天地燃ゆ
第二部『若獅子、北ノ庄へ』
第二章『柴田勝家』
隆広は、その日北ノ庄城下町から出て、川原の辺の林で野宿した。宿代はあったが城下は門徒の襲撃で混乱していたため客を泊めるゆとりがほとんどの宿に無かったためである。だが隆広には野宿は手馴れたものだった。火を焚いて晩飯の魚の焼け具合を見ている。
それにしても今日は色々な事があった。初めての北ノ庄、門徒の襲撃、父の死、そして美しい少女。少女の顔を思い浮かべながらも、父を殺した門徒の襲撃に対して顔をしかめる隆広。巻き添えをくい、犠牲になった民もいるだろう。越前一向一揆を殲滅させた織田家の大将が柴田勝家であるがゆえに、門徒が勝家に持つ怨嗟は大きい。
隆広は刀を抱きながら炎を見つめていた。
「城下が突然門徒に襲われるのでは、当主の勝家様は門徒の討伐に頭を悩ませているだろうな。可児様が女子に対してもあれだけ冷酷になるのも今にして思えば理解も出来る……」
焼けた魚を取り、クチに入れる隆広。
「アツツ……」
何か問題点を見たら、自分ならどうするか考えよ。父にそう叩き込まれた隆広は北ノ庄を門徒の手から守る手段を考えた。
「もはや越前の内外に数万もいる門徒を殲滅するのは不可能に近い。それに今回北ノ庄が襲われたのも付け入る隙があったからだろう……。ならば国を富ませ軍備を整えて隙をなくせばいい。殲滅はせずとも攻めては来ない。しかしそれには膨大な金がいる。不可能なことを言っても始まらないよな……」
後に自分がそれを実現させるとは想像もしていなかった隆広だった。晩御飯を終えると、ふと隆広は父から渡された書状を手に取った。少し血痕が残っていた。どんな内容なのか、隆広は知りたかった。だが隆広は読まなかった。何か読んではいけない。そんな感じがしたからである。
「父上……」
明日、城に行こうと決めて隆広は眠りについた。昼間に会った美少女の顔を思い浮かべながら。
「さえ殿……」
翌日、隆広は北ノ庄城に向かった。領主に会うのである。浪人の自分が会ってもらえるかも分からない。だが父の言葉どおり預かった書状を渡さなければならない。人頼みではなく、自分自身の手で。
「あの、すみません」
「ん? なんだ?」
隆広は城門の番人に話しかけた。
「ご領主の柴田勝家様にお会いしたいのですが」
「あん? 何を言っている。殿様にお前のような小僧がお会いできると思っているのか?」
思ったとおりの答えが返ってきた。しかし、そう簡単に引くわけにもいかない。
「お願いします。武器ならお預けいたしますし、書状をお渡しするだけですから」
「書状? なんだお前、どこかの家中の使いか?」
「いえ……浪人ですが」
浪人と云う肩書きのものが、人々から小馬鹿にされるようになるのは、これより後の世のことであり、室町時代末期の信長の権勢期においては在野の名士としての肩書きともされていた。だから浪人と云う意味で隆広が卑しまれる事はなかったが、あまりに若すぎた。彼はまだ十五歳になったばかりである。
「しつこいヤツだな! お前のような小僧に殿は会わぬ、帰れ!」
「そう言わずにお願いします」
「ええい! いいかげんにしないと……」
「何を騒いでいる」
城門に一人の武将が通りかかった。
「こ、これは前田様!」
「何を騒いでいるかと聞いておる」
(この人が前田利家様……)
隆広は前田利家をジッと見つめていた。
「……わしの顔に何かついているか?」
「い、いえ!」
門番は利家の質問に答えた。
「この小僧が殿に会いたいと」
「勝家様に?」
「は、はい! 父の書状を預かっていまして」
「父? そなたの父の名は?」
「正徳寺の長庵和尚です」
「な、なんだと!」
「な、なにか?」
「ちょ、長庵殿? 確かにそう言ったな! そなたの名は!?」
「は、はい。水沢隆広と申します」
利家は隆広の顔をジッと見つめた。
「よし、ならばついてくるといい。勝家様に合わせてやろう」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
利家と自分を邪険にした門番にも律儀に頭を下げる隆広。彼は前田利家に連れられ、北ノ庄の城内に入っていった。
城内の奥で、妻の市と娘三人と食事をしていた柴田勝家の元に使いが走った。
「申し上げます」
「うむ」
「前田利家様が面会を求めておいでです」
「又佐(利家)が?」
「ハッ」
「朝食を取り終えるまで待てと伝えよ」
「かしこまいりました」
「よろしいのですか?」
市が心配そうに夫に尋ねた。
「かまわん、この楽しいひと時を邪魔されてはかなわぬ、あ、お江与、かわいいホッペにお弁当がついているぞ」
娘の頬についた飯粒をとり、口に運ぶ勝家。
「まあ、殿ったら」
鬼柴田と呼ばれる柴田勝家ではあるが、妻や娘たちに対しては本当に優しい夫、そして父親であった。
かつて市は近江の浅井長政に嫁ぎ、一男三女に恵まれた。だが、その長政とただ一人の男子は兄の信長に殺された。その後に市は娘三人を連れて、柴田勝家の妻となった。(史実では勝家にお市が嫁ぐのは本能寺の変後、本作では小谷落城後とする)
三人の娘は、茶々、お初、お江与と云い、世に『浅井三姉妹』と呼ばれ、後に水沢隆広と共に歴史の表舞台に立つこととなる。だがまだ姉妹は幼い。長女の茶々は十三歳になったばかりだが、花もはじらう美しさでもあった。
だが本日の朝食に茶々はあまり箸が進んでいなかった。
「どうしたの茶々、口にあわないの?」
「え? いえそんな」
市の言葉をはぐらかす茶々。
「ちがうの母上! 姉上ったら昨日城下で見た……」
「お初!」
妹の口を押さえる茶々。代わりに三女の江与が答えた。
「城下にすっごい美男子の若侍がいて、それにポーとしちゃって!」
「なぬ? それは本当か?」
勝家は大口を開けて笑った。
「そうかそうか! 茶々もそんな年頃になったか! あっははははッ!」
「ち、違います! ああもう! クチの軽い妹二人を持った茶々は不幸だわ!」
顔を真っ赤して拗ねる娘を、市はクスクスと笑って見つめていた。
朝食も済み、勝家は利家の待つ居間へと歩いていった。ドスドスと云う足音が聞こえてきたので、利家は平伏した。隆広も利家と同じく平伏する。利家が小声で言った。
「勝家様は鬼柴田、閻魔と言われるほどに恐ろしいお方だ。粗相のないようにな」
「あ、はい!」
「待たせたな、又佐」
「ハッ」
「ん? なんだ、その若いのは?」
「み、み、み、水沢隆広と申します!」
「水沢…ッ!?」
上座に座ることも忘れ、柴田勝家は平伏する水沢隆広を見た。利家が
「この者、あの長庵殿の養子。つまり水沢隆家殿の養子と相成ります」
と言った。父が斉藤家の武将だったことは聞いていた。しかし織田の武将たちにそれほどに名が知られているとまでは思わなかった。
「顔を見せよ! よう見せよ!」
平伏する隆広を起こして、勝家は隆広の顔をマジマジと見た。
「うむ、顔は似ておらぬが目は父上のごとき意思を宿した目をしておる。中々いい面構えじゃ!」
隆広の両肩をチカラ強く握る勝家。浪人の隆広にとって柴田勝家は雲の上の存在。それが自分を褒めてくれた。隆広は素直に嬉しかった。
「あ、ありがとうございます!」
コホンと咳払いして、勝家は上座に座った。
「で、隆家殿はお達者か?」
「いえ……亡くなりました」
「なに!」
利家も同じく驚いた。
「いつだ?」
「昨日にございます。一向宗門徒の撃った流れ弾に不幸にも……」
「なんということだ……!」
勝家の目から涙が浮かんでいた。
「お殿様……?」
「そなたの父は偉大だった。ワシにとり、いや織田家の弓矢の師と言ってもいい。強敵だった。隆家殿に勝つために我らは研鑽に励んだものだ。大殿も悲しまれよう……」
隆家は養子隆広に自分の武功は話さなかった。だから隆広には斉藤家においての養父の働きをほとんど知らないのである。幼少のおり養父の領国内で過ごした自分。しかし甲冑姿などは記憶にない。いつも普段着で養父は幼い自分と遊んでくれた。養父が戦国武将であったと知ったのは寺の坊主になったあたり。でもその活躍のほどは知らなかった。聞かせてくれなかった。織田家最大軍団長である柴田勝家をして、こうまで言わせる養父の偉大さに改めて胸を熱くした。隣に座る前田利家も隆家の死を悲しんでいた。
自分の目にも浮かんでいた涙を拭い、隆広は懐にしまっていたものを出した。
「それで父がこれをお殿様に」
父の隆家から渡された書状を出した。利家がそれを会釈しながら受け取り、勝家に渡した。勝家もまた、隆家の書状に深々と頭を下げ、丁重に開いた。
「…………」
勝家はジッと隆広の父、隆家の書状を読んだ。隆広には少し重い雰囲気で思わず呼吸することも忘れてしまいそうである。
「水沢隆広と申したな、そなた美濃から来たと云うのは相違ないな?」
やっと勝家が口を開いた。
「は、はい!」
「委細承知した。今日よりワシに仕えよ。足軽組頭として登用する」
「え、ええ!?」
隆広もだが、利家もあぜんとした。まだ十五歳そこそこの少年を足軽組頭から登用するなど異例中の異例である。足軽組頭は織田家中で上限一千の軍勢を率いることが許される将のことなのである。
「足軽組頭では不服か?」
「と、と、とんでもございません! お仕えさせていただきます!」
「うむ、さっそくそなたの家も城下に用意する。後ほどに案内を寄こすから行くがいい」
「は、はい!」
何が何やら分からないまま、隆広は柴田勝家に仕えることになった。不思議と拒否は出来なかった。勝家の威厳もあるのだろうが、隆広にとって養父の隆家と同じ空気を勝家に感じたからである。
こうして、後に稀代の名将と呼ばれる水沢隆広は戦国の世に躍り出たのであった。
「驚いたな、いきなり召抱えられるなんて」
城をあとにすると、前田利家が言った。
「ええ、それがしも驚きました」
「それにしても不思議な縁だ。勝家様はお前の父の隆家殿にさんざん痛い目にあったのだぞ。何せとうとう一度も勝てなかったのだから」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、現当主の信長様の先代、信秀様の時代から我らは斉藤家と戦ってきたが、斉藤の武将でもっとも恐ろしいのが隆家殿だった。とにかくその用兵ぶりは達人と言っても過言ではない。戦国武将とは奇な生き物よな。狭量な味方武将より、強大な敵将を愛する気質がある。おそらく勝家様は……隆家殿と戦うことを幸せに感じていたのかもしれない。オレもそうだ。あの方は強いが卑怯な手段は一度として使わなかった……。素晴らしい武将だった。そして養子とはいえ、その名跡を継ぐ隆広が柴田家に仕えるのだから、本当に奇縁だ」
「そうだったのですか……」
「何だ? 隆家殿から聞いていなかったのか?」
「はい、父は寡黙な人でした。昔のことはほとんど聞かせてはくれませんでした」
「なるほどな、あの方らしい」
敵将たちに恐れられ、そして尊敬もされていた父の隆家。改めて養父を誇りに感じる隆広だった。
「とにかく、これからは同じ釜のメシを食う仲間だ。よろしくな。お父上の名を汚してはならぬぞ」
「はい!」
「お、あの家ではないのか? さっきの案内人が言っていた家というのは」
「そのようですね、あんな立派な家を。これは励まないと!」
「ははは、そうだな。炊煙も上がっているから使用人はもう到着しているようだ。使用人とはいえ柴田の大事な人材だ。おろそかにするなよ」
「はい!」
「じゃあな、明日の評定で会おう。柴田陣営はクセのある連中ばかりだ。飲まれるなよ。オレもお前と意見が違うときは容赦しないからな!」
利家は隆広の肩をポンと叩いて去っていった。
「それにしてもいきなり柴田家の足軽組頭か、しかも居宅には使用人までいる。昨日までただの浪人だったオレなのに。世の中何が起こるか分からないものだな……」
隆広は勝家が用意してくれた屋敷に入っていった。
「ん? 部屋の中が暖かい。そしてこれは焼き魚の……」
隆広が入ってきたのを見た使用人が玄関先に来て隆広を迎えた。使用人と言っても一人だけであったが。玄関先でその使用人は三つ指をたてて座り、新たな主人に平伏した。
「お待ちしておりました、今日よりこの家でご奉公いたします……」
「あああッ!」
「えッ!?」
「さ、さえ殿!?」
「み、水沢様?」
新居に来てみれば、与えられた使用人は昨日に隆広と会ったばかりの少女さえだった。恋心を抱いた娘と、いきなり主従関係となってしまった。隆広がポツリともらしたように、世の中は何が起こるか分からないものであった。
第三章『隆広、初主命』に続く。