自由な報道による権力の監視は、民主社会を支える礎の一つである。トランプ米大統領には、その理解がないようだ。

 政権は発足直後から報道機関との対立を深めている。

 トランプ氏は「私はメディアと戦争状態にある」としつつ、報道機関を「地球上で最も不正直」と非難した。

 大統領の側近は米紙に対し「メディアは屈辱を与えられるべきだ。黙ってしばらく聞いていろ」と語り、批判的な報道を威嚇するような発言をした。

 ゆゆしい事態である。

 権力者の言動をメディアが点検するのは当然のことだ。報道に誤りがあれば、根拠を示して訂正を求めればよい。政権が一方的に攻撃し、報復まで示唆するのは独裁者の振るまいだ。

 そもそもこの政権は、事実の認定という出発点から、ゆがんだ対応をみせている。

 就任式の観衆の数をめぐり、8年前と今回の写真を比べ、オバマ氏の時より相当少なかったとした報道に、トランプ氏は「ウソだ」と決めつけた。

 「過去最多だった」とする政権の根拠のデータをメディアが疑問視すると、政権高官は「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」と強弁した。

 その後もトランプ氏は「不法移民が投票しなければ、自分の得票数はクリントン氏より上回っていた」などと、根拠を示さないまま発言している。

 「事実」を共有したうえで、議論を重ねて合意を築くのは民主主義の基本だ。政権が事実を曲げたり、軽視したりするようでは、論議の土台が崩れる。

 政策全般について、正しい情報に基づいて決められているのか、国民や世界は疑念を深め、米政府の発表や外交姿勢も信頼を失っていくだろう。

 トランプ氏は実業家時代、知名度を高めるのにメディアを利用したことを著書などで認めている。大統領選では既成政治とともに主要メディアも「既得権層」と批判し続けた。

 だが大統領に就いた今、自身が批判と点検の対象になり、重い説明責任を負うことをトランプ氏は認識する必要がある。

 一方、ツイッターでの発信をトランプ氏は今も続けている。政治姿勢を広い手段で明らかにすることはいいが、自分に都合の良い情報だけを強調し、気に入らない情報は抑え込むという態度は許されない。

 権力と国民のコミュニケーションが多様化する時代だからこそ、事実を見極め、政治に透明性を求めるメディアの責任は、ますます重みを増している。