天地燃ゆ
第七部『歩の一文字』
第二章『ルイス・フロイス』
勝家と市との面談も終え、隆広は侍大将になれたことを早くさえに知らせたくて城下町を駆けていた。その時、一つの出会いがあった。
「もしもし、アナタは柴田家の方ですか?」
「は……?」
急いでいるのに、と振り返ればそれは前田慶次と同じくらいの背丈の異人だった。見れば同じような異人をあと一人連れている。異人などいない北ノ庄ではずいぶん目立っていた。町行く人が振り返る。隆広もその異人を見上げた。
「お、あ……」
「オオ、そのオナゴのごとき美しい顔。そなたはタカヒロ・ミズサワにござるか? オオトノに聞いております」
「あ、あの……」
「申し遅れました。ワタシはルイス・フロイスと申します」
「あ、あなたが大殿のキリシタン宣教師ルイス・フロイス殿にございますか!?」
「ギョイにござる。このキタノショウの布教をオオトノから許されて参りました」
「は、はあ……」
(そりゃ難しいな、殿はあまり異人を好まれない……)
「タカヒロ、カツイエ殿に会わせてクダサイ」
(いきなり呼び捨てか、まあこれが彼ら異人の文化なのだろうな。しかし……)
コホンと一つ咳払いをして隆広は言った。
「えー、いきなり来られても殿に合わせられませぬ」
「オオ、まさかタカヒロはワイロをよこせと言うのでござるか?」
「違う違う! この国ではその領内の一番偉い人に会うには色々と段階があってですね!」
「段階とは?」
「と、とにかく立ち話もなんですから我が家に」
「オー! 宿代助かりました! オブリガード!(ありがとう!)」
「お、おんぶにだっこ?」
思わぬ成り行きから隆広は異人二人を自宅に連れ帰った。次に驚いたのはさえである。ポカンとして異人を見た。いつも帰宅と同時に隆広と抱き合うのに、今日はそのゆとりもない。隆広も侍大将になったと教えるのを忘れた。
「な、なにお前さま、このヒトたちわ!」
「いや、北ノ庄にキリシタンの教えを布教に来た大殿の宣教師の方たちだ。なんか成り行きでな……。泊める事にした」
「オオ! これがタカヒロのオクガタにござるか。まるでビーナスのごとき美しさ!」
「び、瓶茄子?」
「ハヒ、ギリシャ神話に出てくるの美の女神にござるヨ!」
「び、美の女神? 私が……?」
「ハヒ!」
「お前さま、この人たち良い人よ! 間違いない!」
「うんうん! よく分かっているよ! さえは世界で一番美しいとさ!」
(さえ……。お前単純だな……)
宣教師二人は隆広の屋敷へと入っていった。
「初めましてオクガタ、私はルイス・フロイスと申します。ポルトガルのリスボンに生まれました。イエズス会員でカトリック教会の司祭、宣教師をしております」
フロイスは十六歳でイエズス会に入会し、同年、当時のインド経営の中心地であったゴアへ赴き、そこで養成を受ける。同地において日本宣教へ向かう直前のフランシスコ・ザビエルと日本人協力者ヤジロウに出会い、このことがその後の彼の人生を運命づけることになる。
三十一才で横瀬浦に上陸して念願だった日本での布教活動を開始した。日本語を学んだ後に平戸から京に向かい、京の都入りを果たしたものの保護者と頼んだ将軍足利義輝と幕府権力の脆弱性に失望してしまった。だがフロイスは三好党らによる戦乱などで困難を窮めながらも京においての布教責任者として奮闘する。
その四年後に入京した新たな覇者織田信長と二条城の建築現場で初めて対面。既存の仏教界のあり方に信長が辟易していたこともあり、フロイスはその信任を獲得して畿内での布教を許可され、多くの信徒を得たのだった。
その後は九州において活躍していたが、後の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、安土城で信長に拝謁している。それからほどなくして、時のイエズス会総長の命令として、日本におけるイエズス会さらなる布教と活動の記録を残すことに専念するよう命じられる。以後、彼はこの事業に精魂を傾け、その傍ら全国をめぐって見聞を広めた。そうして訪れたのが越前北ノ庄と云うわけである。そしてもう一人、
「私はアレッサンドロ・ヴァリニャーノと申す。イエズス会員でカトリック教会の巡察師にございます」
彼は日本の布教を視察すべく来日した。日本人に対する偏見が強かった布教長フランシスコ・カブラル神父が日本人司祭と修道士の育成を禁止し、まったく行っていないことに驚き、すぐさまこれを改善するよう命令した。ヴァリニャーノにとって日本人の司祭と修道士を育成する事が日本布教の成功の鍵を握ると見ていたのである。
こうして作られた教育機関がセミナリヨ(初等教育)とコレジオ(高等教育)、およびノビチアート(イエズス会員養成)であった。
セミナリヨを設置するため、場所選びが始まった。京に建てることも考えたが京では仏教僧などの反対者も多く安全性が危ぶまれた。そこで織田信長に願い、新都市安土に土地を願った。すぐさま城の隣の良い土地が与えられ、信長のお墨付きを得たことで、安全も保障された。こうして完成したのが安土のセミナリヨであった。
普段はセミナリヨにいる彼であるが、今回はフロイスの布教活動に手を貸すべく、この北ノ庄にやってきた。そして今、水沢隆広と会い、家に入れてもらった。フロも入らせてもらい、すこぶる上機嫌である。
「何のもてなしも出来ないですが……」
さえは二名に膳を出した。
「オオ、美味しそうにござる。いただきます!」
二人は食事の前に神に祈り、そして箸をつけた。意外に二人とも箸の使い方が堂に入っている。
最初は戸惑った隆広であるが、異国の文化を知るまたとない機会、フロイスとヴァリニャーノは日本語も流暢に話す。これは色々と聞くべきだと思い、酒を勧めた。
「コホン、ポルトガルって日本から遠いのですか?」
するとフロイスは懐から羊皮紙を出した。
「ポルトガルは西ヨーロッパのイベリア半島に位置する国でして、ここにあります。そしてここがニホン」
「へえ、遠いのです……え!?」
「ここ日本」
それは世界地図の東の果て、大陸の横にある小さい島だった。フロイスの人差し指の先端だけで日本の半分が隠れてしまった。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとこれが日本なのですか?」
さえも地図を見て驚いた。
「これが?」
「はい、大航海時代を経て、世界の船乗りや地理学者たちが作成した世界地図、間違いござらぬ」
「こ、このイモのヘタみたいのが日本……。越前は……」
「エチゼンはここ、はは、針でもないと指せません」
「驚いたな……。信じられない」
「さえも……。日本が世界から見てこんなに小さい国だったなんて……」
「ではフロイス殿はこの大陸を横断して日本へ……?」
「ハハハ、船ですよ」
「これほど距離を船で? 海の上で迷子にならないのですか?」
「羅針盤、というのがございまする。それで迷わず到着できるのです」
「ラシンバン?」
「今は手元にないのですが、こんな感じのものです」
フロイスは絵に描いてくれた。
「磁石の作用を用いて方位を知るための道具でござる。軽く作った磁石を針の上に乗せ、自由に回転できるようにしたもので、これにより地磁気に反応して、N極が北(磁北)を、S極が南(磁南)を向くと云うスンポーです」
「……?……?……?」
「ははは、実物があればもっと分かりやすく説明できるのでござるが」
「ねえフロイスさん」
「なんですかオクガタ」
「この地図の果て、この海の向こうに行くとどうなるのですか? 崖みたいに落っこちてしまうのですか?」
「オオ、そのキョトンとした顔がまたビーナスでござるな。説明しましょう。こうなっているのです」
フロイスは地図の両端を持ち、くっつけて筒状にした。
「……え?」
「この世界は丸いでござるヨ」
「…………???」
「世界は海で繋がっているでござるヨ」
「ま、丸い?」
「今度海をよーく見てゴロウジロ、船がだんだん水平線から消えていくでござろ? あれは世界の丸さで見えなくなるでござるヨ」
隣でヴァリニャーノが苦笑した。こんな饒舌になるフロイスも珍しいと。そして
「ははは、突然のそんな事を聞かされて驚いたでございましょう。しかし今の話はあまり外で言わないほうがヨイ。まだ日本人は受け入れられぬでゴザル。いらぬ風評をまいたと罰せられるのがオチでゴザル」
と、隆広夫妻に釘を刺した。フロイスも添えた。
「ちなみに、この世界が丸いと最初に理解した日本人はオオトノでした」
「大殿が!」
「イカニモ、長崎に上陸して以来、色んな日本人に会いましたがオオトノほど革新的な視点を持つ王はいませんでした。スゴイ方です。ですが……」
「ですが……?」
「ヴァリニャーノの申したとおり、今日私に聞いた事はあまり言わない方が良いでしょうナ。タカヒロとオクガタはとても聡明な人に見えたのでついついしゃべってしまいましたがネ。今、タカヒロが成すべきはオオトノにこの国を統一させるためがんばる事にござるヨ」
「は、はい!」
「してタカヒロ」
「はい」
「カツイエ・シバタに明日合わせてくれますか?」
「分かりました、私が段取りしておきまする」
「オブリガード!」
この日、隆広とさえ、フロイスとヴァリニャーノは語り合った。日本がこんなに小さいのであれば、異国に宣教師を派遣してくるほどのポルトガルはさぞや広いと思えば、地図上ではほとんど日本と面積は変わらない。しかも人口は日本の十分の一ほどだと云う。
転じて日本はこの島国で、同じ日本人同士でわずかな領地を取り合って殺し合いをしている。この差は何だろうと感じた隆広とさえだった。
「今までの歴史を経てきた結果としか言いようがござらんヨ、それは日本とポルトガルも変わらないネ」
「今までの歴史を経てきた結果……ですか」
「同じ歴史を歩む国などござらんタカヒロ。この日本酒も我らと違う歴史があればこそ出来た美酒ではナイカ」
グイッと旨酒を飲み干すヴァリニャーノ。
「だからこの世は面白いのゴザロ? タカヒロ」
「では……もしかしたらこの日本から合戦がなくなり、貴殿たちポルトガル国と平和に交易が出来る日も来ることも……!」
フロイスとヴァリニャーノは一瞬驚いたが、すぐにニコリと笑った。
「そうねタカヒロ、お互いの国の歴史書に日本とポルトガルの名を書ける日がいつか来るとフロイスも信じるヨ!」
(この若いの……オオトノと同じ事を言ってきたヨ)
翌日、隆広は柴田勝家に取り成しをして、宣教師二人を勝家に合わせた。だが結果は……
「タカヒロ、すまないね。ダメだったヨ」
勝家は領内での布教を認めなかった。ほとんど取り付くシマもなかったらしい。フロイスとヴァリニャーノは肩を落として北ノ庄城から出てきた。
「やはり……申し訳ございません、チカラになれなくて」
「何の、布教活動には付きものにござるヨ。次に行きます。しかしカツイエはいいサムライです。我らで言う『騎士道』がある」
「『騎士道』?」
「そなたらの云う『武士道』のようなものでござるヨ。カツイエは根っからの武人、全身から雰囲気を感じたでござるヨ」
そこまで主君を褒められると隆広も嬉しい。
「お、おぶりがあど!」
フロイスとヴァリニャーノはたどたどしいポルトガル語で礼を述べた隆広の言葉に驚き、そして微笑んだ。
「タカヒロ、昨日の寝床と食事の礼にござる、これを」
フロイスは一つの帳面を出した。
「……?」
「これは私が日本に来てからの書き始めた日記。日本語で書いたので読めるはずにござるヨ」
「かような貴重な帳面を!」
「いやいや、心配無用。原本の日記は母国語で書いて持っていますので」
「はあ……」
「これは友情の証でござるヨ」
「ならばそれがしは……」
隆広は父からもらった刀『日光一文字』をフロイスに渡した。
「良いのでござるか? 大事なカタナなのでしょう?」
「はい、それがしからフロイス殿への友情の証にございます」
「オブリガード、タカヒロ!」
「おぶりがあど、フロイス殿!」
こうして、フロイスとヴァリニャーノは北ノ庄から立ち去った。わずか一日であった隆広とフロイスの出会いであったが、隆広がフロイスたちから得られた知識は計り知れないものだった。『世界は大きい、日本は小さい』『世界は丸い』、今までの観点が根底から覆されるようなことばかりだった。しかし
(やはり、早く大殿に天下を取っていただかなくてはならない。大殿ならば、この小さい国から戦をなくして……かつ交易をもって大きくしてくれる……。そんな気がする! よおしオレもフロイス殿のようにがんばるぞ!)
明日は水沢隆広軍結成の儀、奥村助右衛門や石田佐吉がその準備に当たっている。そろそろ自分も行かなければ家臣に叱られてしまう。隆広は錬兵場に駆けた。
ルイス・フロイスは著書の『日本史』で水沢隆広をこう評している。
『織田信長が旧時代を壊す王ならば、水沢隆広は新時代を作る王となりうる人物である』
隆広がフロイスに渡した“友情の証”の『日光一文字』は現在ポルトガルの国宝となっていて、後のポルトガルと日本の親善と国交の盟約の儀において、このフロイスと隆広の出会いが時のポルトガル首相と日本首相との会話にも出たと云う。
第三章『旗印【歩】』に続く。