天地燃ゆ

第九部『松永弾正久秀』

第二章『織田中将信忠』


 北ノ庄城を出発した柴田軍五千は水沢隆広を大将に、可児才蔵、奥村助右衛門、前田慶次を将とし、およそ一週間後に大和多聞山城に到着した。
 廃城となっている多聞城であるが、西の信貴山城に備える本陣のため簡易な陣屋が所々に建設されており、織田の桔梗紋の旗が掲げられていた。柴田軍が一番遅い到着であるが、期日より三日も早く、かつ他の将帥より遠い地域からの参陣である。水沢隆広の指揮した行軍だから期日より早く到着したと言っても良いくらいである。隆広が着陣した事を総大将の織田信忠に報告に行こうとしていると……

「おお! よう来てくれたな! そなたが水沢隆広か!」
「え?」
「織田中将信忠である」
 信忠は隆広の到着が嬉しかったのか、整えていたマゲをそのままにし、鎧や具足もいい加減な装着な状態で本陣から出て来て隆広を迎えた。
「…………」
「上杉三万を二千で退けた手並み! 期待しているぞ」
「……は」
「陣場を築き終えたら、本陣に来い! ははは!」
 信忠は隆広の背中をポンポン叩き、言うだけ言うと本陣に戻っていった。
「可児様、慶次、助右衛門、北ノ庄に帰ろう」
「はあ!?」
 奥村助右衛門はあぜんとした。
「な、何故ですか! 無断で帰陣などしたらどんなお咎めがあるか!」
 助右衛門は必死で止めるが、隆広は落胆のため息でそれに答えた。
「見ただろう、若殿の髪と鎧と具足。着陣した将をあんな姿で出迎える方に大将の器などない。相手は松永弾正殿で、しかも城に篭られて必死の抵抗をしてくるのだぞ。ヘタすれば全滅。たとえ殿や大殿の勘気を被ろうと、見込みのない総大将の元で、かつ手伝い戦で、ただでさえ少ない柴田の兵を死なせるなんてゴメンだ。帰る!」
「し、しかし……」
 助右衛門は慶次と才蔵を見るが二人は特に隆広を止める様子はない。同じ印象を信忠にもったのかもしれない。

「あっははははは!」
 本陣に帰っていたと思っていた信忠が再び現れた。今度はマゲもちゃんと結ってあり、鎧も具足もキチンと身につけ、陣羽織も糊の効いた立派なものをまとっていた。どこから見ても由緒ある上品な若武者だった。さきほどの姿とは雲泥の違いである。
「わ、若殿……?」
「さすがは父信長に『間違っている』と言ってのけた北ノ庄のネコよな」
「……?」
「試すようなマネをして済まなかった。だが期待通りの反応をしてくれて嬉しく思う。もはや気づいておろうが、平将門と俵藤太の故事からお前と言う人物を見てみたのだ」
 戦国時代よりはるか昔、時の朝廷への反乱に立ち上がった東国の猛将平将門に、俵藤太が援軍に駆けつけた。将門はその嬉しさのあまり、取るものも取らず、結髪していない頭を露出したまま下着の白衣であわてて出てきた。この時に俵藤太は平将門と云う人物を鋭く見抜いて、“この者の本質は軽率である。とても日本の主とはなれない”と将門を大将の器にあらずと判断して退陣してしまった。
 信忠は自分が将門の立場になり、隆広と云う武将を図ってみたのである。隆広が何も感じずに、そのまま黙って幕下につくようならば大した武将ではないと信忠は見るつもりだった。
 信忠にとっては年が近い隆広。しかも若くして部将。後々には自分の右腕ともなるかもしれない男と見込み、信忠は少し意地悪な試験をしたのであった。何故なら今回の戦に『水沢隆広の参陣を』と父の信長に懇願したのは信忠自身であったからである。
「わ、若殿も人が悪うございます!」
 隆広は赤面した。
「ははは、そう膨れるな。あと若殿はよせ。オレはお前より三つ年上だぞ」
「分かりました。では……信忠様と」
「結構だ。とにかく越前からの遠路大儀であった。疲れていようがちょうど軍議を広く。陣場作りは部下に任せ、そなたは副将を連れ急ぎ本陣に参れ」
「ハッ!」
 奥村助右衛門、前田慶次、可児才蔵は織田の若殿である織田信忠と初めて会ったが、この隆広との初対面で中々の男と見た。
「では、可児様、主君隆広と本陣へお願いいたす」
 と、助右衛門。
「承知した」

 本陣の陣屋に行くと、羽柴秀吉、竹中半兵衛、明智光秀、斉藤利三、丹羽長秀、佐久間信盛、細川藤孝、筒井順慶と云ったそうそうたる織田の武将たちが軍机を囲んでいた。
 信忠が陣屋に入ると、各将は立ち上がり頭を垂れ、そして信忠が着座すると座った。隆広と才蔵は末席に座った。いかに織田筆頭家老の柴田家からの参戦だろうと、隆広は勝家ではなく家老でもない。家の順から云えば一番の上座が妥当であるが、まだ部将になりたての隆広が丹羽や明智を越えて上座に座っていいはずがない。
 そしてここには隆広の師で義兄でもある竹中半兵衛もいる。隆広は半兵衛と同じ席で軍議を迎えられた事が嬉しくてたまらなかった。
(義兄上と同じ席で戦を論じ合えるなんて!)
 竹中半兵衛も顔には出さないが、その喜びをかみしめていた。隆広が上杉三万を二千で後退させた策を聞いたとき、『もはや我も及ばぬ』と手を打って喜んだ。その誇りに思う義弟と戦を論じる幸せを半兵衛もまたかみ締めていた。

 総大将の信忠が軍議の端を発した。
「さて、この若武者がどこの誰か知らぬ者もおろう。隆広、そなた改めて名乗るがいい」
「はっ」
 居並ぶ諸将が隆広を見た。隆広は立ち、深々と頭を垂れた。
「柴田家部将、水沢隆広です」
「ほう、そなたがそうか」
 腕を組んでいた細川藤孝が腕をほどいて感心したように言った。
「なんとまあ、わが子忠興と同じ年頃ではないか。それですでに部将とは大したものでござるな」
「は、はあ……運が良かったようで」
 隆広は照れた。
「手前は細川藤孝と申す。今後よしなに」
「こ、こちらこそ!」
「手前は筒井順慶である。上杉との戦ぶりは聞いておる。今回の戦でも楽しみにしている」
「は、はい!」
「明智家家老、斉藤利三でござる。それがしも元斉藤家家臣。戦神と言われた隆家殿のご養子君と陣場を同じくするのは嬉しく思います。よろしく願いもうす」
「はい! こちらこそ!」
「佐久間信盛である。そなたとわが一族の盛政はあまり仲がよくないと聞いたがまことか?」
「は、はい……」
「うーむ、あやつも色々と癇癪持ちゆえな……。でも根はいい男なのだ。そんなに嫌わずにの」
「はい!」
 若武者らしい無邪気で元気の良い返事に諸将は微笑んだ。だがまだ一人残っていた。その自己紹介の場を無視して信貴山城の地形図をジーと見ていた。隆広より十五ほど年上の大将で、隆広はその人物を知らない。
「あの……」
「…………?」
「手前、水沢隆広と申します」
「……聞こえておりました」
「あ、はあ……」
(ぶっきらぼうな人だな、可児様といい勝負だ)
「ははは、こういう方なのでござる隆広殿、この御仁は山中鹿介幸盛殿だ」
 羽柴秀吉が紹介した。
「こ、このお方が『我に七難八苦与えたまえ』の!?」
「いかにも、ただいま羽柴の客将にございます、山中殿」
「……は」
 秀吉にあいさつを促されては仕方ない。
「山中鹿介にござる」
「い、一度お会いしたいと思っておりました。感激です……!」
 眼をキラキラさせて鹿介を見る隆広。まるで童が桃太郎や牛若丸に憧れるような眼だった。
「い、いや、かように勿体無く思うほどの者ではございませぬよ、参りましたな……」
 毛利元就に滅ぼされた主家の尼子家を再興させるため、彼は中央で勢力拡大の著しい織田信長に頼る事を考えた。そこで隠岐の地で僧侶となっていた尼子勝久を還俗させて招いた鹿介は、織田軍の羽柴秀吉の仲介で謁見をする事になった。鹿介と会った信長は援助を許可し秀吉の支配下に入れる事を命じた。
 そして再び尼子の旧領の因幡に進入し三千の兵で次々と城を攻略。鹿介が去った後に侵入してきた毛利軍の威風を恐れてそちらになびいていた山名氏も再び来た尼子軍の勢いが盛んだと見るとまたも尼子に協力するようになる。これにより因幡の大半が尼子氏の傘下に入った。
 しかしその翌年に尼子軍が鳥取を離れ若桜鬼ヶ城の攻略に向かい留守にしていた時に、毛利軍が再び侵攻してくると山名氏がまたも毛利に寝返ってしまう。これにより尼子軍は苦境に立たされる。しかも毛利の主力である吉川・小早川の両将が因幡に入り状況はますます悪くなった。
 尼子軍は私都城を拠点としていたがここにも毛利軍が来襲。ついに支えきれなくなった鹿介らは京都方面に逃走し、三年に渡る因幡での戦いは幕を閉じる。
 京へ戻った鹿介は、羽柴秀吉に従い織田信長に対して謀反をおこした松永久秀を討つため、今回の陣に参加し、隆広と対面したのであった。

 一通り自己紹介も終えたので信忠が切り出した。
「さて、これで松永ダヌキを仕留めるための諸将はそろった。まず改めて状況を確認する。半兵衛」
「ハッ」
 竹中半兵衛が立った。
「弾正殿は上杉の動きにほぼ連動して信貴山城に篭りました。まず信貴山の麓にある支城片岡城を細川藤孝殿、明智光秀殿、筒井順慶殿が攻められて落としました。本城のある信貴山は河内国と大和国を結ぶ要衝の地で、弾正殿はこの山上に東西・南北とも広範囲な放射状連郭の城を築きました。山城としては当代随一と思えます。片岡城のようには参りませぬゆえ、若殿率いる織田本隊の到着の由と相成りました。そして兵数ですが物見によると敵方八千。兵糧と水は豊富との事です」
「若殿、これはチカラ攻めを避けて、包囲して信貴山の城下町をかこみ、城下を焼き払った上で敵の兵糧と水が切れるのを待つべきかと存じますが」
 秀吉が言った。

 松永弾正の謀反は色々な要点が重なって起きたと思われる。一つはかつて織田信長が徳川家康に
『これなるが松永禅正でござる。これまで普通は人のしない事を三つしおった。一つは将軍殺害、もう一つが主君である三好への反逆、最後に大仏殿の焼き払い。普通はその一つでも中々できないのに、それらを事ごとくやってのける油断ならない者で物騒千万な老人である』
 と紹介し、家康の前で面目を失わせた事。二つは彼が築城した多聞山城を明け渡したにも関わらずに筒井順慶に与えたうえ廃城にした事。その他も色々と考えられるものの、かつて松永弾正は織田信長が浅井長政に裏切られ朝倉攻めから撤退する折、朽木越えを先導して、信長を無事に京へ逃がした事もある。スキあらば裏切る彼が信長を守り通した。後世の視点から見ても彼は不思議な男である。
 それが今年八月、石山本願寺攻囲に当たっていた松永弾正は紀州雑賀衆の再挙のため佐久間信盛がそちらに向かったスキに、信貴山城に立て篭ってしまった。上杉の動きに呼応しての挙兵とも考えられる。信長の使者が理由を問い合わせたところ回答を拒否したため、信長は怒り二人の人質を殺し、久秀討伐の大将に信長の長子信忠をあてた。これが信貴山城攻めのあらましである。

「光秀はどう思うか」
 信忠が光秀に尋ねた。
「はっ、半兵衛殿が言われるとおり信貴山城は山の利点を生かした難攻不落の要害。それがしも包囲策が最善と思われます。人質の童二人を殺した事で松永勢は若君の仇と言わぬばかりに士気も上がっておりましょう。チカラ攻めはそれがしも反対でございます」
「しかし、包囲戦術には時間がかかりすぎる。あまり手間取っていては雑賀衆や門徒がいつ背後を襲うか分からぬ。それと呼応して松永勢が大挙して押し寄せてきたらひとたまりもないぞ」
 ご意見番ともいうべき、佐久間信盛が言った。
「チカラ攻めでは犠牲大きく落とせる可能性はなし。かといって包囲では背後に雑賀衆と門徒がいつ寄せるか分からない。ではどうすれば良いというのか」
 信忠が焦れて言うと

「あの……」
「隆広か、何か妙案があるのか?」
「内応者を作ってはいかがでしょう」
 今まで腕を組んで黙っていた鹿介は隆広を見た。信忠が訊ねる。
「ほう、続けよ隆広」
「はい、いかに堅城でも内部から崩壊すれば終わりです。城兵八千、これが主君弾正殿に対して一枚岩であっても、大軍に城を包囲されているのですから、少なからず恐れているものもいるはず。たとえ一兵卒でもいい。米蔵に放火すれば大金を与えると約束すれば」
「竜……いや、隆広殿、中々面白い策だが信貴山城には一兵卒に至るまで頑強に閉じこもっている。どうやって内応を促す?」
 義兄半兵衛が尋ねた。
「軍使として城中に入り、その上でめぼしい者を探します」
「それが出来れば苦労はせんよ。織田の大殿に三度叛旗を翻し、もう絶対に許されないと分かっている。降伏しても殺されるとな。大殿は裏切り者を絶対に許さない。浅井長政殿、荒木村重殿がどうなったかも重々承知のはず。ゆえに城中の者も必死だ。使者として入ったとしても何か妙な事をされないように兵士がピタリとついているだろう」
「ならば……最初は、いかにも大殿が『これならば許す』と云う条件をデッチあげて城内にゆさぶりをかけてみては?」
 各将が一斉に隆広を見た。コホンと一つ咳をして光秀が聞いた。
「隆広殿、具体的には?」
「はい、大殿は弾正殿所有の茶釜『古天明平蜘蛛』を欲していると聞いています。それを渡せば弾正殿は無論、家臣一党すべて許すと」
 信忠は手を叩いた。
「うん、確かに父上ならば言いそうだ。あの茶器は一国に匹敵する価値があるとも言っておられたからな」
「しかし若殿、あの茶釜は弾正殿秘蔵の名器、渡すとは思えませんが」
「恐れながら細川様、それが狙いです」
「な、なに?」
「平蜘蛛がいかに名器であっても所詮は茶器です。それを渡せば城兵の命さえ助けると言っているのに、弾正殿がそれを拒否すれば家臣たちはどう思いますか。茶器一つと八千の命を天秤にかけたと思うでしょう。いわば『離反』を狙う策です」
 羽柴秀吉、竹中半兵衛、明智光秀、丹羽長秀、そして信忠もあぜんとした。
「コホン……。秀吉、光秀、隆広の策をどう思う?」
「は、この上ない名案かと」
(恐ろしい小僧だ……)
 羽柴秀吉は寒気すら感じた。
「しかし隆広殿、もし弾正殿が渡すと言ったらどうする? 我らの判断で弾正殿や城兵の命を助ければ大殿は許さぬぞ」
 かつて光秀は自分が攻めた波多野氏の降伏を認めて、信長の逆鱗に触れた苦い記憶がある。
「その時は正直に事情を話して、大殿に平蜘蛛を献上し、お叱りを受けるしかないです。発案者のそれがしがその叱責を受けます」
「いや、それは総大将のオレの仕事だ。茶器一つで降伏してくれればそれに越した事もない。平蜘蛛を父上が欲しているのも事実であるからな。では……使者であるが、隆広そなた行ってまいれ」
「はっ」
「副使を二人連れて行くがいい。一人はオレの配下の前田玄以を連れて行き、あとはそなたの部下を連れて行くがいい。すぐに使者の正装をしてまいれ。その間にオレから弾正への書状を書き終えておく」
「かしこまいりました」
 隆広と才蔵は軍机を立ち、本陣から立ち去った。

「ふう、筑前(羽柴秀吉)、どう見た? あの若武者」
「は、若殿のたのもしき右腕となりうる器かと」
「うむ、オレもそう思う。まさに子房(漢の高祖劉邦に仕えた名軍師、張良の事)を得た思いだ」
「しかし若殿、なにゆえ隆広殿を松永殿への使者に?」
 と、丹羽長秀。
「おそらく、そなたたちでは弾正が会わぬだろう。また名も知れぬヤツでも弾正は会わぬ」
「確かに……」
「弾正にとり、隆広は孫も同然の歳。案外逆に興味が湧くかも知れぬ。それに上杉三万を二千で後退させたと云う武勇伝も伝え聞いていよう。弾正は隆広に会う。まず対面がならねば何にもならぬ」

 隆広は出来上がっていた自分の陣場に帰ってきた。
「矩久、至急にオレの素襖を出してくれ」
「正装を? まさか使者に?」
「そうだ、信貴山城に出向く」
「かしこまいりました。すぐに用意いたします」
 奥村助右衛門と前田慶次がやってきた。
「隆広様、信貴山城に使者とは本当ですか?」
「本当だ助右衛門、副使に慶次を連れて行く。護衛を頼む」
「承知しました」
 松山矩久と小野田幸猛が手際よく隆広の鎧を脱がせて正装を整えた。二人に着せ付けをさせながら隆広は指示を出した。
「可児様、今日のところは軍事行動もありませぬ。兵馬に休息と食事を取らせて、ご自身もお休みください」
「分かった」
「助右衛門、我が陣も同じだ。兵馬に休息と食事を取らせよ。飲酒も許可する」
「承知しました」
「オレは少し出かけてくるから留守を頼む」
「は!」
 正装である素襖の着せ付けが終わった。
「矩久と幸猛も助右衛門の指示の下、兵の統括を頼む」
「は、はい!」
「何を緊張している? 大丈夫だ、行軍中の野営においてもお前たちは見事に兵を監督していたではないか。頼むぞ!」
 隆広はニコリと笑い、矩久の腰をポンと叩いた。
「は!」
 慶次も正装を整え終えた。正装はあまりした事がないので窮屈そうであるが、大男の彼であるから、素襖の正装がよく似合っていた。見方によっては隆広が慶次の副使のようである。
「うん、では行くか慶次」
「御意」

 隆広が本陣に戻ると、もう一人の副使である前田玄以が正装して待っていた。
「お待ちしておりました。それがし若殿配下、前田玄以にございます」
 僧侶姿の武将だった。腰は低いが威厳は十分に感じさせる。
「水沢隆広です。前田様の噂は伺っております。信忠様の智恵袋の前田殿。お会いできて光栄です」
「こちらこそ。此度の大任を共に当たれて嬉しゅうございます。では水沢様、若殿にもう一度お目通りを」
「はい」

 軍机にはまだ各諸将が座っていた。
「おお、正装も中々似合うではないか」
 信忠がからかうように言った。
「は、はあ……あまり慣れていないのですが……」
「ははは、ところで隆広。お前が本陣を出て行き違いに父上からの使者が来た」
「大殿の?」
「使者の持ってきた書状を見て驚いた。『平蜘蛛を差し渡せば弾正とその家族郎党の助命を許し、今までどおり領内の統治を許す』と記してあった。奇遇にもお前の策が現実になってしまったわ」
「なんと……」
「隆広、父上の書状を持って行け、そしてこれがオレの添え状である」
「かしこまいりました」
「うむ、難しい役目だが、そなたが一番適任じゃ。頼むぞ」
「は!」

 こうして隆広は前田慶次、前田玄以を連れて敵地の信貴山城に向かった。慶次は隆広と玄以の護衛。玄以は総大将信忠の名代として隆広が何を久秀から問われても答えられるように添えられた智恵者である。使者の作法にのっとり正装で身を整え、『軍使』と書いた旗を前田慶次が持ち、隆広に従った。その道中に玄以が言った。
「しかし水沢様、驚きましたな。あの献策が現実になるなんて」
「ええ、それがしも驚きました。大殿が喉から手が出るほどに欲しがっていたと聞きましたが本当のようですね。茶の湯はたしなむ程度しか知らないそれがしには分からない事ですが」
 信貴山城の見張り台にいる兵士が三人の武者が馬に乗り、『軍使』と旗を立てて向かってくるのを見つけた。
「使者か、よし殿に伝えよ」
「ハッ」

 水沢隆広と前田慶次、前田玄以は信貴山城の城門までやってきて馬から下りた。
「止まられよ、織田軍のご使者か」
 門番が槍を突きつけながら言ってきた。
「いかにも、手前、織田中将信忠様の使者、水沢隆広と申す。松永弾正殿に目通り願いたい」
 古式豊かな作法を守り、隆広は門番に礼を示した。門番も礼儀を守り、槍を収めた。
「しばし待たれよ、いま殿に取り次いでいるところにございます。ご使者の名前は水沢隆広殿でございますな?」
「左様でございます。副使の二人は前田慶次に、前田玄以にございます」
 慶次と玄以も礼儀正しく頭を垂れた。
「承知しました。しばらくお待ちください」
 使者の名前を聞いた兵が急ぎ城主の間に駆けていった。

「追い返せ」
 城主の間にいた松永弾正久秀はただ一言こう言った。そして使者の名前を告げにきた二人目の兵が久秀に伝えた。
「使者の名前は水沢隆広、副使は前田慶次に前田玄以にございます」
「なに……?」
 信貴山城の平面図をずっと見ていた久秀の顔が兵に向いた。
「水沢隆広、確かにそう申したか?」
「はい」
「どんな容貌だった?」
「は、まだ年若い少年で……さながら女子のごときの優男にございました」
「ふむ、間違いなさそうじゃ。よし会おう。そなたらも使者を迎える位置につけ」
「「ハッ」」
 久秀は城主の席に座り、重臣たちはその左右に並んで座った。一度はむげもなく『追い返せ』と言ったのに、名前を聞いたとたんに会う気になった久秀。信忠の予想通りだった。久秀の息子の松永久通が疑問に思い尋ねた。
「父上、ご使者を知っているのですか?」
「……水沢隆広と言えば、女子のごとき容貌のワラシらしいが、あの上杉三万を二千で退かせた若武者だ。ワシの上杉との挟撃策を頓挫させてくれたワラシ。見てみたいと思ってな」
「なるほど」
「殿、ご使者のお越しにございます」
「お通しせよ」
「ハッ」

 水沢隆広は信貴山城の城主の間に入った。松永久秀の側近がズラリと並び、敵意むき出しの目で睨んでくる。並の者ならこれだけで腰が引けてしまうが隆広は平然としていた。床をスッスッと歩き、久秀に寄った。そのすぐ後ろに前田慶次と前田玄以が続いた。
(ほお、美童と聞いてはいたが噂以上だな)
 松永久秀は美男の男が嫌いである。彼自身が美男とほど遠い容貌である事もあるが、彼の経験では美男の男はだいたい使い物にならなかった。部下としては頼りなく、敵としてはモロい。だが目の前の少年はあの上杉の大軍を寡兵で退かせている武将である。美男だけではない『面構え』を久秀は読み取った。
 隆広は使者の作法にのっとった位置取りで座り、松永久秀に頭を垂れた。隆広の後ろで慶次と玄以も座り、頭を垂れた。
「織田中将信忠が使者、柴田家部将、水沢隆広にございます」
「松永久秀である」
 年齢差およそ五十歳。まるで祖父と孫の年齢差である。戦国一の梟雄と呼ばれた松永久秀と、後に戦国時代最たる名将と呼ばれる水沢隆広の最初で最後の対面であった。


第三章『謀将として』に続く。