天地燃ゆ
第六部『総大将隆広』
第一章『荒木村重謀反』
北ノ庄城城下の村々の新田開発、飛躍的に石高を上げた隆広。水田を貸し与えるも貧しい者や子沢山の領民を優先した。兵士や人足に十分な給金と休息食事も与える隆広の工事は『極楽工事』と呼ばれていたほどである。美田を作り上げ、領民にそれを委ねたら新田開発の主命は完了である。完了の日は神主を呼び、その水田地域の豊作を祈願した。
現場が北ノ庄すぐ近くだったせいか、隆広の兵士たちの中にはこの地で生涯の伴侶を見つけた者も多かった。松山矩三郎などは村でも評判の美少女を嫁にしていた。当年十二歳の娘だったので『お前そういう趣味か』『あれは反則だろ』とみんなに責められた。
そんな楽しい副産物も土産に隆広主従は領民に見送られその地を後にした。主君柴田勝家への報告には前田慶次、奥村助右衛門、石田佐吉も同席した。
「見事、北ノ庄の石高を上げた。その地の村長連中から感謝状が山のように届いておるぞ。ようやった」
「は、もったいなきお言葉にございます」
「相変わらず見事な手腕じゃ。褒美をとらす、隆広、前に」
「は!」
「『甲州碁石金』である。受け取るがいい」
両手で勝家からの褒美を受ける隆広。ちゃんと助右衛門と佐吉の分もある。途中からその怪力をもって工事に当たった慶次にも与えられた。
「それにしても慶次よ」
「はっ」
「よもやおぬしが隆広の家臣になるなんてのう」
「はい、中々面白そうな方と見受けましたので」
「そうか、隆広に仕えて戦働きをするは、ワシに仕えるも同じ事。一向宗門徒との戦いも年々に熾烈となっている。活躍を期待しておるぞ」
「はっ」
隆広は自宅に慶次を連れて行った。
「さえ―ッ! ただいま〜♪」
「お帰りなさい、お前さま!」
と、慶次の前なのに二人はギュウと抱き合った。すかさず口づけに移るのがいつもの展開だが、さすがにさえが隆広の後ろに人がいることに気付いた。
「あ、あら! お客様?」
「ははは、話には聞いていましたが隆広様の愛妻家ぶりはすごいですな」
「さえ、紹介するよ。今度オレの家臣になった前田慶次だ」
「ま、前田慶次様……て、あの前田慶次様?」
「ご存知とは光栄です。それにしても隆広様の奥様は実に美しいですな」
「ま、まあ……(ポッ)」
「若々しく、初々しく、さながら伴天連の者たちが云う天使のごとし。いやいや隆広様がうらやましい」
「そ、そんな……(ポッ)、ま、まあ玄関先で立ち話も変ですわ。お茶でも入れましょう。前田様、どうぞこちらに」
「いやあ、悪いですなあ」
慶次におだてられて頬を染める愛妻に隆広は苦笑した。
「そういえば慶次はまだ独り者なんだっけ?」
「いえ、一応決まった女はいます。しかし叔父御の元で働くのは正直つまらなくて、最近まで出奔する事ばかり考えていたのです。そんな身で妻など娶られないでしょう。ですが今回に隆広様の臣下となり、この北ノ庄に落ち着くので近いうちに妻にします」
「慶次の嫁さんになる人ってどんな人なんだろ」
「隆広様は会った事ありますよ」
「へ?」
「助右衛門の妹の加奈ですから」
「か、加奈殿が?」
「そんなに驚く事ないでしょう。富田流小太刀の使い手のじゃじゃ馬ですが、あれで中々情の濃い女なんですよ。お、茶の用意が終わったようですよ。ではお邪魔します」
その日の夕食に、隆広は奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉を招待した。助右衛門は妻の津禰、慶次も加奈を連れていた。佐吉はまだ独身である。後に『隆広三傑』と呼ばれる三人が一堂に会した。
「さ、みなさんどうぞ」
さえが居間に一同を通す。ささやかだが宴の準備がされていた。床の間にはきれいな花も活けてある。
「お、風流だな、さえ」
「はい、私が摘んできたものですけれど、きれいでしょう?」
「うん、でもさえほどではないな」
「え、あら……んもう……(ポッ)」
客の前なのに二人の世界に入る隆広とさえ。助右衛門と佐吉は慣れっこだが、慶次は体がかゆくなった。
さえが作った料理を食べる隆広の家臣たち。けして裕福ではない隆広のフトコロ事情。だが隆広とさえは丁重にもてなした。この時に慶次はさらに面食らった事があった。さえが隆広の膳にある岩魚を食べやすく骨をとり、そして
「はい、お前さま、アーン」
箸に切り身をつまんで隆広のクチに運ぶさえ。
「アーン」
そしてそれを美味しく食べる隆広。
「美味しい?」
「美味い! ほらさえも。アーン」
慶次は空いたクチが塞がらなかった。佐吉が小声で慶次に言った。
「……これで驚いていては水沢家の家臣は務まりませんよ」
「そ、そうなのか?」
助右衛門と妻の津禰、妹の加奈、そして佐吉はもう慣れっこになっていた。隆広とさえは客の前でも平気で二人の世界に入ってしまう。
「ん? そんなに変かな慶次」
「そ、そりゃあそうです。初めて見ましたぞ。仲が良いとはとは聞いていましたが……」
(バカッ!)と言わんばかりに助右衛門が慶次を睨んだ。助右衛門の妻の津禰、妹の加奈、そして佐吉は観念した。ああ、また聞かなければならない……と。
(……? 何をそんなに怒る)
「いやぁ、オレは日本一の妻を娶り……」
この後に半刻(一時間)、隆広からノロケ話を聞かされた一同だった。その時間中さえは顔を赤らめて嬉しそうに隆広の話を聞いていた。慶次は全身がかゆくなってきた。助右衛門が睨んできた意味がよく分かった。自分の言葉がこのノロケ話の引き金になってしまったのだから。
夕餉と酒宴も終わり、隆広の家臣たちもようやくノロケから解放され、隆広の屋敷を後にした。
「参ったな……。半刻ずっとノロケ話ではないか……」
「隆広様は奥方とのノロケ話をするのが大好きなのだ。早く慣れろ」
「いーや! 一度ノロケ話がどんなに人をかゆくさせるかお教えしなければ。加奈、我らも負けておれぬぞ」
「はい、お前さま!」
独り身の佐吉には、また一組自分にノロケ話を聞かせそうな夫婦ができてゲンナリした。
その夜。営みを終えた蒲団の上。
「ねえ、お前さま」
「ん?」
「奥村助右衛門様、石田佐吉様、そして前田慶次様、お前さまの家臣の方々は個性的な方ばかりですね」
「そうだなァ。しかし、だからこそ頼りになると思う。彼らの忠誠に報いられるような大将にならなくちゃ」
「しっかりね、お前さま」
「うん、だから……」
「だから?」
「さえ、もう一回」
「んもう……明日の仕事に差し支えてしまいますよ」
翌朝、隆広は庭で木刀を降っていた。
「ふう……」
たらいに水と手ぬぐいを入れて、さえが縁側にやってきた。
「お前さま、そろそろ朝餉ができますので、汗を拭いてお召し物を」
「ああ、ありがとう」
と、いつもの平穏な朝を迎えた時だった。
ドンドンッ!
「ん? 客か?」
「誰かしら、こんなに早く」
さえが門を開けると、そこには城の伝令兵が立っていた。
「お城の……」
「朝早く申し訳ござりませぬ、水沢様はいずれに!」
「庭に……」
「ごめん!」
伝令兵は庭に駆けた。
「水沢様! 申し上げます!」
「何事ですか?」
「荒木摂津守! 謀反!」
「なんと!」
「伊丹城に篭り、一族および譜代の諸将を集め独立を宣言! 叛意は明らかにございます!」
「なんてことだ……。石山本願寺攻めの大事な将となろう村重殿が謀反とは……!」
「水沢様、至急に城へ! 殿がお呼びにございます!」
「分かり申した、さえ! 朝餉は握り飯にしてくれ! 評定の合間に食べるから!」
「あ、はい! 急ぎ作ります!」
北ノ庄城、評定の間。
「聞いての通りだ。荒木村重が伊丹城に篭り、謀反を起こしよった。そして大殿から柴田家に討伐命令が出た。みなの意見を聞かせて欲しい。利家はいかがか?」
「はあ、しかしそれ以前にそれがしにはどうして荒木殿が謀反を起こしたかが分かりませぬ。伊丹城を預けられ、石山本願寺攻めの一翼の将ともなり大殿に重用されていた村重殿がどうして謀反を……」
「利家殿、それはそれがしも思わぬでもないが、この軍議はどうやって村重殿の篭る伊丹城を落とすか決める場だ。謀反の真意を詮索しても仕方あるまい」
と、佐久間盛政。
「いや、それを考えるのもある意味城攻めに役立つかも知れぬ。隆広はどうか?」
柴田勝家が水沢隆広に聞いた。
「……それがしが思うに、追い込まれての謀反かと」
「追い込まれて? 誰が村重を追い込んだのだ?」
「はばかりながら……大殿にございます。先における石山本願寺攻めにおいて、村重殿の配下の将、中川瀬兵衛殿の部下がこともあろうに包囲作戦中だと云うのに本願寺に兵糧を売りました。その時から荒木殿にあらぬ噂が立ちました。その噂を細川藤孝殿が書状にして安土に届け、大殿の耳に入りました。大殿は疑わしきは罰し、裏切り者は絶対に許さぬお人柄。また荒木家中の重臣には一向宗門徒も多々いると聞いています。大殿への恐れと、家臣からの突き上げ、言い訳の出来ない部下の兵糧の横流し。以上の点で荒木殿が謀反に至ったのではないかと……」
「ふむ……おそらく隆広の今の見解が正解であろうな……で、盛政」
「はっ」
「現在の北ノ庄の兵力は?」
「はっ 兵数二万一千、軍馬二千、鉄砲が千八百にございます」
「ふむ……北ノ庄の防備を考えると、割けられるのは八千と云うところか」
「御意、そのくらいかと」
「利家、府中からどれだけ兵を出せる?」
「二千ほどかと」
「成政、小丸からは?」
「こちらは一千ほどと」
「光治、龍門寺からは?」
「こちらは一千五百ほどかと」
「よし、隆広」
「は!」
「その方、総大将として前田利家、佐久間盛政、佐々成政、可児才蔵、不破光治、金森長近と総数一万二千五百の将兵を率い、伊丹城を落としてまいれ」
「え、えええッッ!!」
隆広も驚いたが、前田利家ら六将もあぜんとした。
「何をそんなに驚いている。お前は足軽大将。場合によっては万の軍団長になることも許されているのだぞ」
「ちょっ、ちょっと待って下さい伯父上! なぜ家老のそれがしが足軽大将の隆広の下で働かなくてはならないのですか! 隆広に才があるのは認めます。しかしまだ十五の小僧ですぞ! 一万も統率できようはずが!」
佐久間盛政の意見は当然である。織田の若殿や各軍団長の嫡子でもない十五歳の若者が万の軍勢を率いた事例は織田家にない。
前田利家と可児才蔵も驚いたが、やがてこう思った。勝家は総大将としての隆広を試してみたいのだろうと。
「まあ盛政、良いではないか。その分わしらがしっかりすれば済む事だ」
「しかし利家殿!」
「いったん勝家様のクチから出た決定事項だ。わしら臣下はそれに従い、武功を立てるだけだ」
「ふん!」
盛政は忌々しそうに隆広を見た。隆広自身も最近初陣を済ませたばかり。戸惑う事も確かだが、やはり武将になったからには『総大将』と云うものには憧れる。気持ちは高ぶり、転じて『やってみたい』と思った。
(総大将か……。武将となったからには一度は万の軍勢の采配は執ってみたい……。だけど困ったぞ……前田様、可児様、金森様、不破様は何とか指示通り動いてくれそうだけれど、佐久間様と佐々様は絶望的だな……。これじゃどんなに陣立てや作戦を考えてもムダじゃないか……あ、そうだ!)
「殿!」
「なんだ?」
「殿の太刀をそれがしにお貸し願えませんか?」
「いいだろう」
勝家は後ろに太刀持ちで座る小姓に、隆広にその太刀を渡すように指示した。勝家の太刀を持った隆広は諸将に胸を張って言った。
「作戦と陣立ては伊丹城に着いてから発表しますが、総大将を任じられた以上、諸将にはそれがしの命令に従ってもらいます。功には厚く報い、罪は重く罰します。出陣は明朝、急ぎ備えて下さい」
「ふむ、北ノ庄の留守はワシと毛受勝照、徳山則秀、中村文荷斎、そして柴田勝豊が守る! 他の諸将は隆広の指揮下に入り、明日の出陣に備えよ、以上解散!」
隆広も自分の兵をまとめなくてはならない。急ぎ城を出た。
「まったく……なんでワシともあろうものが隆広のような小僧の指揮下に入らねばならぬのだ!」
城外に出た佐々成政は後ろを歩く隆広に聞こえるようにグチをこぼす。
「まったくだ! 伯父上はいったい何を考えているのだ!」
気の収まらない佐久間盛政は地面に怒りをぶつけるかのようにズカズカと歩く。
「佐久間様、佐々様、さきほど利家様が申したようにすでに決まった事です。不平をもらすのはいかがなものかと」
「なんじゃと才蔵! おぬしは何とも思わぬのか!」
「思いませぬな。味方の総大将に対してグチをたれても仕方ございませぬ」
そのまま可児才蔵はスタスタと錬兵場に歩いていった。
「ふん! すましよって。おい隆広!」
「なんですか佐々様」
「勝家様の命令ゆえに、一度は貴様の采配で戦ってやる。だがあまりに情けない指揮を取ってみろ! 即座に総大将から降りてもらうぞ!」
「分かりました」
「ふん!」
成政は居城の小丸城に帰っていった。
「隆広」
「はい佐久間様」
「お前はいったい何なのだ? なぜ伯父上はお前をここまで寵愛し重用する? お前何かしたのか?」
「それがしにも分かりません……」
「ふん、案外に伯父上は衆道(男色)を好まれているのかもな。大殿に仕えている森蘭丸のように、その女子のごときの容貌で伯父上に甘えたのか? 寝床を共にし、伽でもして『今度総大将にして下さい』と猫なで声で懇願したのか?」
「な……ッ!?」
「本当についてないわ、色小姓の采配に従わなければならぬとは!」
「……佐久間様、いかに上将とは申せ言って良い事と悪い事がございますぞ」
「ほう、怒ったのか? 男に抱かれるケツの穴小姓が!」
記録によると、水沢隆広は戦国期において、あの出雲の阿国の夫と云われている名古屋山三郎と匹敵するほどの絶世の美男子であったと言われている。愛妻家で伝えられる彼にも関わらず、後の世に二十人以上の女性と艶事の話が多々生まれたのはこれが理由とも言える。
そして当時の美男子は衆道を好む男にも愛される存在なのである。衆道は当時ごく自然なものとも言えた。
だが当然の事ながら、隆広はそういう求めを勝家から受けてはいない。自分と勝家を邪推する盛政の言い草に隆広は激怒した。刀の柄を握った、その瞬間……
ガシッ
その腕が掴まれた。
「前田様……」
「よせ隆広」
「しかし……!」
「盛政、一度決まった事だ。つまらぬ言いがかりはせず伊丹城を落とす事だけ考えよ」
「……分かり申した。おい隆広」
「………なんですか」
「言い過ぎた、すまぬ。だがこれだけは言っておく。情けない采配をしてみろ、総大将の交代程度ではすまさぬ。その首を斬ってとる! さよう心得ておけ!」
盛政も錬兵場に歩いていった。
どうして佐久間様と自分はこうなんだ、隆広は肩を落とした。
「元気を出せ。総大将がそんなにゲンナリしていては士気に関わる」
「前田様……」
「それにな隆広、大将たるもの扱いやすい部下だけを用いているようでは三流の下だ。盛政や成政もお前にとっては扱いずらかろうが、それも大将としての修行だ。二人もいざ合戦が始まればお前の作戦に従うさ。城攻めを個々の隊がバラバラでやったら話にならぬでな。それとも我らでは手勢として不足か?」
「と、とんでもない!」
「ならばデンと構えていろ!」
隆広の背中を平手でバンと叩いて、利家は居城の府中城に帰っていった。
「利家殿の言う通りだ、隆広」
「金森様」
不破光治と金森長近が歩んできた。
「実はワシも楽しみにしている。どんな采配をするのかな。評定と戦場以外で顔を合わせてはいなかったが、中々の若武者と云うのは聞いている。ワシらを上手く使ってくれよ!」
金森長近は隆広の肩をポンと叩いて錬兵場に歩いていった。次に不破光治が声をかけてきた。
「隆広、ワシはお前の養父から見れば裏切り者。父親からもそう聞いておろうからワシにいい印象はないであろう。しかしとにもかくにも今度の合戦では味方であり、そなたの采配に従う事となる。ワシの居城の新田開発を申し出てくれた時のように私情を捨ててくれるとありがたい」
「はい! それと父からは不破様の事を悪くなどと聞いていません。勇猛果敢な将と父から聞かされていました」
「ほ、本当か?」
「はい」
「そうか……。そうか……!」
かつて共に戦場を駆けた同僚が自分をちゃんと見ていてくれたことに光治は思わず涙ぐんだ。
「では明日な。隆家殿仕込みの采配、楽しみにしているぞ」
不破光治は満足気に居城の龍門寺城に戻っていった。
翌朝、北ノ庄から摂津(現在の大阪府)の国に向けて水沢隆広率いる八千の軍勢が出発した。途中で府中勢四千五百を加え、一万二千五百の軍勢である。それを統率するはまだ幼さが残る少年である。しかも隆広は城攻めは初めてだった。
これが後年、名将の中の名将と言われる水沢隆広が最初に総大将となった戦いだった。この日、隆広十六歳の誕生日。
第二章『伊丹城の戦い』に続く。