天地燃ゆ

第五部『名伯楽』

第三章『石田佐吉』


 ある朝、登城した隆広は主君勝家から辞令を受けた。任務は『穀倉官』であった。つまり兵糧の管理である。武人肌の多い柴田家では閉職と軽んじられている仕事であるが、腹が減っては戦にならない。だから勝家は隆広に命じた。
 柴田家には能吏と云える人材が不足していた。武人肌が家中の上部を占めているため、能吏の徒は少なからず嫌われる風潮があった。となると、その風潮を歯牙にもかけない強い心を持ち、同時にソロバンと帳面に明るい人物が必要とされる。それが水沢隆広であった。

 隆広は任命のその日から、どんぶり勘定気味であった兵糧の数を明確にした。穀倉庫を預かる部下の役人たちも、最初はこんな小僧がと侮っていたが寸分の狂いもない管理の手腕に驚かされた。また古くなった米を領民に安価で売り、国庫を潤沢させると共に民心も上げて、主君勝家を大いに喜ばせた。
 だが、少し心配事も出てきた。隆広は仕事に熱中するあまり、帰宅が遅くなることもしばしばあった。妻のさえが奥村助右衛門の妻津禰(つね)に『さびしい』とこぼしていたのを助右衛門は聞かされてもいた。

「もうこんな時間か……」
 穀倉庫の机で、隆広は一つあくびをした。その脇にいる助右衛門が言った。
「隆広様、少しよろしゅうございますか」
「なんだ?」
「隆広様は少し根を詰めすぎです。お屋敷に一人で待つ奥様の気持ちも察せられませ。グチ一つ言わぬとて寂しがっているに相違ございませんぞ」
「うん……。だけど……」
「分かっております。それがしも申し訳なく思います。部下にもここの役人にも安心して任せられない。そうお考えなのでしょう」
「それは……」
「よいのです。実際にそれがしは能吏としては隆広様の右腕にもなることはできません。戦場ならば身命を賭して隆広様をお守りする所存ですが、ここでは何の手助けもできません。それがしも口惜しく感じています」
「助右衛門……」
「隆広様は足軽大将、側近三名くらいはもてるはず。一向衆との戦いを考えれば、それがしのような槍働きの将がもう一人くらいいるでしょうが、せめてあと一人は内政家を召抱えてみては? それでずいぶん隆広様の負担も減るはずです」
「簡単にいうが、そう優れた内政家がみつかるとは……」
「隆広様は羽柴様と親密でございましたね」
「そうだが……」
「羽柴様なら人脈豊富、羽柴様に相談してみては?」
 名案だと隆広は思った。最近さえが拗ねて困ってもいた。それに心強い内政家が部下になってくれればこんなに心強い事はない。
「ありがとう助右衛門。明日は休みをとって長浜に行ってみよう」
「それがしもお供します、一日くらいは隆広様がいなくても役人たちが何とかしましょう」

 翌日、隆広は助右衛門を伴い、羽柴秀吉の居城の長浜城に向かった。到着した長浜は中々の賑わい。秀吉も楽市楽座を導入していたのである。
 まず隆広は義兄の竹中半兵衛を尋ねたが、半兵衛は秀吉の命令で安土にいるとの事だった。半兵衛と会うことはあきらめて、次は仙石秀久の自宅に向かった。
 秀久も半兵衛同様に留守であったが、彼の妻のお蝶が隆広主従を出迎えた。お蝶は命の恩人である水沢隆家の養子が来てくれたことを事のほか喜び、自分が作った隆家の神棚の場所に案内した。
「こりゃまた立派な……」
「いいえ、私が受けたご恩に比べればまだまだ小そうございます」
 隆広と助右衛門は隆家の祭壇に合掌した。お蝶は想像できたろうか。今、自分の作った神棚に合掌している若者が後に夫秀久と敵味方になり熾烈な戦いをすることになろう事など。
「そうですか、秀吉様にお会いに」
「ええ、できれば権兵衛殿にもお会いしたかったのですが」
「まあ、夫も最近一丁前に『忙しい』なんて言うようになりました。今回に水沢様が来て下された事は伝えておきますゆえ、文でも書かれると思います。字はとてもキタナイですが」
「ははは、ありがとうございます。ならば我らはこれにて」
「また来て下さいね、水沢様」
「はい」
 お蝶との再会はこれより数年後であるが、それはとても悲しい結末となる事を隆広は知る由もない。

 そして隆広は長浜城の城主の間で秀吉と会った。
「久しぶりですなあ、隆広殿。そしてそこにいるのは奥村助右衛門殿か。妻の津禰殿は元気かな?」
「はい、羽柴様もお元気のようで」
「ははは、元気だけがわしの取り柄じゃ。で、二人揃って何用かな?」
「はい、実は秀吉様にご相談が」
「相談? 隆広殿がワシに? ほほう聞きましょう」
「はい、実は……」
 隆広は言った。自分には内政に長けた側近がおらず、主命を行うのも一苦労という事を。
「ふむう、なるほど。頼りになる男が欲しいと……」
「はい。羽柴様なら人脈豊富。心当たりがあるのではないかと、それがしが主君隆広に薦めました」
「うん、助右衛門殿はいいとこに目をつけました。心当たりはありますぞ」
 隆広と助右衛門は顔を見合わせた。
「本当ですか!」
「はい。これ! 佐吉をこれに呼んでまいれ!」
 しばらくすると佐吉と云う男がやってきた。それは隆広同様に元服をつい最近に済ませたような少年で、かつ眉目秀麗な優男であった。
「親父様、佐吉にございます」
「おう、これに」
「ハッ」
「隆広殿、石田佐吉にございます。こいつを使ってくだされ」

(隆広……? この男が水沢隆広?)
 佐吉は秀吉の傍らに座った。そして秀吉は佐吉を薦める理由を話し出した。
「この佐吉は長浜のさる寺で拾いました。わしがノドを乾かして立ち寄ったところ、こやつ最初はぬるい茶を大きい椀に入れて持ってきて、二杯目を頼むと少し小さな椀にやや濃い目の茶を持ってきて、三杯目を頼むと熱い茶を小さな椀に持ってきた。こんなに気のつく小僧は珍しいと思いましてね。召抱えました」
「なるほど……」
「今は手前の奏者(秘書)見習いをしております。見込んだとおり才能を表し、計数に長けて、土木知識も卓越しており、何より兵站(後方支援)には抜群の才がござるよ」
「それはスゴい!」
「だが一つ問題が」
「と言いますと?」
「手柄と云うものはついつい戦場の武功に目が行きがちでござるが、それも兵站あって成せると云う事をウチの血の気の多い若い連中は分からない。ワシが諭せばヒイキと映る。身内の恥をさらすようで面目ないが佐吉は同僚と上手くいっておらず、イジメを受けているようなのですわ」
「親父様、かような事……」
「いいから黙っとれ、コホン、というわけで隆広殿、そういう場合は思い切った人事異動をして、佐吉が思う存分に働ける場所に出向させるが上司の務め。内政と軍事にも長けた隆広殿の元ならば重用され、かつ佐吉も学ぶこと多い。何しろ本の虫と呼ばれた前田利長と、寝小便の不破角之丞を生まれ変わらせたのですからな」
「い、いや、そんな……」
(知っていたのか……。ホントに油断もスキもない方だ)
「よって、この佐吉をお貸しいたそう」
「親父様……それがしには何が何やら」
「佐吉よ、本日よりこの隆広殿に仕えよ」
「ええ! そんな、それがしは親父様の下で」
「今も言ったであろう。お前は今の環境では十分に能力は発揮できない。しかし隆広殿の下に行けば内政に長けた側近はそなただけになる。重用されるであろう。かつ隆広殿から学ぶ事も多いはずじゃ。見れば歳も同じくらい。気も合うだろう。分かるな? そなたは隆広殿の下で修行をするのじゃ。そして虎(加藤清正)や市松(福島正則)が何一つ文句も言えなくなる男になって戻ってこい」
「親父様……」
(冗談じゃない! 体裁のいい左遷じゃないか! 親父様もオレを疎んじるのか……!)
「佐吉殿、それがしからも頼む。秀吉様に比べれば頼りない主君であろうが、必ずやそなたを重用する。いやさせてほしい」
「…………」
「ほら佐吉、新たな主君に挨拶せぬか!」
「……ハ」
 佐吉は隆広に改めて対し、名乗った。
「……石田佐吉です。槍働きは苦手ですが計数と兵站なら誰にも負けませぬ。それがしでよければお仕えいたします」
「おお! ありがとう! 頼りにしますぞ佐吉殿!」
「……は」
 こうして石田佐吉は水沢隆広の配下となった。彼こそが『今蕭何』『名宰相』と後世から賞賛される石田三成である。
 だが今は『左遷された』と云う屈辱感の虜となっていた。会った事もない歳が同じ主君にいきなり仕えろなど、どだい無理である。しかし隆広の才は聞いていた。
 とはいえ佐吉も自分の才能には自信がある。能力を総合的に見て自分より隆広が劣っていたら即座に暇を願い羽柴家に帰るつもりだった。それを見極めるまではそのもとで働いてやろうと思っていた。

 北ノ庄に帰り、再び穀倉官としての業務に当たる隆広であるが、佐吉の能吏手腕は隆広の想像を超えて卓越していた。二人でチカラを合わせれば今まで隆広が夜までかかっていた仕事が夕方前には終わっていた。
 秀吉から家臣を借りたと聞き、少し不快を感じた勝家であったが、佐吉の礼儀正しさと勤勉ぶり、そして才能にそんなものは吹き飛んでしまった。気の進まない職場でも手は抜かない。これも彼の性格が出ている。やっと妻さえの機嫌も直り、隆広も安堵していた。

 やがて隆広は手腕を認められ、兵糧管理の総責任者に抜擢された。つまり今まで兵糧の管理と点検であったが、今度は領民から兵糧を徴収する役目である。織田家最年少の『兵糧奉行』の誕生である。今日は就任初日、隆広と佐吉は朝早くから役場に出勤し、兵糧役場で各村の収穫高や、毎日記録していた天候帳に目を通していた。
「隆広様、佐吉」
「どうした助右衛門」
「領内の村の長たちが挨拶に来ております」
「分かった、佐吉」
「はい」
 隆広と佐吉は村の長たちの集まっている部屋へと行った。
「それがしが新任の兵糧奉行の水沢隆広です。みなさん、よろしくお願いします」
「ていねいな挨拶痛み入ります。今日は村を代表してご挨拶に参りました」
「それはありがとうございます。それがしは貴方たちの息子ほどの歳ですが、懸命に働くつもりです」
「ありがとうございます。どうぞこれをお納め下さいませ」
 村の長は小さな包みを差し出した。よく見ると他の村長たちも同様に包みを持っている。隆広の顔が険しくなり、言葉遣いも強くなった。
「それはなんですか?」
「お祝いの品でございます」
「……それがしはそんなもの受け取りませぬ」
「す、少のうございますか?」
「多い少ないではございませぬ。それがしはそんなものは受け取らないと言っているのです」
 顔つきも先ほどの温和な顔でなくなり、言葉もきつくなっている隆広の反応に村の長たちは戸惑った。
「あなたたちはいつもそのような付け届けをしているのですか?」
「は、はい、そういうことになっております」
「そうですか、ならば今まで誰と誰に付け届けをしたか、教えてください」
「「ええ!」」
「いいですか。隠し立てすればあなたたちも賄賂を贈った罪で罰しますよ」
「し、しかし賄賂を贈らなければ年貢を増やされてしまいます」
「正直に申して下されれば、あなたたちの罪は水に流します。だが隠せば罰します。佐吉」
「ハッ」
「誰に賄賂を贈ったか聞き出して記帳せよ」
「ハッ」
 村長たちは賄賂の包みを持ったまま戸惑った。バラしたことでどんな報復があるか分からない。

 ドンッ!

 奥村助右衛門が持っていた槍の石突(基底部)を床に叩いた。その音に村長は腰が引けた。
「これは密告ではない。告発だ。これによりそなたたちが報復を受ける事はありえぬゆえ正直に述べるのだ」
「「…………」」
「聞こえないのか!」
「「は、はいい!」」
 村長たちは佐吉に次々と賄賂を送った兵糧役場の役人の名前を述べた。隆広と助右衛門に無言の会話が交わされた。
(すまぬな、助右衛門)
(いえいえ)

 その昼、隆広は数人の部下の役人を呼び出した。
「奉行、何の用でしょう」
「呼んだのは他でもない。本日よりそなたたちを追放する」
「「ええ!?」」
「な、なぜでございます!?」
「お前たちはここ数年、農民たちから賄賂をとり私腹を肥やした。賄賂を贈らぬ者には年貢を増やすという非道なこともしてきた。我が柴田家は一向宗門徒との戦いが激しく、何より領民の支持が不可欠なのに、お前たちは殿と領民を裏切った。領民あっての国だ。領民をないがしろにして栄えた国はない。これ以上くどくど言うこともあるまい。よってお前たちを今日より追放する。顔も見とうない! さっさと北ノ庄から出て行くがいい!」
 賄賂を受けた役人たちは隆広に一言の反論もできず、スゴスゴと役場から出て行った。
 これが世に有名な『水沢隆広、韓信裁き』である。漢の高祖に仕えた韓信は、今回の隆広と同じように私腹を肥やす役人を追放した事がある。隆広もその時の韓信と同じくらいの厳しさをもって部下の役人を処断したのであった。

 その処断を隣室から見ていた助右衛門と佐吉。
「どうだ佐吉、これで隆広様を主人と認めたか?」
「……え!」
「そなた、隆広様が自分より劣っている主君なら、即座に羽柴家に帰参するつもりだったろう?」
「……ご、ご存知だったのですか?」
「治したほうがいいぞ。毎日の仕事の中でそなたが隆広様を見る時の顔にそう書いてあった。そして今、初めてその文字が顔から消えたのよ」
「と云う事は……隆広様もそれがしがそう思っていた事を……」
「クチにはしとらんが、オレが分かるくらいだ。とうにお気づきであったろうな」
「そ、そうだったのですか……」
(そんなにオレは胸中に思う事が顔に出やすいのか……)
「羽柴家で同僚と上手くいかなかったのも、そんなところだろう。お前は兵卒として隆広様に仕えるわけではない。この越前の行政官水沢隆広の補佐役なのだ。民や兵を土木工事で使うとき、『この無学者たちめ』なんてのが顔に出たら必ず伝わるぞ。人を使う立場にあるのだから、すぐに治せ」
「は、はい!」
「で、今日から隆広様を主人と認める気になったのだな?」
「……はい、確信しました。隆広様は私より何倍も器の大きい方です。本日より佐吉は隆広様のまことの家臣になるつもりです」
「そうか、隆広様も今のお前の言葉を聞いたら喜ぶだろう」
 石田佐吉の顔にはもう『左遷された』のひがみもなかった。秀吉の『修行をしてこい』の意味がこの日やっと分かった。石田佐吉は本心から内政における水沢隆広の右腕となるのであった。そして何か胸に思う事があっても彼は一つ深呼吸をし、けして表に出す事はなかった。

「お前さま、兵糧役場の悪徳役人を追放したんですって?」
 帰宅して、おかえりなさいませの後、さえに言われたのがこれだった。
「何で知っているんだ? 今日の昼にあったことなのに」
「もう城下町はその話で持ちきりですよ! 私も妻として鼻が高いです」
 城下の娘たちがキャーキャー言っているのを聞いたさえは
(私のダンナ様なんだから当然!)
 と、誇らしく思った。

 柴田勝家の耳にもこれは入った。そして手を打って喜んだ。賄賂をガンとしてはねつけたのが嬉しくて仕方なかった。そして私腹を肥やしていた者を処断した事も。
 勝家の傍らにいた妻のお市も大喜びした。この隆広の不正役人追放を勝家に知らせに来た者は、勝家とお市が家臣の快挙にしては異常なまでに喜ぶのに戸惑った。
「殿……私は嬉しくてなりませぬ……。よくぞそこまでの男子に……」
「ああ、それでこそ……」

 隆広が悪徳役人を追放したと云う話は、瞬く間に北ノ庄中に広まった。本当に民の事を考えてくれる方が奉行になったと領民たちは喜んだ。しかし……
「う、ううう……あんな若僧にかような恥を受けようとは……!」
「……オレにどうしろと云うのだ?」
 解雇された役人のうち一人が佐久間盛政に泣きついた。役人政兵衛は盛政の縁者である。
「ご家老、何とかあの若僧に仕返ししたい!」
「……隆広は罪人のそなたの家族まで責任を及ぼしていない。それでも仕返しがしたいのか?」
「当たり前にございます。何が賄賂は許さぬだ、みんなやっていることだ! ご家老とてあの若僧が気に食わないのでございましょう? 何とか役人に戻れるように働きかけて下され! 今度はワシがあの若僧に賄賂の罪を捏造して追放してやる! 無論ご家老にはたんまりとお礼を……」

 ズバッ

「……え?」
 政兵衛は盛政に問答無用で斬られた。
「たとえ、気に食わない男が行った事でも……正しい仕事ならオレは認める。お前は柴田家に、いや世の中に必要のないクズだ!」
 斬られた政兵衛の断末魔の声に、盛政の家臣たちが駆けつけた。
「片付けろ、こやつは役人を解雇されたことを怨み、当家の兵糧奉行に報復を企てた。よってオレの縁者とはいえ斬り捨てた」
「ハッ」
「フン、追放など生ぬるいことをしているからこうなる。斬刑で良かったのだ。つまらん尻拭いをさせおって、隆広めが!」
 これは他の追放された役人にも伝わり、逃げるように北ノ庄を出て行った。人づてに隆広は盛政の処断を聞き、盛政に礼を述べに行ったが盛政は会おうとしなかった。
 だが玄関先に立つ隆広に聞こえるように『不正役人を追放程度で済ませるような甘い男に会う気はない! 柴田家と越前の民を裏切った者は斬らねばならない!』と言い、隆広に『責任ある立場になったのなら、断固として不正は厳しく処断せよ』と諭したのだった。
 隆広はその言葉を訓戒として、玄関先で声のした方向にペコリと頭を下げた。不仲の二人だが柴田家を思う気持ちは同じだったと言える話だろう。

 隆広は、勝家の命令で柴田家の兵糧奉行として領内の不正役人の摘発を行った。支城の府中城、小丸城、龍門寺城、丸岡城と一乗谷の町、金ヶ崎の町でも同じ事を行い、やはり不正を働いていた者が多く見つかったのである。支城での処断は城主に一任されるが、一乗谷の町、金ヶ崎の町の柴田家直轄の町は不正役人は捕らえられ、隆広の前に縛に繋がれた。

「柴田家に禄をもらいながら殿と領民を裏切った罪は重い。一同覚悟は出来ていような」
「「…………」」
「また、逆恨みでオレを襲おうとした元北ノ庄兵糧役場の役人たち。その方たちとて武士であろう! なぜ闇討ちなど考えた、口惜しければ正々堂々と果し合いを申し込めば良いだろう!」
「「…………」」
 隆広は追放した役人の財は没収したが家族には累を及ぼさなかった。だが周囲から不正役人の家族と責められ、結局北ノ庄から逃げ出した。
 そして追放された夫と合流して一乗谷の町、金ヶ崎の町に流れ着いた。その町に住む不正役人たちも、いつ隆広の目が及ぶか怯えたが今までの賄賂を受け取った事実は拭いようもない。
 役人たちは越前から逃げるか、それとも隆広を殺すか考えたが、後者は成功したとしても、もう生きる道はない。柴田家に殺されるのは目に見えている。前者ならば今まで蓄えた金で当面は何とかなる。
 結果、北ノ庄から追放された役人は後者を選んで、一乗谷の町、金ヶ崎の町の役人は前者を選んだ。後者を選んだ役人たちは、もう明日に食べるメシの金もない、家もない。逆恨みと知りながら隆広を殺すことにした。その上で柴田家に殺されようと半ばヤケクソの蜂起である。
 だが、すべて露見してしまった。不正役人の摘発を行うため一乗谷の町に来た隆広を襲うため伏せていたが、逆に隆広の兵に捕らえられた。そして逃げ出そうとしていた者たちもまた捕らえられたのである。

『不正役人を追放程度で済ませるような甘い男に会う気はない! 柴田家と越前の民を裏切った者は斬らねばならない!』
 佐久間盛政の叱咤の言葉が隆広の脳裏をかすめる。しかし隆広は養父の水沢隆家から、ある言葉を言われたことがある。それは『金銭関係で悪い事をする者は頭がいい。正しい者が上に立ちさえすれば、その毒も薬になる』と言う事だった。
 斬刑にするのは簡単だった。しかし隆広は何とか目の前にいる連中を正しい方向に頭を使わせるように持っていけないものかと考えた。隆広は以前さえに言ったとおり『柴田家そのものが産業を持つ事、交易を行う事』を考えている。何とかその任務をやらせてみたいと思っていたが、無罪放免と云うわけには行かない。隆広は少し考え……
「そなたらに労役を課す。今まで何の苦労もなく搾取してきた賄賂の額、それを稼ぐにはどれだけの汗水が必要か、身をもって知れ。一人一人が不当に得た金額はすでに知っている。それを民と同じように土に汗を流して稼ぐのだ。オレはずっとそなたたちを観察する。汗水流して働いても何の成長のない者は斬る。だが生まれ変われた者は再び当家に召抱える」
 首を刎ねられることを覚悟していた不正役人たちは、この隆広の温情に感涙した。おそらく当時の武士の中で『奉行』の肩書きを持っている者なら、まず斬刑を下す罪である。それを労役であがなわせようと云うのである。
「府中城と龍門寺城で大掛かりな開墾が行われている。そこで働くのだ、よいな」
「「ハ、ハハーッ!」」
 見事な裁きだ、傍らにいた石田佐吉は思った。『柴田家そのものが産業を持つ事、交易を行う事』と云う隆広の考えを佐吉は何度か相談され、その実現にはどうしたら良いかと二人で考えたが、『金銭の活用に長けた者を集める』と云うのにだいたいの結論が落ち着いている。
 主人隆広は後々にその役目をこの不正役人たちに与えるつもりなのだと裁きを見て察した。また能力だけでなく、こうして命を助けたことでこの者たちが隆広に感謝して、その任に懸命に当たるだろうとも感じていた。人心掌握の技、見事と佐吉は感じた。

 府中城で隆広の名代として不正役人の摘発を行ったのは奥村助右衛門である。報告がてら助右衛門は城主の前田利家に謁見を申し出た。利家は快諾して助右衛門に会った。
「久しぶりだな、荒子城の明け渡し以来か」
「そうなります。殿にはご機嫌うるわしゅう」
「ははは、殿はよせ。今では隆広がそなたの主君であろう。妻の津禰は息災か?」
「ハッ」
「しかし……まったく面目ない。こんなに不正を働いている者がいたのか……」
 助右衛門の報告書では、不正役人は十一名に及ぶほど列記されていた。
「裏づけも取れております。最初の時と違い、もしかすると農民が悪意を込めて無実の役人を告発するとも考えられたので、農民から申告された十一名すべての家を調べました。その結果、全員が入手不透明な財を持っておりました」
「そうか」
「その者の刑罰は利家様に一任すると勝家様からのお言葉です。とりあえず今は牢に入れておりますが……」
「隆広は追放で済ませたらしいな」
「はい」
「……府中は北ノ庄よりも貧しい。だから賄賂の搾取はより厳罰に行う。私財没収の上、その家族は追放。当人は斬刑だ」
「……それもやむをえないでしょう。ではその旨を主君隆広を通して勝家様に伝えます」
「うむ、たのむ」
「では」
「まて助右衛門」
「はい」
「ワシはお前の旧主の兄利久を差し置いて前田家を継いだ。色々とワシに思うこともあるだろう。現にお前は荒子城明け渡し後に出奔したほどだからな。ワシが大殿に家督を継がせてくれと直談判したというのも本当だ。兄利久やその息子の慶次、そして家臣だったお前にも申し訳ないことをしたと思っている。しかし……あれから時は流れ、今はお互い柴田家のために尽力するもの。虫のいい話だが、できれば過去のしこりは忘れてほしい」
 助右衛門はニコリと笑った。
「もう忘れておりますよ。いや逆に今は良かったと思っております。何故ならそういう巡り合わせがあったからこそ、利家様より仕えがいのある主君にお会いできたのですから」
「こやつめ……!」
 利家と助右衛門は笑いあった。
「帰る前、あの不毛の雑草地帯がどう変わったか、見て行ってくれ。驚くぞ」
「承知しました」
 助右衛門は前田利長が指揮した開墾の現場に立ち寄った。それは満々の水をひたす美田に変わりつつあった。そして領民たちは嬉々として開墾作業に入っていた。罪を犯した不正役人も汗水流して働いている。
「見事だ……」
 利長の仕事、そしてその利長を見出した隆広の眼力に助右衛門は感心するのだった。

 そしてこの頃、隆広は勝家から兵糧奉行の任を解かれた。各村長が水沢様に続けていただきたいと領主勝家に懇願したほどだと云うが、それは叶えられない願いであった。
 隆広には新田開発や城下町の発展の主命で働いてもらわなければならないからである。だが隆広のやり方は次の奉行にも受け継がれ、今後に賄賂が横行する事は二度となかったのである。
 歴史家は隆広を『政治では君主と宰相の、軍事では総大将と参謀の才能を兼備していた』と絶賛しているが、今回の奉行での仕事は、その名宰相ぶりの才能を歴史に記した事となるだろう。そして前田利長、不破角之丞の才能を引き出し、奥村助右衛門、石田佐吉と云う英傑を使いこなす名伯楽としての才能も。


第四章『前田慶次』に続く。