くんとは『新選組!』(2004年)以来の共演です。何をやらせても器用にこなし、どこかに熱いものを秘めている石田三成役にぴったりです。三成は器用に見えて、実は不器用。それに比べ、片岡愛之助さん演じる大谷吉継の方が、まっすぐに見えて実はしたたかだったと信繁が気づくような気がするのですが、そんな三成と吉継の差、信繁との関係性もおもしろい。
そして信繁は、秀吉だけではなく、茶々にも大きく振り回されます。少女のような瞳、大人の色気のある瞳、くるくる変わる表情にドキリとする信繁。その関係は、ロマンスものの要素もあります。竹内結子さんの作り出す、茶々の少し危険な甘い毒は、ある意味、この先につながる呪いでもあるのですけれども。
秀吉、三成、茶々が、大坂編のカギを握る3トップなのですが、きりも物語全体を通して大きな役割を果たしています。きりは、話が分かりやすくなってきたとき、お邪魔虫として入ってきて、「お前さえいなければうまくいっていたのに!」という役割だと思います。すんなりいったらつまらなくなるところの障害役として存在してくれるのは、役者として実にありがたい。物語全体を引っかき回してくれる、大切な存在です。それを長澤まさみさんは、スケールの大きな、生き生きとした存在感で担ってくれています。すべてが終わった後、信繁は、きりが一番愛(いと)しい、いてくれてよかった、と絶対に思うはずです。
そして、父・昌幸との関係も少し変化します。父が大坂に呼びつけられる第18回あたりでは、それまで偉大で手に負えない父であったのに、秀吉と比べると、なんだか小さく悲しく見えてしまうシーンがあります。これが信繁の成長による見え方の違いなのかもしれません。けれども第20回で、再びやっかいでむちゃくちゃな昌幸となりますから、やっぱり目が離せない面白い人物です。
第14回から、音楽でいうと「調べ」が変わるといいますか、まるで別ドラマのよう思えるかもしれません。サブタイトル通りのテーマが緻密に構築されていたのが第13回までだとすれば、第14回以降はそれが薄くなり、視野が広くスケールが大きなものへ変化します。『真田丸』の物語がどこに行き着くか、大きなうねりを一緒に楽しんでください。