天地燃ゆ
第四部『信長と秀吉』
第二章『真っ向勝負』
柴田勝家は隆広に開墾などの主命を与え、隆広は忙しくもそれをこなしていた。彼の兵の三百はこの一連の作業にも大いに働きを見せて、加賀大聖寺城の合戦後からしばらく経つと、城下町の人々の評価も
「いや〜あのワルガキたちがなあ〜」
「上に立つ人によって、あんなにも働き者になるもんなんだねえ〜」
と、見事なほどに変わっていた。兵農分離が行き届いた織田兵だが、実際は内政的な現場作業にも当たる事は多い。今までこういう作業を怠けていた彼らだが、本当に上司が変わっただけで働き者になってしまった。
内政主命は一つ受けるときに勝家から三千貫の資金を受ける事ができる。
この資金の使用用途の中には工事資金は無論の事、兵士や人足への賃金も含まれる。どのように割り振るも指揮官の自由であるので隆広はなるべく兵士と人足への賃金に当てるようにやりくりした。当時余った賃金を着服する不心得者が多いなか、隆広は部下と雇った者たちへの賃金に当てる努力をしたのである。それでいて内政の達成成果は抜きん出ていた。
結局は使う者たちへ正当な評価を下してそれに見合う報酬を与える事が内政主命で成果を上げるに繋がると隆広は理解していたのだろう。
また隆広は現場指揮官としての能力が傑出していた。指示内容は学問を知らない農民たちにも分かりやすく、適材適所を心がけており、休息や食事も十分に与えた。当たり前の人の使い方であるが、この当たり前ができない指揮官の方が多かった。
ゆえに隆広の兵士となった三百人の働きはめざましく、日雇いの人足や労働者などの領民たちは隆広に使われることを何より喜んだという。
そして隆広は現在、九頭竜川沿岸の開墾を勝家から命じられており、隆広と兵たちは越前を流れる九頭竜川のほとりに開墾工事の本陣を作り野営していた。
隆広は、九頭竜川の川原を、兵とその地の領民に命じて開墾させていた。氾濫した歴史のない地点を選び、石と雑草と灌木だらけの川原を農地整備したのである。用水路も作り水も各田畑に通し、その地の領民たちは歓呼した。伐採した潅木も、城内の薪炭に使えるというので、今まで薪炭担当者は捨てていた灌木を隆広は大事に扱った。
その灌木と、九頭竜川で取れた魚を塩漬けにしたもの、そして主命達成の報告書を兵の半数百五十に持たせて北ノ庄城に帰した。次の評定まで間があるので、隆広は本陣に残り、部下と共に九頭竜川を見て歩き、所々で地形図を描いていた。
「ふむう、やはり朝倉氏は一度この川に『霞堤』を作ろうとしているな、見てみろ」
自分の描いた地形図を部下たちに見せて、その場を指した。
「『霞堤』、聞いたことあります。堤防の一部に流路方向と逆向きの出口をあらかじめ作っておき、洪水時には洪水流の一部をここから逃がし、洪水の勢いを弱め,下流側で再び流路に取り込むといった治水技術ですね?」
部下の小野田幸之助が言った。
「そうだ。だが朝倉は大殿に攻められてしまい、それどころではなくなったのだろう。途中でやめているな。これを作ろうとしたのは河川沿岸に住む領民を思ってのことだろう。しかし驚いた、この治水工事の必要性を主君義景殿に説き、そして指揮を執ったのが、まさかあの方とはなァ……」
一乗谷の落城以後、ほとんど九頭竜川に手は加えられていない。朝倉氏滅亡後に越前入りした柴田勝家も一向宗門徒に手が一杯で治水まで手が及ばなかった。
しかし、この河川の治水はなんとしても早急にやらなければならない。隆広はそう感じていた。氾濫の多い地域に住む領民たちにとっては一向宗門徒より恐ろしい自然の猛威『暴れ川』であった。
朝倉の時代に治水工事は着手されているが、織田信長の越前攻めのため頓挫せざるをえなかった。地元領民に隆広がその治水工事の時の状況を聞くと、内政をおろそかにしがちの朝倉義景に治水の必要性を説いて、かつ工事の奉行となったのは意外な人物であったのだ。
「御大将、あの方とは?」
「ああ、それがあの……」
「御大将―ッ!」
「ん? あれは北ノ庄に帰した矩三郎の声ではないか?」
「そのようですね。行って戻ってきたのかな」
息を切らせて松山矩三郎が陣屋に入ってきた。
「ハアハア、御大将、勝家様がお呼びです。主命が終わったならすぐに戻れと。次の仕事があるから帰ってこいと」
「え? 九頭竜川の地形を調べたいと云うことは述べたのか?」
「申しました。だがそれはあとにせよ、と」
「そうか……。まあ、おおまかな地形図は描き終えているからかまわないか。よし、陣場をすぐに撤収せよ、北ノ庄に帰るぞ!」
「「ハッ!」」
「うそつき……もうしばらくここにいるって昨夜言ったばかりじゃない」
「仕方ないだろう、御大将の命令なんだから……」
撤収をしている陣場の外で、泣いている農民娘をなだめている小野田幸之助がいた。隆広の兵士たちの中には、この開墾工事中に地元の農民娘と深い仲になってしまった者が何人かいた。隆広と共に、懸命にその地の開墾に励んでいた若者たちの姿は、その地の娘たちの心を掴んだのである。よく周りを見れば、幸之助のように泣いている娘をなだめている兵士が何人もいた。
「ぐすっ 今度はいつ会えるの?」
「すぐだよ。北ノ庄から馬を飛ばせば数刻で来られるからな、オレとてお前のカラダが忘れられない。また来る」
「もう助平」
「なにやってんだアイツらは! 撤収作業なまけよって! こら―ッ! 御大将自ら働いているのに部下が女とイチャついていてどうすんだ!」
地元娘とそういう仲になれなかった松山矩三郎は機嫌が悪かった。
「ははは、まあいいじゃないか。そんな手間のかかる作業じゃない。矩三郎は地元娘と仲良くなれなかったのか?」
「え? ええまあ、ここいらの娘たちにオレ好みの女子がいなかったので。次の開墾地に期待します」
「おいおい、オレの受ける内政主命はお前たちの嫁探しの場ではないぞ」
カラカラと隆広は笑った。
「わ、分かっております。あくまでもついでです。ついで」
「ついでね。まあそういう事にしておくか」
「そういう御大将はどうなんです?」
「オ、オレ?」
「村娘たちに言い寄られていたの、知っていますぞ」
「『惚れた女子がいる』と断った。それに現場指揮官のオレがそんな真似はできない。主命を受けて開墾をしている以上、オレは殿の代理人だからな。そんな無責任な事はできない」
「律儀ですなぁ」
(惚れた女子とは、さえ殿のことなのだろうな)
隆広と兵たちは、地元領民の見送りを受けて北ノ庄に帰った。隆広は自宅に寄らず、まっすぐに城に向かい、勝家に会い改めて主命達成の報告をした。
「九頭竜川沿岸の一部を、農地整備してまいりました」
「うむ、素晴らしい出来栄えのようだな。嬉しく思う」
「もったいなきお言葉にございます」
勝家の手には、前もって提出した隆広からの報告書があった。
「各田畑に水を公平に分配できるよう作ったそうだな。そなた、引水や用水の知識も持っていたのか」
「専門家まではいきませんが、父に習った事がございますので」
「なるほど、隆家殿はすぐれた内政家でもあったと云うが、そなたを見ているとそれがよく理解できるのう」
「恐悦至極に存じます」
「して、報告書にも記されてあった『九頭竜川治水の必要性』だが……」
「はっ」
「残念だが、現時点で着手する金がない」
「は……」
「あとで詳しい見積もりを提出してもらうとするが、今ここでも聞かせよ、九頭竜川治水に、そなたの見込みではいかほどかかるか?」
「は…六万貫はかかるかと…」
「…工事をしなかった場合、大型台風による被害は?」
「その倍は…。しかしそれより被害を受けた沿岸領民たちの民心が殿より離れる方が深刻かと存じます」
「やらねばならぬ。そういうのだな?」
「は……」
「しかし現実、北ノ庄にそんな金はない。またそなたをその治水ばかりに割くわけにもいかぬ。今は一向宗門徒の殲滅が何よりの悲願。両方同時に行うのは不可能だ」
「殿……」
「だが、その必要性は分かった。門徒どもを駆逐したら真っ先に着手しよう。それでお前を九頭竜川から呼び戻したのはだな」
「はい」
「安土に行ってくれ」
「安土に?」
勝家は文箱から書状を出した。
「この書状を大殿に届けて欲しい。先日の合戦についての報告と、ここ数ヶ月の越前の統治状況などを書いたものだ」
隆広はそれを両手で受け取った。
「また、大殿から使者はお前にしろと言ってまいった」
「それがしを?」
「ああ、以前に市も言ったと思うが、お前の父上の隆家殿には大殿もさんざん痛い目に遭わされている。その名を継ぐお前を見てみたいのじゃろう」
「はあ」
「また、安土の帰りに越前を一通り回って来い。今回の九頭竜川のようにお前の眼から見て気付くものも多かろう」
勝家はスッと立ち上がり、隆広の前に座った。
「隆広、ゆくゆくワシは領内の内政をお前に任せるつもりでいる。だからよく見てまいれ」
「はい!」
「うむ、三日以内には安土に発て」
「はい、あ、それと……殿、お許し願いたいことが一つございます……」
「ん? なんだ?」
「実は……」
隆広は家に帰った。そして勝家に願い出た『許してほしい事』も無事に許可してもらっていた。
「あ、安土に?」
「ええ、三日後に発ちます」
さえは拗ねた顔になった。やっと帰って来たと思えば、すぐに違う主命を受けて出かける。確かに自分は隆広の使用人と云う立場だけれど、仕事ばかりで自分を一向に省みない隆広に対して不満が出てきた。
さえは寝る前に必ず湯につかっていた。いつ隆広が自分を求めてもいいように。無論、使用人とはいえ、かつ好意を持っているとは云えど、そう簡単に身を任せる気はない。しかし一つ屋根の下で暮らしているのである。あくまで万一に備えてのことであった。だが朝に目覚めて、隆広が自分の寝室に来なかったことを知るたびに何か切なくなった。
隆広が主命で家を空けるとき、さえは城に上がり勝家の妻お市と姫たちに奉公しているので屋敷にポツンと一人と云う事ではないが、やはりさえは隆広の留守中は寂しかった。会いたい気持ちで一杯だった。
だが、その隆広は久しぶりに帰ってきて自分に会っても優しい言葉一つもかけない。相変わらず間に線をひくように常に『殿』をつけて自分を呼び、言葉は丁寧に敬語を使う。自分は彼に取り魅力がない女なのか……。そんなことも感じてしまう。
私は久しぶりに会えて嬉しいのに、この人の頭の中はもう次の仕事で一杯になっている。また主命で家を空ける。自分は省みてもらえず放っておかれてしまう。当時も今も、女は放っておかれる事を一番にイヤがるものであるが、当時の世で使用人がそんな理由で主君に不満を言っていいものではない。さえは文句を言いたいのをグッと我慢し
「では……旅支度と路銀の用意をしておきますので……」
と、ぶっきらぼうに言った。
「あ、さえ殿」
「なんですかあ?」
露骨にふて腐れた顔を見せるさえ。
「お、お話があるのですが」
「忙しいのですけど」
「大事な話なのです。聞いていただけないでしょうか」
「……分かりました」
さえは隆広の部屋に入り、その前に座った。
「お話とは」
拗ねているさえ。ご機嫌ななめで隆広の顔を見ずツンと横を向いているが、隆広はかまわず続けた。
「さえ殿、いや……」
「は?」
「さえ」
「……!? は、はい」
初めて呼び捨てにされたので、さえは隆広を見た。
「ゴホッ ゴホッ」
隆広の顔が真っ赤になってきた。
「さえ、オレは……」
「…………?」
「そ、そ、そなたが好きだ。はじめて城下で会ったときからずっと好きだった。心からそなたに惚れているのだ」
「…………!」
「つ、妻にしたい! オレと夫婦になってくれ!」
「た、隆広様……」
「ゴホッ ゴホッ」
隆広は風邪をひいてもいないのに、やたら咳きこみ間をとる。
「なんの縁かは分からなかったけれど、気がついたらさえとは主従関係となっていた。そなたがただの町娘なら、とっくに求愛し妻にと願ったであろうが、どういう巡り合わせか偶然にも主従になってしまった。毎夜そなたの寝所に行きたいのをこらえるのに必死だった。何か立場を利用してそなたを求めているようだったから……だから常にそなたに余所余所しく敬語を使い、自分を戒めていたのだ……」
「…………」
「だけど、もう堪えられない。どこに行ってもそなたの事で頭が一杯になってしまう。妻にしたい。一生そなたの笑顔を見ていきたい。そなたの声を聞いていたい」
さえは驚いた。そして嬉しかった。今まで自分に一線を隔てていたのは私を大事にすればこその事だったのかと知ったからである。何より、自分が好きになった男が自分をこれほどまでに好いていてくれた事が。
だからこそ、さえも自分の事を話さなければならない。
「嬉しゅうございます……。でも私の父の事を知れば、父の事を知ってしまっても隆広様は私を妻にしてくれますか?」
「さえのお父上……?」
「私の父は……朝倉景鏡です」
「な……ッ!?」
「ご存知の通り……主殺しの……裏切り者です!」
「その事を……殿や奥方様は?」
「知っております。勝家様と奥方様だけには話してあります」
朝倉景鏡(かげあきら)、一乗谷城陥落後に織田信長に寝返り、主君である朝倉義景を殺した男である。
後に土橋姓を信長から与えられ土橋信鏡を名乗り、旧領を安堵されたが一向宗門徒や朝倉恩顧の領民たちに裏切り者と呼び続けられ、ついに一向宗門徒に攻められて追い詰められ自害に至った。
信長は自分に味方した景鏡に旧領こそは保証したが、裏切り者の彼を快くは思わなかった。それは他の織田の武将もそうだろう。彼が一向宗門徒に攻められたとき、誰も援軍には来なかった。
さえは、裏切り者よ、主殺しよと言われ続け、ついには発狂した父を見た。優しい父だった面影は微塵もなくなってしまった。
だが自刃する直前に彼は正気を取り戻し、一人娘のさえを部下に命じて逃がしたのである。その部下も逃走中に受けた矢傷が元で死んだ。
そして逃げた先の漁村で父の訃報を知った。村の民は彼女の父の死をあざ笑っていた。悔しかった。だが何も出来ない。天涯孤独となってしまったさえ。朝倉家の宿老であった朝倉景鏡。幼いころから父の溺愛を受けて、蝶よ花よのお姫様だったさえ。だがもう何もかも失ってしまった。一文もなく、今日食べる飯も寝床も無い。
さえは死の誘惑に負け、日本海に面する断崖絶壁の東尋坊で身投げを決意した。だが、たまたま東尋坊の景観を楽しんでいた柴田勝家とお市に見つかり止められてしまった。さえの境遇を哀れんだ勝家とお市は城に連れ帰ったのである。
その後、さえは北ノ庄城で懸命に働いた。朝倉家宿老の姫などと云う気位は捨てた。一度死を選んだ身、もう行く場所はここしかないと云う気持ちか、さえは必死になって奥方お市への忠勤に励んだのである。よく気がつき、利発なさえを市は可愛がった。
自分の生い立ち、そしてさえは卑怯者と呼ばれる男の娘なのだと隠さずに隆広に述べた。
「父は未来永劫に渡り……裏切り者と呼ばれるでしょう。その娘の私でもよいのですか? もし織田の大殿に、女房が朝倉景鏡の娘とでも知られたら! 隆広様の出世は絶望的です! 私は裏切り者の娘なんです!」
「だけど、さえにとっては立派なお父上だったのだろう?」
「え?」
「さえを見れば分かるよ」
かつて自分が隆広に言った言葉。それを隆広はニコリと笑って返した。
「隆広様……」
「さえ、景鏡殿の墓は確かなかったな」
「はい……」
「これからも、オレの禄をうまくやりくりして、お金を貯めてくれ。二人で景鏡殿の立派なお墓を作ろう」
「は…い…」
さえの目から涙がポロポロと落ちた。嬉しかった。求婚してくれた事。父の名を聞いても何の心変わりもしなかった事。そしてお墓を作ろうという隆広の優しさが。
「ところで……」
「え?」
「へ、返事を聞かせてくれないか……?」
さえの顔がボンと湯気が出るほどに赤くなった。そういえば『はい・いいえ』の明確な返事はしていない。三つ指を立て、静かにかしずくさえ。
「ふつつかものですが、誠心誠意お仕えいたします。よろしくお願いします、お前さま…」
「さえ!」
隆広はさえを抱きしめた。戦国の世、十五歳同士と云う幼い夫婦が北ノ庄の町で誕生したのである。
隆広の求婚をさえが受けた直後だった。前田利家がやってきて仲人を買って出た。どうやら勝家に命令されたらしい。さえが隆広の求婚を受けないとは考えていなかったようだった。
隆広が勝家に許しを願ったのは『さえを妻にしたい』と云うことだったのである。勝家はそれを許し、かつ『こればかりは、いらぬ作戦も智恵も使わずに真っ向勝負で行け』と督励したのだった。
さて利家だが、かつて木下藤吉郎とおねの祝言の媒酌人をしただけあって、さすがに段取りがいい。前田家中の者が利家の指示でパッパと祝言の席を作ってしまった。
「前田様、わざわざ居城の府中城から来て下されたのですか……?」
「あ? そんなことあるわけなかろう。今日は妻のまつと共に北ノ庄に滞在していたんだ。それで勝家様にお前の祝言の面倒を見てやれと言われたんだ」
「ありがとうございます……」
「気にするな。オレは結構こういうのが好きでな。自慢じゃないが仲人や媒酌人を務めた数は勝家様より多い。すごいだろう」
「は、はあ……すごいですね」
別室では利家の妻のまつがさえの花嫁衣裳の着付けを行っていた。
「まつ様……すみません、ご家老の正室様にこんなことを……」
「なに言っているの。私はこういうの大好きなの。ウチの殿は仲人するのが大好きでね。だから私も自然に好きになっちゃって、ははは」
「はあ」
「これから忙しくなるわよ〜。殿が言っていたけれど、隆広殿はずいぶんと将来有望な若武者らしいじゃない。家来も増えていくでしょう。ただ隆広殿に尽くすだけじゃダメなのよ。水沢隆広隊の全体を見ていかなくちゃ」
「は、はい! がんばります!」
話を聞きつけ、隆広の兵士たちや、城普請を一緒にやった職人たちも祝いに駆けつけた。さすがに全部入らないので、家の外にも宴席が設けられ、隆広とさえの祝言を祝った。
楽しい歌や唄う者、その歌にのり踊るもの。それを見て大口を開けてバカ笑いするもの。隆広も恋焦がれた美しい少女と夫婦になれた喜びか、歌や踊りに大笑いしながら手拍子を送っていた。
さえは最初だけおしとやかに上座に座っていたが、少し酒が入ったら、鼓をたたき出し、歌の調子を取った。楽しい笑い声はいつになっても止まらなかった。だがしばらくすると、家の外でお祭り騒ぎをしていた面々が急に静かになってきた。
「ん? 急に外が静かに……」
「殿じゃ! 勝家様じゃ!」
隆広と利家は飲んでいた酒を吹き出した。急ぎ身支度を整えて、隆広とさえは玄関先に勝家を迎えに行き、勝家に平伏した。
「よい、祝言の贈り物を持ってきただけだ」
「は?」
「隆広、さえ」
「「はい!」」
「誰か見ても、似合いの夫婦じゃ。隆広、さえを大切にするのだぞ」
「はい!」
「うむ」
勝家は贈り物を隆広に渡した。
「陣羽織……」
「では、わしは帰る。宴を続けよ」
「はい!」
宴は終わった。そして初夜を迎えた。身を清め、純白の着物を着て、蒲団の上で静かに隆広を待つさえ。
隆広も身を清めると新妻の待つ寝室へ行った。隆広が部屋に入ると、さえは三つ指をたててかしずいた。その隣に座る隆広。お互い緊張して何から話していいか分からない。二人とも性経験はなかった。
「あ、あの、さえ」
「は、はひ」
「オレは……女子は初めてなんだ……。でも、優しくするから……」
「は、はひ」
二人はやっと向き合い、隆広は緊張で手が震えながらも、優しくさえを寝かせた。その時だった。
バターンッ!
閉めた寝室のふすまが外れた。どうして外れたかというと、隆広の部下数人が主人の記念すべき夜を見届けようと思ったからである。彼らの誤算は覗き込む人数の圧力に思ったほどにふすまが耐え切れなかったと云うことだ。
「な、なんだ! お前らは!」
顔が真っ赤になっている隆広。さえは恥ずかしさのあまり顔を両手で覆った。
「す、すいません、だからお前が!」
松山矩三郎が高橋紀二郎のホホを思い切り叩いた。
「お前が覗こうと言ったんじゃねえか!」
「出て行け――ッッ!」
「は、はいい!」
部下たちは一目散に退散した。
「まったく!」
まだ覗いているヤツがいないか、廊下を確認してふすまを閉める隆広。
「ぷっ……」
さえは吹き出した。隆広も何か可笑しかった。
「あっははは」
二人とも緊張が解けた。改めてさえを横にする隆広。やはり触れると少しさえは体を硬くした。
「お前さま……恥ずかしゅうございます。灯を消して下さいませ……」
「う、うん」
新妻のかわいい要望に答えて、隆広は行灯の火を消した。初めて触れる女の肌。
(柔らかい、こんなにも女の体って柔らかいもんなのか……)
こうして初夜は更けていった。
第三章『愛馬【ト金】』に続く。