天地燃ゆ

第一部『手取川の撤退戦』

第二章『軍神の襲来』

「なあ半兵衛」
「なんでしょう」
 柴田陣営で、総大将の柴田勝家と意見を対立させ、無断で帰陣する羽柴秀吉軍。加賀から北近江の秀吉の領地、長浜までの帰路についている時であった。
 馬に乗り、先頭を進む秀吉の傍らに、羽柴秀吉軍の軍師、竹中半兵衛がいた。秀吉はその半兵衛に話しかけたのである。
「オレには隆広殿の言葉が現実になる気がする」
「七尾城が落ち、絶望的な背水の陣で謙信と対する事になる、と云う?」
「そうだ」
「……たぶん、その通りに相成りましょう。最悪の場合は一向宗門徒との挟撃も考えられます」
「やはりか……」
「はい、上杉と門徒に同時に攻められては勝家殿に勝機はございますまい」
「ふむう…。権六(勝家)はどうでもいいが、隆広殿や犬千代に死なれては困るな。半兵衛も隆広殿が心配であろう?」
「いいえ」
「あんがい薄情じゃな」
 半兵衛は苦笑して答えた。
「そういう意味ではありませぬ。それがしは隆広殿にこう教えました。『凄惨な辛勝をするくらいなら被害軽微の負け方をせよ』と。相手が謙信と云うことで、隆広殿は少なからず敗戦も想定しておりましょう。となると撤退の方法も考えているはず。私は先の先を読んで、そしてそれに備えよと教えましたから」
「教えたといっても、その当時の隆広殿はいくつだ?」
「確か九つか十か」
「覚えているかあ?」
「それは心配無用です。私より記憶力がある童でしたから」
「ほほう」
 自分の教え子を自慢する半兵衛は嬉しそうな顔を浮かべた。そして後ろを軽く振り返り加賀の方向を見つめ、心の中でつぶやいた。
(竜之介…。あの上杉謙信からどうやって逃げ切るか、じっくりと手並みをみせてもらうとするが……)
 竜之介、これが隆広の幼名である。
(生きて帰れよ……竜之介……)

 柴田軍は湊川の渡河の段階に入っていたが隆広の言った九月の大雨の危惧は見事に的中してしまい、湊川は増水していた。
 しかしここで進軍を止めることはできない。勝家は強引な渡河を決断したのだ。当然に隆広は猛反対した。水が引くまで滞陣するか、浅瀬が見つかるまで待つべきと。だが上杉軍はすでに七尾城に攻撃を開始している。迂回もできず、橋を架ける工事をする時間もない。隆広の意見は再び一蹴されてしまった。
「くそ……」
「隆広様、お気持ちは分かりますが総大将の決断です。我ら部下は従うほかございませんぞ」
「助右衛門……」
 助右衛門は沈む主君を労わった。才はあっても、まだ十七の少年。繊細な面も持っている。
「……分かった。佐吉、筏は?」
「はい、ただいま工兵隊が大急ぎで……あ、来ました!」
「隆広様! 急場でございますが隊の半数は渡河できる筏ができました! 数度の往復で隊と物資は運べましょう!」
「辰五郎、少ない時間で材料も調達するも至難であったろうに。礼を言うぞ」
「もったいないお言葉にございます。さ、お急ぎを!」
「よし、ならば我が隊も渡河に入るぞ。筏に乗り込め!」
「「ハハッ!」」

 隆広直属の工兵隊は、本隊の勝家直属の工兵隊より技術力があったと言われている。
 北ノ庄の屈指の職人衆であった辰五郎率いる一団は、ある事がきっかけで隆広に心酔し仕える事になった。長の辰五郎は隆広と親子ほどの年の差であるが、若き主君に心から忠誠を誓っていた。
 今回の筏にもそれは現れていた。他の隊では転覆する筏もあったが、隆広隊の筏はただの一つも転覆しなかった。それどころか、川に落ちた他隊の兵を救助することさえできた堅固さであった。
 強引な渡河作戦ではあるが、各将、そして最後尾にいた隆広と佐吉の指示でそれは円滑に進められていった。
 だが将兵の疲労は著しく、勝家は隆広が『ここに布陣しては上杉軍に対して絶望的な背水の陣を敷く事になる』と言った渡河の渡った先の水島の地に布陣を始めた。時刻はすでに夕暮れ時。その指示を隆広が聞いたのは、彼が自分の手勢を渡河し終えた直後だった。勝家からの伝令が隆広に届いた。
「申し上げます」
「なんだ」
「将兵の疲労著しいため、本日の陣はこの水島に陣を築き野営をすると殿の仰せです。水沢様はご自分の陣所を築かれた後に本陣に来るようにと殿の……」
「この水島に陣場を作れと!?」
 伝令兵の言葉が終わらないうちに隆広は悲痛に叫んだ。
「バカな! こんな場所に陣を築けば夜襲でもされたら柴田勢は壊滅する!」
「で、ですが各々の将たちは殿の命令に従い、すでに陣場を……」
「ご再考を請うてくる!」
 その隆広を助右衛門が慌てて止めた。
「お待ち下さい! 現に将兵の疲労は頂点に達しています! 勝家様にとっても苦渋の決断かと!」
「ならん! せめて湊川より三里は離れないと柴田勢は壊滅する!」
 兵たちの疲労の著しさは隆広も分かってはいた。隆広の隊は二千であるから、全兵士が筏での渡河が可能であったが、他の隊はそうはいかなかった。
 小船と筏、そして馬に乗って渡河したものは全体の半数ほどで、あとはほとんどが徒歩での渡河である。流されてしまった者もいるだろう。対岸に流れ着いた兵たちはすでに歩ける状態ではない。
 しかし、この水島の地に布陣するのはあまりにも危険である。隆広は主君勝家の勘気に触れるのも覚悟で再考を願おうとした。しかし受け入れられるとは思えないと考える助右衛門は隆広を止めた。
「休息も戦時における心得の一つです。本日の行軍はもはや無理かと」
「だが……この地はあまりに危険だ……。見ろ、ここ数日の雨で川は増水している。こんな川を背後にしたまま上杉に夜襲でもされてみろ。ひとたまりもないぞ!」
「隆広様……」
「とにかく、オレは柴田家中に侍大将として籍を置いている。危惧を覚えて進言せぬは不忠になろう。言うだけは言ってくる。助右衛門は再度の行軍に備えるか、陣場を築く用意をしていてくれ」
「かしこまいりました。この場はそれがしと佐吉で足ります。慶次、ご一緒せよ」
「ああ、分かった」

 隆広は慶次を連れて、本陣へと向かった。何としても今回の進言は聞き入れてもらわなければならない。この地に布陣する不利さを勝家に述べるため、隆広は頭の中で進言の内容を練っていた。それを察してか、慶次も主君の思案を邪魔しないよう黙って横を歩いた。
 そして本陣に到着した。
「殿! 申したき儀がござい……」
 その隆広の横を血相変えて通った伝令兵がいた。そして彼からもたらされた報は柴田勝家軍を震撼させた。
「申し上げます!」
「なんだ」
 軍机につく勝家が言った。
「七尾城が上杉軍により落とされました!」
「な、なんだと!」
 柴田勝家、佐久間盛政、長連竜、そして前田利家、佐々成政ら諸将は愕然とした。そして隆広も慶次も。
「上杉軍は守将を七尾城に置き、反転してこちらに進軍中!」
「さすが謙信、神速だ」
 明智光秀は唸った。
「感心している場合か明智殿!」
 畠山の客将長連竜は冷静な光秀を怒鳴った後、伝令兵の肩を掴んで尋ねた。
「七尾城を守っていた父と兄は!」
「……全員、討ち死にいたしました。上杉派の遊佐続光殿が上杉軍と内応し、城の中に上杉軍を入れさせ、長一族は必死に戦いましたが多勢に無勢。全員討ち死にいたしました。倉部浜に、長一族の首が晒されていますのを、それがしこの目で見届けました」
 伝令兵の言葉に呆然とし、そして地に拳を叩きつけて悔し涙を流す長連竜。陣に言いようのない静寂が流れた。七尾城のあまりに早い陥落にあぜんとする勝家。さらに追い討ちをかける報告がもたらされた。
「申し上げます!」
「今度はなんだ!」
「一向宗門徒、およそ三万五千! 南よりこちらに大挙して押し寄せています!」
 上杉軍と一向宗門徒の挟み撃ち、しかも背後は増水した川。柴田陣中に絶望感が漂った。その時だった。
「殿! この上はこの場で陣形を整えて一向宗を迎え撃つしか術がございません! 上杉三万、門徒三万五千! 向こうが数が多い上に、湊川の渡河のため疲労困憊し、地形的にも不利な我らではひとたまりもござりませぬ! まず門徒を叩かねば我らは上杉と門徒の挟み撃ちです! 今ならば兵力差はこちらに優位で門徒に立ち向かえます! 急ぎ南下して門徒たちを叩いてから総引き上げすべきです!」
「ならん! こうなれば上杉軍と門徒どもを蹴散らすのみじゃ!」
「柴田殿、隆広殿の言を入れられよ! この場で上杉と一向宗門徒に挟撃されたら全滅は必至ですぞ!」
 と、明智光秀。
「明智様……」
「今の我らはあまりに不利な条件を重ね過ぎておりもうす。畠山勢との挟撃が成らず、背後には増水した湊川、将兵らも浮き足立っております。天の時、地の利、人の和すべてに逆らっている状態でどうして上杉と戦えまする! ここは総引き上げかと!」
「勝家様、それがしも隆広と明智殿の意見に同じです!」
 前田利家、佐々成政、佐久間盛政も同調した。勝家はうなだれて床机に腰掛けた。
「ふう……」
「殿……」
「隆広……」
「ハッ」
「すべて、お前の申すとおりに相成った。愚かな主君と思っておろうな……」
「なるようになった結果です。誰の責任でもありません」
「そうか……」
「今はこの局面を打開する事だけをお考え下さいませ」
「ふむ、隆広……考えがあったら聞かせよ」
「門徒たちの狙いは上杉と呼応して我らを掃討する事。つまり敵の挟撃の体制が整える前に、こちらも二手に分かれて備えるしかございません」
「具体的には?」
「時間的に考えますと、上杉がこの地に到達するのは夜半。門徒の到達時間もこれまた同じでしょう。だからここで陣場を築いて迎撃に備えるのではなく、一気にこちらから南下して門徒を殲滅します。当然謙信公にもそれは伝わるでしょうから、こちらの背後を衝く好機とばかり差し迫ってくるでしょう。我らが今の虎口を脱するには門徒と上杉に理想的な挟撃をさせてはならないわけですから、別働隊、つまり殿軍が西に向かい謙信公に備えて足止めをしなくてはなりません」
「ふむ……」
「幸い、七尾からこの地を結ぶ道は、そんなに広い道ではございません。三万の大軍とて、そう縦横には動けますまい。ですが沿岸に到達されてしまっては三万の軍勢は怒涛のごとく背後から襲ってきます」
「ふむ、つまり少数精鋭の殿軍で上杉の足止めをして、残る大軍で一向宗と対し、できるだけ早く殲滅し、そして引き上げる。そういう事だな?」
「御意」
「よし、隆広の案で行こう。だが上杉の足を止めるのは至難。誰か我こそはと思わぬ者はおらぬか」
「…………」
 誰も名乗りを上げなかった。相手は上杉謙信である。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦よりはるかに至難と云うのは誰にも明らかである。

「殿、発案者のそれがしがやります」
 隆広の後ろで慶次はニカッと笑った。よく言った、そう心から思ったからである。
「な……ッ!?」
 勝家はならぬと言いたかった。勝家には隆広に死なれたくない理由がある。その才能を惜しんでではない。どうしても失いたくない理由がある。だが今、それはクチには出来ない。
「相手は上杉謙信! 朝倉が相手だった秀吉の金ヶ崎の撤退戦よりはるかに至難だ! それでもやるか!」
「はい、誰かがやらなければならぬ事です。殿軍がいなければ、間違いなく一向宗門徒との戦闘中に上杉軍がこの場に来て、凄惨な挟撃と追撃を受ける事でしょう。ここより西に向かい、上杉軍を何としても止めなくてはなりません」
「隆広……」
「養父を失い、孤児となったそれがしを殿は拾って下さり、侍大将にまでして重く用いて下さっています。士は己を知る者のために死すと言います。それがしのご奉公、受けてくださいませ」
 前田利家と可児才蔵は思わず唸った。そしてこの時ばかりは佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政も『またいい子ぶりやがって』とは思わなかった。
 上杉謙信相手の殿軍。生還不可能と思える役目である。勇猛な将とて引き受けるにためらいがある。だが隆広はそれを志願した。容貌は美男の優男である隆広であるが、『殿軍を受ける』と言った彼の顔は、もはや万の兵を縦横に操る戦国の名将に思えた。それほどの貫禄と雰囲気が出ていた。それは勝家も同じだった。
「……許す」
「ハッ」
「だが、生きて戻れよ! 北ノ庄に! 命令だ!」
「ハッ!」
「我らは急ぎここに魚鱗の陣をはり、門徒どもを迎え撃つ!」
「「オオオオッ!」」
「殿、ご武運を!」
 隆広はペコリと頭を下げて、勝家の元から走り去った。その姿を勝家は見えなくなるまで見つめていた。そして思った。
(市……見せてやりたかったぞ! 今の隆広の姿を。城に戻ったらたっぷりと聞かせてやらぬとな!)
 出陣前に愛妻の市がくれたお守りを勝家は大切に握った。

 各陣は陣払いと、および魚鱗への備えを作るため慌しかった。その喧騒を隆広と慶次は走りすぎる。
「魚鱗の陣を張るまでは、もう少し時間がかかりそうだな」
「確かに」
「慶次、我らは西に進軍して謙信公に備えるぞ!」
「おう!」

 自分の陣所に戻った隆広は将兵に自軍が上杉への殿軍を務めることを述べた。
 さすがは隆広の下に集った兵たち。不満を述べる者は皆無だったという。それどころか、殿軍と云う戦においての重要な任に士気は上がった。相手は謙信、困難を極める撤退戦であることは予想される。
 だが、この時ばかりは『いくさ人』筋が多い柴田の家風が功を奏した。兵たちは自分たちを尊ぶ主君隆広に心酔してもいる。あの主君と死ねるなら、それもまた良し。みながそう思った。
 助右衛門、佐吉に隆広は申し訳なさそうにポツリともらした。
「いらぬ役目を引き受けてきおって……そう思っているだろうな」
「とんでもない、よくぞ志願したと思っておりますぞ」
 ニコニコして助右衛門は隆広の肩を叩いた。佐吉は少し震えていたが、武者ぶるいと強がった。
「生きて帰りましょう! そして手柄を立てて! 勝家様のみならず、織田の大殿にも認めてもらいましょう! 水沢隆広隊、ここにありと!」
「ありがとう、助右衛門、佐吉!」
 部下の心強い言葉が隆広を感奮させていく。
「よし、舞! すず! 白(はく)!」
「ハッ」「ハッ」「ハッ」
 舞、すず、白は隆広直属の忍者である。舞とすずはくノ一、白は隆広と同年の少年忍者であるが、三名とも凄腕の忍者だった。
 元は隆広の養父である水沢隆家が三人の両親を自分直属の忍者として用いていたのが縁であり、隆家の養子である隆広に、そのまま世襲して仕えている。
 彼らの父母は、隆広を『隆家様に匹敵する将になりうる器』と見込み、我が子を仕えさせたのである。後の世に『隆広三忍』と伝えられている。そして三人も父母と同じく、隆広を大将の器と思い、粉骨砕身に仕えていた。そして今回の殿軍を志願したと聞き、もはやそれは確信ともなった。
「「なんなりと!」」
「その方たち今から上杉軍の動向を探れ。兵数は無論のこと、通る道の先々の地形、鉄砲の数、行軍速度、つぶさに調べてまいれ。我らはここより西に進軍してその方らの報告を待つ!」
「「ハッ!」」
 三人は上杉軍が迫るであろう西方に駆けていった。それとほぼ同時に兵をまとめていた慶次が隆広に報告に来た。
「隆広様! お味方はすでに水島を離れ南に魚鱗の陣で行軍を開始しました! 我らもいつでも七尾方面に進軍できる準備が整いましてございます」
「よし、鼓舞を行おう。佐吉よ、兵たちの前に台座を」
「ハッ」
 隆広の陣に二千の兵が整然と並んでいる。騎馬隊、長槍隊、弓隊、鉄砲隊、工兵隊と、隊別にキチンと並んでいた。そして何より全軍に士気がみなぎっていた。
 佐吉が用意した台座に立ち、兵たちの前に隆広は立った。
「全員、いい顔をしている。軍神謙信公の前に出ても恥ずかしくない」
 そして一つ、深呼吸をし、胸を突き出し声高らかに隆広は言った。
「だが、一つ言っておく。オレはこの殿軍と云う役目を玉砕精神で志願したわけではない! 生きるためだ! お前たちと共に、北ノ庄に生還するためだ! 上杉は三万! こちらは二千! だが負けはせぬぞ! 我に秘策あり! 音に聞こえた戦国最強の上杉軍に一泡吹かせてくれようぞ! 毘沙門天の旗を絶対に通させぬ! 我が軍勢結成のおり、みなに話したな! この隆広が父より受け継いだ旗印『歩の一文字』の意味は『歩の気持ちを忘れぬ』と云う意味と『相手が王将だろうと一歩も退かぬ』と云う意味だ! よいか! 死んでもいいなどと一度たりとも考えてはならぬ! 我と共に生きよ! 我と共に! 北ノ庄に帰るぞ!」
「「「オオオオ――ッッ!!」」」
 兵士は隆広が掲げた拳に応えた。士気はうなぎのぼりであった。羽柴秀吉の金ヶ崎の撤退戦と同じく、戦国史に燦然と輝く『手取川の撤退戦』が始まる。

 鼓舞が終わると助右衛門が隆広に尋ねた。
「隆広様、『秘策あり』とは?」
「うん、これから話そうと思っていた。慶次もオレの陣屋に来てくれ。そして佐吉、あれを持ってきてくれないか」
「かしこまいりました」
「『あれ』? なんだ助右衛門『あれ』とは?」
「オレに聞くな」
 佐吉が兵に持たせてきたのは、隆広の旗印が記されている大きな木箱数個だった。
「隆広様、なんですそれ? そういえば進軍中にもずいぶん大事にしていた箱のようでしたが」
 その箱を慶次がポンポンと叩く。
「使わずに済めば、と思っていたものなのだが……佐吉、開けよ」
「ハッ」
 大きな箱、三つが開けられた。その中に入っていたものを見て、慶次、助右衛門は驚いた。
「こ、これ!」
「そうだ、二人ともこれを使ってくれ」
「し、しかし……」
 さすがの助右衛門も戸惑う。それほどのものが箱には入っていた。
「これの調達はオレの自腹。使うのにイヤとは言わせないぞ」
「は、はあ……」
 助右衛門は苦笑しているが、慶次は眼をランランと輝かせていた。
「面白い! こういう遊びは大好きですよ、それがしは!」
 慶次はこういう窮地を好む癖があり、かつ遊び心は満載の持ち主でもある。隆広の案にもろ手をあげて喜んだ。
「ははは、これは兵法でも何でもない。一つの心理作戦だ。だが謙信公ほどの武将を相手にするのなら、逆にこういう陳腐な策の方が効果はあるってものだ。さ、急ぎ支度だ!」

 そして一方、上杉軍。毘沙門天の旗を靡かせながら進軍していた。
「川を背にするとはな、音に聞こえた鬼柴田は兵法を知らぬわ。今ごろは門徒が襲撃してくると聞いて青くなっているかもしれぬな」
 上杉軍の宿老、斉藤朝信は勝家を笑った。
「確か、勝家は砦を六角勢に包囲された時に、水の瓶をすべて叩き割って将兵の覚悟を決めさせた事もあるとか。今回の背水の陣もそれと様相を類似させておる。背水の陣で我ら上杉と対するわけか。ふん、我らは六角勢と違う」
 同じく宿老の直江景綱も柴田勢を笑った。
「ですが柴田勢は我らより兵数が多うございます。挟撃が上手くいったとて『窮鼠、猫を噛む』の例えもございます。油断は禁物かと」
「そうであったな、与六」
 与六、彼が後に上杉の宰相となる謀将直江兼続である。当時の身分は足軽大将で樋口与六と云う名の若武者であったが、後に名家の直江家の名跡を継いで直江兼続と名乗る事になる。
 その彼は上杉の若殿である上杉景勝おつきの小姓であった。その上杉景勝は総大将の謙信の傍らにいた。
「父上、柴田勢にも七尾の陥落と門徒が迫っているとの報は知られていましょう。もうすでに退陣されているかもしれませぬな」
「確かにな、だが北に逃げれば海で後がない。西に逃げればわしらとぶつかる。東は増水した湊川。勝家は南に向かい、門徒と戦うしかない。よもやなりふりかまわぬ再度の渡河はするまいて。門徒は三万五千、勝家が五万と多いが、我が到着するまでは十分に持ちこたえられる。おごる信長に毘沙門天の鉄槌を下すのだ」
 斥候に出ていた兵士が戻ってきた。
「申し上げます!」
「うむ」
「ここより、東に約五里、陣場がございます。旗は『歩の一文字』にございます」
「『歩の一文字』? 確かそれは美濃斉藤家の水沢隆家の旗ではないか? 柴田勢に水沢にゆかりの者がおるのか? 誰が存知らぬか?」
「それがしが存じています」
 謙信の問いに与六が答えた。
「おう与六、どんな男か?」
「斉藤家の名将、水沢隆家殿の養子にて、竹中半兵衛の薫陶を受けた将で、氏名にあっては水沢隆広。歳はそれがしと同じ十七歳ですが、一昨年に柴田勝家に仕え、階段を駆け上がるがごとくに出世し、現在は侍大将と聞き及んでいます」
「ほう、水沢隆家と竹中半兵衛の薫陶、つまり美濃斉藤家の軍略を受け継ぐ若者か」
「は、若輩とはいえ侮らぬ方がよろしかろうと……」
 老将の本庄繁長が歩み出た。
「お館さま、それがしも水沢隆広の名は聞き及んでおります。我ら上杉の忍者、軒猿衆から要注意人物と報告が届いております。内政の功が目立ち、戦場の猛将という感はないそうですが、今まで参加した合戦にはいずれも勝利の要因となる働きをしたとのこと。油断禁物かと」
「ふむ、しかし上杉軍の進軍が予想される場所に陣場を築くとはな。己の兵法に少し奢ったか? して兵数は?」
「およそ二千。殿軍の役を担ったと思われます」
「ほほう、ずいぶんと勝家もその若者を買っているものだな。上杉への殿軍に十七の若者とはな」
「父上が栃尾の城で長尾俊景殿を討ったのも十七のころでは?」
「そうであったな、若者だとて油断はできぬ。よし、その若者の陣場に備え、我らもこの場で備えて対しよう。朝信、景綱」
「ハッ」「ハッ」
「その方ら、合わせて一万の兵を率い、水沢隆広と対してまいれ」
「心得ました!」
 斉藤朝信、直江景綱の隊は一万の兵を率い、上杉本隊から離れて隆広の陣場へと向かった。
「一万対二千……。竜之介、いかにお前でもどうしようもあるまい。こんなに早くいくさ場で敵味方として出会ってしまうとはな。だがオレも上杉の将。遠慮はせぬ。友なればなおのこと。全力で行く。それが武人としての礼儀。だろう? 隆広……!」
 樋口与六は敵将の隆広がいるであろう東の地を睨み、気合を入れるように馬の手綱をギュッと握った。
 一万対二千、まともに対してとても隆広の勝つ目はない。しかし隆広はこの戦いで上杉謙信、上杉景勝、そして直江兼続にとっても『隆広恐るべし』の思いを強烈なまでに印象付けるのである。


第三章『軍神対戦神』に続く。