天地燃ゆ
第九部『松永弾正久秀』
第三章『謀将として』
「では使者殿、能書きは無用。本題に入られよ」
「はい、それではこの書状を」
久秀の息子、松永久通が隆広からそれを受け取り、父の久秀に渡した。二通の書状の裏を久秀は見た。
「信長と子セガレのか」
久秀は嘲笑を浮かべて、その書状を読まずに破った。
「な、なにを!」
前田玄以が立ち上がりかけた。それを隆広が静かに制した。
「ふん、読む必要などないわ。書かれている事は分かっている」
「左様でございまするか、ならばそれがしが口上で述べましょう」
「聞かずともよい。降伏をすすめるのだろう」
「いいえ、ただの降伏勧告ではございませぬ」
「ほう」
「大殿、織田信長の言を伝えます。『平蜘蛛を渡せば弾正のみならず城兵すべて助け、今後も領内の統治を任せる』以上です」
ザワザワと城主の間がどよめく。
「『平蜘蛛を渡せ』だと? ふん、信長の言いそうな事よ」
「いかがでございましょうか。茶器一つで御身は無論、家族郎党無事と相成りますが」
「そんな話を信じられると思うのか。浅井長政、荒木村重は一度信長を裏切りどんな目に遭ったか。平蜘蛛を渡しても我らの末路は見えておる。現に当家の人質二人を信長は殺している」
「お言葉ですが、弾正殿は今まで二度大殿を裏切っておられます。かつて弾正殿は大殿にこう申したそうでございますな。『裏切りこそが武将の本懐、恐れながらこの弾正、スキあらば何度でも裏切りまする』と。それでも大殿は弾正殿を用いてまいりました。それは弾正殿の才を惜しめばこそ。いまだ大殿には敵は多く、有能な大将は一人でも欲しいのが実情。確かに三度目の裏切りで大殿は怒り心頭となり、二人の人質を殺してしまいました。それが許せずこのまま徹底抗戦を続けるのも良うござりましょう。
しかし大殿は『平蜘蛛』によって免罪とすると申しておいでです。弾正殿も織田のチカラを利用して自分の版図を広げなさろうとしていなさる。『二卵をもって干城の将を捨ててはならぬ』と申します。大殿にも色々問題はございましょうが、それは弾正殿とて同じ。悪い箇所ばかり見て判断するのではなく、良い箇所を認めて仕えれば良いのではございませぬか。大殿は弾正殿の才幹を惜しんでおいでにござる」
「ふん……ならば平蜘蛛を渡す代わりに一つ所望しようか」
「何をでございまするか?」
久秀はゆっくり水沢隆広を指した。前田玄以が憤然として言った。
「水沢殿を家臣にご所望か! いささか図々しいのではなかろうか? 茶器一つで謀反が帳消しとなると云うのに!」
「家臣にではない、閨の玩具として用いる」
「弾正殿!」
前田慶次が立ち上がりかけた。隆広がそれを制した。
「それがしを閨の玩具に?」
「さよう、聞いておらぬか? ワシは男色家でもあるのを」
「……初耳です。無類の女好きとは聞いていましたが」
「女は女で好きだ。だが美童との閨も甘美でな。見れば見るほどに美男、いや六十過ぎたワシにすれば美童よな。そなた男を知っているか?」
隆広がもっとも嫌う邪推である。時に自分の容姿が恨めしくなるほどに。
「存じませぬ」
「ほうそうか! それほどの美童でありながら蓮の蕾(処女)か! ますます食らいたくなったのォ! わっはははは!」
前田慶次の堪忍袋の緒が切れた。
「おのれ弾正! ようも我が主に!」
「よせ!」
隆広が一喝した。
「しかし……!」
「着座せよ」
慶次は再び隆広の後ろに座った。
「弾正殿、それがしの伽は高くつきますぞ」
「ほう、いかほどじゃ?」
「松永弾正久秀の首」
松永久秀の家臣たちが立ち上がり、刀に手をかけた。だが前田慶次が隆広の後ろにピタリと付き周りを睨む。
「ワシの首とな……?」
「弾正殿がそれがしの上で快楽に酔っている時、そのシワ首をヘシ折ります。それでも良いか?」
「ほう、そんな事をすればこの城から生きて出られぬと云うのにか?」
「試してみますか」
「ふん……」
久秀は口元を緩め、いきり立つ家臣たちを座らせた。
「なるほど、ただ顔が良いだけの男ではないようだ」
「…………」
「許せ、戯れじゃ。ワシに衆道の好みはない」
「はっ」
「さて、平蜘蛛の件であるが、それは断る。降伏もせぬ。陣中に帰りそなたも城攻めに備えるがいい」
「……茶器一つで家族郎党救われるのにですか?」
「信長はワシを許しておらぬ。それに人質を殺した手前、再びワシを登用する危険性も読めぬほどバカでもあるまい。ここはワシを無罪放免にしても、いずれワシを殺す。ワシの家族郎党もな。『平蜘蛛』欲しさにここは許すと見せかけているだけよ。唐土の韓信のごとく、城に招かれてだまし討ちで死ぬような末路より、ここで城を枕に戦って死んだ方がいい。早いか遅いの違いでしかない」
「それは弾正殿個人のお考えにございましょう」
「確かにそうじゃ。ここにはワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めてワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる」
「分かり申した。行こう、慶次、玄以殿」
「「ハッ」」
「水沢隆広と申したな」
「はい」
「澄んでおり、かつ意思を宿した良い眼をしておる。けして信長に染まるな。良いな」
立ち上がりかけた隆広は、この松永久秀の言葉に少し驚いた。しばらく互いを見つめる水沢隆広と松永久秀。隆広は改めて鎮座し、姿勢を正して頭を垂れた。
「お言葉かたじけなく」
「久通、大手門までお送りせよ」
「は!」
「いや、父が失礼な事を言いました。許されよ水沢殿」
親子ほど年が違い、かつ敵将の隆広にも松永久通は礼を示しながら大手門まで歩いた。
「いえ、おそらく弾正殿はそれがしが使者として、降伏を受けないと云う自説を述べるに足る男かどうか、怒らせて試すつもりだったのでしょう。しかし……もっと違う形でお会いしたかった。色々とお教えしてほしい事がございましたに……」
「父に?」
「はい、弾正殿は長期の陣にて味方兵の士気を落とさせない事に関しては天才的と聞きました。どういう方法を執ったのかと……」
「ははは、大した事ではありません。陣近くの村々に父みずから出かけていき、ヒマを持て余している女たちにいい仕事があると陣中に連れてきて、伽を有料で依頼したりと……」
「なるほど、物は言いようですが、それは売春の斡旋ですな」
慶次は苦笑した。
「ええ、当然怒って帰る女もいましたが、まあ六割は残りましたよ。いい稼ぎになると喜ばせられましたし、兵も退屈しない。一石二鳥でした。あっははは」
「なるほどなるほど」
隆広はウンウンとうなずいた。
「あとはまあ……陣で饅頭や料理など作らせて他の陣を売り歩かせたりと。美味いものを作れば売れるし、兵たちはよく研究していましたよ」
「そういえば水沢様、聞いた事ありますよ『松永饅頭』と云うのを」
前田玄以も少し緊張が解けたのか、笑って言った。
「うん、見習う点も多い。さすが弾正殿だ」
松永弾正は悪事の限りを尽くしたが、部下に慕われた珍しい武将である。それは親近感から来るものだろうと後の歴史家は言っている。
彼は久通の言うとおり、陣が少し長引くといそいそと陣を抜け出して、ヒマを持て余している農民の女房たちが集まっておしゃべりをしている所にズカズカと割り込み
『いい仕事があるぞ。手伝わないか。ワシは織田軍の松永久秀と云う。やる気があるのなら世話をする』
と述べた。ちょうど農閑期を狙ったため、女房たちはヒマを持て余し、かつ収入も途絶えていたのでその話に乗った。
で、松永陣に来てみれば売春の斡旋。激怒して帰る者もいたが大半は残り、セッセと励んだという。大将自らがそんな事をしているのである。一様に部下たちは親近感を持ち慕ったのである。
「では水沢殿、ここからは父の戦ぶりを学ばれるが良いでしょう」
大手門に到着すると久通の顔も険しくなった。
「そうさせていただきます」
「では後日、戦場にて」
「はい」
バタン
大手門が閉められた。
「ふう、生きて出られましたね。水沢様」
「しかし……『茶器を惜しんで家臣の命を惜しまない主君』と城主の間の家臣衆に思わせたかったのだけれども……弾正殿の言った『ワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めて、ワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる』と云う言葉に一同感奮していた。何て事はない、オレは敵を鼓舞しに行ってしまった」
「いやいや、まだ結果は分かりません。八千すべてがそう思うとも限りませぬ」
そう言うと玄以はニヤと笑った。
「恐ろしいお方でございますな水沢殿は。久通殿と会話をしながら、かつ少しもキョロキョロする事もなく……城の様子を見ておいでだった。それがしが見るに何か探しておいでのようでしたが?」
「そうなのですか? 隆広様」
「うん。兵の待機場所を探した」
「待機場所を?」
「無論……何箇所もあるのだろうが、見つかるのは一箇所だけでいい。そして見つけた」
「そのような場所を見つけていかがなさる?」
その質問に玄以が答えた。
「前田殿、今回の使者、こちらが『平蜘蛛渡せば、全員助ける』と述べ、弾正殿がそれに否と言えば、それだけで成功とも言えるのです。おいおい兵にまでその話は行き着くでしょう。確かに幹部は水沢殿の申すとおり、より結束が固くなったとも見えます。だが末端の兵士はどう思うでしょう。そこに内応を促す矢文を射ればあるいは!」
「なるほど……」
「さ、若殿も気をもんでいましょう。水沢殿、前田殿、本陣に帰りましょう」
「そういたしましょう」
水沢隆広、前田慶次、前田玄以は本陣に戻り、詳細を信忠に報告した。
「……と云う事にございます。弾正殿は平蜘蛛を渡す事を拒否。かつ降伏も拒否と相成り申した」
「ふむ、だいたい筋書き通りと云う事か。久秀が『否』と言った時、重臣たちの反応はどうであった?」
「はい、弾正殿はこのように申しました。『ワシと運命を共にするのも否という者もいるだろう。だが、そういう連中も含めて、ワシは家中の者として愛し、そして信長に意地を見せる』と。この言葉に感奮した家臣も数人見られました。おおよそ幹部の調略は不可と見込みました」
「ふむう……さすが松永ダヌキ。不和を生じさせるどころか、逆に感奮興起にこぎつけよったか」
信忠は腕を組んだ。
「御意。むしろ後がない合戦ゆえ家中の結束は固いと見ました。しかし……」
「しかし……?」
「これはあくまで幹部の話。末端の兵卒はこれを聞けばいかが思うでござりましょう」
「ふむ……」
「城の出口から、弾正殿の子息である久通殿と談笑しながら大手門まで歩きました。その間、それがしは探し物をしたのですが運良く見つけられました」
「なにをだ?」
「兵の待機場所です」
「ふむ、大手門付近だからそれはあろうな。で、それを見つけていかがする?」
「城主の間には弾正殿、久通殿合わせて三十人近い幹部がおりました。もうしばらくすれば『平蜘蛛を渡せば将兵すべて助ける』と使者が述べたに対して弾正殿が『否』と言った事も伝わるでしょう。幹部は主君と死ぬのもいい。しかし末端の兵士はそうとは限らない。
たとえ今は殿様のためにと考えていても、茶器一つに全兵の命と天秤にかけたと伝わればおのずと考え方も変わります。だから時を見計らい、兵の待機場所に矢文を投じます。『茶器とそなたたち兵士とを天秤にかける大将のために死ぬべきではない。織田軍に味方すれば恩賞を与えよう』と」
諸将はゴクリとつばを飲んだ。竹中半兵衛は微笑みながら二つほど頷いていた。
「しかし隆広、敵の内応がこれまた向こうの策ならばいかがする? 内応したと見せかけて逆用されたら目も当てられんぞ」
「我々は矢文を射掛けたら、そのまま城を包囲していれば良いと思います。向こうが内応に答えるふりをしても、城内に何の動きがなければこちらは動かない。動かなければ内応策を逆用されても実害はありませぬ。矢文を射てもしばらく信貴山城内に異変なくば、その時は改めて戦のやりようを切り替えれば良いかと」
「うむ、諸将はどうか?」
本陣の各将たちは頷いた。
「隆広殿の策こそ用いるべきと」
と羽柴秀吉。
「恐れ入った。それでまだ十七とはのォ。ウチの忠興に爪の垢でも飲ませたいわ。あっははは」
細川藤孝も手放しで賛成した。
「よし、本日はこのまま包囲を続けるだけでよい。明日にでも第一矢を投じてみよう。以上、解散!」
隆広と慶次は本陣を後にして自分の陣場へ歩いた。
「謀略は好かぬ、そういう顔をしているな慶次」
「はい、正直好きになれませぬ。久通殿とあんなに親しく話していた上で、あのような策を巡らしておいでだったとは……」
「凡庸な将が篭っても城攻めは難しいもの。まして弾正殿相手ならなおの事に謀略や計略は必要と思う。チカラ攻めをしたらあの堅城、負けは必至で、かつどれだけ犠牲が出るか分かったものではない。外部から落とせないのなら、内部から落とすしかない。
毛利元就殿が寡兵を持って戦上手と言われていた陶晴賢殿を厳島で倒したのも二重三重の謀略あればこそ。だからオレは今回の策を巡らした事は恥と思わない。敵は堅城に篭り、攻めるほうが圧倒的に不利。戦略的な不利を戦術で補い、やっと五分になれるのであるから」
「しかし謀略に頼るものは謀略で身を滅ぼしますぞ。策士、策に溺れると云いますからな」
「確かにそうだ。だからオレのような男はそのサジ加減を見極めなければならないのも不可欠な事だと思う。しかし『計なきは敗れる』のも確かだ。戦は勝たなければならない。負けてオレたちが戦場の露になるのはいい。しかし負ければ民百姓が泣く。
今回の戦にしてもそうだ。松永勢の兵たちは将軍足利義輝様を殺すために京へ攻めたとき、公家の女たちを犯しに犯しつくしたと聞く。もし今回の戦に負けて、弾正殿が勢いづき、伊勢、京の山城、はては安土にまで攻めてみろ。織田領内の娘たちが犯される。さえとそう歳も変わらぬ娘たちがな。オレはそういう悪逆非道は許せない。また敵国を攻める時に火を放つのは基本。民は何の予告もされず、それまで積み上げたものが理不尽に奪われる。民や女子こそが国の根本。その幸せを守るためなら、オレは悪辣な謀将と呼ばれようが一向にかまわない。それだけは覚えておいてくれ」
隆広の一つの覚悟を見て慶次はニコリと笑った。
「心得ました。その時は大将のサジ加減を信じて、それがしも共に汚名も悪名も被ります」
「ははは、でもよく言ってくれた。『策士、策に溺れる』は常に頭と心に置き止めておくよ」
「ではついでにもう一ついいですかな?」
「え?」
慶次はコホンと一つ咳をした。
「隆広様は智将かつ謀将でありますが、あまり他者に気を使いになっておられぬ。並ぶ諸将は織田の重鎮で、その中には隆広様が生まれる前から織田に仕えておられる方もいらっしゃいます。それがポッと出てきた若者に軍師気取りで策を言われたらどう思いますか。少なからず不愉快にもなります。今はまだ諸将は隆広様を子ども扱いしているから献策も受けられましたが、過ぎれば逆に恐れられ生意気だと煙たがれます。佐久間様や佐々様のような“隆広嫌い”をこれ以上増やさぬためにも時に他者へ上手い策を出させるような誘導的な弁舌も使いなされ。
妬む者を小人と思い度外視してはなりませぬ。この世は天才の世ではなく、愚者の世。唐土の韓信、そして源義経や太田道灌の例もございますぞ。今日の味方が明日は敵なんて事もあります。才気ばかり先に出して味方の中に敵を作れば本末転倒。和を図る事を忘れてはなりませぬぞ」
隆広はポカンとした。慶次の方こそが他者の事などどこ吹く風で世の中を歩いているからである。しかし、だからこそ見えてくる人の面があるのも確かである。隆広は立ち止まり、慶次に頭を垂れた。
「ありがとう慶次……。今の言葉、オレの一生の教訓とする!」
「分かれば良いのです」
「今ならまだ間に合うかな。今回の戦ではもう無理だろうけど」
「そうですな、まだまだ織田の軍団長が連合して敵に当たる事は山ほどあるでしょうし、北陸部隊独自の合戦もあります。今までは『まだ若いから』で済ませられるやもしれませんが、今の事を胸において軍議や評定に望めば、今後は他の諸将の覚えも違いますし、無用な恐れを抱かせずに済みます」
「分かった。またオレがそれを忘れそうになったら叱ってくれ」
「無論です」
政務能力は皆無の前田慶次であるが、同時に風雅の嗜み尋常ならずと言われるほどの教養人の面も持っている。茶の湯や詩歌、古典の文章の解読においては隆広も遠く及ばない技量を持っている人物なのである。この隆広への諫言は慶次のそういう面が出た話と言えるだろう。
一方、こっちは羽柴秀吉と竹中半兵衛。陣屋で酒を酌み交わしていた。
「のう半兵衛、ワシは隆広殿が恐ろしく感じてきた」
「殿に恐れられるのであるのなら、竜之介はもう立派な武将でございますな。かく云うそれがしも、あのカミソリのごとき切れ味の智謀が恐ろしく感じたものです」
「ありていに申せば、隆広殿がもし羽柴家に仕えていたら、ワシは兵すら与えず、もっぱら行政官として使うだけじゃろうな。それほどに恐ろしい。おぬしのごとく、わずか十数騎でも城を落とせるほどの智謀の持ち主じゃ」
「確かに……。あの智謀が返って他者の警戒を生まなければ良いがと不安も感じました。後ろにいた前田慶次殿が苦々しい顔をしていましたから、おそらく今ごろ竜之介は彼に説教でもされているでしょう」
「しかし解せん、あの小心者の勝家がよくまあ隆広殿を重用する。あやつの肝では有能すぎる部下は遠ざけても不思議ではないのだが……」
「確かにそれがしもその事は奇異に感じていました。手取川の戦いのときは、ことごとく竜之介の献策を退けたのに、結局はすべて竜之介の言うとおりになってしまいました。勝家殿からすれば、とても扱いづらい部下のはず。それが部将にまで取り立て、ほぼ領内の内政をすべて任せています。重用どころか、他者を無視したエコ贔屓にすら感じます」
「そうよなァ……」
「まるで……頼もしい息子を盲愛するかの……」
ハッとして秀吉と半兵衛は顔を見合わせた。
「ははは、まさか、戯言です殿」
「いや半兵衛ありうる。ワシもまだ実子がおらぬから分かる。ある日突然に実の息子がいたと分かり……しかもその息子が自分に従順な性格で、かつあれほどに頼りになる智将であったら……ワシとて周りの事など何も見えぬ。盲愛する……」
「殿……」
「もしもそうなら……ワシは勝家がうらやましいのう」
秀吉は苦笑いをして酒をあおった。
翌日の夜、信忠の書状が矢文として、隆広が城を出る前に見つけた大手門近くの兵の待機所めがけて放たれた。
水沢隆広が見込んだとおり、兵士たちには主君久秀が自分たち兵士を助けられる好機を得ながら茶器一つのために、その好条件を一蹴した、と云う噂が走っていた。そこに信忠からの矢文である。またも隆広は『心を攻めた』のであった。
第四章『久秀の最期』に続く。