天地燃ゆ
第十部『越前の春』
第二章『大手柄』
「さ、さ、さ、さ、さえ―ッ!」
駆けた。隆広は源吾郎の店からひたすら駆けた。『奥方様が倒れた』と云う悪夢のような源吾郎の知らせに隆広は慌てた。
「今朝は何ともなかったのに!」
ビュンと云う効果音が聞こえてきそうなほどに隆広は北ノ庄の城下町を駆けた。そしてやっと屋敷に到着した。
「殿!」
「八重! さえは!」
「こちらです!」
部屋に行くとさえはグッタリして横になっていた。顔色も悪い。苦悶して呼吸も荒い。
「さ……」
「今眠っておりますから!」
八重が隆広の肩を押さえた。そしてさえの額にある玉のような汗を拭いて、冷たい手拭を乗せた。
「医者は!」
「夫が呼びに行っています。しばしお待ちを」
隆広はさえの眠る蒲団の横に座り、小声で訊ねた。
「八重、仔細を申せ」
「はい、殿を朝にお送りしてからほどなく嘔気を訴え……そして朝食すべて嘔吐してしまいました。その後も嘔気は消えず、眩暈を起こして倒れてしまいました……」
「なんて事だ……さえ……!」
(そなたはオレの宝、そして命だ! 治ってくれ……!)
水沢家家令の吉村監物が医者を連れてきた。
「ホラ急いで下され!」
「分かった分かった落ち着きなさい」
医者はワラジを脱ぎながら答えた。
「ええい! 土足でもいいから上がってすぐに姫様を診察してくだされ!」
「そうもいかんでしょうが」
やれやれと医者は薬箱と医療具の入った箱を持ち、さえの眠る部屋に来た。
「どれどれ……」
蒲団をめくり、さえを触診する医師。自分以外で愛妻へ触れる者を許さない隆広だが、この際仕方ない。不安そうに医師の診断を見守った。
「ふむ……ところで倒れる前にどんな症状を見せたのかな?」
八重はさえが倒れる前の症状を医師に説明した。
「なるほどのう……」
医師はさえの着物を調え、蒲団をかぶせた。
「ど、どうなんでしょうか先生!」
すがるように医師を見る隆広。
「ああ……殿、姫をお守り下さい……」
家令の監物は一心に亡き主君でさえの父でもある朝倉景鏡に願った。
「どうしたもこうも……」
医師は苦笑していた。
「おめでたです」
「……へ?」
「奥方様はご懐妊しております」
「「…………」」
隆広、八重、監物はしばらく固まり、そしてようやく医師の言葉を理解した。
「本当ですか! さえが懐妊!?」
「覚えはあるのでしょう?」
「む、無論です! 聞いたか八重、監物! さえに子が宿ったぞ!」
「お、おめでとうございます殿!」
「ああ……ありがたやありがたや! 生きているうちに姫の子を見ることができようとは!」
喜びのあまり、眠るさえの枕元で大騒ぎをする隆広たち。さえが起きてしまった。
「う、ううん……」
「をを! さえ起きたか!」
「……そうか私……倒れちゃったんだ……」
「聞いて驚けよ、さえ!」
「……?」
さえは隆広と医師から聞かされた。
「え……!?」
思わず自分の下腹部に触れるさえ。
「私のお腹に……赤ちゃんが?」
「その通りです、奥方様。これから私の診療所で産婆を務めています女を呼んでまいりますので、改めて彼女から診断を受けるがよろしい」
「は、はひ」
医師は自分の診療所に戻っていた。
「さえ、大手柄だぞ!」
「そんな、まだ男子と決まったワケでは……」
「何を言っている。男だ女だ関係ない。オレとさえの子供じゃないか」
「お前さま……」
二人の世界に入ってしまったので、八重と監物はいそいそと部屋を出て行った。
「さあ、今日からさえの体は、さえ一人のものじゃない。ゆっくり休んでくれ」
「はい」
再びさえは横になった。
「ありがとう、さえ。大好きだ」
「私も……」
しばらくして、さきほどの医師の診療所から産婆がやってきて、さえを改めて診断した。まぎれもなく懐妊しており、その日の夜は水沢家でささやかながら宴が催された。家臣や兵も祝いに訪れ、眠るさえに気遣いながらも、それは楽しい宴となった。
「わっははは、さえが懐妊したらしいのォ。隆広」
「はい」
翌日に城に登城し、主君勝家から最初に言われたのがこれだった。勝家は喜色満面だった。傍らにいたお市の方もまた同じである。
「お手柄ですね隆広殿。さえをいっそう慈しみ大切にしなければなりませんよ」
「は、はい!」
目をキラキラと輝かせながらお市の言葉に答える隆広。そんな隆広を見てお市はたまらなくなってきた。
「た、隆広……」
「……? はい」
初めてお市が隆広を呼び捨てした。
「あの……実はね」
「お市!」
そのお市を勝家は叱り付けた。
「……申し訳ございません」
「……よい」
「……?」
隆広にはお市と勝家のやりとりの意味がまったく分からなかった。
「隆広、今日も城増築の指揮であろう。下がってよいぞ」
「はい!」
隆広は城主の間から出て行った。隆広の姿が消えると、市の眼から涙が落ち、嗚咽をあげた。
「う、うう……」
「お市……」
さえは身重ながらも体調良く、家事に精を出しながらも出産に備えた。隆広の方は部下と職人、領民を縦横に使いこなし、みごとに外郭を広げながらも防備に長けた北ノ庄城の増築を完成させた。
今では柴田家の若き柱石とも言える水沢隆広であった。また隆広は吉村直賢を陣頭に軍資金を稼ぐ事にも余念はなく、ついに勝家から減税を取り付けたのである。北ノ庄はかつて小京都とも言われた朝倉氏の一乗谷城を凌ぐほどに見事な繁栄を遂げつつあった。減税もなり国も潤ってきたゆえに、民心は柴田家の善政により一向宗へすがるものも少なくなり、国内の小競り合いはほとんど起きなくなった。
柴田家直属の水軍となった若狭水軍は、吉村直賢陣頭指揮の蝦夷宇須岸や九州博多等との交易に強力な護衛となり、各地の商人たちも柴田家や越前敦賀との交易に積極的になっていった。そしてその報酬をもとに、若狭水軍は大型船の建造にも着手していた。
交易により成した財により、石田三成と吉村直賢が鉄砲などの軍備の充実を図り、そして隆広の内政指揮により石高も上がる。越前全体に導入された楽市楽座により、北ノ庄の城下町は無論、府中、龍門寺、小丸、丸岡などの支城も潤ってきた。
そしてこの頃、越前には『七箇条の掟書』が発布された。これは柴田勝家と水沢隆広の合作で、この条文の主旨は農民に兵役を免除して兵農分離の推進。城普請などの諸役もまた免除し、雇う場合は正当な賃金を払うと云う事が上げられ、軍事に伴う農民の負担をほぼ解消し田畑に励めるように定めた。また唐人座や軽者座の特権を安堵すると云った商業政策についてだった。柴田勝家といえば鬼や閻魔と称される猛将。その猛将の意外な善政に領民は大喜びしている。そして越前の人々は水沢隆広と云う若き行政官を称えた。
後世において隆広の評価が高い点は、彼が安易な徳政令(税の免除、民の借金を棒引きする事を商家に指示する事)を断行しなかった点だろう。無理なく、そして進んで払ってもらえるような税収の仕様を組み立てていったのであるから、当時二十歳に満たない彼の年齢を考えると、やはり傑出した人物として疑いないと辛口の歴史家も認めるところである。
そして、さえの懐妊と共にもう一つ、隆広が歓喜する報告がもたらされた。この日、吉村直賢が隆広の屋敷を訪ねた。
「なに! 治水資金が!」
「はい殿、それがしを召抱える時にご注文のありました九頭竜川の治水資金、調達完了いたしました。総額八万貫にございます」
「そ、それだけあれば九頭竜川に今後『氾濫』の二字はない! き、聞いたか、さえ!」
「はい、しかと聞きました!」
「喜べ! 義父殿の意思が継げる!」
「はい!」
隆広は隣に座るさえのお腹に頬擦りする。
「良い事は重なるものだな〜」
「んもう、お前さま直賢殿の前ですよ」
そう言いながら、さえも嬉しい。かつてさえの父の朝倉景鏡は織田家の越前侵攻により九頭竜川の治水を途中で中止せざるをえなかった。それを夫が継いで叶えてくれた。こんな嬉しい事はない。
「よくやった弥吉(直賢)! 父として誇りに思うぞ! 大手柄じゃ!」
「あああ……。幼き日のそなたに武士が算術に長けても意味がないと叱った思慮のない母を許しておくれ。そなたは越前の守り神とも……!」
「お、大げさでござるよ母上」
息子の快挙に八重と監物は感涙した。隆広はさえのお腹から顔をやっと離して直賢を称える。
「大げさなもんか! 直賢は越前の守り神だぞ。じゃあ早速殿に報告して……」
「殿お待ちを、一つ難題が残っています」
「難題?」
「工事を委ねられる人材にございます」
「あっ……」
「殿も治水技術はお持ちですが、殿は今城下町拡大の主命を受けておいでです。兼務などできますまい」
「確かに……。オレが指揮を執りたいのは山々だが……」
柴田の人材事情から、隆広を長期にわたり治水にだけ当たらせるわけにはいかない。城郭拡張を終えた隆広は、すぐに城下町の拡大の主命を受けている。とても兼任などできない。
「それがしの知る限り、織田の家中で治水にもっとも長けているのは三成の舅の山崎俊永殿。お借りできませんか?」
「無理だ……。山崎俊永殿は磯野家の家臣だぞ。しかもこんな大事業、たとえ同じ織田家でも他家の臣にやらせる事なんて殿が許すはずがない」
「確かに……」
「大殿の直臣の中で治水に長けた者がいたとしても、大殿が治水ごとき自分の裁量で出来ないのかと殿を判断するのは明白だ。借りられない。柴田で見つけて登用するしかない」
「お前さま、佐吉さんは?」
「いや、佐吉もオレと共に城下町の拡張を行わなければならない。ちょっとな……」
「困りましたな……」
「いや、すまん直賢、治水資金の調達を要望しておいて、いざ揃えてくれたら人がいないとは面目ない」
「いえ殿のせいではございませぬよ。そう簡単にあの川を治水できる者など見つからなくて当然にございます。何にせよ、一度この件を勝家様に報告しては?」
「そうしよう。今日殿はいるはずだ。一緒に来てくれるか?」
「承知しました」
「よし、出かけるぞ、さえ」
「はい!」
柴田勝家は、隆広と直賢の報告に歓喜した。
「そうか! 資金ができたか!」
「はい、ですが……」
「ん?」
「現場指揮官がおりません」
歓喜の顔が、困った顔に変わった勝家。
「そうであったな……」
「殿、磯野家の山崎俊永殿なら治水関係に人脈も豊富でございましょう。しかるべき人物を紹介してもらうべく、それがし磯野様の居城の小川城に赴こうと思いますが」
「そうか、隆広はまだ知らぬか……」
「は?」
「先月、その山崎俊永の主君、磯野員昌が突如に追放されたらしい」
「追放?」
「当然、家臣である山崎俊永も連座して追放された」
磯野員昌(かずまさ)は近江小川城主であった。元々磯野員昌は近江の大名である浅井長政に仕えていたが、その浅井長政を倒した織田信長に仕え、かつ浅井の旧領近江に領地が与えられている。
主家の浅井家が滅亡し落ちぶれる近江武士の多い中、磯野員昌は城持ち大名、当然の事ながら妬みを買い、その者たちは一揆を先導し磯野員昌の追い落としにかかろうとした。だが員昌は事前にそれを察知し、一揆が発生する前に討ち取った。だが、これでも旧浅井の残党はあきらめなかった。そんなある日、磯野員昌は領内視察中に見初めた美しい娘を召しだし伽を命じた。
これが命取りになった。旧浅井の残党は農民に化けて領主の磯野員昌は領内の若い娘を有無も言わさず召しだす暴君と信長に直訴したのである。実際に娘を召しだしたのは確かであり、磯野員昌は言い訳もできなかった。彼は命だけは助けられたが、城と領地も召し上げられて追放された。
信長は、かつて自分を狙撃し失敗した杉谷善十坊なる忍びを捕らえ、それを地中に埋めて顔だけ出して、首を竹鋸で通行人に切らせて殺した。その残酷さを磯野員昌が激しく非難していたと信長は伝え聞いていたので、この経緯も今回の追放という処分に至らせた所以だろう。
「な、ならば殿! 山崎殿を柴田家に召抱えれば!」
「それができたら、こんなに悩む事はないわい」
磯野員昌は追放を言い渡しに来た使者に『小者の流言に踊らされて家臣を追放するような大将に見込みはない。長政といい信長といい、つくづくオレは主君に恵まれない』と言い放ち、それを伝え聞いた信長は激怒し捕縛を命じたがすでに員昌は姿を消しており、家臣たちも信長の責めを恐れて離散しており、小川城はもぬけの空だった。
「それで腹の収まらない大殿は、員昌は無論のこと磯野家の旧家臣さえ召抱える事を禁じたのだ」
「そんな無体な!」
「仕方あるまい。織田家はそういう気風だ。隆広、九頭竜川治水の総奉行には石田三成を当たらせる。災害は待ってくれぬ。資金ができたなら即急に行う必要がある。三成に三千の兵を与えるゆえすぐに取り掛からせる。期限は半年で十分じゃろう。それにあやつとていつまでもお前の後にくっついているだけでは仕方あるまい。三成を総奉行として当たらせる」
「佐吉を……ですか?」
「そう恋人でも取られたような顔をするな。城下町拡大の主命期限は延期してやるし、資金も上乗せする」
「はい、分かりました」
「直賢」
「はっ」
「よう九頭竜川治水の資金を揃えてくれた。そなたは柴田家だけではなく、越前を救いし男よ。たとえこの先に越前の支配者が誰になろうとも、そして何百年の時が流れて越前の民がワシの名前を忘れたとしても、この国の民はお前の名前だけは忘れまい」
「勝家様! もったいのう……!!」
「何か望みはあるか?」
「さ、されば…」
「隆広の手前とて遠慮はいらん。申してみよ」
「で、ではそれがしの嫡男の幾弥を、手前と同じ商将ではなく武将として歩ませとうございます。童のころから非力なそれがしはこの道を選びましたが、息子には戦場を駆ける武将として生きてほしいのでございます。なにとぞ長じたらお取立てを」
「よかろう、良き文武の師をつけて、そなたの子が長じて一角の男と成長したならば! 必ずやワシの家臣として取立て重く用いよう!」
「あ、ありがたき幸せに!」
「墨付きを取らせる。隆広祐筆をせよ」
「はっ」
隆広は勝家の今の言行を書面に書いて、勝家に渡した。内容を確認すると勝家は花押と印判を押下した。今の言葉が口約束でなく、まことに約束した証となる書面である。立ち会っていた隆広の花押も付記されている。それを勝家から受け取る直賢。
「隆広、よき師を選び、直賢の息子につけてやれ」
「承知しました」
北ノ庄城をあとにする隆広と直賢。
「いいのか、あんな事を言って。そなたの後をついで商将となれば合戦で命を落とす危うさもないのだぞ。知らんぞ絹殿に怒られても」
「息子に望みを託す父親の勝手かもしれませぬが、息子の幾弥には戦場の将となってもらいたいのです」
童のころから痩せぎすで非力な彼は、結果算術家の道を歩む事を選んだが、それゆえ戦場の将に強い憧憬があった。息子が叶えてくれたなら…。妻の絹が生んだ男の子を抱いた時、そう思わずにはいられなかった。
「甘い師はつけないぞ。それでも良いのだな」
「はっ」
二人は笑いあいながら城下を歩く。そしてふと不安そうに隆広がもらした。
「それにしても……佐吉この九頭竜川治水大丈夫だろうか」
柴田勝家から石田三成への九頭竜川治水総奉行任命状を見つめる隆広。
「確かに初めての総指揮を執る治水工事としては相手が悪すぎますな……。九頭竜川は北陸一の暴れ川にござれば」
「いや知識や経験、そして技術的にも問題ないんだ。だが佐吉にはイマイチ貫禄と云うか…威厳がない。兵たちがおとなしく佐吉の指示に従うかどうか……」
「貫禄に威厳? 殿とてそんなもん無いですぞ」
プクリと頬を膨らませる隆広。
「ハッキリ言う男だな……」
同年の若者たちと比べれば、それ相応に貫禄も威厳もある隆広と三成だが、猛将揃いの柴田家の者たちと比べれば無も同じである。隆広は痛いところを突かれた。
「はっははは、貫禄も威厳もない殿にも今まで十二分にできたのです。知識と経験、それに技術に問題なければ三成も大丈夫にござろう」
「そうだな、殿の言われる通り、災害は待ってはくれない。佐吉にもハラを括ってやってもらわないと!」
「ならば信じて任せるしかございませぬ。殿に言うはシャカに説法でしょうが“疑うなら使うな、使うなら疑うな”にございますよ」
「うん、ではこれから佐吉に任命に行く!」
「では、それがしは商人司本陣へ戻ります」
「直賢、ありがとう。そなたの母上が申したとおり、そなたは越前の守り神だ」
別れ際、隆広は直賢の手を握った。二人の姿の影が夕日で伸びる。
「では殿は守り神の守り神にございます」
「そんな神様いるわけないだろ」
「はっはははは、それではこれにて」
急ぎ隆広は石田三成の屋敷へと向かった。向かったと行っても隆広の屋敷から数刻のところであるが。
「粗茶ですが」
隆広に茶を出す三成の妻伊呂波。
「いや伊呂波殿、おかまいなく」
「伊呂波、そなたは下がっていなさい」
「はい」
ペコと頭を垂れて、伊呂波は客間を出た。
「隆広様、何用でございますか」
「実は……」
三成の顔は見る見るこわばっていった。
「……そ、それがしが九頭竜川の治水の総奉行ですか!?」
「そうだ」
石田三成に勝家からの総奉行任命状を渡す隆広。それを丁重に広げると、確かに勝家から九頭竜川治水総奉行への任官が下命されていた。
「こ、こんな大仕事を…。しかも半年でやり遂げよなんて……」
「総資金は八万貫、当家の吉村直賢が越前のために稼いでくれた。また城の図籍庫には九頭竜川全域の図面もある。資金もあり資料も豊富、半年でやってやれない事はないはずだ」
「隆広様……」
柴田家で治水に長けている将は水沢隆広と石田三成である。隆広の治水術は斉藤家の美濃流と武田家の甲州流の技術を合わせたもので、三成は幼い頃からの独学で近江流の治水術を身につけている。二人は美濃流、甲州流、近江流を上手く合わせた治水術を行い、九頭竜川のような大きい河川は資金不足で着手していなかったが、その支流の河川はよく治めていた。
三成は隆広から美濃流、甲州流の治水技術も盗んでいる。独自に研究もしているため、こと治水では隆広より上の技術を身につけていた。最初はあまりの大役に腰が引けた三成だが、生来の行政官の血が騒ぎ出し、高揚感を覚えた。
(そうだ、いつまでも隆広様の後ろについているだけじゃダメなんだ! むしろ好機じゃないか!)
三成は勝家からの任命状を丁寧に折り畳み、そしてそれに会釈して懐に入れた。
「隆広様、慎んでその下命承ります」
「ありがたい! 殿の兵三千、オレの兵の一千を与える。辰五郎たちも連れて行くがいい!」
「ハッ!」
今まで水沢隆広の補佐として内政主命に当たっていた石田三成であるが、今回は自分が指揮官である。初挑戦で相手は名だたる暴れ川『九頭竜川』。三成は緊張を持ちながらも大役を拝命した喜びの中にいた。
第三章『九頭竜川の治水』に続く。