自動車誕生から現在・未来予想まで、自動車の歴史をシリーズで紹介します。
二回目は「量産・普及編」です。
前回の一回目は「誕生編」(1769~1900年)を紹介しました。
自動車大衆化
1900年代初頭は、蒸気自動車がまだ主流であった。
そんな中、フランスのド・ディオン・ブートンは、1900年の1月から翌年の4月にかけて1500台のガソリン自動車を販売。
ガソリン自動車の生産・販売で世界をリードしたのは、フランスだった。
その後すぐ、アメリカが自動車産業界で圧倒的な存在感を示すようになる。
ヨーロッパでは貴族の趣味としてスタートした自動車だが、広大な国土を持つアメリカでは広く大衆が馬車に代わる移動手段を求めた。
1901年に登場したオールズモビル・カーブドダッシュは、同年に425台、翌年には2500台が製造され、アメリカ初の量産車となった。
ド・ディオン・ブートン
現在の自動車工場のように量産体制を発明し採用したのが1907年にアメリカの「ヘンリー・フォード社」が量産した「フォード・T型」です。
フォードは流れ作業により自動車を大量生産することにより販売価格を下げ、一部の富裕層の所有物であった自動車を大衆が所有可能になった為、自動車産業は巨大なものになりました。
1909年には1年間で1万8千台もの台数を生産し、1913年に世界初の「ベルトコンベアによる組立ライン」を導入。
年間の生産台数は25万台を超え1920年までに100万台を突破し、アメリカの自動車の半数はT型フォードとなりました。
自動車の大衆化が進むとともに、さまざまな高級車も出現した。
1906年、イギリスのロールス・ロイス・シルバーゴーストは50馬力の6気筒エンジンを搭載し、静粛性とスムーズさで世界的な名声を確立した。
ほかにもヨーロッパのブガッティやイスパノ・スイザ、アメリカのキャデラックやデューセンバーグなどの 極めて高価な高級車が登場し、貴族や富豪が競って手に入れた。
フォードT型
ロールス・ロイス・シルバーゴースト
T型フォードに乗った
この辺りになるとアメリカという国が
自動車産業だけでなく
世界に先駆けていく
存在になっていますね。
まだ、現役で走る姿が
今、見てもカッコイイ
自動車社会の幕開けですね。
一方、日本では・・・
日本初 自動車製造
日本では、1898年(明治31年)に初めて、海外から自動車(パナール・ルヴァソール)が持ち込まれる。
その後、日本でも、自動車製造の試みが始まっていった。
1904年(明治34年)には岡山市で電機工場を営んでいた山羽虎夫が、国産車第1号とされる山羽式蒸気自動車を完成させた。
このクルマは乗合自動車(バス)としての使用を目的に造られたが、ソリッドタイヤがリムから外れるというトラブルに悩まされ続け、倉庫に放置されるままとなり、乗合自動車の計画は実現せずに終わった。
1907年(明治40年)、純国産初のガソリン車で、また国産で初めて実用化されたガソリン自動車が誕生した。
“自動車の宮さま”と言われた有栖川宮威仁親王殿下が、自動車の輸入・修理を行うオートモビル商会を設立した吉田真太郎と機械技術者の内山駒之助に要請し、10台ほどのガソリン車自動車がつくられた。
当時の人々に、このクルマがガタクリ、ガタクリ走ることから“タクリー号”と呼ばれた。
日本初の本格的な自動車生産は、白楊社のオートモ号が最初で、1925年に生産を開始し、230台が製造された。
1930年代(昭和)に入り、1932年(昭和7年)に日産自動車の前身となる“ダットサン商会”が設立され、翌1933年(昭和8年)にはトヨタ自動車の前身となる“豊田自動織機製作所自動車部”が設立、現在の日産自動車、トヨタ自動車が誕生する。
その後、トヨダAA型やダットサン14型などの意欲的な国産乗用車生産の試みはあったが、戦前の日本車はトラックが中心だった。
第二次世界大戦に向け、戦時体制が進むと、軍需用のトラックの製造が開始され、乗用車の開発は中断を余儀なくされることとなった。
山羽式蒸気自動車
国産吉田式"タクリー号"
白楊社 オートモ号 "模型"
トヨダ AA型乗用車
まだまだ、アメリカにも世界からも
遅れている状態ですね。
現在の国産自動車メーカーが
ようやく誕生した頃です。
トヨダAA型は日本の自動車の歴史の中で
よく登場する車ですね。
カッコイイというより
高級・クラッシック
というイメージです。
これからは戦争という時代の流れにより
開発が進まない状況になります。
次回、三回目は第二次世界大戦の頃からの
自動車の歴史を紹介します。