DRAGON QUEST3外伝

いろは伝奇

第九部「いろはとホンフゥ」

第一章「復讐者」
 やはりいろはの高熱は夕刻になっても下がらなかった。それどころか、どんどん苦しそうに悶えている。懸命に治療に当たるマルセラだが効果はなかった。
「マルセラさん。教会に行きましょう」
 業を煮やしたホンフゥが言った。
「教会? 何しにですか?」
「カンダタがもしかして『呪い』ではないか、と言っていました。ダメで元々、行ってみましょう」
「呪い? じゃあいろはさんは呪われた武器や防具を身につけた事があるのですか?」
「いえ、いろはの武器防具は上の世界のジパングと云う国ですべて用立てたものです。呪いの武器防具などではありません」
「ならば教会に行ってもムダです。それどころか今のいろはさんの体を動かすのは危険です!」
 マルセラは自分の治療が否定されたようで、ムキになって反対した。それをホンフゥは読み取った。
「オレやカンダタはアンタの治療が誤診だなんて思ってはいませんよ! しかしもし呪いならば、これは医師ではなく神官の出番です。オレがいろはを抱いていきます。教会に案内してください!」
 ホンフゥはいろはを抱きかかえようとした。
「待ってください! 動かすのは危険です」
「しかし!」
「……分かりました。神官をここに呼びましょう。しばらく待っていてください」
 マルセラは部屋を出ていった。

 一方、そのころアレルたちは野営の準備も終え、四人で焚き火を囲み、夕食を取っていた。
「ねえねえ、いろはの病気、今ごろどんなんなっているかな?」
 薄めの熱いウイスキーを口に運びつつマリスがふとつぶやいた。
「なに、医者のマルセラさんが付いているのだから大丈夫でしょう。帰るころには治っているよ。それどころか置いていった事を怒るかもね。ふふ」
 ステラの言葉に少し顔を曇らせたアレル。カンダタがそれに気づいた。
「どうしたアレル?」
「いや……朝になっても、いろははまったく熱が引いていなかった。それが心配でな。かといって医者でもないオレたちがその原因を分かるわけじゃないし……」
 カンダタが危惧していた事をアレルも危惧していた。
「アレル、気になるような事言わないでよ!」
「あ、ああ……すまん」
 しかし、アレルを叱ったステラも少なからず、それは感じていた。それを振り払うように勢いよく野菜をバリバリと食べていた。
「……! みんな」
 アレルの一言に仲間はうなずいた。モンスターがこちらを伺っている。
「マクロベータか……確かシャーマンだったな。何体いるカンダタ?」
 アレルの質問より早くカンダタは周りを探っていた。。
「ざっと十体ってトコだな。我々を囲むために今いそいそと動いている」
 お尻に付いたドロを落としながらマリスは立ち上がった。
「食事の邪魔するなんて、気の利かない連中ね」
「まったくだわ」
 だがステラはいろはの病状の不安を振り払うにはちょうど良いと思ったようだ。少し笑みを浮かべながら立ち上がった。

 そして、ここはリムルダールの宿屋。脂汗を額ににじませて呼吸も荒いいろはがいた。
「ハアハア……」
「いろは……!」
 苦悶するいろはの手をホンフゥは握った。
「元気になってくれよ! 頼むよ!」
 やがてマルセラが神官を連れてきた。
「急いでください!」
「ハアフウ……待ってくれマルセラ。わしはお前ほど若くはないのじゃから」
 リムルダールの神父はかつてラダトーム王家にも仕えた高位神官でもある。ラルス一世に仕えている重臣ユキノフの弟で、名をタオと言った。
「ホンフゥさん! 連れてきました!」
 マルセラが神父タオを連れて戻ってきた。
「神父さん! お願いします! いろはが、いろはが!」
 いろはの顔が真っ青になっている。歯がガチガチと震えている。凄まじい悪寒がいろはを襲っているのだ。
「ハアハアハア……」
 タオはすぐにいろはの寝るベッドに歩み寄った。眉間にシワを寄せる。
「…………これは」
「お願いです。彼女を助けてください! いろはを!」
 ホンフゥは必死に神父に哀願した。
「間違いない……『呪い』じゃ……」
 マルセラは青くなった。そして自分を責めた。昨日のうちに分かっていれば破邪呪文『シャナク』を使えるマリスがいた。完全に誤診と判断した彼女は床に崩れ落ちた。
「そんな……もしもの事があったら皆さんに何とお詫びすれば……」
「そう自分を責めるなマルセラ。医師が分からなくて当然じゃ。またこの『呪い』は魔法使いのシャナクではどうにもならん……」
「え……?」
 タオは経典らしき書を開きながら、マルセラを励ます。そして目的のページにたどり着いたのか呪文のような言葉を吐き出した。
「ブツブツブツ……」
 その経典はルビスの祝福を受けているのか、タオの言葉と連動して光りだした。いろはの呪文ともマリスの呪文とも、そしてアレルの呪文とも違う。上の世界には無かった呪文である。
「な、なんだ?」
 ホンフゥはタオの不思議な呪文に目を丸くした。
「あれは精霊法術です」
 マルセラが答えた。
「セイレイホウジュツ?」
「はい、精霊神ルビス様に仕える高位神官のみが体得できると言われるものです。このアレフガルドでも会得者は三人だけなのです。その三人は王より『導師』の称号を得て、国民の尊敬を集めておいでです」
「そ、それでは」
「はい、これでいろはさんは……」

 タオは法術の詠唱を続ける。いろはの苦悶も激しくなる。
「ブツブツブツ…………」
 やがて経典は宙に浮いた。タオの目がカッと開いた。
「退け! 悪魔!!」
 経典から法術の光が発射され、いろはの体に直撃した。
「あう!」
 いろはの体が弓なりにしなる! 彼女が着ていた服も破れ散った! そして同時に黒い何かがいろはの体から離れていった。一糸まとわぬ姿のまま、いろははグッタリと倒れていた。タオは杖を持ち替え、すぐさまその影めがけ投げ放った。

 ボウ!

 その杖は黒い影に到達する前に燃え尽きてしまった。そして怪しい嘲笑を浮かべた。
「だれだキサマ!」
 マルセラがナイフを持って構えた。ホンフゥの顔も険しくなる。そして影を睨んだ。
「あやしい影……上の世界でイヤになるほど出会ったヤツだ」
 ホンフゥもまた、黄金の爪を装備した。
「そうか、キサマがオレのいろはを苦しめていたのだな……許さねえ」

「クッククク……我が名はヌエ……ヤマタのオロチの旧臣なり……」
「オロチだと!」
「さすがにうわさに高い精霊法術……その娘に憑くのは無理となったか……」
 ヌエと名乗るあやしい影は本当の姿を現した! 頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾は蛇。こちらの世界で会ったキメラのようであったが、さほどの大きさではない。しかし今まで修羅場を潜り抜けてきたホンフゥにはヌエの強さが分かった。
「タオ殿、マルセラさん、下がっていて。オレだけで仕留めます」
「ホンフゥさん!」
「許さねえ……オレのいろはをいじめやがって……」
 ヌエはホンフゥの言葉をあざ笑いながら聞いている。

「てめえ、いつからいろはに憑いていた?」
「ずっとさ……主君オロチ様を倒されてからな」
「なんで今まで姿を見せなかった……いつでもいろはを殺す事ができただろうが!」
「お前たちパーティーは、オロチ様、バラモス様をも倒した冒険者。たかが凶獣にすぎないオレに勝ち目はない。だからこの娘に憑き、呪い続け少しずつ蝕み続けた。そしてようやくその効果が出たというわけだ……ミナデインとやらの乱発が災いしたな……ククク……」
「そうかい……正々堂々とやれねえから、コソコソと仕返ししていたってワケか……」
「否定はせんよ……オロチ様の無念を晴らすためなら、どんな事でもするさ……クッククク……」
 ホンフゥは闘神流の構えを執った。
「まあ出てきたのであればそれでいい。片付けてやる」
「できるか? 六人ならオレに勝ち目はないが、一人なら凶獣のオレの方が強い」
「一人で十分だ。サル野郎!」
「ほえづらかくな!」

 ヌエは虎の巨腕をホンフゥにチカラ任せに振った。その腕をホンフゥはヒョイと避け、空振りした腕の側面をトンと押した。すると空振りした巨腕は勢いを増して、ヌエ自身がその腕に振り回され倒れた。その時、ヌエの右肩にニブイ音が走る。肩の骨が砕かれたのだ。

「ぐあ!」

 ホンフゥと目が合う。静かに自分を見るホンフゥの目。ヌエは心の中で叫んだ。
(つ、強い……)
 これはサスケの戦い方に近いものだった。ホンフゥは本来、剛拳の使い手であるが、サスケの柔の技にさんざんにやられた。彼はこれを教訓としていたのだ。パワーに対してパワーで責めるは愚直。相手のチカラを利用し、かつ大ダメージを与えるサスケの技。彼はサスケと対峙して少なからず会得していたのである。
「おのれ!」
 ホンフゥへの見くびりを捨てたヌエは頭から突進した。
「砕けろ!」
 ホンフゥは動かなかった。そして左手をその攻撃に合わせてヒョイとあげた。

 ドン!

「ぐあああ!!」
 ヌエは部屋の壁まで吹っ飛んだ。これは『合気』。サスケから伝授されたものだった。
「さすがはオロチの臣、突進力は大したものだ。そのぶん有効に使わせてもらっているけどな」
「くそ……」
 ヌエはあのサスケとホンフゥが戦ったのも、いろはを通してみている。しかし今のホンフゥはその時以上の強さであった。
「おまえはオレに対してやっちゃいけない事をしちまった。それはいろはを傷つけた事だ。おまえはこのオレの逆鱗に触れたんだ!」
 ホンフゥの全身から闘気が吹き出る。まさに彼の流派の名前、闘神の降臨と思えた。そして彼は間髪いれずに気を練りだした。

「覇王翔吼拳!!」

 ホンフゥは巨大な闘気弾をヌエに放った。
 ヌエは合気のダメージが深く立てない。直撃だと思った瞬間、ホンフゥは覇王翔吼拳の気弾と一緒に突進していた! 竜の咆哮のようなとび蹴りである。
「飛燕疾風脚!」

 ドドオオオ!

「ぐぅあ!」

 覇王翔吼拳、そして絶大な破壊力を持つ飛燕疾風脚を同時に喰らい、ヌエのダメージは大きい。ホンフゥは間髪いれず鉄拳を振るい、ヌエを追い詰める。
 マルセラはあぜんとしてホンフゥの戦い振りを見た。
「すごい……。あれが……勇者の……その仲間たちのチカラ……」
「うむ。それに彼は怒っている。堂々と対峙している敵ならまだしも、彼奴のように水面下に潜み、卑怯な手で仲間を攻撃する敵。彼のような性格の男には一番許せない敵と言えよう……」
 タオの言うとおりである。ホンフゥは心の底から怒っていた。オロチやバラモスもいろはをキズつけはしたが、それは自分たちと対峙しての事。しかしヌエは影に潜み、いろはの体を蝕んだ。許せなかった。

(つ、強い! 悔しいが手が出せん!)
 ホンフゥの多くの攻撃を喰らい、ヌエは倒れ、床に平伏していた。右肩の関節は砕かれ、足の一本も折れていた。
「ふん、影でコソコソやっているテメエのチカラなんざそんなものだろう!」
 中途半端にいろはをキズつけ、ホンフゥの持つチカラの最大限を引きずり出す結果となり、ヌエは無念の思いだった。ヌエの頭を踏みつけているホンフゥ。だがヌエの大猿の目に倒れているいろは、そしてマルセラ、タオの姿が入った。口元が上がる。マルセラは殺気を読み取り、急ぎいろはを抱きかかえた。
「遅い!」
 大猿の口が開き、業火がいろは、タオ、マルセラを襲う!
「し、しまった!」

 ドオン!

 マルセラは辛うじてタオといろはを抱きかかえ、直撃を避けた。だが避けた先にヌエは左手で真空刃を放った。
「チィッ!」
 ホンフゥは急ぎマルセラたちを助けるべく、ヌエの元を離れた。その時!

 ズバァァッ!!

「ぐあああッッ!」
 ヌエのヘビの尾が槍のように尖りホンフゥの背後から、それを突き刺した。左わき腹を完全に貫通している。
「クッククク……形勢逆転だな……」
「……テ、テメエ……どこまで卑怯な……」
「勝ったと思い、油断を見せたキサマが悪い。ここは闘技場じゃねえんだ!」

 ドン!

「ぐあ!」
 虎の足がホンフゥを蹴り上げる! アバラの折れるニブイ音がホンフゥの耳に入った。今度はホンフゥが床に平伏した。そして意識を朦朧としながら、いろはを見る。するとマルセラとタオがズタズタになって倒れていた。彼らはいろはを守ったのである。
(マルセラさん……タオ殿……)
「クッククク……ではまず、お前の愛しいいろはを喰らうか。さきほどの法術で、もう憑く事はできんからな。オレの養分として喰らってやる。まあ髪の毛くらいはクソとして出るだろう。その時はお前の死体にクソごとくれてやる! ありがたく思え!」

 ズシンズシン……

 ヌエは倒れているいろはに詰め寄る。ホンフゥは動けない。さきほどのヘビの槍は何か毒でも出していたのか、ホンフゥは全身の痺れと強烈な眠気の中にいた。だがホンフゥはあきらめなかった。この場でいろはを助けられるのは自分しかいない。
「黄金の爪……竜の女王の祝福を受け……サスケ殿の鍛冶魂も宿るオレの最強の武器よ……我を立たせよ!」
 ホンフゥは自分の足に爪を刺した。と、同時に爪の甲の部分にある青い宝石が輝いた。強烈な眠気は取れ、マヒが一瞬で解かれた。彼の体が自由に動く。
 その時、ヌエはいろはを喰らうため、左手でいろはの体をにぎり、頭からかじるように大口を開けていた。

「闘神流・神行歩!!」
 一瞬でヌエの前にたどりつき、強烈な旋風脚をヌエのアゴにヒットさせた。わき腹からの出血はおびただしい。しかしホンフゥは倒れなかった。
「くたばりぞこないが!」
 虎の右足が上がり、ホンフウを襲う! ホンフゥは左手だけでそれを受け止めた。そして彼の右の拳が竜の咆哮のごとく炸裂した!
「正拳突きィッ!!」

 ドォン!

 ヌエは吹っ飛んだ。正拳突きが直撃したヌエの腹部が完全に風穴が開いていた。ホンフゥの全身全霊を込めた正拳突き。アレル、ステラの合体技である『クロス斬り』にも勝る破壊力であった。

「ウガアアア!!」

 いろはのヌエの手から離れ、体は宙に舞った。それをホンフゥは両腕で受け止めた。
「う……う、ううん……」
「いろは!」
「う……ホ、ホン……フゥ……」
「いろは! 気がついたか!」
「…………」
「ど、どうした?」
「キャアアアアアアアア!!」
 自分が裸である事をいろはその時認識した。
「は、放して! 放して下さい!」
 いろはは顔を真っ赤にしてホンフゥの腕の中で暴れだした。
「動けない私にこんな事をするなんて! あなたを見損ないました!」
 腕の中で暴れるいろはに四苦八苦しながらホンフゥは言った。
「バ、バカ! 状況をよく見ろ! 状況を!!」
「……え?」
 いろはの手にヌルリとする液体がついた。ホンフゥのわき腹からの出血である。
「……血!?」
 そしていろはは気づいた。自分をにらむ視線を。
「もののけ……ヌエ!?」
「知っているのか!?」
「はい……ジパングの伝記に出てくる悪しきもののけです……ジパング初代の王スサノオに倒されたハズですが……」

 ヌエはいろはの言葉に笑いを浮かべた。
「ご存知とは……光栄ですな……」
 ホンフゥはいろはを降ろした。
「立てるか?」
「ハイ」
 近くにあったベッドのシーツをその身に巻き、ホンフウの負傷にベホマを唱えた。ホンフゥのダメージは無くなった。また自分を庇ってくれたのであろう二人、タオとマルセラにも同様にベホマを唱えた。ヌエの真空刃で切り裂かれたキズはふさがったが、あの強烈な攻撃のショックからか、まだ気は失ったままだ。

 さきほどのホンフゥの正拳突きは、ヌエにかなりのダメージを与えたようだった。ヌエは座った姿勢のまま動かなかった。
「そう……確かにオレはお前の言うとおり、ジパング初代の王スサノオに倒された。しかし元々ジパング、いや『ワ』の国は我らもののけ……妖の国だった……。それを人間がやってきて……我らを滅ぼしたのだ……。ヌエ一族はスサノオとその妻クシナダに全滅させられ……当時子供だったオレはスサノオとクシナダに復讐を誓った……。成長し命を狙ったが返り討ちにあい殺された……」
「うそ……」
「うそじゃない! 我らの楽園を滅ぼしたのはキサマの祖先なんだ、いろは!」
 ヌエはいろはを憎悪の目でにらんだ。
「オレの魂は……無念の思いのまま、冥府をさまよっていた。それをオロチ様が蘇生させてくれたのだ! 人間への復讐の機会をお与え下さったのだ! オロチ様はオレを重く用いてくれた……。それが……再びおまえたち人間によって奪われた! お前たちにとり、どうであろうがオロチ様はオレにとり、かけがえの無い主君だった。卑怯なだまし討ちで殺しやがって……父や母、ヌエ一族の命ばかりか我が主までおまえたち人間はオレから奪ったんだ!!」
 ヤマタのオロチ、つまりヒミコがいろはとその一行に倒されたとき、ヌエはヒミコの命令でムサシノを離れ、ムオル、ダーマ、バハラタが存在するジパングのすぐ西に当たる大陸の情勢を内偵していた。
 十分にその大陸を落とせるまでの情報を持ち帰った日、すでにオロチは倒され、いろはとアレルたちの武功を讃える宴の最中だった。ヌエは成果を報告できる主君が死んだ事を知ると泣き崩れた。そして復讐を誓ったのだ。
 しかし、事ここにいたっては、いろはを殺すと云う目的はあえなく潰えた。こんな事なら体を蝕み徐々にいたぶりながら殺そうなどとせず、スキを見て殺せばよかった。ヌエにそんな後悔の念が湧いてくる。
 ゆえに、ヌエはいろはに恨みの言葉をぶつけ続ける。ホンフゥは業を煮やした。
「いろは! ヤツの云う事になんか耳を貸すな! ヤツはずっとお前にとり憑き、その体を蝕んでいたんだ! そんな姑息なヤツの云う事が本当のはずがない! デタラメだ!」
 ホンフゥの言葉は届かない。いろはの顔にはあきらかに動揺が見える。今まで聞いてきた歴史とは全然ちがう。ヌエ一族は人々の生活を脅かし、それをスサノオが退治したと伝えられているからだ。しかしヌエの言う事が本当であるなら、最初に戦端を開いたのは人間という事になる。

「うそ……」
「フン……信じるも信じないもキサマの勝手だ……。だが……復讐はさせてもらう……」
 ホンフゥは身構えた。
「キサマ! そのダメージで完全回復したオレに勝てると思っているのか!」
「……確かに勝てんな……。だが、そんな事はもうどうでもいい……」
「な、なに?」
 ヌエは聞きなれない呪詛を唱えだした。
「我が命と引き換えに……復讐を果たす……」
 ヌエの体中に瘴気が漂う。
「な、何をする気だ!」
「フッフフフフ……心配せんでも攻撃などせんよ。ただいろはの顔にみやげを残すだけだ……」
「み、みやげ…………!?」
 いろはは顔に激烈な痛みと強烈な痒みを覚えた。
「な、なに、何なの……これ!」
「その美しい顔を許されるのは我が主……ヒミコ様のみ……。残る一生、醜女として生きるが良いわ……クッハハハハハ……」
 ヌエは姿も残さずチリとなって消えた。まるで自らが唱えた呪詛に全生命力を使い果たしたように。
「ヌエ! キサマァ!!」
 拳を振り上げてももはや相手はいない。ただ横にいたいろはが顔を押さえ、激痛に悶えている。
「い、痛い! 顔が痛い!」
 顔を押さえる手に違和感が生じ始めた。顔中に段差ができ始めた。
「!!」
 いろはは部屋にあった鏡台に駆けた。そして見た自分の顔。そこには顔中大小のコブと醜い爛れがあった。
「い、い、い、いやああああああああ!!」
 いろはは狂ったように自分の顔に回復魔法をかける。だが効かない。
「アアアアアアッッ!!」
 その泣き叫ぶ声にマルセラとタオも気づいた。
「いろはさん?」

 狂ったように床に這いながら泣き叫ぶいろはを見て、マルセラは声が出なかった。ホンフゥが気づいたばかりのタオに頼み込んだ。
「タオ殿! もう一度いろはに精霊法術を! お願いします! いろはが、いろはが!!」
「ど、どうされたのです?」
「ヌ、ヌエのヤツ。自分の命と引き換えにいろはの顔に呪いを!」
 泣き叫ぶいろはを見て、タオは醜女に顔を変えられた事を悟った。
「分かった!」
 タオはすかさず法術をいろはの顔部に放った。しかし、効かない。何度やっても効かない。
「いやああああああ!!」
 いろは自身、その身に受けてタオの放つ法術が相当の高等法術である事は分かった。しかし、それでも効果は無かった。
「ハアハア……」
 タオの法力が尽きた。
「な……なんという呪いじゃ……精霊法術も歯が立たんとは……」
「そ、そんな……」
 同じ女である以上、マルセラにはいろはの衝撃が痛いほどに分かった。ある日突然に自分の顔が人に見せられないほどに醜くなったら……それは女にとり、死以上の苦しみであろう。
「皆さんに……なんて言えば……」
 マルセラは泣き崩れた。

「いろは……」
 半狂乱で泣き叫ぶいろはにホンフゥは歩み寄った。
「来ないで! 出ていって下さい!」
 背を向け、両手で顔を隠すいろは。
「そんな事言うなよ……ホレた女にそう言われると立場ないじゃないか……」
「こんな……こんな醜くなってどうして私を好きと言ってくれるのですか!」
「……オレの気持ちは変わらねえよ……」
 ホンフゥは黄金の爪を床に置いた。
「ホンフゥさん……何を……」
「いや、ちょっと。あ、そうそうマルセラさん。あまりに出血が激しいようならお願いします」
「は?」
 ホンフゥは両の手をポキリポキリと鳴らし、そして自分の顔に触れた。
「よいさあ!」

 ズバアッ!

 何とホンフゥは自分の両目を自分の拳で切り裂いた!
「ホンフゥ!?」
 鮮血がホンフゥの両目から吹き出る。
「さあ……これでオレはいろはの姿など問題なくなった……。醜くなろうがいろははいろはだ。オレのいろはだ……」
「ホ、ホンフゥ…………」
「ど、どこにいる? いろは。お前から来てくれないと抱っこできないじゃないか……」
「ホンフゥ――!!」
 いろははホンフゥの胸に飛び込んで泣いた。そして誓った。一生、彼の目となろうと。


第二章「暗い部屋の中のいろは」に続く。