DRAGON QUEST3外伝
いろは伝奇
完結編「そして伝説へ……」
最終章「凱旋、そしてエピローグ」
「おい、なんだよ。この食材の山」
ここはラダトーム城の厨房。厨房の真ん中に置いてある調理台の上に肉、魚、野菜が山のように積まれていた。シェフのグレンは頭をポリポリ掻きながら食材を指した。その質問にセカンドシェフが答える。
「ああ、それ妹さんが持ってきたのですが……」
「マルセラが? 何考えてんだぁ、あのバカ妹は。こんなにあったって余るだろうが……ったく……」
「何かワケの分からないこと言っていましたよ『太陽が昇ったら作りはじめてくれ』って」
「太陽? あのバカ、とうとう頭メダパニか?」
ずっと暗闇で生きてきた彼らである。太陽と云う言葉さえ忘れ出している。いや忘れようとしていた。
ゾーマの脅威がアレフガルドを襲って久しい。もうグレンは自分が生きている間に太陽を見ることはあきらめていた。
そんなあきらめの日々だから、仕事もいいかげんであった。ラダトーム王宮の者たちも元気が無く食も細く残されることも多い。いつしか自分の料理を食べてもらうコックの喜びさえ忘れてしまった。
「太陽…………ケッ」
忌々しそうにグレンはタバコをくわえた。その時、厨房のドアが勢い良く開いた。
「何やってんのよ、兄さん! 太陽昇ったら料理作り始めろと言ったじゃない!」
「『何やってんの』はテメェだろ。太陽が昇ったらなんだっ……」
マルセラの開けたドア。そしてマルセラの後ろに見える風景。いつも見える暗闇ではなかった。朝焼けのオレンジ色だった。グレンの口からタバコがポトリと落ちた。
「こっちきて見てごらんよ」
グレンは厨房から走り出た。そして見た。東の空に朝日を。どれだけ見るのを望んだ太陽。あきらめてヤケになるしかなかった。だが今、彼の眼に日輪の輝きが入った。
「太陽だ……」
ラダトーム城の外壁が朝日に照らされ雄大、かつ美々しい姿を大地に見せる。
「子供の頃、兄さん話してくれたよね。『ルビスに選ばれし者』のお話……アレフガルドが暗闇に覆われたとき、天からルビスに選ばれし勇者が現れると……」
太陽に見入る兄のグレンにマルセラが語りかける。幼き日に妹に話した伝承の勇者の話。暗闇にこの世界が覆われたとき、グレンはその勇者の到来を信じていた。しかし、いつまで待ってもこなかった。もう彼は勇者の到来など信じてはいなかった。太陽が再び昇る日が来る事も。
「その勇者が来て……ゾーマを倒してくれたんだよ……」
朝焼けを見るグレン。眼からはボロボロと大粒の涙がこぼれ出した。
「ごめんね。私も王宮に仕える情報官だからさ。勇者の到来を兄さんに教えてあげられなかったんだよ」
「そんなこたあどうでもいい……」
両手で自分の両ほほをパンパンと叩いた。
「その勇者がラダトームに凱旋するんだな?」
「そうだよ」
「よし!」
グレンは厨房に走った。グレンと同じく感動し太陽を見ていたコックたちにグレンは一喝した。
「いいか! これからゾーマのクソッタレを倒した勇者さまたちがラダトームに凱旋される。激闘のあとだ。ハラを空かせてらっしゃる。ここで美味いもんを食べさせてやらなきゃラダトームのコックは世界中の笑いもんだぜ! 気合入れて料理にかかれ! 非番の者も呼び出せ!!」
「「おお!!」」
「あと全員、無精ひげを剃り、コックキャップとコックコート、エプロンを真っ白な糊の効いたものに着替えて来い! こんなむさいナリで英雄たちへ贈る料理が作れるか!」
コックたちはロッカーに駆け、髪をとかし無精ひげを剃り、ロッカーの奥にしまい込んでいた新品のコックコートに着替え、調理場に戻ってきた。自分たちが国を救った英雄たちへ贈る料理を作る。忘れかけていたコックの誇りが彼らに火をつけた。
シェフのグレンが最初にやったのは、切れ味の鈍くなった愛用の牛刀を研ぐことだった。そして研ぎ終えた牛刀をチカラ強く握った。
「ヘッ こんな嬉しい気持ちで包丁握るなあ生まれて初めてだぜ」
ラダトーム城下の領民たちも日の出に気づき、外に出始めた。
「太陽だ、太陽だ―――――ッ!!」
「なんて暖かい光……」
領民たちは太陽を見て感涙を流す。ある者は抱き合い、ある者は興奮のあまり、太陽に向かって走り出す。町のあちこちから歓声が湧いた。
ラダトーム城は勇者アレルと仲間たちの凱旋に備え、久しく活動していなかった楽隊に急ぎ、出迎えのファンファーレ演奏の練習をさせ、国王の間に真新しい赤いじゅうたんを敷いた。パレード用の馬車も急いで作り、国王のラルス一世も髪とヒゲを整え、風呂に入り身を清めた。
「どうじゃ、ユキノフ。アレル殿、いろは殿に対して恥ずかしくない格好かの?」
「はい、それでは彼らを褒め称える言葉の練習をもう一度行いましょう! 歴史に残る拝謁ですぞ。ミスは許されませぬ」
「アンタ、外! 外見て!」
「ああ、見ているさ……」
マイラの村、サスケとヨシリーの経営する宿にも朝日が映えた。窓から身を乗り出してサスケは太陽を見た。大きい体を震わせ、涙を流した。
「やりましたな……いろは様……アレフガルドの一人の民として感謝いたします……こんな美しい太陽……見たことがございません……」
ヨシリーは夫の側に歩み寄った。
「で、どう?」
「ん? 何が?」
「太陽の下で私の顔を見てみたいと言ったよね……。どう? 太陽に映える私の顔……」
「美人だよ」
「いろは様より?」
「……さあ、ラダトームに行くぞ! きっと彼らはお城に凱旋する。彼らの晴れ姿を見に行こうじゃないか!」
いそいそとサスケは部屋に戻った。
「あ、こら! 話を逸らさないでよ!!」
ドムドーラのタルキン町長、リムルダールのタオ、その二つの町民たち。そして事の噂を聞いたメルキドの民も、祝いの品や料理を携え、大魔王を倒し、自分たちに太陽と平和を与えてくれた勇者とその仲間たちの顔を一目見るべく、キャラバンを組んでラダトームに向かった。
ガライとマルセラはラダトーム城正門で正装をして、勇者一行の凱旋を待った。そして数刻後、城門の上で双眼鏡を手に勇者一行の姿を探していた兵士の持つラッパがラダトームの城下町に鳴り響いた! 城下町の民たちも一斉に歓声を上げた!
「勇者さまの凱旋だ――――ッ!!」
「我らが英雄の到着だ―――ッ!!」
いろは、アレルの一行はラダトーム城の正門に到着した。ガライとマルセラはひざを屈し最敬礼の姿勢を執った。
「みなさん……よくぞご無事で……!」
ガライは見た。誰も無傷ではない事を。鎧はところどころヒビが割れ、武器の損傷も激しい。無論彼らの体もキズだらけであった。しかし、彼らの顔は喜びに満ちていた。
「この日が来る事をアレフガルドの民はどれだけ待ったでしょう……!」
先頭にいたアレルがニコリと笑って言った。
「ガライ、マルセラ、ただいま」
「「おかえりなさいませ!!」」
二人は立ち上がり、馬車を示す。
「助かったあ〜 ヘトヘトだったのよ」
我先にマリスは馬車に乗り込んだ。リムルダール北西端にアレルたちの馬車は置いてあった。
それをマルセラと彼女についてきたリムルダールの領民たちがラダトームに持ち帰った。ガライから『銀の竪琴』に伴う手紙を見た時は最終決戦の成否に不安も持ったが、ゾーマの城の上空に雷雲がさしたその時、マルセラは勝利を信じ、馬車を接収しラダトームに運んだのだ。
その馬車を改修して屋根の無いオープンタイプのパレード用の馬車に変えた。その馬車を引くのはカンダタの愛馬『セキト』と、ホンフゥの愛馬『スイ』だった。馬たちも平和の到来が分かるのか、早く乗れと、いろはたちを急かしているようにも見えた。
ラダトームの歴史に燦然と記されるパレードが始まった。ラダトームの城下町のメインストリートを馬車は進む。御者はガライとマルセラが務めた。
ラダトーム城に向かい伸びているメインストリート。その両脇から領民たちの歓声が止まることなく続いた。
「みんな、嬉しそうですね……。この声援に戦いの疲労など飛んでしまいます」
いろはは小さく手を振り、笑顔で領民に答えた。
ラダトームの領民たちは勇者一行に喝采を上げた。長い暗闇の世だった。領民の中にはグレンと同じように自分が生きている間に再び太陽を見ることは無いとあきらめていた者もいた。いや、おそらくアレフガルドの民、全員があきらめていたのではないだろうか。
ゾーマの脅威で暗く沈んだ顔に一斉に太陽から命の息吹を与えられたようだった。城下の年寄りたちは馬車の先頭に座るアレルといろはをまるで神のように敬い、手を合わせた。
精悍な顔をしているホンフゥやカンダタなどはラダトームの若い娘たちから黄色い声援を受けていた。戦いによる負傷と汚れが一層彼らの男ぶりを上げているようであった。
「花道だな……盗賊だったオレがこんな道を通れるなんてよ……いろはの言うとおり、戦いの疲れなんか吹っ飛ぶぜ……」
少し涙ぐんでいるカンダタ。意外に涙もろいようだ。ホンフゥも両手で手を振りながら涙ぐんでいる。
「ガザーブで一番モテナイ君だったオレが女の子に黄色い声援受けるなんてよぉ……」
「アリアハンでバラモス倒したときも、凱旋パレードやったけど、こっちは太陽が昇ると云うデッカイおまけ付きだもんね。耳が痛くなるほどの歓声を上げてくれている。喜びもひとしおなんだよ」
馬車を追いかけるように駆けている子供たちが嬉しそうに『ステラさま』と呼ぶ。戦士とは思えないほどの優しい笑みをステラは返した。
このパレードを見ていた子供たちの中にはアレルやステラの凛々しい姿を忘れず、そして憧れ、後に騎士や戦士の道に進んだ者も少なくなかったと伝えられている。
ラダトームの歴史書では、このときのパレードにおいて彼らに歓声をあげて城までの道のりを見送ったのは、およそ六千名と言われている。ラダトームの領民より多い数字だった。おそらくマイラやリムルダールからやってきた民たちもいたのだろう。ゾーマの脅威が無くなり、アレフガルドの海は静けさを取り戻し、今は船で容易に渡海できる。
自分たちを見送る群衆の中、いろははサスケとヨシリーを見つけた。ヨシリーはチカラ任せに手を振り、いろはたちに歓声を送っていた。サスケは感動でむしろ体が動かなかったのか、涙を流していろはを見つめるだけだった。
(サスケ……)
(よくぞ成し遂げました……あなたの臣下であることを私は誇りに思います……)
二人は目と目で無言の会話をした。
(ありがとう……サスケ……)
一行はやがて城に到着した。鎧の音と勇ましい靴音と共にパーティーは玉座の間に歩んだ。
そして玉座には正装したラダトームの重臣たち。そして国王ラルスがいた。先頭にいたアレルが玉座の間に入ると同時に国王の左右にいた重臣たちは一斉にひざまずき、頭を垂れた。ラダトーム式の最敬礼である。アレルたちの後ろについてきていたガライとマルセラもひざまずいた。アレルたちもまた、ラルスの座る玉座の前でひざまずいた。
ラルスは心の底から万感の思いを込めて言った。
「アレル殿! いろは殿! よくぞ! よくぞゾーマを倒してくれた! アレフガルドの王として心から礼を申すぞ!」
「陛下、オレ、いや私だけの功ではありません。ここにいる仲間たちがいたればこそやり遂げられたことでございます。また私たちをゾーマの元にたどり着かせるために、アレフガルドの人たちにどれだけ助けられたか。誰一人欠けてもゾーマは倒せませんでした」
アレルはガライやマルセラとタオ、サスケやヨシリー、そしてカンダタを助けて散った六人の山賊、マサール、父のオルテガのことを指して言った。アレルの後ろでひざまずく五人は少し目に涙を浮かべた。
「うん、うん! そなたこそ誠の勇者じゃ! そなたにアレフガルドに伝わる『ロト』の称号を与えよう!!」
「『ロト』?」
「『ロト』ってなあに?」
マリスの疑問にガライが答えた。
「『神に近き者』と云う意味です。真の勇者のみがそれを名乗る事ができるのです」
ラルスは玉座から降り、ひざまずくアレルの手を取り立たせた。後ろでひざまずく五人もそれを見て立ち上がった。そしてラルスの玉言を受ける。歴史に名高く記される『ラルス一世、ロトを讃える』である。
「勇者アレル、いや勇者ロトとその仲間たちよ! そなたたちのことは、このアレフガルドにおいて永遠に伝説となるであろう!」
「オレたちが……伝説?」
アレルは少し困った顔でいろはに振り向いた。いろははニコリと笑う。
「そんな困った顔しちゃダメです。王様に堂々と応えるべきですよ。勇者ロト!」
ステラ、マリス、カンダタ、ホンフゥも微笑み、アレルを見つめる。アレルも微笑み、そしてラルスの手をギュッと握り返した。ラルスも感無量に涙し、アレルの手を握った。玉座の間に喝采が上がる。ラダトームの上空に花火が鳴る。待ちに待った平和と太陽の到来であった。
その日から、ラダトーム城下は祭りとなった。勇者ロトたちの勇猛さを讃える即興の歌が、あちこちから歌われている。後に残るロトに関する歌や音楽は、この祭りのときに作られたものが大半だという。
マルセラの兄、ラダトームコックのグレンの料理が所狭しとロトと仲間たちのテーブルを埋めた。グレンは美味しそうに自分の料理を食べているロトの姿を生涯忘れなかったと言われている。
また、アレルは冒険時に何点か描いた絵を仲間たちが止めるのも聞かずに、ラダトーム王室に贈った。王室全員がアレルの絵に顔を引きつらせたと伝えられるが、救国の英雄の好意を無下にもできず、ラルスは引きつった笑みでそれを受け取った。
後世、アレルことロトの伝説はアレフガルドの民に愛されるが、このように、ロトとて何でも完璧ではなかったのだと云う点もまた、愛される由縁であろう。
支離滅裂な絵でも元気にあふれるのがアレルの絵。アレフガルドの人々は、その画風にロトの人柄が浮かぶようにも思い、『ロトの絵』を愛したと言われている。
宴は続く。ロトの笛に乗り、いろはが舞う。そして前々から練習していたのかステラとマリスもいろはを中心に三身一体で踊り出した。最初で最後の三人での舞いであった。宴に来ていた人々はこの舞いを見たことを一生の自慢にした。歴史に名高い『三女舞進』である。
やがて太陽も落ちたが、人々はまた夜が来ないのではとは思わなかった。星と月が夜空を照らしていたからである。ゾーマの専横のときは、星の輝きさえも見ることは出来なかった。人々は久しぶりの『美しい夜』にも酔いしれ、そしていろはと、ロトの活躍を讃えた。
こうして、アレル、いろは、ステラ、マリス、ホンフゥ、カンダタは、このアレフガルドの英雄となった。
しかし、いろは、ロト、そして仲間たちは翌日の太陽が昇った頃には姿を消していた。ラルスやガライたちは方々を探したがついに見つけることは出来なかったと伝えられている。
この後、彼ら六人の姿を見た者は誰もいない。
アレルがアレフガルドに残した『聖なる守り』は『ロトのしるし』として、『光の鎧』は『ロトの鎧』、『王者の剣』は『ロトの剣』として、後の世に伝えられたという。
…………そして……伝説が始まった!
……チュン……チュン……
小鳥のさえずる、森の横にある農道。そこに一組の主従がいた。馬上には青い髪も鮮やかで質素な服に身をつつむ物静かな女、そしてその馬のたづなを持ち鼻歌交じりに主君の馬を引くたくましい体躯をした男。そして彼らの歩く農道からは広大な田園が広がっている。
その水田には、幾人の老若男女が田植え仕事に精を出していた。そのうちの一人の青年がが田植え仕事で折れた腰をやれやれと直すと、その視線の先に馬でのんびりと農道を歩く二人を見つけた。
「いろは様――ッ!」
いろはと呼ばれた女は自分に手を振っている青年に微笑み、
「私にかまわず続けてください」
と優しく言った。青年の言葉でいろはが来たことを知った者たちは彼女に深々と頭を下げていた。
「いやー いろは様は人気者ですね。私の事なんか目に入っていないようですよ。ハハハ」
広大な水田、後年世界一の米どころと言われる場所にいろははいた。そして彼女の乗る馬のたづなを引く者、それはかつて、伝説の勇者ロトに『王者の剣』を造った鍛冶職人サスケであった。
二人はこの水田地域を視察がてら散歩していた。そして農道の先に木陰で眠る年寄りを見つけた。
「いろは様、見てください。年寄りが木陰でのんびりと眠れるということは、それだけ今は平和と云う事ですよ!」
「そうです……」
いろはは言葉をすべて言い終わる前に何かに気づいたようだ。年寄りを見てクスリと笑った。
「サスケ、しずかにあのお年寄りに近づきましょう」
「え? は、はい」
年寄りに近づくにつれ、サスケもいろはの意図がわかった。彼も笑いをこらえながら歩いた。年寄りの眠る場所で馬から下りて、いろはは年寄りの耳元で甘くささやいた。
「あ・な・た」
年寄りは頭にかぶせていた麦わら帽子を取り、白いつけひげを取った。
「な、なんで分かった?」
「町長、そんなぶっとい腕をした年寄りがいるわけないでしょう。演技下手すぎですよ」
サスケは町長の筋骨隆々の腕を指して笑った。いろはもクスクス笑っていた。
「そういえば、先日に私言いましたね。平和な世と云うのは、お年寄りが木陰でのんびり昼寝できるようなことだって。でも、もう少し変装にチカラを入れて欲しかったです」
「ちぇー 今日ここを視察すると言うから、朝から変装に努力したのになあ〜」
町長はブツブツ言いながら立ち上がった。
「でも、そんなヘタな芝居する必要は無かったですよ、あなた見てください。人々が農作業に汗する姿。あれが平和の証です」
「そうだな、でもあの男のヘッピリ腰はどうも見ていてはがゆい」
そういうと町長は頭にハチマキを巻いて水田に駆けて行った。
「コラッ! そこのおまえ! そんなヘッピリ腰で丈夫な稲は作れないぞ! 明日からお前はウチの道場に来い!!」
いきなりワケわからない男に怒鳴られた若者は面食らった。
「な、なんだよ、このおっさん……」
「ん? おまえ見ない顔だな?」
「一週間前、妹とこの町に移民してきたばかりなんだ。町長さんから水田をいただけたのはいいんだけど、中々に作業が難しくて」
「そうか。ならオレが水田の田植えのレクチャーをしてやろう」
町長は彼に自分の素姓を名乗らず、きさくに田植え仕事を教えた。若者も泥だらけで自分に農作業を教えてくれる男に好感を持ったのか、気軽に作業に対しての質問を繰り返した。
いろはとサスケは遠くからこの光景を微笑んでみていた。他の水田にいた者たちは世話好き教え好きの町長の人となりを知っているので、何も知らない若者がこっけいに見えたのか、町長に見えない方角を向いて笑いをこらえていた。
「と、まあこんな感じだ。分かったか若いの」
「あ、ああ助かったよ」
「でも、今の作業をすべてこなすのに大事なのは腰だぞ、腰。稲ってのはな。手じゃなく腰で植えるんだ。おまえのへっぴり腰じゃダメっぽい。明日の朝から町議会近くの道場に来い。鋼の腰にしてやるからな!」
そういって町長はその場を去っていった。
さきほど、いろはに手を振った青年が若者に歩み寄った。
「やられたね。水田地域の町民は最初に必ずあのレクチャーを受けるんだ。かくいうボクもへっぴり腰と言われたものだよ」
「そうなんですか……。で、あのおっさんは誰?」
「あの人が町長だよ」
「え!?」
若者は大口を開けて驚いた。
「じゃあ……あのおっさんが勇者ロトと共に大魔王ゾーマを倒した武闘家の……」
「そう、拳王ホンフゥさ」
いろはとホンフゥは、あの後二人で旅に出た。地上に帰る方法は模索せず、アレフガルドに骨を埋めるつもりだった。
しばらくして船も手にいれ、世界の海を周っていると、アレフガルドよりはるか南洋に島を見つけた。二人はそこを自分たちの新天地として開墾を行った。子にも恵まれ、今は一男二女の父と母でもある。
やがて、サスケとヨシリーも、マイラの店を売り払い、この地にやってきた。いろはとホンフゥ、この二人を慕い徐々に移民も増え、やがて村となった。
いろはの医療技術、サスケの鍛冶技術は、この新たな村で広められ、またホンフゥの武道を学ぼうとする者も多く、多くの人間が海を越えて移民を希望し、村は町へと姿を変えていった。
さきほどホンフゥにレクチャーを受けていた若者も、元は難病の妹をいろはに診断してもらうためにこの町に海を越えてやってきた。そして、いろはの手により彼の妹は全快した。感動した若者は、こんなお方が町長の奥さんなら、この町は素晴らしいものに違いないと思い、移民を希望し水田を与えられたのだ。
『まず与える事』。これがいろは流の町民の遇し方である。
「あの人がいろは様のダンナさんだったんだ……」
「そうだよ。この水田の開墾だって、あのいろは様の後ろにいるサスケさんと二人だけでやったって話だ。すげえパワーだよなあ。あははは」
「サスケさんといえば、あの『ロトの剣』を作った名工の……?」
「そう、オレたちはすげえ人たちが作った町の民なんだぜ」
「うん……ここの町民になってオレ良かったよ……ホントに……」
「もう、あなたったらドロだらけじゃないですか。きれいにしないと家に入れてあげませんよ」
「わかったよ。じゃあそろそろ帰るか!」
「はい」
ホンフゥはいろはの乗っていた馬の頬に触れた。老馬であるが、いろはとホンフゥと共に戦いを生きてきた馬である。
「おいスイ。これから町の入り口まで競争だ。オレに勝てるか?」
スイにも救国の英雄の愛馬と云う自負があるのか、やせ衰えることもなく、いまだ主人同様に筋骨たくましかった。
ブルルル……
ホンフゥの愛馬であるスイは主人の言うことが分かるのか。瞳で「てめえにゃ負けねえ」と言っているようだった。ホンフゥとの競争で気持ちが高ぶるのか、いろはにさっさと乗れと促している。
「スイにそんなムリをさせては……わっ!」
いろはの杞憂をよそに、スイはいろはを乗せて勢いよく走り出す。
「あ、スイ! てめえフライパンだぞ!」
「フライングでしょう。町長」
「そんなんどうだっていい! サスケ! お前も走れ―――ッ!」
「ハイハイ」
スイの上に乗るいろはは青い長い髪を風でなびかせ、気持ち良さそうに乗っている。
「あはは! スイ―――ッ 走りなさーい!!」
「待て―――ッ! アーハハハハッ!!」
いろはとホンフゥが作った町は二人を中心にさらに発展した。町長はホンフゥであるものの、実質、町の政治はいろはが執り行った。彼女はいつか自分に誓ったように、ホンフゥの目となったのである。
また、ホンフゥは何か人を引きつける妙な魅力があった。町長はそれだけでいいのかもしれない。最初にいろはとホンフゥ夫婦を見た者は、どうして町長のようなお祭り男にあんなおしとやかな美人で頭のいい嫁さんがいるのだろうと不思議がったというが、しばらくすると、なるほど、いろは様が町長を好きになった理由が分かったと口々に言ったと云う。
後の人々は言った。『冒険前は姉の影、冒険時は勇者の影、冒険後は夫の影、古今無双の副将いろは』と。いろはのいる場所は常に『副将』であった。決して前面に出ず、黒子に徹しリーダーを支え続けたいろは。後世、いろはは名宰相や優れた副将の代名詞ともなった。
いろはとホンフゥ、この夫婦の仲むつまじさは町の自慢となり、伝説ともなった。
発展した町は、やがて国となり、医療、鍛冶、農業の技術では世界一とも言われ、武道においては天下無双の強さを誇った。二人の作りだした町は彼らがたどり着いた、この島の元もとの名前がそのまま名づけられた。その名は『デルコンダル』。
いろはとホンフゥの長男ケンスウは父と母の才幹を受け継ぎ、町から国への変換期を円滑に進め、初代国王となり名もホンフゥ二世と改め、善政に務め、その信念は子々孫々に受け継がれていった。
そして長い歳月が流れていった……
「なに? 『月の紋章』をくれだと?」
このデルコンダルに若い三人組が現れ、国王秘蔵の宝物『月の紋章』をいただきたいと言ってきた。三人の若者たちは国王に理路整然と『月の紋章』を欲する理由を話した。
「ふむ……確かに余はそなたらの言う物を所持している。だがタダで与えるのもつまらんな……」
国王はその三人の若者たちに何か懐かしい思いを感じた。そして国王のとなりの玉座に座る青い髪の王妃が言葉を発した。
「あなたたち三人……ロトの血を引く者たちですね?」
玉座の間にどよめきが起き、三人の若者たちは顔を見合わせた。
「隠す必要はありません。このデルコンダルはロトと共に大魔王を倒した、いろはとホンフゥの血を引く国なのですから」
「なーるほど、そなたらに妙な懐かしさを感じたのはそれか! あははは!」
「名乗りなさい、ロトの血を引く若者たちよ」
ずっとロトの血を引く王家の者と云う立場を隠して旅をしつづけていた若者たちは、透き通るような王妃の黒い瞳に観念して名乗りだした。
「ローレシア王子、アレンです」
「サマルトリア王子、コナンです」
「ムーンブルグ王女、ナナです」
王妃はニコリと笑った。
「おお、ロトといろは、ホンフゥの子孫が歳月を経て再会したと云うわけですね。今日は何と素晴らしい日でしょう。陛下、私たちも名乗りましょう」
「うむ、余はホンフゥ十八世である」
「私は十八代目いろはです。以後、お見知りおきを」
ロトの子孫の三人も、かつて伝承で聞いたロトの仲間たちの子孫に会えて嬉しそうだった。
「だが、互いの先祖が仲間だったとは言え、『月の紋章』をタダではやれんな。余の出す試練に打ち勝てたら、『月の紋章』のみならず、これらも与えよう」
ホンフゥ十八世は、横に五つに並ぶ紋章を王子たちに見せた。
「それは!」
「そう、月だけではない。水、星、太陽、命、五つの紋章すべて余が所持している。これを揃えて、ある場所に行けば何が起こるかも王妃が知っている。そしてこれがないとそなたたらの大望がならんことも余は知っている。分かるか? 余の言わんとするところが?」
探しに探した五つの紋章が目の前にある。しかし、国王の要望に応えないともらえそうにない。アレンは尋ねた。
「ぼくたちに何をしろと?」
ホンフゥ十八世、十八代目いろはは顔を見合わせ、微笑を浮かべ、玉座から立ち上がった。
「簡単なことだ。余と王妃と戦って勝って見せよ。三対二だ。不服はあるまい。見事、我ら夫婦から一本とらば五つの紋章与えよう!」
「え!」
そういうとホンフゥ十八世は国王のマントをバッと脱ぎ捨てた。胸に『龍』の文字が記された武闘着を着ている。そして十八代目いろはは衛士に持たせてある薙刀を見た。
「クシナダの薙刀をこれに」
「ハッ」
十八代目いろはは着ていた巫女装束を整え、クシナダの薙刀の切っ先をアレンに差した。
「さあ、ロトの子孫よ。この先の道を行くには、まず我ら夫婦を倒してごらんなさい。我らに敗れるようではハーゴン打倒などおよびません」
今まで幾多の修羅場を潜り抜けてきた、アレン、コナン、ナナも思わずホンフゥ十八世と十八代目いろはの裂帛に気圧された。しかし引くわけにはいかない。
「お望みならば」
「うむ、サスケ将軍、そなた立ち合い人を務めよ!」
「ハッ」
デルコンダルに古くから伝わる闘技場。ロトの子孫といろは、ホンフゥの子孫はここで対峙した。その対決は国中に伝わり、アッと云う間に闘技場は満席となった。大歓声が戦う五人を包む。
「衆目の中で戦うのは初めてかな? アレン殿」
立ち合い人を任された将軍サスケは歓声に呑まれそうなアレンを気遣い、声をかけた。
「え、ええまあ……ハハハ」
「そう緊張されるな。戦っていくうちに、この歓声が心地よくなります」
「そ、そうですか」
「それから……アレン殿、コナン殿の剣……」
「え?」
「戦いが終わったら、私の工房に持ってきなさい。鍛えなおしてあげよう。私は鍛冶屋でもあるのでね」
アレンの肩をポンと叩いて、サスケは闘技場中央に行き、戦う者の名前を改めて観衆に告げた。一層の大歓声が五人を包む。
ホンフゥ十八世は『黄金の爪』を装備して構え、十八代目いろははクシナダの薙刀を持ち、堂々と立っていた。
ロトの血を引く若者たちも構えた。魔法担当のナナを後方に置き、アレンとコナンが前衛を守る。
「よい備え……そして眼です。ですが容赦いたしません!」
十八代目いろはの声と同時にサスケの試合開始の声が上がった。
ホンフゥ十八世は一瞬でアレン、コナンのふところに入った。
「!」
そして二人は稲妻のようなケリをまともに喰らった。次の瞬間には呪文を詠唱していたナナの間合いに入り、みぞおちに軽く拳を入れた。なすすべもなく、ナナは沈んだ。
そしてその後ろでは十八代目いろはの呪文の詠唱をすでに終えていた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!!」
十八代目いろはの気合い、そして呪文を叫ぶ声は大歓声の中でも轟いた。
「飛び出せ真空! バギマ!!」
闘技場に爆風が起きる。バギマ、もはや使い手は十八代目いろはしかいないと云われる、真空の高等呪文である。アレン、コナン、ナナはあっけなくホンフゥ十八世、十八代目いろはに倒された。
だがリーダーのアレンはチカラを振り絞って立ち上がった。
「く……くそう……」
「根性は認めましょう。でもそれだけではハーゴンには勝てません」
十八代目いろははアレンにラリホーを唱えた。
「サスケ、彼らを医務室に。私が治療いたします」
「御意」
治療を終え、医務室で気がついたときアレン、コナン、ナナは悔し涙を流した。今まで魔物と戦い、修羅場を潜り抜けてきた自分たち。その経験とロトの血。自分たち三人に勝てる人間なんていないと思っていた。しかし、世の中は広い。上には上がいた。
彼らが悔し涙を流している時、王妃十八代目いろはが入ってきた。
「どうですか? 具合は?」
「大丈夫です……」
アレンは小さい声で答えた。悔しかった。自分たちに圧勝したばかりか、治療までしてくれたことが。アレンにとって耐え難い屈辱だった。不覚にも悔し涙を堪える事ができず、王妃の前で涙がポロポロと落ちた。
「……悔しかったら、私たちに勝つ事ですね。私と夫はいつでも挑戦を受けます。あなたたちが私たちに勝つその日まで、五つの紋章はデルコンダルが責任を持ってお預かりいたします」
「王妃……」
「さあ、そろそろ食事ですよ。夫が呼んでいます」
これより一年後……ロトの血を引く若者たちは、修行を重ね、そして苦戦の末、ようやくホンフゥ十八世と十八代目いろはを倒した。
倒されたホンフゥ十八世は潔く五つの紋章をアレンたちに渡し、十八代目いろはは、惜しみなく『水の羽衣』『はやぶさの剣』と云った貴重な武具を与えたと云われる。
これはもう一つのいろはとホンフゥのお話。その後もデルコンダルはロトの三つの王家と共に発展していったと伝えられている。
いろは伝奇 完