李教授は96年、日本木簡学会で「韓国の木簡が日本の木簡の源流だった可能性がある」と発表した。しかし大多数の日本の学者は「前白木簡は日本独自の文化」と反論した。関心を見せたのはたった2人だった。中でも日本の木簡の権威者、平川南・元国立歴史民俗博物館長は、翌97年に韓国を訪れて木簡の実物を観察し、その後「中国と日本の古代木簡の間隙を埋める決定的な情報を提供するもの」と認めた。さらに、文部省の支援で早稲田大学と韓国の昌原文化財研究所(現在の国立伽耶文化財研究所)が共同研究を行い、2002年には国立歴史民俗博物館が、韓国の木簡およそ30点を借りて特別展で展示したことにより、日本の研究者の認識も変わり始めた。
世界的な巨匠の一人に挙げられる画家の李禹換(イ・ウファン)=80=は、李教授のいとこだ。また昨年、韓国の国宝第78号に指定されている半跏思惟(はんかしゆい)像と、日本の国宝に指定されている中宮寺・菩薩(ぼさつ)半跏像の初の共同展示が実現した際にも、李教授が大きな役割を果たした。李教授は「韓国木簡学会は今年4月にベトナムで、最近出土した石碑などをテーマに国際学術大会を開く。アジア諸国はもっと積極的に学術交流をしながら、東アジア史的・世界史的な視点で資料を解釈すべき」と語った。